ついに「嵐」となった共同親権について、本気で考えてみようというすべての活動家へ

評者の森さんは、三多摩の運動仲間で20年来の友人です。三多摩労働者法律センターの「運営委員会ニュース」に『共同親権革命』の書評を書いてくれました。 昨年たたかっていたのは、子どもに会えない親たちだけではありませんでした。それを知ってほしくて、本人の許可を得て掲載します。

大鹿民法草案あとがき 〜私たちが実現したい社会〜

この記事は手作り民法・法制審議会(共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会)が作成した大鹿民法草案(改正手づくり家族法草案)のあとがきです。草稿を書いたのでここで公開します。

手づくり民法・法制審議会の発足

 昨年2021年から法務省は学者や識者を招集し、家族法制の見直しを掲げて、現在の親権制度の改革案を議論しはじめた。この夏には中間試案を公表し、パブリックコメントを募ることが報じられている。

 私たちは、手づくり民法・法制審議会という有志の集まりである。法務省の法制審議会委員は、23人中4人が法務省民事局、裁判官からなり、幹事においては過半が官僚である。諮問するほうが諮問されるほうで法を作るという官製委員会である。昨年の法制審議会の議論を見て、現行制度を維持しながら国際的な批判をかわすための体裁を整える事務局側の狙いが明らかだったため、私たちは独自の議論の必要性を感じ、人権や男女平等の観点から国の法制審議会に勧告を出し続けていた。

 というのも、私たちの多くは、男女の別れをきっかけに、子どもと引き離される経験を持っているからだ。私たちはそのつらい経験の中から、司法や法制度による人権侵害や不平等について考えるようになった。それに対し声をあげる中で、多くの識者や専門家、また多様な立場の「当事者」と呼ばれる、生きづらさを抱える人たちと議論する貴重な機会を得た。この貴重な機会を生かすべく、私たちは、私たちにしかできない現場目線の民法草案の取りまとめを試みた。

一方、民間の有識者や法律家たちは、民間法制審の中間案を公表している。彼らの中間案は、実子誘拐や親子引き離しについて、国の法制審が解決し、むしろそれらを合法化する危険性について警鐘を鳴らす。それらの指摘は多く的を得ている。婚姻外の単独親権制度という現行の政策に対し、一部の人権への配慮を示しつつ、離婚後の秩序を国際水準に合わせ定めるということは一定の評価に値する。

ただし、実は諸外国はbiological parent(実父母)と子との関係を保障するために親権が規定されているため、「婚姻」と「親権」とは分離されている。言い換えると、「実親」と「実子」との関係を規定しているのが諸外国の「親権」であり、だからこそ婚姻状態に関わらず「実親」が「親権」を有し、剥奪されるような場合は例外である。

こういった“そもそも親権とは何なのか”という、一般市民の誰もが共通認識を持てる概念の前提を置かなければ、「裁判所は子から親、親から子を奪うことができるのか」という、誰もが頭に浮かぶ疑問への回答に答えることは困難である。

親の道徳感とみなし子の生産社会

 「子どもの最善の利益」を共同親権が確保するという議論は、共同親権を求める人々の中に根強くある。一方で、家庭裁判所が親子を引き離してきた理由付けもまた「子どもの福祉」である。これらは、共同親権であれ単独親権制度であれ、どのような親が子どもにとってふさわしいかを社会の道徳観が決めてよい、という点で共通する。

 一方、私たちの中には現在、単独親権制度の違憲性を主張し、国を訴えている者もいる。その主張は、子どもにとって何が利益かをまずもって判断するのは親であり、そのために親権という様々な権限と義務が法律によって定められるというものだ。もちろん、親も子も国や地域あるいは血縁関係の中で生きていて、何が子どもにとって利益かという判断は、親によってさまざまに違う。しかし、国が親に先立ってその判断の是非をすることを許せば、親による子育てが国の判断でできなくなっても、文句は言えない。

 私たちの中には、「子育て改革のための共同親権プロジェクト基本政策提言書」の策定に関わった者もいる。その議論の中でも、親の権利と養育責任の明確化、そして単独親権制度の廃止を、基本政策として掲げた。単独親権制度の廃止という言葉は強いが、婚姻外においては、単独親権しか許されない制度を廃止することによって、双方の親による子育てという原則が明確になる。一方、親による養育責任だけを強調すれば、社会環境の中で子育てができない親を、不適格な親として養育から排除することをやはり許してしまう。

国の法制審の議論は、子育ての第一義的な責任が父母にあることすら軽視している。一方、民間法制審の中間試案では、「親子水入らず」を強調することで、家族の負担が高まることになってしまわないか私たちは気にかけている。道徳感として養育環境を十二分に整えられない親は、子育てをする資格がないとみなされてしまわないだろうか。

子どもが両親と過ごし成長する権利は、国の法制審では議論すらされたことがない。これらは、親どうしが子どもへの関与を示さない場合、みなし子を量産することを制度的に許すことにもつながる。養子縁組の斡旋に努めるNPOのリーダーが、これを可能とする共同親権制度に強力に反対するのはそのためである。

一方、親の権限強化だけを強調すると、児童虐待が蔓延する中、子どもの権利を損なう親の判断も許容されてしまうという危惧もある。もちろん、子どもを親とは別の人格として認めない様々な行為は、今日その意識の高まりとともに虐待として指摘されるようになっている。そのために必要な国の介入も適切になされるべきだ。

しかし、家族の「自己責任」が強調される中、親の権利が曖昧なままでは、その権限を制約する適正な手続きも保障する必要性は低く、結果的に児童虐待への司法介入が諸外国に比べて極端に少ない一方で、行政介入に歯止めがかからない原因となっている。そのまま子どもと生き別れてしまうことも社会問題として指摘されている。周囲に後ろ指を指されないようにびくびくしながら子どもを育てる姿を、多くの家族で見ることができる。例えば少々活発な子どもを、育てにくい子として、多動(ADHD)のラベルづけを行い療育機関に通わせるように学校が親に求め、その結果として父母の意見相違が生じた時に、耐えられない家庭は離婚などによって破綻する。

「親は子どもに親にさせられる」

子どもとともに過ごすことによって、育まれる親としての実感・喜びのない子育ては権利とは呼びがたい。しかし、子育ての権利性を認めない社会は、養育費だけ払えば責務を果たしたという、子どもにとっては通用しない理屈で、寂しさを抱える子どもたちへの配慮が著しく欠けている。

親が子どものためにする判断は、子どもが親と過ごす中で得られる安心できる幼年時代を親や周囲が確保する中で、はじめて権利として意味を持つ。一方、国がその権利を認めるならば、親の不適切な行為に対してペナルティを課すだけでなく、子育てを権利と感じるだけの養育環境を、国が整える責務が生じる。国の責任放棄が問われないようにするために、親の権利を否定し家族に責任だけ押し付けたところで、子どもは笑顔になれはしない。

結婚はぜいたく、家族は苦役

 私たちが目指しているのは、国と地域と家族が、それぞれ得意なことを出し合いながら、多くの人に見守られる中で子どもが育つ社会である。その社会では、地域に子どもの姿が当たり前に見られ、子どもの笑い声を「騒音」と迷惑がったりしない。今日では、社会で子どもを育てることを社会的養護と呼んだりする。しかしそれが、親を排除することで実現するなら、それは「みなし子」生産社会に過ぎず、子どもの笑顔は期待できない。

 何よりも、親にだけ子育ての責任が押し付けられる社会では、親は必死で養うためのお金を稼がなければならず、効率性を維持するための性役割的な子育て体制に適応するしかない。こういった家族と社会のあり方は、国の力を増すことで富を分配できていた時代には妥当性があったかもしれない。戦争や経済成長は、「男は仕事、女は家事育児」という画一的な家族モデルに適合的で、夢を持った人たちは都会に居場所を求め、結婚すれば団地がその場を提供した。それが「正社員的な家族」のあり方であり、「入籍」と呼ばれる結婚は、称号として機能した。

家族法もまた、自足的な家族モデルに適合的な規範を維持すれば用が足り、それ以外の家族のつながりは軽視した。家族のつながりを絶って顧みない単独親権制度は、個人個人が家族のつながりよりも、国に奉仕する家族の形に個人を適用させるために、必要なものでもあった。このことは、富国強兵を目指した時代の明治民法の制定経緯からも明らかである。

ところが、このような家族モデルを今日得られるのは一握りの勝ち組である。民間法制審は、子どもを連れ去られるとわかっていたら、男は怖くて結婚できないと指摘する。それは一面では正しいが、生涯未婚率が向上している現代において、統計から生涯未婚率と男性の年収に関係があることが分かっている。高年収でない限り結婚ができない、つまり(女性の側からはそういった男性をつかまえられたという面でも)結婚は勝ち組の特権であり、ぜいたく品と化したことが、男女ともに若者たちが結婚し家族を持つことを敬遠する理由だ。経済成長が期待できず、所得も上がらず家族もまた分配にありつけなくなった時代、特定の家族モデルに全ての個人を当てはめるのは限界がある。

法律婚をして子どもをもつのが一人前の証。同一姓の戸籍はその称号。第3号被保険者や配偶者控除で主婦を家庭に抱え込み、男に稼ぎを期待する。離婚には次の形を整えるために、単独親権で家族のつながりを絶つ対応がなされた。子どもが二つのイエ(戸籍)に所属する共同親権は都合が悪いからだ。形を壊すのは社会的な落伍を意味するから、DVやモラハラがあっても耐え忍ぶ。この家族モデルは、常に落伍の恐怖を抱えながらストレスを再生産する、不安醸成装置であり、家庭生活は苦役にほかならない。

安心が得られる結婚、子育て

結婚に積極的な意味をこれから求め続けるとするなら、多分今のままだと無理だろう。こういった結婚制度の内実がわかって、今時進んで希望する若者が多いとは思えない。離婚後の共同親権を定めて実子誘拐を禁止することだけでは、状況はさほど変わらないのではないか。

結婚は、戸籍によって制度化されたイエと密接に結びついている。結婚はイエとイエの結婚だから個人の勝手で離婚は本来許されない。しかし結婚も離婚も、個人が幸せになるための選択=権利だとするならば、私たちはそれがともに安心を得られるものでなければならないということに気づく。入籍することで一体感を求められ、団体の中は実力行使で力の強いものの意見が通り、後は同調圧力でみんなが従う。言うことを聞かなければ仲間外れにして排除する。それは何も家族に限らず、日本の多くの組織で見られる特徴だろう。

しかし、元々夫婦であっても、そして親子であってすら、人格を別にするという点で、家族は他人である。元々意見や考えが違う者同士が共同生活を営むことを選ぶのが結婚なら、それを前提にした意思決定や問題解決の仕方を国が用意しておかなければ、家庭生活自体が常に不安にさいなまれるのは当たり前すぎる帰結だ。

この点、日本の民法は婚姻中のみに共同親権を付与して、子どもがいる場合における共同意思決定を法律で定めている。しかし、子育ての場として家庭が期待されながら、平等な二者どうしの意見が分かれた場合の解決方法が規定されていないため、意思決定が不能に陥る。そして離婚して一方から意思決定をはく奪することしか法的には用意されていない(単独親権制度)。共同親権は親権の調整規定があってはじめて機能する。この点についての規定がない日本の民法は、世界的に見ても類を見ないものであり欠陥制度である。しかしそれが可能なのは、共同親権もまた姓と同様、結婚の称号だからにほかならない。

地域に子どもを取り戻そう

私たちは、戸籍(イエ)制度に取り込まれた結婚を、個人の権利の問題として捉えなおすことが最低限求められると考える。家庭を大事にする個人の考えはもちろんあってしかるべきだが、その道徳を法によって個人に押し付けるのは本末転倒である。婚姻外の単独親権規定を廃止することによって、婚姻内外問わず共同親権を原則とすることが、法的には、個人間のパートナーシップへの国の支援のあり方として求められる。戸籍は本来家族関係を登録するための手続きにほかならない。ここで代替的な登録方法を提案するのが目的ではないが、手続きのために個人間の家族関係を法的に定めるのもまた、本末転倒である。

この点、国の法制審の事務局提案は、この本末転倒な理論によって民法改正案を考案することを目的としている。もとより、1947年に日本国憲法に適合的に応急的に定められた暫定民法(日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律)(参考4)は、すべての子どもが親の保護を受けられるために、婚姻内外問わず共同親権を適用している。共同親権が両性の平等と個人の尊重に適合的な制度であることは、75年前にすでに法務・司法当局によって確認されていたことである。原則に立ち返るべきことだ。

このことによってはじめて、国も世帯単位ではない、個人や家族的関係に対する配慮や支援がしやすくなる。出生や結婚など、個人の法的地位の誕生や変動、個人間のパートナーシップに対して、届け出を受理するという形で自治体が選別して登録を制限することは、個人のための登録手続きという観点からすれば、やはり本末転倒だ。

結婚によって家庭を築くことや、離婚・未婚時には共同親権を確保して、親の子育てが権利となる環境を整えることは、国の責務であり、法整備はそれよる支援の一環である。子どもは大人のように自活することはできない。しかし一個の人格としての子どもに目を向ければ、子どもが生きていくのに必要な資金を提供することもまた、子どもの成長に必要なことであり、健やかな家庭生活を営むにおいて望ましい。

一方、親だけでなく、地域的なつながりの中で生きていくことも子どもの成長において必要である。現在、子育てをする際、子どもは親の仕事、つまり社会的な生産活動の邪魔者としてしかとらえられておらず、保育園や学童保育などに隔離される傾向がある。その結果、都会や田舎双方で子どもは地域から姿を消している。親が子どもを抱えきれなくなれば、更に児童相談所から児童養護施設へと収容が進む。

親が男女ともに、子育ての経済的な負担から解放されることによって、親には子どもに直接目をかける時間が生まれる。必死で稼ぐ必要もないので、男性が育休をとる環境も整えられる。特に子どもが小さい場合、その時間はかけがえのないものだ。もちろん、経済的な余裕が生まれることによって、親は保育所も含めて一時的な委託先(親類、知人、ベビーシッターも含めて)を活用することもできるし、時間的な余裕は、社会活動や子育てに必要な人のつながりを形成する機会を得ることもできる。それは地域が子育てしやすい環境へと変わっていくきっかけになるだろう。

親だけが子育てをするのではない。大人たちは、たとえ自分に子どもがいなくても、子どもが身近にいることによって、学び成長する機会を得られる。それは弱者にやさしい地域づくりにもなり、地域の活性化の一助ともなる。それは子どもに国が投資するにおいて、社会的な合意を育む基盤となる、環境整備でもある。

回遊魚の見た世界

「私たちみたいな根付の魚がコツコツやってるところを、宗像さんみたいな回遊魚がやってきてかっさらっていく」

 ニホンオオカミの取材をしていたとき、そんなことを言われたことがある。ぼくのようにとにかくニホンオオカミということであれば片っ端から当たって、全体像を組み立ててみたいという願望は、自分の興味関心で一つのテーマで深堀りしている人にとってみれば何か得になるようなものを感じられない、というそれはそれとなくの不満をぶつけられた出来事だった。ぼくもそう思う。

「ぼくがよそで見てきて得た知見や情報は、それを必要としている人に提供します、それがぼくの仕事だと思っています」

 そんな返事をしたのは10年以上前のことだと思う。それからその人も自分が知っていることを教えてくれるようになった。

もともと自分が調べたことを理解できる人に話してどんな反応があるのか見てみたい、という欲求も人にはある。それ以来、ぼくは自分が知ったことで必要としている人が思い浮かべば資料も付けてなるべく共有するようにしている。

記事や本を書いて売れたらいいなと思うことはもちろんある。だけどその自分の仕事で喜んでくれる人がいたら売れることよりもっとうれしいことだと今でも思う。

 10年近く前に、リニア新幹線と南アルプスの自然破壊について、単行本を出そうとして取材を進めたことがあった。あちこちしらみつぶしに南アルプスの周りを回ったのに、編集者と折り合いがつかなくて結局お蔵入りした。時間を使って話を聞かせてくれた人にとっては、何の得もなくて、不義理なことをしたと思っている。

10年後、同様の企画をもう一度進めることになった。再度南アルプス周辺の取材をすることにした。機が熟したのだと思う。山梨県側で工事の差し止め訴訟をしているグループの控訴審裁判が東京であった。手はじめに傍聴に行って院内報告集会にも参加した。

代理人は梶山正三さんで、甲斐駒ヶ岳の麓に事務所を置く方だった。控訴審では原告の意見陳述とともに代理人がスライドで主張を尽くす時間があり、梶山さんは滔々と一人でリニア新幹線の問題点をしゃべっていた。その中に冬の伝付峠の写真が出てきた。

「これは私が30年前に行って撮ってきたものです」

 「おっ」と思った。梶山さんは研究機関出身の工学博士で、それが弁護士として説明している上に、自分で実際に現地に行っているのだから説得力がある。ぼくは霞が関から新宿まで地下鉄で梶山さんといっしょだった。南アルプスのことをよく知っている人で、ぼくたちが昨年踏査した蛇抜沢も一人で登ったという。東京まで出てきていい人に出会った。

 翌週には山梨県のリニア建設現地を、そのさらに翌週には長野県側の現場を見て歩いた。

 山梨県側は民地での工事はあまり進んでおらず、河川や駅周辺などの公地とJRの敷地での工事が進んでいるほかは、山岳トンネルの掘削が続いている。長野県側は、飯田市の長野県駅周辺から天竜川にかけての用地買収が進み、喬木村側にも橋脚が現れている。山岳地域のトンネルも進んでいる。

 10年前の取材と違うことは、山岳トンネル以外の場所での工事に手がついたということと、JR東海が昨年2024年の3月に2027年開業予定を断念し、開業予定を2034年「以降」としたことだ。事実上完成が見通せなくなった。民間事業としては通常はこの時点で失敗だ。だけど、国策民営の事業に国から3兆円の公的資金を投入したため、JRもリニアの旗を振ってきた国も自治体も、今さら失敗の責めを負う気がなく、結局建設現地で住民に犠牲を強いる。岐阜県瑞浪市では、トンネル掘削による地下水漏出による地盤沈下にJRは打つ手がない。それでもやめるという選択肢は行政にはない。大都市圏のトンネル掘削率は10年経っても1割にも満たないというのにだ。

 先の裁判では、JRは原告側の主張に何も反論しない。何も言わなくても司法は勝たせてくれるとJRは高を括っている。そして法廷では山梨県のリニア実験線で、路線から100m以上の距離にある民家の住人が、騒音・振動・低周波音の被害で移転を余儀なくされていることが明らかにされている。

2013年に42.8㎞への延長工事で、時速500㎞で3分間の走行実験が可能になった。そうすると震度1~2程度の振動で家が揺れるようになる。現在は5両編成で38本の運行がされている。500㎞の区間は路線の一部で、これが全線営業になれば16両編成で往復360本になる。路線の両側150m程度の幅は事実上人が住めなくなるのではないか。実験線の移転補償についても地元報道で今年になってから明らかになっているので、高裁で原告側があらためて主張することにした。

以前は自治会全体で説明会を拒否していた山梨県内の地域も、JRの買収工作に切り崩されている。司法で何も取れなかったらどうするのか、という不安が原告から漏れる。

「昨年JRが2027年開業予定の断念を表明した時点で、ぼくたちはこの事業がどんな根拠で、本当にできるのか、今度はJRや行政に問いかける側になったと思います。彼らはそれを説明する側になりました」

 ぼくは院内集会で取材者の立場を離れ「住民枠」で発言している。それは他の仲間のジャーナリストとは違ってぼくだからできることではある。

 山梨県と長野県を回った。順調とは言えないまでも各地で着々と進む工事の様子は、それが甲斐のある建設工事ではなく、ただの環境破壊や生活破壊であるだけに、今までの工事が以前より進んだという以上に、やり場のない気持ちがこみあげてきた。涙が出たり焦ったり怒ったり、ただただ落ち着かない気持ちにさせられた。

 それでもこういった理不尽に何かを言わないではいられない人が各地に点在していて、ぼくが「大鹿村から来ました」と言いながら村の様子を知らせると、向こうも現地の様子を同じくやり場のない感情を表に出しつつも話してくれた。

 山梨県早川町で、大量に出た残土の処理にJRも自治体も手を焼き、川の上流の土手沿いに積み上げていた。写真をとっていると、職員がやってきて「何撮ってんだ」とくってかかってきた。黙っていると「公共事業だぞ」という。「公共事業なら隠すことないでしょう」とさすがにそれは言い返す。

麓の旅館で見てきた置き場のことを話すと、宿のおかみさんが「たいした説明もなくあちこちに置いて。名目が必要だというので、避難路を作るという。あんなところにそんなもの・・・」と問わず語りに話していた。

それはこの国の為政者たちの本音と、それに向き合う住民の心情を物語る些細ではあってもぼくには見過ごすことのできない一コマだった。

(「越路」45、たらたらと読み切り185)

宗像充『共同親権革命 民法改正と養育権侵害訴訟』

購入は直接本人まで→munakatami@gmail.com @は英数文字

裁判が負けたのは悔しかったけど、民法改正は実現した。単独親権制度から共同親権への転換は革命的な発想だと今でも思っている。だけど子どもの前に立ちはだかった国と制度の介入を排除し、困難に陥ったすべての親子が関係を取り戻す道筋をつけることはできていない。

四六判、1800円、自費出版

2024年5月、共同親権に関する改正民法が成立。
前後して、単独親権民法の違法性を訴え、国に償いと謝罪を求める訴訟が行われていた。

ぼくたちは何を目指したか?

Ⅰ 共同親権運動とは何か
Ⅱ 国を訴えろ 共同親権訴訟の歩み
Ⅲ 民法改正と立ちすくむメディアたち
Ⅳ 「差別的取り扱いは合理的」対ちゃんと共同親権

実子誘拐を記事にして仕事を干される(2)  子を会わせないことは問題ではないのか?

フリーランスのジャーナリストの牧野佐千子さんと、牧野さんの記事(「『娘が車のトランクに』日本で横行する実子誘拐」2019.10.10)を配信したプレジデント社に対し、東京地方裁判所(衣斐瑞穂裁判長、川口藍裁判官、東郷将也裁判官)は3月17日、名誉棄損とプライバシー侵害を理由に、合計110万円の損害賠償とオンライン記事の削除を命じた。

記事はフランス人のヴィンセント・フィショ氏が2018年、3歳の息子と11カ月の娘から日本人妻(当時、その後離婚)によって同意なく引き離された行為を「実子誘拐」として問題提起した。一審は、牧野さんの記事をプライバシー侵害とし(前回記事参照)、牧野さんがヴィンセント氏から提供された防犯カメラの動画を見て書いた、妻が車のトランクに子どもを入れて誘拐した、という部分について名誉棄損とした。

妻は子どもをフィショさんに会わせているのか?

フィショさんの妻が子どもを連れ出したのは、車のトランクに娘を入れた映像が撮影された8月20日の10日前の8月10日だった。一審はそれを取り上げ、「確実な資料ないし根拠に基づく確認をしたとは認められない」という。

「それで元妻はフィショさんに子ども会わせてるんですか?」とぼくは牧野さんに聞いた。会わせてないなら、それを「連れ去り」と呼ぼうがトランクに入れたのがいつだろうが、そもそも不名誉なことだとぼくは思う。名誉棄損を主張するようなことだろうか。

牧野さんの答えは「やっぱりね」だった。

牧野さんにしてみたら、父子を引き裂く行為が国際的には犯罪として違法化されているんだから、同様の行為は日本でも許されないと言いたかった。ところが司法は、日本では問題ではない行為なんだから、間違いがあれば記者の側が責任を負うべきだ、という。

不正確な点が一つでもあれば、問題提起自体が否定されるのだろうか。

しかしこの点についてはたしかに世論とそして司法決定も揺れている。フィショさんの妻側が訴えた3件の訴訟も、一件は妻側が負け(最高裁で確定)、もう1件はその逆だ。会わせないことについても、司法は約束や決定があれば債務不履行については認めることがある。でも会わせないこと自体を違法とすることはない。まして刑事事件として立件することはこの時点ではなかった(2025年4月7日にインド国籍の父親を逮捕した事例がある)。

一審は問題提起自体を否定した。

元妻側への裏付け取材は必要なのか?

それでは、牧野さんには110万円余を支払うほどの手落ちがあったのだろうか。

「10日後だろうが何だろうが、子どもをトランクに入れて連れ去りましたは事実なんだから、そこをそこまで問題にすることか」(牧野さん)

ぼくもライターなので、違法行為や悪事の告発については、現場を押さえることも含めて慎重を期す。後で間違いがあったりすると、告発自体の正当性が問われかねないからだ。記者は「取材不足」と言われることをことのほか嫌がる。

しかしだからといって、フィショさんの元妻側が主張したように、元妻側に事前に確認を取らないと取材不足になるとは思わない。

例えば、環境省が2012年に絶滅宣言をしたニホンカワウソについて、対馬でカワウソの撮影動画が公開された際、絶滅を主張するカワウソ研究者のコメントがないからといって、動画自体が否定されるだろうか。通説に挑戦する側に、通説による裏付けは不要だ。

また裁判官が問題視したように、取材のメモや録音を残すことが記者として決定的に重要なこととも思わない。牧野さんの取材にぼくは録音はとっていない。録音やメモをとるかどうかは、取材の性質や記者の手法にもよる。十分な裏付けと話の客観性が成り立てば記事として成立する。

牧野さんは記事公表後の10月17日に、妻側の当時の代理人の露木肇子弁護士に対し、反論を求めるファックスを送信している。反論が正当なものなら記事の修正もありうるし、実際ぼくもそうした場合がある。しかし反論はないままに、フィショさんの妻とその代理人は牧野さんたち3組を提訴し、記者会見でそれを公表した。牧野さんからすれば「抜き打ち」で、牧野さんも名誉棄損で対抗している。しかし一審はこの点考慮しなかった。

妻側は車の後部座席とつながっているからと、牧野さんが「トランク」と呼ぶこと自体否定的だ。だけど車の後部を開ければそこは普通トランクだ。娘が車に後部から入れられ、そのまま車がガレージから出ていった防犯カメラの映像を牧野さんは見て記事にした。

不適切に思える行為だからこそ、それを誘拐と絡めることをフィショさんの妻側は問題視した。適切な行為ならその後子どもと会わせなくなったことも含めて、そう言えばよい。

「訴えられてはじめて裁判所ってこんなに冷たいんだな、と思いました」(牧野さん)

女性侮辱罪があるのか?

2022年12月14日の日本外国特派員協会でのフィショさんの妻側の記者会見を見ていて驚いた記憶がある。

会見に出席した神原元弁護士が、記者の一人が足を組んでいたのを見とがめて「女性に失礼」という言葉で非難したのだ。「足を組むのが失礼」ではなく、「女性に足を組む」ことが失礼にあたる。逆に言えば相手が男性なら問題ない。これは親権をめぐっての、司法関係者の間でのジェンダー意識を象徴する出来事だとぼくは思った。

一審は、牧野さんが単独親権制度のもとで生じている親による子の連れ去りを問題提起するためであったとしても、子の「親(元妻)の氏名が推知される情報や連れ去り行為の具体的態様を記事に掲載する必要は認められ」ないから、プライバシーの保護に優先する法益がないという。そんなことがあるだろうか。

フィショさんも子の親なのに、これでは権利を侵害された側が実名で告発する行為自体が許されない。罰せられるのは父親の側で「なければならず」、母親の行為は不問とされ「なければならない」(連れ去られた母親はなおのこと無視される)。

母性神話であるがゆえに成り立つ理屈だとぼくは思うけど、司法関係者にはその自覚がないか、むしろそれを知った上で勝つために利用する。女の敵は誰だという気もする。

それを告発した牧野さんも女だ。

「牧野さんは裏切りもんってことなんでしょうね」

そう彼女に説明しながら、日本の男女平等の薄っぺらさをぼくは思った。

信毎「共同親権で生活はどう変わる? 子どもとの交流、DVの相手… 離婚した人の不安や疑問に専門家が答える」への質問

信濃毎日新聞の記事「共同親権で生活はどう変わる? 子どもとの交流、DVの相手… 離婚した人の不安や疑問に専門家が答える」を読みました。

当会は、共同親権訴訟・国家賠償請求訴訟を進める会、という県内大鹿村にある団体です。当会内の「手づくり民法・法制審議会」というワーキングチームは、昨年の民法改正の先立って、法務省から意見紹介を求められています。

私たちは、昨年の民法改正について、「共同親権賛成・法案反対」の立場から意見を出しました。法案は現行法制度で親子が引き離されたことについて問題意識も解決策もなく、親子の生き別れてを促してきた現状の違法な司法の運用を正当化するというのがその理由です。法案によって当事者間の混乱が深まることは記者と同じ立場ですが、法案を取りまとめた法制審議会の委員にその点について聞いても、まともな答えが返ってこないのは明らかです。法制審議会や法案作成の経過についての取材不足から来ていることは、私どもが昨年8月22日に論説委員に申し入れた際明らかにしましたが、まったく聞いていないような今回の記事に怒りを感じます。以下質問させていただきます。

1 私たちが行なった訴訟では、理由文中で婚姻外の親の「差別的取り扱いは合理的」と明言され、子どもに会えないこと含め、婚姻外の親たちの置かれた状況は制度上の問題であり個人的な問題ではないということは司法も認めています。しかし本記事では、DVの問題についての民事的な解決(自力救済)を前提に、子どもに会えない状況が現に存在することについては事例として消されており、私どもにも取材はありませんでした。本記事の記者は、「差別的取り扱いは合理的」と述べた私たちの訴訟の理由を読んだのですか? また子どもに会えない状況については解決する必要がないと考えているのですか?

2 離婚後や婚姻外の親どうしの関係が紛争含みになるのは、共同親権の法制度を取る国では一般的な子どものための養育計画の作成が任意とされていることが大きな理由です。これについては法制審議会では議題から外された経過がありますが、共同親権に反対する委員たちも、離婚できにくくなるからと反対しています。いったい信濃毎日新聞はどんな解決策がいいと思っているのですか?

3 司法で親権者指定では94%の割合で母親が親権者となります。この点について明らかにする記事を過去信濃毎日は慎重に避けてきました。その上で、男女平等を求める父親たちの運動もあって、海外では共同監護が立法によって可能になった経緯を無視して、棚村さんのいうように親権のある側は母親、親権のない側は父親として、共同親権に懸念を示せば、母親親権者という既得権と母性神話を擁護するという結論しか出ないのですが、信濃毎日は男女平等が嫌いなのですか。過去、いわゆる「別居親」のDV被害の割合が「同居親」側と同水準であるというデータを信濃毎日は意図的に無視しており、その経過は申し入れの際に明らかにしていますので、このような客観性に名を借りた世論誘導は悪質としか思えません。

回答は6月2日まで以下までお願いします。

宗像 充(むなかたみつる)

【共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会】

〒399-3502 長野県下伊那郡大鹿村大河原2208

T・F 0265-39-2116

Mailto munakatami@gmail.com

https://k-kokubai.jp

「ちゃんと共同親権」発刊しちゃえ

「発言しながら暮らしたい」

 それは、ただの世間知らずの人間だったぼくを、ただの人間に育ててくれた国立で聞いた言葉でした。東京ではじめて女性市長となった上原公子さんが、政治家としてのコピーに使っていたものだと聞いています。

 2008年、ぼくは国立市に民法改正の陳情を出すことで新しい市民運動を始めました(ぼくは面バレしていたので陳情筆頭者は他の人に頼んだ)。駅前のファミレスでいつものように市民運動の打ち合わせをしていたときのことです。「じゃあとりあえず次の3月議会に陳情を出してみよっか」といつもの流れになりました。

 そのころ子どもに会えなくなって法制度の問題について知ったぼくは、この問題でもやってみたら子どもを会わせない元妻も驚くかな、という感覚で陳情提出について一晩考えました。翌日から同じ子どもに会えない親がほかにもいると聞いて相談に行き、陳情を出し、その後、彼女と立川市の記者クラブで陳情と集会と署名集めの告知をしました。

 審議の中では「こういう陳情が出るのも国立だからだ」という議員の発言がありました。自分の個人的な問題であっても、発言することによって政治化することができる。「発言しながら暮らしたい」という言葉は、政治はそこらへんにいる人間がするものだということを体現したものとして、国立からぼくが得た言葉です。

 今ぼくは、ライターとして長野県の大鹿村から発言しています。村の人は人口800人の村が何か言ったところでと言いたがります。でも村が発言するのではなく人が発言するのです。どんな村や町に暮らしていても、昔から自分なりの方法で発言し続けてきた人はいます。

 インターネットが普及した時代、発信の場所を問われることなく、世界中に自分の意見を届けられます。しかし、発言しながら暮らすのであれば、自分の個人的な問題はプライベートなことではなく、社会的な問題として語ることもしていいはずです。村でもぼくは議会はじめ公の場で自分と子どもたちの今置かれている状況を説明します。そうすることが世界に自分や子どもたちを受け入れてもらう手続きの一つであると感じたからです。

 2025年、婚姻外の共同親権に関する民法改正の国会審議においては、子どもに会えないのはその人に個人的に問題があるからだというヘイトスピーチが、左派言論の中から湧きおこりました。弁護士たちは徒党を組んで代理人を買って出て、実子誘拐の被害者のメディアへの発言について、名誉棄損やプライバシー侵害を訴える民事訴訟が行われました。

 いわゆる口封じを目的にしたこれら運動やスラップは、プレイヤーとして国を訴える訴訟を担っていたぼくたちへの挑戦でした。また、そういったヘイトをためらわなかったメディアをぼくが公然と批判することで、ぼくは取引先や古巣を失いました。

 いったい、主義主張より自分の子どものほうが大事だという人間がこの世に少なからずいるということを、人権やジャーナリズムを口にしてきた連中は想像しなかったのでしょうか。彼らは原稿料を得ることを生計(たつき)とする在野のライターを見下していました。何よりぼくが怒りを覚えたのは、そういったフリーランスや市民団体を狙い撃ちすることで、無名の一人ひとりの発言をも口封じできると考えた、彼らの選民思想です。政治を左右できるのは地位や権力のある自分たちだというおごりがそこに見てとれました。

 ぼくの母はただのその辺にいるおばさんですが、本人にしたら痛いことをズケズケ面と向かってよく言っています。息子のぼくが感心すると「だっていばっちょるもん」とすまし顔で口にします。それはそこら辺にいるただの人間のぼくたちが、権力者の専横に対するときの基本的な姿勢の一つではないでしょうか。

 「言わねばならぬこと言う」(桐生悠々)がジャーナリストのエリーティズムに基づくなら、「言いたいことを言う」はぼくたちの武器です。不十分な民法改正がなされて家族や社会のあり方を模索するのに暗中模索する中、言いたいことが言えなかったあなたの言葉を、何よりぼくは聞きたいのです。

 共同親権を主要なテーマとするメディアは運動の中にしかありませんでした。でも発信する場を持つことでぼくたちが政治に関与してきたのも事実です。「言いたいことを言」い、発言しながら暮らすことで、ぼくたちは「ちゃんと共同親権」への道程を探りたいと思います。

「差別的取り扱いは合理的」というアウト・ロー宣告

2019年から5年間国と争ってきた共同親権訴訟では、一審は非婚の親の「差別的取り扱いは合理的」と述べ、この文言は二審でも踏襲され、最高裁で不当判決が確定した。

最高裁判決に対して、抗議文替わりに「判決不受理」の決定文を最高裁に届けて、ぼくは市民運動としての共同親権訴訟にケリをつけた。その時、何人かから戸惑いを表明された。

何言おうが負けは負けだろう、権力には黙って従え、ということだと思う。でもぼくはこう言い返した。司法が不当な判決を出したときに、黙って従うのは主権在民か。

三多摩で市民運動をしていると、教育社の労働組合の争議団のメンバーと接する機会が度々あった。教育社は雑誌「ニュートン」を発行している会社で、そこで争議が起き、会社は争議つぶしに刑事弾圧含めあらゆる手段を用いた。争議の長さは42年間。最後は組合員が全員退職して争議が集結している(その後社長は刑事事件に問われて逮捕されている)。

組合の人たちは「司法に決定を委ねてはいけない」という。当時のぼくも「何言ってんだろう」「司法決定に逆らうなんてできんのか」と思った。情宣禁止の仮処分やなんやかや、憲法や労働法を無視した司法の決定は実際不当だった。組合は決定が出ても情宣はやめなかったけど、実際はダメージを抑えるためにギリギリの線で争議を続行していた。

そういう事例は三里塚から石木ダムまで、実はこの世にたくさんあり、自分が同じ目に遭うまでみんな他人事として見ていたに過ぎない。

非婚の親の「差別的取り扱いは合理的」と司法は敵意むき出しだった。結局ぼくたちの主張が正しかったのだ。子どもに会えないのは個人の問題という主張を司法も否定せざるをえなかった。やはり法制度の問題だった。でも司法は子どもに会えない程度でギャーギャー言うな、と言いたいのだ。

彼らが守ろうとしてきたのは家制度だ。自分の事例は家制度(戸籍)とは関係ないという人はいる。しかしあからさまかどうかの違いで、一方の家に子を囲い込めば家の外の家族関係は内縁化し、親権があってすら権利がなくなるというのは、家制度がなければ理屈や感情として正当化できない。

日本は違法行為が厳格に適用されて何でも法律で解決する国ではなく、仲間外れを作っていじめるやり方を踏襲してきた。家は仲間外れの正当化の道具だ。問題はこれが戸籍という形で国家体制の中に組み込まれていることだ。家系の存続に伝統や安心感を得る人はいる。だけどそれは家系図でやればよい。家系図を国が戸籍として管理して家の存続教を民に押し付け、従わなければ仲間外れにして殺す。

そうすると、非婚の親の「差別的取り扱いは合理的」というのは、「お前らは『家秩序という法』の枠外の人間だ」という宣告であるということがわかる。これは、国家によるアウト・ローの宣告そのものであり、日本語では「法喪失」や「法外放置」と訳される。市民権はく奪だ。子どもが相手の家に囲い込まれれば、無権利状態に陥る人の態様をよく表している。

アウト・ローの有名人としてはロビン・フッドがいる。ジョン王の圧政に従わなかったフッドはアウト・ロー宣告を受ける。アウト・ローはチンピラみたいなイメージが強いけど、実際にはまつろわぬ民は国にはチンピラに見えるというだけだ。国家による支配を受ける前の採集民社会などは、国によればチンピラで野蛮なアウト・ロー集団である。

子どもに会えない親たちも、今回アウト・ロー宣告を受けた。その中には、国会議員や大企業のエリート社員も、金持ち経営者やあるいは司法関係者もいるかもしれない。だけど、社会的な地位はあっても被差別民であることは変わらない。

国によれば、共同親権運動は本質的に反体制運動である。権力にすり寄って条件を勝ち取るか、まだ見ぬ未来のために仲間たちとともにシャーウッドの森から矢を射かけるか、あなたは選ぶことができる。辛亥革命を起こした孫文は「今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります」と神戸で大アジア主義を掲げている。誰と手をつなぎ何に立ち向かうかもあなたは選ぶこともできる。

「ステージを降りて主役になれ」共同親権運動の原点へ

 共同親権運動を始めた国立から2016年に大鹿村に移り住んだ。

 鳥倉山の麓の標高1000mの家から、毎月5時間かけて上京する生活は9年目になる。 

 千葉県の子どもたちの学校に出向いたり、会いに行ったり裁判したり、月に1回以上は上京した。その折に学習会や自助グループを主催した。2019年に国家賠償請求訴訟を提起してからの5年間は、法改正の動きも具体化した。裁判の院内報告集会や議員への働きかけもあり、上京する理由は増えた。

 そうこうしている間に子どもたちは成人した。子どもに会えない親たちを鼓舞し続けた国賠訴訟は負けて終わった。別居親子の再開や権利回復に取り組んできたのに、自分は子どもたちと関係回復できていない。どうしたもんかな。

 コロナで国が外出するなと言っている間も、会えない子どもに会いに千葉まで行き、仲間たちと集まりを持った。結婚を機に大鹿に来たのに、「こんな時期に子どもに会いに行くなんて」と妻に捨てられ、5年前には大鹿にいる理由もなくなっている。

「家族って何だろう」

 だけど、子どもと引き離されるというつらい体験ですら、それを誰かと共有できた。それが社会的であり政治的な問題であると知ることで、ぼくは自分自身を取り戻すことができた。国立から共同親権運動が始まった。どこにも居場所がないと感じた者たちは、世界に自分を受け入れてもらえるようにするために、社会を変えようと思い立った。

 単独親権制度という法と因習が子どもたちの前に立ちはだかっていた。共同親権運動を始めたとき、司法で写真3枚の送付という決定を受けた仲間を支援した。彼は「本当は法律なんてない社会を望んでいるんだけど」と口にした。「法を私たちの手にするために」法改正を促すと、国はハードルの名前を変えて立ちはだかり続けた。運動から離れた彼の言葉を抱きしめて、ぼくは支配の道具と化した法なき世界を夢見てジタバタし続けた。

 戦前から引き継がれた家制度は戸籍の中に命脈を保っている。戸籍外の家族関係を内縁化し、国に都合のいいときだけ関係を容認する、壮大な仲間外れの体系である。家族にも社会にも「アウト・ロー」とされたぼくたちが人間であり続けるために、勝ち組負け組を作り続ける社会では、さほど顧みられることもなかったものを一つひとつ見直していった。

 人の痛みが自分ごととして想像できるから、お互い様や信義や公平、思いやり、といった言葉が現実味を持つ。一人ひとりの弱さは社会を変える武器にも変わる。ステージから降りることで主役になれる。社会の主流から外れたときに感じる挫折感は、仲間と同じ夢を見ることで力に変わる。誰からも求められず、どこにも居場所がないということは、どこにいてもいいし、どこに行ってもいいというメッセージだ。

 かつてジタバタしはじめた東京で、今何かすべきことがあるのだろうかと迷ったときに、東京の仲間たちはぼくが暮らす大鹿村に足を運びはじめた。ぼくはここに居続けるために、助けを求めていたし、地域や環境を維持するにもそれが必要だった。

 ぼくが「山よりな暮らし」と名付けてはじめた発信を、「アウト・ロー」とされた仲間たちがおもしろがりはじめた。春の山里は桃源郷。山菜を取り、田んぼに水を張ると山小屋で仕事をし、キノコを求めて山に入って収穫した米を食べる。近所づきあいももめごとも、ここで暮らすには必要なこと。そこに「本物」の暮らしがあるのでは探検に来た仲間たちは、子どもと引き離されて居場所の定まらないままに、学生時代の登山の思い出を胸に大鹿村にやってきたかつてのぼくの姿だった。

 ぼくが東京で誰かの助けになればとしてきたことは、実は自分が助けられていたお互い様の一コマだった。もともと山間の隠れ里は「アウト・ロー」が目指す場所だった。コミューン、解放区、アジール、梁山泊……ぼくたちはシャーウッドの森の中にいる。だとすると東京にぼくが通い続けることは、現れる未来の冒険家たちとの交歓とともに、お互い様のつながりや拠点をつくる実験でもある。

 父母間の主従を決める単独親権制度は、子どもを奪い合って勝ち負けを強いる。共同親権は父母それぞれの持ち味を子どものために活かしあう。

 ぼくの出身地の大分では生計(たつき)というほどの意味で「いのちき」と口にする。郷土作家で市民運動家の松下竜一が『いのちきしてます』で世に出した。「あんし(人)はあれがいのちきよ」と父や母、大人たちはこの言葉をさらっと口にする。芸に手に職、商い、愛想、特技……誰しもが生きていくに頼みとする手立てを持っている。なんであれそれで一日乗り越えろ。そう言い合って励ましあっていたのだろう。

 子どもを誰が見るべきかという家族法の中から生まれた「共同親権」という言葉を、ぼくたちが新しい家族的な関係を築く梃子につかってみたい。この物語があなたの心と触れ合ったなら、そこから新しい物語がはじまる。

 ぼくは今いのちきしてます。

(2025年4月28日 雪の三伏峠小屋にて 宗像 充)

実子誘拐を記事にして仕事を干される(1)  プライバシー侵害を訴えた原告が弁護士と記者会見?

牧野佐千子さん(ジャーナリスト)に聞く

フリーランスのジャーナリストの牧野佐千子さんと、牧野さんの記事(「『娘が車のトランクに』日本で横行する実子誘拐」2019.10.10)を配信したプレジデント社に対し、東京地裁(衣斐瑞穂裁判長、川口藍裁判官、東郷将也裁判官)は3月17日、名誉棄損とプライバシー侵害を理由に、合計110万円の損害賠償とオンライン記事の削除を命じた。

記事はフランス人のヴィンセント・フィショ氏が2018年、日本人妻(当時)によって3歳の息子と11カ月の娘を、同意なく引き離された行為を「実子誘拐」として問題提起したものだ。日本では慣例的になされていた「子連れ別居」が、海外では刑事罰とされるその認識のギャップそのものが論点だ。

プライバシー侵害を訴えた原告が弁護士と記者会見

牧野さんはぼくのライター仲間である。

共同親権や実子誘拐といった、これまで知られていなかった概念を日本社会に事例とともに解説し記事化してきた。このテーマがメディアの中でどのようにキャンセルされてきたか、牧野さんと集会で対談したこともある。ハキハキとした物言いをして、論争になると譲らないところもあり、意見の違いはあっても、お互い「やるな」と認めていたと思う。

とはいっても、昨年5月に共同親権を婚姻外に「導入」する改正民法案が成立し、共同親権反対の意見が大きくなっても、ぼくのほうは立法不作為で国を訴える国家賠償請求訴訟の原告で、プレイヤーに専念していたためか、牧野さんのように裁判手続きを使って刺されることはなかった。

ところで、ここでぼくは慎重を期して、特定そのものが裁判の争点となった日本人妻の名前を伏せているが、バカバカしい思いがある。妻とその弁護団は、提訴するにあたり、2022年12月14日に、日本外国特派員協会で記者会見をしており、ここに彼女も登場しているからだ。

彼女とその弁護団は、牧野さんたち以外にもフィッショ夫妻について扱った、3件の名誉棄損やプライバシー侵害の裁判を起こしており、1件は敗訴している。

当時はコロナ禍の最中であり、マスク着用が当たり前だったとはいえ、彼女の知り合いならそれが誰かわかっただろう。しかし妻側の訴えは、ヴィンセント氏の名前を記事化すれば、夫婦のことを知っている人は妻の側を特定してしまうことになり、それがプライバシー侵害の理由の一つにされている。なんだそれ。

共同親権反対の弁護士たちが妻側弁護団に

牧野さんを訴えたのは、民法改正時の国会審議の公聴会でも呼ばれた、弁護士の岡村晴美にフェミニスト弁護士として名の通った太田啓子、日弁連両性の平等に関する委員会の事務局長の斉藤秀樹、それにヘイトスピーチ規制に賛成し、名誉棄損法の濫用=いわゆるスラップ訴訟に反対する意見を表明してきた弁護士の神原元、復代理人の水野遼である。いずれも共同親権に反対している。

ところで、ヴィンセント氏について記事化したネットメディアのSAKISIRUは、同様の弁護団で訴えられ、それを口封じや嫌がらせのためにするスラップ訴訟であるとアピールしてきた。自分の側の名誉棄損事件についてはスラップではなく、他人がする名誉棄損事件はスラップとして反発するのか。

直接神原弁護士にファックスで取材依頼をすると、電話口で「判決を見ていただければわかる」という。見てもわかんないから電話してんだけど。

プライバシー侵害?

ここでぼくもヴィンセント氏の名前を出していて、その元妻(2人はその後離婚が成立している)から、互いの知人に身元がバレると訴えられるかもしれない(実名が掲載されているネット記事は見られる)。しかしそうなったらそれが口封じ目的のスラップ訴訟の証明だと思ってほしい。

というのも、プライバシー侵害というならば、その流出元のヴィンセント氏本人を訴えなければ、元を絶てないからだ。記事はその本人の証言や本人提供の物証をもとに書かれているのだ。言いがかりにしか思えなかった。

どちらが被害者か?

そもそも父親側が実子誘拐という海外では違法な行為の被害を訴えており、母親側はそれらは日本では問題ではなく、夫側は個人的な問題を騒ぎ立て、私こそが被害者だという。「被害者タイトル争奪戦」において、勝者を決めるのは何を「アウト・ロー」とするかの社会認識である。その上、日本の場合は「離婚の被害者はそもそも女性」という固定観念は強い。

そして、子どもと会えていないのは、会えない側に問題があるからだ、という通説に挑戦したのが牧野さんである。

この記事で牧野さんは離婚後に親権をどちらか一方に決める、日本の単独親権制度の問題点にも言及している。しかしその後2024年5月には婚姻外の共同親権も可能となる改正民法が成立し、社会認識の転換に向けて議論が巻き起こる中での、この裁判である。そこにいったい口封じの意図がなかったと言えるだろうか。

「モチベーションなくなりますよね」

本訴訟では牧野さんがヴィンセント氏から提供された動画を見て書いた、妻が車のトランクに子どもを入れて誘拐した、という記事の内容が名誉棄損を構成する部分となっている。次回記事ではこの点について考えてみたい。

ぼくは3月17日の判決後の4月5日につくばに牧野さんを訪ねてインタビューしている。

友人が自衛隊官舎にイラク派兵反対のチラシを配って逮捕され、その救援活動を本にしたのがぼくの作家活動のスタートである。既存の体制に異議を唱える表現行為がどれほど身の危険を脅かす場合があるかというのを、その過程を通じてつぶさに見てきた。その後もそれらをテーマにした記事を時々書いてきた。スラップ訴訟を提起されたこともある。

「書き物の仕事、モチベーションなくなりますよね」

一審敗訴による牧野さんの落胆が大きかったのは明らかだ。ぼくの問いかけにしばしば無言になりながら、たどたどしく言葉を絞り出している。

「狙い通りやられた。悔しい」

プレジデント社が一審で矛を収める中、牧野さんは手弁当の弁護士の励ましもあって控訴した。牧野さんも一審で最初はやめようと思っていたようだ。「110万なんて払えるの」と聞くと首を振る。

名もない一人ひとりの表現活動の自由を保障するのは、金をもらって表現活動させてもらっている文屋のぼくたちの職責の一つでもあると思う。引き続き本裁判を追う中で、親権問題における表現活動の現在について考えてみたい。