単独親権民法を失効させよう

一連の国賠訴訟判断で得られたもの

2022年12月22日に、原告側が申請して、原告6人と鈴木博人教授(中央大学・民法)、濱野健教授(北九州大学・社会学)、ティエリ・コンシニさん(在外フランス人議会議員) の3人による共同親権訴訟の証人尋問が開かれる。今年新しくなった裁判長も含めて、裁判所は本訴訟で訴えた現行民法の矛盾や論点について関心を示していることが、比較的柔軟な手続き進行を見ているとうかがえる(と思う)。

この間、親権問題について提起された国賠訴訟の結果が出はじめている。9月28日には、作花知志弁護士が代理人となった、共同親権訴訟の国賠訴訟で上告棄却の決定が出ている(敗訴確定)。11月28日には、同じく作花弁護士が代理人の自由面会交流訴訟において、原告の訴えを棄却する不当判決が出ている。

また、12月13日には、松村直人さんが訴えた、共同親権時であるはずの婚姻中に、親権の調整規定がないことについて、立法不作為を訴えた国賠訴訟の控訴審判決が出ている。

これら一連の判断は、選択的夫婦別姓を求める立法不作為の国賠訴訟と同様、婚姻制度内における男女間の不平等について主要な争点としている点で、婚姻内外の不平等について正面から問うた、ぼくたちの共同親権訴訟とは判断の枠組みが違ってはいる。

それでも、親子関係に人格的利益を認めたり(作花共同親権訴訟1審判断)、親権者に面会交流を許可する権限がもともとあるわけではないことに言及したり(自由面会交流訴訟1審判断)と、訴訟を提起しなければ放置されていただろう、司法の運用について歯止めをかける内容が含まれている。


「親権のドグマ」現行民法、司法運用の矛盾点

また、子どもが「会いたくない」と言いさえすれば、素直に面会交流を義務付けることをしないできた司法が、子どもが親と会うのを希望したところで、その実現について義務がないことを言及するなど、明らかに現行の運用について矛盾した内容の判断を司法は示した。
12月には最高裁は、子の引き渡しに応じない親に対して、子どもの拒否感情を理由に強制執行を否定した高裁判断を覆した。

この間、子どもの意見表明権と子どもの自己決定権について、混同してきた司法判断は修正を迫られている。混同するのは、子どもの意見を悪用することで、子どもに会えない親の権利性を否定して差別してきた司法の運用が、徐々に白日のもとにさらされるようになってきたからだ。

何よりも明らかになってきたことは、親権者の権利濫用を放置することが「親権のドグマ」であり、実際は国の親の養育権への過剰介入にほかならないという、単独親権制度のもとで隠蔽されてきた事実がばれてきたことだ。

共同親権時の婚姻中に、親権の調整規定がないことについての立法不作為を問うた裁判では、母の安定を損なうことが子どもの利益にならない、という母性神話のもと、子の養育から排除された父親の権利侵害を無視している。そこでは、たとえ婚姻中の共同親権であったとしても、双方の意見一致ができない場合は、片親の関与を奪うことこそが子どもの利益であるという、まさに親権の調整規定がないことによる問題自体が、利益として捉えられている。


単独親権民法を失効させよう

しかし、このような解決策しか法が用意していないことを明らかにしたこと自体が、親の養育権を損なう事態であり、おちおち男女がセックスして子どもを作れない、という実態を暴いていっている。
一連の国賠訴訟が提起されなければ問われなかった法の欠陥であり、そしてそれこそが共同親権訴訟が問うているものだ。

現在、法務省は民法改正案について2月17日を末日にパブリックコメントを実施している。この中間試案はまとまりのつかないものであり、改革案も不十分なものであることを指摘してきた。

この中間試案にとらわれることなく、廃止を求めてきた単独親権制度で感じる違和感をその理由とともに書けばいいと思う。何より、共同親権訴訟で違憲判断を勝ち取ることで、現行単独親権民法を失効させること。ぼくたちの訴訟は、単独親権民法によって守られってきた法律村の牙城に対して、民法改正のための橋頭保にほかならない。(2022年12月14日 サイト「そうだったのか 共同親権」コラムから)