父を送る顛末記

その日は午前中に好天予報が出ていた。雨ばかりの日が続いた9月だった。3度も小屋を数日離れていたので、その日を逃せば下山するまで出かけられそうになかった。荷物に小さな骨壺を入れて小河内岳に向かった。

父が亡くなったのは8月の末のことだった。

一昨年にガンの手術をして、それが今年再発したのがわかった。6月末に三伏峠小屋の管理人として小屋に上がる直前だった。電話の向こうの母の話によれば、長くて半年だという。社長に無理を言って入山して一週間で休みをいただいて、実家のある大分を目指した。

毎年、三伏峠の手伝いに繁忙期に小屋に上がっていたのが、今年は管理人として6月の末から9月の末まで3カ月間小屋にいた。

いるのが管理人の仕事なので、いくら父親の先が長くないといっても、小屋を留守にするのは気が引ける。小屋の予約が少ない日を選んで離れたとはいっても、小屋を空ければ社長が代わりに登ってきたのでなおさらだった。かといって帰らないという選択肢もこの場合取りにくかった。

2615mの三伏峠から大分の実家に帰るにあるのは標高差だけじゃない。調べてみると、朝早く小屋を出れば夜には実家に着くことがわかる。登山口まで1時間半歩いて車に乗って自宅に立ち寄る。身支度をして再び車に乗ってお隣の松川町のインターまで行く。高速バスに乗って名古屋まで行く。新幹線に乗り換えて小倉まで行く。大分行きの特急に乗って、さらに大分から普通車で30分。犬飼駅に夜8時過ぎに着く。迎えは来ないので、汗をかいて坂を登り、歩いて15分で玄関の引き戸を開ける。

昨年手放したので、何代かにわたってずっといた犬の出迎えもない。「ただいま」と言って居間に入ると、母に「あんまり大きい声出しなさんな」という。入ってきた姉も「お父さんが寝てるから静かにして」という。じゃあ呼ぶなよ、と思う。翌日父親が救急車で病院に運ばれるまで口をきかなかった。親が死ぬときって、遠くから帰っても、誰も歓迎しないんだなと思った。兄は仕事が遅くて帰ってこない。

その日、父は容態が悪くて、お隣の大分市の大きな病院の、緩和ケアの病棟に入っていた。姉はこの日東京に戻ったので、母と病院に行った。何日も休めないので、翌々日にはぼくも山小屋に戻らなければならなかった。父は「話がある」と母に席を外させて、ベッドの脇に呼び寄せた。

骨と皮の姿になって、何を言うのかと思ったら、「お前は人前で疲れたとか言うな。みっともない」とか説教が始まった。「充はおれの言うことはきかん」と周りには言っていたようなので、今まで説教されることはあまりなかった。説教って、聞いてるほうは早く終わんないかなとしか思わない。親が死に前でも多分それは変わらない。適当に相槌をうちながら我慢して聞いていたら、続ける体力もないのか終わった。

2度目は8月の後半に、もう一週間持つかどうかというので再び帰った。急いで帰る気には今度はならず、大鹿の家で一泊して翌日帰った。今度は頬がこけて骸骨みたいになった父は、また母に席を外させ説教を始めた。「村で対立する人がいても協力しながらやらんといけんこともある」。何を言い出すかと思ったら、村にいる元妻ともうまくやれというのだ。

「いやです」

すぐ言った。死に前なら自分の願望を叶えてもらえると思ってもらっても困ります。父の眉根が明らかにゆがんでいた。この場合、素直に聞くのが孝行とは思えない。

家父長らしく、頼んでもないのに姉には財産管理を、兄には家を、ぼくには自分の希望をと割り振っていた。南アルプスに散骨しろというのも父の希望だ。

「お父さんは、ほかの人には『私が山が好きでしたから、あん子も山が好きで山小屋で働いています。ワガママな奴でしたががんばってます』って見舞いに来た人にはいいよるんよ」

身体がつらい父の八つ当たりに疲れ気味の母は、それでも別室で素直じゃない父をかばっていた。

「それでお父さん、南アルプスに登ったことあったかな」

大鹿村には度々来ていたものの、山に登っていた記憶はないし、実際なかった。ワガママはどっちだよ。

散骨する分と、残りは、自分が死んだらひとりで墓に入るのか、という母の意向を父も聞いて、本家のお墓に入れることにした。父の父は戦死しているので、骨は本家の墓に入っていた。その後父の母は家を出ているので、家に残された父は、戦争孤児と自分のことを言っていた。

父のもう一つのお願いは、そこにあるおじいさんの骨壺の中身を確かめてほしいということだ。明らかに重さがないその骨壺は、死んで80年以上も経ったというのに、誰も中をあらためたことがない。国が自分の父親にどんな仕打ちをしたか知りたい、というのが父の最後の希望だった。

そんなのは自分でやればいいんじゃないか、とは思った。とはいっても、体も弱っているし、自分でそれをやる気力もわかないだろうことはわかるので、それも引き受けた。兄や姉は山にも登らない上、そういうことには興味がない。結局ぼくしかいなかった。

3度目の帰郷は父が亡くなった後だった。母と兄が看取った。自宅に一時帰宅して病院に戻ってしばらくして亡くなったと、山小屋で電話越しに母から聞いた。「お前いつこっち帰るんか」と兄が電話してきて、葬儀等の日程をあらためた。

「急いでも着かんわ。待たんで先にすませてくれたほうがぼくも気が楽よ」

そんなわけで朝の山小屋の掃除をしてから下山した。途中で登ってくる社長に出会って香典を渡された。父親死んだんだなと思った。今度は名古屋に一泊して、翌日の日中に帰ると、父は骨壺になっていた。

近所には由緒あるお寺がある。それが、住職がパチンコをしてそれがもめごとになったらしく、実家は檀家を抜けていた。そんなわけで身近な親族のみで無宗教で葬儀もすませたようだ。位牌もなくて、近所の写真好きの人が撮ったという父の写真が飾ってあった。犬を引いた父はいい笑顔だった。そういえば前はあった仏壇もなくなっていた。その辺はいさぎいい。

ぼくは連絡のつかない子どもたちに3度はがきを出した。姉と兄には子どもはいないので、父の唯一の孫たちになる。結局連絡はなかったけれど、親の言うことを聞くように育てていない。その辺は父もわかっていたことだろう。

父の骨壺は大きいのと小さいのがあり、小さいのがぼくが散骨する分だった。村まで持ち帰って、自宅に置きっぱなしにするのもどうかと思ったので、小屋まで持って上がった。

小河内岳には避難小屋があって、この時期は無人になる。小屋の奥のほうまで行くと眺めがいい。正面に荒川岳が見え、この日は富士山もよく見えた。ここは南アルプスの真ん中だった。骨をそこらの石で砕いた。つかんで空に向かって投げた。これで父とお別れだと思うと寂しくもなり涙が出てきた。

兄も姉もどこにいつ散骨するのか聞いてこなかった。ひとりぼっちのお葬式なんだとわかった。小河内岳を見れば父を思い出す。そうすると、ここは父のお墓だった。

なるほど、山好きの父が散骨してほしいという理由はこういうことか、とここまで来てやっと思い至るのだった。

(2026.10.30 「越路」52、たらたらと読み切り192)

「天国に一番近い村」と日本一高い峠

「三カ月山小屋で仕事して、年末年始とゴールデンウィークも合わせると、120日くらいはここで仕事することになる」

 三伏峠小屋の小屋開けの準備のために、事前に4人で峠まで上がった。小屋開け前に、水源地からポンプ小屋まで水を引く作業と、太陽光発電のパネルの覆いを取り外して、小屋の前で休んでいた。梅雨の中休みのお日様の光が心地よくて言葉が漏れる。小屋開け前の平日なのに、登山者の姿もテントもあった。

「山の人になっちゃいますね」

 作業に上がった人たちは、小屋番や設備の整備などで以前から小屋にかかわりある人たちだ。歩いて山に登らないと職場に着かない仕事なんて、好き好んでくる人のほうが少ないので、程度の差じゃないかなと思う。

 今年から三伏峠小屋の夏の管理人を引き受けることにした。

 三伏峠小屋は南アルプスのちょうど中間にある2615mの三伏峠にある。峠は「日本一高い峠」と言われている。塩見岳と小河内岳を経て荒川三山に向かう登山の基点となる。周辺に里に降りる道がほかにないため、登山者が集中する。

そのため、小屋の収容人数は100人程度で、幕営地には連休ともなるとすし詰めのテント村が現れる。一昨年、前の管理人さんが引退した後、管理人不在で昨年一年回していたのが、やはり管理人がいるということになり、オーナーに頼まれて引き受けることにした。

この小屋は里にある山塩館が経営していて、現在の社長で4代目になる。昨年までは山小屋の手配は3代目の会長さんがやっていた。こちらも代替わりになった。

村の人が管理人をする小屋があることで、村の人と登山者のつながりができるといいと思った。大鹿村は以前は、小渋川を溯った先にある広河原小屋と、そこから尾根を登った先の荒川小屋を持っていたのが、村は経営を手放し、荒川小屋は現在静岡側の会社の経営になっている。また、三伏峠に行くルートは、現在の鳥倉ルートのほかに、塩川ルートもあったものの、林道の不通で塩川ルートは10年以上不通となっている。おかげでここにあった塩川小屋も営業をやめた。

現在村にかかわる小屋は、三伏峠小屋と広河原小屋だけで、広河原小屋は無人のため、営業小屋としては三伏峠小屋だけになった。前の管理人さんも、大鹿村出身の人がしていた。今年から昨年一年小屋を回した椎名さんも村に引っ越してきた。今のところ、小屋でバイトすることでもないと、登山者は登山口に直接行くだけなので、村の人は登山者と接点がほとんどない。

営利事業とはいっても、山小屋には公益的機能があると最近では強調されることが多く、それは国立公園のサービスを担う側面として法にも定められている。コロナ以後、山小屋利用の登山者は減っている。山があることが村の人にとってもいいことだという感覚が育たなければ、経営も管理も意義は感じにくくなる。村の人にとっては、夏にお祭り騒ぎをしているだけで、登山者は、車の往来で騒々しいだけの、時に迷惑な存在とも受け止められる。そしてぼくは村人で登山者だった。とはいっても、現場のことは椎名さんのほうが詳しいので、椎名さんはマネージャーとなり、ぼくは今年は管理人の見習いだ。

三伏峠の登山口は、日本で一番3000mのピークに近い集落の釜沢がある。そしてうちは三伏峠に一番近い民家でもある。ここは「天国に一番近い村」だ。

この時期、朝5時に起きて田んぼに行く。

水を入れて田車を押したり、草を刈ったり農作業をして、家に帰って朝ご飯を食べる。原稿書きやら仕事をして5時になったらやめて晩御飯を食べて8時には寝てしまう。一人だと買い物や家の中のこともいろいろある。昼間は忙しくて平日は疲れてしまう。

夏になるとそんな感じが9月ごろまで続いていた。本業はライターなのに、一年の3分の1は山で過ごしている。

年を取るごとに、年々生活平均高度が上がって行って、今年はもしかしたら2000mくらいじゃないだろうか。田んぼを続けていたのも山小屋の管理人を引き受けられなかった理由だった。結局、入山までギリギリ田んぼをして、上にいる間の水の管理は、お金を払って村の人に頼むことにした。

春先に小さな畑に苗を植えたり種を撒いたりした。だいぶ大きくはなってきたものの、まだ食べられるのは小松菜くらいしかない。だいたい毎年真面目にやってなかったのが、今年はもう来週は家を離れるので、せっかく植えたのに食べごろには小屋にいる。山に行く前に書こうと思っていた原稿も結局書かず、でも毎週一応はどこかの山に登っていた。

静岡県で今月にもリニアの工事が始まるのではないかとも言われていたので、署名活動を始めてみた。せいぜい1000筆も集まればいいかなと思っていたのが、思いのほか反響があって、2週間で1万5000筆を超えた。そっちにも手を取られる。

1年以上延期していた、死んだ訴訟の原告仲間の墓参りに、車で富山に行った。お母さんがまだ健在で仲間が死んだあとに仲間になった。ぼくの両親より年長だ。そのまま大阪で討論集会に出る。慣れないことをしたからか、目的地の駐車場に入る手前で、一時停止の反則切符を生れてはじめて切られる。

この間やってることを並べるだけでも、案の定慌ただしい。こんなはずじゃなかった。山小屋に入るまでは原稿書きに専念しようと思っていたのが、単行本の仕事は止まってしまう。

母は最近大分に帰ってくるように促していた。83歳になる父の容態はあまりよくないらしい。昨年末に帰ったので、まだ先でいいんじゃないかなと思っていたら、母から電話がかかってきた。ガンが再発してあまり長くはないという。

覚悟なんてしてなかったにしろ、生きているうちに聞いておきたいこともある。実家に預けていた時期もあったので、ぼくの子どもたちに会わせられないのを考えると、心残りの思いは募る。だけど、「人はずっとは生きられない」。そう口にすると眠くなった。

来週から山に上がる。散らばった日常はうっちゃったままだ。だからといって、天国まですぐに上がれはしない。

(2026.6.23 越路51 「たらたらと読み切り」191)

「伊那谷民族解放戦線」

「大鹿村にないものは、コンビニと信号と人権です」

 連休に三伏峠小屋に手伝いで上がると、小屋番3年目で今年から大鹿村で暮らしはじめた椎名さんが、山小屋仲間にそう説明していた。

 コンビニと人権がない地域はどこにでもあるけど、島でもないのに村に信号がないところはあまりない。信号なんかできたら切符切られる理由を警察に与えるだけだ。一番交通量の多い役場のそばの落合の交差点には一時停止の停止線もない。切符をやたら切りすぎる駐在は苦情が来て交代させられるみたいだ。ただ単に人口が少ないだけかもしれない。

 夏シーズンに今年最初に山小屋に上がったのは7月の海の日の連休だった。このときはちょうど参議院議員選挙の最中で、連休中日が投票日だった。公選ハガキも来ないけど、ダム反対で現地で暮らす友達から、ほかにダムのことで質問してくれる人いないから嘉田由紀子に入れてくれ、とお願いされた。「維新かあ」と思いながらほかに入れたい候補もいなくて共同親権の件では知り合いだし、全国区は入れた。長野県区は世襲の立憲と同じ大学出の女性の元外交官。それに参政党とチーム未来だった。

秘境の選挙掲示板にも初日から参政党候補者のポスターが貼ってあった。勢いがある。一週間ほどしてチーム未来の候補者が貼りだした。どっちにしたって、中央政府の連中がこの辺で暮らす人に目配せする政治をするなんて想像できない。大鹿村に選挙カーが回ってきた記憶もない。考えるのめんどくさくて白票。

期日前投票を役場ですませて小屋に上がると、「投票用紙は来ません」と小屋番仲間たちから言われる。「投票用紙も投票箱もないんだね。刑務所でも投票できると思うよ」とぼくが言うと、「ここには人権ないんだあ」と相当ショックを受けていた。

歩荷さんも登ってきて、山小屋は連休中お客さんもスタッフも大人数で賑わった。それでも昨年の繁忙期のように、テント場にテントが収まりきらず、小屋の周りまで張ってもらうような事態にはならなかった。全員忙しく動き回って月曜日の海の日の朝は選挙も終わっていた。

イーロンマスクのおかげでスターリンクの山小屋WiFiはこの小屋にもある。朝の食事時に厨房でみんなでスマホ動画で選挙結果を見る。参政党の議席が二桁になっている。

「おれ言ってなかったけど実は参政党の党員なんだ」

 同年配の歩荷さんがしゃべりはじめる。

「参政党の党員ってどうやったらなれるんですか」

 とりあえず聞いてみる。

「ネットで1000円払うだけだよ」

 すでに飯田下伊那地域で参政党の党員は数百人規模になっているという。共産党なんか凌駕している。後で調査結果を見ると、ユーチューブ動画の再生回数は長野県でも参政党が一番多かった。候補者もそこそこ票を獲得している。

「やっぱ神谷さんだよ。日本人ファーストだって」

半年前は「やっぱ国民民主だよ」って言ってた気がする。

「でも日本人だけで考えたらぼくたち多分ファーストにならないと思いますよ」

 ぼくも歩荷と小屋番の手伝いをしにくるけど、世間的にはファーストだと思われていない仕事の地位向上が「日本人ファースト」で実現するとは思えない。

「それよか、ぼく『長野県民ファースト党』を作りました。入山料を都民から100万とりましょう。それで歩荷のキロ単価1000円にします」

 40㎏上げたら4万円。

「党費いくらなの」

 ちょっと乗ってきた。

「1000円です。野口健が日本も外国人から入山料ヒマラヤ並みにとれって言ってんじゃないですか。長野県独立するんです。富士見で国境管理して入国1人2万円とりましょう」

「党費参政党と同じじゃん。入るよ」

「チョロいな」

 投票できなかった外野が冷めて突っ込む。

「いやでも今んとこ宗像さんだけでしょ。もうちょっと大きくなったらやっぱ考える」

「はい、掃除掃除……」

 ぼくは連休に山小屋に上がって手伝っている。今年はお盆にも上がって人員が増えた分、ほかのスタッフがお盆休みを取っていた。お盆の15日には、大鹿の南隣の遠山谷の木沢小学校に事務所を置く登山家の大蔵喜福さんを呼んで、「ガイドブックにない道」というテーマで対談イベントを小屋前の東屋でした。ヒマラヤやデナリなど海外の記録を多く持っているけど、今は携帯トイレを普及させての「エコ登山」というのを、大蔵さんは聖岳や光岳で広めている。

南アルプスは3000mの稜線が県境になっている。だけど大蔵さんの話を聞くと、長野県側の遠山と静岡県側の井川では人の往来がかねてからあって、「日本のチロル」と呼ばれる険しい傾斜に、坂畑と家々が散在する下栗の里の人たちも、井川から来たのだという。歩けば沢伝いに2日かかる行程も、焼畑が生業の暮らしでは一連の山並みに見えるのだろうか。

近所に暮らす方が世界中を旅した人でタイ・ビルマ国境のカレン族のことにも詳しく、『森の回廊』という本を貸してくれた。著者の吉田敏浩さんは立川反戦ビラ弾圧のときに取材に来てくれたフリーのジャーナリストで、一時越路の前身の「並木道」も購読してきれていた。

めぐりあわせだなと思って読みはじめると、「少数民族」と呼ばれる人たちが、かねてから暮らすところに国境が引かれ、それぞれの政府から遠い地域は辺境に勝手にされる。それが迫害の理由にもなる。でも人々は、道の真ん中に引かれた国境を縦横に行き来して暮らしている、という。

飯田市出身の大蔵さんも「天竜川の西岸は中央政府が押さえ、東岸は伝統的に反乱軍の拠点」とぼくが飯田の人に聞いた説明をすんなり受け入れて、当日も登山者たちにしゃべっていた。大蔵さんが拠点にする木沢小学校のゆるゆるの雰囲気に「日本の解放区」とぼくが雑誌で付けると、出入りのおじいちゃんたちに大人気の呼び名になっていた。

もはや中央の政党政治が安定的な状況ではなく、選挙結果は民衆が乱世を選んだことを示している。山岳地域に暮らす人々は、世が乱れ、中央権力が割れるとバランスを取る役割を伝統的に果たす、というのは、在野の古代史研究家の藤島寛高さんが言っていたことだ。

大鹿村は後醍醐天皇の息子、宗良親王が30年間拠点を置いた。圧倒的に劣勢の中、「南北朝時代」と呼ばれる時代を画して南朝が生きながらえるのも、山岳地域の住民の支持なくして不可能だった。

朝の掃除の時間、そんな話を布団をたたみながら小屋仲間に話した。

「ああそれミャンマーとかそうなってますよ。軍事政権と民主化勢力、少数民族の三つ巴で争ってますからね。旅行するとあちこちに料金所が設けられて金をとられる」

 料金所を設けて活動資金にするというのは、伝統的な反乱軍の手法なんだろう。秩父あたりじゃ、夜中になると暴走族が勝手に料金所作って金取ってるって話を聞いたのは、ぼくが学生のころだ。

 とりあえず実行部隊の名称に「伊那谷民族解放戦線」とつけてみた。

(2025.8.22、「越路」46、たらたらと読み切り186)

ついに「嵐」となった共同親権について、本気で考えてみようというすべての活動家へ

評者の森さんは、三多摩の運動仲間で20年来の友人です。三多摩労働者法律センターの「運営委員会ニュース」に『共同親権革命』の書評を書いてくれました。 昨年たたかっていたのは、子どもに会えない親たちだけではありませんでした。それを知ってほしくて、本人の許可を得て掲載します。

大鹿民法草案あとがき 〜私たちが実現したい社会〜

この記事は手作り民法・法制審議会(共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会)が作成した大鹿民法草案(改正手づくり家族法草案)のあとがきです。草稿を書いたのでここで公開します。

手づくり民法・法制審議会の発足

 昨年2021年から法務省は学者や識者を招集し、家族法制の見直しを掲げて、現在の親権制度の改革案を議論しはじめた。この夏には中間試案を公表し、パブリックコメントを募ることが報じられている。

 私たちは、手づくり民法・法制審議会という有志の集まりである。法務省の法制審議会委員は、23人中4人が法務省民事局、裁判官からなり、幹事においては過半が官僚である。諮問するほうが諮問されるほうで法を作るという官製委員会である。昨年の法制審議会の議論を見て、現行制度を維持しながら国際的な批判をかわすための体裁を整える事務局側の狙いが明らかだったため、私たちは独自の議論の必要性を感じ、人権や男女平等の観点から国の法制審議会に勧告を出し続けていた。

 というのも、私たちの多くは、男女の別れをきっかけに、子どもと引き離される経験を持っているからだ。私たちはそのつらい経験の中から、司法や法制度による人権侵害や不平等について考えるようになった。それに対し声をあげる中で、多くの識者や専門家、また多様な立場の「当事者」と呼ばれる、生きづらさを抱える人たちと議論する貴重な機会を得た。この貴重な機会を生かすべく、私たちは、私たちにしかできない現場目線の民法草案の取りまとめを試みた。

一方、民間の有識者や法律家たちは、民間法制審の中間案を公表している。彼らの中間案は、実子誘拐や親子引き離しについて、国の法制審が解決し、むしろそれらを合法化する危険性について警鐘を鳴らす。それらの指摘は多く的を得ている。婚姻外の単独親権制度という現行の政策に対し、一部の人権への配慮を示しつつ、離婚後の秩序を国際水準に合わせ定めるということは一定の評価に値する。

ただし、実は諸外国はbiological parent(実父母)と子との関係を保障するために親権が規定されているため、「婚姻」と「親権」とは分離されている。言い換えると、「実親」と「実子」との関係を規定しているのが諸外国の「親権」であり、だからこそ婚姻状態に関わらず「実親」が「親権」を有し、剥奪されるような場合は例外である。

こういった“そもそも親権とは何なのか”という、一般市民の誰もが共通認識を持てる概念の前提を置かなければ、「裁判所は子から親、親から子を奪うことができるのか」という、誰もが頭に浮かぶ疑問への回答に答えることは困難である。

親の道徳感とみなし子の生産社会

 「子どもの最善の利益」を共同親権が確保するという議論は、共同親権を求める人々の中に根強くある。一方で、家庭裁判所が親子を引き離してきた理由付けもまた「子どもの福祉」である。これらは、共同親権であれ単独親権制度であれ、どのような親が子どもにとってふさわしいかを社会の道徳観が決めてよい、という点で共通する。

 一方、私たちの中には現在、単独親権制度の違憲性を主張し、国を訴えている者もいる。その主張は、子どもにとって何が利益かをまずもって判断するのは親であり、そのために親権という様々な権限と義務が法律によって定められるというものだ。もちろん、親も子も国や地域あるいは血縁関係の中で生きていて、何が子どもにとって利益かという判断は、親によってさまざまに違う。しかし、国が親に先立ってその判断の是非をすることを許せば、親による子育てが国の判断でできなくなっても、文句は言えない。

 私たちの中には、「子育て改革のための共同親権プロジェクト基本政策提言書」の策定に関わった者もいる。その議論の中でも、親の権利と養育責任の明確化、そして単独親権制度の廃止を、基本政策として掲げた。単独親権制度の廃止という言葉は強いが、婚姻外においては、単独親権しか許されない制度を廃止することによって、双方の親による子育てという原則が明確になる。一方、親による養育責任だけを強調すれば、社会環境の中で子育てができない親を、不適格な親として養育から排除することをやはり許してしまう。

国の法制審の議論は、子育ての第一義的な責任が父母にあることすら軽視している。一方、民間法制審の中間試案では、「親子水入らず」を強調することで、家族の負担が高まることになってしまわないか私たちは気にかけている。道徳感として養育環境を十二分に整えられない親は、子育てをする資格がないとみなされてしまわないだろうか。

子どもが両親と過ごし成長する権利は、国の法制審では議論すらされたことがない。これらは、親どうしが子どもへの関与を示さない場合、みなし子を量産することを制度的に許すことにもつながる。養子縁組の斡旋に努めるNPOのリーダーが、これを可能とする共同親権制度に強力に反対するのはそのためである。

一方、親の権限強化だけを強調すると、児童虐待が蔓延する中、子どもの権利を損なう親の判断も許容されてしまうという危惧もある。もちろん、子どもを親とは別の人格として認めない様々な行為は、今日その意識の高まりとともに虐待として指摘されるようになっている。そのために必要な国の介入も適切になされるべきだ。

しかし、家族の「自己責任」が強調される中、親の権利が曖昧なままでは、その権限を制約する適正な手続きも保障する必要性は低く、結果的に児童虐待への司法介入が諸外国に比べて極端に少ない一方で、行政介入に歯止めがかからない原因となっている。そのまま子どもと生き別れてしまうことも社会問題として指摘されている。周囲に後ろ指を指されないようにびくびくしながら子どもを育てる姿を、多くの家族で見ることができる。例えば少々活発な子どもを、育てにくい子として、多動(ADHD)のラベルづけを行い療育機関に通わせるように学校が親に求め、その結果として父母の意見相違が生じた時に、耐えられない家庭は離婚などによって破綻する。

「親は子どもに親にさせられる」

子どもとともに過ごすことによって、育まれる親としての実感・喜びのない子育ては権利とは呼びがたい。しかし、子育ての権利性を認めない社会は、養育費だけ払えば責務を果たしたという、子どもにとっては通用しない理屈で、寂しさを抱える子どもたちへの配慮が著しく欠けている。

親が子どものためにする判断は、子どもが親と過ごす中で得られる安心できる幼年時代を親や周囲が確保する中で、はじめて権利として意味を持つ。一方、国がその権利を認めるならば、親の不適切な行為に対してペナルティを課すだけでなく、子育てを権利と感じるだけの養育環境を、国が整える責務が生じる。国の責任放棄が問われないようにするために、親の権利を否定し家族に責任だけ押し付けたところで、子どもは笑顔になれはしない。

結婚はぜいたく、家族は苦役

 私たちが目指しているのは、国と地域と家族が、それぞれ得意なことを出し合いながら、多くの人に見守られる中で子どもが育つ社会である。その社会では、地域に子どもの姿が当たり前に見られ、子どもの笑い声を「騒音」と迷惑がったりしない。今日では、社会で子どもを育てることを社会的養護と呼んだりする。しかしそれが、親を排除することで実現するなら、それは「みなし子」生産社会に過ぎず、子どもの笑顔は期待できない。

 何よりも、親にだけ子育ての責任が押し付けられる社会では、親は必死で養うためのお金を稼がなければならず、効率性を維持するための性役割的な子育て体制に適応するしかない。こういった家族と社会のあり方は、国の力を増すことで富を分配できていた時代には妥当性があったかもしれない。戦争や経済成長は、「男は仕事、女は家事育児」という画一的な家族モデルに適合的で、夢を持った人たちは都会に居場所を求め、結婚すれば団地がその場を提供した。それが「正社員的な家族」のあり方であり、「入籍」と呼ばれる結婚は、称号として機能した。

家族法もまた、自足的な家族モデルに適合的な規範を維持すれば用が足り、それ以外の家族のつながりは軽視した。家族のつながりを絶って顧みない単独親権制度は、個人個人が家族のつながりよりも、国に奉仕する家族の形に個人を適用させるために、必要なものでもあった。このことは、富国強兵を目指した時代の明治民法の制定経緯からも明らかである。

ところが、このような家族モデルを今日得られるのは一握りの勝ち組である。民間法制審は、子どもを連れ去られるとわかっていたら、男は怖くて結婚できないと指摘する。それは一面では正しいが、生涯未婚率が向上している現代において、統計から生涯未婚率と男性の年収に関係があることが分かっている。高年収でない限り結婚ができない、つまり(女性の側からはそういった男性をつかまえられたという面でも)結婚は勝ち組の特権であり、ぜいたく品と化したことが、男女ともに若者たちが結婚し家族を持つことを敬遠する理由だ。経済成長が期待できず、所得も上がらず家族もまた分配にありつけなくなった時代、特定の家族モデルに全ての個人を当てはめるのは限界がある。

法律婚をして子どもをもつのが一人前の証。同一姓の戸籍はその称号。第3号被保険者や配偶者控除で主婦を家庭に抱え込み、男に稼ぎを期待する。離婚には次の形を整えるために、単独親権で家族のつながりを絶つ対応がなされた。子どもが二つのイエ(戸籍)に所属する共同親権は都合が悪いからだ。形を壊すのは社会的な落伍を意味するから、DVやモラハラがあっても耐え忍ぶ。この家族モデルは、常に落伍の恐怖を抱えながらストレスを再生産する、不安醸成装置であり、家庭生活は苦役にほかならない。

安心が得られる結婚、子育て

結婚に積極的な意味をこれから求め続けるとするなら、多分今のままだと無理だろう。こういった結婚制度の内実がわかって、今時進んで希望する若者が多いとは思えない。離婚後の共同親権を定めて実子誘拐を禁止することだけでは、状況はさほど変わらないのではないか。

結婚は、戸籍によって制度化されたイエと密接に結びついている。結婚はイエとイエの結婚だから個人の勝手で離婚は本来許されない。しかし結婚も離婚も、個人が幸せになるための選択=権利だとするならば、私たちはそれがともに安心を得られるものでなければならないということに気づく。入籍することで一体感を求められ、団体の中は実力行使で力の強いものの意見が通り、後は同調圧力でみんなが従う。言うことを聞かなければ仲間外れにして排除する。それは何も家族に限らず、日本の多くの組織で見られる特徴だろう。

しかし、元々夫婦であっても、そして親子であってすら、人格を別にするという点で、家族は他人である。元々意見や考えが違う者同士が共同生活を営むことを選ぶのが結婚なら、それを前提にした意思決定や問題解決の仕方を国が用意しておかなければ、家庭生活自体が常に不安にさいなまれるのは当たり前すぎる帰結だ。

この点、日本の民法は婚姻中のみに共同親権を付与して、子どもがいる場合における共同意思決定を法律で定めている。しかし、子育ての場として家庭が期待されながら、平等な二者どうしの意見が分かれた場合の解決方法が規定されていないため、意思決定が不能に陥る。そして離婚して一方から意思決定をはく奪することしか法的には用意されていない(単独親権制度)。共同親権は親権の調整規定があってはじめて機能する。この点についての規定がない日本の民法は、世界的に見ても類を見ないものであり欠陥制度である。しかしそれが可能なのは、共同親権もまた姓と同様、結婚の称号だからにほかならない。

地域に子どもを取り戻そう

私たちは、戸籍(イエ)制度に取り込まれた結婚を、個人の権利の問題として捉えなおすことが最低限求められると考える。家庭を大事にする個人の考えはもちろんあってしかるべきだが、その道徳を法によって個人に押し付けるのは本末転倒である。婚姻外の単独親権規定を廃止することによって、婚姻内外問わず共同親権を原則とすることが、法的には、個人間のパートナーシップへの国の支援のあり方として求められる。戸籍は本来家族関係を登録するための手続きにほかならない。ここで代替的な登録方法を提案するのが目的ではないが、手続きのために個人間の家族関係を法的に定めるのもまた、本末転倒である。

この点、国の法制審の事務局提案は、この本末転倒な理論によって民法改正案を考案することを目的としている。もとより、1947年に日本国憲法に適合的に応急的に定められた暫定民法(日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律)(参考4)は、すべての子どもが親の保護を受けられるために、婚姻内外問わず共同親権を適用している。共同親権が両性の平等と個人の尊重に適合的な制度であることは、75年前にすでに法務・司法当局によって確認されていたことである。原則に立ち返るべきことだ。

このことによってはじめて、国も世帯単位ではない、個人や家族的関係に対する配慮や支援がしやすくなる。出生や結婚など、個人の法的地位の誕生や変動、個人間のパートナーシップに対して、届け出を受理するという形で自治体が選別して登録を制限することは、個人のための登録手続きという観点からすれば、やはり本末転倒だ。

結婚によって家庭を築くことや、離婚・未婚時には共同親権を確保して、親の子育てが権利となる環境を整えることは、国の責務であり、法整備はそれよる支援の一環である。子どもは大人のように自活することはできない。しかし一個の人格としての子どもに目を向ければ、子どもが生きていくのに必要な資金を提供することもまた、子どもの成長に必要なことであり、健やかな家庭生活を営むにおいて望ましい。

一方、親だけでなく、地域的なつながりの中で生きていくことも子どもの成長において必要である。現在、子育てをする際、子どもは親の仕事、つまり社会的な生産活動の邪魔者としてしかとらえられておらず、保育園や学童保育などに隔離される傾向がある。その結果、都会や田舎双方で子どもは地域から姿を消している。親が子どもを抱えきれなくなれば、更に児童相談所から児童養護施設へと収容が進む。

親が男女ともに、子育ての経済的な負担から解放されることによって、親には子どもに直接目をかける時間が生まれる。必死で稼ぐ必要もないので、男性が育休をとる環境も整えられる。特に子どもが小さい場合、その時間はかけがえのないものだ。もちろん、経済的な余裕が生まれることによって、親は保育所も含めて一時的な委託先(親類、知人、ベビーシッターも含めて)を活用することもできるし、時間的な余裕は、社会活動や子育てに必要な人のつながりを形成する機会を得ることもできる。それは地域が子育てしやすい環境へと変わっていくきっかけになるだろう。

親だけが子育てをするのではない。大人たちは、たとえ自分に子どもがいなくても、子どもが身近にいることによって、学び成長する機会を得られる。それは弱者にやさしい地域づくりにもなり、地域の活性化の一助ともなる。それは子どもに国が投資するにおいて、社会的な合意を育む基盤となる、環境整備でもある。

回遊魚の見た世界

「私たちみたいな根付の魚がコツコツやってるところを、宗像さんみたいな回遊魚がやってきてかっさらっていく」

 ニホンオオカミの取材をしていたとき、そんなことを言われたことがある。ぼくのようにとにかくニホンオオカミということであれば片っ端から当たって、全体像を組み立ててみたいという願望は、自分の興味関心で一つのテーマで深堀りしている人にとってみれば何か得になるようなものを感じられない、というそれはそれとなくの不満をぶつけられた出来事だった。ぼくもそう思う。

「ぼくがよそで見てきて得た知見や情報は、それを必要としている人に提供します、それがぼくの仕事だと思っています」

 そんな返事をしたのは10年以上前のことだと思う。それからその人も自分が知っていることを教えてくれるようになった。

もともと自分が調べたことを理解できる人に話してどんな反応があるのか見てみたい、という欲求も人にはある。それ以来、ぼくは自分が知ったことで必要としている人が思い浮かべば資料も付けてなるべく共有するようにしている。

記事や本を書いて売れたらいいなと思うことはもちろんある。だけどその自分の仕事で喜んでくれる人がいたら売れることよりもっとうれしいことだと今でも思う。

 10年近く前に、リニア新幹線と南アルプスの自然破壊について、単行本を出そうとして取材を進めたことがあった。あちこちしらみつぶしに南アルプスの周りを回ったのに、編集者と折り合いがつかなくて結局お蔵入りした。時間を使って話を聞かせてくれた人にとっては、何の得もなくて、不義理なことをしたと思っている。

10年後、同様の企画をもう一度進めることになった。再度南アルプス周辺の取材をすることにした。機が熟したのだと思う。山梨県側で工事の差し止め訴訟をしているグループの控訴審裁判が東京であった。手はじめに傍聴に行って院内報告集会にも参加した。

代理人は梶山正三さんで、甲斐駒ヶ岳の麓に事務所を置く方だった。控訴審では原告の意見陳述とともに代理人がスライドで主張を尽くす時間があり、梶山さんは滔々と一人でリニア新幹線の問題点をしゃべっていた。その中に冬の伝付峠の写真が出てきた。

「これは私が30年前に行って撮ってきたものです」

 「おっ」と思った。梶山さんは研究機関出身の工学博士で、それが弁護士として説明している上に、自分で実際に現地に行っているのだから説得力がある。ぼくは霞が関から新宿まで地下鉄で梶山さんといっしょだった。南アルプスのことをよく知っている人で、ぼくたちが昨年踏査した蛇抜沢も一人で登ったという。東京まで出てきていい人に出会った。

 翌週には山梨県のリニア建設現地を、そのさらに翌週には長野県側の現場を見て歩いた。

 山梨県側は民地での工事はあまり進んでおらず、河川や駅周辺などの公地とJRの敷地での工事が進んでいるほかは、山岳トンネルの掘削が続いている。長野県側は、飯田市の長野県駅周辺から天竜川にかけての用地買収が進み、喬木村側にも橋脚が現れている。山岳地域のトンネルも進んでいる。

 10年前の取材と違うことは、山岳トンネル以外の場所での工事に手がついたということと、JR東海が昨年2024年の3月に2027年開業予定を断念し、開業予定を2034年「以降」としたことだ。事実上完成が見通せなくなった。民間事業としては通常はこの時点で失敗だ。だけど、国策民営の事業に国から3兆円の公的資金を投入したため、JRもリニアの旗を振ってきた国も自治体も、今さら失敗の責めを負う気がなく、結局建設現地で住民に犠牲を強いる。岐阜県瑞浪市では、トンネル掘削による地下水漏出による地盤沈下にJRは打つ手がない。それでもやめるという選択肢は行政にはない。大都市圏のトンネル掘削率は10年経っても1割にも満たないというのにだ。

 先の裁判では、JRは原告側の主張に何も反論しない。何も言わなくても司法は勝たせてくれるとJRは高を括っている。そして法廷では山梨県のリニア実験線で、路線から100m以上の距離にある民家の住人が、騒音・振動・低周波音の被害で移転を余儀なくされていることが明らかにされている。

2013年に42.8㎞への延長工事で、時速500㎞で3分間の走行実験が可能になった。そうすると震度1~2程度の振動で家が揺れるようになる。現在は5両編成で38本の運行がされている。500㎞の区間は路線の一部で、これが全線営業になれば16両編成で往復360本になる。路線の両側150m程度の幅は事実上人が住めなくなるのではないか。実験線の移転補償についても地元報道で今年になってから明らかになっているので、高裁で原告側があらためて主張することにした。

以前は自治会全体で説明会を拒否していた山梨県内の地域も、JRの買収工作に切り崩されている。司法で何も取れなかったらどうするのか、という不安が原告から漏れる。

「昨年JRが2027年開業予定の断念を表明した時点で、ぼくたちはこの事業がどんな根拠で、本当にできるのか、今度はJRや行政に問いかける側になったと思います。彼らはそれを説明する側になりました」

 ぼくは院内集会で取材者の立場を離れ「住民枠」で発言している。それは他の仲間のジャーナリストとは違ってぼくだからできることではある。

 山梨県と長野県を回った。順調とは言えないまでも各地で着々と進む工事の様子は、それが甲斐のある建設工事ではなく、ただの環境破壊や生活破壊であるだけに、今までの工事が以前より進んだという以上に、やり場のない気持ちがこみあげてきた。涙が出たり焦ったり怒ったり、ただただ落ち着かない気持ちにさせられた。

 それでもこういった理不尽に何かを言わないではいられない人が各地に点在していて、ぼくが「大鹿村から来ました」と言いながら村の様子を知らせると、向こうも現地の様子を同じくやり場のない感情を表に出しつつも話してくれた。

 山梨県早川町で、大量に出た残土の処理にJRも自治体も手を焼き、川の上流の土手沿いに積み上げていた。写真をとっていると、職員がやってきて「何撮ってんだ」とくってかかってきた。黙っていると「公共事業だぞ」という。「公共事業なら隠すことないでしょう」とさすがにそれは言い返す。

麓の旅館で見てきた置き場のことを話すと、宿のおかみさんが「たいした説明もなくあちこちに置いて。名目が必要だというので、避難路を作るという。あんなところにそんなもの・・・」と問わず語りに話していた。

それはこの国の為政者たちの本音と、それに向き合う住民の心情を物語る些細ではあってもぼくには見過ごすことのできない一コマだった。

(「越路」45、たらたらと読み切り185)

宗像充『共同親権革命 民法改正と養育権侵害訴訟』

購入は直接本人まで→munakatami@gmail.com @は英数文字

裁判が負けたのは悔しかったけど、民法改正は実現した。単独親権制度から共同親権への転換は革命的な発想だと今でも思っている。だけど子どもの前に立ちはだかった国と制度の介入を排除し、困難に陥ったすべての親子が関係を取り戻す道筋をつけることはできていない。

四六判、1800円、自費出版

2024年5月、共同親権に関する改正民法が成立。
前後して、単独親権民法の違法性を訴え、国に償いと謝罪を求める訴訟が行われていた。

ぼくたちは何を目指したか?

Ⅰ 共同親権運動とは何か
Ⅱ 国を訴えろ 共同親権訴訟の歩み
Ⅲ 民法改正と立ちすくむメディアたち
Ⅳ 「差別的取り扱いは合理的」対ちゃんと共同親権

実子誘拐を記事にして仕事を干される(2)  子を会わせないことは問題ではないのか?

フリーランスのジャーナリストの牧野佐千子さんと、牧野さんの記事(「『娘が車のトランクに』日本で横行する実子誘拐」2019.10.10)を配信したプレジデント社に対し、東京地方裁判所(衣斐瑞穂裁判長、川口藍裁判官、東郷将也裁判官)は3月17日、名誉棄損とプライバシー侵害を理由に、合計110万円の損害賠償とオンライン記事の削除を命じた。

記事はフランス人のヴィンセント・フィショ氏が2018年、3歳の息子と11カ月の娘から日本人妻(当時、その後離婚)によって同意なく引き離された行為を「実子誘拐」として問題提起した。一審は、牧野さんの記事をプライバシー侵害とし(前回記事参照)、牧野さんがヴィンセント氏から提供された防犯カメラの動画を見て書いた、妻が車のトランクに子どもを入れて誘拐した、という部分について名誉棄損とした。

妻は子どもをフィショさんに会わせているのか?

フィショさんの妻が子どもを連れ出したのは、車のトランクに娘を入れた映像が撮影された8月20日の10日前の8月10日だった。一審はそれを取り上げ、「確実な資料ないし根拠に基づく確認をしたとは認められない」という。

「それで元妻はフィショさんに子ども会わせてるんですか?」とぼくは牧野さんに聞いた。会わせてないなら、それを「連れ去り」と呼ぼうがトランクに入れたのがいつだろうが、そもそも不名誉なことだとぼくは思う。名誉棄損を主張するようなことだろうか。

牧野さんの答えは「やっぱりね」だった。

牧野さんにしてみたら、父子を引き裂く行為が国際的には犯罪として違法化されているんだから、同様の行為は日本でも許されないと言いたかった。ところが司法は、日本では問題ではない行為なんだから、間違いがあれば記者の側が責任を負うべきだ、という。

不正確な点が一つでもあれば、問題提起自体が否定されるのだろうか。

しかしこの点についてはたしかに世論とそして司法決定も揺れている。フィショさんの妻側が訴えた3件の訴訟も、一件は妻側が負け(最高裁で確定)、もう1件はその逆だ。会わせないことについても、司法は約束や決定があれば債務不履行については認めることがある。でも会わせないこと自体を違法とすることはない。まして刑事事件として立件することはこの時点ではなかった(2025年4月7日にインド国籍の父親を逮捕した事例がある)。

一審は問題提起自体を否定した。

元妻側への裏付け取材は必要なのか?

それでは、牧野さんには110万円余を支払うほどの手落ちがあったのだろうか。

「10日後だろうが何だろうが、子どもをトランクに入れて連れ去りましたは事実なんだから、そこをそこまで問題にすることか」(牧野さん)

ぼくもライターなので、違法行為や悪事の告発については、現場を押さえることも含めて慎重を期す。後で間違いがあったりすると、告発自体の正当性が問われかねないからだ。記者は「取材不足」と言われることをことのほか嫌がる。

しかしだからといって、フィショさんの元妻側が主張したように、元妻側に事前に確認を取らないと取材不足になるとは思わない。

例えば、環境省が2012年に絶滅宣言をしたニホンカワウソについて、対馬でカワウソの撮影動画が公開された際、絶滅を主張するカワウソ研究者のコメントがないからといって、動画自体が否定されるだろうか。通説に挑戦する側に、通説による裏付けは不要だ。

また裁判官が問題視したように、取材のメモや録音を残すことが記者として決定的に重要なこととも思わない。牧野さんの取材にぼくは録音はとっていない。録音やメモをとるかどうかは、取材の性質や記者の手法にもよる。十分な裏付けと話の客観性が成り立てば記事として成立する。

牧野さんは記事公表後の10月17日に、妻側の当時の代理人の露木肇子弁護士に対し、反論を求めるファックスを送信している。反論が正当なものなら記事の修正もありうるし、実際ぼくもそうした場合がある。しかし反論はないままに、フィショさんの妻とその代理人は牧野さんたち3組を提訴し、記者会見でそれを公表した。牧野さんからすれば「抜き打ち」で、牧野さんも名誉棄損で対抗している。しかし一審はこの点考慮しなかった。

妻側は車の後部座席とつながっているからと、牧野さんが「トランク」と呼ぶこと自体否定的だ。だけど車の後部を開ければそこは普通トランクだ。娘が車に後部から入れられ、そのまま車がガレージから出ていった防犯カメラの映像を牧野さんは見て記事にした。

不適切に思える行為だからこそ、それを誘拐と絡めることをフィショさんの妻側は問題視した。適切な行為ならその後子どもと会わせなくなったことも含めて、そう言えばよい。

「訴えられてはじめて裁判所ってこんなに冷たいんだな、と思いました」(牧野さん)

女性侮辱罪があるのか?

2022年12月14日の日本外国特派員協会でのフィショさんの妻側の記者会見を見ていて驚いた記憶がある。

会見に出席した神原元弁護士が、記者の一人が足を組んでいたのを見とがめて「女性に失礼」という言葉で非難したのだ。「足を組むのが失礼」ではなく、「女性に足を組む」ことが失礼にあたる。逆に言えば相手が男性なら問題ない。これは親権をめぐっての、司法関係者の間でのジェンダー意識を象徴する出来事だとぼくは思った。

一審は、牧野さんが単独親権制度のもとで生じている親による子の連れ去りを問題提起するためであったとしても、子の「親(元妻)の氏名が推知される情報や連れ去り行為の具体的態様を記事に掲載する必要は認められ」ないから、プライバシーの保護に優先する法益がないという。そんなことがあるだろうか。

フィショさんも子の親なのに、これでは権利を侵害された側が実名で告発する行為自体が許されない。罰せられるのは父親の側で「なければならず」、母親の行為は不問とされ「なければならない」(連れ去られた母親はなおのこと無視される)。

母性神話であるがゆえに成り立つ理屈だとぼくは思うけど、司法関係者にはその自覚がないか、むしろそれを知った上で勝つために利用する。女の敵は誰だという気もする。

それを告発した牧野さんも女だ。

「牧野さんは裏切りもんってことなんでしょうね」

そう彼女に説明しながら、日本の男女平等の薄っぺらさをぼくは思った。

信毎「共同親権で生活はどう変わる? 子どもとの交流、DVの相手… 離婚した人の不安や疑問に専門家が答える」への質問

信濃毎日新聞の記事「共同親権で生活はどう変わる? 子どもとの交流、DVの相手… 離婚した人の不安や疑問に専門家が答える」を読みました。

当会は、共同親権訴訟・国家賠償請求訴訟を進める会、という県内大鹿村にある団体です。当会内の「手づくり民法・法制審議会」というワーキングチームは、昨年の民法改正の先立って、法務省から意見紹介を求められています。

私たちは、昨年の民法改正について、「共同親権賛成・法案反対」の立場から意見を出しました。法案は現行法制度で親子が引き離されたことについて問題意識も解決策もなく、親子の生き別れてを促してきた現状の違法な司法の運用を正当化するというのがその理由です。法案によって当事者間の混乱が深まることは記者と同じ立場ですが、法案を取りまとめた法制審議会の委員にその点について聞いても、まともな答えが返ってこないのは明らかです。法制審議会や法案作成の経過についての取材不足から来ていることは、私どもが昨年8月22日に論説委員に申し入れた際明らかにしましたが、まったく聞いていないような今回の記事に怒りを感じます。以下質問させていただきます。

1 私たちが行なった訴訟では、理由文中で婚姻外の親の「差別的取り扱いは合理的」と明言され、子どもに会えないこと含め、婚姻外の親たちの置かれた状況は制度上の問題であり個人的な問題ではないということは司法も認めています。しかし本記事では、DVの問題についての民事的な解決(自力救済)を前提に、子どもに会えない状況が現に存在することについては事例として消されており、私どもにも取材はありませんでした。本記事の記者は、「差別的取り扱いは合理的」と述べた私たちの訴訟の理由を読んだのですか? また子どもに会えない状況については解決する必要がないと考えているのですか?

2 離婚後や婚姻外の親どうしの関係が紛争含みになるのは、共同親権の法制度を取る国では一般的な子どものための養育計画の作成が任意とされていることが大きな理由です。これについては法制審議会では議題から外された経過がありますが、共同親権に反対する委員たちも、離婚できにくくなるからと反対しています。いったい信濃毎日新聞はどんな解決策がいいと思っているのですか?

3 司法で親権者指定では94%の割合で母親が親権者となります。この点について明らかにする記事を過去信濃毎日は慎重に避けてきました。その上で、男女平等を求める父親たちの運動もあって、海外では共同監護が立法によって可能になった経緯を無視して、棚村さんのいうように親権のある側は母親、親権のない側は父親として、共同親権に懸念を示せば、母親親権者という既得権と母性神話を擁護するという結論しか出ないのですが、信濃毎日は男女平等が嫌いなのですか。過去、いわゆる「別居親」のDV被害の割合が「同居親」側と同水準であるというデータを信濃毎日は意図的に無視しており、その経過は申し入れの際に明らかにしていますので、このような客観性に名を借りた世論誘導は悪質としか思えません。

回答は6月2日まで以下までお願いします。

宗像 充(むなかたみつる)

【共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会】

〒399-3502 長野県下伊那郡大鹿村大河原2208

T・F 0265-39-2116

Mailto munakatami@gmail.com

https://k-kokubai.jp