『ニホンカワウソは生きている』表紙できたよ!

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すでに絶滅したとされるニホンカワウソ。しかし、今も目撃情報が絶えず、その生存を信じる人たちは多い。2016年、高知県の海岸で〝ニホンカワウソらしき動物〟が撮影されたことに強い関心を寄せた著者は、取材を重ねていくことで生存への確信を得る。環境省の「ニホンカワウソ絶滅宣言」を揺り動かす、渾身のノンフィクション。

幻の山小屋

「これお土産です」

 大鹿村役場のカウンターで、産業建設課長の間瀬さんにビニール袋を手渡す。

「何これ」

「広河原小屋のゴミです」

使用済みのEPIガスカートリッジ3つを小屋から持ち帰っていた。

広河原小屋は、大鹿村が持つ唯一の山小屋だ。小渋川の上流にあり、行くには股下の徒渉が10回以上あるので、登山道しか歩いたことのない登山者はやってこない。通常車が入れる終点の、湯折の登山ポストに提出される登山届は、毎年20人程度しかいない。大鹿村に来てから一年に1回くらいは広河原に行くのだけど、年々ゴミがたまっていて、役場が手入れをしている様子がない。半ば放置されている。

あまり荒れるとゴミが増えるし、焚き木にされて小屋が燃やされたりすることもあるので、行くと後ろの引き戸を開けて風を通して箒で床をはく。重くならない程度に、他の登山者が置いていったゴミをザックに入れて持ち帰っている。古くても、床が一部沈んで埃っぽいほかは、小屋はしっかり立っていて、引き戸もきちんと開く。稜線の大聖寺平から下山してきて小渋川が増水している場合、この小屋があるおかげで焦らずに日和を見ることができる。

「いや、ぼくの別荘にしてもいいんですよ。だけど心が痛まないかなあって」

 間瀬さんは今年の秋に、アプローチの林道も修繕すると弁明していた。

7月末に、小渋川から赤石岳、荒川三山を取材で登ってきた。昨年の豪雨で湯折までの林道は2カ所で崩壊している。倒木だらけの一か所は村が倒木を撤去した。もう一か所は沢が道を削っていて、歩いて通過するにも高度感があってちょっと怖い。林道の復旧はあきらめて、ロープを登山者用に渡して歩道にしてしまうといいと進言したけど、湯折には県の発電所の取水口もあるので、県が予算をつければ林道は元に戻るようだ。

広河原小屋は南アルプス最古の山小屋と言われている。大正登山ブームを経て村に赤岳会という有志団体ができて村に働きかけ、荒川小屋とともに作った。四半世紀前に学生のときにぼくが登りに来たときには、広河原小屋と同じく、通路の両側に寝床のある古い山小屋の形式の荒川小屋はまだあった。その後静岡県側の山林地主の東海フォレストに荒川小屋は管理を移管し、ピカピカの小屋に生まれ変わっている。

静岡県側はリニア工事で当分登山者にとっては不便なので、百名山の赤石岳、荒川三山の登山に「アクセス至便」なのは、長野県側の大鹿村になった。「百名山」を「最古の山小屋」とセットで売り出せば、ぜったい飛びつく登山者はいるはずなのに、大鹿村はこのルートは行かないように言っているそうだ。今年も雨続きだし、広河原小屋はますます幻の山小屋になって希少価値を増している。

 役場に登山者の冒険心を理解する人はいないので、何かさせようとしても無理だ。もともと山登りなんて、自分でルートを考えて頂に立つのが本来の姿なので、元に戻っただけだ。

 お隣の遠山谷には、学生のときに日本山岳会の学生部でお世話になった、登山家の大蔵喜福さんが昨年からやってきて、「エコ登山」を掲げて木沢小学校に事務所を構えている。光岳もまた渋い山だ。アプローチが遠くて百名山ハンターが最後に選ぶ(残す)山として知られている。学生のときに、甲斐駒から南アルプスの全山縦走をして、最後にたどり着いた光岳は樹林のなかで「これで最後か」という記憶しかなかった。

 遠山谷からの登山道はもともと長丁場な上、アプローチの林道は度々崩壊し、体力のない登山者には厳しかった。大蔵さんは登山道途中の面平に据え置きテントを設置して、そこをベースに光岳を往復できるようにした。営業小屋のない長野県側南アルプスだからこそできる逆転の発想だった。登山者も減っているのに今さら山小屋なんて作れない。だけど、面平の幕営地には、炊事具はあるし、山小屋以外は何でもある。排泄物は携帯トイレで持ち帰るので、環境に付加を与えない。

 同じような発想で登山道を整備し、大蔵さんは遠山谷と大鹿村を結んで赤石岳への登路を確保しようと考えていた。小渋川の左岸や聖岳へと続く百間平にはもともと大鹿村がつけた登山道がかつてあり、広河原小屋はこれら周遊登山道のベースでもあった。下山すれば湯折で温泉にも入れたものの、今さら湯治場を復活するのは無理そうなので、据え置きテントとドラム缶風呂を設置すれば、来る人は増えるだろう。

今年、南アルプスでは、ヘリのチャーターができない上に、コロナで山小屋の営業も成り立たなさそうなので、南部地域の山小屋は避難小屋を開放して、すべて営業を停止した。おかげで無人の山脈が突然出現した。大蔵さんの「エコ登山」とともに、今時の登山のあり方として、雑誌にページをもらったのだ。

七釜橋の橋梁は小渋川の水面から1メートルほどしか「隙間」がなかった。湯折まで40分、湯折から30分ほどで、七釜橋に至り、ここから小渋川の徒渉が始まる。毎回なんでこんな山奥に、こんな立派な橋があるのだろうと思うけど、昔の砂防堰堤工事のために作ったものだという。そのころ作られた護岸のコンクリートは、昨年の豪雨で完全に水没。「税金の無駄」「自然に歯向かっても無理」の貴重な展示品となっている。

どっちにしても、ここから先はいつもの徒渉の繰り返しで、荒川前岳の胸壁を見上げると陸に上がり、林間に広河原小屋が建っていて安心する。

稜線への登山道は、一昨年の台風19号でいよいよ倒木が多くなり、大聖平の下のトラバース道で今回も迷いながら大聖平のケルンに到着する。時間的に余裕があったので、赤石岳を往復し、フラフラになって荒川小屋に来ると、何とぼくのほかに3パーティー、計5人もテントと小屋にいた。

「今日は小屋は独り占めと思っていたのに」

ぼくが考えていることを口にしたおじさんは、茨城から、若いガイド2人を連れたおじさんは群馬から、それに単独行の女性がテントを張っていた。小屋の人たちに聞くと、椹島は小屋は営業しているものの、リニアの工員が客室を占めていて、登山者は予約できなかったという。椹島までの林道の交通機関は、椹島に宿泊した人のためのリムジンバスしかないので、登山者は椹島まで林道を歩くしかなく、ガイド付の3人組は、電動アシストの自転車で突破した。

「山やとしては憤りを感じる」

 茨城のおじさんが言っていた。椹島の周辺は静岡県知事がダメ出ししても、リニアの工事現場に変わっていた。4人とも、無人の千枚小屋に泊まり、荒川岳を越えて荒川小屋に来て、明日は赤石岳を越えて、赤石小屋に泊まるという。いくら条件が整わなくても、来る人は来る。

 翌朝、荒川東岳(悪沢岳)を往復して、広河原小屋に下山した。一番いい時期の夏山に誰もいない山上。お花畑、滝雲、ブロッケン現象、サルの群れと、営業はなくても、これでもかというくらいのサービス過剰だった。

広河原小屋に戻り、小屋の引き戸を開け、風を入れ、箒で履く。今回は獣が床下から侵入して床上に毛が散らかっていた。

ゴミのガス缶を入れたザックを背負い、小渋川の流れに足を浸す。「冷たい」といつものように声を上げる。

(山行記は発売中の〝Fielder〟で)

(2021.9.8、「越路」24号、 たらたらと読み切り164 )

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すでに絶滅したとされるニホンカワウソ。しかし、今も目撃情報が絶えず、その生存を信じる人たちは多い。2016年、高知県の海岸で〝ニホンカワウソらしき動物〟が撮影されたことに強い関心を寄せた著者は、取材を重ねていくことで生存への確信を得る。環境省の「ニホンカワウソ絶滅宣言」を揺り動かす、渾身のノンフィクション。

【vol.59】コロナ禍で実現する“自力登山”への挑戦「誰もいない南アルプス百名山を登る」

今夏、三伏峠から南の南アルプス主脈の山小屋はすべて営業を取りやめた。この地域には荒川三山(3141メートル)、赤石岳(3121メートル)、聖岳(3013メートル)、光岳(2592メートル)と4つの百名山がある。アクセスの不便さから毎年百名山登山のフィナーレにこの山域を目指す登山者も多い。今年は輪をかけて「遠方」になった。自分の力で登る広大な山域が突然出現した。誰もいない百名山も独り占めできる。それに営業していなくても小屋はある。隅々まで整備された北アルプスとは違う登山、人間も自然の一部と気づかされる登り方、そして文明の利器に依存しない本来の山登り。冒険を探しに無人の山河に足を踏み入よう。
※緊急事態宣言下では不要不急の行動は慎むこと。
文・写真/宗像 充


百年前の南アルプスを旅する

大鹿村は塩見岳、荒川三山、赤石岳と三つの百名山の玄関口だ。上蔵地区は、鳥倉林道を経て三伏峠へ、釜沢を経て小渋川から赤石岳へと至る道の分岐にあたり、赤石岳を見上げる美しい里だ。

その道端に、昨年から「ウェストン写真 赤石岳登山」という控えめな案内表示が立った。民家の庭先には山頂の集合写真が掲げてある。しかめ面のウォルター・ウェストンとともに村の人たちが写っていた。ウェストンは日本に西洋の登山を普及させたパイオニアだ。1892年(明治25年)にここを通って赤石岳を往復した。

上蔵の人たちもその案内として同行し、家主のKさん宅にそのときの写真が伝わっていた。Kさんがこの写真を刊行公表するまで、見たい方は足を運んでほしい。

ウェストンは南アルプスでは赤石岳に最初に登頂している。小渋谷は直線の断層で正面に目指す山を望める希少なロケーションだ。南アルプスの盟主として山脈の名前を冠し、明治以降の日本アルプス探検では、代表的な登山家が足跡を残した。小渋川を溯る登頂ルートは、現在も往時のままほとんど変わらず、庭先の写真とともに歴史的価値がある。

小渋川の入渓地の七釜橋は橋梁まで川床が迫っていた。釜沢から1時間半。

庭先に掲げられたウェストンの登頂写真の案内板。

裏山は3000メートル

我家はこの上蔵集落の最上部にある。自宅からは赤石岳南の大沢岳が望める。ぼくがこの村を最初に訪問したのは、大学一年の冬山の偵察で秋に荒川三山に登った四半世紀前のこと。飯田線の伊那大島の駅からバスに揺られ、終点の大河原のバス停から車道を歩き、途中移動スーパーに拾ってもらい、釜沢から林道をたどる。小渋川に入渓し何度も徒渉を繰り返した。道は市販のガイド地図にも記載されている。尾根の取り付きに山小屋もあり、急登を経て確かに南アルプスのピークに立てる。

「なんでこんなところが登山道になっているんだろう」

整備された道を歩く登山しかしたことのない自分には不思議だった。それは、多くの人々を迎えてサービス過剰になった現在の山登りに疑問を投げかけるはじまりだった。

登山を終え、釜沢まで戻ってきたとき、いっしょに来た先輩が山肌の集落を見上げてつぶやいた。「よくこんなところに住んでいるなあ」。いまその村にぼくは暮らしている。

赤石岳、荒川三山36時間

無人の中岳避難小屋から荒川東岳を望む。

人はいない、小屋はある、お金は使えない

南アルプス南部の山小屋は、新型コロナ等の影響で、静岡県側の椹島以外すべて営業を停止している。椹島ロッジは工事関係者も利用するため、ロッジの送迎バスに乗られない登山者は長い林道を歩くしかない。この地域の百名山を目指すには長野県側がいまや「アクセス至便」だ。

しかし、昨年の豪雨で小渋川から赤石岳を目指す登山口の林道が崩壊。1時間の林道歩きが加算された。今夏の登山をあきらめる登山者も多いだろう。

ただ林道の崩落状況を把握していたぼくには条件はさして変わらない。ないのは荒川小屋の営業だけだ。山小屋の避難小屋は夏でも開放されたため、人はいない、小屋はある、そしてお金は使えない、の三拍子そろった静寂の夏の百名山を独り占めできるはず。

もともと南アルプスは寝袋持参の登山が似合う山。7月28日、釜沢を横目で見て林道を歩きはじめた。

南アルプス南部の山小屋は軒並み営業を停止した。

南アルプス最古の山小屋、広河原小屋は幻の山小屋。訪問する人は年に30人もいない。

南アルプス最古の山小屋

今回も持参した地形図には、まだマメだった学生当時、徒渉点を記録しようと、地図上の小渋川に打った印が残っている。深いところで股下の、10回以上の徒渉を繰り返すこの川の溯行は、道をつけて人が山を手なずけようとしても、素直には従ってくれないという証明だ。

林道の2か所の崩落箇所は倒木が撤去されている。高度感のある部分もあり緊張する。村も登山の中止を勧告している。最近は国が国民を見殺しにする用語として「自己責任」という言葉は価値が暴落した。それは本来、リスクを引き受ける登山者の矜持だったはずだ。

徒渉のスタート地点の七釜橋は、昨年の豪雨で桁下まで川床が迫っていた。砂防工事のためのコンクリートブロックは川床になり、大自然の前の文明のおごりが見学できる。川は豪雨で荒れても、徒渉は学生時代とさしてかわらない。高山の滝を過ぎて谷が狭まった後、視界が開けて荒川前岳の胸壁が見えてくる。川を離れると木漏れ日の林から小さな山小屋が現れた。

広河原小屋は南アルプス最古の山小屋と言われる。古びてはいてもしっかり立っている。中に入ると石がむき出しになった通路が奥へと続き、両側に寝床がある、古い山小屋のスタイルを踏襲している。大正登山ブームを受けて、大正が昭和に代わるころ、村の有志のグループ、赤岳会の努力と働きかけで、荒川小屋や三伏峠小屋とともに建設された。

以前はここから荒川三山、赤石岳の間の大聖寺平に至るだけでなく、福川沿いにさらに南部の山並みにつながる百間平に至る道もあった。また小渋川の左岸には登山道も整備されていて、ここをベースに尾根を周遊できた。小さな小屋には南アルプス登山の歴史が折り重なっている。

大鹿村に住んでいると、毎年のように小渋川での遭難事故の報を聞く。降雨で小渋川が増水して余裕がなければ無理をして下って流されるだろう。学校登山で赤石岳に登っていた大鹿村の中学生全員が、1週間近くこの小屋で足止めされたということもあったという。ぼくも水が引くまでここで日和を見たことがある。登山とはそういうものだった。

荒川中岳に至るお花畑を見る人は誰もいない。

大サービスの百名山

広河原小屋からは、一昨年の台風19号で倒木だらけだ。手を入れていないので低木が覆い、踏み跡も見落としがちな道に疲弊して大聖寺平に至る。5時15分に釜沢を出てまだ13時45分。欲張ってさらに赤石岳を目指すと、山頂では2000メートルの標高差にフラフラになっていた。バテバテで17時過ぎに荒川小屋に入ると、なんと、テントも含めほかに3組の登山者がいた。

翌29日、絶好の登山日和のもと、荒川三山を経て再び広河原小屋から小渋川を下り5時に釜沢に戻る。36時間で2つの百名山の頂に立った。

朝焼けの富士山を後に、荒川東岳に向かう途中、光岳から山梨県の広河原を目指す単独の女性登山者と行き交ったのが、登山道で唯一出会った人間だった。無人の山上で、お花畑は咲き誇り、滝雲が長野県側から大聖寺平を越えて流れ込む。霧にかすむ山梨県側を見下ろせば、ブロッケンの妖怪が現れた。自然のサービスは小屋の営業以上だ。

ぼくが長野県側からの最初の登山者のようで、広河原小屋の周囲には、クマがアリの巣をつついた跡や真新しいフンが落ちていた。東岳にはサルの群れ。人より野生動物に会う機会が多い。荒川岳の開山は1886年(明治19年)、大鹿村の隣の豊丘村の行者、堀本丈吉によるとされる。東岳山頂にはその開山50年を記念した1936年の銘板が残っている。村人とヤマイヌに導かれて荒川岳を開山した、山開正位(堀本)も、ぼくが体験したような変幻自在な自然の競演に感動したことだろう。

1886年に荒川岳を開山したのは豊丘村の行者、堀本丈吉とされる。開山時の様子が豊丘村の三峰神社の横幕に残る(富士見町高原のミュージアムの展示から)。

東岳の稜線にいたサルの群れ。今回会った人間より数が多い。

ブロッケン現象は、光が背後から差し込み影が雲粒や霧粒に散乱して生じる光学現象。

赤石岳山頂から、赤石岳避難小屋、聖岳を見る。一等三角点は日本で最高所。

山登り、それは文明に背を向けること

「営業小屋はどこも休み。すいてて小屋は貸し切りと思ったら、ほかにもいました」

茨城から来た単独の男性も慨嘆していた。荒川小屋の避難小屋の扉を開けると、4人の登山者が出迎えてくれた。幕営地には先の全山縦走の女性のテントがあった。3人組のパーティーは百名山登頂を目指す年配の男性とガイドだった。小屋の2組は、静岡県側の椹島から荒川三山を経て、明日は赤石岳を登るという。

今夏、南アルプス南部の山小屋の営業が停止になったのは、新型コロナ対策、ヘリの輸送確保の問題、それにリニア工事の影響とされる。リニア新幹線の建設は、大量輸送と都市への人口集中を前提にする。それが「都会病」である新型コロナの感染拡大で、人の移動は抑制され、南アルプスの自然を犠牲にしてまで建設する必要があるのかと、あらためて意義が問いなおされている。荒川岳の北面の地下1400メートルのトンネル建設は、山体の砂漠化を招く。将来的に氷河期の名残の雷鳥やカールの高山植物の生息環境を変えていく。登山口釜沢の行き場のない排出土を見て「何のために」と思う登山者もいるだろう。

山岳ヘリ輸送は費用が上がり、その確保が課題になっている。営業小屋の整備は北アルプスや八ヶ岳では、登山者がサービスの質を求める傾向を生み、ヘリ輸送の途絶による小屋の維持が困難になって、登山文化の危機だと語られた。しかし、実際無人と化した南アルプスを歩くと、文明に依存するしかない登山文化とはいったい何だろうと首を傾げる。

「登山するような環境じゃないですよね」

二軒小屋はリニアの作業員宿舎になり、椹島の宿舎は営業しているものの、リニア工事の作業員で埋まって茨城の男性は泊まれなかったという。4人は徒歩や電動アシストの自転車で長い林道をクリアした。徒渉10回以上の長野県側といい勝負だ。工夫次第で、ガイドにも、自立した登山者にも、今年の南アルプスは捲土重来。腕試しの冒険の山河が広がっている。(リニア工事と南アルプス登山情報は筆者のブログ「南アルプスモニター」で発信中)

朝焼けの富士山は指呼の間に。

リニア残土越しに釜沢集落を見上げる。

Fielder【vol.59】から
http://fielder.jp/archives/15033

共同親権革命「パパもママも」は当たり前

2021年7月に「卓球の愛ちゃん」(福原愛さん)が離婚し、台湾人の夫と子どもの親権を共同で持ったことで、日本の法律にはない、婚姻外の「共同親権」がトレンドワードになった。

 子どもは両親から生まれるのだから、親が別れるとともに、一人だけが子どもを見ればすむという単独親権制度は不自然だ。にもかかわらず、共同親権についての書籍は、今年になるまで、共同親権について反対する立場から、(単独親権制度の問題点については目をつぶり)いかに共同親権には問題があるのかという趣旨で、法律家やフェミニスト、支援者がするというものしかなかった。

最近でも、弁護士や法律家の専門書で、長谷川京子「先進諸国は子どもと家族への安全危害から『離婚後共同』を見直し始めている」(『戸籍』995、2021.4)や上野千鶴子「ポスト平等主義のジェンダー法理論」(『自由と正義』2021.7、Vol72.No.7)が同じ主張の焼き直しを行っている。

彼らの原則引き離し実施論は、2015年に元裁判官の梶村太市が「面会交流の実体法上・手続き法上の諸問題」(判例時報2260)で、共同親権・共同監護は「欧米の価値観への盲目的追随」(『子ども中心の面会交流』)と批判することで始まり、彼と弁護士の長谷川がタッグを組み、同様の趣旨の本を、執筆者を変えて何回も出版しつつ現在も継続している。これら書籍の執筆陣には、上野のほかにも、臨床心理士として有名な信田さよ子なども並んできた。彼らの一部は、ハーグ条約加盟の際には、赤石千衣子(しんぐるまざぁず・ふぉーらむ)など女性活動家や弁護士連中と「ハーグ慎重の会」に名前を連ね、現在、法制審議会の委員の一画を占め、共同親権に反対している。

先の論文で上野は、父親の権利運動をいっしょくたにして「フェミニズムへのバックラッシュ」とする。同時に上野は、子どもの面倒を見ない「男には共同親権を要求する準備がまだない」(『離婚後の子どもをどう守るか』)とその反対を正当化する。その批判は、職業経験の乏しい女には職場で平等なポストを要求する準備がまだない、という批判と同列のものだ。

2015年に梶村が「東アジアの価値観」を掲げて、これらの運動を始めたのを見てもわかるように、彼らの運動は業界の体制維持運動と合流しながら、「家裁の役割は戸籍実務」「女が親権をとれる現状を変えたくない」という本質的に既得権益確保を目的に進められてきた。現在、法制審議会で進められている議論も、この目的を達成するために、いかに改革したかという外面を整えるかという点にエネルギーが注入されている。

人々はこの劣悪さに耐えられるか?

しかし、こういったキャンペーンに対し、世間はどこまで無自覚でいられるだろうか。

芸能人の離婚を記事にする週刊誌は、国内の離婚であっても、共同親権について言及する機会が増えた。どちらかに家庭生活を壊した原因を求め、親の別れが親子の別れとなってきた日本の離婚のあり方について、「海外のように共同親権の場合と違って」「日本は単独親権だから」とわざわざ言及しつつ、芸能人の事例を使った問題提起がなされてきている。世間は「共同親権」という別の選択肢が開く未来について知りたがっている。

7月10日から21日間、子どもと現在も引き離されたままの、フランス人のヴァンサン・フィッショさんは、千駄ヶ谷の駅頭でハンストを行なった。この行動は、来日したフランスのマクロン大統領の特使やEU加盟国の大使館が訪問し、日仏首相の共同声明でもこの問題が言及され、海外メディアを中心に報道された。

また問題点も露呈させた。一つには、妻側の弁護士の司法手続きを経るようにという主張に対してフィッショさんがハンストで本気を見せることで、司法が親子関係を制約するものという実情が伝わるきっかけになった。第二に、朝日新聞の論座のネット記事が削除され、妻側の弁護士(露木肇子弁護士)からの働きかけがあったのではないかという疑惑がネット記事に出ている(弁護士倫理について考える「なぜ国内メディアは実子誘拐されたヴィンセント氏のハンストを報道しないか」https://legal-ethics.info/2168/記事では「脅迫」と記載)。この件は、国内の一部地方誌でも報じられているが、全国紙は及び腰だ。

制度の不備からくる人権侵害の主張に、両論併記の欠如による記事の削除を肯定するなら、そもそもそれは制度や社会の問題ではなく、フィッショさん個人の問題である、ということになる。「子どもに会えないのはその人に原因があるから」という世間の偏見を肯定することを、報道における中立と呼ぶのはあまりにも主体性がない。

引き離し問題についての、報道統制や実名報道への遠慮は、男性側に問題があるという先入観をもとに、制度の問題を個人の問題にすり替えることで一貫している。上野や長谷川の批判も、こういった点を前提に男性「のみ」を批判する。彼らのキャンペーンに今回載ったのが、赤旗紙や東京新聞である(大手紙や週刊金曜日も一度は載っている)。

日本のジェンダーギャップ指数が156カ国中120位であることを批判する同じフェミニストが、男性の育児への関与の少なさを理由に、女性が男性を子どもから引き離す(これ自体虐待である)のを肯定する。結婚するとき妻が夫の姓にする割合が96%なのは女性差別、と批判する人が、離婚するときには司法が親権を女性にする割合が93%という現実に、「女性が子育てを担ってきたから」と答える。国民に自粛を強要する国や都の指導者が、オリンピックの開催を強行するのと、やってることは変わらない。

ぼくたちが訴訟で問題提起したのは、そういう日本社会の根強い偏見や差別構造にほかならない。その提起への無視は、結局は会社や職場で仕事と家庭の両立に悩む多くの人の生きづらさを、「個人的なことだから」と切り捨てることにつながる。

法制審議会で、親権を親責任や義務に置き換える議論をする以前に、親が周囲にびくびくしながら子育てを強いられている(子育ては自分の幸せではなく社会の義務)現状を変えることが必要だ。家宅捜索ですら裁判所の令状がいるのに、行政が実子誘拐を放置し、それを手助けする実情の中で、「親の権利ではなく子どもの権利」など、なんと空虚に響くことか。何より「個人的なことは政治的なこと」ではなかったか。

ぼくたちは司法の場でその矛盾を明らかにするとともに、「手づくり法制審」として新たな議論の場を設けた。多くの人と民権民法を手にする場にしていきたい。「国民的議論」とは誰もがそこら中で共同親権について話題にすることからはじまる。

「共同親権革命」と名付けることすらおこがましい。

子どもは両親から生まれる(共同親権)。そんな当たり前のことすら確認できずに、どんな改革も空々しい。(宗像充 2021.8.22)

子どもが「会いたくない」と言ったなら

「子どもが反発しているというのに、会わせろというのですか」

 長野地方裁判所飯田支部1号法廷で、7月19日にぼくが訴えた損害賠償裁判の口頭弁論が開かれた。昨年8月に子どもたちの暮らす千葉県習志野市の駅前で下の子に会って以来、月に1度4時間という、裁判所が決めた面会交流の取り決めが守られていない。そこで、今年の頭に元妻とその夫、2人の弁護士に債務不履行と一連の面会交流妨害の精神的損害をあがなってもらおうと飯田地裁に本人訴訟で提訴した。飯田の丘の上の一画を占める飯田の裁判所に傍聴できる法廷は2つしかない。この日は、裁判官と書記官、被告側弁護士、ぼくと友人2人の傍聴人で計6人がガランとした法廷に散らばっていた。

「そういう質問はよく受けるのですが責任はありますよ。娘もあの年ですから、父親に反発するのは当たり前です。うちの娘はよく育っていると思いますよ。ぼくは親の言うことを聞くように育てた覚えはありませんから」

 娘は今年高校一年生になった。一年前までは月に一度駅前交番前の待ち合わせ場所で会うと、ぼくに悪態をついていた。「一生会わない」とか「お前なんか父親じゃない」とかいろいろぼくが傷つくことを言ったりしていた。年相応とも言える。ちなみにうちの母親は「お父さんは充はおれの言うことは聞かん、と言っちょるわ」と父のぼやきを電話口で言っていた。

「現在並行して行われている間接強制と面会交流の審判の進行も教えてください」と裁判官。

「間接強制は即時抗告しました。面会交流の審判は来週が第1回目です」

 間接強制というのは、裁判所の決定の不履行に対して、制裁金を課して履行を促す手続きで、面会交流の調停は、昨年、元妻側が子どもを引き離した上で「手紙のやり取り」という形で実質会わせない調停を立て、ぼくが「話し合います」と言っているのを無視して、なぜか申し立てた側の意向で審判に移行した。間接強制の裁判は負けて、「子どもが拒否しているので履行不能」という決定が一審で出ていた。

「審判でも子どもの意向調査をするかもしれませんが、その結果を待って進行したらどうでしょうか」

「娘は反発しているわけですから、それはフェアじゃなくないですか」

「お子さんの真意を確かめなくていいですか」

「何回も娘は裁判所で聞き取りされていて、今さら真意なんて言わないでしょう。それに娘は反発していてそれについて原告と被告では意見が一致しています。ぼくは反発するに至るまで、被告側がその意思形成にかかわったということを損害として訴えているわけですから」

 この裁判に至るまで、4回ほど、面会交流の調停・審判をしていて、その度に娘は調査官に聞き取りをされている。「パパと会うのは楽しい」と言っても、その意向は無視されて10年経っても月に1度4時間の時間しか元妻側に指示しない。何を今さら。「会いたくない」という意向だけが尊重される。

「Nさん(元妻の夫)が面会交流の場に来たりすることでしょうか」

「今も子どもの自宅を安否確認で毎月訪問しますが、居留守使ってますよ。それに子どもが嫌がっているから今後ずっと会わせないと言ってよこしたんですよ。そんなことあるんですか。履行勧告のときに調査官と話しましたけど、裁判中だから対応できないそうです。つまりやろうと思えばできる。娘の意向とは別の判断が被告側にはあるわけでしょう」

 元妻の夫はぼくの友人だったが、毎回面会交流の場に現れて近くから監視していた。子どもに録音させて、そのテープ起こしを証拠として出してもいる。

 娘が待ち合わせ場所に現れなくても、毎月長野から千葉に通って自宅まで訪問し、ピンポンを鳴らし、上の子も合わせて2人分の手紙を投函して帰っている。今月は窓が空いてカーテンが揺れていたので、居留守は明らかだった。もちろん、娘が「会いたい」と思っても、母親たちの意向を考えればそんなことは不可能だった。そんなわけで今後ずっと会わせないと通告してきた、母親の審判の代理人2人も訴えた。母親側の代理人は、森公任と森元みのりという森法律事務所のボスとナンバー2だった。森のほうは東京家庭裁判所の調停委員をしている。

ぼくが子どもと引き離されたころは、離婚事件をする弁護士の数も限られていた。この10年でぼくたちが子どもを確保して引き離し、親権と金をとるという弁護士たちの手口を紹介してきたおかげで、イージーさが知れ渡ったため弁護士たちはネットで宣伝してこの分野に大量に進出した。おかげで森事務所はビルが建っている。よく子どもと引き離された親の相談を受けると、相手の弁護士として度々耳にするのがこの2人だ。

 結局、審判の進行の報告を被告側は報告するということで、審判とは関係なく進行することになった。

「求釈明へのお答えはないということでいいですか」

 元妻側は、上の子も含めて養育費を受け取っていながら子どもの進学先を秘匿している。下の子は学区の公立学校に通わせないということまでしていたので、あえて事前に聞いた。

「この手続きで開示することはありません」

 と担当の佐多茜弁護士が答えていた。

 この間、「共同親権」という言葉の認知度は以前より高まった。「卓球の愛ちゃん(福原愛)」が台湾人の夫と共同親権で離婚したので、トレンドワード入りしている。雑誌ベリーのモデルの牧野紗弥が夫とペーパー離婚して別姓にしようとし、その過程で共同親権を主張しているのも話題になっている。女性学の上野千鶴子に触発されて、別姓にしようとしたら、それでは親権がなくなって将来子どもと会えなくなるかもと夫が心配して、そこではじめて婚姻外で共同親権じゃないのはおかしいと気づいた。

 この件について知っていたアウトドア誌の編集長に「ほんと共同親権じゃないのおかしいですよね。宗像さん書きませんか」と言われたのはうれしいけど、アウトドアとどう関連付けていいのか、ぼくのほうが戸惑ったりするぐらいの知名度はあるようだ。

もともと家父長制から、男女平等憲法で婚姻中のみ共同親権になったのが、男の子育ての少なさを批判する側が今度は婚姻外は例外と言っているんだから。

やたら「ジェンダー平等」と書いた看板をあちこちに立ててる共産党が、赤旗紙で共同親権反対の論説を載せたので、リニアで知り合いの本村伸子議員(ジェンダー平等の担当者)に面談のお願いをしたら無視された。ぼくは共同親権訴訟の原告だ。「ぼくたちの訴訟が負けたら日本共産党は喜びますか」と聞いて、共産党の全国会議員向けに責任者との面談を求めるファックスを送ったら、「追ってジェンダー平等委員会から返事する」という回答が来た。その後面談拒否と連絡してきた。その間、「ジェンダー不平等政党日本共産党都議選候補を落選させよう」というコラムを、自分のブログで5回続けて書いたら読んだようだ。

別居親の運動が盛り上がると、毎度決まってしんぐるまざあずふぉーらむの赤石千衣子さんたちが、別居親はDV、危険とメディアや議員に働きかけ、今回は東京新聞と赤旗が乗った。東京新聞は「虐待で離婚 元夫が息子の”ストーカー”に」という小見出しを振って記事を作っていた。

今争っている損害賠償裁判では、元妻や夫がぼくに「つきまという」「ストーカー」と子どもの前で述べたことを名誉棄損で訴えている。他人がこういう言葉を子の親に使えば名誉棄損になりそうだ。子どもの前で罵倒され、恨みを買うだろうという想像だにせず、別居親、わけても男親なら新聞もヘイトをためらわない。それだけ母親が子どもを見るのが当たり前というジェンダーバイアスは強い。学校ならいやな先生がいても行くように言う。しかし相手が親だと「子どもの意思」が尊重される。そして子どもの意思で親に子どもを捨てさせる。

今さら役人裁判官がまともな判断をできるなんて期待できないのは知っている。「パパ遠くから来てくれてよかったね」と言ってくれる人が、娘の周りにはこの13年間誰も現れなかったのかもしれない。味方がいるよと子どもたちに伝える手段が、裁判や家に行ったりすることというにすぎない。

(2021.07.23、「越路」23号、 たらたらと読み切り163 )

ジェンダー不平等政党、日本共産党 都議選候補者を落選させよう!(5) DV被害へのジェンダー不平等と子どもの権利

DV施策こそがジェンダー不平等

 日本共産党の「『離婚後共同親権』の拙速導入ではなく、『親権』そのものを見直す民法改正を」と題する見解(以下「見解」)は、女性の4人に1人、男性の5人に1人がDVを受けるというデータを指摘し、「共同親権」を理由に元配偶者や子どもへの支配を継続しやすくなるというのが共同親権反対の主要な理由だ。

 何度も言うが、この数字はもっぱら家庭内のもので年々増加傾向にあり、共産党の理屈が正しいなら、婚姻中に共同親権であることが、DVや虐待の原因だからそもそも不適切ということになる。日本共産党はなぜ婚姻中の単独親権制度を主張しないのだ。そうしないと、現在のDVや虐待施策の失敗を責任転嫁するために、婚姻外の共同親権に反対しているということになってしまう。

 ところで、共産党の「見解」はジェンダー平等委員会の名義になっているので述べるけど、男女間のDV被害の割合は、大方2:3で推移している。しかし、公的なシェルターは女性に限定されていて、民間シェルターで男性が入れることを公表しているのはぼくが知る限りでは1つしかない。

この結果、法律上は保護命令は男女ともに発出できるはずなのに、実際には男性に対して出されたという事例はまず聞かない。同じく、男性はもっぱら仕事を持っていて、住所を隠すことは困難なので、住所秘匿の市町村の支援措置は、もっぱら女性のみに出される(虐待名目で男性に出される場合もまれにある)。こういった割合の不公正は、DVについての被害割合とまったく一致していない。もちろん、共産党が言及している加害者の更生プログラムは、その有効性に疑問はあるにしても、やはり男性に限定されている。つまり、「男性=加害者、女性=被害者」の構図で、支援や法運用がなされている。ちなみに自治体の支援措置は、家宅捜索ですら裁判所の許可がいるのに、行政判断のみでなされる。

法務省が実施した24か国調査においては、トルコ、日本、インドといった単独親権国が、ジェンダーギャップが大きい下位2~4位を占める(子育て改革のための共同親権プロジェクト『基本政策提言書』)。ジェンダー平等の観点から共同親権に反対するのは苦しいけど、その理由がDVにあるとするなら、そもそもこの部分のジェンダー平等の是正が語らないのはなぜだろう。最低でも、2:3の割合で男性の入れるシェルターを設けないと、男性被害者を最初から見捨てていることになる。因果関係のない理由で、このギャップを放置するのが日本共産党の主張ということになる。

極端な事例で原則を歪める

もちろん、裁判所での親権指定では、女性が親権を得る割合は93%であり、これは、少なくないDV加害女性が親権を得て、一定程度のDV被害男性が子どもと引き離されていることを意味する。虐待の加害者で割合が一番高いのは実母だ。こういった状況は、男女かかわらず暴力の被害を受けた親たちにとっては過酷だが、危険で残酷な影響を与える子どもの割合も高まる。「見解」は、「被害を受けたことがある家庭の3割は子どもへの被害もある」という実情を指摘して共同親権への反対を導き出しているが、むしろ問題は、被害を受けた子どもが置かれた環境のジェンダーギャップではないのか。

赤旗紙の6月15日と16日の「海外に見る離婚後の養育」というシリーズ記事では、アメリカ滞在経験のある森田ゆり氏が、暴力的な父親に監護権が与えられたケースの子どもの証言が紹介されている。もちろん、共同監護でもこういった事例は出ると思うけど、それは司法の不公正の問題で今の日本ではもっと起きている。それは単独親権制度のもと親子の引き離しをスタンダードにする理由にはならない。もちろん、共同監護で子どもが2つの家を行き交えば、間に挟まれて悩む子どももいるだろう(今もいる)。しかしそのことは、「子どもにとって離婚は家が二つになること」という現実を、制度で否定することの理由にもならない。

子どもの権利条約は、子どもに対する両親の責任を諸所で言及している。そして、その9条では、「締約国は、児童がその〈父母〉の意思に反してその父母から分離されないことを確保する」とある。共同親権(共同養育権)についての法改正を求めた国連子どもの権利委員会の2019年の勧告では、小川富之氏が言うように、「子どもの最善の利益に合致する場合には」という前置きが確かにある。しかし、〈父母〉との不分離は子どもの権利条約の原則ではないということを、まずその前に法学者の小川氏も共産党も宣言しないのはなぜだろう。子どもへの責任に男女の差があると言いたいのだろう。

こういった恣意的な事例の扱いは、面会交流中の父による子の殺人事件が国内で発生した場合にも話題にされ、共同親権への反対の論拠として使われた。この場合、加害者は男性に限られ、その男性がそれまで子どもと引き離されたということすら無視される。これは「単独親権殺人」なのか、「面会交流殺人」なのか、共同親権反対の論調で守ろうとするものは、被害者ではなく、実際にはジェンダーギャップである。日本共産党は読み間違えた。(宗像 充 2021.6.30)

夢のリニア  建設現場の真相

まだ反対しているの? × まだできると思っているの?

2027年の開業を目指し、「夢のリニア」として建設が進められてきたリニア中央新幹線計画。

大鹿村では水枯れ被害が発生、伊那谷各地に残土は運ばれ、松川町は「ああ ダンプ街道」に。

ところが、静岡県工区の工事が進まず、建設主体のJR東海は2027年開業断念を表明しました。

2019年の台風19号、2020年の豪雨災害により、長野県内でもアクセス道路が寸断し、残土置き場計画は各地で地元住民と摩擦を起こしています。

工事が先行してきた、大鹿村、山梨県早川町、沿線の現状はどうなっているのでしょう。

ほんとうにリニアはできるのでしょうか?

工事現場の大鹿村でリニア建設をウォッチし続け、2020年にリニア沿線全線を人力(自転車と徒歩)でトレースしたジャーナリストがレポートします。

2021年 7月3日(土)13:30~16:00(入場無料、予約不要)

★場所 松川町中央公民館えみりあ第1会議室

スライド上映&トーク  宗像 充(ライター、大鹿の十年先を変える会)

*スライド上映後に意見交換を行います。

共催 松川町リニアを考える会(仮称)・大鹿の十年先を変える会 

TEL 090-8179-3299(米山)