拝啓 信濃毎日「ともにあたらしく」取材班様

ご担当者様

大鹿村に在住の宗像と申します。
共同親権訴訟の原告として、信濃毎日に度々紹介していただきました。ありがとうございました。

1月30日号の冒頭にジェンダーを地域から考えるテーマでの特集が組まれ、意見募集があったため、感想と意見をお送りします。

ぼくたちは、共同親権訴訟に取り組み、先日1月22日に最高裁から門前払いの決定を受け、信濃毎日からも取材を受けました。東京の記者さんには、「親権問題はジェンダーの問題」と説明しておきました。

今回の企画では結婚で改姓した女性が94.5%で、改姓を余儀なくされた女性について、ジェンダー問題の典型的な事例として取り上げられています。
姓の問題はもっぱら女性のジェンダーの問題として取り上げられ、大方ジェンダー問題に取り組む人も女性が多いのですが、親権についても、司法で94%の割合で女性が親権者に指定されます。

結婚は、入り口と出口で性役割を規定しますが、ジェンダーの問題に熱心な方ほど、共同親権を敵視してきました。
信毎でも共同親権に反対の論説を5回も出したため、昨年原告男女で抗議に伺いました。

憲法に訴えた訴訟で下級審は、非婚の親の「差別的取り扱いは合理的」と言及していました。この問題では憲法学者の木村草太などが、司法で会えない割合は1.7%と会えない親が問題であるかのように述べていますが、面会交流の申立件数のうち取り決めできる割合は司法統計では5割なため、ウソであると同時に、司法もこれが制度や政策上の差別であることを認めています。

DVを理由にこの問題に反対してきた信濃毎日の記事について、それが母性神話であることを論説主幹には説明しておきました。DVの被害割合は別居親、同居親ともに7割で変わりません。

前置きが長くなりましたが、記事を読んでの感想は、両論併記で親権問題について一方では人権問題、一方では共同親権は危険な制度、と読者を明らかに惑わせる記事を量産してきたのですから、きちんとジェンダーの視点から実子誘拐や親権問題について説明をする責任があるのではないかというものです。

女性が名前を奪われ人格を損なわれたと感じるなら、男性もまた(女性も)、子を奪われ親としての人格を奪われたと感じるというのは、別姓の問題を深刻に感じれば当然だと思いますが、男性が子を奪われるにおいては「女性が子を見ているんだから」という、無責任な主張が、別姓運動の方から散見されます。

夫が妻を殴れば暴行罪です。当然ながら母親が子を連れ去っても誘拐罪です。そう考えられないのは家制度が思考に浸透しているからです。

記事では家制度は廃止されたとありますが、廃止されたのは戸主制と家督相続で、夫婦と未婚の子をベースとする戸籍制度が家制度として存続し、したがって、家制度に基づいた同氏の法律婚を優先するため、婚姻外の単独親権制度への批判は戦後の民法改正議論の中で重視されませんでした。

寅に翼の主人公はじめ、女性たちが求めてきたのが共同親権ですが、親権取得の割合が逆転すれば共同親権に反対するなど、ジェンダーを都合よく利用していると言われても仕方がないと思います。

上記は、この間の親権と同姓婚に関する議論から必然的に今後議論が生じるものですが、家制度は世襲制度のために必要とされるわけですから、そこに切り込まない選択的夫婦別姓にみなさん共感を得にくいのは一定理解できることです。

ぼく自身も子どもに会えない問題を17年取り組んできて、単独親権制度は男性の養育障壁なのに、女性たちは養育の機会均等に道を開く共同親権に反対して、職場で平等なポジションを得るなど、実際問題男女ともに難しい、と何度も指摘してきました。

信濃毎日の妨害活動のおかげで、ぼくたちの訴訟は敗訴に終わり、成人した自分の子どもとも再開できる見込みが立ちません。これらは家制度の意識が深く作用した結果だと思いますが、ジェンダーに取り組む方々も結局家制度に根付いた母性神話の枠組みの中での男女平等しか考えられないんだなというのが、信濃毎日の記事を見ての感想です。

親権問題と別姓問題について、家制度の観点からきちんと取り上げる記事を作って問題提起をし、混乱させた読者に責任を果たすのは信濃毎日の仕事だと思います。いつでも取材に応じます。

以上感想でした。

発言しながら暮らすという選択~子どもと会えなくなってから

 2025年1月22日、単独親権制度の違憲・違法性を訴えて国を訴えた立法不作為の上告を最高裁が棄却して5年間にわたる訴訟が終結した。

 子どもに会えないのは個人の問題ではなく、社会や制度の問題だと訴えてきた。裁判では負けたものの、非婚(未婚や離婚)の親の「差別的取り扱いは合理的」という下級審の文言を引き出した。それを最高裁が追認したことで司法は自ら墓穴を掘り、ぼくたちのやってきたことは逆に正当性を得た。子どもに会えない程度の被害はたいしたことではないので、その程度の差別は無視してよい、という司法の思い上がりがぼくたち原告やその仲間の考えとは違う。

 2008年に国立市議会への陳情で始まった親子引き離し解消の市民運動は多く、単独親権制度という現行制度の改廃を目指す立法運動として収斂してきた。昨2024年に民法は改正されたものの、ぼくたちは改正民法の単独親権部分の撤廃を引き続き司法で訴え続け、裁判で負けてもそれは変わらない。

 ところでぼくは、当事者の法改正の活動に市民運動としての手法を意識して持ち込んだ。しかしその間、運動が高揚しかけるとそれが市民運動としての形をとっていること自体を嫌って当事者から批判されることが度々あった。悪いけどあまり耳を貸さない。

 運動というのは他者への働きかけによって特定の目的を達成することだ。そのために多くの人の理解を得て大衆の支持を得るという手法をとれば、大衆運動や市民運動と呼ばれる。そんな経験のない人にとって見れば、政治は政治家がやるものなので、そんな徒党を組んでする行為自体、卑怯で過激に映ることはあるかもしれない。

 しかしそうしている人も好き好んでやってるとは限らない。金も権力もない人間は、時間と労力とときに知恵を使って自分の発言を確保し続ける。しかし自分が信じてきた政治権力から裏切られて社会から白眼視される存在になったとき、いままで「サヨク」「共産党」と呼んで遠ざけ、時に罵倒してきた連中と同じことを自分がするのか、と躊躇する気持ちはわかる。

 「住民運動は行政との信頼関係が壊れたときに起きる」という言葉を聞いたことがある。

 でも多くの市民運動に携わった経験のある者にとっては、国をはじめとした権力機構への不信は前提だ。言わなければ賛成したことに数えられてしまう。当たり前だけど、権力はその手段を進んで提供してくれないし、マスコミは話題性のないものに目を向けない。したがって発言する手段は自分で確保するしかない。ぼくがそのために選んだのが国をお白須に引っ張り出す法廷という場だったいうだけで、それが市民運動であること自体は変わらない。

 今の世の中は平和だ。日本国憲法があるおかげで、国や為政者と違うことを言ったからといって、戦前のように拷問で殺されたりしない。しかし周囲の雰囲気に忖度して発言をやめたり、発言したことで孤立したりいじめられたりして死ぬことは昔と同じようにある。それでも発言するということは、自分が見知った範囲の世間ではなく、社会という水面に向けて石を投げることにほかならない。そこではじめてその人は社会的存在となり、波風を立ててでも争点を立てようとする意志が政治と呼ばれる。政治は政治家ではなく本来そこらへんにいる人が行うものなのだ。

 子どもに会えなくなった親たちの多くが、いままで自分が培ってきた処世術が通用しないことに愕然として、権力や統治機構への疑いの目を向けることになる。周囲に合わせて多少の理不尽でも上の人の言うことを聞いていれば波風立たず平凡に暮らせたのに、理不尽に対し声をあげなければ自分のアイデンティティの重要な要素である子どもを永遠に奪われる。おまけに落伍者のレッテルを貼られかねない。そして相手も社会も責められなければ、自分を責めてときには自殺したりする。

 それで徒党を組んで発言したからといって、社会がすぐに目を向けてくれるとも限らない。だけど言わないから、聞いてくれなかったらどうしようと思い迷うのだろう。誰かが、それを言っているのは誰だろうと気にしだしたときに、実名や顔出しすれば、こそこそするようなことはしていない、とそれだけで強いメッセージで伝えることができるし、メッセージを直接受けとめることもできる。誰にでも後ろ指さされるようなことはあるだろうけど、批判を恐れてする発言に共感できる人の範囲も限られている。それでもそこで得た経験や仲間の存在は財産になる。やった人でしか見えない世界だ。

 市民運動なんて勝てることのほうが少ない。なので国賠訴訟は結果が出るまで希望はあったけど、負けたからといって絶望したりもしない。「お上にたてつく」という言葉がある中で、いいことやってると思った時点で国に揚げ足を取られるだろう。趣味で上等だと思う。仕事は金のためにやるものだけど、趣味に命や財産をかける人は少なくないだろう。子どもや家族のため、が趣味であるとするならば、子育てや家族を持つことは、義務から権利に変わるだろう。

 ずいぶん勝手なことを言っているとは自覚している。ぼくは言いたいことを言ってるだけだから。

 

 

 

 

 

 

 

年をとっても変わらない

 国立の大貫さんから冊子が届いた。郵便の包装をとると「並木道」の懐かしい表紙が出てきた。大貫淑子さんは国立市でいっしょに「並木道」というミニコミを作っていた仲間だ。月間で150号まで出して休刊した。

半年くらい前、反原発運動について並木道に書いたのをまとめて本にするから、表紙書いた別の仲間に連絡とりたいと電話してきた。

 以前大貫さんが出した本が『マイ ファースト』という驚きのタイトルだったので、今度は『マイ ファースト2』かと思ったら、昔の「並木道」の表紙をそのまま使っていた。

お礼の電話が来て「もう本出すのこれで最後だと思う」というので、「そんなことないと思いますよ」と口から出る。

「それで大貫さん、何歳になったんですか」

「93よぉ」

「あと30年くらい死なないと思いますよ」とは言わない。

 どんないやなやつでも一つくらいは見習うところがある、と思ってはいる。だけど、年寄りだから敬わないといけない、とは思っていない。そのせいか、90を過ぎた友人が何人かいる。他人の善意に甘える人間には子どもでも露骨に不機嫌になる。そのわりには犬と子どもには懐かれることが多い。

 一昨年父親がガンの手術をして、昨年になって転移しているのがわかった。抗がん剤治療をするという深刻そうな電話を母がしてきた。80も半ばだし、進行もそんなに早いわけでもないだろうから、医者の言う通りにする必要もあるのかと思うけど、「しなきゃ死んでしまうからなあ」という母の言葉に「よう生きたと思うで」と電話口で答える。

 母によれば、7つ違いの姉が転職を機に11月に帰省して父といっしょに病院に出かけ、「どうなるかわかんないってことだから、くよくよしても仕方ないってことですよね」と聞いた。「しっかりした娘さんで」と医者は言いつつ、抗がん剤治療のレベルを下げたという。「薄情者」という批判を何となく感じるので、時間ができて帰省したところ、久しぶりに帰るんやないか」と母が言う。7月に帰ったばかりだというのに。

 実家の近くには宗像さんが数軒ある。言い伝えだと秀吉の時期に改易された豊後の守護・大友家の家臣だったようで、大友家のお姫様と伝わる墓もある。九州では2番目に大きい大野川を望む段丘の上にある。父が若いころに移住してきたときには、畑はあっても水の便も悪い場所に9戸の農家があった。

いろいろと気になる石塔があるので、2年前に帰ったときに、近所の宗像さんに「おいちゃんおるな」と謂われを聞きに行った。父より少し上で、うちの3人姉弟とそこの3人兄妹は性別が入れ違いでだいたい年が似通っていた。

 何年か前に、おいちゃんたち夫婦が近くの道を歩いているのを二階から眺めて驚いたことがある。おばちゃんの後に腰の曲がったおいちゃんが歩いていたのが、ずいぶん前に死んだその家のじいちゃんにそっくりだったのだ。

 話を聞きに行くのもはじめての気がしない。というのも、中学生のときの夏休みの自由研究で、宗像の家の歴史について調べにじいちゃんに話を聞きに来たことがあったからだ。そのときもおばちゃんが隣で聞いていた。

 うちには家系図がある。田心姫命から書き出すこの系図は、明治になって「流れた」と父は聞いている。おいちゃんに見せると「見るのははじめてじゃ」と言って、「戸次(へつぎ、大分市)の質屋に預けていたときに、洪水で流された」という。

あちこち訪ね歩いて再現されたこの系図には、先祖が移り住んだこの上津尾部落のことを「高津尾城」と記載してある。「お姫様がいたからじゃないか」とおいちゃんは言う。父の実家はここから少し下った丘の中腹の堀川という地区にある。前に川が流れこれを掘に見立てれば、ここは攻めるに難しい城に確かに見える。

 この話を聞いてすぐ後、おいちゃんは亡くなった。もっと聞いておけばと思ったけど、最後に聞いておいてよかったなとも思う。

 抗がん剤治療やらでしばらく元気がなかったという父は、「動けんごとなる」と毎日1時間ほど車を運転して、実家近くの神社や寺を見に行くのを日課にしていた。様子見舞いは、父の神社見学への同行だった。

 手術のときに帰省したときに「中古車と同じやからあちこち故障もするわ」というと、父は「中古車どころかポンコツよ」と言っていた。

今回は「最近なちょっとは食欲湧いちきた」という。一時、相当気が滅入って母を煩わせたようだ。

「人間そんなに簡単には死なんよ」

登山なんかやっていると、山で死ぬ友達も少なからずいたので、遺族の無念さに度々接する機会がある。かといって、「やめときゃよかったんだよ」とか言えるわけもない。

あっけなく死ぬやつがいると思えば、生き残りたいという思いの末に多くの人の今がある。そんなことを戦争で父を亡くして母とも別れた父に説明したところで、とも思う。

ちょうど紅葉の時期で、寺や神社の紅葉の名所を父はよく知っている。その土地の歴史を知るには神社を訪ねるしかない。数をこなして父なりに傾向を見て、土地や人の由来を考えるのが好きらしい。

「死んだら南アルプスに散骨しちくれぃ」

 と父は言うのだけど、ほかの家族は山なんか登らないので、ぼくしかできない。

 鉄道の用地買収であぶく銭が手に入って調子に乗ったのか、家系図を質屋に入れるくらいだから、何代か前には本家が凋落した時期があった。分家の父の家も困窮したらしい。農地改革前に土地をずいぶん手放している。

「それでよかったんよ。ほかんところはみな人が減っちょるに、ここだけ家は増えたんやから」

ぼくが言えば、父も笑っている。

だいたい帰省で話し相手になるのは母のほうだ。

「おかあさんな、ゆうちゃったんや」という枕言葉がことのほか多い。最近気づいたけど、どうも威張る人間に何か言わないでは気がすまないらしい。

「パチンコするけんな、帳簿を見せろとかいうてん見せん。どーくっちょる(ふざけてる)。みんなの見本にならにゃいけんにぃ」

隣近所の世間話をひとしきり聞いて帰るのだけど、今回もお寺が話題だった。その末に檀家を抜けたらしい。だから南アルプスに散骨しろとか言うのか。

帰宅してしばらくしたら母から電話がかかってきた。

「この間お父さんと病院行ったら、みんな娘さんが付き添いよ。お父さんな私が付いて行って幸せやなあと思うてな」

 ちょっとしんみりした調子だ。

「それ自分で言いよるんな。だいたい娘がついていった方が幸せんようにあるけんどな」

 一言言わないではいられない息子が、大鹿村に一人いる。

(20245.1.20「越路」43号、たらたらと読み切り183)

学校と共同親権~学校アンケートの公表から

子育て改革のための共同親権プロジェクトが記者会見

 12月16日、子育て改革のための共同親権プロジェクトが7月に行なった「学校における別居・離婚後の父母対応の実態および共同親権制度への移行に伴う要望調査」の結果を衆議院第二議員会館にて記者発表した。

 この会見で質問したフリーランスのライターとして、また共同親権運動にかかわってきた者として、今年5月に改正され、2年後の2026年から施行される民法の婚姻外の共同親権規定について学校がどのように準備するかについて、ここで考えたことを触れたい。

 ぼくは現在婚姻中のみしか共同親権を許さず、婚姻外は単独親権を強制する民法規定の違憲性を唱えて国を訴え、立法不作為の国賠訴訟を2019年に提起している。「子育て改革のための共同親権プロジェクト」(以下「プロジェクト」)は同時期に市民運動として立ち上げ、ぼくも呼びかけ人に名を連ねている。

とはいっても、今回のプロジェクトの学校アンケートについてはカンパはしたけど、結果が出るまで直接かかわっていない。呼ばれていないのでまあちょっと寂しいよね、とは思うけど、誰かやってくれるんならそれでいいんじゃないとも思う。

プロジェクトはこの日、文部科学省と子ども家庭庁に3745筆の賛同署名とともに要望書を提出し、アンケート結果の結果を記者発表している。

「親として耐え難い」

アンケート結果から伺えるのは学校機関が根拠もなくいわゆる「別居親」を学校から追い払っている現状だ。

発言した田中さんは「普通のサラリーマン」の父親で娘たちと30分しか会えていないという。校長に連絡すると110番通報され、後の妻からの虚偽のDV保護命令の通報がなされていたことがわかった。

同じく石原さんは14歳と7歳の子の母親だ。協議離婚した末に長男を連れ去られ、その途端に小学校から連絡が来なくなり、以来学校関係者からは無視されている。「親としてつらく耐え難い」と言葉にしていた。

現在子どもたちと会えないぼく自身も、似た経験がある。「会わせる」という合意書があったにもかかわらず子どもと引き離されて、学校行事で子どもたちと度々会ってきた。しかし学校側の対応は校長の考え一つで友好的になったり排除的になったりする。背景に母親やその弁護士の学校への排除の要請を学校側が真に受けてしまったことがある。

「父母」が子育ての主体

これに対しプロジェクトは婚姻状態によらず、父母が子育ての主体であることを教育機関に周知することを国に求めた。

具体的には、親権者と非親権者の違いである「子の重要事項に関する意思決定権限」となる進学や転校について、入学願書に2名の親権者欄を設け、両親権者の同意を必須とすること、学齢簿の保護者欄を2枠以上設定し、親権を有しない実父母の情報も保護者登録票、家庭状況調査票に記載することを必須とすること、がその中身になる。

これを見てぼくは質問してみた。

「学校は行政機関でもあり、行政機関は(法に定めのない)不必要な個人情報の入手はできないことになっている。いわゆる『隠し子』の場合などのように、現在の状況で父母両方を申告しなくても誰も困っていない場合においてはどうするのか」

 これに対してプロジェクト代表の松村直人さんは「趣旨は父母対等ということです」と発言しており、質問の意図とはずれる回答だったけれど、困らせるのが目的ではない。

保護者とは誰か?

 学校教育法においては保護者は親権者となっている。

しかしそれは保護者の権限を定めたものではなく義務を定めた中においてであり、保護者規定のあるほかの法規も同様だ。学校は子どものいる世帯主に就学通知を出し回答のあった者を保護者としているだけであり、それが実父母であるかどうかなど誰も把握していないし、把握する必要もなかった。

では保護者欄に記載のなかった親が現れ、実際戸籍等を持ち出して実父母であることが分かり、かつ親権者でなかった場合、学校はそれを「保護者ではない」と言えるだろうか。実際事実婚で子どもを育て、親権者でなくとも保護者である親はいる。

つまるところ保護者とは自己申告制である。プロジェクトの要請の趣旨は、保護者は父母でなければならない、ということではないとは思うけど、そこで自らは申告を望まない実父母の情報を必須事項とする根拠は何だろう。

松村さんのいう「父母対等」というのは、要するに父母がもめた場合において、学校の一存や一方の主張だけ聞いて一方を追い払うことはできない、ということだろうと思う。

実際問題別に離婚してなくても、父母間のもめごとを学校に持ち込まれれば「それは夫婦の問題なのでよく話し合ってください」と学校は多くの場合言うだろうし、離婚した場合においても本来は同様だ。そうしないともめごとに巻き込まれる。

共同親権への民法移行後も学校は基本的にはこれを徹底することになる。必要な場合に、共同監護の取り決めや司法決定、さらには保護命令などの規制の有無も把握する。話し合えなければ双方関与しないという合意になり、学校は2つの家に対応することになる。子どもにとって離婚は家が2つになることだ。

学校や園はこれら民法上の取り決めの範囲においていつ休ませるか、誰が送迎するか、学校情報は誰に届けるか等々、子どもや父母に対応することになる。しかし不必要な個人情報の入手は逆に学校が双方の関係に口を出し、巻き込まれることにもつながりかねない。

教育は誰のもの?

こういった問いはいったい教育とは誰が本来責任を持つべきものなのか、という問いにつながる。親は自身が望む教育を子どもに授けたいと願うので、私立学校や民族学校、さらには塾などが存在する。しかし学校の先生が「うちはこういう教育をしたいので」と逐一親に口を出さされれば「じゃあ自分で教えて下さい」となるだろう。それもいいけど、多くの人は結果公立学校に通わせる。

しかし学校は国家や地域が求める人材を育てる場でもある。この傾向が強まりすぎれば不登校などの問題が生じる。本来教育は子ども中心のものなのだ。

したがって学校や保護者が協議会を作って話し合いの中で問題を解決したほうがうまくいく、といって学校協議会などが作られてきた。子どもにとって地域も含め多くの大人が教育にかかわったほうがよい、ということにもなり、であれば保護者を父母に限定することは本来する必要のないことかもしれない。

問題は親権差別

では何が問題なのだろう。

親権がないとはいえ、父母であることがはっきりしているのに、行政機関の担当者(校長や担任)の判断一つで自ら関与を望む父母を、地域の人以上に排除できるだろうか、ということではないか。父母対等はもちろん理念としてはあり、しかし権限の差は双方の取り決めや国の関与で設けられる場合がある。しかし、他人以下に親を扱い、親としての地位を損なってまで親権の有無による差別を許すことができるだろうか。

海外では親権差別禁止を法で定めることがあるという。親には自身の子の教育と養育への責任と固有の権利がある。現在共同親権訴訟で争っていることである。学校から親を締め出し、子どもの情報を与えないなどの行政措置は、人権侵害であり職権乱用行為にほかならない。(2024.12.18)

共同親権民法改正、左翼はなぜ人権を侵害したのか

 毎月上京して最高裁判所に要請に行っている。

 今年5月国会で共同親権に関する民法改正法案が成立した。この法案による変化は、これまで共同親権は婚姻中のみで、離婚や未婚という婚姻外には単独親権一択(単独親権制度)だったのが、そこに共同親権という選択肢が入ったことだ。

 一方で、養育費の徴収強化は立法化され、面会交流に関しては検討されてもこれまで通りなので、共同親権になろうがなるまいが、子どもに会えず金はとられる、という状況は変わっていないどころか、合法化された分だけ改悪している。その上、共同親権にするかどうかは司法の裁量なので、結局今子どもに会えていない親たちは会える見込みがたちはしない。子どもが成人したぼくに関してもそれは同じだ。

 子どもに関しては父母どちらかが責任者であるほうがよく、もめれば力の強いほうが弱いほうを追い出すというのが、戦前から続いた家父長制を引き継いだ民法のルールだった。現在司法では94%の割合で母親を親権者にする。

 笑っちゃうことに、そうするとフェミニストや弁護士連中は、共同親権は家父長制の復権で、バックラッシュだと言いはじめた。そうだそうだとリベラルメディアや、左派政治党派が唱和した。立憲民主党の議員に、社民党、共産党、緑の党、生活者ネット……。法案は問題点があるので(反対した)、その点について久しぶりに長野県から毎週上京して国会議員に説明に行った。れいわ新選組に至っては、ぼくがした面談の依頼をことごとく無視した。

 最高裁に通っているのは、2019年に提起した、単独親権制度の違憲性を訴えた立法不作為の国賠訴訟が最高裁に継続しているからだ。今年1月の高裁判決は一審判決を引き継いで、「婚姻外の差別的取り扱いは合理的」と単独親権制度を正当化していた。

 国立や立川あたりの市民運動も薄情に思えた。ぼくがこの問題で長年苦しんで活動してきたのを知っていたとは思う。ところが運動業界で共同親権反対の声が高まると、ぼくに「どうなってるの」と連絡してきた人は誰もいなかった。会ったところで「共同親権はDV法と言われてるぞ」とこっちの弁明を求めてくるので、うんざりした。どうせこの人たちは、見ず知らずの他人の親子の生き別れなどどうでもよくて、お前が悪いからだろ、と共同親権反対の人たちに同調しているだけだ。

 正直左翼やめたくなったけど、右翼になったら増長するだけなので、左翼の立場から左翼や市民運動を徹底して批判すること半年ほどは専念して今もしている。そのうちこの無責任な連中の、信用失墜が明らかになるだろう。

  

 その第一弾として、信濃毎日新聞に申し入れに行った。この気位ばかりが高い長野県のリベラル新聞は、東京の流行りのインテリの話は聞くけど、地元のライターで訴訟の原告の言い分など小バカにしてきた。共同親権反対の論説を全国で一番多く5回も出している。

 父母の責任はあるけど、問題があるので共同親権は慎重に、なんて、共同親権を求める連中はヤバいやつらだから、ヤバくないやつらも諦めろ、という無茶な理屈だった。問題かどうかは子どもを見ている側の感情が優先されるのだけど、その理由は母親が子どもを見ているから。正体見たり、だった。

 懇談の機会を論説の人と求めたところ、「文書にして出してくれ」という。どこの世界に商品(記事)への苦情を文書で出させる会社があるんだ、とSNSで書きまくって記者会見と社前情宣をプレスリリースしたら、論説主幹が出てきた。

 長野市までは3時間かかる。論説主幹は「共同親権の問題は毎回論説でも意見が割れる。私もなんでこれが党派的課題になるのかな、とは思いました」と口にしてたけど、じゃあ5回も反対してくれるな。

 「反対しているつもりはなくて、訴訟妨害というのはちょっと違うと思う」というので、「ぼくたち憲法に訴えてるんですよ。信毎はケンポー、ケンポー言ってんじゃないですか。読売新聞が言うのとはわけが違う」というと黙り込んでいた。

 憲法学者の木村草太に信毎は度々共同親権反対の記事を書かせていた。「母性神話でしょ」と言ったら「あ~」という顔をしていた。

「上野千鶴子とか日本の男に共同親権は百年早い、とか言ってんですよ。あんたたち悔しくないの」 

 背広姿の男3人を挑発してみた。

 「高名な社会学者」の上野千鶴子は度々、「離婚するにはそれだけの理由がある。妻を殴る蹴る、子どもを虐待する、子育てに関わらない、養育費を支払わない…日本の男に共同親権は百年早い」と書いているのだけど、離婚は男からもするのだから、そんなわけないのは少し考えればわかる。とはいっても、あんまり子育てとかかかわってこなかったからか、背広組に張り合いはない。

 この後、県庁の会見室で記者会見をした。田中康夫のおかげで、長野県庁には記者クラブはなく、誰でも会見を開くことができる。信毎との懇談の様子を記者たちと話した。このとき触れたデータは、いわゆる「別居親」のDV被害の割合は、「同居親」のDV被害の割合と変わらない7割というものだ。このデータは、司法記者クラブで記者席立ち見の中以前示したもので、その際記事にした記者は一人もいなかった。

「記者さんたちは、暴力の防止とかほんとはどうでもいいんだなとそのとき思いました」

 というと一人の記者が手を挙げて、「でも賛成反対の両論併記で記事は作っていますよね」という。

「じゃああなたがたは、DV被害者で共同親権賛成の人の意見を取り上げますか。そんな人たくさんいますよ」と投げかけた。

 あえて左翼と呼ぶけど、左翼は社会的弱者の味方だと思って女の味方をしてきた。ところが、男女が別れる際には、双方が被害感情を抱くのが普通なのに、女性の感情を優先すべきという固定観念から抜け出せない。パターンに当てはめるために被害者を加害者と呼んできた。

 東京新聞からエッセイの執筆依頼が来て2回続きものの記事を書いたのだけど、1回目が出たときに社内外で騒ぎになったようで、一週置いてやっと続編が出た。被害者だと呼んできた人たちが実は加害者でもある、という指摘に、「弱い者の味方」のつもりだった人たちが耐えられなかったのだろう。

 NHKが「寅に翼」という朝のドラマで家庭裁判所の創設をテーマにしていた。

 戦前は家父長制の単独親権制度だったので、共同親権を求めたのは主人公をはじめとした女性たちだった。ところが、共同親権の民法改正が議論されると、このドラマを引き合いに出して時代は変わっていないと憤慨する、佐高信と福島瑞穂の対談記事がネットに出ていた。

 もはや無知を丸出しにしたコントにしか思えなかった。かつての切れ味抜群の左翼のあわれな末路だった。

(2024.11.25「越路42号」たらたらと読み切り182)

山よりな暮らし

「お前ここに住むのか」

 はじめて大鹿村にやってきた父は、山に囲まれた村の風景を見ながらそうつぶやいた。8年前の2016年のことだ。いろいろあったけど何とかここで暮らしていけている。

「長野県の人は住まない」

 ここから強制執行の実力阻止をわざわざ取材しに行った千葉県の三里塚で、隣町の松川町出身の現闘の女性が、大鹿村のことをそう言っていた。隣町だというのに、峠と渓谷で隔てられた山の向こうの隠れ里は距離以上に遠い。

 長野県に来てから北アルプスの山は一度も行っていないのに、南アルプスやその周辺の山々は近いからかしょっちゅう登っている。来た最初の1、2年は生活を軌道に乗せるのに必死で、山の中なのにほとんど山には行かずに、たまに登った山で膝を痛めストックを買った。昨年末から雪の時期の山小屋での小屋番を始めて、今年の夏はほぼ毎週末山小屋の手伝いに行った。おかげで膝の故障も起きず、ストックも今年一度も使っていない。

だけどまだまだ行っていない山がたくさんある。冬は寒くて厳しいけど、山が好きな人にとっては山の麓に住むのが正解だとようやく感じられるようになった。

 住んでみると、あちこちの山間地を往来してきた林業の人たちや、山好きの人たちが毎年集まっては散っていく山小屋、村にある諏訪大社はじめ山間地の神社は広がりを持ち、歌舞伎もまた旅芸人から習ったもので、それぞれに独自のつながりはあることがわかる。

「どうやって暮らしてるんだろう」というのが、村を訪問した人たちの謎だけど、一見何やってるか説明できない日々の暮らしの猥雑とも言える多様さは、今時のトピックと言えるんじゃないだろうか。なんでもかんでもお金に変えられてそれで価値が測られる都市生活とは、まるで霞を食べても生きていけるかのような暮らしぶりの中身は、住んでみてはじめて見えてくる。そんなわけで、山好きの移住者の暮らしぶりを「山よりな暮らし」というタイトルで登山の雑誌に売ってみたけど、買い手がつかなかった。山やの望む山暮らしは安曇野近辺止まりらしい。「耳寄りな話」のはずなのに。

 北条時行の供養塔を2年前に見つけ出して、今年の7月から少年ジャンプの連載漫画『逃げ上手の若君』がアニメ放映されたのに便乗して、伝承地の取材でこの辺をあちこち行った。北条時行は、北条宗家の得宗家最後の当主、北条高時の遺児で、大鹿村の桶谷も伝承地の一つ。供養塔もここにしかない。

 秋葉街道沿いに諏訪近辺まで散在する時行の潜伏場所をつなぐと、それぞれの場所が軍事上の拠点であるとともに交通の要衝であり、同時にそれぞれの拠点どうしが山間地の尾根道や往還道でつながっているのがわかる。地の利がある人間にとっては自由回廊だけど、そうじゃない人にとっては鬼か盗賊の棲む魔境に見えるだろう。

 大分県の主要河川の大野川中流域の犬飼町出身の父は、「弱えやつらが行くところ」と、平地で土地を持てない次男三男や何等かの事情があって隠れ住み、山間地を新天地とした人々のことをそう評した。大鹿村に住んでみてどの人がどこから来たか聞いてみると、島流しか落ち武者、それにゲリラしかここにはいないことがわかる。もっぱら山間地の小さな小学校に好んで赴任していた父や、今さらここでの暮らしが気に入っているその息子もその一画を占めている。

 一昨年は村の駐在の交通違反への取り締まりが厳しかったのか、シートベルトをしてなくてチケットを切られた人が大勢出た。村の人が連れ立って、1時間もかけて飯田署まで抗議に出かけたというのが村の話題になっていた。そんな恥ずかしいことしないでほしいと思うけど、それが当然とも思える中央権力との距離感は理解できる。

「そもそも宗良親王や北条時行と言ったって、今みたいに顔写真があるわけでもなし、どうやってそれが本人だってわかるんだ」

 御所平という地名の残る、入笠山の牧場で歴史を調べていた方は、そんなもっともな疑問を口にした。それが本人であるかどうかはそんなに本質だったのだろうか。

亡命政府から派遣され、あるいは都を追われたプリンスは、山間地で毎年毎年変わり映えのしない暮らしを送っている人たちにとっては、危険な劇薬かもしれないし、自分たちの境遇を変えてくれる宝くじかもしれない。

 そんな彼らの鬱積した思いに逃げ道を与えてくれる思想もまた同時にやってくる。「農村から都市を包囲する」戦略で中国革命は勝利に至り、伊那谷に広がった国学思想は水戸の志士たちが通過するのを容易にし、遠山は自由民権運動の激化事件の舞台の一つになった。熊本県の秘境の宿屋に泊まったときには「うちのばあ様も西郷軍が来たときには炊き出しに行った」と思い出話を聞かされた。命懸けで西郷軍を支えた民衆の権利意識を目覚めさせたものとして、延岡の郷土史家たちは西南戦争を捉えている。

 平和な時代なら「お上に弓を引く」という恐れ多い行為は、単なる鬱憤晴らしではなく理があるものとしての抵抗へと変換される。乱世と思想とそして細々ながら綿々と受け継がれてきた経験が、山間地の人々に勇気を与えることだろう。

 「失われゆく山の民俗」とか本の帯につけると興味を引きやすい。背景には進歩的な歴史観では物質的な豊かさによる社会の発展は避けがたいという、ぼくも含めた多くの人々の思い込みがある。『山を忘れた日本人』という本は、グローバリゼーションの時代には資源はよそからやってくるので都市に人が集まり、鎖国が強まると資源を求めて人々は山に目を分け入るという。必要があれば人の目は山に向き、必要が経験を引き出し、経験は技術となる。

大分で出会った古代史家の藤島寛高さんは、山の民は歴史の転換点でバランスを取る動きをするという。『キングダム』という漫画が実写版でヒットして見ていたら、秦の始皇帝の嬴政が一時権力を追われた際、山の民の力を得て王位を奪回する場面が出てきた。斜陽の南朝を支えたのも楠木正成に代表される山岳ゲリラであり、その正体は日ごろは歴史の表舞台に登場しないこの辺の山村住民たちだ。武力にものを言わせた統一は水面下の人々のつながりを断ち切って人々を序列化し、危機感や正統性への渇望が、抵抗を長引かせるのではないだろうか。

 ちなみに伊那谷とも縁の深い柳田国男は、「願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」という序文から『遠野物語』をまとめている。サンカ取材の中で出会った、神楽面やサンカ研究をしている宮崎県の高見乾司さんは、柳田が晩年山人研究から稲の研究へとシフトしていったことについて、軍国主義の傾向が強くなっていく中で、「高級官僚だし、ヤバいと思って言わなくなったんじゃないかな」と指摘していた。

『遠野物語』が出た1910年は、国民統合の結果対外戦争を成功させ、次の戦争へと至る戦間期に当たっている。そこに山人論は水を差す結果にもなる。やりすぎると自分の立場もヤバくなる。逆に言えば、柳田は山村の人々の持つ潜在的なパワーに気づいた、その時点では守る側の都市住民ということになる。

リニアであれ移住であれ、どうもこの国は東京のためにできているようだ。移住の掛け声は植民地への開拓キャンペーンみたいなものだ。この国は、都市と田舎という2つの国からなる。そして3つ目に、都市にも田舎にも、アジールや解放区と呼ばれる地域がある。仮に解放区が力を持ち始めているとするならば、現行秩序の息苦しさに人々は気づきつつある結果だろう。

人が多ければ文化が生まれる。しかし人が多いだけでは生まれない文化もある。都市生活の砂上の楼閣ぶりを辺境ライフが侵食していくならば、「平地人を戦慄せしめよ」という言葉もリアリティーを持つだろう。

(越路41 たらたらと読み切り181 2024.9.26)

親子の面会交流 共同親権で解消なるか(下) 中日新聞2024.10.27

 この5月、離婚したケースだけでなく、未婚(事実婚)でも父親が認知し、父母の協議によって共同親権が認められる法改正が成立した。

 民法改正の国会審議では多数の参考人が呼ばれたものの、子に会えなくなった親の発言はなかった。ぼくたちは「別居親」と呼ばれ、日頃は人権擁護を口にする人たちや正統からも危険視されている。共同親権になれば家庭内暴力(DV)による支配が続くから、生き別れも甘受せよとでもいうのだろうか。

 現行民法のもとDVも虐待も増え続けているが、元夫婦にそれぞれアンケートした結果がある。

 2020年、認定NPO法人フローレンスら3法人などが主に女性ひとり親を対象に行なった「別居中・離婚前のひとり親家庭アンケート調査報告書」では、72%が相手からのDVを経験したと回答している。

 一方2022年に「子育て改革のための共同親権プロジェクト」(松村直人代表)が北九州市立大の濱野健教授の協力で、子どもと会えなくなった別居親の事態調査を行なった。先の調査と同じ項目で質問したところ、同じく7割が(元)配偶者から暴力を受けていたと回答した。

 その内訳は「怒鳴る、無視する、異常な束縛など精神的な暴力」65%、「身体的な暴力」17%など(複数回答)。別居親も暴力の被害があったと訴えたが、その声は無視されてきたと思う。

 離婚や別居をした後も子に会うために調停や訴訟の司法手続きを何度も使うことが「法的嫌がらせ」として批判されることがある。ぼくは事実婚で子(娘)をもうけた。面会交流が認められたが、2カ月に1度では子育てにならないと5回裁判をした。そうしないと子との関係が途絶えていただろう。

 報道でも「現行法で共同養育はできる」という主張をたびたび見かけた。そうであるならば多くの子がその機会を得られるように法的支援を与えればいいのに、と思う。別居親も人間だから心がある。ぼくたちを単独親権制度の民法を転換する運動に突き動かしたのは「このままだと子どもに一生会えなくなるかも」という恐怖心からだった。

 戦前は家父長制のもと、女性たちは親権を持てなかった。男女平等の日本国憲法の施行で父母両方に親権が認められた。離婚後の親権取得率は女性が9割に。今度は女性や子どもを守れと共同親権に移行することに反対する声が上がった。

 民法が改正されても、「子の利益」を理由に司法が親と子を分断する構造は変わらないと考える。ぼくたちが問いたかったのは、子育てにおける父母の権利や男女平等、そしてその子の父母ではなく司法が一方的に「子の利益」を反するすることは適切か、である。それは戦前から続く法律婚優位の家制度のもとで不問にされてきた数々の問いだといえよう。

 法は親権がない親の権利を事実上否定している。父としての幸福追求権や平等権を損なわれたと国と訴えた。1、2審は「婚姻外の差別的取り扱いは合理的」と述べ、最高裁に上告中だ。「子育ては権利だ」との訴えに司法が耳を傾けさえすれば、ぼくたちのようなつらい思いをする親子は減っていくだろう。

親子の面会交流 共同親権で解消なるか(上) 中日新聞2024.10.13

今年5月、民法が改正され、親権法については77年ぶりに見直しがなされた。長らく単独親権から共同親権への民法改正を求めてきた一人として複雑な気持ちで法案成立を見届けた。

 ぼくが立法不作為の国家賠償訴訟を提起してまで法改正を求めてきたのは、自分の子ども、娘に会えなくなったのがきっかけだ。しかし、今回の法改正でその道筋はいまだ見えない。

 事実婚の非婚の父として娘を育て、妻と分かれる際、一時娘を見ていたときに、妻からの人身保護法による子の引き渡し請求で司法はぼくを「拘束者」とした。2008年のことで「親権がないから」との理由だった。

 元妻の側が「会わせる」と提案して面会交流の合意書を交わし、娘を渡すと、娘は元妻の再婚相手の養子にされ、会えなくなった。

 当時、東京で子どもに会えない親たちの自助グループがあり、参加した。自分は例外ではなかった。日本は離婚に伴い親権を父母どちらか一方に定める。海外の共同親権の国では、父母が別れても双方で子育てし続けると知った。

 しかし、日本で司法に訴えても面会交流の約束を取り付けられるのは5割。それも会える保障はない。実際、ぼくは司法の決定が出るまで2年半、娘と引き離された。ぼくと娘の前に立ちはだかったのは法だった。

 裁判所ではいまも元配偶者(やその夫)がマジックミラー越しに監視する中、子と会うよう仕向けられており、ぼくも体験した。母親側の意向に背いてまで会わせる石は司法にない。娘と会う場面に元妻の再婚相手が監視をしに現れ、そのことを裁判で養育への妨害だと主張すると、司法は「親権者だから」と容認する。「会いたかったら運動をやめろ」と親権者が子を用いてする人質取引を司法はとがめることはない。

 面会交流の決定は2カ月に1度、2時間のみ。それを月に1度にするのに、さらに4度裁判をした。間に挟まれるのに疲れた娘は会いに来なくなり、ぼくは月に1度、娘が暮らす家を訪問して手紙を投函した。

 これだけ書くと「何か理由があったんでしょう」と言いたくなる人はいるだろう。理由があるのは当然で、それを何とかするのが法だ。共同親権はいまの単独親権で自分の子と会えなくなるという絶望を経験した多くの親にとっての希望だった。ぼくは仲間と法改正を拒む国を訴え、国は法制審議会を開き、ようやく民法が変わった。

 改正民法は子と離れて暮らす親が負担する養育費の徴収強化は立法化し、親子の再統合の規定は見送った。司法で情勢が親権を取る割合は94%に上る。不公正な司法慣行の立法化だ。改正民法のメッセージは「会えなくても金は払え」。露骨な性役割を前提にしたものだった。

木村草太「面会交流事件のうち却下されるのは1.7%」のインチキ

「面会交流事件で却下されるのは1.7%」?

 10月13日に東京新聞の「人生のページ」に「親子の面会交流 共同親権で解決なるか?」というエッセイを書いた。いろいろな反響が新聞社のほうに寄せられているようで、掲載後に事実確認についていくつか新聞社から問い合わせがあった。

 その中で「日本で司法に訴えても面会交流の約束を取り付けられるのは5割」と書いたところ、根拠を求められた。読者が憲法学者の木村草太は、家裁における面会交流の申し立ては1万件で会えない割合は1.4%と言っているという。

 探すと2024年5月7日の参議院法務委員会の参考人質疑で、「例えば令和2年に終結した面会交流事件は1万件ありますけれども、うち却下されたケースは1.7%にとどまるということで、面会交流の申し立てを利用していただくのがよろしいのではないか」いう発言があった(議事録文字起こしhttps://note.com/nao302198765/n/n158468981cad)。

国民民主党の河合孝典参議院議員の「会いたいのに会わせてもらえないというところをどのように見極めていくのかということですね」という問題提起に答えたものだ。木村は似たような発言を繰り返しているわけだ。

 木村は法制審議会における参考資料として最高裁判所が提出したものを典拠としているようだ(「子の監護に関する処分事件の事件動向について」https://www.moj.go.jp/content/001347793.pdf)。

この資料の3-(2)に、「子の監護に関する処分事件(面会交流)・終局区分割合(全家庭裁判所)」との折れ線グラフとその区分別件数の数字が出ており、その最新の令和2年(2020年)の数字が1.7%となっている。

 木村は面会交流を申し立てれば司法で会えるようになるのだから、現在会えていないぼくのような人間は問題があるからだという主張をSNS等で繰り返している。1.7%はその根拠で読者もそれをうのみにしたのだろう(数字は不正確だが)。

98.3%は会えているのか? 半分が諦めている

 木村があげる「却下された割合」1.7%は僅少なので、会えないのは相当問題のある人達と思うだろう。ところが、同じ統計から数字を拾えば、調停の成立率は57.8%で、審判の認容率は65.2%にとどまる。残りは調停不成立や取下げとなる。そして法制審の資料には審判の割合も出ていて、この年は9.1%となっている。

 最高裁もズルいと思うけど、審判は調停・審判の1割に満たないのに、その1割に満たない審判での却下の件数を、調停・審判合わせた総数で割ったところで低く見積もられるのは当たり前だ。この統計には調停不成立の数字も外されており、司法統計を見ると2711件ある(法制審の資料は速報値のためズレがある)。司法統計の既済の総数は調停11619件、審判1619件で13238件(法制審資料だと10776件)。司法統計による割合は20.5%。取下げは27.2%。

根拠数字のズレはあるものの、総数のうち不成立・取下げ・却下の割合を合わせれば実に49.4%が面会交流を諦めるか認められていない。

 木村が「別居親は問題がある」と言うために悪意で数字を切り取るにしても、素人をだますにしてはやりすぎだろう。

取り決め率は47.3%

総数は何年も継続しているものも含むので、その年の新受件数のうちの調停成立・認容の割合を「取り決め率」とぼくは呼んでいる。過去棚瀬孝雄弁護士が用いていたので独自のものではない。正確に言えばその年申し立てたものがその年のうちに処理されとは限らないけど、過去申し立てたものも順繰りに処理されるのでだいたいの目安になる。この数字は過去10年以上、司法統計で追い続けている。

法制審の資料で見れば、令和2年は新受は調停で12929件、審判で1939件、合わせて14868件。審判認容は804件、調停成立は6227件、合わせて7031件。

7031件/14868件=47.28%。およそ半分になる。

取り決めても3割は会えなくなる

この取り決め率を、毎年司法統計から数字を拾い出して折れ線グラフを作っている(https://k-kokubai.hp.peraichi.com/「誤解その3」)。取り決め率の推移がわかるようになっていて、件数は年々増加しているのの、この割合は約半分で一定している。

面会交流調停については、多くの場合、連れ去られて会えなくなったので申し立てるので、この割合の増加は連れ去り件数の増加と大方一致するだろう(離婚事件おける面会交流がどのように扱われているかはこの中に入っていない)。

つまり、裁判所が面会を拒否してくれるのが見えるので、連れ去り件数も増加し、被害者は他に手段がないので司法に頼って「約束を取り付けられてるのは5割。それも会える保障はない」。

言うまでもなくこれは取り決めの割合で、この中には「会わない」「手紙のやり取り」などの取り決めもある。子育て改革のための共同親権プロジェクトによれば、合意がある場合であっても、子どもとは32.7%が会えなくなっているという調査結果がある(http://cdn.joint-custody.org/files/20220808-report-lbp-summary.pdf)。

家裁が月に1回2時間、写真送付などの間接交流を多く面会交流として取り決める現状で、そうなるのは当たり前である。

この資料は司法記者クラブで記者発表したものだけど、立ち見も出た中、一社も記事にしなかった。(2024.10.18)

共同親権反対新聞、信濃毎日に行ってきた

論説の人に面談求める

 8月22日に信濃毎日新聞(信毎)の論説の方2名と総務の人と長野市の信濃毎日新聞社で面談した。いただいた名刺を見ると、論説主幹と編集局編集応答室、それに総務局次長になる。ちなみに信濃毎日新聞というのは、長野県の地方紙で毎日新聞とは関係ない。長野県で7割を超えるシェアを持っている。

 この5月の国会で共同親権に関する民法改正がされた際、成立に至るまでの間、信毎が5度にわたって共同親権反対の社説を出している。面談をお願いした理由は、憲法訴訟を進め親子分離の解消の活動を掲げるぼくたちにとって、共同親権そのものの危険性をDVを理由に煽る信毎の報道が訴訟妨害になっていたためだ。ほんと迷惑。

 信濃毎日新聞からは度々県内の国賠訴訟の原告代表としてコメントを求められてきた。だけど信毎はしつこく社説で「会わせると危険」と反対姿勢を鮮明にし、その回数は地方紙の中でも際立っていた。挑発行為で毎回頭に来ていた。

しかし仮にも「護憲」を掲げる新聞なので、話せばわかると思って、事前に知り合いの記者を通じて論説との面談を求める打診をすると予告をしてきた。

文書でよこせ

 とはいえ表玄関の反応を確かめるため、盆前に代表番号に電話すると読者応答室に回された。経緯や事前に打診もしているという点を担当者に伝えるとしばらくして、「論説ではそういうことはしていないので文書で提出してくれれば参考にする」と回答があった。

 苦情を言っているのになんだよそれ、と思って社説などのおかしな点や、今まで社説に対して何度か投書をしているけど無視されているので面談を求めたという経過を説明し、「そちらに行きますから」と訪問日を告げた。ちなみにこの読者応答室の人は投書名前を聞いても名乗らなかった。

論説が出てくるまで

 盆明けに早速申し入れの準備に取り掛かった。「文書出せ」と言われるまで懇談や話し合いと言っていたけど、信濃毎日にその気はなさそうなので申し入れとして、一方的に予定を設定。昼休みに社屋前で情宣をする。

田中康夫のおかげで、長野県庁は会見室で自由に市民も会見を開けるので、申し入れ後の記者会見と日程を組んだ。

盆前は時間を午前中にしていたけど、午後に変更したのでそれを名目に読者応答室に電話。担当が不在で、その間にプレスリリースをした。県庁が窓口になる記者クラブだけでなく、県内の知り合いの記者全部にメールし、がんばって在長野市のマスコミ各社のファックス番号を調べ上げファックスした。

 その上でSNS上で信毎の横柄な対応を連続して投稿。文書提出はする気がなかったので、代わりにチラシを作ってそれも画像にして拡散した。

 そうすると、読者応答室の担当者が「論説応答室です」と名前を名乗って電話してきて、当日、論説主幹とその方が対応すると言ってきた。

「それで情宣ってありますけど、拡声器とか使いますか」とプレスリリース文を見たのか聞いてきたので、「それはこっちの自由ですよね」と突き放す。

社前情宣

 長野県庁ほど近くでひときわ目立ち下々の者を睥睨している建物が信濃毎日新聞だ。

どこでマイクとろうか一周してみたけど、結局正門前の路上でやることにした。準備していると中から総務課の社員が2名出てきて名乗った。監視役のようで、「周りに福祉施設もあるので音を大きくしないでほしい」という。

「信毎が悪いんじゃないですか」と取り合わないでいると、「敷地内ですから」。路上に横断幕を広げて社屋ビルにマイクを向けてしゃべった。仲間2人参加。

 主張の内容は、DVの継続の危険があるけど、実際DVが起きるのは共同親権時で、単独親権制度で件数も増え続け、別居親の側もDV被害者が7割いる、というもの。単独親権者に加害者が大勢いるのに、DV支配が継続するなんて、単に親権の取れない男性が加害者と性役割に基づいた印象論を繰り返しているにすぎない。

「弱者の味方」気取りは実際は「弱い者いじめ」に過ぎないと、そのインチキぶりを指摘した。マイクをとった小畑さんは母親で、女性の保護を掲げて共同親権に反対されてあおりを食らってる当の本人だった。

改正民法は養育費の徴収強化は法制化し、面会交流の実効性は見送られた。自分たちで男性ATM化の旗を振る新聞社員は哀れだ。

論説と懇談

 その後1階の部屋に通され、3人とぼくたち2人と面談した。ほとんどこっちの主張を一方的に伝えたけど、単独親権制度が家制度を引き継ぎ、日本国憲法に合わせた戦後民法改革で採用されたのが共同親権だというのは歴史的事実だ。それを親権が戦前の支配権的な親の権利を引き継いでいるから婚姻外には適用するな、なんて理屈は通じないと指摘した。

 信濃毎日は社説以外でも、他人の親子の再会を阻む差別排外主義的な共同親権反対運動を社会面で取り上げることも多く、その担い手はこれまでリベラルや左派、市民運動と呼ばれてきた人々にほかならない。論説の人は「どうしてこれが党派的問題になるのかと思った」と言っていたけど、現場の実態や歴史的経緯を知らずに、弱者保護を唱えられれば反論できなかった論説内部のパワーバランスが手に取るようにわかる。

「木村草太はあれこれ言ってるけどただの復古主義じゃないですか」

「上野千鶴子は日本の男に共同親権は100年早いと言ってますよ。あなたたち悔しくないの」

「福島瑞穂は自分は事実婚で子どもには自由に姓を選ばせたと自慢してて、他人の家の子はいっしょに暮らす親の姓を名乗るのが当たり前と国会で言ってますよ。ただのワガママじゃないですか」

長野市から新幹線ですぐのメトロポリスの知識人の堕落ぶりを一通り批判しておいた。伊那谷奥地の野蛮人の主張など最初から目に入らなかったのだろう。

 唯一論説の人が食い下がったのが「訴訟妨害と言われるのは不本意」ということだった。

「もちろん訴訟なんだからどっちの立場に立つのもありますよ。でも信毎はケンポーケンポー言うじゃないですか。読売新聞が同じこと言うのとはわけが違う」

 論説がぼくたちの訴訟を踏まえて社説を作っているなんてその痕跡すら見えない。不勉強ぶりがあらためて明らかになった面談だった。

 最終的に、社内でのぼくたちを呼んでの研修か、ぼくたちに記事を書かせるよう要請して面談を終えた。

記者会見

 その後県庁に移動して記者会見の時間を持った。この問題に関しては、信毎が突出して子どもに会えない親たちを罵倒してきたけど、他の報道機関も似たり寄ったりだ。意見交換が趣旨と最初に述べて説明を終え、記者から質問を受けた。全体的に問題意識を持っているとは思えなかったけど、「賛成反対両論併記をしている。それじゃダメなのか」という質問があった。

「共同親権を望むDV被害者については取り上げませんよね」とぼくは答えている。

DV被害者は全員共同親権に反対しているかのような論調そのものが、男性悪者、女性被害者のジェンダーバイアスに基づいている。

DV問題を論じるときにも、性役割は論じるけどその背景に男性排除の親権制度があることは問題視しない。DV対策が民事対応で不徹底になっているのは、結局民事不介入の家制度、つまり単独親権制度が背景にある。

帰り道、「対話を積み重ねるしかないよね」と小畑さんと言いながら遠い県庁所在地を後にした。(2024.8.28)