共同親権反対新聞、信濃毎日に行ってきた

論説の人に面談求める

 8月22日に信濃毎日新聞(信毎)の論説の方2名と総務の人と長野市の信濃毎日新聞社で面談した。いただいた名刺を見ると、論説主幹と編集局編集応答室、それに総務局次長になる。ちなみに信濃毎日新聞というのは、長野県の地方紙で毎日新聞とは関係ない。長野県で7割を超えるシェアを持っている。

 この5月の国会で共同親権に関する民法改正がされた際、成立に至るまでの間、信毎が5度にわたって共同親権反対の社説を出している。面談をお願いした理由は、憲法訴訟を進め親子分離の解消の活動を掲げるぼくたちにとって、共同親権そのものの危険性をDVを理由に煽る信毎の報道が訴訟妨害になっていたためだ。ほんと迷惑。

 信濃毎日新聞からは度々県内の国賠訴訟の原告代表としてコメントを求められてきた。だけど信毎はしつこく社説で「会わせると危険」と反対姿勢を鮮明にし、その回数は地方紙の中でも際立っていた。挑発行為で毎回頭に来ていた。

しかし仮にも「護憲」を掲げる新聞なので、話せばわかると思って、事前に知り合いの記者を通じて論説との面談を求める打診をすると予告をしてきた。

文書でよこせ

 とはいえ表玄関の反応を確かめるため、盆前に代表番号に電話すると読者応答室に回された。経緯や事前に打診もしているという点を担当者に伝えるとしばらくして、「論説ではそういうことはしていないので文書で提出してくれれば参考にする」と回答があった。

 苦情を言っているのになんだよそれ、と思って社説などのおかしな点や、今まで社説に対して何度か投書をしているけど無視されているので面談を求めたという経過を説明し、「そちらに行きますから」と訪問日を告げた。ちなみにこの読者応答室の人は投書名前を聞いても名乗らなかった。

論説が出てくるまで

 盆明けに早速申し入れの準備に取り掛かった。「文書出せ」と言われるまで懇談や話し合いと言っていたけど、信濃毎日にその気はなさそうなので申し入れとして、一方的に予定を設定。昼休みに社屋前で情宣をする。

田中康夫のおかげで、長野県庁は会見室で自由に市民も会見を開けるので、申し入れ後の記者会見と日程を組んだ。

盆前は時間を午前中にしていたけど、午後に変更したのでそれを名目に読者応答室に電話。担当が不在で、その間にプレスリリースをした。県庁が窓口になる記者クラブだけでなく、県内の知り合いの記者全部にメールし、がんばって在長野市のマスコミ各社のファックス番号を調べ上げファックスした。

 その上でSNS上で信毎の横柄な対応を連続して投稿。文書提出はする気がなかったので、代わりにチラシを作ってそれも画像にして拡散した。

 そうすると、読者応答室の担当者が「論説応答室です」と名前を名乗って電話してきて、当日、論説主幹とその方が対応すると言ってきた。

「それで情宣ってありますけど、拡声器とか使いますか」とプレスリリース文を見たのか聞いてきたので、「それはこっちの自由ですよね」と突き放す。

社前情宣

 長野県庁ほど近くでひときわ目立ち下々の者を睥睨している建物が信濃毎日新聞だ。

どこでマイクとろうか一周してみたけど、結局正門前の路上でやることにした。準備していると中から総務課の社員が2名出てきて名乗った。監視役のようで、「周りに福祉施設もあるので音を大きくしないでほしい」という。

「信毎が悪いんじゃないですか」と取り合わないでいると、「敷地内ですから」。路上に横断幕を広げて社屋ビルにマイクを向けてしゃべった。仲間2人参加。

 主張の内容は、DVの継続の危険があるけど、実際DVが起きるのは共同親権時で、単独親権制度で件数も増え続け、別居親の側もDV被害者が7割いる、というもの。単独親権者に加害者が大勢いるのに、DV支配が継続するなんて、単に親権の取れない男性が加害者と性役割に基づいた印象論を繰り返しているにすぎない。

「弱者の味方」気取りは実際は「弱い者いじめ」に過ぎないと、そのインチキぶりを指摘した。マイクをとった小畑さんは母親で、女性の保護を掲げて共同親権に反対されてあおりを食らってる当の本人だった。

改正民法は養育費の徴収強化は法制化し、面会交流の実効性は見送られた。自分たちで男性ATM化の旗を振る新聞社員は哀れだ。

論説と懇談

 その後1階の部屋に通され、3人とぼくたち2人と面談した。ほとんどこっちの主張を一方的に伝えたけど、単独親権制度が家制度を引き継ぎ、日本国憲法に合わせた戦後民法改革で採用されたのが共同親権だというのは歴史的事実だ。それを親権が戦前の支配権的な親の権利を引き継いでいるから婚姻外には適用するな、なんて理屈は通じないと指摘した。

 信濃毎日は社説以外でも、他人の親子の再会を阻む差別排外主義的な共同親権反対運動を社会面で取り上げることも多く、その担い手はこれまでリベラルや左派、市民運動と呼ばれてきた人々にほかならない。論説の人は「どうしてこれが党派的問題になるのかと思った」と言っていたけど、現場の実態や歴史的経緯を知らずに、弱者保護を唱えられれば反論できなかった論説内部のパワーバランスが手に取るようにわかる。

「木村草太はあれこれ言ってるけどただの復古主義じゃないですか」

「上野千鶴子は日本の男に共同親権は100年早いと言ってますよ。あなたたち悔しくないの」

「福島瑞穂は自分は事実婚で子どもには自由に姓を選ばせたと自慢してて、他人の家の子はいっしょに暮らす親の姓を名乗るのが当たり前と国会で言ってますよ。ただのワガママじゃないですか」

長野市から新幹線ですぐのメトロポリスの知識人の堕落ぶりを一通り批判しておいた。伊那谷奥地の野蛮人の主張など最初から目に入らなかったのだろう。

 唯一論説の人が食い下がったのが「訴訟妨害と言われるのは不本意」ということだった。

「もちろん訴訟なんだからどっちの立場に立つのもありますよ。でも信毎はケンポーケンポー言うじゃないですか。読売新聞が同じこと言うのとはわけが違う」

 論説がぼくたちの訴訟を踏まえて社説を作っているなんてその痕跡すら見えない。不勉強ぶりがあらためて明らかになった面談だった。

 最終的に、社内でのぼくたちを呼んでの研修か、ぼくたちに記事を書かせるよう要請して面談を終えた。

記者会見

 その後県庁に移動して記者会見の時間を持った。この問題に関しては、信毎が突出して子どもに会えない親たちを罵倒してきたけど、他の報道機関も似たり寄ったりだ。意見交換が趣旨と最初に述べて説明を終え、記者から質問を受けた。全体的に問題意識を持っているとは思えなかったけど、「賛成反対両論併記をしている。それじゃダメなのか」という質問があった。

「共同親権を望むDV被害者については取り上げませんよね」とぼくは答えている。

DV被害者は全員共同親権に反対しているかのような論調そのものが、男性悪者、女性被害者のジェンダーバイアスに基づいている。

DV問題を論じるときにも、性役割は論じるけどその背景に男性排除の親権制度があることは問題視しない。DV対策が民事対応で不徹底になっているのは、結局民事不介入の家制度、つまり単独親権制度が背景にある。

帰り道、「対話を積み重ねるしかないよね」と小畑さんと言いながら遠い県庁所在地を後にした。(2024.8.28)