女たちの離婚サバイバル

西牟田靖『子どもを連れて、逃げました。』

 著者の西牟田さんは、前作『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』に続いて、離婚と子どもの問題を、当事者たちから話を聞き出して、ルポとしてまとめている。

 ぼくは自分も子どもと引き離された経験があるから、どっちの本も読み始める前は自分の経験と反響して身につまされたり、しんどくなったりするんじゃないかなあと思っていた。だけどどちらも単純に読み物としておもしろく読み進められた。なぜなんだろう。

 自分の体験をベースにして、他の人のこともよく理解しようと話を聞き進める著者の姿勢とプロセスには、率直さを感じて好感が持てる。もう一つは、話をしてくれた方の体験は、どこにでもいそうな「普通の人」であるにもかかわらず、一人ひとりドラマを抱えているというのにあらためて気づくからではないかなと思った。今回は女性の側が離婚を乗り越えていくプロセスを聞き取っていくのだけど、それらを読んで感じたのは「たくましさ」だ。

 本の帯には、DV、モラハラ、浮気、貧困とあるし、語ってくれた女性たちの経歴も、マジシャン、イベント屋、弁護士などいろいろ、そして結婚や子どもができるに至った経過も、学生のときの同級生や国際結婚、父親には子どものことを告げていないなど共通する部分もあまりなくて、次の人の話はどんなだろうなと思って読み進めることができる。

そして、離婚というのは、そういうドラマを引き起してかつ、それぞれの人に試練を与える冒険なんだろうなと読んで思った。帯には「困難な状況をどのように生き抜いたか」と書かれているけど、つまりこの本は、彼女たちのサバイバル体験を収録している。多分、そういった体験は、離婚体験のない人にとっても興味を掻き立てる。「界隈の人」向け本として読まれるのはもったいない。

そして、そう思わせるのは、著者本人の「違った世界を見てみたい」という好奇心の強さが背景にあるような気がする。シングルマザーの本であれば、被害者目線で多くまとめられていたと思うけど、この本はそういったカテゴリーから抜け出ていて、新しい取り組みだと思う。そういう意味では、前作も、子どもに会えなくて泣いている男、という世間一般の基準で言えば、かっこよさとはマッチしないところが、おもしろ味につながっていたのだと思う。

著者の西牟田さんは、本人も子どもと引き離された経験があるのだけど、彼女たちの話を一人ひとり聞き取っていくにつれて、自分の家族との体験や思い込みが客観的に見られるようになり、心が揺さぶられている過程を率直に書いていて、それが本書のもう一つの「見どころ」になっている。

例えばDVの扱いでは、前作を作る過程では、親子の引き離しやでっち上げDVについて取り上げ、なんてひどいことをすると感じたと本書にはある。それに対して戦闘モードでやってきた編集者との出会いから、じゃあ逆の立場はどうなんだと取材を重ねる。そして今度は多くの女性が父親から引き離したいとは思っていない、DVの危険がある場合は、簡単には会わせられないと述べるようになっている。

課題も見えそうだ。子どもに会いたい側がいて、父親への関与を望む側もいて、だけど危険があれば引き離していい、となっていること自体が、現在の制度の限界だろう。著者は、共同親権・共同養育の知識があって、登場人物たちの発言や行動について相対化したり、自分の経験をジェンダー的な観点から振り返りもするけど、基本的には、父親が会いたい側、母親が会わせる側という対照軸になっている。どうしても、その発想の中からの異性の置かれた立場に対する視点の欠如への振り返りという感覚になりやすい。

それ以外の性役割を超えた実践をしている人、例えば、子どもに会えない母(一部本書にも出てくる)や、同居父などの経験は周辺的な問題として制度を扱う場合に考えられやすい。また、危険性という観点からのDVと引き離し問題の扱いだけでは、では子どもが両親から愛情を受けて育つにはどうするのか、という視点が弱くなる。

これらはいずれも本書をまとめるにおいては著者の関心の範疇外だったと思うので、「ないものねだり」であるのは確かだ。だけど、体験談と制度を両方見据えて本書をまとめているので、課題として出てくるのは避けられないかなあと思う。(2020.1.17)

Fielder【vol.55】反権力 生活の 勧め(後半)

長崎県川棚町川原 ー元祖・ふるさとを守るたたかいー

長崎県川棚町川原地区。町の中心から十分ほどの谷間に一三戸約五〇人が暮らす。ここに石木ダムの建設計画が浮上したのは半世紀以上前。建設を進める長崎県は強制収用によって昨年九月、地区内の土地をすべて取り上げた。それでも建設工事を止めるため、地区の「おじさんおばさん」は毎日座り込みを続ける。一週間いっしょに座って、ダム反対の川原ライフに入門した。
文・写真 宗像 充


盛り土の上でイスに腰掛ける?

「ここはおれのふるさとたい」

地区総代の炭谷猛さんが建設現場を案内してくれた。朝早く墓地に続く道を登り、砂利道を下った先の赤茶けた土の上に、二〇人ほどの男女がイスを出して座っていた。炭谷さんとぼくは、そこと工事現場を分ける柵を越え、高台から現場を見下ろした。

「炭谷さん、困りますよ。工事現場内を勝手に歩かないでください」

大丈夫なのかなと思っていたところに、長崎県の職員の一人が寄ってきた。炭谷さんが言い返したのが冒頭の言葉だ。口論になって脇で見ていたぼくも「あなたは誰だ」と名前を聞かれた。「答える必要あるんですか」と問うと、「不満があるなら裁判すればいい」と言い放った。

前日の一〇月二六日が、長崎県が示した物品撤去の期限だった。イスを入れる物置や旗竿、テーブルとベンチの写真を載せた看板がある。県側は「道路区域内の不法占有物」として撤去の要請をしている。そのテーブルでぼくは地区の女性たちが出すコーヒーをすすった。

ここは県道の付け替え道路(三・一キロ)の建設予定地の一画だ。一六日に抜き打ちで土砂が運び込まれ、だから赤土の上に座っている。それまで平日の午前中だけだった座り込みを午後と土曜も実施するようになった。この日、座り込みは九四二日を数えていた。

炭谷猛さんは地区の総代で、川棚町の町議会議員。選挙ではトップ当選だったが、町議会では唯一のダム反対派。

「小さなダムの大きな闘い」

背後の鋭鋒、虚空蔵山から流れ出た二つの支流が身を寄せ合うように合流する場所に、川原地区はのびやかに棚田を広げ、家々が点在している。夏にはホタルの群舞が見られるという。その集落を回り込むように、付け替え道路が森を切り開きながら鎌首をもたげた蛇のように這い上がっている。

川原にダム計画が浮上したのは一九六二年。長崎県と佐世保市が二級河川川棚川の支流、石木川に計画した。堰堤高は五五・四メートル、総貯水量五四八万トン(東京ドーム四・四個分)。総事業費は五三八億円の多目的ダムだ。虚空蔵山の頂上から見下ろすと、きんちゃく袋のような地勢の川原は、格好のダム予定地に見える。

「最初はハウステンボスに水を使うと言ってたとよ。それが今は佐世保市の渇水に備えてとなっている」

現地で座る女性たちのまとめ役の岩下すみ子さんは佐世保市出身だ。石木ダムは当初、針尾工業団地の水がめとして計画された。ところがこの計画はとん挫し、予定地は現在テーマパークのハウステンボスになっている。

「県はそこで計画を見直さなかったし、次は治水と目的を変えていく」

岩下さんが憤る。建設側が理由とする一九九四年の渇水も「全国的な渇水で佐世保市だけじゃなかった。納得できない」。実際、ダムのできる石木川は川棚川全体の一割の流域面積しかなく、ダムを作っても洪水は防げない。

当時の建設省がダム計画を認可すると、住民たちは「石木ダム絶対反対同盟」を作り立ち上がった。同盟の幹部が切り崩されると同じ名前の同盟を再結成し、一九八二年には機動隊一四〇名を投入しての強制測量を実力阻止。「小さなダムの大きな闘い」と呼ばれた。集落内には、櫓や反対看板があちこちにあって、人々はその中で暮らし、世代を重ねている。

一〇年前に付け替え道路の建設が始まると、重機の下に座り込むなど建設阻止の衝突が再び起き、その末に今の座り込み場所がある。土地は取り上げられても「一三軒住んでいてダムができるとは思わない」と岩下さんがきっぱり言う。女性たちは柵を乗り越え「みんなの土地」を見て回る。

初日に長崎県の職員と言い合いになった後、ジャーナリスト向けに出された掲示。施工業者が筆者の車を撮影するなど建設側の警戒感が伝わってくる。

2017年、夜間抜き打ちで重機が持ち込まれた。住民たちは重機の下に座り込んだ。(撮影・山下良典)

佐世保市の水道局には「石木ダム建設は市民の願い」の垂れ幕が。川原からは車で40分ほどかかり導水時には途中の峠はポンプアップする。

「石木ダム絶対反対同盟」の幟旗は「室原王国旗」。ダム建設史上最大の紛争と呼ばれる、松原・下筌ダム闘争で一三年間の反対を貫いた室原知幸が作った。熊本・大分の県境を流れる筑後川の山間に「蜂の巣城」と呼ばれる砦を築き、国の強制代執行と「交戦」した「蜂の巣城の闘い」は松下竜一の『砦に拠る』で読むことができる。「日の丸」を反転させた王国旗は、人民が権力を囲む。川原で反権力の命脈を保ってきた。

昨日も今日も明日も座る

週に何回くらい来るのかと聞くと、「毎日よ」という答えで驚いた。これは一週間やってみるしかない。

休み時間には茶菓子とコーヒーが出て「いつもよりサービスがいい」と軽口をたたく。

それが二日座っただけで消耗する。埃っぽいし日差しも強い。朝、目の前の柵の向こうに出勤する県職員が去れば、監視カメラで見張られる。これを雨の日も風の日も一年中続けている。

「今日私たち温泉に行くんだけど行くかな」と岩下さんに火曜日に言われて飛びついた。「若い男を連れてきた」と受付でわざわざ言うお隣の岩本菊枝さんの言葉を、「もう若くないです」と否定する。町内の入浴施設に隣近所三人組の女性たちで週二回通う。そうでもしないと体がもたないのがわかる。

一〇年前に付け替え道路の建設が始まるときに、最初に抗議行動を組んだのは、一三軒の家の女性たちだった。顔が識別されないようにマスクをし、お揃いの法被を着、人数を水増しするために案山子をつくって出陣した。ゲートの前に後ろ向きで並んで歌を歌った。今も座り込みの主力で半日交代でやってくる。そのときの「川原の歌」を現場で合唱してくれた。春風がそよぐような歌詞とメロディーがやさしい。

「男は生まれてからずっといる。女はよそから来る。それが男よりがんばってるんだから」と男性陣の石丸勇さんは感嘆する。

「女は女で苦労をともにしてきた。長男の嫁でばあちゃんもいて、みんな同じ立場だった。出ていく人もいる中で、隣近所、仲間は大事。反対して助け合いながらなんでも正直に本音でつき合える。この重さはお金では代えられない」

岩下さんは付け替え道路の工事が始まるまで、一〇戸を移転させた水面下の切り崩しを振り返る。

「この人賛成やろか、反対やろかと人が信じられない。だからって付き合わないわけにはいかない。一三軒になって結束は強くなったけど、その間はきつかった。私たちの年代で中止にせんと、子どもたちに申し訳ない」

隣近所3人組で温泉に連れて行ってくれた。左が岩下すみ子さん、真ん中が岩本菊枝さん、右が岩永信子さん。

座り込み現場で「川原の歌」を歌う地区の女性たち。「日本うたごえ祭典」でも合唱した。歌詞は「自然を守る人が住む」と結ばれる。

「土地を取られても何も変わらない」

「住民たちは追い詰められている」

虚空蔵山に登った帰り、川原の上流、全戸移転した無人の岩屋地区でぼくが撮影していると、川を眺めていた年配の男性が話しかけてきた。「懐かしいからきた」という。

「ダムができないと何のために出ていったかわからないからでは」

川原に戻ると地区に暮らすイラストレーターの石丸穂澄さんに道で出会った。「怖い人たち」と見られがちな住民たちの横顔をイラストで発信している。自宅の田んぼはずさんなダム関連の道路工事で水路が切られ、来年から営農できるか未定だ。

「脅しや嫌がらせは昔から受けていて慣れている。無理して作れば予算は何千億円もかかって困るのは県民。追い詰められているのは県のほう。土地を取られても何も変わっていない」

妹が川原に嫁いだという男性も隣町から座り込みに来ていた。

「妹は住み続けるという。法的には不法侵入。どうするのとは聞けない」

そう言いながらも週に一度は加勢に来る。新聞を見てはじめて来た男性、この問題はおかしいと志願してきた新聞記者、そして近隣から集まってくる支援者たち。一四〇メートルの阻止現場の奥行きは、思った以上に広かった。

石木川にはヤマトドジョウなど約20種の川魚がいて種類が多いのが特徴。シーボルトの標本採集も石木川でなされたのではないかと言われている。(絵・石丸穂澄)

「神主さんが来ているので死体が出たかと思った」とカメラを持って飛び出してきた石丸穂澄さんは「風景が変わっていく」と嘆く。神主は移転した家の屋敷神を合祀する神事を行っていた。

未来を取り戻すために

週末、川原の一画にティピと呼ばれるテントが出現した。満月の日に合わせ「田んぼフェス」が開かれ、コンサートや神事、法話、餅つきまで盛りだくさんだった。

主催した越智純さんは、次は本体工事という時期に「里山の暮らしはこうだった。原点回帰としてキャンプしてここでみんなで感じてダム計画を考えてみよう」と外部から祭りを持ち掛けた。セイタカアワダチソウが茂っていたかつての田んぼは「無断使用」。でもそれは地区内どこも同じ。

「農機で起こした人が『土が喜びよるごたる』と言っていた。来年は稲を植えられれば。ここはダムのおかげで砂防堰堤もない。まるで地区全体がビオトープでタイムカプセル。今の時代に向いたアウトドアやエコロジーライフの実験場にできないでしょうか」

集落に一歩入ると感じるなつかしさの正体はそれだった。もともと町にも近く、災害もなく住みやすい。新築した家も多い。だけどここは行政サービスの埒外だ。公民館も古くて、農地の区画整理も河川の護岸整備もない。

「時間が取れなくて畑の草は伸び放題」と石丸さんが週末にやってきたお孫さんと芋ほりをしている。岩本さんが「ここは県が買収したとこ」と畑で大根を抜いていた。座り込み現場で見る人も、平日は勤めの現役世代も、農作業に汗を流し、物珍しそうにお祭り会場に現れた。河原では子どもたちが遊んでいる。華やいだ週末だった。

「よく考えたらふるさとに守られてきたんだなあ」

ステージでスピーチした炭谷さんが口にした。川があれば子どもが遊ぶ、畑があれば野菜を育てる、イノシシがいれば罠を仕掛ける、月をめで広場があればお祭りをする……それはずっと昔からの人間本来の姿に見えた。ふるさとを守る闘いは、そんな未来をぼくたちの手に取り戻すことだろう。

週末に現れたテント村でフェスが開かれた。手前が越智純さん。

週末に孫がやってきて芋ほりをする。右が石丸勇さん。

ネットで公開! 反権力生活の勧め

Fielderに書いた「反権力生活の勧め」。現在ネットで見られるようになっています。

三里塚 ー半世紀にわたる反権力闘争の現在ー

海外旅行への玄関口として定着した成田国際空港。地元三里塚は、一九六六年の空港建設の閣議決定以来、警察機動隊と反対派との激しい衝突を繰り広げた闘争の歴史を持つ。その後、有機農業の先進地として成長し、多くの人がそれを支える。反対運動は五四年続く。もはやそこでの暮らしそのものが反対の表現だ。航空機の轟音の下での農業と暮らしは私たちに何を伝えるのか。一週間、三里塚で暮らして考えた。

ナルヒトが山を歩くと・・・「山とナルヒト」最終回

 編集部に連載の反響を聞くと「もっと辛口でいいんじゃないか。山に来るな、とか言ってもいいんじゃないか」という感想があるそうだ。ぼくもそう思うけど、それだと連載は続かない、ので、今回で最終回にしようと思う。

 東京在住の徳仁は中部山岳を中心に、あちこちの山に登っているのでぼくもそのうちのいくつかを登ったことがある。だいたいのところ、そういう山は道も設備もよくなっている(山小屋に水洗トイレや風呂ができるという)と思うのだけど、以前も書いたように、訪問前を見てないからよくわからない。彼が来たというのがよくわかるのは、記念碑が立っていることだ。八ヶ岳の硫黄岳山荘や南アルプスの二軒小屋に登山記念の碑があるのを見たことがある。

そんなにめでたいことなのか。地元大鹿村の場合、以前は荒川岳の稜線の荒川小屋を所有していて、1986年に徳仁が来たときには、当時の小屋番のおじさんが接待をしていっしょにお酒を飲んだ。「おじさん、そんなに飲んで大丈夫ですか」と徳仁が声をかけたのを「への河童です」と答えたエピソードが「美談」として残っている。

このときは静岡からヘリで特設トイレを運びあげたというほど、とにかく地元自治体は準備に大騒ぎになり、新聞記者も追っかけて山に登って記事を書かないとならない。ぼくの山の知り合いの某県の山岳警備隊の警察官は、皇室が来るたびに警備に動員され「ほんとうに迷惑」と言っていたことがある。ちなみに、徳仁の登山記事はだいたい見出しが「浩宮さま〇〇を満喫」(〇〇に山の名前が入る)というパターンが多い。

 徳仁登山について、周囲が残した記事や感想を見ると、「健脚」とともに「一般登山者と気軽に挨拶を交わす」「ほかの人と同じトイレを使うと言った」など、「気さくな人柄」やエピソードが残っているものが多い。だけどよく読むと、富士山登山では「周囲は制服こそきてはいないが護衛官や機動隊員ばかり」とあったり、イギリスのベンネビス登山の情報を入手するにおいて「英国の護衛官の功績も大きい」と本人がさらりと書いていたり、当たり前だが、本人も周囲も特別扱いを「当たり前」に捉えていたことがよくわかる。「隔てられている」が故の気軽さの価値(故にありがたい)が、徳仁が山に登ることによって高まるという構造になっている。

思うに、こういう登山だと準備も時間がかかるので、思いついてすぐ出かけるなんてことはできようもない。すでにその時点で不自由な登山になっていて、自由さが登山の一つの魅力であるとするなら、多いにその魅力を削いでいる。しかし、それをありがたがる登山者を増やすという面で、効果は絶大だ。それは本人の意思や人柄とは関係なく、特別扱いのための舞台装置(大勢の随行・護衛、過剰な設備、記録の賛美等々)によって、登山の価値も、自然の姿をも改変していく。というわけで、そういった存在は山にはいらない。

(「府中萬歩記」80号、2020.10.29)

バイキン非国民宣言

 千葉県に娘がいるので、長野県に住むぼくは毎月上京している。連れ合いの実家が宿泊業の関係で、帰宅するとコロナ感染を恐れた実家の希望で、2週間隔離せよと指示が出た。不本意ながら従ったものの、気持ち的には公的な場に出向くのも気が重い。東京では混んだ電車や居酒屋に行く人も見る。自治会関係の行事参加は村の発言権の担保だし、家で一人でいると「公民権停止」と感じてしんどくなった。

 コロナの死者は餅でのど詰まらせて死ぬ人の数と互角だし、インフルエンザの死者は一万人を超える。長野県の場合(コロナ死1名)、キノコ採りで死ぬ数のほうがはるかに多い。マスクを呼びかけるなら餅つきやキノコ採りも禁止だ。飯田では感染者宅に石が投げられたという。実際の感染(メディア発表は正確には陽性者)より怖いのが風評なら、熱が出ても黙って家で寝てればいい。

東京の友人に電話した。「近所づきあいはないのは東京じゃ普通」「ぼくは引きこもるの好きだから今のほうがいい」……気持ちが軽くなった。「まともな国民」意識がコロナファシズムを生み、マスクをさせ、次はワクチンで人体実験だ。だったらぼくは「非国民」。東京の人たちよ、いっしょに「ばっちい」と言われよう。(宗像充 大鹿非国民)

(2020.10.1Alert)

絶滅したはずのニホンカワウソが高知県で発見!? その「証拠」とは

4年間に収集した「カワウソ生息の証拠」を公表

「はじめて見たときに、『カワウソや』と断定した。これはえらいこっちゃと……」

カワウソらしき動物が映っていた

5月6日、中央右に頭を右に向けたカワウソらしき動物が映っていた。赤外線カメラの画像 

2016年の目撃以来、高知県大月町の海岸でカワウソの調査を続けている「Japan Otter Club」の大原信明さん(公務員)らは9月16日、高知市内のこうち男女参画センター「ソーレ」で会見を開き、過去4年間に収集した「カワウソ生息の証拠」を公開した。  大原信明さんがその動物に最初に気づいたのは、2016年7月21日の夕暮れ時。「もしいたらスクープやろ」と大原さんが呼びかけたのをきっかけに、仲間と手持ちのカメラで撮影を試み始めた。  

ニホンカワウソは2012年に環境省が絶滅宣言を出している。2017年に対馬に生息するカワウソの動画が発表されたものの、DNAでは韓国のカワウソの仲間という結果もあり、論争を呼んでいる。  

大原さんたちが大月町に来た目的は釣りキャンプで、目撃はまったくの偶然だった。その後、仲間3人で同じ海岸に何度も調査に出かけた。

「見たのは100%カワウソ。自信はある」と大原さんは語る。海から出した顔の前半分がつぶれたような形で、下半分が白く動物園で見たカワウソの特徴と同じだった。  

会見では、この間に撮りためた動画や赤外線カメラの写真、食痕や巣穴など、最初に見た地域の周辺で得られた複数の証拠を示した。動画では、前面が白い動物が海面に顔を出したり泳いだりする動物の姿が映っている。

 調査地点近くでは海に小川が流れ込み、人が近づきにくい場所も多い。集落はあるが人家はまばらだ(筆者も現地に行ったことがある)。3人が直接「カワウソ」だと認識した目撃回数は104日間で6回。  そして2020年5月、近くの小川にしかけた赤外線カメラに、カワウソらしいシルエットが映っていた。これを見て、これまでの調査結果の公表に踏み切った。

写真解析の結果、「カワウソ以外に考えられない」

調査結果を公表した大原信明さん(後方)、土井秀輝さん

調査結果を公表した大原信明さん(後方)、土井秀輝さん「岸壁のすぐ下にいたときは、寝ぼけていてタモ網を取りにテントに戻った。網ですくえると思ったほど近くだから間違いようがない。ただ客観的に見て、写真の解析から見ても、消去法でカワウソ以外は考えられない」  

4年間の調査結果を解説した「Japan Otter Club」の土井秀輝さんは、そう強調する。2020年5月の写真は不鮮明なので独自に動画を解析した。5月6日午前2時に撮影された画像では、シッポの付け根が太くてカワウソらしい特徴が見て取れる。

「近くの岩のクラックの長さとの比較で、体長は87~107cmほどだとわかった。イタチとは明らかに大きさが違う。混同されやすい動物としてハクビシンがあげられる」  

さらに土井さんは、定量的な比較を試みた。

「複数の動物写真から比率を求めました。全長に対する尻尾の割合は、高知付近を生息地としていたニホンカワウソと同類のユーラシアカワウソが平均33.9%。写真の動物の比率は35.1%で、これに近い。ところがハクビシンの場合は42~44%とまったく違う。

 また、尻尾部分の傾斜角(テーパー)は、同じく、ユーラシアカワウソが1/6.05~1/9.06で、この動物は1/9.05。ハクビシンは1/19.5~1/25.4。四股の左足内側、顎から四股内側にかけて写真で白く映っている部分の個所は、カワウソには当てはまってもハクビシンには当てはまらない」  

ということで、ハクビシンである可能性はなさそうだ。

小川近くの岩の上に散乱していたカニの食痕

小川近くの岩の上に散乱していたカニの食痕「また、歩く時の腰の盛り上がりはカワウソの特徴。見た目の体形、数値的な体形ともにカワウソに限りなく近い。何人かの研究者にも見せたが『カワウソではない』という研究者は一人もいなかった」(土井さん)  

それ以外にも今年8月の調査では、沢の近くの岩の上に数100匹の小カニの食痕があり、「獺祭(だっさい)=獲った獲物を並べるカワウソの習性」の状態となっていた。 「韓国のユーラシアカワウソ研究者に見てもらったところ、『カワウソの親子が餌の取り方を教えた食痕に似ている』との回答があった。大きさの違うカワウソを別々に見たこともあり、生息しているだけでなく子孫をつないできたのでは」(土井さん)  

国内ではDNA調査の結果、四国地域のカワウソはDNA上もオリジナリティがあるとされ、土井さんたちの示した証拠はニホンカワウソ生息の可能性を示唆するものだ。

地元自治体の観光協会が情報窓口を設置、さらなる目撃情報を求める

ニホンカワウソの等身大フィギュア

越智町観光協が入る「おち駅」に設置された、ニホンカワウソの等身大フィギュア(熊谷さとし作) しかしニホンカワウソは1979年の須崎市新荘川での目撃・撮影を最後に生息情報が確認できず、環境省は絶滅宣言を出している。

「絶滅宣言は大きな誤り。取り消してほしい」と、大原さんたちは口々に反論する。 「環境省は絶滅の目安として『50年間確実な生息情報がなかったこと』をあげている。しかし2012年の絶滅宣言は新荘川での確認から33年しか経っていなかった。もともと、絶滅の根拠もなかったんです」(大原さん)  

高知県、愛媛県、徳島県はレッドデータブック(絶滅のおそれのある野生動物の情報をまとめたもの)で、ニホンカワウソについて「絶滅危惧種」としたままだ。これについては、環境省が「いない」と言った影響が大きい。

「みなさん頭は『絶滅』で固まっている。それらしい動物を見ても自分で否定するし、情報を行政に寄せても調査にはつながらなかった」(同)  

今回、大原さんたちが働きかけて、仁淀川流域の越知町観光協会が目撃情報等の受け入れ先を引き受けた。さらなる証拠で生存が決定づけられれば、絶滅説は一掃されるだろう。

「仁淀川でも複数の目撃情報があり、調査地域も広げたい。実はあちこちに、少数だが生息しているのではないでしょうか。『まだ生存している』と、頭を切り替えてほしい。市民から情報が寄せられれば、さらなるカワウソの調査や保護につながっていくと思います」 文・写真/宗像充

ハーバービジネスオンライン
https://hbol.jp/228724

コロナパニックで娘と会う

「お子さんのお気持ちを考えてみてください」

 今回は警察官が2人現れた。日曜日の午後2時に、千葉県習志野市の駅の交番の前で娘を待っていた。

 元妻との間には中学3年生になる娘がいて、今14歳だ。彼女の連れ子の女の子もいて、今高3になっているはずだ。2007年に別れて、裁判所の決定が出た2010年から隔月や月に1回という頻度で子どもたちと定期的に会ってきた。上の子は中学校に上がるときに「会いたがらないから」と一方的に元妻に伝えられて引き離されていた。

 下の子も中学校を卒業した段階で、行く予定だった公立の中学校に行っていないことがわかった。会ったときに本人に聞いても言わない。

この日は事前に母親側の弁護士から郵便で連絡があり、娘を待ち合わせ場所の交番前に行かせないと伝えてきていた。そうはいっても、実際に現地まで行ってみなければ、娘が本当に来るかどうかはわからない。

この間いっしょに付き添ってくれる友人2人と交番前で待っていたら、予定の時間に娘ではなく、元妻の再婚相手が現れた。

 娘といっしょにすごす取り決めは午後2時~6時までだ。その間、娘はぼくに「うざい」「死んでしまえばいい」「お前なんか父親じゃない」とか悪態をついて、中途で帰ってしまう。追いかけるとけられたり殴られたりしたこともある。思春期の娘の反発としてはありうる範囲かもしれないし、「傷つくんだよ」と口で伝える。そうかと思えば、娘が生まれたときのことや昔いっしょに遊んだときのことを話すと、ボロボロと涙を流すことも度々ある。

一年ほど前に、元妻の再婚相手が、インフルエンザによるキャンセルを伝えてきた後、日程の調整という名目で連絡をよこし、結果会えなくなったことがある。

裁判所から注意をしてもらうと、再び娘がやってくるようになった。最近、元妻の夫が近くの銀行のロビーからぼくたちが会うのを監視していることがわかった。彼は元友人だけど、娘との直接のやり取りを邪魔するようになったので、別の友人に付き添ってもらっている。

この日付き添ってくれた一人は彼との共通の友人だ。しかし彼はぼくたちのほうではなく、交番に入っていった。娘を引き続き待っていたら交番から警察官が現れた。

彼のほうは、娘が書いたという手紙をぼくに手渡そうとしたけれど、娘から直接渡されるでなし、彼から受け取るものでもないので受け取りを拒否した。

 娘が来ないなら来ないで娘の自宅に安否確認に訪問する予定だったし、以前もそうしたことがある。それを彼は嫌がって、何の容疑もないのに警察に相談し、彼の意向を受けた若い警察官が手控えるようにぼくを説得しようとして言ってきたのが冒頭の言葉だ。

「中学生の娘が男親に反発したりするのは普通ですよね。でもね、こうやっていろいろあっても父親が足を運んできているということは、今は意味がわからなくても、娘が大きくなって物事を客観的に見られるようになったときに、わかるようになるんじゃないでしょうか」

 いつもこういう場面で答える説明をこの日もした。

 その後、警察官たちは、ぼくを問題を起こす迷惑な存在としてではなく、娘の父親として見るようになった。もともと民事不介入で、警察官が間に入って交渉の仲介をする権限はない。「彼が問題を起こさない限りこちらにも付き添いもいるので問題は起きませんが、そんなに心配ならあなたがたが同伴して安否確認をすればいいでしょう」と言うと、「何かあったら所轄の署に連絡してください」と、交番前での足止めは終わった。

ぼくたちは友達の車で自宅訪問をし、インターホンを押して誰も出てこないことを確かめ、子どもたち2人への手紙をポストに投函して引き上げた。

 日本では、親が別れた後に二人の親が子育てを継続するという発想は弱い。新しく家庭を持っているのに、別れた子どもと会うなんておかしいという発想は逆に強い。

子どもから見たら親は二人いるので、どちらかの親だけが子どもを見るというのは、親の都合を押し付けられていることになり、海外では共同親権という考えが生まれてきた。それを求めて国を訴える裁判を起こし、新聞記事になったりした。

「会えなくてもそのうち会いに来るよ」

 と慰めなのか言われることはある。

だけど原告の中には、子どもが大人になっても会いにこないどころか大人になっても父親に住所を隠すケースもある。それでも子どもが気になるのか、彼は役所とやりあう。会いに来なければ親子の関係はそこで途絶える。別れた親どうしの関係が難しいのは普通だし、別れた相手の悪口を子どもに言って子どもが片親を拒否するようになるのは、ぼくたち親子でも同じで珍しくない。

制度で起きている片親の引き離しに国は責任を負わないし、当事者には何のケアもない。子どものことよりも、家や周囲の目を考えれば、そのほうが大人にとっては都合がいい。自分が子どもに会えなくて寂しいという思いはやがて薄れる。しかし、意図せず引き離され、子どもが捨てられているのではと悩む親は、自分を苦しめ続ける。

 社会から疎外されがちな別居親という位置から人々を見ていると、コロナのもとでの人々のふるまいもよくわかる。

 コロナの対策として外出規制が世界中で流行った時期がある。今も人の移動に対する人々の目は厳しい。そんな中、毎月ぼくは東京を通って千葉に出かけ、東京と長野の二つに分かれた別々の世界を見続けてきた。

 欧米各国では、外出規制の例外として、国が別居親子の関係の継続指針を出している。子どもから見れば父母両方の家が自宅なのだから、外出規制は帰宅制限になる。国が帰宅を保護しなければ、親子関係という人権が、感染拡大を名目に損なわれてしまう。人々の移動が少なくなり、町に人がいない中での少人数の移動を感染予防と調和させることは、技術的にも難しくない。

 ぼくも所属する別居親のグループも、アンケートで苦境を示し、同様の指針を国に何度も求めた。国はこれに正面から回答せず、オンラインでも面会を活用するようにとホームページに掲げた。子育てには、難しい思春期の子の対応やおむつを替えるなどもある。どこの世界にオンラインで子育てする親がいるのだろう。

 それでなくても約束がなければ引き離されるのに、話のできない相手に一時的に取り止めを申し出れば、永遠の別れになることは目に見えている。会いに行く行かないは選べないし、子どもが親を選べないように、親も親であることをやめられない。

何しろ、子ども視点で考えれば、別居親に会うのが危険なら同居親と暮らすのはもっと危険だ。子ども視点で感染予防を突き詰めれば、子どもは施設に入れるしかない。しかし子どもはコロナにかかっても軽症ですむし、肺炎になって死ぬのはインフルエンザでも同じだ。

 受ける影響は大きいので、コロナに関する情報を自分なりに検討してみた。

 毎日テレビに感染者数が出てくるが、これは検査で陽性だった人の割合で間違いだ。コロナウィルスは移りやすいが、ほとんどは自然免疫で症状が出ないし、出ても軽症ですんでいる。現在の死者数は1万人を優に超えるインフルエンザの死者数の10分の1にも満たないから、恐ろしい疫病とは程遠いけど、マスコミはこういった比較を行わない。テレビは危機を煽ったほうが視聴率がとれる。コロナ以前、報道番組は低視聴率にあえいでいたが、コロナ特需で持ち直している。

PCR検査というのは、遺伝子を増幅させて読み取る検査の手法だ。増幅の回数で検出率は上がる。アメリカでこの検査の増幅回数を上げて「感染者数」を水増ししていた事実が明らかになっている。

すでにコロナウィルスへの暴露という観点からは、日本の状況は集団免疫に達しているというのを、免疫学者も言っているし、毎日のように、医学の観点からコロナ対策の無意味さやマスコミ批判をネットで続ける大学教授もいる。

そもそも感染者は次に似たようなウィルスが出てきたときに、免疫という観点からは人々の防波堤になる重要な役割を担う。だいたい元気な人はかかっても軽症ですむのだから、黙って家で寝て直したほうがいい。

感染者を社会から排除するのは、感染者を出し営業停止措置に対して保証したくない行政の都合にほかならない。本当にまともな対策をしたいなら、科学的な観点からのコロナの危険性(の少なさ)と過去の政策の無意味さをあらためて説明し、なおかつ感染によって偏見も含めて暮らしがままならなくなった人への生活保障を国がすれば偏見もなくなる。

先日、こういった視点を東京の別居親の仲間にしゃべってみた。

「こういうのはみんな世間では実のところ知られていることじゃないでしょうか」という。

国の政策の誤りや数値の操作を多くの人がうすうす気づいている。だから東京では、飲食店に客はいるし、電車もお年寄りの姿を見ることは少ないけれど、そこそこ人が乗っている。周囲で死者が次々出るような状況でもないのに、意義を感じない生活上の制約を受け入れ続けるのは難しい。

しかし別の視点を持った報道はテレビではなされない。自らが洗脳した視聴者の反発をテレビは恐れ、流す情報を統制し、コロナとの戦いを続けさせる。これが、効果がないとうすうすわかっていながら、マスクをみんな外せない理由だ。

社会に正気を取り戻し敗戦からの復興を急ぎたいなら、自らが「非国民」と名乗り出るしかない。

一人じゃない、別の見方もあると確認するために、同じ悩みを抱えるもともと疎外されてきた別居親たちの話しを聞き続けていたのは、お互いに孤立して闇夜に投げ出されることを防いでくれていたようだ。社会全体が周囲から自分がどう見られるかという視点だけを気にするように人々に仕向けている。

そんな中、それとは違う見方があると伝えられる存在があることは、子どもに限らず、多分貴重なことなのだろう。

(2020.9.18、越路18号、たらたらと読み切り158)

各地で工事が大幅遅れ。リニア開通は早くても2031年以降!?

長野県側の工事も2027年開業は無理

「小渋川非常口」に至る道路

2020.08.17

「小渋川非常口」に至る道路は増水した川で路肩が流出した(撮影・前島久美) JR東海が当初予定していた「リニア中央新幹線」の2027年開業。いま、静岡県での工事未着手がどう影響するかということが大きな話題となっている。  

南アルプストンネルの長野県側の起点である大鹿村に住む筆者は、今年7月の豪雨災害で、リニア工事現場が被災しただけでなく、すでに村内で5年の遅れが出ている現場があることをレポートした(「『問題だらけのリニア工事』。静岡県側でなく、南アルプストンネル長野県側も驚愕の惨状」参照)。  

しかしこの遅れを挽回できれば、2027年にも間に合うという意見もある。実際はどうなのだろうか。 「今までの掘削ペースを見る限り、長野県側でも2027年開業には間に合わない」  

そう強調するのは、長野県側でリニア問題に取り組む飯田リニアを考える会の春日昌夫さんだ。  

6月27日には、川勝平太・静岡県知事と、金子慎・JR東海社長との間で会談が行われ、金子社長は工事の進捗についてこう述べている。

「(大井川最上流の)西俣から掘り出して斜坑を掘っていくと長野側と山梨側に伸びるんですが、一番長いのが長野県側3.5kmと3kmあります。(略)順調にいって月進100m(1か月に100m掘削する)と言われています。そうなると西俣から掘り始めると65か月、5年5か月かかることになります」  

すでに金子社長がこだわっていた「7月中の工事開始」のリミットは過ぎている。春日さんは「実際の掘削ペースを見ると、月進100mはとても無理なのでは」という(詳細な計算式は「南信リニア通信」というサイトが詳しい)。

増水した小渋川を望む

増水した小渋川を望む。対岸の崩壊地の下を残土置き場として計画したが、予定地は豪雨で水没 現在、大鹿村内の南アルプストンネルは「小渋川非常口」と「除山非常口」が先行している。

「延長1150mの『小渋川斜坑』(本線トンネルに伸びるトンネル)は2017年7月3日に掘削を開始し、2019年4月5日に斜坑の掘削が完了。2019年8月23日から本線トンネルの先進坑(本線トンネルに並行して掘削するパイロットトンネル)の掘削を開始して、現段階で480m掘削したといいます。  

斜坑・先進坑合わせて1630mを946日で掘っているので、1日当たり1.72m。30倍して月進51.7mの実績です。同様に計算すると、『除山斜坑』は月進40.2m。今年3月3日に掘り始めたばかりの『釜沢斜坑』は、月進18.6mにすぎません」  

予想されたことだが、南アルプストンネルの掘削は一筋縄ではいかないようだ。

トンネル工事の進み具合で計算すると、開業は早くても2031年9月以降!?

豊丘村の福島てっぺん公園から伊那谷を見下ろす

豊丘村の福島てっぺん公園から伊那谷を見下ろす。高架橋や天竜川の橋の建設は、2017年の予定だった

「『除山斜坑』は本線トンネルとの交点まで残り575mですが、延長を1850mとする資料もあるので、残りを 555mとします。本線トンネルの交点から静岡工区との境までは約5090mなので、合計するとあと5645mを掘削しなければなりません。この部分が長野工区ではいちばん距離が長い。この5645mを月進51.7mで割ると約109か月、9年1か月です。  

つまり、現在のペースなら掘削終了は2029年9月。これはいちばん早いペースの『小渋川斜坑』での計算式なので、『除山斜坑』の月進40.2mで計算すると、11年8か月。完成は2032年4月です。 金子社長はガイドウェイを作って最終的な試験をし、それが2年ぐらいかかると川勝知事に説明しています。開業は早くても2031年9月~2034年4月以降でしょう」(春日さん)  

実際、厚生労働省の「トンネル建設工事の工法等について」という資料によると、代表的なトンネル工事で月進100mを超えた例は少なく、発破を使っても80~100m、機械掘削だと60m前後が多い。

「金子社長も『本線トンネル部分の西俣斜坑交点から長野側の3.5kmに65か月かかる』と言っています。月進は54m程度で、長野県側でいちばん早い『小渋川非常口』の掘削よりやや早い程度」と春日さんは見ている。工事はトンネル上部から地上までの高さが掘り進むにつれ1000mを超え、慎重を期さねばならない。静岡側の工事が長野県側よりスムーズに進むとも考えにくい。

工事着手は3年遅れ、ヤードは豪雨災害で水浸し

2017年12月に起きたトンネルの外壁崩落

2017年12月に起きたトンネルの外壁崩落。事前にクラックを確認していたのに、JR東海は納期に間に合わせるため火薬の量を倍にした JR東海7月17日、大鹿村内の「青木川非常口」の掘削を開始した。これで県内5本の本線トンネルのうち2本目の伊那山地トンネルの掘削が始まった。2014年の認可から2027年の開業までもうすぐ折り返し点というのに、いまだ3本のトンネルが未着手だ。  

23.3㎞ある中央アルプストンネルでも、複数の断層を横切るため難工事が予想されている。ところが2019年4月、岐阜県側の「山口非常口」で掘削開始後200mの時点でトンネルが崩落。急きょ、予定していなかった先進坑を本線トンネルに並行して掘り、工事の安全を図るという、抜本的な計画変更がなされている。  

JR東海は、大鹿村に至る残土運搬用アクセス道路のトンネルの掘削でも、2017年12月に出口付近で火薬の量を倍にし、外壁の崩落を起こしている。このように、工事を急げば同じ過ちが繰り返されるおそれがある。

伊那山地トンネル「坂島非常口」への道路

伊那山地トンネル「坂島非常口」への道路は、水害によって各所で被災した 長野県内の地上部分の本格工事も始まっていない。それに加えて、今年7月には豪雨災害が起きた。伊那山地トンネルを挟んで大鹿村の反対側の豊丘村でも、今回の豪雨で「坂島非常口」に至る林道が寸断された。この「坂島非常口」も2018年掘削開始予定だった。

「坂島非常口」のヤードは水に浸かっていた

「坂島非常口」のヤードは水に浸かっていた。2017年の掘削予定だったが、まだ始まっていない とりあえず土を寄せた個所があちこちにある道路を、のり面や路肩の崩壊を眺めつつ「坂島非常口」の現場に行くと、道路脇の掘削予定地はやはり未着手。来年に掘削が始まったとしても、予定より3年遅れだ。ヤードの中は水浸しだった。静岡県だけでなく、どこもかしこも工事が遅れているのだ。

山梨県「早川非常口」に至る橋の手前

山梨県「早川非常口」に至る橋の手前は、昨年の台風19号で陥没 JR東海のサイトでは、ほとんどの部分の工事契約が締結されてはいる。筆者は2020年3~5月、アウトドア誌の取材(『Fielder』51、52号)でリニアの沿線を自転車と徒歩で全線トレースしている。8割以上が地下部分の工事なので、地上から見える部分は限られるが、実際には「順調」とは言えない状況だった。  

山梨県側は、2016年10月26日に南アルプストンネルの「早川非常口」の工事が着手され、2017年6月に8か月で斜坑の掘削を終えている(日進62.5m)。いちばん捗っているはずの「早川非常口」の現場に今年3月に行ってみると、坑口に通じる橋が2019年の台風で通行止めになっていた。渇水期を待って改修をするというが、その間にこの豪雨災害が起きている。

残土置き場が決まらず、地権者との交渉も進まず

山梨県内でも残土全量の処分場は未定

早川町内ではビルのような残土置き場が各所に現れている。山梨県内でも残土全量の処分場は未定 地上部分の工事では、静岡県に限らず、長野県南木曽町や阿智村のように「残土やアクセス道路、水源問題などが先に片づかなければトンネル掘削は認めない」という自治体もある。長野県内で排出される970万㎥の残土のうち、残土置き場が決まったのは現時点で50万㎥にも満たない。   

地権者交渉も難航している。神奈川県、山梨県では住民によるリニア工事反対のトラスト運動が続く。神奈川県駅~相模川間の区分地上権の地権者は850軒あるが、団結して弁護士を立てている地域もあり、交渉がすんなりといく見込みはない。  

山梨県では、JRの工事についての説明を拒否している自治会や、工事差し止めを求めて裁判を起こした地権者もある。長野県駅周辺や本線の予定地でも、話し合いに応じない意思を示す地権者もいる。  こういった問題は、最終段階でJRが強制収用の意思を示してはじめて可視化する。しかし、開業時期が設定できなくなり「最終段階」が見通せなくなった。もはや、静岡県の水問題だけが解決しても、リニアはまだまだ前に進めない。 <文・写真/宗像充>

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「問題だらけのリニア工事」。静岡県側でなく、南アルプストンネル長野県側も驚愕の惨状

7月の豪雨災害で道が寸断、集落が孤立

釜沢集落に至る道路

釜沢集落に至る道路は、地割れしたアスファルトが撤去されていた。路肩を見ると、どの程度地面がずり落ちたのかがわかる 筆者はリニア南アルプストンネルの長野県側の起点、下伊那郡大鹿村に住んでいる。現在、静岡県側での工事開始をめぐって、静岡県知事とJR東海が対立している。そこで指摘されている「工事現場の危険性」や「工事の遅れ」は、長野県側でも進行している。  

今年7月に入ってからの豪雨で、大鹿村内で“最奥”に当たる釜沢集落は、集落に続く道路で地滑りが起きた。そのため7月17日まで9世帯15人に避難勧告が出て、住民は4日間孤立した。この集落の下方に南アルプストンネルの掘削起点が2か所あり、そこに至る道路も不通になった。

道路は地割れで損傷

道路は地割れで損傷。左の電柱と右の電柱を比べると、傾いているのがわかる 釜沢集落への道路は17日から住民と関係車両のみ通行が可能になり、筆者は21日に自転車で現場に入った。  

地滑り個所は現在、地割れしたアスファルトを撤去し、道路をならして仮復旧している。電柱は倒れ、電気は通じているがライフラインは極めて不安定な状況だ。

釜沢地区

渓谷の狭い一本道で至った先に釜沢地区がある。南朝の宗良親王の伝説もあり、スローな生活が営まれている

リニア工事につきまとう「地滑り」のリスク

 車から自転車に乗り換えた個所から、水平方向に集落に続く道と、リニアの工事現場に下りていく道に二股に分かれている。この二つの道をまたがる地面がずり落ちた。畑で農作業中だった女性・Aさんはこう語る。

「集落の川向うの斜面も落ちて、崩壊音がすごかった。1週間集落の外には出ていないけど、いつも覚悟はできていた。米と味噌があればなんとかなる。郵便は、通行止め個所の手前に郵便配達の人が置いて行ったのを、集落の誰かが持ってきてくれた」 「孤立」とはいえ、地域での自給自足的な生活を落ち着いて続けていた。大鹿村内の集落の多くは地滑り地帯の上に発達していて、地滑りはリニア工事のリスク要因の一つだ。

「事業者は『関係車両を今日は2~3台だけ通させてくれ』と言う。これまでも、なし崩しに増えて行って結局は何往復もすることになった。こんな状況で工事を再開されても困る」(Aさん)

工事現場に至る県道の路肩は大きく崩壊していた

工事現場に至る県道の路肩は大きく崩壊していた 警戒の矛先はむしろリニア工事だ。「下の道」が通行止めのため、「関係車両」が集落内を通って現場に向かうことになった。

「下の道は県道で、行政による災害復旧では手続きの関係で復旧までに半年かかる。それだと遅れるからJRと鹿島建設で復旧するというけれど、まだ地滑りは続いている。どうなるかわからない」(同)

スケールを見ると40cmほどずり落ちていた。地面はまだ動いている

スケールを見ると40cmほどずり落ちていた。地面はまだ動いている 上下に家々が立ち並ぶ集落を下り、下の県道の通行止め箇所を見に行くと、ショベルカーでの復旧工事が続いていた。路肩が大幅に崩壊し、石垣が道路に崩れ落ちている。

非常口、変電施設、橋梁……すべてが遅れて見通し立たず

「除山非常口」の掘削現場を覆うフェンスは倒壊していた

「除山非常口」の掘削現場を覆うフェンスは倒壊していた 集落の下を流れる川の上流にある工事現場を見に行った。現場までの道路は現在、JR東海の工事専用道路になっている。そのため、山道をたどって川の対岸からトンネル掘削地を眺めた。豪雨で流されたのだろうか、工事現場のフェンスがなくなっていて現場が丸見えだった。ほかにもフェンスが倒壊した場所や、フェンス下の地面が崩落した箇所が対岸から見えた。  

被災は見たところフェンス周辺だけに見えるので、掘削工事は再開できるかもしれない。しかし、いくらJRが頑張っても地滑りを止めることはできないし、重機を自由に持ち込める状況ではない。現実は厳しい。  

大鹿村内には4か所のリニア本線トンネルに通じる斜坑掘削地があり、完成後には非常口となる。JR東海は2014年10月の認可後、2016年11月に大鹿村内で起工式を行い、今回見に行った「除山非常口」を2017年4月に、同年7月から「小渋川非常口」を掘削しはじめた。

「青木非常口」は中央構造線沿い

「青木非常口」は中央構造線沿いにあり、難工事が予想される 釜沢地区にはもう1か所「釜沢非常口」があり、こちらは2020年3月から、そして伊那山地トンネルの「青木非常口」は2020年7月17日に掘削を開始している。  

工事認可後の2014年の事業説明会では、村内非常口は2015年秋、変電施設は2016年、小渋川に架ける橋梁は2017年にそれぞれ掘削・建設を始めるとされていた。非常口については、いちばん早い「除山非常口」の工事着手も1年半遅れとなっている。未着手の変電施設や橋梁も、それぞれ4年遅れ、3年遅れとなっているうえに工事開始の見通しは立っていない。  

大鹿村の現状も、JR東海が目標としていた「2027年の開業」に間に合うものではまったくない。静岡県側の工事の遅れによってリニアの完成時期が先延ばしになるといった報道が見られるが、長野県側でもやはり工事は遅れているのだ。

「小渋川非常口」の対岸に予定された残土置き場

「小渋川非常口」の対岸に予定された残土置き場予定地は、今回の豪雨で完全に水没 遅れの理由はいろいろある。例えば、路線の維持管理の経験はあっても、建設工事の経験のないJR東海は、地元との調整や手続きにもたついた。もともとJRとしては、起工式が行われた「小渋川非常口」からの工事開始を予定していた。しかし、住民が掘削予定地の保安林解除に異議を申請して、2年近くの遅れが出た。  

2015年秋着工の予定だった「釜沢非常口」も、現場に至る橋梁の建設に手続き上の時間がかかったうえ、保安林解除の地権者交渉でつまずいた。ヤードの規模を縮小して、5年遅れで2020年3月にやっと着手できた。

住民の理解得られず、未解決の残土処分

釜沢地区の残土仮置き場

釜沢地区の残土仮置き場はすでに満杯。先の豪雨では、後背の斜面が轟音を立てて崩落したという 大鹿村内だけで300万㎥(東京ドーム2.4個分)とも言われる大量の残土処理も、遅れの大きな原因だ。村内の残土置き場はどこも10万㎥以下の小さなもので、平地が少ないのでその数も限られている。  

当初、村外の残土置き場は谷を埋めて造成する予定だったが、下流住民の反対でとん挫したり、地元住民との調整に手間取ったりしている。長野県南部の伊那谷では、1961年(昭和36年)の「三六災害」で各地が被災し、その経験が共有されていたのだ。

「三六災害」とは、死者行方不明者136名、浸水家屋1万8000戸以上、土砂崩れ約1万箇所という、伊那谷を襲った豪雨による大災害だ。大鹿村内での今回の降雨量は、この「三六災害」を上回った。残土置き場造成への住民の反発は、大きくなることはあっても小さくなることはないだろう。  

実際に「青木非常口」は5年遅れで着手したが、隣接する村の残土置き場をリニア工事に使用するため、大鹿村内の別の場所にその残土を移すという迂遠な作業をしていた。釜沢地区では残土を農地に仮置きしたが、その場所はすでに満杯になっている。

長野県が飯田市への残土搬出のために建設した道路

長野県が飯田市への残土搬出のために建設した道路は、濁流に流された。その復旧工事も、その後の雨でさらに流された 残土の処分場が決まらないので、予定地に仮置きした残土を片づけられずに変電施設も建設できない。また、飯田市に建設予定のリニア「長野県駅」で立ち退く住民の引っ越し先造成のために、大鹿村の残土を利用することになっていた。しかしこの残土を排出するために長野県が建設した河川敷の道路も、今年の豪雨で流出した。  

こういった豪雨は近年頻発していて、残土の問題があと5年できれいに片づくとは思えない。「被災現場の復旧と残土の処分地探しで、トンネルを掘りたくてもできない」というのが、長野県側のリニア建設工事の実情だ。

2020.08.07

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崩落だらけの大井川最上流のリニア工事現場。「建設工事」どころか「復旧工事」の有様

昨年の台風19号の豪雨が、建設現場を押し流した

西俣建設予定地に至る林道

西俣建設予定地に至る林道は、2か所で崩落川勝平太・静岡県知事は6月11日、大井川源流域のリニア中央新幹線建設予定地を現地視察。リニアの建設を急ぐJR東海の金子慎社長は、掘削予定地周辺の整地・伐採など、「6月中に準備の了解が得られないと、2027年の開業は難しくなる」と述べ、現地で難色を示していた。  

その後も川勝知事は首を縦に振らず、金子社長は記者会見で2027年開業が困難であることを表明している。  

知事訪問時の6月11日は大雨で、川勝知事は静岡県側に3か所ある工事予定地の中では、いちばん手前にあたる「椹島(さわらじま)」を視察。残土置き場予定地の「燕沢(つばくろさわ)」で引き返した。しかし実は、その先にもリニア工事の建設予定地があるのだ。筆者はそれに先立つ2週間前の5月末、山越をえして最上流の西俣工事予定地を見てきた。

ちょうど1年前の現場

1年前の西俣非常口建設予定地。整地は終了していた

同じ場所から1年後

同じく西俣非常口建設予定地の1年後(今年5月末)の姿。ごっそりと地面が流出している 1年前にも筆者は同じ場所を訪問していたが、前にはあった入口ゲートは消えていた。そこから先の地面がごっそりとなくなっている。昨年10月に上陸した台風19号の豪雨が押し流したのだ。資材置き場だった個所のすぐ下まで河原になり、岩の上に鉄板が不安定に取り残されていた。

電柱が横倒し

河原を見ると、電柱が横倒しになり資材が散乱していた リニア工事のために建てた電柱に1年前は電線が渡してあったはずが、今回は見当たらない。「おかしいな」と思ってゲート(があった場所)付近から河原を見下ろすと、電柱が横倒しになっていた。  

ここには最上流の登山基地の「二軒小屋」から徒歩でちょうど1時間かかる。二軒小屋から予定地までの林道は2か所で大規模な崩落が見られ、それぞれ補修作業が行われていた。始まっていたのは建設工事ではなく復旧工事だった。

リニアの工事現場は崩壊地だらけ

ここから先へは徒歩でないと入れない

土砂が完全に道をふさぎ、ここから先へは徒歩でないと入れない。ショベルカー1台がのんびり復旧作業を続けていた 6月11日に現地を訪問した川勝知事は「ここに救急車が入ってこられると思いますか」と作業員の安全性を強調した。二番目の土砂崩れ個所で道は埋められてショベルカーとダンプカーで除去作業をしていたので、実際にはそこから先は救急車どころかクルマは入れない。道のあちこちに大きな石が落ちていて、晴れていてもいつ土砂崩れが起きるかとヒヤヒヤする。

搬出用のトンネル掘削口

搬出用のトンネル掘削口の手前まで、川が土砂を押し流した JR側もこの現場に至るまでの林道の危険性は認識していて、リニアの本線トンネルに至るトンネルのほかに、土砂運搬用のトンネルをここから掘る予定で、昨年はその個所に立て看板が立っていた。その看板の手前5m付近まで河原が広がっている。  

二軒小屋までは山梨県側の早川町新倉から、南アルプスの一画である白根南嶺の伝付峠を越えて、登山者の足では8時間かかった。この登山道は毎年崩壊していて、不安定な岩稜の上にロープが渡されている。通過時は「こんなところに道を作るのか」と足がすくんだ。  

南アルプストンネルは、山梨県側の糸魚川―静岡構造線と長野県側の中央構造線という、日本を代表する2つの大断層間の25kmを結んで山脈をくりぬく。プレートが削り取った、鉋屑の集合体のような地質となっている。静岡県知事の視察でも崩壊地を指摘していたように、地質は脆弱で一帯は崩壊地の展示場のようだ。西俣の工事現場予定地の上部にも崩壊地が望める。

昨年の復旧工事が、今年7月の豪雨で無駄になってしまった!?

取り残された重機は赤さびていた

取り残された重機は赤さびていた 仮にリニアが開業されたなら、ここは南アルプストンネル内でトラブルが起きたときの避難場所となる。昨年の台風19号では二軒小屋から下流の林道も3か所で崩落している。標高差もあるので、トンネル出口まで1時間かかったとして、ここに出てきたとしても現場が現在のような状況では、1000人近くの乗客は途方に暮れるだろう。  

この先にはダムがあり、かつては林道が伸びていた。今は、ガードレールがわずかに残るだけで跡形もない。豪雨災害による地形の改変は、この地域では日常のことなのだ。工事予定地の奥には、掘削を待つばかりだった重機がそのまま取り残され、キャタピラが赤さびていた。  

知事の訪問の2日後の13日、国土交通省の水嶋智鉄道局長も現地を視察。記者会見で「観念的、抽象的な言葉のやりとりに陥ることないように」と、両者が議論を進めるよう注文した。

コンクリートも押し流す

増水した水流の力は強く、コンクリートも押し流す その後に起きたのが今年7月の豪雨災害だ。川勝知事は7月21日に再び現地に至る林道を視察。被災状況を確認し、中断している工事の再開について「机上の空論だ」と主張した。昨年の災害の復旧工事は、半年後の災害で無駄に終わってしまったのだ。  

川勝知事の一連の発言は、現地を見た人間の目から見て控えめだった。「2027年の開業は難しい」(JR東海)どころか、どれだけ期間が延びてどれだけ費用がかさむのかは測り知れない、難工事だらけのリニア中央新幹線。作業員や工事の安全を考えるべきなのは、本来なら静岡県知事ではなく、工事を進める国やJR東海のほうだ。

<文・写真/宗像充>

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