ご担当者様
大鹿村に在住の宗像と申します。
共同親権訴訟の原告として、信濃毎日に度々紹介していただきました。ありがとうございました。
1月30日号の冒頭にジェンダーを地域から考えるテーマでの特集が組まれ、意見募集があったため、感想と意見をお送りします。
ぼくたちは、共同親権訴訟に取り組み、先日1月22日に最高裁から門前払いの決定を受け、信濃毎日からも取材を受けました。東京の記者さんには、「親権問題はジェンダーの問題」と説明しておきました。
今回の企画では結婚で改姓した女性が94.5%で、改姓を余儀なくされた女性について、ジェンダー問題の典型的な事例として取り上げられています。
姓の問題はもっぱら女性のジェンダーの問題として取り上げられ、大方ジェンダー問題に取り組む人も女性が多いのですが、親権についても、司法で94%の割合で女性が親権者に指定されます。
結婚は、入り口と出口で性役割を規定しますが、ジェンダーの問題に熱心な方ほど、共同親権を敵視してきました。
信毎でも共同親権に反対の論説を5回も出したため、昨年原告男女で抗議に伺いました。
憲法に訴えた訴訟で下級審は、非婚の親の「差別的取り扱いは合理的」と言及していました。この問題では憲法学者の木村草太などが、司法で会えない割合は1.7%と会えない親が問題であるかのように述べていますが、面会交流の申立件数のうち取り決めできる割合は司法統計では5割なため、ウソであると同時に、司法もこれが制度や政策上の差別であることを認めています。
DVを理由にこの問題に反対してきた信濃毎日の記事について、それが母性神話であることを論説主幹には説明しておきました。DVの被害割合は別居親、同居親ともに7割で変わりません。
前置きが長くなりましたが、記事を読んでの感想は、両論併記で親権問題について一方では人権問題、一方では共同親権は危険な制度、と読者を明らかに惑わせる記事を量産してきたのですから、きちんとジェンダーの視点から実子誘拐や親権問題について説明をする責任があるのではないかというものです。
女性が名前を奪われ人格を損なわれたと感じるなら、男性もまた(女性も)、子を奪われ親としての人格を奪われたと感じるというのは、別姓の問題を深刻に感じれば当然だと思いますが、男性が子を奪われるにおいては「女性が子を見ているんだから」という、無責任な主張が、別姓運動の方から散見されます。
夫が妻を殴れば暴行罪です。当然ながら母親が子を連れ去っても誘拐罪です。そう考えられないのは家制度が思考に浸透しているからです。
記事では家制度は廃止されたとありますが、廃止されたのは戸主制と家督相続で、夫婦と未婚の子をベースとする戸籍制度が家制度として存続し、したがって、家制度に基づいた同氏の法律婚を優先するため、婚姻外の単独親権制度への批判は戦後の民法改正議論の中で重視されませんでした。
寅に翼の主人公はじめ、女性たちが求めてきたのが共同親権ですが、親権取得の割合が逆転すれば共同親権に反対するなど、ジェンダーを都合よく利用していると言われても仕方がないと思います。
上記は、この間の親権と同姓婚に関する議論から必然的に今後議論が生じるものですが、家制度は世襲制度のために必要とされるわけですから、そこに切り込まない選択的夫婦別姓にみなさん共感を得にくいのは一定理解できることです。
ぼく自身も子どもに会えない問題を17年取り組んできて、単独親権制度は男性の養育障壁なのに、女性たちは養育の機会均等に道を開く共同親権に反対して、職場で平等なポジションを得るなど、実際問題男女ともに難しい、と何度も指摘してきました。
信濃毎日の妨害活動のおかげで、ぼくたちの訴訟は敗訴に終わり、成人した自分の子どもとも再開できる見込みが立ちません。これらは家制度の意識が深く作用した結果だと思いますが、ジェンダーに取り組む方々も結局家制度に根付いた母性神話の枠組みの中での男女平等しか考えられないんだなというのが、信濃毎日の記事を見ての感想です。
親権問題と別姓問題について、家制度の観点からきちんと取り上げる記事を作って問題提起をし、混乱させた読者に責任を果たすのは信濃毎日の仕事だと思います。いつでも取材に応じます。
以上感想でした。