毎月上京して最高裁判所に要請に行っている。
今年5月国会で共同親権に関する民法改正法案が成立した。この法案による変化は、これまで共同親権は婚姻中のみで、離婚や未婚という婚姻外には単独親権一択(単独親権制度)だったのが、そこに共同親権という選択肢が入ったことだ。
一方で、養育費の徴収強化は立法化され、面会交流に関しては検討されてもこれまで通りなので、共同親権になろうがなるまいが、子どもに会えず金はとられる、という状況は変わっていないどころか、合法化された分だけ改悪している。その上、共同親権にするかどうかは司法の裁量なので、結局今子どもに会えていない親たちは会える見込みがたちはしない。子どもが成人したぼくに関してもそれは同じだ。
子どもに関しては父母どちらかが責任者であるほうがよく、もめれば力の強いほうが弱いほうを追い出すというのが、戦前から続いた家父長制を引き継いだ民法のルールだった。現在司法では94%の割合で母親を親権者にする。
笑っちゃうことに、そうするとフェミニストや弁護士連中は、共同親権は家父長制の復権で、バックラッシュだと言いはじめた。そうだそうだとリベラルメディアや、左派政治党派が唱和した。立憲民主党の議員に、社民党、共産党、緑の党、生活者ネット……。法案は問題点があるので(反対した)、その点について久しぶりに長野県から毎週上京して国会議員に説明に行った。れいわ新選組に至っては、ぼくがした面談の依頼をことごとく無視した。
最高裁に通っているのは、2019年に提起した、単独親権制度の違憲性を訴えた立法不作為の国賠訴訟が最高裁に継続しているからだ。今年1月の高裁判決は一審判決を引き継いで、「婚姻外の差別的取り扱いは合理的」と単独親権制度を正当化していた。
国立や立川あたりの市民運動も薄情に思えた。ぼくがこの問題で長年苦しんで活動してきたのを知っていたとは思う。ところが運動業界で共同親権反対の声が高まると、ぼくに「どうなってるの」と連絡してきた人は誰もいなかった。会ったところで「共同親権はDV法と言われてるぞ」とこっちの弁明を求めてくるので、うんざりした。どうせこの人たちは、見ず知らずの他人の親子の生き別れなどどうでもよくて、お前が悪いからだろ、と共同親権反対の人たちに同調しているだけだ。
正直左翼やめたくなったけど、右翼になったら増長するだけなので、左翼の立場から左翼や市民運動を徹底して批判すること半年ほどは専念して今もしている。そのうちこの無責任な連中の、信用失墜が明らかになるだろう。
その第一弾として、信濃毎日新聞に申し入れに行った。この気位ばかりが高い長野県のリベラル新聞は、東京の流行りのインテリの話は聞くけど、地元のライターで訴訟の原告の言い分など小バカにしてきた。共同親権反対の論説を全国で一番多く5回も出している。
父母の責任はあるけど、問題があるので共同親権は慎重に、なんて、共同親権を求める連中はヤバいやつらだから、ヤバくないやつらも諦めろ、という無茶な理屈だった。問題かどうかは子どもを見ている側の感情が優先されるのだけど、その理由は母親が子どもを見ているから。正体見たり、だった。
懇談の機会を論説の人と求めたところ、「文書にして出してくれ」という。どこの世界に商品(記事)への苦情を文書で出させる会社があるんだ、とSNSで書きまくって記者会見と社前情宣をプレスリリースしたら、論説主幹が出てきた。
長野市までは3時間かかる。論説主幹は「共同親権の問題は毎回論説でも意見が割れる。私もなんでこれが党派的課題になるのかな、とは思いました」と口にしてたけど、じゃあ5回も反対してくれるな。
「反対しているつもりはなくて、訴訟妨害というのはちょっと違うと思う」というので、「ぼくたち憲法に訴えてるんですよ。信毎はケンポー、ケンポー言ってんじゃないですか。読売新聞が言うのとはわけが違う」というと黙り込んでいた。
憲法学者の木村草太に信毎は度々共同親権反対の記事を書かせていた。「母性神話でしょ」と言ったら「あ~」という顔をしていた。
「上野千鶴子とか日本の男に共同親権は百年早い、とか言ってんですよ。あんたたち悔しくないの」
背広姿の男3人を挑発してみた。
「高名な社会学者」の上野千鶴子は度々、「離婚するにはそれだけの理由がある。妻を殴る蹴る、子どもを虐待する、子育てに関わらない、養育費を支払わない…日本の男に共同親権は百年早い」と書いているのだけど、離婚は男からもするのだから、そんなわけないのは少し考えればわかる。とはいっても、あんまり子育てとかかかわってこなかったからか、背広組に張り合いはない。
この後、県庁の会見室で記者会見をした。田中康夫のおかげで、長野県庁には記者クラブはなく、誰でも会見を開くことができる。信毎との懇談の様子を記者たちと話した。このとき触れたデータは、いわゆる「別居親」のDV被害の割合は、「同居親」のDV被害の割合と変わらない7割というものだ。このデータは、司法記者クラブで記者席立ち見の中以前示したもので、その際記事にした記者は一人もいなかった。
「記者さんたちは、暴力の防止とかほんとはどうでもいいんだなとそのとき思いました」
というと一人の記者が手を挙げて、「でも賛成反対の両論併記で記事は作っていますよね」という。
「じゃああなたがたは、DV被害者で共同親権賛成の人の意見を取り上げますか。そんな人たくさんいますよ」と投げかけた。
あえて左翼と呼ぶけど、左翼は社会的弱者の味方だと思って女の味方をしてきた。ところが、男女が別れる際には、双方が被害感情を抱くのが普通なのに、女性の感情を優先すべきという固定観念から抜け出せない。パターンに当てはめるために被害者を加害者と呼んできた。
東京新聞からエッセイの執筆依頼が来て2回続きものの記事を書いたのだけど、1回目が出たときに社内外で騒ぎになったようで、一週置いてやっと続編が出た。被害者だと呼んできた人たちが実は加害者でもある、という指摘に、「弱い者の味方」のつもりだった人たちが耐えられなかったのだろう。
NHKが「寅に翼」という朝のドラマで家庭裁判所の創設をテーマにしていた。
戦前は家父長制の単独親権制度だったので、共同親権を求めたのは主人公をはじめとした女性たちだった。ところが、共同親権の民法改正が議論されると、このドラマを引き合いに出して時代は変わっていないと憤慨する、佐高信と福島瑞穂の対談記事がネットに出ていた。
もはや無知を丸出しにしたコントにしか思えなかった。かつての切れ味抜群の左翼のあわれな末路だった。
(2024.11.25「越路42号」たらたらと読み切り182)