Fielder【vol.55】反権力 生活の 勧め(後半)

長崎県川棚町川原 ー元祖・ふるさとを守るたたかいー

長崎県川棚町川原地区。町の中心から十分ほどの谷間に一三戸約五〇人が暮らす。ここに石木ダムの建設計画が浮上したのは半世紀以上前。建設を進める長崎県は強制収用によって昨年九月、地区内の土地をすべて取り上げた。それでも建設工事を止めるため、地区の「おじさんおばさん」は毎日座り込みを続ける。一週間いっしょに座って、ダム反対の川原ライフに入門した。
文・写真 宗像 充


盛り土の上でイスに腰掛ける?

「ここはおれのふるさとたい」

地区総代の炭谷猛さんが建設現場を案内してくれた。朝早く墓地に続く道を登り、砂利道を下った先の赤茶けた土の上に、二〇人ほどの男女がイスを出して座っていた。炭谷さんとぼくは、そこと工事現場を分ける柵を越え、高台から現場を見下ろした。

「炭谷さん、困りますよ。工事現場内を勝手に歩かないでください」

大丈夫なのかなと思っていたところに、長崎県の職員の一人が寄ってきた。炭谷さんが言い返したのが冒頭の言葉だ。口論になって脇で見ていたぼくも「あなたは誰だ」と名前を聞かれた。「答える必要あるんですか」と問うと、「不満があるなら裁判すればいい」と言い放った。

前日の一〇月二六日が、長崎県が示した物品撤去の期限だった。イスを入れる物置や旗竿、テーブルとベンチの写真を載せた看板がある。県側は「道路区域内の不法占有物」として撤去の要請をしている。そのテーブルでぼくは地区の女性たちが出すコーヒーをすすった。

ここは県道の付け替え道路(三・一キロ)の建設予定地の一画だ。一六日に抜き打ちで土砂が運び込まれ、だから赤土の上に座っている。それまで平日の午前中だけだった座り込みを午後と土曜も実施するようになった。この日、座り込みは九四二日を数えていた。

炭谷猛さんは地区の総代で、川棚町の町議会議員。選挙ではトップ当選だったが、町議会では唯一のダム反対派。

「小さなダムの大きな闘い」

背後の鋭鋒、虚空蔵山から流れ出た二つの支流が身を寄せ合うように合流する場所に、川原地区はのびやかに棚田を広げ、家々が点在している。夏にはホタルの群舞が見られるという。その集落を回り込むように、付け替え道路が森を切り開きながら鎌首をもたげた蛇のように這い上がっている。

川原にダム計画が浮上したのは一九六二年。長崎県と佐世保市が二級河川川棚川の支流、石木川に計画した。堰堤高は五五・四メートル、総貯水量五四八万トン(東京ドーム四・四個分)。総事業費は五三八億円の多目的ダムだ。虚空蔵山の頂上から見下ろすと、きんちゃく袋のような地勢の川原は、格好のダム予定地に見える。

「最初はハウステンボスに水を使うと言ってたとよ。それが今は佐世保市の渇水に備えてとなっている」

現地で座る女性たちのまとめ役の岩下すみ子さんは佐世保市出身だ。石木ダムは当初、針尾工業団地の水がめとして計画された。ところがこの計画はとん挫し、予定地は現在テーマパークのハウステンボスになっている。

「県はそこで計画を見直さなかったし、次は治水と目的を変えていく」

岩下さんが憤る。建設側が理由とする一九九四年の渇水も「全国的な渇水で佐世保市だけじゃなかった。納得できない」。実際、ダムのできる石木川は川棚川全体の一割の流域面積しかなく、ダムを作っても洪水は防げない。

当時の建設省がダム計画を認可すると、住民たちは「石木ダム絶対反対同盟」を作り立ち上がった。同盟の幹部が切り崩されると同じ名前の同盟を再結成し、一九八二年には機動隊一四〇名を投入しての強制測量を実力阻止。「小さなダムの大きな闘い」と呼ばれた。集落内には、櫓や反対看板があちこちにあって、人々はその中で暮らし、世代を重ねている。

一〇年前に付け替え道路の建設が始まると、重機の下に座り込むなど建設阻止の衝突が再び起き、その末に今の座り込み場所がある。土地は取り上げられても「一三軒住んでいてダムができるとは思わない」と岩下さんがきっぱり言う。女性たちは柵を乗り越え「みんなの土地」を見て回る。

初日に長崎県の職員と言い合いになった後、ジャーナリスト向けに出された掲示。施工業者が筆者の車を撮影するなど建設側の警戒感が伝わってくる。

2017年、夜間抜き打ちで重機が持ち込まれた。住民たちは重機の下に座り込んだ。(撮影・山下良典)

佐世保市の水道局には「石木ダム建設は市民の願い」の垂れ幕が。川原からは車で40分ほどかかり導水時には途中の峠はポンプアップする。

「石木ダム絶対反対同盟」の幟旗は「室原王国旗」。ダム建設史上最大の紛争と呼ばれる、松原・下筌ダム闘争で一三年間の反対を貫いた室原知幸が作った。熊本・大分の県境を流れる筑後川の山間に「蜂の巣城」と呼ばれる砦を築き、国の強制代執行と「交戦」した「蜂の巣城の闘い」は松下竜一の『砦に拠る』で読むことができる。「日の丸」を反転させた王国旗は、人民が権力を囲む。川原で反権力の命脈を保ってきた。

昨日も今日も明日も座る

週に何回くらい来るのかと聞くと、「毎日よ」という答えで驚いた。これは一週間やってみるしかない。

休み時間には茶菓子とコーヒーが出て「いつもよりサービスがいい」と軽口をたたく。

それが二日座っただけで消耗する。埃っぽいし日差しも強い。朝、目の前の柵の向こうに出勤する県職員が去れば、監視カメラで見張られる。これを雨の日も風の日も一年中続けている。

「今日私たち温泉に行くんだけど行くかな」と岩下さんに火曜日に言われて飛びついた。「若い男を連れてきた」と受付でわざわざ言うお隣の岩本菊枝さんの言葉を、「もう若くないです」と否定する。町内の入浴施設に隣近所三人組の女性たちで週二回通う。そうでもしないと体がもたないのがわかる。

一〇年前に付け替え道路の建設が始まるときに、最初に抗議行動を組んだのは、一三軒の家の女性たちだった。顔が識別されないようにマスクをし、お揃いの法被を着、人数を水増しするために案山子をつくって出陣した。ゲートの前に後ろ向きで並んで歌を歌った。今も座り込みの主力で半日交代でやってくる。そのときの「川原の歌」を現場で合唱してくれた。春風がそよぐような歌詞とメロディーがやさしい。

「男は生まれてからずっといる。女はよそから来る。それが男よりがんばってるんだから」と男性陣の石丸勇さんは感嘆する。

「女は女で苦労をともにしてきた。長男の嫁でばあちゃんもいて、みんな同じ立場だった。出ていく人もいる中で、隣近所、仲間は大事。反対して助け合いながらなんでも正直に本音でつき合える。この重さはお金では代えられない」

岩下さんは付け替え道路の工事が始まるまで、一〇戸を移転させた水面下の切り崩しを振り返る。

「この人賛成やろか、反対やろかと人が信じられない。だからって付き合わないわけにはいかない。一三軒になって結束は強くなったけど、その間はきつかった。私たちの年代で中止にせんと、子どもたちに申し訳ない」

隣近所3人組で温泉に連れて行ってくれた。左が岩下すみ子さん、真ん中が岩本菊枝さん、右が岩永信子さん。

座り込み現場で「川原の歌」を歌う地区の女性たち。「日本うたごえ祭典」でも合唱した。歌詞は「自然を守る人が住む」と結ばれる。

「土地を取られても何も変わらない」

「住民たちは追い詰められている」

虚空蔵山に登った帰り、川原の上流、全戸移転した無人の岩屋地区でぼくが撮影していると、川を眺めていた年配の男性が話しかけてきた。「懐かしいからきた」という。

「ダムができないと何のために出ていったかわからないからでは」

川原に戻ると地区に暮らすイラストレーターの石丸穂澄さんに道で出会った。「怖い人たち」と見られがちな住民たちの横顔をイラストで発信している。自宅の田んぼはずさんなダム関連の道路工事で水路が切られ、来年から営農できるか未定だ。

「脅しや嫌がらせは昔から受けていて慣れている。無理して作れば予算は何千億円もかかって困るのは県民。追い詰められているのは県のほう。土地を取られても何も変わっていない」

妹が川原に嫁いだという男性も隣町から座り込みに来ていた。

「妹は住み続けるという。法的には不法侵入。どうするのとは聞けない」

そう言いながらも週に一度は加勢に来る。新聞を見てはじめて来た男性、この問題はおかしいと志願してきた新聞記者、そして近隣から集まってくる支援者たち。一四〇メートルの阻止現場の奥行きは、思った以上に広かった。

石木川にはヤマトドジョウなど約20種の川魚がいて種類が多いのが特徴。シーボルトの標本採集も石木川でなされたのではないかと言われている。(絵・石丸穂澄)

「神主さんが来ているので死体が出たかと思った」とカメラを持って飛び出してきた石丸穂澄さんは「風景が変わっていく」と嘆く。神主は移転した家の屋敷神を合祀する神事を行っていた。

未来を取り戻すために

週末、川原の一画にティピと呼ばれるテントが出現した。満月の日に合わせ「田んぼフェス」が開かれ、コンサートや神事、法話、餅つきまで盛りだくさんだった。

主催した越智純さんは、次は本体工事という時期に「里山の暮らしはこうだった。原点回帰としてキャンプしてここでみんなで感じてダム計画を考えてみよう」と外部から祭りを持ち掛けた。セイタカアワダチソウが茂っていたかつての田んぼは「無断使用」。でもそれは地区内どこも同じ。

「農機で起こした人が『土が喜びよるごたる』と言っていた。来年は稲を植えられれば。ここはダムのおかげで砂防堰堤もない。まるで地区全体がビオトープでタイムカプセル。今の時代に向いたアウトドアやエコロジーライフの実験場にできないでしょうか」

集落に一歩入ると感じるなつかしさの正体はそれだった。もともと町にも近く、災害もなく住みやすい。新築した家も多い。だけどここは行政サービスの埒外だ。公民館も古くて、農地の区画整理も河川の護岸整備もない。

「時間が取れなくて畑の草は伸び放題」と石丸さんが週末にやってきたお孫さんと芋ほりをしている。岩本さんが「ここは県が買収したとこ」と畑で大根を抜いていた。座り込み現場で見る人も、平日は勤めの現役世代も、農作業に汗を流し、物珍しそうにお祭り会場に現れた。河原では子どもたちが遊んでいる。華やいだ週末だった。

「よく考えたらふるさとに守られてきたんだなあ」

ステージでスピーチした炭谷さんが口にした。川があれば子どもが遊ぶ、畑があれば野菜を育てる、イノシシがいれば罠を仕掛ける、月をめで広場があればお祭りをする……それはずっと昔からの人間本来の姿に見えた。ふるさとを守る闘いは、そんな未来をぼくたちの手に取り戻すことだろう。

週末に現れたテント村でフェスが開かれた。手前が越智純さん。

週末に孫がやってきて芋ほりをする。右が石丸勇さん。

http://fielder.jp/archives/14002

目的意識のない当事者運動

宗像が当事者たちを分断させてきた

 この間、当事者の間(主にネット)でそういった批判がある、というのを何回か知り合いに聞かされた。ツイッターではぼくの個人名を挙げて、集めた金を使い込んでいる、という根も葉もない批判がなされている(らしい)というのも教えられている。

 こういった行為は名誉棄損で刑事犯だから、告訴したらどうかと親しい人には促されるのだけど、感想で言えば「またやってら」と思った。こういう行為は別居親当事者が何回となく繰り返してきたことだ。公金横領は犯罪なのだから、ツイッターに書きこむほどの証拠があるなら、刑事告発すればよい。

 とはいえ、単独親権制度を温存するための訴訟妨害を放置するのもなんだから、共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会(進める会)のホームページには、会員向けに出した案内を掲示した。

きっかけは、「子育て改革のための共同親権プロジェクト(プロジェクト)」が発行した提言書を、進める会が会員向けに郵送して、会費更新の郵振を同封していたことをきっかけにしている。進める会は訴訟に勝つために、世論を盛り上げるプロジェクトの提言書発行に、知恵出しや発行費用の分担という形で協力しているのだから、その対価で受け取った冊子を会員向けに配ることに何の問題もない。その点を明記した案内文をつけて会員向けに配ったにすぎない。

振込用紙を入れたのを「金集めでおかしい」という批判もあると聞いて、頭の中に「?」マークがいっぱいついた。市民運動をいくつかやっていると(市民運動じゃなくても同窓会や趣味の団体でも)いろんな団体から会報といっしょに振込用紙が入っているのを日常的に見かける。こういう批判をする人は、その経験がないのだろう。

今後、こういう批判をした人は、カンパ集めとかクラウドファンディングとかいった「金に汚い」行為は一切しないだろうから、すべて手弁当でがんばってほしい。

金を集めて獲得目標を手に入れろ

市民運動をするときに、資金をどうするか知恵を絞るのは、アメリカの大統領選挙で、資金獲得競争が話題になるのを見ればわかるけど、当たり前のことだ。

例えば、2014年には平等な養育を求めて、アメリカの中間選挙に合わせ、北ダコタ州で住民投票が行われている(http://kyodosinken-news.com/?p=7816)。この州は人口67万人のだが、「北ダコタ親の権利イニシアティブ」は、州の法律の修正を求めて、15,001筆の署名を集め、うち14,400筆が有効(住民投票のためには13,452筆が必要)と判定された。

この修正案が成立すれば、両方の親は、離婚後も原則的に、親として等しい権利を持ち、子どもの養育を等しく行うことになるはずだった。修正案への賛成運動を行うための活動資金として、主に個人から計268万円が寄付され、修正案への反対運動を行うための活動資金として、北ダコタ弁護士会から500万円、北ダコタ弁護士会の家族部門から200万円、計700万円が寄付されている。そしてこの修正案は住民投票で否決されている。父親の権利運動が地道な取り組みをしても、反対組織に金を積まれればひとたまりもない。

進める会がファンディングで支援していただいた額は300万円余だが、活動を継続するために資金が必要なことぐらいはわかる人はいるので、ありがたいことに重ねて入金してくださった方は少なくない。

政治家の汚職事件が問題になるのも、目的を達成するためには金が必要になって、それがルール違反の場合にしょっ引かれるにすぎない。当事者間の主導権争いのために、個人攻撃に血道を上げるくらいだったら、みんなが金を出したくなるような企画を出すほうがよっぽど民法改正につながるだろう。

とはいえ、やりたいのは民法改正ではなく主導権争いだから、こういう中傷や足の引っ張り合いが何回となく繰り返されている。やるなら、山本太郎やら、もっと有名どころを狙えばいいのに、それはやらない。こういうのは有名になると払う税金のようなもので、そのことで注目も集まるという仕掛けにもなっている。「出る杭は打たれる」けど、「出過ぎた杭は放置される」。

早期民法改正は半年、それとも三か月?

 宗像が当事者運動を分裂させてきたと言われることが多い。足並みをそろえるために「宗像さんは引退してもらって」とかいう人もいて、「活動したい人に活動を提供するために運動してたんじゃないよ」と馬鹿らしくなる。あまり市民運動の経験がない人たちが多いので、会社的な組織を作って、上から指示を出してもらわないと安心できないのだろうという感覚を持つ人がいるのは何となくわかる。だけど、ぼくは会社勤めをしたことがないので、それを「常識」と言われても、「ぼくは非常識」としか答えられない。

非常識な人を「常識がない」と言うのは誉め言葉だ。まさかこの時期に、大宴会とかしないよね(非常識なぼくはやっても文句言われないけどね)。

ところで、最初に親子ネットという団体を作って、全国組織として運動を大きく見せるという仕掛けを作ったのはぼくだ。それで院内集会とかをするようになったら、「国会で勉強会を開くような団体なんだからちゃんとしないと」と会社のような組織を作ろうとする人が出てきた。身なりや発言に至るまで、やたらやることに足かせをかけようとする人がいて、会議が成り立たなくなった。目的と組織という手段が入れ替わった瞬間だった。だから、親子ネットの最初の代表はぼくだということになるようだけど、その団体の人が批判している(という話を聞く。直接は言ってこない)。だったらすっきり名前変えればいいのに。いくら人数集めても、目標がはっきりしなければ目標に達しないのは当たり前だ。最初から目標がないんだから。

運動を継続するために、共同親権運動という言葉を作り、それを担う運動体として作ったのが、共同親権運動ネットワークだった。それもやってると親子ネットと同じことが起きたので、やることを明確にするために、「私たち抜きに私たちのことを決めるな」と訴訟を始めた。獲得目標は民法改正だ。

「プロジェクト」は来年の民法改正を目標に掲げた。ああだこうだという人たちは、一年よりもっと早くそれを実現してくれるなら、全然文句はありません。みんな結集すると思うよ、やんないの?

単独親権制度のメリットはDV加害者を引き離せること?

他人のブログの記事を読んでいて、単独親権制度のメリットとして「例えばパートナーからDVを受けていて、子どもにも被害が及んでいる場合などは、相手が全くこちらに接触できないようにできます。」というものがあった。この方は共同親権賛成の立場から発言しているのだけど、実際には単独親権制度で加害者からの引き離しが可能だという、反対派からの主張を真に受けている。実際はどうなのか。

単独親権制度は養育の責任の所在を明確にする規定

 単独親権制度は、養育の責任の所在を明確にする規定だ。民法で言えば818条や819条に記載がある。ちなみに、離婚後の単独親権制度ばかりが別居親の間では注目されるが、民法818条3項に「親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。」という規定がある通り、単独親権制度の対象は「婚姻外」である。

単独親権制度の規定は、嫡出子/非嫡出子の規定と、離婚時の規定と、民法内で別々に規定されていた二つの流れが、たまたま単独親権規定で合流したという経緯がある。したがって、「単独親権制度廃止/撤廃」というのは、これら婚姻外の単独親権規定を撤廃するにほかならず、「単独親権制度廃止は言葉が強い」とか言っている人はただの勉強不足だ。民法改正とか言う資格ない。

民法818条にも「ただし、父母の一方が親権を行うことができないときは、他の一方が行う。」とあるように、子どものために親が子どもの面倒をみたり、子どものことを決めるというのは、父母にそもそも求められていることだ。どちらもが養育したくないというのでもない限り、双方が養育への関与を望んでいるときに、単独親権制度には合理的な理由はない。もしあるとしたら、一方が面倒をみることで子どもに弊害が生じたりする場合に、他方に親権者を変更したりできることがある場合だろう。

ところが、818条2項では「子が養子であるときは、養親の親権に服する。」とされ、その父母を養父母に読み替えての条文の適用が819条でなされる。そのため、代諾養子縁組で親権のない親が養子縁組に関与できない場合においても、親権者変更ができないという実情があり、実際に最高裁はそれを肯定している。つまり、現状の単独親権制度では、「あらかじめ決定権の所在を明確にすれば子どものことでもめない」し、なおかつ柔軟に親権者を変更できれば、見られる親が子どもを見るという、あるとしたら唯一の「単独親権制度のメリット」がなく、したがって、憲法違反にあたるというのが、ぼくたち、共同親権集団訴訟の主張だ。

だから、「例えばパートナーからDVを受けていて、子どもにも被害が及んでいる場合などは、相手が全くこちらに接触できないようにできます。」なんていう条文解釈は、民法を見ている限り見当たらない。

なぜこんな勘違いが生まれる?

 「例えばパートナーからDVを受けていて、子どもにも被害が及んでいる場合などは、相手が全くこちらに接触できないようにできます。」ということを民法の上でできる規定は、単独親権制度ではなく、親権喪失や親権停止の規定になる。それぞれの制度の適用には、あいまいなものながら審査基準と裁判所の審査を経る必要がある。これら条文は親権者に適用されるものだから、何もわざわざ婚姻外に限ってあらかじめ単独親権者にする必要はなく、単独親権制度を廃止すれば、これらの審査が等しく平等に親権者に適用されることになる。これも共同親権集団訴訟の主張だ。

 とはいっても、これら規定も、実際には子どもを養育すること、子どものことを決定することを制約する規定にほからならず、だから「一切関与を絶たなければならない」なんてことは規定されていない。

 こういった「断絶」という現象は、特別養子縁組制度や、あるいはDVや虐待における保護措置の過程で生じるもので、単独親権制度の条文から本来導き出されるものではない。

 ただし、「別れたらどっちかの親が子どもを見ればよく、もう一方の親は関与しなくていい」という制度に由来する思想は、こういった「断絶」現象を、あたかも条文から導き出される「合理的な差別」であるかのように感じさせる。つまり「親権者じゃないんだから学校に来ないでください」「監護者の言うことを聞くのが普通でしょう」ということになり、差別に基づく様々な行政措置(つまり反別居親慣行)を正当なものとして、別居親が子どもにかかわるハードルを上げ、結果的に別居親に子どもをあきらめさせる。

 つまり、「例えばパートナーからDVを受けていて、子どもにも被害が及んでいる場合などは、相手が全くこちらに接触できないようにできます。」をメリットとして、単独親権制度を維持しようという主張の人は、これら結果を逆立ちしてそもそも前提であるかのように勘違いしている。

しかし、これら「男は加害者、女は被害者」「男は仕事、女は家庭」という性役割に根差した差別思想を、差別とは感じさせずに実行するために、単独親権制度を維持しようとする勢力は存在する。ただ一般にこういった思想は浸透しているのだけど、こういった思想に基づく認識は実は制度があることによって再生産されている。

単独親権制度の廃止が男女平等社会に向けての一丁目一番地、という理由はそこにある。

セミナー・グループワーク・交流会 「もっと知りたい共同親権」

共同親権訴訟の発起人で『子どもに会いたい親のためのハンドブック』著者が贈る、子どもに会いたい親、別れても共同での子育てを願う人たちのためのセミナー・グループワーク。

【日時】2020年2月13日、3月13日、4月10日、5月8日、6月12日(毎月第2土曜日)10時~12時 女と男のグループワーク
13時~15時 共同親権カフェ(交流会)
15時半~17時 ミニセミナー「もっと知りたい 共同親権」
【場所】全労会館会議室(開催日ごとに部屋が変わるので1階の掲示板でご確認ください)
東京都文京区湯島2-4-4(JR御茶ノ水駅御茶ノ水橋口徒歩8分)
http://www.zenrouren-kaikan.jp/kaigi.html#08
【ファシリテーター・講師・応談】宗像 充
(ライター。共同親権訴訟発起人、 『子どもに会いたい親のためのハンドブック』著者)
【参加費】2000円(一日共通・どの枠に出ても同じ)
*枠毎に要予約(5~9名。部屋に応じて定員が変わります)

【女と男のグループワーク内容】親子の引き離し、DV(家庭内暴力)、仮面夫婦、不登校・引きこもりetc
……悩みを共有し、家族や自分のこといっしょに考えます。性別、大人/子ども問いません。
【ミニセミナー「もっと知りたい 共同親権」各回内容】
現状の制度や支援の問題点、共同親権にどんな可能性があるのか、問題提起していっしょに考えます。
<第1回>2月13日(土)「共同親権運動って何? その歩み」
<第2回>3月13日(土)「実子誘拐とDV—何が問題?」
<第3回>4月10日(土)「どうしてダメなの? 家庭裁判所」
<第4回>5月8日(土)「必要な支援って何? 単独親権/共同親権」
<第5回>6月12日(土)「単独親権から共同親権、家族はどう変わる?」
【相談について】
セミナーの前後に個人相談が可能です。お問い合わせください。(要予約50分3000円)
主催 おおしか家族相談 協賛 共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会
(予約先)TEL0265-39-2116(共同親権運動) メールmunakatami@k-kokubai.jp
URL https://munakatami.com/category/family/

単独親権でも共同養育はできる?

一昨日、長野県庁で記者会見をした。

勝手連で「子育て改革のための共同親権プロジェクト」を長野駅でした後、賛同運動と長野市と大鹿村に陳情を提出した件について、会見を開いた。県内で共同親権陳情は初めてなので、信濃毎日が記事にしてくれた。

会見では、記者数名と県庁の職員も来て聞いていた。

地方紙の記者は、「単独親権でも共同養育はできる」という議論があるけどどう思うか、とこの問題でよくある疑問をぶつけてきた。予習している。

単独親権でも共同養育できるカップルがいるのは当たり前だけど、だったら共同親権でそういうカップルが増えたらもっといいじゃないと思う。だからこういう質問は意味はない。

だけど記者には、「単独親権で共同養育はほんとうにできるんですか」と聞いた。

問題は親権がなかったら子どもに会う保証がなくなるということだ。どちらかに親権を決めないといけないとなると、親権を奪うために連れ去ったりもするし、相手になつかれたくないから引き離しもする。

お互いの関係が法的にも対等であること、男女平等が進むこと、離婚しても子どもから見たら双方の親の地位が変わらないこと、それが明確であれば、相手より優位に立とうと相手の養育を妨害する動機がなくなる。つまり、単独親権で共同養育という状態を維持することはできるが、それは常に猜疑心との闘いになる。実際、しばらくは別れても子どもと会えていたのに、再婚や別のきっかけで子どもと会えなくなる親はとても多い。

宗像さんは共同養育に反対してるのか?

という問いがうわさされているというのを仲間に聞いた。そんなの直接聞けばいいのに、と思う。そもそも共同養育は状態なので、状態に反対してもしょうがないと思う。

というかこういう問いを出す人は共同親権に反対なのだろうか。

ぼくが共同親権を強調するのは、共同養育という状態を作り広めるためには共同親権が大前提だからだ。だいたい共同養育を求めている別居親たちは、単独親権でも共同養育ができていない自分の状態は何が原因だと思っているのだろうか。権利が対等でないことは問題ではないのだろうか。そもそも100日の面会を求めるといっても、それが権利なら、あえて共同養育を強調することに何が意味があるのだうか。

親の権利はもううんざり、とか言ってる人たちは、子どもの視点から見て双方の親が決定にかかわって責任を分け合うことは子どものためとは考えないのだろうか。そもそも子どものためには共同親権ができたほうがよくて、それができる制度と支援を広めたほうがいいと思うのだけど、それに反対するのはどうしてだろう。

「権利ばかり言って」という批判を恐れてということなら、そもそも運動なんてする意味あるのだろうか。「権利ばかり言って」なんて女性運動でも、少数民族の運動でも、差別される側は何度も繰り返し言われてきたことだ。運動したくないならそれもいいけど、だったら他人のことを品評しなくてもよさそうなものだ。

ネットで公開! 反権力生活の勧め

Fielderに書いた「反権力生活の勧め」。現在ネットで見られるようになっています。

http://fielder.jp/archives/13690

三里塚 ー半世紀にわたる反権力闘争の現在ー

海外旅行への玄関口として定着した成田国際空港。地元三里塚は、一九六六年の空港建設の閣議決定以来、警察機動隊と反対派との激しい衝突を繰り広げた闘争の歴史を持つ。その後、有機農業の先進地として成長し、多くの人がそれを支える。反対運動は五四年続く。もはやそこでの暮らしそのものが反対の表現だ。航空機の轟音の下での農業と暮らしは私たちに何を伝えるのか。一週間、三里塚で暮らして考えた。

ナルヒトが山を歩くと・・・「山とナルヒト」最終回

 編集部に連載の反響を聞くと「もっと辛口でいいんじゃないか。山に来るな、とか言ってもいいんじゃないか」という感想があるそうだ。ぼくもそう思うけど、それだと連載は続かない、ので、今回で最終回にしようと思う。

 東京在住の徳仁は中部山岳を中心に、あちこちの山に登っているのでぼくもそのうちのいくつかを登ったことがある。だいたいのところ、そういう山は道も設備もよくなっている(山小屋に水洗トイレや風呂ができるという)と思うのだけど、以前も書いたように、訪問前を見てないからよくわからない。彼が来たというのがよくわかるのは、記念碑が立っていることだ。八ヶ岳の硫黄岳山荘や南アルプスの二軒小屋に登山記念の碑があるのを見たことがある。

そんなにめでたいことなのか。地元大鹿村の場合、以前は荒川岳の稜線の荒川小屋を所有していて、1986年に徳仁が来たときには、当時の小屋番のおじさんが接待をしていっしょにお酒を飲んだ。「おじさん、そんなに飲んで大丈夫ですか」と徳仁が声をかけたのを「への河童です」と答えたエピソードが「美談」として残っている。

このときは静岡からヘリで特設トイレを運びあげたというほど、とにかく地元自治体は準備に大騒ぎになり、新聞記者も追っかけて山に登って記事を書かないとならない。ぼくの山の知り合いの某県の山岳警備隊の警察官は、皇室が来るたびに警備に動員され「ほんとうに迷惑」と言っていたことがある。ちなみに、徳仁の登山記事はだいたい見出しが「浩宮さま〇〇を満喫」(〇〇に山の名前が入る)というパターンが多い。

 徳仁登山について、周囲が残した記事や感想を見ると、「健脚」とともに「一般登山者と気軽に挨拶を交わす」「ほかの人と同じトイレを使うと言った」など、「気さくな人柄」やエピソードが残っているものが多い。だけどよく読むと、富士山登山では「周囲は制服こそきてはいないが護衛官や機動隊員ばかり」とあったり、イギリスのベンネビス登山の情報を入手するにおいて「英国の護衛官の功績も大きい」と本人がさらりと書いていたり、当たり前だが、本人も周囲も特別扱いを「当たり前」に捉えていたことがよくわかる。「隔てられている」が故の気軽さの価値(故にありがたい)が、徳仁が山に登ることによって高まるという構造になっている。

思うに、こういう登山だと準備も時間がかかるので、思いついてすぐ出かけるなんてことはできようもない。すでにその時点で不自由な登山になっていて、自由さが登山の一つの魅力であるとするなら、多いにその魅力を削いでいる。しかし、それをありがたがる登山者を増やすという面で、効果は絶大だ。それは本人の意思や人柄とは関係なく、特別扱いのための舞台装置(大勢の随行・護衛、過剰な設備、記録の賛美等々)によって、登山の価値も、自然の姿をも改変していく。というわけで、そういった存在は山にはいらない。

(「府中萬歩記」80号、2020.10.29)

トークセッション  南アルプス 再 発 見

南アルプスから学ぶ会  トークセッション  南アルプス 再 発 見

近くて遠い南アルプス。
登山家たちは、麓を通り越して3000mのピークを目指します。
海外や日本各地の山々を登ってきた登山家にとって、
南アルプスやその周辺にはどんな魅力や可能性が見えるのか。
豊かな自然を残し親しみ遊びたおすため、山麓に根を下ろした二人の登山家が語ります。

 大蔵喜福 さん(登山家、南信州山岳文化伝統の会)「エコ登山発信基地の作り方」
× 宗像 充 さん(ライター、大鹿の十年先を変える会)「南アルプスあやしい探検隊」

●日時 2020年11月23日(月、祝)13:30~16:00
●場所 大鹿村大河原交流センター大広間(大鹿村「道の駅」前)
●参加費 500円(申し込み不要、直接会場にお越しください)

フィールドワーク  「夢のリニア、建設現場の真相」
◆同日 10:00~11:30
◆集合 ディアイーター前
*人数把握のため事前に申し込みください
予約先 TEL 0265-39-2067

主催 南アルプスから学ぶ会、大鹿の十年先を変える会
問い合わせ TEL 0265-39-2067(宗像)

プロフィール

大蔵喜福さん
14歳から登山を始め20歳でヨーロッパアルプスに。JECC(日本エキスパートクライマーズクラブ)に所属し、1979年に世界初のヒマラヤ縦走登山(ダウラギリⅡ~Ⅲ~Ⅴ峰)に成功。冬期チョモランマ最高到達地点記録(8450m)を持つ。30年間のマッキンリー気象観測隊を継続。今年5月から遠山谷に移住し、木沢小学校を拠点に、南アルプス南部をエコ登山基地にすることを目指す。

宗像充さん
一橋大学山岳部OB。登山雑誌の岳人、山と渓谷等で執筆。NHK「日本の名峰」で三脚持ちをする。アウトドア誌のFielderでは「反権力生活の勧め」を掲載予定。南アルプスは学生時代の夏休みに甲斐駒~光まで縦走、冬期北岳バットレス他、沢をたしなむ程度。『南アルプスの未来にリニアはいらない』『ニホンオオカミは消えたか』著。大鹿村在住。南アルプスの山々を「シャーウッドの森」にすることを目指す。