ネットで公開! 反権力生活の勧め

Fielderに書いた「反権力生活の勧め」。現在ネットで見られるようになっています。

三里塚 ー半世紀にわたる反権力闘争の現在ー

海外旅行への玄関口として定着した成田国際空港。地元三里塚は、一九六六年の空港建設の閣議決定以来、警察機動隊と反対派との激しい衝突を繰り広げた闘争の歴史を持つ。その後、有機農業の先進地として成長し、多くの人がそれを支える。反対運動は五四年続く。もはやそこでの暮らしそのものが反対の表現だ。航空機の轟音の下での農業と暮らしは私たちに何を伝えるのか。一週間、三里塚で暮らして考えた。

ナルヒトが山を歩くと・・・「山とナルヒト」最終回

 編集部に連載の反響を聞くと「もっと辛口でいいんじゃないか。山に来るな、とか言ってもいいんじゃないか」という感想があるそうだ。ぼくもそう思うけど、それだと連載は続かない、ので、今回で最終回にしようと思う。

 東京在住の徳仁は中部山岳を中心に、あちこちの山に登っているのでぼくもそのうちのいくつかを登ったことがある。だいたいのところ、そういう山は道も設備もよくなっている(山小屋に水洗トイレや風呂ができるという)と思うのだけど、以前も書いたように、訪問前を見てないからよくわからない。彼が来たというのがよくわかるのは、記念碑が立っていることだ。八ヶ岳の硫黄岳山荘や南アルプスの二軒小屋に登山記念の碑があるのを見たことがある。

そんなにめでたいことなのか。地元大鹿村の場合、以前は荒川岳の稜線の荒川小屋を所有していて、1986年に徳仁が来たときには、当時の小屋番のおじさんが接待をしていっしょにお酒を飲んだ。「おじさん、そんなに飲んで大丈夫ですか」と徳仁が声をかけたのを「への河童です」と答えたエピソードが「美談」として残っている。

このときは静岡からヘリで特設トイレを運びあげたというほど、とにかく地元自治体は準備に大騒ぎになり、新聞記者も追っかけて山に登って記事を書かないとならない。ぼくの山の知り合いの某県の山岳警備隊の警察官は、皇室が来るたびに警備に動員され「ほんとうに迷惑」と言っていたことがある。ちなみに、徳仁の登山記事はだいたい見出しが「浩宮さま〇〇を満喫」(〇〇に山の名前が入る)というパターンが多い。

 徳仁登山について、周囲が残した記事や感想を見ると、「健脚」とともに「一般登山者と気軽に挨拶を交わす」「ほかの人と同じトイレを使うと言った」など、「気さくな人柄」やエピソードが残っているものが多い。だけどよく読むと、富士山登山では「周囲は制服こそきてはいないが護衛官や機動隊員ばかり」とあったり、イギリスのベンネビス登山の情報を入手するにおいて「英国の護衛官の功績も大きい」と本人がさらりと書いていたり、当たり前だが、本人も周囲も特別扱いを「当たり前」に捉えていたことがよくわかる。「隔てられている」が故の気軽さの価値(故にありがたい)が、徳仁が山に登ることによって高まるという構造になっている。

思うに、こういう登山だと準備も時間がかかるので、思いついてすぐ出かけるなんてことはできようもない。すでにその時点で不自由な登山になっていて、自由さが登山の一つの魅力であるとするなら、多いにその魅力を削いでいる。しかし、それをありがたがる登山者を増やすという面で、効果は絶大だ。それは本人の意思や人柄とは関係なく、特別扱いのための舞台装置(大勢の随行・護衛、過剰な設備、記録の賛美等々)によって、登山の価値も、自然の姿をも改変していく。というわけで、そういった存在は山にはいらない。

(「府中萬歩記」80号、2020.10.29)

トークセッション  南アルプス 再 発 見

南アルプスから学ぶ会  トークセッション  南アルプス 再 発 見

近くて遠い南アルプス。
登山家たちは、麓を通り越して3000mのピークを目指します。
海外や日本各地の山々を登ってきた登山家にとって、
南アルプスやその周辺にはどんな魅力や可能性が見えるのか。
豊かな自然を残し親しみ遊びたおすため、山麓に根を下ろした二人の登山家が語ります。

 大蔵喜福 さん(登山家、南信州山岳文化伝統の会)「エコ登山発信基地の作り方」
× 宗像 充 さん(ライター、大鹿の十年先を変える会)「南アルプスあやしい探検隊」

●日時 2020年11月23日(月、祝)13:30~16:00
●場所 大鹿村大河原交流センター大広間(大鹿村「道の駅」前)
●参加費 500円(申し込み不要、直接会場にお越しください)

フィールドワーク  「夢のリニア、建設現場の真相」
◆同日 10:00~11:30
◆集合 ディアイーター前
*人数把握のため事前に申し込みください
予約先 TEL 0265-39-2067

主催 南アルプスから学ぶ会、大鹿の十年先を変える会
問い合わせ TEL 0265-39-2067(宗像)

プロフィール

大蔵喜福さん
14歳から登山を始め20歳でヨーロッパアルプスに。JECC(日本エキスパートクライマーズクラブ)に所属し、1979年に世界初のヒマラヤ縦走登山(ダウラギリⅡ~Ⅲ~Ⅴ峰)に成功。冬期チョモランマ最高到達地点記録(8450m)を持つ。30年間のマッキンリー気象観測隊を継続。今年5月から遠山谷に移住し、木沢小学校を拠点に、南アルプス南部をエコ登山基地にすることを目指す。

宗像充さん
一橋大学山岳部OB。登山雑誌の岳人、山と渓谷等で執筆。NHK「日本の名峰」で三脚持ちをする。アウトドア誌のFielderでは「反権力生活の勧め」を掲載予定。南アルプスは学生時代の夏休みに甲斐駒~光まで縦走、冬期北岳バットレス他、沢をたしなむ程度。『南アルプスの未来にリニアはいらない』『ニホンオオカミは消えたか』著。大鹿村在住。南アルプスの山々を「シャーウッドの森」にすることを目指す。

トークセッション  共同親権が世間に伝わってこなかったのは、なぜ?

最近「共同親権」という言葉をメディアでも聞くようになりました。親がたとえ別れても、子育てはともに担う社会の仕組みです。日本以外の多くの国はすでに単独親権から共同親権へ移行を遂げています。EU議会は、親による子の連れ去り問題の解決を日本政府に求める決議を上げています。単独親権制度の違憲性を訴える裁判も始まりました。

 子どもに会えない親や子どもは、十年以上前から団体を作り、単独親権制度の改廃を訴えてきました。ところが国はいまだに、海外からの批判を「誤解」と公言しています。メディアも、こういった批判に対し、検証し市民に伝えることには及び腰です。背景には、親権報道に対する口封じや性役割をめぐる議論の混乱があります。

 何が親権報道の現場で起きてきたのか。困難な課題に挑戦してきた二人が提起します。

日時 2020年1010日(土)13:00開場13:30開始~15:30

場所 船橋市勤労市民センター(千葉県船橋市本町4丁目19-6)3F第三会議室

JR船橋駅南口から徒歩約5〜6分・京成船橋駅東口から徒歩約4分

発言

牧野 佐千子さん「共同親権報道で体験した言論弾圧」

<プロフィール>ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、読売新聞記者、JICA青年海外協力隊員(アフリカ・ニジェール)、研究機関広報などを経てフリーランス。共同親権に関するネットニュースを書いたことで、大量のクレームを受けた経験あり。

宗像 充「親権報道、伝える側と伝えられる側」

<プロフィール>ライター。共同親権国賠原告。「メルマガ共同親権」を運営。おおしか家族相談で別居親や家族の支援を行う。非婚の父として親権がなく、人身保護請求で2007年に子どもと引き離され、今も制約された環境下で子どもと会う。著書に『子どもに会いたい親のためのハンドブック』。

参加費 1000円 会員でなくても参加できます!

※要予約 20名まで

主催 共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会

(予約先)TEL 0265-39-2116 メール kkokubai_contact@k-kokubai.jp

バイキン非国民宣言

 千葉県に娘がいるので、長野県に住むぼくは毎月上京している。連れ合いの実家が宿泊業の関係で、帰宅するとコロナ感染を恐れた実家の希望で、2週間隔離せよと指示が出た。不本意ながら従ったものの、気持ち的には公的な場に出向くのも気が重い。東京では混んだ電車や居酒屋に行く人も見る。自治会関係の行事参加は村の発言権の担保だし、家で一人でいると「公民権停止」と感じてしんどくなった。

 コロナの死者は餅でのど詰まらせて死ぬ人の数と互角だし、インフルエンザの死者は一万人を超える。長野県の場合(コロナ死1名)、キノコ採りで死ぬ数のほうがはるかに多い。マスクを呼びかけるなら餅つきやキノコ採りも禁止だ。飯田では感染者宅に石が投げられたという。実際の感染(メディア発表は正確には陽性者)より怖いのが風評なら、熱が出ても黙って家で寝てればいい。

東京の友人に電話した。「近所づきあいはないのは東京じゃ普通」「ぼくは引きこもるの好きだから今のほうがいい」……気持ちが軽くなった。「まともな国民」意識がコロナファシズムを生み、マスクをさせ、次はワクチンで人体実験だ。だったらぼくは「非国民」。東京の人たちよ、いっしょに「ばっちい」と言われよう。(宗像充 大鹿非国民)

(2020.10.1Alert)

絶滅したはずのニホンカワウソが高知県で発見!? その「証拠」とは

4年間に収集した「カワウソ生息の証拠」を公表

「はじめて見たときに、『カワウソや』と断定した。これはえらいこっちゃと……」

カワウソらしき動物が映っていた

5月6日、中央右に頭を右に向けたカワウソらしき動物が映っていた。赤外線カメラの画像 

2016年の目撃以来、高知県大月町の海岸でカワウソの調査を続けている「Japan Otter Club」の大原信明さん(公務員)らは9月16日、高知市内のこうち男女参画センター「ソーレ」で会見を開き、過去4年間に収集した「カワウソ生息の証拠」を公開した。  大原信明さんがその動物に最初に気づいたのは、2016年7月21日の夕暮れ時。「もしいたらスクープやろ」と大原さんが呼びかけたのをきっかけに、仲間と手持ちのカメラで撮影を試み始めた。  

ニホンカワウソは2012年に環境省が絶滅宣言を出している。2017年に対馬に生息するカワウソの動画が発表されたものの、DNAでは韓国のカワウソの仲間という結果もあり、論争を呼んでいる。  

大原さんたちが大月町に来た目的は釣りキャンプで、目撃はまったくの偶然だった。その後、仲間3人で同じ海岸に何度も調査に出かけた。

「見たのは100%カワウソ。自信はある」と大原さんは語る。海から出した顔の前半分がつぶれたような形で、下半分が白く動物園で見たカワウソの特徴と同じだった。  

会見では、この間に撮りためた動画や赤外線カメラの写真、食痕や巣穴など、最初に見た地域の周辺で得られた複数の証拠を示した。動画では、前面が白い動物が海面に顔を出したり泳いだりする動物の姿が映っている。

 調査地点近くでは海に小川が流れ込み、人が近づきにくい場所も多い。集落はあるが人家はまばらだ(筆者も現地に行ったことがある)。3人が直接「カワウソ」だと認識した目撃回数は104日間で6回。  そして2020年5月、近くの小川にしかけた赤外線カメラに、カワウソらしいシルエットが映っていた。これを見て、これまでの調査結果の公表に踏み切った。

写真解析の結果、「カワウソ以外に考えられない」

調査結果を公表した大原信明さん(後方)、土井秀輝さん

調査結果を公表した大原信明さん(後方)、土井秀輝さん「岸壁のすぐ下にいたときは、寝ぼけていてタモ網を取りにテントに戻った。網ですくえると思ったほど近くだから間違いようがない。ただ客観的に見て、写真の解析から見ても、消去法でカワウソ以外は考えられない」  

4年間の調査結果を解説した「Japan Otter Club」の土井秀輝さんは、そう強調する。2020年5月の写真は不鮮明なので独自に動画を解析した。5月6日午前2時に撮影された画像では、シッポの付け根が太くてカワウソらしい特徴が見て取れる。

「近くの岩のクラックの長さとの比較で、体長は87~107cmほどだとわかった。イタチとは明らかに大きさが違う。混同されやすい動物としてハクビシンがあげられる」  

さらに土井さんは、定量的な比較を試みた。

「複数の動物写真から比率を求めました。全長に対する尻尾の割合は、高知付近を生息地としていたニホンカワウソと同類のユーラシアカワウソが平均33.9%。写真の動物の比率は35.1%で、これに近い。ところがハクビシンの場合は42~44%とまったく違う。

 また、尻尾部分の傾斜角(テーパー)は、同じく、ユーラシアカワウソが1/6.05~1/9.06で、この動物は1/9.05。ハクビシンは1/19.5~1/25.4。四股の左足内側、顎から四股内側にかけて写真で白く映っている部分の個所は、カワウソには当てはまってもハクビシンには当てはまらない」  

ということで、ハクビシンである可能性はなさそうだ。

小川近くの岩の上に散乱していたカニの食痕

小川近くの岩の上に散乱していたカニの食痕「また、歩く時の腰の盛り上がりはカワウソの特徴。見た目の体形、数値的な体形ともにカワウソに限りなく近い。何人かの研究者にも見せたが『カワウソではない』という研究者は一人もいなかった」(土井さん)  

それ以外にも今年8月の調査では、沢の近くの岩の上に数100匹の小カニの食痕があり、「獺祭(だっさい)=獲った獲物を並べるカワウソの習性」の状態となっていた。 「韓国のユーラシアカワウソ研究者に見てもらったところ、『カワウソの親子が餌の取り方を教えた食痕に似ている』との回答があった。大きさの違うカワウソを別々に見たこともあり、生息しているだけでなく子孫をつないできたのでは」(土井さん)  

国内ではDNA調査の結果、四国地域のカワウソはDNA上もオリジナリティがあるとされ、土井さんたちの示した証拠はニホンカワウソ生息の可能性を示唆するものだ。

地元自治体の観光協会が情報窓口を設置、さらなる目撃情報を求める

ニホンカワウソの等身大フィギュア

越智町観光協が入る「おち駅」に設置された、ニホンカワウソの等身大フィギュア(熊谷さとし作) しかしニホンカワウソは1979年の須崎市新荘川での目撃・撮影を最後に生息情報が確認できず、環境省は絶滅宣言を出している。

「絶滅宣言は大きな誤り。取り消してほしい」と、大原さんたちは口々に反論する。 「環境省は絶滅の目安として『50年間確実な生息情報がなかったこと』をあげている。しかし2012年の絶滅宣言は新荘川での確認から33年しか経っていなかった。もともと、絶滅の根拠もなかったんです」(大原さん)  

高知県、愛媛県、徳島県はレッドデータブック(絶滅のおそれのある野生動物の情報をまとめたもの)で、ニホンカワウソについて「絶滅危惧種」としたままだ。これについては、環境省が「いない」と言った影響が大きい。

「みなさん頭は『絶滅』で固まっている。それらしい動物を見ても自分で否定するし、情報を行政に寄せても調査にはつながらなかった」(同)  

今回、大原さんたちが働きかけて、仁淀川流域の越知町観光協会が目撃情報等の受け入れ先を引き受けた。さらなる証拠で生存が決定づけられれば、絶滅説は一掃されるだろう。

「仁淀川でも複数の目撃情報があり、調査地域も広げたい。実はあちこちに、少数だが生息しているのではないでしょうか。『まだ生存している』と、頭を切り替えてほしい。市民から情報が寄せられれば、さらなるカワウソの調査や保護につながっていくと思います」 文・写真/宗像充

ハーバービジネスオンライン
https://hbol.jp/228724

コロナパニックで娘と会う

「お子さんのお気持ちを考えてみてください」

 今回は警察官が2人現れた。日曜日の午後2時に、千葉県習志野市の駅の交番の前で娘を待っていた。

 元妻との間には中学3年生になる娘がいて、今14歳だ。彼女の連れ子の女の子もいて、今高3になっているはずだ。2007年に別れて、裁判所の決定が出た2010年から隔月や月に1回という頻度で子どもたちと定期的に会ってきた。上の子は中学校に上がるときに「会いたがらないから」と一方的に元妻に伝えられて引き離されていた。

 下の子も中学校を卒業した段階で、行く予定だった公立の中学校に行っていないことがわかった。会ったときに本人に聞いても言わない。

この日は事前に母親側の弁護士から郵便で連絡があり、娘を待ち合わせ場所の交番前に行かせないと伝えてきていた。そうはいっても、実際に現地まで行ってみなければ、娘が本当に来るかどうかはわからない。

この間いっしょに付き添ってくれる友人2人と交番前で待っていたら、予定の時間に娘ではなく、元妻の再婚相手が現れた。

 娘といっしょにすごす取り決めは午後2時~6時までだ。その間、娘はぼくに「うざい」「死んでしまえばいい」「お前なんか父親じゃない」とか悪態をついて、中途で帰ってしまう。追いかけるとけられたり殴られたりしたこともある。思春期の娘の反発としてはありうる範囲かもしれないし、「傷つくんだよ」と口で伝える。そうかと思えば、娘が生まれたときのことや昔いっしょに遊んだときのことを話すと、ボロボロと涙を流すことも度々ある。

一年ほど前に、元妻の再婚相手が、インフルエンザによるキャンセルを伝えてきた後、日程の調整という名目で連絡をよこし、結果会えなくなったことがある。

裁判所から注意をしてもらうと、再び娘がやってくるようになった。最近、元妻の夫が近くの銀行のロビーからぼくたちが会うのを監視していることがわかった。彼は元友人だけど、娘との直接のやり取りを邪魔するようになったので、別の友人に付き添ってもらっている。

この日付き添ってくれた一人は彼との共通の友人だ。しかし彼はぼくたちのほうではなく、交番に入っていった。娘を引き続き待っていたら交番から警察官が現れた。

彼のほうは、娘が書いたという手紙をぼくに手渡そうとしたけれど、娘から直接渡されるでなし、彼から受け取るものでもないので受け取りを拒否した。

 娘が来ないなら来ないで娘の自宅に安否確認に訪問する予定だったし、以前もそうしたことがある。それを彼は嫌がって、何の容疑もないのに警察に相談し、彼の意向を受けた若い警察官が手控えるようにぼくを説得しようとして言ってきたのが冒頭の言葉だ。

「中学生の娘が男親に反発したりするのは普通ですよね。でもね、こうやっていろいろあっても父親が足を運んできているということは、今は意味がわからなくても、娘が大きくなって物事を客観的に見られるようになったときに、わかるようになるんじゃないでしょうか」

 いつもこういう場面で答える説明をこの日もした。

 その後、警察官たちは、ぼくを問題を起こす迷惑な存在としてではなく、娘の父親として見るようになった。もともと民事不介入で、警察官が間に入って交渉の仲介をする権限はない。「彼が問題を起こさない限りこちらにも付き添いもいるので問題は起きませんが、そんなに心配ならあなたがたが同伴して安否確認をすればいいでしょう」と言うと、「何かあったら所轄の署に連絡してください」と、交番前での足止めは終わった。

ぼくたちは友達の車で自宅訪問をし、インターホンを押して誰も出てこないことを確かめ、子どもたち2人への手紙をポストに投函して引き上げた。

 日本では、親が別れた後に二人の親が子育てを継続するという発想は弱い。新しく家庭を持っているのに、別れた子どもと会うなんておかしいという発想は逆に強い。

子どもから見たら親は二人いるので、どちらかの親だけが子どもを見るというのは、親の都合を押し付けられていることになり、海外では共同親権という考えが生まれてきた。それを求めて国を訴える裁判を起こし、新聞記事になったりした。

「会えなくてもそのうち会いに来るよ」

 と慰めなのか言われることはある。

だけど原告の中には、子どもが大人になっても会いにこないどころか大人になっても父親に住所を隠すケースもある。それでも子どもが気になるのか、彼は役所とやりあう。会いに来なければ親子の関係はそこで途絶える。別れた親どうしの関係が難しいのは普通だし、別れた相手の悪口を子どもに言って子どもが片親を拒否するようになるのは、ぼくたち親子でも同じで珍しくない。

制度で起きている片親の引き離しに国は責任を負わないし、当事者には何のケアもない。子どものことよりも、家や周囲の目を考えれば、そのほうが大人にとっては都合がいい。自分が子どもに会えなくて寂しいという思いはやがて薄れる。しかし、意図せず引き離され、子どもが捨てられているのではと悩む親は、自分を苦しめ続ける。

 社会から疎外されがちな別居親という位置から人々を見ていると、コロナのもとでの人々のふるまいもよくわかる。

 コロナの対策として外出規制が世界中で流行った時期がある。今も人の移動に対する人々の目は厳しい。そんな中、毎月ぼくは東京を通って千葉に出かけ、東京と長野の二つに分かれた別々の世界を見続けてきた。

 欧米各国では、外出規制の例外として、国が別居親子の関係の継続指針を出している。子どもから見れば父母両方の家が自宅なのだから、外出規制は帰宅制限になる。国が帰宅を保護しなければ、親子関係という人権が、感染拡大を名目に損なわれてしまう。人々の移動が少なくなり、町に人がいない中での少人数の移動を感染予防と調和させることは、技術的にも難しくない。

 ぼくも所属する別居親のグループも、アンケートで苦境を示し、同様の指針を国に何度も求めた。国はこれに正面から回答せず、オンラインでも面会を活用するようにとホームページに掲げた。子育てには、難しい思春期の子の対応やおむつを替えるなどもある。どこの世界にオンラインで子育てする親がいるのだろう。

 それでなくても約束がなければ引き離されるのに、話のできない相手に一時的に取り止めを申し出れば、永遠の別れになることは目に見えている。会いに行く行かないは選べないし、子どもが親を選べないように、親も親であることをやめられない。

何しろ、子ども視点で考えれば、別居親に会うのが危険なら同居親と暮らすのはもっと危険だ。子ども視点で感染予防を突き詰めれば、子どもは施設に入れるしかない。しかし子どもはコロナにかかっても軽症ですむし、肺炎になって死ぬのはインフルエンザでも同じだ。

 受ける影響は大きいので、コロナに関する情報を自分なりに検討してみた。

 毎日テレビに感染者数が出てくるが、これは検査で陽性だった人の割合で間違いだ。コロナウィルスは移りやすいが、ほとんどは自然免疫で症状が出ないし、出ても軽症ですんでいる。現在の死者数は1万人を優に超えるインフルエンザの死者数の10分の1にも満たないから、恐ろしい疫病とは程遠いけど、マスコミはこういった比較を行わない。テレビは危機を煽ったほうが視聴率がとれる。コロナ以前、報道番組は低視聴率にあえいでいたが、コロナ特需で持ち直している。

PCR検査というのは、遺伝子を増幅させて読み取る検査の手法だ。増幅の回数で検出率は上がる。アメリカでこの検査の増幅回数を上げて「感染者数」を水増ししていた事実が明らかになっている。

すでにコロナウィルスへの暴露という観点からは、日本の状況は集団免疫に達しているというのを、免疫学者も言っているし、毎日のように、医学の観点からコロナ対策の無意味さやマスコミ批判をネットで続ける大学教授もいる。

そもそも感染者は次に似たようなウィルスが出てきたときに、免疫という観点からは人々の防波堤になる重要な役割を担う。だいたい元気な人はかかっても軽症ですむのだから、黙って家で寝て直したほうがいい。

感染者を社会から排除するのは、感染者を出し営業停止措置に対して保証したくない行政の都合にほかならない。本当にまともな対策をしたいなら、科学的な観点からのコロナの危険性(の少なさ)と過去の政策の無意味さをあらためて説明し、なおかつ感染によって偏見も含めて暮らしがままならなくなった人への生活保障を国がすれば偏見もなくなる。

先日、こういった視点を東京の別居親の仲間にしゃべってみた。

「こういうのはみんな世間では実のところ知られていることじゃないでしょうか」という。

国の政策の誤りや数値の操作を多くの人がうすうす気づいている。だから東京では、飲食店に客はいるし、電車もお年寄りの姿を見ることは少ないけれど、そこそこ人が乗っている。周囲で死者が次々出るような状況でもないのに、意義を感じない生活上の制約を受け入れ続けるのは難しい。

しかし別の視点を持った報道はテレビではなされない。自らが洗脳した視聴者の反発をテレビは恐れ、流す情報を統制し、コロナとの戦いを続けさせる。これが、効果がないとうすうすわかっていながら、マスクをみんな外せない理由だ。

社会に正気を取り戻し敗戦からの復興を急ぎたいなら、自らが「非国民」と名乗り出るしかない。

一人じゃない、別の見方もあると確認するために、同じ悩みを抱えるもともと疎外されてきた別居親たちの話しを聞き続けていたのは、お互いに孤立して闇夜に投げ出されることを防いでくれていたようだ。社会全体が周囲から自分がどう見られるかという視点だけを気にするように人々に仕向けている。

そんな中、それとは違う見方があると伝えられる存在があることは、子どもに限らず、多分貴重なことなのだろう。

(2020.9.18、越路18号、たらたらと読み切り158)

養育費に悩んでます

新算定基準が親たちを苦しめる

 単独親権制度の撤廃を求めて国を訴えた、共同親権運動のホームページに養育費のピンハネ問題について声明文が載せたからか、相談やホットラインで養育費に関することについて問い合わせが増えた。

 DVに苦しんだシングルマザーが精神的に不安定になって虐待するといったような記事は少なくない。別居親のほうも、一様に家族と引き離されて不安定になっていたり、鬱状態になっていたりすることは多い。相手からはDVがある場合も少なくないけど、子どもとの引き離しは虐待だし、強いられた環境に不適応になるので、そうなるのは当たり前だ。男性の場合は支援も行き届かない。

 そんなわけで、仕事を続けられなくなって転職や休職をしたり、部署替えで給与を減らされたりすることも多い。そうなるとこれまでの養育費は支払えなくなるので、元妻(夫)と話したり、減額調停を裁判所に申し出て負担を軽くせざるをえない。双方が一時的な環境の変化によって子育てが困難になったら、国が児童扶養手当という形で母子(父子)世帯を支援することになる。

 ところが、昨年12月に最高裁判所が提示した新算定表で計算しなおすと、減額どころか増額になり、減額調停を取り下げる判断をせざるをえなくなったという話が入るようになった。ほかにも減額調停を申し出たほうがいいんでしょうかという相談を受けるのだけど、あらかじめ算定表で確認しないと、調停を申し出たばかりに負担が増えるということになりかねない。

 こういった相談が入る時点で、この新算定基準は失敗だったということがよくわかる。

入った相談は父親たちだった。彼らは払う意欲があるけど、負担が大きいので減額したいと言っている。別れた後も養育にかかわろうとするいい父親を虐待してどうするのだ。やがて意欲を失って支払わなくなったらどうする。

勃興する養育費産業

 そこで登場するのが、養育費ピンハネビジネスだ。すでにピンハネは子どもの権利侵害だという認識は広まりつつあるので、相談が入る。

 特に問題なのが、こういったビジネスが、元夫(妻)とのかかわりをもちたくない人をターゲットになされているところだ。特に相手との関係が面倒になって子どもを引き離し、そうなると父親(の場合)のほうも養育費を支払いたくなくなって滞る。そこで母親の側はスマホで手軽に申し込める徴収代行ビジネスにアクセスする。

 父親のほうは子どもと会えれば支払う意欲はあるのだから、徴収代行ビジネスの弁護士事務所から弁護士口座に振り込むように連絡が来ると、事情を話してその点についての元妻との話し合いを弁護士事務所のオペレーターに提案する。しかし、オペレーターは交渉事務は非弁行為になってできないので(すでにこの時点で非弁行為の可能性はある)、一方的にもともとある取り決めでの徴収業務に進むことになる。

 もともと支払えなければ自己破産も選択肢だけど、社会的信用は失う。しかし、自分の生活を犠牲にしてまでピンハネに協力するのは納得がいかない。

 ここで得をするのは誰だろう。

 父親から直接母親の口座に振り込むことができたなら、母親側は子どものためのお金を満額受け取り使うことができる。しかし父親は母親と話ができず、子どもと会えもしない状況では、そのお金がほんとうに子どものために使われたか不信を抱き、支払いを躊躇する。徴収代行ビジネスはこういった父親からも、もともとの取り決めに基づき取り立てることはできるだろう。子どもは父親への思慕を絶たれ、母親は受け取れるはずの養育費が目減りし、そして、徴収代行ビジネスは子どもが成人するまで毎月一定の額を手にすることができる。こんなおいしいビジネスやめられない。

母親側のマイナス感情から、こんな産業が成長しつつあるけれど、やってることは子どもと別居親の搾取だ。奴隷貿易と変わらない。