「子育ては別れた後も」 実践セミナー

共同親権訴訟の発起人で『子どもに会いたい親のためのハンドブック』著者が送る、子どもに会いたい、別れても共同での子育てがしたい方たちのための「離婚と子育て」実践シリーズ。

【日時】2019年11月~2020年3月の第2土曜日、各回16:00~17:30
【場所】全労会館303会議室(予定) 東京都文京区湯島2-4-4
(JR御茶ノ水駅御茶ノ水橋口徒歩8分) http://www.zenrouren-kaikan.jp/kaigi.html#08
【講師・相談・司会】宗像 充(ライター。共同親権訴訟原告、 『子どもに会いたい親のためのハンドブック』著者)
【参加費】1500円(共同親権運動会員は1000円)*予約不要

【各回内容】

<第1回>2019年11月9日(土)「共同親権訴訟の使い方」
「婚姻」内外の親の権利の不平等を問う共同親権訴訟。親の権利が貶められるのはどうしてか。何が争点でいかに自分のケースで活かせるか。

<第2回>12月14日(土)「二つの家と子どもの帰宅権」
「子どもにとって離婚とは家が二つになること」。なのに一つの家にしか帰宅できない子どもたち。その訳は? 子どもを訪問したらいったいどうなる?

<第3回>2020年1月11日(土)「家庭裁判所に行かなきゃいけない?」
離婚調停を申し立てられた、子どもと引き離された……はじめて足を踏み入れる家庭裁判所。ほんとに頼りになる? 婚姻費用・養育費・面会交流・DV、同居審判、いったい法律は味方なの?

<第4回>2月8日(土)「法律村の常識、非常識」
月に1回2時間しか取り決めさせない家庭裁判所。人質取引で儲ける離婚ビジネス。立ちはだかる弁護士たち。連れ去り・引き離しの横行する中、共同親権運動はどう武器になる?

<第5回>3月14日(土)「別れた後の共同子育て」
そうはいっても単独親権制度の日本。制度や親権よりも相手の意向? 子どもとの関係は? 「協力」ってどういうこと? そして学校や周囲で私たちはどう振る舞う? 

<離婚と子育て相談会> 

同日14:00~16:00【相談料】50分3000円【応談】宗像 充
*2日前までに予約してください munakatami@k-kokubai.jp
0265-39-2116(共同親権運動)
 
<共同親権カフェ> 

同日18:00~20:00【参加費】500円(ただしセミナー参加者は無料)*予約不要 

子どもと離れて暮らす親、別れても共同での子育てがしたい方、互いに気持ちや事情を話して支え合い、 知恵を出し合う場です。会員でなくても参加できます!

主催 おおしか家族相談 協賛 共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会
TEL0265-39-2116 メールmunakatami@k-kokubai.jp URL https://munakatami.com/category/family/

回遊魚の見た世界

「私たちみたいな根付の魚がコツコツやってるところを、宗像さんみたいな回遊魚がやってきてかっさらっていく」

 ニホンオオカミの取材をしていたとき、そんなことを言われたことがある。ぼくのようにとにかくニホンオオカミということであれば片っ端から当たって、全体像を組み立ててみたいという願望は、自分の興味関心で一つのテーマで深堀りしている人にとってみれば何か得になるようなものを感じられない、というそれはそれとなくの不満をぶつけられた出来事だった。ぼくもそう思う。

「ぼくがよそで見てきて得た知見や情報は、それを必要としている人に提供します、それがぼくの仕事だと思っています」

 そんな返事をしたのは10年以上前のことだと思う。それからその人も自分が知っていることを教えてくれるようになった。

もともと自分が調べたことを理解できる人に話してどんな反応があるのか見てみたい、という欲求も人にはある。それ以来、ぼくは自分が知ったことで必要としている人が思い浮かべば資料も付けてなるべく共有するようにしている。

記事や本を書いて売れたらいいなと思うことはもちろんある。だけどその自分の仕事で喜んでくれる人がいたら売れることよりもっとうれしいことだと今でも思う。

 10年近く前に、リニア新幹線と南アルプスの自然破壊について、単行本を出そうとして取材を進めたことがあった。あちこちしらみつぶしに南アルプスの周りを回ったのに、編集者と折り合いがつかなくて結局お蔵入りした。時間を使って話を聞かせてくれた人にとっては、何の得もなくて、不義理なことをしたと思っている。

10年後、同様の企画をもう一度進めることになった。再度南アルプス周辺の取材をすることにした。機が熟したのだと思う。山梨県側で工事の差し止め訴訟をしているグループの控訴審裁判が東京であった。手はじめに傍聴に行って院内報告集会にも参加した。

代理人は梶山正三さんで、甲斐駒ヶ岳の麓に事務所を置く方だった。控訴審では原告の意見陳述とともに代理人がスライドで主張を尽くす時間があり、梶山さんは滔々と一人でリニア新幹線の問題点をしゃべっていた。その中に冬の伝付峠の写真が出てきた。

「これは私が30年前に行って撮ってきたものです」

 「おっ」と思った。梶山さんは研究機関出身の工学博士で、それが弁護士として説明している上に、自分で実際に現地に行っているのだから説得力がある。ぼくは霞が関から新宿まで地下鉄で梶山さんといっしょだった。南アルプスのことをよく知っている人で、ぼくたちが昨年踏査した蛇抜沢も一人で登ったという。東京まで出てきていい人に出会った。

 翌週には山梨県のリニア建設現地を、そのさらに翌週には長野県側の現場を見て歩いた。

 山梨県側は民地での工事はあまり進んでおらず、河川や駅周辺などの公地とJRの敷地での工事が進んでいるほかは、山岳トンネルの掘削が続いている。長野県側は、飯田市の長野県駅周辺から天竜川にかけての用地買収が進み、喬木村側にも橋脚が現れている。山岳地域のトンネルも進んでいる。

 10年前の取材と違うことは、山岳トンネル以外の場所での工事に手がついたということと、JR東海が昨年2024年の3月に2027年開業予定を断念し、開業予定を2034年「以降」としたことだ。事実上完成が見通せなくなった。民間事業としては通常はこの時点で失敗だ。だけど、国策民営の事業に国から3兆円の公的資金を投入したため、JRもリニアの旗を振ってきた国も自治体も、今さら失敗の責めを負う気がなく、結局建設現地で住民に犠牲を強いる。岐阜県瑞浪市では、トンネル掘削による地下水漏出による地盤沈下にJRは打つ手がない。それでもやめるという選択肢は行政にはない。大都市圏のトンネル掘削率は10年経っても1割にも満たないというのにだ。

 先の裁判では、JRは原告側の主張に何も反論しない。何も言わなくても司法は勝たせてくれるとJRは高を括っている。そして法廷では山梨県のリニア実験線で、路線から100m以上の距離にある民家の住人が、騒音・振動・低周波音の被害で移転を余儀なくされていることが明らかにされている。

2013年に42.8㎞への延長工事で、時速500㎞で3分間の走行実験が可能になった。そうすると震度1~2程度の振動で家が揺れるようになる。現在は5両編成で38本の運行がされている。500㎞の区間は路線の一部で、これが全線営業になれば16両編成で往復360本になる。路線の両側150m程度の幅は事実上人が住めなくなるのではないか。実験線の移転補償についても地元報道で今年になってから明らかになっているので、高裁で原告側があらためて主張することにした。

以前は自治会全体で説明会を拒否していた山梨県内の地域も、JRの買収工作に切り崩されている。司法で何も取れなかったらどうするのか、という不安が原告から漏れる。

「昨年JRが2027年開業予定の断念を表明した時点で、ぼくたちはこの事業がどんな根拠で、本当にできるのか、今度はJRや行政に問いかける側になったと思います。彼らはそれを説明する側になりました」

 ぼくは院内集会で取材者の立場を離れ「住民枠」で発言している。それは他の仲間のジャーナリストとは違ってぼくだからできることではある。

 山梨県と長野県を回った。順調とは言えないまでも各地で着々と進む工事の様子は、それが甲斐のある建設工事ではなく、ただの環境破壊や生活破壊であるだけに、今までの工事が以前より進んだという以上に、やり場のない気持ちがこみあげてきた。涙が出たり焦ったり怒ったり、ただただ落ち着かない気持ちにさせられた。

 それでもこういった理不尽に何かを言わないではいられない人が各地に点在していて、ぼくが「大鹿村から来ました」と言いながら村の様子を知らせると、向こうも現地の様子を同じくやり場のない感情を表に出しつつも話してくれた。

 山梨県早川町で、大量に出た残土の処理にJRも自治体も手を焼き、川の上流の土手沿いに積み上げていた。写真をとっていると、職員がやってきて「何撮ってんだ」とくってかかってきた。黙っていると「公共事業だぞ」という。「公共事業なら隠すことないでしょう」とさすがにそれは言い返す。

麓の旅館で見てきた置き場のことを話すと、宿のおかみさんが「たいした説明もなくあちこちに置いて。名目が必要だというので、避難路を作るという。あんなところにそんなもの・・・」と問わず語りに話していた。

それはこの国の為政者たちの本音と、それに向き合う住民の心情を物語る些細ではあってもぼくには見過ごすことのできない一コマだった。

(「越路」45、たらたらと読み切り185)

宗像充『共同親権革命 民法改正と養育権侵害訴訟』

購入は直接本人まで→munakatami@gmail.com @は英数文字

裁判が負けたのは悔しかったけど、民法改正は実現した。単独親権制度から共同親権への転換は革命的な発想だと今でも思っている。だけど子どもの前に立ちはだかった国と制度の介入を排除し、困難に陥ったすべての親子が関係を取り戻す道筋をつけることはできていない。

四六判、1800円、自費出版

2024年5月、共同親権に関する改正民法が成立。
前後して、単独親権民法の違法性を訴え、国に償いと謝罪を求める訴訟が行われていた。

ぼくたちは何を目指したか?

Ⅰ 共同親権運動とは何か
Ⅱ 国を訴えろ 共同親権訴訟の歩み
Ⅲ 民法改正と立ちすくむメディアたち
Ⅳ 「差別的取り扱いは合理的」対ちゃんと共同親権

実子誘拐を記事にして仕事を干される(2)  子を会わせないことは問題ではないのか?

フリーランスのジャーナリストの牧野佐千子さんと、牧野さんの記事(「『娘が車のトランクに』日本で横行する実子誘拐」2019.10.10)を配信したプレジデント社に対し、東京地方裁判所(衣斐瑞穂裁判長、川口藍裁判官、東郷将也裁判官)は3月17日、名誉棄損とプライバシー侵害を理由に、合計110万円の損害賠償とオンライン記事の削除を命じた。

記事はフランス人のヴィンセント・フィショ氏が2018年、3歳の息子と11カ月の娘から日本人妻(当時、その後離婚)によって同意なく引き離された行為を「実子誘拐」として問題提起した。一審は、牧野さんの記事をプライバシー侵害とし(前回記事参照)、牧野さんがヴィンセント氏から提供された防犯カメラの動画を見て書いた、妻が車のトランクに子どもを入れて誘拐した、という部分について名誉棄損とした。

妻は子どもをフィショさんに会わせているのか?

フィショさんの妻が子どもを連れ出したのは、車のトランクに娘を入れた映像が撮影された8月20日の10日前の8月10日だった。一審はそれを取り上げ、「確実な資料ないし根拠に基づく確認をしたとは認められない」という。

「それで元妻はフィショさんに子ども会わせてるんですか?」とぼくは牧野さんに聞いた。会わせてないなら、それを「連れ去り」と呼ぼうがトランクに入れたのがいつだろうが、そもそも不名誉なことだとぼくは思う。名誉棄損を主張するようなことだろうか。

牧野さんの答えは「やっぱりね」だった。

牧野さんにしてみたら、父子を引き裂く行為が国際的には犯罪として違法化されているんだから、同様の行為は日本でも許されないと言いたかった。ところが司法は、日本では問題ではない行為なんだから、間違いがあれば記者の側が責任を負うべきだ、という。

不正確な点が一つでもあれば、問題提起自体が否定されるのだろうか。

しかしこの点についてはたしかに世論とそして司法決定も揺れている。フィショさんの妻側が訴えた3件の訴訟も、一件は妻側が負け(最高裁で確定)、もう1件はその逆だ。会わせないことについても、司法は約束や決定があれば債務不履行については認めることがある。でも会わせないこと自体を違法とすることはない。まして刑事事件として立件することはこの時点ではなかった(2025年4月7日にインド国籍の父親を逮捕した事例がある)。

一審は問題提起自体を否定した。

元妻側への裏付け取材は必要なのか?

それでは、牧野さんには110万円余を支払うほどの手落ちがあったのだろうか。

「10日後だろうが何だろうが、子どもをトランクに入れて連れ去りましたは事実なんだから、そこをそこまで問題にすることか」(牧野さん)

ぼくもライターなので、違法行為や悪事の告発については、現場を押さえることも含めて慎重を期す。後で間違いがあったりすると、告発自体の正当性が問われかねないからだ。記者は「取材不足」と言われることをことのほか嫌がる。

しかしだからといって、フィショさんの元妻側が主張したように、元妻側に事前に確認を取らないと取材不足になるとは思わない。

例えば、環境省が2012年に絶滅宣言をしたニホンカワウソについて、対馬でカワウソの撮影動画が公開された際、絶滅を主張するカワウソ研究者のコメントがないからといって、動画自体が否定されるだろうか。通説に挑戦する側に、通説による裏付けは不要だ。

また裁判官が問題視したように、取材のメモや録音を残すことが記者として決定的に重要なこととも思わない。牧野さんの取材にぼくは録音はとっていない。録音やメモをとるかどうかは、取材の性質や記者の手法にもよる。十分な裏付けと話の客観性が成り立てば記事として成立する。

牧野さんは記事公表後の10月17日に、妻側の当時の代理人の露木肇子弁護士に対し、反論を求めるファックスを送信している。反論が正当なものなら記事の修正もありうるし、実際ぼくもそうした場合がある。しかし反論はないままに、フィショさんの妻とその代理人は牧野さんたち3組を提訴し、記者会見でそれを公表した。牧野さんからすれば「抜き打ち」で、牧野さんも名誉棄損で対抗している。しかし一審はこの点考慮しなかった。

妻側は車の後部座席とつながっているからと、牧野さんが「トランク」と呼ぶこと自体否定的だ。だけど車の後部を開ければそこは普通トランクだ。娘が車に後部から入れられ、そのまま車がガレージから出ていった防犯カメラの映像を牧野さんは見て記事にした。

不適切に思える行為だからこそ、それを誘拐と絡めることをフィショさんの妻側は問題視した。適切な行為ならその後子どもと会わせなくなったことも含めて、そう言えばよい。

「訴えられてはじめて裁判所ってこんなに冷たいんだな、と思いました」(牧野さん)

女性侮辱罪があるのか?

2022年12月14日の日本外国特派員協会でのフィショさんの妻側の記者会見を見ていて驚いた記憶がある。

会見に出席した神原元弁護士が、記者の一人が足を組んでいたのを見とがめて「女性に失礼」という言葉で非難したのだ。「足を組むのが失礼」ではなく、「女性に足を組む」ことが失礼にあたる。逆に言えば相手が男性なら問題ない。これは親権をめぐっての、司法関係者の間でのジェンダー意識を象徴する出来事だとぼくは思った。

一審は、牧野さんが単独親権制度のもとで生じている親による子の連れ去りを問題提起するためであったとしても、子の「親(元妻)の氏名が推知される情報や連れ去り行為の具体的態様を記事に掲載する必要は認められ」ないから、プライバシーの保護に優先する法益がないという。そんなことがあるだろうか。

フィショさんも子の親なのに、これでは権利を侵害された側が実名で告発する行為自体が許されない。罰せられるのは父親の側で「なければならず」、母親の行為は不問とされ「なければならない」(連れ去られた母親はなおのこと無視される)。

母性神話であるがゆえに成り立つ理屈だとぼくは思うけど、司法関係者にはその自覚がないか、むしろそれを知った上で勝つために利用する。女の敵は誰だという気もする。

それを告発した牧野さんも女だ。

「牧野さんは裏切りもんってことなんでしょうね」

そう彼女に説明しながら、日本の男女平等の薄っぺらさをぼくは思った。

信毎「共同親権で生活はどう変わる? 子どもとの交流、DVの相手… 離婚した人の不安や疑問に専門家が答える」への質問

信濃毎日新聞の記事「共同親権で生活はどう変わる? 子どもとの交流、DVの相手… 離婚した人の不安や疑問に専門家が答える」を読みました。

当会は、共同親権訴訟・国家賠償請求訴訟を進める会、という県内大鹿村にある団体です。当会内の「手づくり民法・法制審議会」というワーキングチームは、昨年の民法改正の先立って、法務省から意見紹介を求められています。

私たちは、昨年の民法改正について、「共同親権賛成・法案反対」の立場から意見を出しました。法案は現行法制度で親子が引き離されたことについて問題意識も解決策もなく、親子の生き別れてを促してきた現状の違法な司法の運用を正当化するというのがその理由です。法案によって当事者間の混乱が深まることは記者と同じ立場ですが、法案を取りまとめた法制審議会の委員にその点について聞いても、まともな答えが返ってこないのは明らかです。法制審議会や法案作成の経過についての取材不足から来ていることは、私どもが昨年8月22日に論説委員に申し入れた際明らかにしましたが、まったく聞いていないような今回の記事に怒りを感じます。以下質問させていただきます。

1 私たちが行なった訴訟では、理由文中で婚姻外の親の「差別的取り扱いは合理的」と明言され、子どもに会えないこと含め、婚姻外の親たちの置かれた状況は制度上の問題であり個人的な問題ではないということは司法も認めています。しかし本記事では、DVの問題についての民事的な解決(自力救済)を前提に、子どもに会えない状況が現に存在することについては事例として消されており、私どもにも取材はありませんでした。本記事の記者は、「差別的取り扱いは合理的」と述べた私たちの訴訟の理由を読んだのですか? また子どもに会えない状況については解決する必要がないと考えているのですか?

2 離婚後や婚姻外の親どうしの関係が紛争含みになるのは、共同親権の法制度を取る国では一般的な子どものための養育計画の作成が任意とされていることが大きな理由です。これについては法制審議会では議題から外された経過がありますが、共同親権に反対する委員たちも、離婚できにくくなるからと反対しています。いったい信濃毎日新聞はどんな解決策がいいと思っているのですか?

3 司法で親権者指定では94%の割合で母親が親権者となります。この点について明らかにする記事を過去信濃毎日は慎重に避けてきました。その上で、男女平等を求める父親たちの運動もあって、海外では共同監護が立法によって可能になった経緯を無視して、棚村さんのいうように親権のある側は母親、親権のない側は父親として、共同親権に懸念を示せば、母親親権者という既得権と母性神話を擁護するという結論しか出ないのですが、信濃毎日は男女平等が嫌いなのですか。過去、いわゆる「別居親」のDV被害の割合が「同居親」側と同水準であるというデータを信濃毎日は意図的に無視しており、その経過は申し入れの際に明らかにしていますので、このような客観性に名を借りた世論誘導は悪質としか思えません。

回答は6月2日まで以下までお願いします。

宗像 充(むなかたみつる)

【共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会】

〒399-3502 長野県下伊那郡大鹿村大河原2208

T・F 0265-39-2116

Mailto munakatami@gmail.com

https://k-kokubai.jp

「ちゃんと共同親権」発刊しちゃえ

「発言しながら暮らしたい」

 それは、ただの世間知らずの人間だったぼくを、ただの人間に育ててくれた国立で聞いた言葉でした。東京ではじめて女性市長となった上原公子さんが、政治家としてのコピーに使っていたものだと聞いています。

 2008年、ぼくは国立市に民法改正の陳情を出すことで新しい市民運動を始めました(ぼくは面バレしていたので陳情筆頭者は他の人に頼んだ)。駅前のファミレスでいつものように市民運動の打ち合わせをしていたときのことです。「じゃあとりあえず次の3月議会に陳情を出してみよっか」といつもの流れになりました。

 そのころ子どもに会えなくなって法制度の問題について知ったぼくは、この問題でもやってみたら子どもを会わせない元妻も驚くかな、という感覚で陳情提出について一晩考えました。翌日から同じ子どもに会えない親がほかにもいると聞いて相談に行き、陳情を出し、その後、彼女と立川市の記者クラブで陳情と集会と署名集めの告知をしました。

 審議の中では「こういう陳情が出るのも国立だからだ」という議員の発言がありました。自分の個人的な問題であっても、発言することによって政治化することができる。「発言しながら暮らしたい」という言葉は、政治はそこらへんにいる人間がするものだということを体現したものとして、国立からぼくが得た言葉です。

 今ぼくは、ライターとして長野県の大鹿村から発言しています。村の人は人口800人の村が何か言ったところでと言いたがります。でも村が発言するのではなく人が発言するのです。どんな村や町に暮らしていても、昔から自分なりの方法で発言し続けてきた人はいます。

 インターネットが普及した時代、発信の場所を問われることなく、世界中に自分の意見を届けられます。しかし、発言しながら暮らすのであれば、自分の個人的な問題はプライベートなことではなく、社会的な問題として語ることもしていいはずです。村でもぼくは議会はじめ公の場で自分と子どもたちの今置かれている状況を説明します。そうすることが世界に自分や子どもたちを受け入れてもらう手続きの一つであると感じたからです。

 2025年、婚姻外の共同親権に関する民法改正の国会審議においては、子どもに会えないのはその人に個人的に問題があるからだというヘイトスピーチが、左派言論の中から湧きおこりました。弁護士たちは徒党を組んで代理人を買って出て、実子誘拐の被害者のメディアへの発言について、名誉棄損やプライバシー侵害を訴える民事訴訟が行われました。

 いわゆる口封じを目的にしたこれら運動やスラップは、プレイヤーとして国を訴える訴訟を担っていたぼくたちへの挑戦でした。また、そういったヘイトをためらわなかったメディアをぼくが公然と批判することで、ぼくは取引先や古巣を失いました。

 いったい、主義主張より自分の子どものほうが大事だという人間がこの世に少なからずいるということを、人権やジャーナリズムを口にしてきた連中は想像しなかったのでしょうか。彼らは原稿料を得ることを生計(たつき)とする在野のライターを見下していました。何よりぼくが怒りを覚えたのは、そういったフリーランスや市民団体を狙い撃ちすることで、無名の一人ひとりの発言をも口封じできると考えた、彼らの選民思想です。政治を左右できるのは地位や権力のある自分たちだというおごりがそこに見てとれました。

 ぼくの母はただのその辺にいるおばさんですが、本人にしたら痛いことをズケズケ面と向かってよく言っています。息子のぼくが感心すると「だっていばっちょるもん」とすまし顔で口にします。それはそこら辺にいるただの人間のぼくたちが、権力者の専横に対するときの基本的な姿勢の一つではないでしょうか。

 「言わねばならぬこと言う」(桐生悠々)がジャーナリストのエリーティズムに基づくなら、「言いたいことを言う」はぼくたちの武器です。不十分な民法改正がなされて家族や社会のあり方を模索するのに暗中模索する中、言いたいことが言えなかったあなたの言葉を、何よりぼくは聞きたいのです。

 共同親権を主要なテーマとするメディアは運動の中にしかありませんでした。でも発信する場を持つことでぼくたちが政治に関与してきたのも事実です。「言いたいことを言」い、発言しながら暮らすことで、ぼくたちは「ちゃんと共同親権」への道程を探りたいと思います。

「差別的取り扱いは合理的」というアウト・ロー宣告

2019年から5年間国と争ってきた共同親権訴訟では、一審は非婚の親の「差別的取り扱いは合理的」と述べ、この文言は二審でも踏襲され、最高裁で不当判決が確定した。

最高裁判決に対して、抗議文替わりに「判決不受理」の決定文を最高裁に届けて、ぼくは市民運動としての共同親権訴訟にケリをつけた。その時、何人かから戸惑いを表明された。

何言おうが負けは負けだろう、権力には黙って従え、ということだと思う。でもぼくはこう言い返した。司法が不当な判決を出したときに、黙って従うのは主権在民か。

三多摩で市民運動をしていると、教育社の労働組合の争議団のメンバーと接する機会が度々あった。教育社は雑誌「ニュートン」を発行している会社で、そこで争議が起き、会社は争議つぶしに刑事弾圧含めあらゆる手段を用いた。争議の長さは42年間。最後は組合員が全員退職して争議が集結している(その後社長は刑事事件に問われて逮捕されている)。

組合の人たちは「司法に決定を委ねてはいけない」という。当時のぼくも「何言ってんだろう」「司法決定に逆らうなんてできんのか」と思った。情宣禁止の仮処分やなんやかや、憲法や労働法を無視した司法の決定は実際不当だった。組合は決定が出ても情宣はやめなかったけど、実際はダメージを抑えるためにギリギリの線で争議を続行していた。

そういう事例は三里塚から石木ダムまで、実はこの世にたくさんあり、自分が同じ目に遭うまでみんな他人事として見ていたに過ぎない。

非婚の親の「差別的取り扱いは合理的」と司法は敵意むき出しだった。結局ぼくたちの主張が正しかったのだ。子どもに会えないのは個人の問題という主張を司法も否定せざるをえなかった。やはり法制度の問題だった。でも司法は子どもに会えない程度でギャーギャー言うな、と言いたいのだ。

彼らが守ろうとしてきたのは家制度だ。自分の事例は家制度(戸籍)とは関係ないという人はいる。しかしあからさまかどうかの違いで、一方の家に子を囲い込めば家の外の家族関係は内縁化し、親権があってすら権利がなくなるというのは、家制度がなければ理屈や感情として正当化できない。

日本は違法行為が厳格に適用されて何でも法律で解決する国ではなく、仲間外れを作っていじめるやり方を踏襲してきた。家は仲間外れの正当化の道具だ。問題はこれが戸籍という形で国家体制の中に組み込まれていることだ。家系の存続に伝統や安心感を得る人はいる。だけどそれは家系図でやればよい。家系図を国が戸籍として管理して家の存続教を民に押し付け、従わなければ仲間外れにして殺す。

そうすると、非婚の親の「差別的取り扱いは合理的」というのは、「お前らは『家秩序という法』の枠外の人間だ」という宣告であるということがわかる。これは、国家によるアウト・ローの宣告そのものであり、日本語では「法喪失」や「法外放置」と訳される。市民権はく奪だ。子どもが相手の家に囲い込まれれば、無権利状態に陥る人の態様をよく表している。

アウト・ローの有名人としてはロビン・フッドがいる。ジョン王の圧政に従わなかったフッドはアウト・ロー宣告を受ける。アウト・ローはチンピラみたいなイメージが強いけど、実際にはまつろわぬ民は国にはチンピラに見えるというだけだ。国家による支配を受ける前の採集民社会などは、国によればチンピラで野蛮なアウト・ロー集団である。

子どもに会えない親たちも、今回アウト・ロー宣告を受けた。その中には、国会議員や大企業のエリート社員も、金持ち経営者やあるいは司法関係者もいるかもしれない。だけど、社会的な地位はあっても被差別民であることは変わらない。

国によれば、共同親権運動は本質的に反体制運動である。権力にすり寄って条件を勝ち取るか、まだ見ぬ未来のために仲間たちとともにシャーウッドの森から矢を射かけるか、あなたは選ぶことができる。辛亥革命を起こした孫文は「今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります」と神戸で大アジア主義を掲げている。誰と手をつなぎ何に立ち向かうかもあなたは選ぶこともできる。

「ステージを降りて主役になれ」共同親権運動の原点へ

 共同親権運動を始めた国立から2016年に大鹿村に移り住んだ。

 鳥倉山の麓の標高1000mの家から、毎月5時間かけて上京する生活は9年目になる。 

 千葉県の子どもたちの学校に出向いたり、会いに行ったり裁判したり、月に1回以上は上京した。その折に学習会や自助グループを主催した。2019年に国家賠償請求訴訟を提起してからの5年間は、法改正の動きも具体化した。裁判の院内報告集会や議員への働きかけもあり、上京する理由は増えた。

 そうこうしている間に子どもたちは成人した。子どもに会えない親たちを鼓舞し続けた国賠訴訟は負けて終わった。別居親子の再開や権利回復に取り組んできたのに、自分は子どもたちと関係回復できていない。どうしたもんかな。

 コロナで国が外出するなと言っている間も、会えない子どもに会いに千葉まで行き、仲間たちと集まりを持った。結婚を機に大鹿に来たのに、「こんな時期に子どもに会いに行くなんて」と妻に捨てられ、5年前には大鹿にいる理由もなくなっている。

「家族って何だろう」

 だけど、子どもと引き離されるというつらい体験ですら、それを誰かと共有できた。それが社会的であり政治的な問題であると知ることで、ぼくは自分自身を取り戻すことができた。国立から共同親権運動が始まった。どこにも居場所がないと感じた者たちは、世界に自分を受け入れてもらえるようにするために、社会を変えようと思い立った。

 単独親権制度という法と因習が子どもたちの前に立ちはだかっていた。共同親権運動を始めたとき、司法で写真3枚の送付という決定を受けた仲間を支援した。彼は「本当は法律なんてない社会を望んでいるんだけど」と口にした。「法を私たちの手にするために」法改正を促すと、国はハードルの名前を変えて立ちはだかり続けた。運動から離れた彼の言葉を抱きしめて、ぼくは支配の道具と化した法なき世界を夢見てジタバタし続けた。

 戦前から引き継がれた家制度は戸籍の中に命脈を保っている。戸籍外の家族関係を内縁化し、国に都合のいいときだけ関係を容認する、壮大な仲間外れの体系である。家族にも社会にも「アウト・ロー」とされたぼくたちが人間であり続けるために、勝ち組負け組を作り続ける社会では、さほど顧みられることもなかったものを一つひとつ見直していった。

 人の痛みが自分ごととして想像できるから、お互い様や信義や公平、思いやり、といった言葉が現実味を持つ。一人ひとりの弱さは社会を変える武器にも変わる。ステージから降りることで主役になれる。社会の主流から外れたときに感じる挫折感は、仲間と同じ夢を見ることで力に変わる。誰からも求められず、どこにも居場所がないということは、どこにいてもいいし、どこに行ってもいいというメッセージだ。

 かつてジタバタしはじめた東京で、今何かすべきことがあるのだろうかと迷ったときに、東京の仲間たちはぼくが暮らす大鹿村に足を運びはじめた。ぼくはここに居続けるために、助けを求めていたし、地域や環境を維持するにもそれが必要だった。

 ぼくが「山よりな暮らし」と名付けてはじめた発信を、「アウト・ロー」とされた仲間たちがおもしろがりはじめた。春の山里は桃源郷。山菜を取り、田んぼに水を張ると山小屋で仕事をし、キノコを求めて山に入って収穫した米を食べる。近所づきあいももめごとも、ここで暮らすには必要なこと。そこに「本物」の暮らしがあるのでは探検に来た仲間たちは、子どもと引き離されて居場所の定まらないままに、学生時代の登山の思い出を胸に大鹿村にやってきたかつてのぼくの姿だった。

 ぼくが東京で誰かの助けになればとしてきたことは、実は自分が助けられていたお互い様の一コマだった。もともと山間の隠れ里は「アウト・ロー」が目指す場所だった。コミューン、解放区、アジール、梁山泊……ぼくたちはシャーウッドの森の中にいる。だとすると東京にぼくが通い続けることは、現れる未来の冒険家たちとの交歓とともに、お互い様のつながりや拠点をつくる実験でもある。

 父母間の主従を決める単独親権制度は、子どもを奪い合って勝ち負けを強いる。共同親権は父母それぞれの持ち味を子どものために活かしあう。

 ぼくの出身地の大分では生計(たつき)というほどの意味で「いのちき」と口にする。郷土作家で市民運動家の松下竜一が『いのちきしてます』で世に出した。「あんし(人)はあれがいのちきよ」と父や母、大人たちはこの言葉をさらっと口にする。芸に手に職、商い、愛想、特技……誰しもが生きていくに頼みとする手立てを持っている。なんであれそれで一日乗り越えろ。そう言い合って励ましあっていたのだろう。

 子どもを誰が見るべきかという家族法の中から生まれた「共同親権」という言葉を、ぼくたちが新しい家族的な関係を築く梃子につかってみたい。この物語があなたの心と触れ合ったなら、そこから新しい物語がはじまる。

 ぼくは今いのちきしてます。

(2025年4月28日 雪の三伏峠小屋にて 宗像 充)

実子誘拐を記事にして仕事を干される(1)  プライバシー侵害を訴えた原告が弁護士と記者会見?

牧野佐千子さん(ジャーナリスト)に聞く

フリーランスのジャーナリストの牧野佐千子さんと、牧野さんの記事(「『娘が車のトランクに』日本で横行する実子誘拐」2019.10.10)を配信したプレジデント社に対し、東京地裁(衣斐瑞穂裁判長、川口藍裁判官、東郷将也裁判官)は3月17日、名誉棄損とプライバシー侵害を理由に、合計110万円の損害賠償とオンライン記事の削除を命じた。

記事はフランス人のヴィンセント・フィショ氏が2018年、日本人妻(当時)によって3歳の息子と11カ月の娘を、同意なく引き離された行為を「実子誘拐」として問題提起したものだ。日本では慣例的になされていた「子連れ別居」が、海外では刑事罰とされるその認識のギャップそのものが論点だ。

プライバシー侵害を訴えた原告が弁護士と記者会見

牧野さんはぼくのライター仲間である。

共同親権や実子誘拐といった、これまで知られていなかった概念を日本社会に事例とともに解説し記事化してきた。このテーマがメディアの中でどのようにキャンセルされてきたか、牧野さんと集会で対談したこともある。ハキハキとした物言いをして、論争になると譲らないところもあり、意見の違いはあっても、お互い「やるな」と認めていたと思う。

とはいっても、昨年5月に共同親権を婚姻外に「導入」する改正民法案が成立し、共同親権反対の意見が大きくなっても、ぼくのほうは立法不作為で国を訴える国家賠償請求訴訟の原告で、プレイヤーに専念していたためか、牧野さんのように裁判手続きを使って刺されることはなかった。

ところで、ここでぼくは慎重を期して、特定そのものが裁判の争点となった日本人妻の名前を伏せているが、バカバカしい思いがある。妻とその弁護団は、提訴するにあたり、2022年12月14日に、日本外国特派員協会で記者会見をしており、ここに彼女も登場しているからだ。

彼女とその弁護団は、牧野さんたち以外にもフィッショ夫妻について扱った、3件の名誉棄損やプライバシー侵害の裁判を起こしており、1件は敗訴している。

当時はコロナ禍の最中であり、マスク着用が当たり前だったとはいえ、彼女の知り合いならそれが誰かわかっただろう。しかし妻側の訴えは、ヴィンセント氏の名前を記事化すれば、夫婦のことを知っている人は妻の側を特定してしまうことになり、それがプライバシー侵害の理由の一つにされている。なんだそれ。

共同親権反対の弁護士たちが妻側弁護団に

牧野さんを訴えたのは、民法改正時の国会審議の公聴会でも呼ばれた、弁護士の岡村晴美にフェミニスト弁護士として名の通った太田啓子、日弁連両性の平等に関する委員会の事務局長の斉藤秀樹、それにヘイトスピーチ規制に賛成し、名誉棄損法の濫用=いわゆるスラップ訴訟に反対する意見を表明してきた弁護士の神原元、復代理人の水野遼である。いずれも共同親権に反対している。

ところで、ヴィンセント氏について記事化したネットメディアのSAKISIRUは、同様の弁護団で訴えられ、それを口封じや嫌がらせのためにするスラップ訴訟であるとアピールしてきた。自分の側の名誉棄損事件についてはスラップではなく、他人がする名誉棄損事件はスラップとして反発するのか。

直接神原弁護士にファックスで取材依頼をすると、電話口で「判決を見ていただければわかる」という。見てもわかんないから電話してんだけど。

プライバシー侵害?

ここでぼくもヴィンセント氏の名前を出していて、その元妻(2人はその後離婚が成立している)から、互いの知人に身元がバレると訴えられるかもしれない(実名が掲載されているネット記事は見られる)。しかしそうなったらそれが口封じ目的のスラップ訴訟の証明だと思ってほしい。

というのも、プライバシー侵害というならば、その流出元のヴィンセント氏本人を訴えなければ、元を絶てないからだ。記事はその本人の証言や本人提供の物証をもとに書かれているのだ。言いがかりにしか思えなかった。

どちらが被害者か?

そもそも父親側が実子誘拐という海外では違法な行為の被害を訴えており、母親側はそれらは日本では問題ではなく、夫側は個人的な問題を騒ぎ立て、私こそが被害者だという。「被害者タイトル争奪戦」において、勝者を決めるのは何を「アウト・ロー」とするかの社会認識である。その上、日本の場合は「離婚の被害者はそもそも女性」という固定観念は強い。

そして、子どもと会えていないのは、会えない側に問題があるからだ、という通説に挑戦したのが牧野さんである。

この記事で牧野さんは離婚後に親権をどちらか一方に決める、日本の単独親権制度の問題点にも言及している。しかしその後2024年5月には婚姻外の共同親権も可能となる改正民法が成立し、社会認識の転換に向けて議論が巻き起こる中での、この裁判である。そこにいったい口封じの意図がなかったと言えるだろうか。

「モチベーションなくなりますよね」

本訴訟では牧野さんがヴィンセント氏から提供された動画を見て書いた、妻が車のトランクに子どもを入れて誘拐した、という記事の内容が名誉棄損を構成する部分となっている。次回記事ではこの点について考えてみたい。

ぼくは3月17日の判決後の4月5日につくばに牧野さんを訪ねてインタビューしている。

友人が自衛隊官舎にイラク派兵反対のチラシを配って逮捕され、その救援活動を本にしたのがぼくの作家活動のスタートである。既存の体制に異議を唱える表現行為がどれほど身の危険を脅かす場合があるかというのを、その過程を通じてつぶさに見てきた。その後もそれらをテーマにした記事を時々書いてきた。スラップ訴訟を提起されたこともある。

「書き物の仕事、モチベーションなくなりますよね」

一審敗訴による牧野さんの落胆が大きかったのは明らかだ。ぼくの問いかけにしばしば無言になりながら、たどたどしく言葉を絞り出している。

「狙い通りやられた。悔しい」

プレジデント社が一審で矛を収める中、牧野さんは手弁当の弁護士の励ましもあって控訴した。牧野さんも一審で最初はやめようと思っていたようだ。「110万なんて払えるの」と聞くと首を振る。

名もない一人ひとりの表現活動の自由を保障するのは、金をもらって表現活動させてもらっている文屋のぼくたちの職責の一つでもあると思う。引き続き本裁判を追う中で、親権問題における表現活動の現在について考えてみたい。

その日ぐらし村

 「庭にフクジュソウがあるみたいで『ここにあるから踏むな』とか言うんですよね」

 最近村内に越してきた山小屋仲間の椎名美恵さんがうちにやってきて、お茶を出すと村の驚き体験を披露してくれていた。

「私が家主なのに何でそんなの言われるんだって……」

近所の人たちのペースに合わせてたら、引っ越し作業はどんどんずれ込み、その上家主なのに自分ちの注意を受ける。

「ぼくも家で電話出てるときに上蔵(わぞ、この集落)の人がやってきて、『今電話出てます』とか返事したら『電話なんか切っちまえ』って言われたからね」

 ギャハハと椎名さん。

「そういうの楽しめないと大鹿にはいれないんだなあ」

という彼女に「大鹿外国だからね」と説明したら肯いてた。最初から異文化なら「こんなはずでは」という程度も小さい。

ちなみにそのときぼくが玄関先に出ると、広報物を手渡され、うちの庭先の丸太を見てその人は「カラマツは腰掛けにはダメだ。とげが刺さる。カラマツはやめとけ」とひとしきり講釈を垂れ去っていった。

頼んでもないのに勝手に保護者になってお節介をお節介とも思わない。そこそこのところで「自分はそういうの無理なんで」と言えない人はたしかに苦労するだろう。

周囲に合わせて保護者たちの助言に従い、最終的には有力者の言うことを聞けば、それはそれでとりあえずは波風は立たない。だけども周囲に合わせるのに疲れて何のためここで暮らしてるんだ、と思う人が都会を離れて田舎暮らしをはじめるわけだから、そこはとりあえずもめごと必至なわけだ。

昨年4月から1年間、自治会長の役が回ってきた。上蔵には5つの班があって、順番にお世話班を回していて、お世話班が自治会長を出す。ぼくの暮らす峯垣外班ではさらに自治会長は中で順番で回しているから、20年か25年周期で自治会長は回ってくる。その1回目がうちにきた。

年に一度の村集会(上蔵の人は「村」と呼んでいる)の前の班長会で自治会の役を決める。班長会で決めればみんな従うのが以前のルールだったようで、ぼくも引っ越した一年目にいきなり役を告げられた。事前の依頼で決まらなかった役をその場で決めて集会で告げると、「聞いてない」「根回し不足だ」と大もめにもめて、まあ21世紀だしね、と思いはするけど、その間の調整に右往左往するのが自治会長の最初の仕事だった。

お世話班と自治会長の仕事はやってみると、役場の下請けの割り振りと、お祭り等のしきたりの段取り、がほとんどで、どんど焼きにしろお祭りにしろ、別にぼくがあれこれ指示しなくても村の人が勝手に動いてくれる。

ぼくが自治会長権限でやったのは、前年はまったく呼ばれなかった空き家対策の会議の様子が前任者からの引継ぎでは全然わからないので、村の担当者と決めて委員会として立ち上げたことと、コロナで途絶えていたお祭りの直会(神事後の宴会)がやるやらないでもめそうだったので、「やったほうがめんどくさくない」と実行したことぐらいだ。

ちなみに前年呼ばれなかった空き家対策の会議は有志でしていたけど、ぼくが呼ばない理由を「宗像さんはほかの人と仲良くしないから」とみんなの前で言われたことがある。自由だなあと思ったけど、次の会議で「自分のことをすぐに理解してもらおうとか思うてませんよ。そういうこと言われるとつらいわあ」と言いはした。

東京から越してくると、都会の人、ぐらいの印象は持たれるのだけど、実際はぼくは田舎育ちだ。親戚がいたとはいえ、父と母は農家ばかりの9軒の集落へのはじめての移住者だ。一升瓶を持っていったりとなにかれと周囲に気を使っているのを見ている。ぼくたち兄弟も、放し飼いのポチが隣の畑を荒らすと、「謝ってこい」と父の命令で隣のおばちゃんに頭を下げにいく、なんていう今考えると理不尽な体験もしてもいる。

ぼくがここで暮らし始めたとき、母は「部落んし(人)に歯向かうなよ」とありがたい助言を下さっている。父と母は今では長老格になっている。

退職してから自治会長をしていた父に大分に帰ったときに村のもめごとの話をしたら、笑いながら「上津尾(こうずお、実家の集落)でんみんな今も好きなこと言いよるわ。それでん部落っちゅうのはおもしりいよ。お父さんも若いころはいろいろ言うてみて、みんなが賛成せんかったら『早かったかな』とゆうて引き下がった。じゃあけんどだいたい昔言うたことは今そうなっちょるわ」という。そして「お前もみんなに信頼されるようにしよ」と言葉を足した。

何かと衝突してきた父子なのだけど、このときは多少うんざりもしていたので「どうしたらそうなるん」と素直に聞いた。「なるべく公平にしよ」と父は一言付け足した。

「お前んとこの親父が来ると法事が長くなる」と近所の人にはぼくたち兄弟は言われている。 「ただ酒飲んで長居して」と言われた父は、「借りは作らん」と次から自分の分の一升瓶は持っていくようにしたそうだ。それくらいで早めには切り上げたりしない。

村のリニア連絡協議会に自治会長だから呼ばれて、最初のときに「自治会に報告とかないわけだし、本来村の代表は村長と議員なんだから協議会やんなくてよくないですか」と発言してみた。すると「JRの説明はほしい」「出たくなければ来なければよい」との発言があり、これは任意の会議になる。村の担当者に「謝礼はいりません」というと、「それは困る」ということなので自治会に寄付した。

JRは本来であれば管理型処分場に持ち込むと環境アセスで言っていたヒ素入りの有害残土を、上蔵の川原の変電所施設の下部に埋め込むという。上蔵に事前に相談もなく村で説明会をしたJRの姿勢を4回にわたり「ぼくはきちんと説明を受けたとは思ってませんからね。当該自治会の自治会長として賛成したとはみなさないでくださいね」と念を押した。

道路の通行止めに関しては業者は自治会長の承認印をもらいにくるので、これで在任期間中は止められるかと思ったけど、実際は道路の通行止めはなかった。それでも期間中の工事をJRはせず、理由を聞いても答えなかった。

先日次のお世話班に集会場で引継ぎをした。明治時代から続く集会録も含め、昔はリヤカー一杯の引継ぎ物品を次の班へと持っていったという。今は石油ストーブの大きさぐらいの引継ぎ書類に、神社の蔵や福徳寺の鍵、余った一升瓶やらを渡す。

有害残土を置くことに、地区で反対決議を上げても業者には有効ではなさそうだ。行政は任意団体は小馬鹿にするけど、自治会の意向はなかなか無視できない。そこで、登山口につながる鳥倉林道のマイカー規制を、今日の集会の議題にかけるように、引継ぎでお願いした。地区の静かな環境維持のために一つぐらいは置き土産はしておこうと思った。

どんな意見が出るか、楽しみではある。(村集会ではそのまま了承されました)

(2025.3.24越路44 たらたらと読み切り184)

東京新聞に原稿料を返却する(後)

2024年10月、東京新聞の日曜版「人生のページ」で「民法改正で解消なるか 親子の面会交流」の記事が出た。年が明けると東京新聞は弁護士の太田啓子に、ぼくの書いたコラムの内容を真っ向否定する記事を同コラムで書かせている。その後東京新聞(中日新聞)には事実関係について確認し、経緯を明らかにする質問を送ったもののまともな回答は来なかったため、原稿料を大島宇一郎社長宛に返却した。

「日本で司法に訴えても面会交流の約束を取り付けられるのは5割」?

ところでぼくは東京新聞に苦情が来るだろうなということは想定していたけど、東京新聞の取材力がこの程度まで低いということはちょっと予想外だった。東京新聞内にも共同親権に賛成の立場で記事を書いていた記者は過去複数いたので、ここまで初歩的な質問が社名で寄せられるとは思いもせずに呆れたところはある。

なかでも最初から最後までぼくとAさんが対応に追われたのが、ぼくが書いた「日本で司法に訴えても面会交流の約束を取り付けられるのは5割」という記載についてだ。

これはその年の面会交流の調停・審判の決定・合意成立の件数を新規申し立て件数で割った数字で、目安になる数字で過去別の弁護士も論文で用いている。データをいちいち司法統計から拾い出す必要があるけど、ぼくは経年経過がわかるので毎年その作業をしており、その割合がほぼ5割程度で変化がないという点について触れたにすぎない。

ところが国会では憲法学者の木村草太が、却下されるのはわずか1.7%と公言して、だから司法に訴えて会えない親は相当問題がある、つまり家庭内暴力の加害者ということの根拠にしている。

東京新聞に寄せられた質問もこの点について根拠を述べよと言ったようで、次回でこの件について書くようにとしつこく言われた。この点についてぼくは自分のサイトに記事を書いて根拠を説明し(木村草太「面会交流事件のうち却下されるのは1.7%」のインチキhttps://munakatami.com/column/kimuraintiki/)、合わせて木村のデータの操作による両者の数字の差を説明した。

この部分は共同親権反対のキャンペーンの中で東京新聞や他のメディアでも、度々岡村や木村等々、識者コメントとして引用して子どもに会えない親を悪者にする根拠に挙げてきた。この捏造キャンペーンでメディアは被害者を加害者のクレーマーに変えてきた。だからこの点についての反論をぼくができないわけもない。

ぼくの記事への東京新聞への意見は、賛成が反対を凌駕したようだ。記事は後編に至り記事内で根拠を示すということも結局なかった。

その間「子を奪われた」等々のぼくの記載に細かい注文が入り、東京新聞がいかに反対派を恐れているかがよくわかった。原稿は社長も目を通したという。

社内には掲載させないという意見もあったから、記事が出たこと自体は勝利だったのだろう。

「誤解だらけの共同親権」岡村晴美から太田啓子へ

その後、2月2日と9日に弁護士の太田啓子の記事が出たのは述べた通りだ。

この「誤解だらけの共同親権」という記事の1回目で太田は、「面会調停・審判の運用において、家裁はよほどのことがなければ別居親と子の何らかの交流を命じている。認められないこともあるがその理由は個々の事案次第で、虐待DVが背景にあることもある」とあっさり書いている。ぼくは愕然とした。

いったい自分が頼んだ原稿依頼者にその根拠を散々立証させ、その後その立証内容を別の外部の人間に書かせて否定させる、などという暴力行為をする新聞社があるだろうか。しかも「人生のページ」と言いつつ、太田啓子は自分の人生について一言も語っていない。政治的な意図だけで書かれた記事であることは明らかだった。

ぼくのコラムでは娘のことも触れざるを得なかったけど、太田は何の危険も冒さずぼくの家族関係を結果として愚弄する。子の親として素直に悔しかった。

Aさんに電話すると、「私には太田の原稿が載ることも含め何の連絡もない」と蚊帳の外だったと弁明している。この時点で愛知の弁護士からの苦情が入ったことをAさんは明らかにしており、岡村晴美の名前を出しても否定はしなかった。

岡村はすでに2024年のぼくへの原稿依頼から記事掲載に至るまでの8月にインタビュー記事が出ており、共同親権反対の同志弁護士の太田が、今回ぼくの原稿を否定する役回りになったということだろう。実際岡村はこの記事を大喜びでXで宣伝している。

「チッソの廃液に水銀は含まれていない」と同じ

しょうがないので、手続きをとった。

東京新聞にこの記事掲載に至る経過を明らかにするように質問を送り(https://munakatami.com/blog/chunichi/)、冒頭の回答が2週間という十分な回答期間の最終日に「中日新聞編集局読者センター」からあった。原稿料を払った相手にする態度とは思えなかった。

その後、ぼくは抗議文を「読者センター」宛に送り、先の司法で子どもに会えるかどうかの点について、こう説明した。

「これについては、民法改正の議論において子と引き離されたか否かの立法事実にかかわり、中日新聞は司法に行けば会える、との無責任な識者のコメントをこの間垂れ流し、私どもの国賠訴訟の会も質問したことがあります。しかし、中日新聞は事実の指摘に対し、頑なに司法に行けば会える、との主張を垂れ流し続けました。

昔水俣病患者たちは、チッソの廃液に水銀は含まれていないとの風評に悩まされ、街を発展させたチッソを批判するのか、と孤立させられました。その間多くの被害者が出続けました。中日新聞が共同親権反対でなしたキャンペーンは、それらと同様の行為です。」

この場合ぼくの原稿料は東京新聞がした口封じ行為を容認する賄賂ということになる。原稿料の額はぼくが費やした労力で到底賄えないレベルのものだ。

受け取れるわけもなく受け取る価値もないので、社長宛に現金書留で郵送した。後日東京新聞編集局庶務部長の石井敬名義で手書きの手紙と受領証が郵送されてきた。

「お粗末」とはこのためにある言葉だろう。