南アルプス破壊事業 リニア中央新幹線の実像

「うましうるわしリニア」

 ぼくは2016年から長野県大鹿村で暮らすあまり注目されない職業ライターだ。

 編集部には、リニア新幹線について、「予算がまた増やされたことと、6月の静岡県知事選挙、それと大深度法の三題噺」で書いてくれというリクエストをいただいた。このうち、予算が増やされたというのは、4月27日に、建設主体のJR東海が、これまでの建設見込み額に比べ約1兆5000億円増の7兆400億円になる見通しを発表したことを指す。

JR東海の発表によれば、今期の売上高予想は前期比49.8%増の1兆2340億円、営業損益予想は2150億円の黒字とされるものの、前期は1847億円の赤字を計上している。前期の純損益は2015億円の赤字で、通期での赤字は1987年の国鉄民営化以来初めてになる。

 リニア新幹線は、品川(東京)―名古屋間の2027年開業を目指して2015年に国土交通省による建設認可、着工で工事が始まった。この間の予算は5.5兆円。大阪までは、当初2045年の開業を目指し、品川(東京)―大阪間の予算は9兆円とされていた。これを8年前倒し、2037年開業予定が決まったのが2016年。国からの3兆円の財政投融資を受けてのものだ。コロナの影響で人々は移動しなくなったので、経営は悪化した。

そして、2020年10月には、東京外郭環状道路の建設現場で落盤が起きている。リニアは品川―名古屋間の86%がトンネルという、いわゆる「地下鉄」だ。286㎞の地上部分には膨大な数の地権者がいる。この地権者交渉の手間を省くために国が作ってやったのが大深度法だ。40m以深の地下では地上部への影響がないため、公共事業では地権者の同意なく工事ができるという法律だ。ところが、先行した東京外環道の工事で落盤が起きたため、この法律の前提が崩れた。大深度法での工事を進めようとしていたJR東海も、岐路に立たされている。

もともとJR東海は大阪延伸の前倒しのために、3兆円の公的資金の投入を受けている。しかし、その3兆円は、品川―名古屋間の工事の遅れと膨らむ予算規模の埋め合わせで目的外に使われている。バクチに手を出す大企業に、国が実質経営支援の便宜供与をしている。

大阪延伸の8年前倒しが決まった一年後の2017年末に、リニア工事を請け負う大手ゼネコンの談合疑惑が発覚し、今年3月には有罪判決が出た。しかし国とマスコミは、大井川の利水をめぐる静岡県とJR東海の対立に世論の注目を集めさせることによって、この事業がオリンピック同様、大企業とゼネコンの救済策であることから目を逸らせようと必死だ。コロナで窮地に陥った彼らにとってリニアは、チャリンチャリンと金を落としてくれるまさに打ち出の小づちで手放せない。「うましうるわし」、もうやめられない。

「そうだ リニア倒そう」

 現在、国とJR東海は、静岡県との対立を演出することに必死だ。昨年6月には金子慎JR東海社長が、川勝平太静岡県知事と会談し、7月中に着工できないと、2027年の開業に間に合わないと説明した。その後JR東海は2027年開業を断念している。

これに対して、愛知県知事が静岡県の姿勢を批判し、また、長野県知事の阿部守一は、5月13日に金子社長と会談し、2027年の開業を改めて求めている。だったら愛知県と長野県から、静岡県に毎秒2トンの水を提供しようとまず言わないとおかしい。

 ところで、実際問題2027年開業など昨年6月時点でできたのだろうか。

金子社長は、昨年の会談で、「順調にいって月進100m(1か月に100m掘削する)」で、静岡県側最奥の「西俣から掘り始めると65か月、5年5か月かか」り、2027年の開業にぎりぎり間に合うという説明だった。飯田リニアを考える会の春日昌夫さんは、長野県側の工事の進捗で計算しなおした。  

延長1150mの「小渋川斜坑」(本線トンネルに伸びるトンネル)は2017年7月3日に掘削を開始し、2019年4月5日に斜坑の掘削が完了。2019年8月23日から本線トンネルの先進坑(本線トンネルに並行して掘削するパイロットトンネル)の掘削を開始して、昨年段階で480m掘削していた。斜坑・先進坑合わせて1630mを946日で掘っているので、1日当たり1.72m。30倍して月進51.7mの実績になる。

南アルプス稜線に向かう「除山斜坑」は昨年時点で、本線トンネルとの交点まで残り575m、延長を1850mとする資料もあるので、残りを 555mとして、本線トンネルの交点から静岡工区との境までは約5090m。あと合計5645mを掘削する予定だ。この部分が長野工区ではいちばん距離が長く、これを月進51.7mで割ると約109か月、9年1か月。 つまり、現在のペースなら掘削終了は2029年9月になる。「除山斜坑」の月進実績の40.2mで計算すると、11年8か月。完成は2032年4月になる。掘削後に走行試験などで2年かかるJR東海は言うので、開業は早くても2031年9月~2034年4月以降になる。

つまるところ、金子社長は、沿線知事や国に最初からできもしない2027年開業を口にして、静岡県を悪玉にしただけでなく、国から「大阪延伸の前倒し」の金を引っ張ってきた。詐欺だ。そして一昨年の台風19号と昨年の豪雨でリニア工事現場の工事は半年以上中断した。

なお、自然保護運動史に残る大反対運動が展開された「南アルプススーパー林道」建設では、工期は当初の5年が13年の2.6倍に、工費は2.5倍の48億9千万になっている。これをリニアに換算すると名古屋までの工期12年は31.2年年となり、開業は2046年。工費は13兆7500万円に膨らむ計算だ。

もしあなたが大阪までリニアに乗りたいと思ったら、1兆や3兆などといったはした金ではなく、10兆円をドンとつぎ込み、特措法で地権者の私権を大幅に制限する法律が必要だ。そして、事業者としてのJR東海は素人なので、事業者を変更するか国の直轄事業にするしかない。

1兆5千億円の追加予算を公表した際同席した澤田尚夫執行役員は、元長野県のリニア担当部長だ。その後リニア全体の総括部長に出世し、静岡県との交渉を担い、社内で出世の階段を昇ってきた。大鹿村の説明会でひな壇に並び、強引に工事着工の露払いをしたつけを彼らに払わせるには、6月の静岡県知事選に向け、これらの実態をあらためて暴露していくことが必須だ。

リニアはできない。しかしそれ以前に「そうだ リニア倒そう」

(「府中萬歩記」87号、2021.5.31)*写真はリニアで枯れた南山牧場の池

話してみよう! 結婚と親権制度

 単独親権制度の押し付けは、平等原則と親の養育権(個人の幸福追求権)に反して違憲という共同親権訴訟の中での私たちの訴えに対し、国側が単独親権制度に合理性がある理由として「婚姻制度の意義」という言葉で反論してきた。「親権制度の意義」ではない。婚姻中は、法律で夫婦は協力するものと定めているから、共同親権に意味はあって、離婚したら協力できないから単独親権制度でいいよね、という単純な言い方だ。だとすると、婚姻外でも法律で「両親は協力するもの」と書けば、二人は協力できるのか、というこれまた単純な反論が思い浮かぶ。共同親権訴訟の不平等は、法律婚とそれ以外の親どうしの関係を比較して不平等と主張している。

子どものことで協力できない夫婦がみんな離婚するわけではないし、事実婚を選ぶカップルもいる。結婚には愛だけでなく利害もある。愛のない結婚もあるけど、国が守りたいのは愛ではなく利害だというのがわかる。つまり、婚姻内外の法的地位の区別を差別にすることに「合理性」を感じているだろう、と国側に求釈明をして、6月17日の弁論では国側の回答がなされる予定だ。

 単独親権制度が守るのは、法律婚優先主義だというのが裁判の経過の中でますます明らかになっている。別居親が発信するSNSとかを見ていると、「離婚後共同親権」の立法を優先すべきで、「未婚時の共同親権」について主張すれば、保守派が反発するからよしたほうがよいという意見がある。こういう主張は、共同親権訴訟への訴訟妨害というだけでなく、自分は法律婚をしたので、未婚で生まれた子どものことなんか知らない、というあからさまな差別にほかならない。ぼくの娘は婚外子として生まれたけど、こういう主張をする人の子どもよりうちの娘のほうがランクが下だと言いたいようだ。別居親たちは、何かにつけて「子どもの視点で」「子どもの権利条約に書いてある」と言いたがる。子どもの権利条約は親の法的地位の異同によって、子どもは不利益を被ってはならないという発想だ。つまり考えているのは子どものこと「ではなく」自分のことだというのがよくわかる。

 ぼくたちが共同親権訴訟を起こしたおかげか、婚姻外では単独親権しかないということが知られるようになった。結婚が入籍と呼ばれ、男の姓に合わせることは性差別だと気づいた女性は、事実婚(未婚)を選ぶか、法律婚に別姓を「認める」ように法改正をしないとおかしいと考えるようになる。法律婚に別姓を「認める」ように法改正をしないとおかしいと考える人の中には、結婚という特権的地位と自分の主義主張を両立させることを目指している人がいる。この点においては、同性婚についても同じ構図だ。彼らは婚姻外では「共同親権をもてない」のが不利益だと主張したがる。実際、「共同親権をもてない」から結婚した芸能人カップルがニュースになったりする。

 一方、結婚自体が平等に反すると感じた人は、事実婚によって男女平等を実現しようとする。上野千鶴子に家庭内の分業が男女不平等だと言われて気づいた女優が、夫に事実婚を提案したという。夫は親権がなくなれば将来的に子どもに関与できなくなるかもしれないという不安とたたかうはめになる(その程度の知識はネットで出回っている)。上野千鶴子は、事実婚によって男性から親権をはく奪することが、そもそも男女平等に反するとは教えない。性役割の押し付けに抵抗して事実婚を選んだとしても、男性への養育権の保障をどう確保するかについて主張しなければ、男女平等とは呼べない。事実婚を選ぶカップルは、共同親権の立法を働きかけなけるとすっきりする。

 「事実婚をするようなカップルは男女平等についてよく話し合っているから大丈夫」という主張もまったく根拠がない。事実、事実婚をしていながら、別れる段になって親権を主張され、子どもと引き離されたという相談は時折ある。男の側からすれば「騙したのか」と思う。結局「子育ては女の仕事」ということになる。アメリカの男性の権利運動のイデオローグのウォレン・ファーレルは、「男女雇用機会均等委員会はあるのに、なぜ男女家庭機会均等委員会はないのだ」と疑問を投げかけた(『ファーザー・アンド・チャイルド・リユニオン』)。共同監護法が勃興した1980年代初頭のアメリカを取材した、当時朝日新聞の特派員の下村満子は、「フェミニズムは獲得する平等はやるけど譲り渡す平等はやらない」という男たちの不満を拾い上げている(『男たちの意識革命』)。40年前の不満とは思えない。

6月17日当日は、こういった観点から意見交換をしてみたい。非婚の場合の共同親権について論じた民法学者の二宮周平氏に講師を頼み、こと細かく調整してチラシを宣伝したら、本人が演者なのに出席を取りやめた。別居親の集会であれば軽んじていい、という彼の発想に、民法改正の「オピニオンリーダー」の、男女平等思想の薄っぺらさが透けて見える。(「そうだったのか!共同親権」巻頭コラム2021.5.26)

いのちき、してます

 毎日何だか忙しい。

 5月になれば田植えに向けて何かと準備が必要になる。5回目の田んぼだけど、今年からは一人でやるので、ひと任せにしていたところは、近所の人にやり方をいちいち聞いた。その間に、お隣のKさんといっしょに、畑の日陰の原因の、境界のケヤキと杉の木を切り倒し、その周辺の藪を切り開き、下のお隣にやってきたYさんの妻子の歓迎会の段取りをしと、やることが次々に出てくる。

 やる量はさして変わらないのに人数は半分になったので、手分けするということができない。光熱費などの基本料金もさして変わらないのに、負担は高まったので生活を見直した。電話契約のナンバーディスプレイをやめて、電気のアンペアを30から20に落として基本料金を下げた。

 工事にやってきたのは、いつも検針にくる村内のSさんで、野生動物に詳しく、村のカワウソやオオカミ情報をたまに持ってきてくれる。工事が終わると「スマートメーターに替えておきました」とさらっと言う。「それは困ります。うちは電磁波とか気にするから」とかいうと、Sさんもちょっと弱って、「私の判断では何ともできないから、中部電力に電話してもらえば発信機だけ外すことはできますし」という。早速電話する。

オペレーターのお兄さんは「国の方針でスマートメーターにするようにしているんですが」という。

「うちは電磁波とか気にしているんです。スマートメーターは困ります」

「いま携帯で電話してますよね。それよりも弱い電磁波なんですが」
 痛いところをつく。

「携帯の電波も気になるので、今耳から話して話すようにしているんですよ」

 とか苦し紛れに適当なことを言う。

「そうなんですか。じゃあ後日工事に入ります。電波を発信せず、アナログがデジタルのメーターに代わるだけです。今まで通り検針に来ることになります」

 最初からそうすればいいのに、黙ってやるのでひと手間かかる。プロパンガスのメーターでも同じことをした。というわけで、今まで通りSさんからいろいろ聞き出せる、じゃなくて無駄な電磁波は抑えられる。

 その生活見直しを友人に話せば、「もともと必要なことだからね」という。元に戻っただけだと気づく。

 四月中までに約束したニホンカワウソの単行本原稿をせっせと書いて、「もうカワウソはいい」と思うくらい、頭の中カワウソだった。当然あまり出歩くこともなく、いままで畑はたいしてやってなかったのが、原稿書きの間に種をまいたり、ジャガイモを植えたりした。東京にいたらジョギングで身体を動かしていただろうけど、畑は自分が食べるものにつながるので、運動量は少なくてもなんだか生きてる実感が湧く。一人でできそうなことは何だろうと考えたほうが、ここでの生活は楽しめる。ゴールデンウィークには良山泊に人が来てにぎやかにもなっていた。

 いろいろ一人でありそうな生活設計を想定すると、「いのちきしよる」という大分の言葉が度々頭に浮かんだ。「生計を立てる」というほどの意味だ。

大分の郷土作家の松下竜一の著書に『いのちき してます』というエッセイ集がある。彼が地元中津市での豊前火力反対運動の中で出していた会報誌「草の根通信」のエッセイをまとめたもので、市民運動と呼ばれるものが、どんな人々の「いのちき」の中で成り立っているかがよく見える。

「由来、この町の貧しき大人たちは、次の如き挨拶を日常に交わしたものである。

――いのちき できよるかあんたなあ

――いにちきさえ できよら いいわあんた

〈いのちきをする〉とは、かつがつに生活をしているといった意味の、多分この地方に特有のいいかたで、貧しくともまっとうに生きる者たちの、最もつきつめた形での挨拶語であったといえようか」(松下竜一『いのちきしてます』)

 「いのちき」は古語の「命生く」が語源という説があるという。「命生く」は生き長らえる、生きのびるといった程度の意味だ。

 この本を東京で読んだぼくには、聞き覚えのない言葉だった。ところが大分の実家に帰ったときに、不器用なくせに調子よく、不愛想なぼくの何倍も人にはかわいがられる兄を評して「あれでいのちきしよるんやから」と表現し、母が幾分あきらめ口調で認めているのを耳にした。父も「あれがあんし(人)のいのちきじゃ」と他人を評して気軽にしゃべっているのだった。

 思うに、子どもには多用するような言葉ではなかったのだろう。その上、祖父母に育てられた父は、大分方言の古いものはたいがい知っていて使いこなし、ぼくにはわからない言葉を母と言い交していた。会話に入れないぼくは気にとめないということはよくあった。東京ではちっとも実感のわかない浮いた言葉だった。それが、故郷を離れ遠い大鹿でこの言葉を口にすると、生きるという意味をほのかに意識させられる。

 哲学者の内山節は、上野村の人々との触れ合いの中で、村の人が「稼ぎ」と「仕事」を使い分けていることに気づいた。「稼ぎ」は日銭稼ぎであり現金収入であって、もっといい「稼ぎ」があればただちにやめられる。月給取りのサラリーマンもこっちに入る。「仕事」は村で暮らしていくにおいて、村や家庭を維持するために当然になすべきことだ。内山は、本来的には労働の一部を占めるに過ぎない「稼ぎ」が、現代では唯一のものとしてみなされる傾向を相対化した。

 上蔵村の人々のふるまいを見ていると、どうも「仕事」をしない人は「へぼい」と半人前扱いされる傾向があるようだ。仕事をするというのは村の中で役割を果たし、環境や村社会を維持するということだから、それが奪われれば、今度は人格が傷つけられたような気持ちになる。稼ぎでは満たされない問題だ。

「いのちき」は稼ぎよりも仕事よりも個人に焦点が当てられている。母は「みんな爪に火を点す暮らしをしよるんよ」とよく言っていた。この言葉は、「けち」という否定的な要素が強い言葉だけど、土地持ちの家で育って農村に父と家を構え、周囲にはいない教師をしていた母にしてみれば、周りの人々への生活への己の想像力の乏しさを戒める言葉のように、ぼくには聞こえた。「いのちき」はそんな人々が口にする言葉である。己と相手への気づかいが込められている。

 大学生のときに出会った言葉は「バム」だった。

好きなことのために生きることで、仕事はそのために必要があればする。登山の世界には「クライミング バム」という言葉あって、ヨセミテ辺りでマリファナを吸いながらビッグウォールを登る人種がいた。国内では高層ビルの窓ふきとかをしていて「窓ふきん」と呼ばれ、金を溜めて海外の山に行く。

大学というところは、特権階級や特殊技能集団のための通行手形を得る場所だと考えることはできる。そんな中で東京の大学山岳部の集まりに来る連中は、5年生は普通で8年生までしながら山に登っている人も珍しくなかった。世間一般から見れば危険なことをして、ステータスを行使することもなく、親に心配をかけ、ときどき死んだりも確かにする。山で死ぬのは馬鹿だというのは簡単だけど、じゃあやめようというのは野暮に思える。生きているということがたまたま死につながっただけだから、その人の生きる価値を奪うことなんてできそうもないよね、という人たちが登っていただけだ。

山に登るために時間のある公務員になる人も一定数いて、そうやって考えると、せいぜい固い仕事がいいというふうにも思えもしないのだった。いっそのこと仲間と「きりぎりす」という同人誌を作った。それは「働かない」という意味のアンチなのだけど、仲間は次々にアリ化していって、ぼくはそこで書いていた文章が登山雑誌の編集者の目に留まって、今の仕事につながっている。今の自分なら「きりぎりすだっていのちきしよるんやから」と正当化することはできる。

ここまで書いてきてずいぶん使い勝手のいい言葉だと思えてきた。

いま自分がやっていることなんて、世間一般の常識の範囲にあえてあてはめれば、仕事はライターで、趣味は社会運動で、ときどきする家族支援とかはお互い様の助け合いとかになるのだろうか。なんでもやれる「百姓」という言葉に誇りを持つ人がいる一方で、農機具だけで何十万とかかる農業は趣味や道楽の範囲にしか市場経済の中では価値がない。近所にパチンコ屋ができればみんなやるのだろうか。それでも飯田のスーパーで野菜を買うよりましだし、草ぼうぼうにしておくよりはと畑を耕しはじめた。なんとなく、いのちきしている気分になる。

今年はじめてフリークライミングはオリンピック競技になった。昔サッカーのワールドカップの日韓共催があったころに大学山岳部だったぼくは、「クライミングもサッカーみたいに人気出ないかなあ」とうらやましくてぼやいていた。「もしそうなったらお前やらないだろ」という仲間の言葉に言い返せなかった。多分それでは「いのちきしよる」とは天邪鬼のお前は思えないだろうと、彼は知っていたに違いない。

(「越路」22号、 たらたらと読み切り162 、2021.5.13)

女たちの離婚サバイバル

西牟田靖『子どもを連れて、逃げました。』

 著者の西牟田さんは、前作『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』に続いて、離婚と子どもの問題を、当事者たちから話を聞き出して、ルポとしてまとめている。

 ぼくは自分も子どもと引き離された経験があるから、どっちの本も読み始める前は自分の経験と反響して身につまされたり、しんどくなったりするんじゃないかなあと思っていた。だけどどちらも単純に読み物としておもしろく読み進められた。なぜなんだろう。

 自分の体験をベースにして、他の人のこともよく理解しようと話を聞き進める著者の姿勢とプロセスには、率直さを感じて好感が持てる。もう一つは、話をしてくれた方の体験は、どこにでもいそうな「普通の人」であるにもかかわらず、一人ひとりドラマを抱えているというのにあらためて気づくからではないかなと思った。今回は女性の側が離婚を乗り越えていくプロセスを聞き取っていくのだけど、それらを読んで感じたのは「たくましさ」だ。

 本の帯には、DV、モラハラ、浮気、貧困とあるし、語ってくれた女性たちの経歴も、マジシャン、イベント屋、弁護士などいろいろ、そして結婚や子どもができるに至った経過も、学生のときの同級生や国際結婚、父親には子どものことを告げていないなど共通する部分もあまりなくて、次の人の話はどんなだろうなと思って読み進めることができる。

そして、離婚というのは、そういうドラマを引き起してかつ、それぞれの人に試練を与える冒険なんだろうなと読んで思った。帯には「困難な状況をどのように生き抜いたか」と書かれているけど、つまりこの本は、彼女たちのサバイバル体験を収録している。多分、そういった体験は、離婚体験のない人にとっても興味を掻き立てる。「界隈の人」向け本として読まれるのはもったいない。

そして、そう思わせるのは、著者本人の「違った世界を見てみたい」という好奇心の強さが背景にあるような気がする。シングルマザーの本であれば、被害者目線で多くまとめられていたと思うけど、この本はそういったカテゴリーから抜け出ていて、新しい取り組みだと思う。そういう意味では、前作も、子どもに会えなくて泣いている男、という世間一般の基準で言えば、かっこよさとはマッチしないところが、おもしろ味につながっていたのだと思う。

著者の西牟田さんは、本人も子どもと引き離された経験があるのだけど、彼女たちの話を一人ひとり聞き取っていくにつれて、自分の家族との体験や思い込みが客観的に見られるようになり、心が揺さぶられている過程を率直に書いていて、それが本書のもう一つの「見どころ」になっている。

例えばDVの扱いでは、前作を作る過程では、親子の引き離しやでっち上げDVについて取り上げ、なんてひどいことをすると感じたと本書にはある。それに対して戦闘モードでやってきた編集者との出会いから、じゃあ逆の立場はどうなんだと取材を重ねる。そして今度は多くの女性が父親から引き離したいとは思っていない、DVの危険がある場合は、簡単には会わせられないと述べるようになっている。

課題も見えそうだ。子どもに会いたい側がいて、父親への関与を望む側もいて、だけど危険があれば引き離していい、となっていること自体が、現在の制度の限界だろう。著者は、共同親権・共同養育の知識があって、登場人物たちの発言や行動について相対化したり、自分の経験をジェンダー的な観点から振り返りもするけど、基本的には、父親が会いたい側、母親が会わせる側という対照軸になっている。どうしても、その発想の中からの異性の置かれた立場に対する視点の欠如への振り返りという感覚になりやすい。

それ以外の性役割を超えた実践をしている人、例えば、子どもに会えない母(一部本書にも出てくる)や、同居父などの経験は周辺的な問題として制度を扱う場合に考えられやすい。また、危険性という観点からのDVと引き離し問題の扱いだけでは、では子どもが両親から愛情を受けて育つにはどうするのか、という視点が弱くなる。

これらはいずれも本書をまとめるにおいては著者の関心の範疇外だったと思うので、「ないものねだり」であるのは確かだ。だけど、体験談と制度を両方見据えて本書をまとめているので、課題として出てくるのは避けられないかなあと思う。(2021.1.17)

Fielder【vol.55】反権力 生活の 勧め(後半)

長崎県川棚町川原 ー元祖・ふるさとを守るたたかいー

長崎県川棚町川原地区。町の中心から十分ほどの谷間に一三戸約五〇人が暮らす。ここに石木ダムの建設計画が浮上したのは半世紀以上前。建設を進める長崎県は強制収用によって昨年九月、地区内の土地をすべて取り上げた。それでも建設工事を止めるため、地区の「おじさんおばさん」は毎日座り込みを続ける。一週間いっしょに座って、ダム反対の川原ライフに入門した。
文・写真 宗像 充


盛り土の上でイスに腰掛ける?

「ここはおれのふるさとたい」

地区総代の炭谷猛さんが建設現場を案内してくれた。朝早く墓地に続く道を登り、砂利道を下った先の赤茶けた土の上に、二〇人ほどの男女がイスを出して座っていた。炭谷さんとぼくは、そこと工事現場を分ける柵を越え、高台から現場を見下ろした。

「炭谷さん、困りますよ。工事現場内を勝手に歩かないでください」

大丈夫なのかなと思っていたところに、長崎県の職員の一人が寄ってきた。炭谷さんが言い返したのが冒頭の言葉だ。口論になって脇で見ていたぼくも「あなたは誰だ」と名前を聞かれた。「答える必要あるんですか」と問うと、「不満があるなら裁判すればいい」と言い放った。

前日の一〇月二六日が、長崎県が示した物品撤去の期限だった。イスを入れる物置や旗竿、テーブルとベンチの写真を載せた看板がある。県側は「道路区域内の不法占有物」として撤去の要請をしている。そのテーブルでぼくは地区の女性たちが出すコーヒーをすすった。

ここは県道の付け替え道路(三・一キロ)の建設予定地の一画だ。一六日に抜き打ちで土砂が運び込まれ、だから赤土の上に座っている。それまで平日の午前中だけだった座り込みを午後と土曜も実施するようになった。この日、座り込みは九四二日を数えていた。

炭谷猛さんは地区の総代で、川棚町の町議会議員。選挙ではトップ当選だったが、町議会では唯一のダム反対派。

「小さなダムの大きな闘い」

背後の鋭鋒、虚空蔵山から流れ出た二つの支流が身を寄せ合うように合流する場所に、川原地区はのびやかに棚田を広げ、家々が点在している。夏にはホタルの群舞が見られるという。その集落を回り込むように、付け替え道路が森を切り開きながら鎌首をもたげた蛇のように這い上がっている。

川原にダム計画が浮上したのは一九六二年。長崎県と佐世保市が二級河川川棚川の支流、石木川に計画した。堰堤高は五五・四メートル、総貯水量五四八万トン(東京ドーム四・四個分)。総事業費は五三八億円の多目的ダムだ。虚空蔵山の頂上から見下ろすと、きんちゃく袋のような地勢の川原は、格好のダム予定地に見える。

「最初はハウステンボスに水を使うと言ってたとよ。それが今は佐世保市の渇水に備えてとなっている」

現地で座る女性たちのまとめ役の岩下すみ子さんは佐世保市出身だ。石木ダムは当初、針尾工業団地の水がめとして計画された。ところがこの計画はとん挫し、予定地は現在テーマパークのハウステンボスになっている。

「県はそこで計画を見直さなかったし、次は治水と目的を変えていく」

岩下さんが憤る。建設側が理由とする一九九四年の渇水も「全国的な渇水で佐世保市だけじゃなかった。納得できない」。実際、ダムのできる石木川は川棚川全体の一割の流域面積しかなく、ダムを作っても洪水は防げない。

当時の建設省がダム計画を認可すると、住民たちは「石木ダム絶対反対同盟」を作り立ち上がった。同盟の幹部が切り崩されると同じ名前の同盟を再結成し、一九八二年には機動隊一四〇名を投入しての強制測量を実力阻止。「小さなダムの大きな闘い」と呼ばれた。集落内には、櫓や反対看板があちこちにあって、人々はその中で暮らし、世代を重ねている。

一〇年前に付け替え道路の建設が始まると、重機の下に座り込むなど建設阻止の衝突が再び起き、その末に今の座り込み場所がある。土地は取り上げられても「一三軒住んでいてダムができるとは思わない」と岩下さんがきっぱり言う。女性たちは柵を乗り越え「みんなの土地」を見て回る。

初日に長崎県の職員と言い合いになった後、ジャーナリスト向けに出された掲示。施工業者が筆者の車を撮影するなど建設側の警戒感が伝わってくる。

2017年、夜間抜き打ちで重機が持ち込まれた。住民たちは重機の下に座り込んだ。(撮影・山下良典)

佐世保市の水道局には「石木ダム建設は市民の願い」の垂れ幕が。川原からは車で40分ほどかかり導水時には途中の峠はポンプアップする。

「石木ダム絶対反対同盟」の幟旗は「室原王国旗」。ダム建設史上最大の紛争と呼ばれる、松原・下筌ダム闘争で一三年間の反対を貫いた室原知幸が作った。熊本・大分の県境を流れる筑後川の山間に「蜂の巣城」と呼ばれる砦を築き、国の強制代執行と「交戦」した「蜂の巣城の闘い」は松下竜一の『砦に拠る』で読むことができる。「日の丸」を反転させた王国旗は、人民が権力を囲む。川原で反権力の命脈を保ってきた。

昨日も今日も明日も座る

週に何回くらい来るのかと聞くと、「毎日よ」という答えで驚いた。これは一週間やってみるしかない。

休み時間には茶菓子とコーヒーが出て「いつもよりサービスがいい」と軽口をたたく。

それが二日座っただけで消耗する。埃っぽいし日差しも強い。朝、目の前の柵の向こうに出勤する県職員が去れば、監視カメラで見張られる。これを雨の日も風の日も一年中続けている。

「今日私たち温泉に行くんだけど行くかな」と岩下さんに火曜日に言われて飛びついた。「若い男を連れてきた」と受付でわざわざ言うお隣の岩本菊枝さんの言葉を、「もう若くないです」と否定する。町内の入浴施設に隣近所三人組の女性たちで週二回通う。そうでもしないと体がもたないのがわかる。

一〇年前に付け替え道路の建設が始まるときに、最初に抗議行動を組んだのは、一三軒の家の女性たちだった。顔が識別されないようにマスクをし、お揃いの法被を着、人数を水増しするために案山子をつくって出陣した。ゲートの前に後ろ向きで並んで歌を歌った。今も座り込みの主力で半日交代でやってくる。そのときの「川原の歌」を現場で合唱してくれた。春風がそよぐような歌詞とメロディーがやさしい。

「男は生まれてからずっといる。女はよそから来る。それが男よりがんばってるんだから」と男性陣の石丸勇さんは感嘆する。

「女は女で苦労をともにしてきた。長男の嫁でばあちゃんもいて、みんな同じ立場だった。出ていく人もいる中で、隣近所、仲間は大事。反対して助け合いながらなんでも正直に本音でつき合える。この重さはお金では代えられない」

岩下さんは付け替え道路の工事が始まるまで、一〇戸を移転させた水面下の切り崩しを振り返る。

「この人賛成やろか、反対やろかと人が信じられない。だからって付き合わないわけにはいかない。一三軒になって結束は強くなったけど、その間はきつかった。私たちの年代で中止にせんと、子どもたちに申し訳ない」

隣近所3人組で温泉に連れて行ってくれた。左が岩下すみ子さん、真ん中が岩本菊枝さん、右が岩永信子さん。

座り込み現場で「川原の歌」を歌う地区の女性たち。「日本うたごえ祭典」でも合唱した。歌詞は「自然を守る人が住む」と結ばれる。

「土地を取られても何も変わらない」

「住民たちは追い詰められている」

虚空蔵山に登った帰り、川原の上流、全戸移転した無人の岩屋地区でぼくが撮影していると、川を眺めていた年配の男性が話しかけてきた。「懐かしいからきた」という。

「ダムができないと何のために出ていったかわからないからでは」

川原に戻ると地区に暮らすイラストレーターの石丸穂澄さんに道で出会った。「怖い人たち」と見られがちな住民たちの横顔をイラストで発信している。自宅の田んぼはずさんなダム関連の道路工事で水路が切られ、来年から営農できるか未定だ。

「脅しや嫌がらせは昔から受けていて慣れている。無理して作れば予算は何千億円もかかって困るのは県民。追い詰められているのは県のほう。土地を取られても何も変わっていない」

妹が川原に嫁いだという男性も隣町から座り込みに来ていた。

「妹は住み続けるという。法的には不法侵入。どうするのとは聞けない」

そう言いながらも週に一度は加勢に来る。新聞を見てはじめて来た男性、この問題はおかしいと志願してきた新聞記者、そして近隣から集まってくる支援者たち。一四〇メートルの阻止現場の奥行きは、思った以上に広かった。

石木川にはヤマトドジョウなど約20種の川魚がいて種類が多いのが特徴。シーボルトの標本採集も石木川でなされたのではないかと言われている。(絵・石丸穂澄)

「神主さんが来ているので死体が出たかと思った」とカメラを持って飛び出してきた石丸穂澄さんは「風景が変わっていく」と嘆く。神主は移転した家の屋敷神を合祀する神事を行っていた。

未来を取り戻すために

週末、川原の一画にティピと呼ばれるテントが出現した。満月の日に合わせ「田んぼフェス」が開かれ、コンサートや神事、法話、餅つきまで盛りだくさんだった。

主催した越智純さんは、次は本体工事という時期に「里山の暮らしはこうだった。原点回帰としてキャンプしてここでみんなで感じてダム計画を考えてみよう」と外部から祭りを持ち掛けた。セイタカアワダチソウが茂っていたかつての田んぼは「無断使用」。でもそれは地区内どこも同じ。

「農機で起こした人が『土が喜びよるごたる』と言っていた。来年は稲を植えられれば。ここはダムのおかげで砂防堰堤もない。まるで地区全体がビオトープでタイムカプセル。今の時代に向いたアウトドアやエコロジーライフの実験場にできないでしょうか」

集落に一歩入ると感じるなつかしさの正体はそれだった。もともと町にも近く、災害もなく住みやすい。新築した家も多い。だけどここは行政サービスの埒外だ。公民館も古くて、農地の区画整理も河川の護岸整備もない。

「時間が取れなくて畑の草は伸び放題」と石丸さんが週末にやってきたお孫さんと芋ほりをしている。岩本さんが「ここは県が買収したとこ」と畑で大根を抜いていた。座り込み現場で見る人も、平日は勤めの現役世代も、農作業に汗を流し、物珍しそうにお祭り会場に現れた。河原では子どもたちが遊んでいる。華やいだ週末だった。

「よく考えたらふるさとに守られてきたんだなあ」

ステージでスピーチした炭谷さんが口にした。川があれば子どもが遊ぶ、畑があれば野菜を育てる、イノシシがいれば罠を仕掛ける、月をめで広場があればお祭りをする……それはずっと昔からの人間本来の姿に見えた。ふるさとを守る闘いは、そんな未来をぼくたちの手に取り戻すことだろう。

週末に現れたテント村でフェスが開かれた。手前が越智純さん。

週末に孫がやってきて芋ほりをする。右が石丸勇さん。

ネットで公開! 反権力生活の勧め

Fielderに書いた「反権力生活の勧め」。現在ネットで見られるようになっています。

三里塚 ー半世紀にわたる反権力闘争の現在ー

海外旅行への玄関口として定着した成田国際空港。地元三里塚は、一九六六年の空港建設の閣議決定以来、警察機動隊と反対派との激しい衝突を繰り広げた闘争の歴史を持つ。その後、有機農業の先進地として成長し、多くの人がそれを支える。反対運動は五四年続く。もはやそこでの暮らしそのものが反対の表現だ。航空機の轟音の下での農業と暮らしは私たちに何を伝えるのか。一週間、三里塚で暮らして考えた。

ナルヒトが山を歩くと・・・「山とナルヒト」最終回

 編集部に連載の反響を聞くと「もっと辛口でいいんじゃないか。山に来るな、とか言ってもいいんじゃないか」という感想があるそうだ。ぼくもそう思うけど、それだと連載は続かない、ので、今回で最終回にしようと思う。

 東京在住の徳仁は中部山岳を中心に、あちこちの山に登っているのでぼくもそのうちのいくつかを登ったことがある。だいたいのところ、そういう山は道も設備もよくなっている(山小屋に水洗トイレや風呂ができるという)と思うのだけど、以前も書いたように、訪問前を見てないからよくわからない。彼が来たというのがよくわかるのは、記念碑が立っていることだ。八ヶ岳の硫黄岳山荘や南アルプスの二軒小屋に登山記念の碑があるのを見たことがある。

そんなにめでたいことなのか。地元大鹿村の場合、以前は荒川岳の稜線の荒川小屋を所有していて、1986年に徳仁が来たときには、当時の小屋番のおじさんが接待をしていっしょにお酒を飲んだ。「おじさん、そんなに飲んで大丈夫ですか」と徳仁が声をかけたのを「への河童です」と答えたエピソードが「美談」として残っている。

このときは静岡からヘリで特設トイレを運びあげたというほど、とにかく地元自治体は準備に大騒ぎになり、新聞記者も追っかけて山に登って記事を書かないとならない。ぼくの山の知り合いの某県の山岳警備隊の警察官は、皇室が来るたびに警備に動員され「ほんとうに迷惑」と言っていたことがある。ちなみに、徳仁の登山記事はだいたい見出しが「浩宮さま〇〇を満喫」(〇〇に山の名前が入る)というパターンが多い。

 徳仁登山について、周囲が残した記事や感想を見ると、「健脚」とともに「一般登山者と気軽に挨拶を交わす」「ほかの人と同じトイレを使うと言った」など、「気さくな人柄」やエピソードが残っているものが多い。だけどよく読むと、富士山登山では「周囲は制服こそきてはいないが護衛官や機動隊員ばかり」とあったり、イギリスのベンネビス登山の情報を入手するにおいて「英国の護衛官の功績も大きい」と本人がさらりと書いていたり、当たり前だが、本人も周囲も特別扱いを「当たり前」に捉えていたことがよくわかる。「隔てられている」が故の気軽さの価値(故にありがたい)が、徳仁が山に登ることによって高まるという構造になっている。

思うに、こういう登山だと準備も時間がかかるので、思いついてすぐ出かけるなんてことはできようもない。すでにその時点で不自由な登山になっていて、自由さが登山の一つの魅力であるとするなら、多いにその魅力を削いでいる。しかし、それをありがたがる登山者を増やすという面で、効果は絶大だ。それは本人の意思や人柄とは関係なく、特別扱いのための舞台装置(大勢の随行・護衛、過剰な設備、記録の賛美等々)によって、登山の価値も、自然の姿をも改変していく。というわけで、そういった存在は山にはいらない。

(「府中萬歩記」80号、2020.10.29)

バイキン非国民宣言

 千葉県に娘がいるので、長野県に住むぼくは毎月上京している。連れ合いの実家が宿泊業の関係で、帰宅するとコロナ感染を恐れた実家の希望で、2週間隔離せよと指示が出た。不本意ながら従ったものの、気持ち的には公的な場に出向くのも気が重い。東京では混んだ電車や居酒屋に行く人も見る。自治会関係の行事参加は村の発言権の担保だし、家で一人でいると「公民権停止」と感じてしんどくなった。

 コロナの死者は餅でのど詰まらせて死ぬ人の数と互角だし、インフルエンザの死者は一万人を超える。長野県の場合(コロナ死1名)、キノコ採りで死ぬ数のほうがはるかに多い。マスクを呼びかけるなら餅つきやキノコ採りも禁止だ。飯田では感染者宅に石が投げられたという。実際の感染(メディア発表は正確には陽性者)より怖いのが風評なら、熱が出ても黙って家で寝てればいい。

東京の友人に電話した。「近所づきあいはないのは東京じゃ普通」「ぼくは引きこもるの好きだから今のほうがいい」……気持ちが軽くなった。「まともな国民」意識がコロナファシズムを生み、マスクをさせ、次はワクチンで人体実験だ。だったらぼくは「非国民」。東京の人たちよ、いっしょに「ばっちい」と言われよう。(宗像充 大鹿非国民)

(2020.10.1Alert)

絶滅したはずのニホンカワウソが高知県で発見!? その「証拠」とは

4年間に収集した「カワウソ生息の証拠」を公表

「はじめて見たときに、『カワウソや』と断定した。これはえらいこっちゃと……」

カワウソらしき動物が映っていた

5月6日、中央右に頭を右に向けたカワウソらしき動物が映っていた。赤外線カメラの画像 

2016年の目撃以来、高知県大月町の海岸でカワウソの調査を続けている「Japan Otter Club」の大原信明さん(公務員)らは9月16日、高知市内のこうち男女参画センター「ソーレ」で会見を開き、過去4年間に収集した「カワウソ生息の証拠」を公開した。  大原信明さんがその動物に最初に気づいたのは、2016年7月21日の夕暮れ時。「もしいたらスクープやろ」と大原さんが呼びかけたのをきっかけに、仲間と手持ちのカメラで撮影を試み始めた。  

ニホンカワウソは2012年に環境省が絶滅宣言を出している。2017年に対馬に生息するカワウソの動画が発表されたものの、DNAでは韓国のカワウソの仲間という結果もあり、論争を呼んでいる。  

大原さんたちが大月町に来た目的は釣りキャンプで、目撃はまったくの偶然だった。その後、仲間3人で同じ海岸に何度も調査に出かけた。

「見たのは100%カワウソ。自信はある」と大原さんは語る。海から出した顔の前半分がつぶれたような形で、下半分が白く動物園で見たカワウソの特徴と同じだった。  

会見では、この間に撮りためた動画や赤外線カメラの写真、食痕や巣穴など、最初に見た地域の周辺で得られた複数の証拠を示した。動画では、前面が白い動物が海面に顔を出したり泳いだりする動物の姿が映っている。

 調査地点近くでは海に小川が流れ込み、人が近づきにくい場所も多い。集落はあるが人家はまばらだ(筆者も現地に行ったことがある)。3人が直接「カワウソ」だと認識した目撃回数は104日間で6回。  そして2020年5月、近くの小川にしかけた赤外線カメラに、カワウソらしいシルエットが映っていた。これを見て、これまでの調査結果の公表に踏み切った。

写真解析の結果、「カワウソ以外に考えられない」

調査結果を公表した大原信明さん(後方)、土井秀輝さん

調査結果を公表した大原信明さん(後方)、土井秀輝さん「岸壁のすぐ下にいたときは、寝ぼけていてタモ網を取りにテントに戻った。網ですくえると思ったほど近くだから間違いようがない。ただ客観的に見て、写真の解析から見ても、消去法でカワウソ以外は考えられない」  

4年間の調査結果を解説した「Japan Otter Club」の土井秀輝さんは、そう強調する。2020年5月の写真は不鮮明なので独自に動画を解析した。5月6日午前2時に撮影された画像では、シッポの付け根が太くてカワウソらしい特徴が見て取れる。

「近くの岩のクラックの長さとの比較で、体長は87~107cmほどだとわかった。イタチとは明らかに大きさが違う。混同されやすい動物としてハクビシンがあげられる」  

さらに土井さんは、定量的な比較を試みた。

「複数の動物写真から比率を求めました。全長に対する尻尾の割合は、高知付近を生息地としていたニホンカワウソと同類のユーラシアカワウソが平均33.9%。写真の動物の比率は35.1%で、これに近い。ところがハクビシンの場合は42~44%とまったく違う。

 また、尻尾部分の傾斜角(テーパー)は、同じく、ユーラシアカワウソが1/6.05~1/9.06で、この動物は1/9.05。ハクビシンは1/19.5~1/25.4。四股の左足内側、顎から四股内側にかけて写真で白く映っている部分の個所は、カワウソには当てはまってもハクビシンには当てはまらない」  

ということで、ハクビシンである可能性はなさそうだ。

小川近くの岩の上に散乱していたカニの食痕

小川近くの岩の上に散乱していたカニの食痕「また、歩く時の腰の盛り上がりはカワウソの特徴。見た目の体形、数値的な体形ともにカワウソに限りなく近い。何人かの研究者にも見せたが『カワウソではない』という研究者は一人もいなかった」(土井さん)  

それ以外にも今年8月の調査では、沢の近くの岩の上に数100匹の小カニの食痕があり、「獺祭(だっさい)=獲った獲物を並べるカワウソの習性」の状態となっていた。 「韓国のユーラシアカワウソ研究者に見てもらったところ、『カワウソの親子が餌の取り方を教えた食痕に似ている』との回答があった。大きさの違うカワウソを別々に見たこともあり、生息しているだけでなく子孫をつないできたのでは」(土井さん)  

国内ではDNA調査の結果、四国地域のカワウソはDNA上もオリジナリティがあるとされ、土井さんたちの示した証拠はニホンカワウソ生息の可能性を示唆するものだ。

地元自治体の観光協会が情報窓口を設置、さらなる目撃情報を求める

ニホンカワウソの等身大フィギュア

越智町観光協が入る「おち駅」に設置された、ニホンカワウソの等身大フィギュア(熊谷さとし作) しかしニホンカワウソは1979年の須崎市新荘川での目撃・撮影を最後に生息情報が確認できず、環境省は絶滅宣言を出している。

「絶滅宣言は大きな誤り。取り消してほしい」と、大原さんたちは口々に反論する。 「環境省は絶滅の目安として『50年間確実な生息情報がなかったこと』をあげている。しかし2012年の絶滅宣言は新荘川での確認から33年しか経っていなかった。もともと、絶滅の根拠もなかったんです」(大原さん)  

高知県、愛媛県、徳島県はレッドデータブック(絶滅のおそれのある野生動物の情報をまとめたもの)で、ニホンカワウソについて「絶滅危惧種」としたままだ。これについては、環境省が「いない」と言った影響が大きい。

「みなさん頭は『絶滅』で固まっている。それらしい動物を見ても自分で否定するし、情報を行政に寄せても調査にはつながらなかった」(同)  

今回、大原さんたちが働きかけて、仁淀川流域の越知町観光協会が目撃情報等の受け入れ先を引き受けた。さらなる証拠で生存が決定づけられれば、絶滅説は一掃されるだろう。

「仁淀川でも複数の目撃情報があり、調査地域も広げたい。実はあちこちに、少数だが生息しているのではないでしょうか。『まだ生存している』と、頭を切り替えてほしい。市民から情報が寄せられれば、さらなるカワウソの調査や保護につながっていくと思います」 文・写真/宗像充

ハーバービジネスオンライン
https://hbol.jp/228724

コロナパニックで娘と会う

「お子さんのお気持ちを考えてみてください」

 今回は警察官が2人現れた。日曜日の午後2時に、千葉県習志野市の駅の交番の前で娘を待っていた。

 元妻との間には中学3年生になる娘がいて、今14歳だ。彼女の連れ子の女の子もいて、今高3になっているはずだ。2007年に別れて、裁判所の決定が出た2010年から隔月や月に1回という頻度で子どもたちと定期的に会ってきた。上の子は中学校に上がるときに「会いたがらないから」と一方的に元妻に伝えられて引き離されていた。

 下の子も中学校を卒業した段階で、行く予定だった公立の中学校に行っていないことがわかった。会ったときに本人に聞いても言わない。

この日は事前に母親側の弁護士から郵便で連絡があり、娘を待ち合わせ場所の交番前に行かせないと伝えてきていた。そうはいっても、実際に現地まで行ってみなければ、娘が本当に来るかどうかはわからない。

この間いっしょに付き添ってくれる友人2人と交番前で待っていたら、予定の時間に娘ではなく、元妻の再婚相手が現れた。

 娘といっしょにすごす取り決めは午後2時~6時までだ。その間、娘はぼくに「うざい」「死んでしまえばいい」「お前なんか父親じゃない」とか悪態をついて、中途で帰ってしまう。追いかけるとけられたり殴られたりしたこともある。思春期の娘の反発としてはありうる範囲かもしれないし、「傷つくんだよ」と口で伝える。そうかと思えば、娘が生まれたときのことや昔いっしょに遊んだときのことを話すと、ボロボロと涙を流すことも度々ある。

一年ほど前に、元妻の再婚相手が、インフルエンザによるキャンセルを伝えてきた後、日程の調整という名目で連絡をよこし、結果会えなくなったことがある。

裁判所から注意をしてもらうと、再び娘がやってくるようになった。最近、元妻の夫が近くの銀行のロビーからぼくたちが会うのを監視していることがわかった。彼は元友人だけど、娘との直接のやり取りを邪魔するようになったので、別の友人に付き添ってもらっている。

この日付き添ってくれた一人は彼との共通の友人だ。しかし彼はぼくたちのほうではなく、交番に入っていった。娘を引き続き待っていたら交番から警察官が現れた。

彼のほうは、娘が書いたという手紙をぼくに手渡そうとしたけれど、娘から直接渡されるでなし、彼から受け取るものでもないので受け取りを拒否した。

 娘が来ないなら来ないで娘の自宅に安否確認に訪問する予定だったし、以前もそうしたことがある。それを彼は嫌がって、何の容疑もないのに警察に相談し、彼の意向を受けた若い警察官が手控えるようにぼくを説得しようとして言ってきたのが冒頭の言葉だ。

「中学生の娘が男親に反発したりするのは普通ですよね。でもね、こうやっていろいろあっても父親が足を運んできているということは、今は意味がわからなくても、娘が大きくなって物事を客観的に見られるようになったときに、わかるようになるんじゃないでしょうか」

 いつもこういう場面で答える説明をこの日もした。

 その後、警察官たちは、ぼくを問題を起こす迷惑な存在としてではなく、娘の父親として見るようになった。もともと民事不介入で、警察官が間に入って交渉の仲介をする権限はない。「彼が問題を起こさない限りこちらにも付き添いもいるので問題は起きませんが、そんなに心配ならあなたがたが同伴して安否確認をすればいいでしょう」と言うと、「何かあったら所轄の署に連絡してください」と、交番前での足止めは終わった。

ぼくたちは友達の車で自宅訪問をし、インターホンを押して誰も出てこないことを確かめ、子どもたち2人への手紙をポストに投函して引き上げた。

 日本では、親が別れた後に二人の親が子育てを継続するという発想は弱い。新しく家庭を持っているのに、別れた子どもと会うなんておかしいという発想は逆に強い。

子どもから見たら親は二人いるので、どちらかの親だけが子どもを見るというのは、親の都合を押し付けられていることになり、海外では共同親権という考えが生まれてきた。それを求めて国を訴える裁判を起こし、新聞記事になったりした。

「会えなくてもそのうち会いに来るよ」

 と慰めなのか言われることはある。

だけど原告の中には、子どもが大人になっても会いにこないどころか大人になっても父親に住所を隠すケースもある。それでも子どもが気になるのか、彼は役所とやりあう。会いに来なければ親子の関係はそこで途絶える。別れた親どうしの関係が難しいのは普通だし、別れた相手の悪口を子どもに言って子どもが片親を拒否するようになるのは、ぼくたち親子でも同じで珍しくない。

制度で起きている片親の引き離しに国は責任を負わないし、当事者には何のケアもない。子どものことよりも、家や周囲の目を考えれば、そのほうが大人にとっては都合がいい。自分が子どもに会えなくて寂しいという思いはやがて薄れる。しかし、意図せず引き離され、子どもが捨てられているのではと悩む親は、自分を苦しめ続ける。

 社会から疎外されがちな別居親という位置から人々を見ていると、コロナのもとでの人々のふるまいもよくわかる。

 コロナの対策として外出規制が世界中で流行った時期がある。今も人の移動に対する人々の目は厳しい。そんな中、毎月ぼくは東京を通って千葉に出かけ、東京と長野の二つに分かれた別々の世界を見続けてきた。

 欧米各国では、外出規制の例外として、国が別居親子の関係の継続指針を出している。子どもから見れば父母両方の家が自宅なのだから、外出規制は帰宅制限になる。国が帰宅を保護しなければ、親子関係という人権が、感染拡大を名目に損なわれてしまう。人々の移動が少なくなり、町に人がいない中での少人数の移動を感染予防と調和させることは、技術的にも難しくない。

 ぼくも所属する別居親のグループも、アンケートで苦境を示し、同様の指針を国に何度も求めた。国はこれに正面から回答せず、オンラインでも面会を活用するようにとホームページに掲げた。子育てには、難しい思春期の子の対応やおむつを替えるなどもある。どこの世界にオンラインで子育てする親がいるのだろう。

 それでなくても約束がなければ引き離されるのに、話のできない相手に一時的に取り止めを申し出れば、永遠の別れになることは目に見えている。会いに行く行かないは選べないし、子どもが親を選べないように、親も親であることをやめられない。

何しろ、子ども視点で考えれば、別居親に会うのが危険なら同居親と暮らすのはもっと危険だ。子ども視点で感染予防を突き詰めれば、子どもは施設に入れるしかない。しかし子どもはコロナにかかっても軽症ですむし、肺炎になって死ぬのはインフルエンザでも同じだ。

 受ける影響は大きいので、コロナに関する情報を自分なりに検討してみた。

 毎日テレビに感染者数が出てくるが、これは検査で陽性だった人の割合で間違いだ。コロナウィルスは移りやすいが、ほとんどは自然免疫で症状が出ないし、出ても軽症ですんでいる。現在の死者数は1万人を優に超えるインフルエンザの死者数の10分の1にも満たないから、恐ろしい疫病とは程遠いけど、マスコミはこういった比較を行わない。テレビは危機を煽ったほうが視聴率がとれる。コロナ以前、報道番組は低視聴率にあえいでいたが、コロナ特需で持ち直している。

PCR検査というのは、遺伝子を増幅させて読み取る検査の手法だ。増幅の回数で検出率は上がる。アメリカでこの検査の増幅回数を上げて「感染者数」を水増ししていた事実が明らかになっている。

すでにコロナウィルスへの暴露という観点からは、日本の状況は集団免疫に達しているというのを、免疫学者も言っているし、毎日のように、医学の観点からコロナ対策の無意味さやマスコミ批判をネットで続ける大学教授もいる。

そもそも感染者は次に似たようなウィルスが出てきたときに、免疫という観点からは人々の防波堤になる重要な役割を担う。だいたい元気な人はかかっても軽症ですむのだから、黙って家で寝て直したほうがいい。

感染者を社会から排除するのは、感染者を出し営業停止措置に対して保証したくない行政の都合にほかならない。本当にまともな対策をしたいなら、科学的な観点からのコロナの危険性(の少なさ)と過去の政策の無意味さをあらためて説明し、なおかつ感染によって偏見も含めて暮らしがままならなくなった人への生活保障を国がすれば偏見もなくなる。

先日、こういった視点を東京の別居親の仲間にしゃべってみた。

「こういうのはみんな世間では実のところ知られていることじゃないでしょうか」という。

国の政策の誤りや数値の操作を多くの人がうすうす気づいている。だから東京では、飲食店に客はいるし、電車もお年寄りの姿を見ることは少ないけれど、そこそこ人が乗っている。周囲で死者が次々出るような状況でもないのに、意義を感じない生活上の制約を受け入れ続けるのは難しい。

しかし別の視点を持った報道はテレビではなされない。自らが洗脳した視聴者の反発をテレビは恐れ、流す情報を統制し、コロナとの戦いを続けさせる。これが、効果がないとうすうすわかっていながら、マスクをみんな外せない理由だ。

社会に正気を取り戻し敗戦からの復興を急ぎたいなら、自らが「非国民」と名乗り出るしかない。

一人じゃない、別の見方もあると確認するために、同じ悩みを抱えるもともと疎外されてきた別居親たちの話しを聞き続けていたのは、お互いに孤立して闇夜に投げ出されることを防いでくれていたようだ。社会全体が周囲から自分がどう見られるかという視点だけを気にするように人々に仕向けている。

そんな中、それとは違う見方があると伝えられる存在があることは、子どもに限らず、多分貴重なことなのだろう。

(2020.9.18、越路18号、たらたらと読み切り158)