辛酸の旅

 大鹿村に来たのは2016年のことだ。娘が千葉にいたので、当初は学校行事などにも頻繁に参加し、同時に月に1度の子どもに会えない親たちの自助グループを都内で開催してきた。娘も成人し、2019年から続いてきた単独親権制度の改廃を求める国賠訴訟もこの1月に負けて終わっている。先日その総括会議を都内で行って会の解散を決めた。東京はいよいよ他人の土地になったのだろうか。

 その会議の後、平日の1日を使って都内の山の店や自然保護団体の友人のもとを訪ねた。理由はぼくの暮らす大鹿村内で工事が続いているリニア新幹線の反対の集会を松本でするので、チラシを置いてもらったりその支援を求めるためだ。

 この工事はぼくが2016年に引っ越してきた年に着工している。よく「リニアに反対するために引っ越してきた」と言われることがある。ぼくが大鹿村に越してきたのは村の女性と結婚したからで、それも2020年に別れている。彼女がリニアに反対していたので半分当たっているけど半分外れている。

 その後「お前どうするの」といろんな人に聞かれて、ここにいる理由が「ほかに行くところがないから」という言葉以外に出てこなかった。

 それから5年が経ち、ここで一人暮らしをした歳月のほうが長くなっている。田んぼなんか一人でできるのかと当初思ったけど、東京の友人たちの手を借りたりして4回もできた。山小屋のバイトから冬期営業も始めるようになって、そんな暮らしも悪くないよね、と思えるようにもなってきた。

 別れた後はリニア反対の運動にもちっとも手が回らなかったけど、JRは相変わらず地元を無視して有害残土を起き、ダンプを走らせ、愛着の深まった南アルプスには穴が開けられ続けている。忌々しいと思っても、村で目だって反対の声をあげる人はほかにおらず、助けを求めるのはやはり山やだった。「おれもリニアは反対だから」と集会でしゃべるのを引き受けてくださった。山に登る人たちにアピールする集会を自分で組むのは大鹿村に来たとき以来だろうと思う。

 そんなわけで、仲間と県内の山の店や施設を回った後、東京での滞在をのばしてあちこち人に会って説明した。新聞テレビやネット情報で実際に暮らす人の心情までは伝わらない。国策に不都合なことを大手メディアはなかなか取り組みたがらない。それでも、共同親権を日本一毛嫌いした信濃毎日もわりとリニアのことはわりとやる。山やが中にいるからだ。

 自然保護団体にいる山の仲間がポスターを黙って引き取ってくれた。家族や仕事の事情で忙しいというのに会いに来てくれてとりとめのない話と村の話をいっしょにしてくれる人もいた。橋を待ち合わせ場所にしていたら、鵜が一羽羽を伸ばし、船に乗った2人が楽しそうに話していた。釣り好きの兄の影響でとにかく川を見るのが好きだ。

 橋の上はセカセカとした人たちばかりで、ぼくがのんびりと鵜を見ていると、何かいるのかといっしょに川を見下ろす。鵜や船の人たちは、計画性の上に人々や自然をひれ伏せさせる現代文明の楼閣が、実はそんなものは蜃気楼だと教えてくれる。つまらないものを見たと思ったろうか、それともぼくが止まって感じた橋の揺れを同じく感じただろうか。

 子どもに会えなくなった親たちと山の仲間と一見接点はない。だけれども、まっとうと呼ばれる社会生活と遠く離れた部分に足を踏み入れ、まったく別の世界の存在に気づいたという点では同じだろう。それを深淵と恐怖するか、パイオニアワークの平原と歓喜するかは人による。

 東京にいる間、足尾鉱毒事件の被害を訴えるために上京し、大杉栄やらの活動家や支援者を訪ねて歩いた田中正造のことがちらちらと頭によぎった。リニアの環境や生活被害も公害だ。正造は自由民権運動で勝ち取った帝国議会に衆議院議員として乗り込み、足尾鉱毒事件を訴え、やがて下野して家を強制収用されて穴居生活を送る谷中村の人々と暮らしている。村を危機に導いた権力中枢の街を行き何を思って人を頼ったのだろうか。

 ぼくは2022年に地元の郷土史家の赤神剛さんに案内されて、谷中村から足尾まで雑誌の取材で訪問している。谷中村の解説看板には、大杉栄と伊藤野枝の訪問についての記述もあった。このとき赤神さんが紹介してくれた本に城山三郎の『辛酸』という小説がある。この小説は前半は正造の生涯を、後半は正造亡き後の谷中村の住民たちのその後が描かれている。今は渡良瀬遊水地になっている場所は、その後も住民たちの生活権のための抵抗が続き、共同墓地の前で旧住民が重機を止めたのは1972年のことだ。

 社会問題への取り組みで何かを成し遂げるということは、獲得目標という点では重要なことだ。しかしそれよりも大切なのは、心を動かされた人々の記憶や経験であり、そこで伝えられ引き継がれていくものではないだろうか。

 このときの旅で一番驚いたのは、足尾の街で入った食堂で赤神さんが「おやじ何でここにいるの」と声をかけられたときだ。たまたま友人と旅をしてきた息子さんが隣にいたのだ。それは偶然であり必然でもあったと思う。正造の事績を掘り起こし顕彰する赤神さんがいなければ息子さんはここにはいなかったからだ。

 誰かの記憶に自分を残したいと願うことでは、人の心に残りはしないということを、おそらくそれは、物語っている。

 

中日新聞への抗議文

中日新聞「人生のページ」ご担当者様、代表取締役社長大島宇一郎様

 私は、2月2日と2月9日の「人生のページ欄」に弁護士の太田啓子氏が「誤解だらけの共同親権」というタイトルで寄稿した件について、2月13日に中日新聞に質問という形で意見をさせていただきました。2024年10月13日と27日に原稿依頼を受けて私も同コラムで原稿を書きました。

この度、ご担当者様より「掲載の意図や経緯、見解などを説明することは控えさせていただきます」という回答拒否の書面をいただきました。理由は、「もともとこの「人生のページ」は、人生について考えるきっかけとなりそうな話題やテーマを、さまざまな立場の方に、ご自身の生き方や体験などを踏まえて書いていただき、読者に提供するというのが趣旨です。」とのものでした。

 ところで、これは理由に当たらないことは、私が指摘した太田啓子氏執筆の記事について、「ご自身の生き方や体験」が一切ないことを踏まえれば、中日新聞も十分に分かっておられることと思います。

 以下の内容は中日新聞への抗議となってしまうのが、本当に残念です。

 一つには執筆依頼者に対する度を越した中日新聞の尊大な態度です。

 私はすでに後半の記事を12日に書き終えて添削を終えた時点で、前半の記事が13日に掲載され、その後後半の記事は一週間掲載延期となりました。理由は私が私の個別事情や前半記事中の記載の真偽について中日新聞から膨大な説明を求められたからです。質問には執筆依頼者への不愉快な内容もありましたが、私は自分の体験を語ることは社会的意義があると思い、裁判の審判書きまで提示し、司法統計や国会答弁による裏付けを付し、回答することで、後半の記事を大幅に書き換え中日新聞の要請に応えました。

 ところがその後、私がした説明を無視して、それとは相いれない太田氏の主張を載せました。今回の回答拒否は、内容以前の問題として、太田氏より原稿依頼をした私を低く扱ったという以外に説明のしようがありません。

 さらに一つには、離婚経験者や子と離れて暮らす親への差別です。

 私の原稿と太田氏の原稿の決定的な差は、司法に行って手続きをとれば子に会えるかどうかの現状把握です。私はこれに対して司法統計の根拠をあげて返事をしました。費やした時間は3日以上です。

これについては、民法改正の議論において子と引き離されたか否かの立法事実にかかわり、中日新聞は司法に行けば会える、との無責任な識者のコメントをこの間垂れ流し、私どもの国賠訴訟の会も質問したことがあります。しかし、中日新聞は事実の指摘に対し、頑なに司法に行けば会える、との主張を垂れ流し続けました。

 昔水俣病患者たちは、チッソの廃液に水銀は含まれていないとの風評に悩まされ、街を発展させたチッソを批判するのか、と孤立させられました。その間多くの被害者が出続けました。中日新聞が共同親権反対でなしたキャンペーンは、それらと同様の行為です。

実際、私と同様に子と会えない親たちが毎年命を絶っています。被害者を罵倒差別するものにほかならず、それは迫害であり報道ではありませんでした。汚点だったと思います。人倫に反した会社にこのような辱めを受ける覚えはありませんので、原稿料はお返しいたします。週明けに郵送しますのでご査収ください。

中日新聞から受けた質問(2024.10.17)

宗像のコラム(上)が10月13日に掲載された後に以下の質問を中日新聞から受け、掲載が一週延期になりました。

■宗像充さんに確認をお願いしたい内容

・今回、東京新聞に原稿が載ることを、元妻の方には伝えていますか。
・人身保護法による引き渡し請求が認められるのは、一般的には相当な事態ですが、元妻の請求が認められた理由はなんだったのでしょうか。
・「娘は元妻の再婚相手の養子とされ、会えなくなった」とありますが、子どもが実子であれば第三者の養子になっても面会交流は請求できるため、養子縁組は面会できなくなったこととは関係ないはずだという指摘がありました。会えなくなった理由は何だったのでしょうか。
・「日本で司法に訴えても面会交流の約束を取り付けられるのは5割」の根拠となるデータは何でしょうか。
・「裁判所ではいまも元配偶者(やその夫)がマジックミラー越しに監視する中、子と会うよう仕向けられており」と書かれているが、面会交流でそのような仕組みはないという指摘があります。面会交流そのものではなく、試行面会のことでしょうか。
・「『会いたかったら運動をやめろ』と親権者が子を用いてする人質取引」とは、どんなことを指すのでしょうか。元妻側からそのような取引を持ちかけられたということでしょうか。また、「運動」とは共同親権を求める運動のことでしょうか。
・2カ月に1度の面会交流を月1回にするのがなかなか認められなかった理由は何か。裁判所からはどんな理由を伝えられていたのか。

「人生のページ」中日新聞からの回答

太田啓子氏の記事掲載に対してした質問に対し、中日新聞編集局読者センターからの回答です。

以下。

宗像充さま

お問い合わせありがとうございます。

宗像さまに寄稿をお願いしたときにも担当者から説明があったかと思いますが、もともとこの「人生のページ」は、人生について考えるきっかけとなりそうな話題やテーマを、さまざまな立場の方に、ご自身の生き方や体験などを踏まえて書いていただき、読者に提供するというのが趣旨です。

宗像さまのご意見はご意見として受け止めますが、ひとつひとつの記事について、掲載の意図や経緯、見解などを説明することは控えさせていただきます。

質問内容については以下です。なお、2月14日付で中日新聞に対しては、太田啓子氏の記事掲載に至った経過について問う追加質問を送っています。

拝啓 中日新聞様 2月2日、9日、「人生のページ」について

中日新聞「人生のページ」ご担当者様、代表取締役社長大島宇一郎様

長野県下伊那郡大鹿村大河原2208  宗像 充

お世話になります。私は単独親権違憲・違法の認定を司法に求めた国家賠償請求訴訟の原告で、10月13日と27日の貴紙「人生のページ」欄に上下2回で「親子の面会交流 共同親権で解消なるか」というタイトルの原稿を書かせていただきました。

2月2日と2月9日の「人生のページ欄」に弁護士の太田啓子氏が「誤解だらけの共同親権」というタイトルで寄稿しております。私は中日新聞に原稿依頼をされて何度も修正を求めた上で原稿を書いたため、その記載や根拠をまったく無視して太田氏が書いた原稿を中日新聞がそのまま掲載した経過に、相当にびっくりしました。そこで、質問という形で意見をさせていただきます。2月28日までに貴紙の真摯な回答を求めます。

1 10月13日の私の原稿では「日本で司法に訴えても面会交流の約束を取り付けられるのは5割。それも会える保障はない。」とあります。一方で、太田氏は2月2日の原稿で「面会調停・審判の運用において、家裁はよほどのことがなければ別居親と子の何らかの交流を命じている。認められないこともあるがその理由は個々の事案次第で、虐待DVが背景にあることもある」とあります。

 私は「5割」という数字の根拠は中日新聞に説明しております。しかし太田氏は、何の根拠もなく先の見解を述べました。中日新聞も何の説明もしていません。これは私の見解を否定するために太田氏の主張を誌面化したと読者は受け止めかねません。かつ私は虐待やDVの加害者と読者が受け取っても私は抗弁ができません。中日新聞の意図はそういうものでしょうか。

2 対抗言論として、太田氏の原稿を中日新聞が掲載することはありえることですが、であれば、私の主張を踏まえ、それを引用する形で根拠を示しながら反論をするのが本来です。ところが私も紙面で触れたように、司法は私たちの訴訟で、婚姻外の親の「差別的取り扱いは合理的」と述べて、法制度や政策によって、非婚(離婚・未婚)のへの差別を公然と認めており、「その理由は個々の事案次第で、虐待DVが背景にあることもある」とする主張は当たりません。

この裁判は1月22日に上告棄却で確定し、太田氏の原稿が出るまで中日新聞は十分に取材する時間がありました。中日新聞はそれらについて自分で調べなかったのですか?

3 2月9日の太田氏の原稿において、協力できない元夫婦の共同親権が子の不利益になる根拠として「日本の離婚のほとんどは裁判所が関与しない協議離婚なので、共同親権にすべきではい事案を当事者が共同親権にしてしまうことについて専門家がチェックする仕組みがない」と述べています。

 法制審議会の審議において、離婚時の養育時間の分担や養育費についての検討がなされました。その際、共同親権への民法改正を求める人たちは、それらの取り決めを養育計画として義務付けることを求め、共同親権に反対する人たちは離婚がしにくくなるという理由で、養育計画の義務化に反対しました。

中日新聞はそのような法制審の議論の経過については知らなかったのですか。

4 私は10月13日の原稿で「司法で情勢が親権を取る割合は94%に上る」と触れており、一方で、太田氏はそれはジェンダー平等の問題ではないと否定しています。中日新聞はこの現状に基づいて現状のように女性が親権を持ち続けるのは望ましいと考えて、この見解を私の見解の後にあえて載せたと考えてよいでしょうか。

拝啓 信濃毎日「ともにあたらしく」取材班様

ご担当者様

大鹿村に在住の宗像と申します。
共同親権訴訟の原告として、信濃毎日に度々紹介していただきました。ありがとうございました。

1月30日号の冒頭にジェンダーを地域から考えるテーマでの特集が組まれ、意見募集があったため、感想と意見をお送りします。

ぼくたちは、共同親権訴訟に取り組み、先日1月22日に最高裁から門前払いの決定を受け、信濃毎日からも取材を受けました。東京の記者さんには、「親権問題はジェンダーの問題」と説明しておきました。

今回の企画では結婚で改姓した女性が94.5%で、改姓を余儀なくされた女性について、ジェンダー問題の典型的な事例として取り上げられています。
姓の問題はもっぱら女性のジェンダーの問題として取り上げられ、大方ジェンダー問題に取り組む人も女性が多いのですが、親権についても、司法で94%の割合で女性が親権者に指定されます。

結婚は、入り口と出口で性役割を規定しますが、ジェンダーの問題に熱心な方ほど、共同親権を敵視してきました。
信毎でも共同親権に反対の論説を5回も出したため、昨年原告男女で抗議に伺いました。

憲法に訴えた訴訟で下級審は、非婚の親の「差別的取り扱いは合理的」と言及していました。この問題では憲法学者の木村草太などが、司法で会えない割合は1.7%と会えない親が問題であるかのように述べていますが、面会交流の申立件数のうち取り決めできる割合は司法統計では5割なため、ウソであると同時に、司法もこれが制度や政策上の差別であることを認めています。

DVを理由にこの問題に反対してきた信濃毎日の記事について、それが母性神話であることを論説主幹には説明しておきました。DVの被害割合は別居親、同居親ともに7割で変わりません。

前置きが長くなりましたが、記事を読んでの感想は、両論併記で親権問題について一方では人権問題、一方では共同親権は危険な制度、と読者を明らかに惑わせる記事を量産してきたのですから、きちんとジェンダーの視点から実子誘拐や親権問題について説明をする責任があるのではないかというものです。

女性が名前を奪われ人格を損なわれたと感じるなら、男性もまた(女性も)、子を奪われ親としての人格を奪われたと感じるというのは、別姓の問題を深刻に感じれば当然だと思いますが、男性が子を奪われるにおいては「女性が子を見ているんだから」という、無責任な主張が、別姓運動の方から散見されます。

夫が妻を殴れば暴行罪です。当然ながら母親が子を連れ去っても誘拐罪です。そう考えられないのは家制度が思考に浸透しているからです。

記事では家制度は廃止されたとありますが、廃止されたのは戸主制と家督相続で、夫婦と未婚の子をベースとする戸籍制度が家制度として存続し、したがって、家制度に基づいた同氏の法律婚を優先するため、婚姻外の単独親権制度への批判は戦後の民法改正議論の中で重視されませんでした。

寅に翼の主人公はじめ、女性たちが求めてきたのが共同親権ですが、親権取得の割合が逆転すれば共同親権に反対するなど、ジェンダーを都合よく利用していると言われても仕方がないと思います。

上記は、この間の親権と同姓婚に関する議論から必然的に今後議論が生じるものですが、家制度は世襲制度のために必要とされるわけですから、そこに切り込まない選択的夫婦別姓にみなさん共感を得にくいのは一定理解できることです。

ぼく自身も子どもに会えない問題を17年取り組んできて、単独親権制度は男性の養育障壁なのに、女性たちは養育の機会均等に道を開く共同親権に反対して、職場で平等なポジションを得るなど、実際問題男女ともに難しい、と何度も指摘してきました。

信濃毎日の妨害活動のおかげで、ぼくたちの訴訟は敗訴に終わり、成人した自分の子どもとも再開できる見込みが立ちません。これらは家制度の意識が深く作用した結果だと思いますが、ジェンダーに取り組む方々も結局家制度に根付いた母性神話の枠組みの中での男女平等しか考えられないんだなというのが、信濃毎日の記事を見ての感想です。

親権問題と別姓問題について、家制度の観点からきちんと取り上げる記事を作って問題提起をし、混乱させた読者に責任を果たすのは信濃毎日の仕事だと思います。いつでも取材に応じます。

以上感想でした。

発言しながら暮らすという選択~子どもと会えなくなってから

 2025年1月22日、単独親権制度の違憲・違法性を訴えて国を訴えた立法不作為の上告を最高裁が棄却して5年間にわたる訴訟が終結した。

 子どもに会えないのは個人の問題ではなく、社会や制度の問題だと訴えてきた。裁判では負けたものの、非婚(未婚や離婚)の親の「差別的取り扱いは合理的」という下級審の文言を引き出した。それを最高裁が追認したことで司法は自ら墓穴を掘り、ぼくたちのやってきたことは逆に正当性を得た。子どもに会えない程度の被害はたいしたことではないので、その程度の差別は無視してよい、という司法の思い上がりがぼくたち原告やその仲間の考えとは違う。

 2008年に国立市議会への陳情で始まった親子引き離し解消の市民運動は多く、単独親権制度という現行制度の改廃を目指す立法運動として収斂してきた。昨2024年に民法は改正されたものの、ぼくたちは改正民法の単独親権部分の撤廃を引き続き司法で訴え続け、裁判で負けてもそれは変わらない。

 ところでぼくは、当事者の法改正の活動に市民運動としての手法を意識して持ち込んだ。しかしその間、運動が高揚しかけるとそれが市民運動としての形をとっていること自体を嫌って当事者から批判されることが度々あった。悪いけどあまり耳を貸さない。

 運動というのは他者への働きかけによって特定の目的を達成することだ。そのために多くの人の理解を得て大衆の支持を得るという手法をとれば、大衆運動や市民運動と呼ばれる。そんな経験のない人にとって見れば、政治は政治家がやるものなので、そんな徒党を組んでする行為自体、卑怯で過激に映ることはあるかもしれない。

 しかしそうしている人も好き好んでやってるとは限らない。金も権力もない人間は、時間と労力とときに知恵を使って自分の発言を確保し続ける。しかし自分が信じてきた政治権力から裏切られて社会から白眼視される存在になったとき、いままで「サヨク」「共産党」と呼んで遠ざけ、時に罵倒してきた連中と同じことを自分がするのか、と躊躇する気持ちはわかる。

 「住民運動は行政との信頼関係が壊れたときに起きる」という言葉を聞いたことがある。

 でも多くの市民運動に携わった経験のある者にとっては、国をはじめとした権力機構への不信は前提だ。言わなければ賛成したことに数えられてしまう。当たり前だけど、権力はその手段を進んで提供してくれないし、マスコミは話題性のないものに目を向けない。したがって発言する手段は自分で確保するしかない。ぼくがそのために選んだのが国をお白須に引っ張り出す法廷という場だったいうだけで、それが市民運動であること自体は変わらない。

 今の世の中は平和だ。日本国憲法があるおかげで、国や為政者と違うことを言ったからといって、戦前のように拷問で殺されたりしない。しかし周囲の雰囲気に忖度して発言をやめたり、発言したことで孤立したりいじめられたりして死ぬことは昔と同じようにある。それでも発言するということは、自分が見知った範囲の世間ではなく、社会という水面に向けて石を投げることにほかならない。そこではじめてその人は社会的存在となり、波風を立ててでも争点を立てようとする意志が政治と呼ばれる。政治は政治家ではなく本来そこらへんにいる人が行うものなのだ。

 子どもに会えなくなった親たちの多くが、いままで自分が培ってきた処世術が通用しないことに愕然として、権力や統治機構への疑いの目を向けることになる。周囲に合わせて多少の理不尽でも上の人の言うことを聞いていれば波風立たず平凡に暮らせたのに、理不尽に対し声をあげなければ自分のアイデンティティの重要な要素である子どもを永遠に奪われる。おまけに落伍者のレッテルを貼られかねない。そして相手も社会も責められなければ、自分を責めてときには自殺したりする。

 それで徒党を組んで発言したからといって、社会がすぐに目を向けてくれるとも限らない。だけど言わないから、聞いてくれなかったらどうしようと思い迷うのだろう。誰かが、それを言っているのは誰だろうと気にしだしたときに、実名や顔出しすれば、こそこそするようなことはしていない、とそれだけで強いメッセージで伝えることができるし、メッセージを直接受けとめることもできる。誰にでも後ろ指さされるようなことはあるだろうけど、批判を恐れてする発言に共感できる人の範囲も限られている。それでもそこで得た経験や仲間の存在は財産になる。やった人でしか見えない世界だ。

 市民運動なんて勝てることのほうが少ない。なので国賠訴訟は結果が出るまで希望はあったけど、負けたからといって絶望したりもしない。「お上にたてつく」という言葉がある中で、いいことやってると思った時点で国に揚げ足を取られるだろう。趣味で上等だと思う。仕事は金のためにやるものだけど、趣味に命や財産をかける人は少なくないだろう。子どもや家族のため、が趣味であるとするならば、子育てや家族を持つことは、義務から権利に変わるだろう。

 ずいぶん勝手なことを言っているとは自覚している。ぼくは言いたいことを言ってるだけだから。

 

 

 

 

 

 

 

山よりな暮らし

「お前ここに住むのか」

 はじめて大鹿村にやってきた父は、山に囲まれた村の風景を見ながらそうつぶやいた。8年前の2016年のことだ。いろいろあったけど何とかここで暮らしていけている。

「長野県の人は住まない」

 ここから強制執行の実力阻止をわざわざ取材しに行った千葉県の三里塚で、隣町の松川町出身の現闘の女性が、大鹿村のことをそう言っていた。隣町だというのに、峠と渓谷で隔てられた山の向こうの隠れ里は距離以上に遠い。

 長野県に来てから北アルプスの山は一度も行っていないのに、南アルプスやその周辺の山々は近いからかしょっちゅう登っている。来た最初の1、2年は生活を軌道に乗せるのに必死で、山の中なのにほとんど山には行かずに、たまに登った山で膝を痛めストックを買った。昨年末から雪の時期の山小屋での小屋番を始めて、今年の夏はほぼ毎週末山小屋の手伝いに行った。おかげで膝の故障も起きず、ストックも今年一度も使っていない。

だけどまだまだ行っていない山がたくさんある。冬は寒くて厳しいけど、山が好きな人にとっては山の麓に住むのが正解だとようやく感じられるようになった。

 住んでみると、あちこちの山間地を往来してきた林業の人たちや、山好きの人たちが毎年集まっては散っていく山小屋、村にある諏訪大社はじめ山間地の神社は広がりを持ち、歌舞伎もまた旅芸人から習ったもので、それぞれに独自のつながりはあることがわかる。

「どうやって暮らしてるんだろう」というのが、村を訪問した人たちの謎だけど、一見何やってるか説明できない日々の暮らしの猥雑とも言える多様さは、今時のトピックと言えるんじゃないだろうか。なんでもかんでもお金に変えられてそれで価値が測られる都市生活とは、まるで霞を食べても生きていけるかのような暮らしぶりの中身は、住んでみてはじめて見えてくる。そんなわけで、山好きの移住者の暮らしぶりを「山よりな暮らし」というタイトルで登山の雑誌に売ってみたけど、買い手がつかなかった。山やの望む山暮らしは安曇野近辺止まりらしい。「耳寄りな話」のはずなのに。

 北条時行の供養塔を2年前に見つけ出して、今年の7月から少年ジャンプの連載漫画『逃げ上手の若君』がアニメ放映されたのに便乗して、伝承地の取材でこの辺をあちこち行った。北条時行は、北条宗家の得宗家最後の当主、北条高時の遺児で、大鹿村の桶谷も伝承地の一つ。供養塔もここにしかない。

 秋葉街道沿いに諏訪近辺まで散在する時行の潜伏場所をつなぐと、それぞれの場所が軍事上の拠点であるとともに交通の要衝であり、同時にそれぞれの拠点どうしが山間地の尾根道や往還道でつながっているのがわかる。地の利がある人間にとっては自由回廊だけど、そうじゃない人にとっては鬼か盗賊の棲む魔境に見えるだろう。

 大分県の主要河川の大野川中流域の犬飼町出身の父は、「弱えやつらが行くところ」と、平地で土地を持てない次男三男や何等かの事情があって隠れ住み、山間地を新天地とした人々のことをそう評した。大鹿村に住んでみてどの人がどこから来たか聞いてみると、島流しか落ち武者、それにゲリラしかここにはいないことがわかる。もっぱら山間地の小さな小学校に好んで赴任していた父や、今さらここでの暮らしが気に入っているその息子もその一画を占めている。

 一昨年は村の駐在の交通違反への取り締まりが厳しかったのか、シートベルトをしてなくてチケットを切られた人が大勢出た。村の人が連れ立って、1時間もかけて飯田署まで抗議に出かけたというのが村の話題になっていた。そんな恥ずかしいことしないでほしいと思うけど、それが当然とも思える中央権力との距離感は理解できる。

「そもそも宗良親王や北条時行と言ったって、今みたいに顔写真があるわけでもなし、どうやってそれが本人だってわかるんだ」

 御所平という地名の残る、入笠山の牧場で歴史を調べていた方は、そんなもっともな疑問を口にした。それが本人であるかどうかはそんなに本質だったのだろうか。

亡命政府から派遣され、あるいは都を追われたプリンスは、山間地で毎年毎年変わり映えのしない暮らしを送っている人たちにとっては、危険な劇薬かもしれないし、自分たちの境遇を変えてくれる宝くじかもしれない。

 そんな彼らの鬱積した思いに逃げ道を与えてくれる思想もまた同時にやってくる。「農村から都市を包囲する」戦略で中国革命は勝利に至り、伊那谷に広がった国学思想は水戸の志士たちが通過するのを容易にし、遠山は自由民権運動の激化事件の舞台の一つになった。熊本県の秘境の宿屋に泊まったときには「うちのばあ様も西郷軍が来たときには炊き出しに行った」と思い出話を聞かされた。命懸けで西郷軍を支えた民衆の権利意識を目覚めさせたものとして、延岡の郷土史家たちは西南戦争を捉えている。

 平和な時代なら「お上に弓を引く」という恐れ多い行為は、単なる鬱憤晴らしではなく理があるものとしての抵抗へと変換される。乱世と思想とそして細々ながら綿々と受け継がれてきた経験が、山間地の人々に勇気を与えることだろう。

 「失われゆく山の民俗」とか本の帯につけると興味を引きやすい。背景には進歩的な歴史観では物質的な豊かさによる社会の発展は避けがたいという、ぼくも含めた多くの人々の思い込みがある。『山を忘れた日本人』という本は、グローバリゼーションの時代には資源はよそからやってくるので都市に人が集まり、鎖国が強まると資源を求めて人々は山に目を分け入るという。必要があれば人の目は山に向き、必要が経験を引き出し、経験は技術となる。

大分で出会った古代史家の藤島寛高さんは、山の民は歴史の転換点でバランスを取る動きをするという。『キングダム』という漫画が実写版でヒットして見ていたら、秦の始皇帝の嬴政が一時権力を追われた際、山の民の力を得て王位を奪回する場面が出てきた。斜陽の南朝を支えたのも楠木正成に代表される山岳ゲリラであり、その正体は日ごろは歴史の表舞台に登場しないこの辺の山村住民たちだ。武力にものを言わせた統一は水面下の人々のつながりを断ち切って人々を序列化し、危機感や正統性への渇望が、抵抗を長引かせるのではないだろうか。

 ちなみに伊那谷とも縁の深い柳田国男は、「願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」という序文から『遠野物語』をまとめている。サンカ取材の中で出会った、神楽面やサンカ研究をしている宮崎県の高見乾司さんは、柳田が晩年山人研究から稲の研究へとシフトしていったことについて、軍国主義の傾向が強くなっていく中で、「高級官僚だし、ヤバいと思って言わなくなったんじゃないかな」と指摘していた。

『遠野物語』が出た1910年は、国民統合の結果対外戦争を成功させ、次の戦争へと至る戦間期に当たっている。そこに山人論は水を差す結果にもなる。やりすぎると自分の立場もヤバくなる。逆に言えば、柳田は山村の人々の持つ潜在的なパワーに気づいた、その時点では守る側の都市住民ということになる。

リニアであれ移住であれ、どうもこの国は東京のためにできているようだ。移住の掛け声は植民地への開拓キャンペーンみたいなものだ。この国は、都市と田舎という2つの国からなる。そして3つ目に、都市にも田舎にも、アジールや解放区と呼ばれる地域がある。仮に解放区が力を持ち始めているとするならば、現行秩序の息苦しさに人々は気づきつつある結果だろう。

人が多ければ文化が生まれる。しかし人が多いだけでは生まれない文化もある。都市生活の砂上の楼閣ぶりを辺境ライフが侵食していくならば、「平地人を戦慄せしめよ」という言葉もリアリティーを持つだろう。

(越路41 たらたらと読み切り181 2024.9.26)

共同親権反対新聞、信濃毎日に行ってきた

論説の人に面談求める

 8月22日に信濃毎日新聞(信毎)の論説の方2名と総務の人と長野市の信濃毎日新聞社で面談した。いただいた名刺を見ると、論説主幹と編集局編集応答室、それに総務局次長になる。ちなみに信濃毎日新聞というのは、長野県の地方紙で毎日新聞とは関係ない。長野県で7割を超えるシェアを持っている。

 この5月の国会で共同親権に関する民法改正がされた際、成立に至るまでの間、信毎が5度にわたって共同親権反対の社説を出している。面談をお願いした理由は、憲法訴訟を進め親子分離の解消の活動を掲げるぼくたちにとって、共同親権そのものの危険性をDVを理由に煽る信毎の報道が訴訟妨害になっていたためだ。ほんと迷惑。

 信濃毎日新聞からは度々県内の国賠訴訟の原告代表としてコメントを求められてきた。だけど信毎はしつこく社説で「会わせると危険」と反対姿勢を鮮明にし、その回数は地方紙の中でも際立っていた。挑発行為で毎回頭に来ていた。

しかし仮にも「護憲」を掲げる新聞なので、話せばわかると思って、事前に知り合いの記者を通じて論説との面談を求める打診をすると予告をしてきた。

文書でよこせ

 とはいえ表玄関の反応を確かめるため、盆前に代表番号に電話すると読者応答室に回された。経緯や事前に打診もしているという点を担当者に伝えるとしばらくして、「論説ではそういうことはしていないので文書で提出してくれれば参考にする」と回答があった。

 苦情を言っているのになんだよそれ、と思って社説などのおかしな点や、今まで社説に対して何度か投書をしているけど無視されているので面談を求めたという経過を説明し、「そちらに行きますから」と訪問日を告げた。ちなみにこの読者応答室の人は投書名前を聞いても名乗らなかった。

論説が出てくるまで

 盆明けに早速申し入れの準備に取り掛かった。「文書出せ」と言われるまで懇談や話し合いと言っていたけど、信濃毎日にその気はなさそうなので申し入れとして、一方的に予定を設定。昼休みに社屋前で情宣をする。

田中康夫のおかげで、長野県庁は会見室で自由に市民も会見を開けるので、申し入れ後の記者会見と日程を組んだ。

盆前は時間を午前中にしていたけど、午後に変更したのでそれを名目に読者応答室に電話。担当が不在で、その間にプレスリリースをした。県庁が窓口になる記者クラブだけでなく、県内の知り合いの記者全部にメールし、がんばって在長野市のマスコミ各社のファックス番号を調べ上げファックスした。

 その上でSNS上で信毎の横柄な対応を連続して投稿。文書提出はする気がなかったので、代わりにチラシを作ってそれも画像にして拡散した。

 そうすると、読者応答室の担当者が「論説応答室です」と名前を名乗って電話してきて、当日、論説主幹とその方が対応すると言ってきた。

「それで情宣ってありますけど、拡声器とか使いますか」とプレスリリース文を見たのか聞いてきたので、「それはこっちの自由ですよね」と突き放す。

社前情宣

 長野県庁ほど近くでひときわ目立ち下々の者を睥睨している建物が信濃毎日新聞だ。

どこでマイクとろうか一周してみたけど、結局正門前の路上でやることにした。準備していると中から総務課の社員が2名出てきて名乗った。監視役のようで、「周りに福祉施設もあるので音を大きくしないでほしい」という。

「信毎が悪いんじゃないですか」と取り合わないでいると、「敷地内ですから」。路上に横断幕を広げて社屋ビルにマイクを向けてしゃべった。仲間2人参加。

 主張の内容は、DVの継続の危険があるけど、実際DVが起きるのは共同親権時で、単独親権制度で件数も増え続け、別居親の側もDV被害者が7割いる、というもの。単独親権者に加害者が大勢いるのに、DV支配が継続するなんて、単に親権の取れない男性が加害者と性役割に基づいた印象論を繰り返しているにすぎない。

「弱者の味方」気取りは実際は「弱い者いじめ」に過ぎないと、そのインチキぶりを指摘した。マイクをとった小畑さんは母親で、女性の保護を掲げて共同親権に反対されてあおりを食らってる当の本人だった。

改正民法は養育費の徴収強化は法制化し、面会交流の実効性は見送られた。自分たちで男性ATM化の旗を振る新聞社員は哀れだ。

論説と懇談

 その後1階の部屋に通され、3人とぼくたち2人と面談した。ほとんどこっちの主張を一方的に伝えたけど、単独親権制度が家制度を引き継ぎ、日本国憲法に合わせた戦後民法改革で採用されたのが共同親権だというのは歴史的事実だ。それを親権が戦前の支配権的な親の権利を引き継いでいるから婚姻外には適用するな、なんて理屈は通じないと指摘した。

 信濃毎日は社説以外でも、他人の親子の再会を阻む差別排外主義的な共同親権反対運動を社会面で取り上げることも多く、その担い手はこれまでリベラルや左派、市民運動と呼ばれてきた人々にほかならない。論説の人は「どうしてこれが党派的問題になるのかと思った」と言っていたけど、現場の実態や歴史的経緯を知らずに、弱者保護を唱えられれば反論できなかった論説内部のパワーバランスが手に取るようにわかる。

「木村草太はあれこれ言ってるけどただの復古主義じゃないですか」

「上野千鶴子は日本の男に共同親権は100年早いと言ってますよ。あなたたち悔しくないの」

「福島瑞穂は自分は事実婚で子どもには自由に姓を選ばせたと自慢してて、他人の家の子はいっしょに暮らす親の姓を名乗るのが当たり前と国会で言ってますよ。ただのワガママじゃないですか」

長野市から新幹線ですぐのメトロポリスの知識人の堕落ぶりを一通り批判しておいた。伊那谷奥地の野蛮人の主張など最初から目に入らなかったのだろう。

 唯一論説の人が食い下がったのが「訴訟妨害と言われるのは不本意」ということだった。

「もちろん訴訟なんだからどっちの立場に立つのもありますよ。でも信毎はケンポーケンポー言うじゃないですか。読売新聞が同じこと言うのとはわけが違う」

 論説がぼくたちの訴訟を踏まえて社説を作っているなんてその痕跡すら見えない。不勉強ぶりがあらためて明らかになった面談だった。

 最終的に、社内でのぼくたちを呼んでの研修か、ぼくたちに記事を書かせるよう要請して面談を終えた。

記者会見

 その後県庁に移動して記者会見の時間を持った。この問題に関しては、信毎が突出して子どもに会えない親たちを罵倒してきたけど、他の報道機関も似たり寄ったりだ。意見交換が趣旨と最初に述べて説明を終え、記者から質問を受けた。全体的に問題意識を持っているとは思えなかったけど、「賛成反対両論併記をしている。それじゃダメなのか」という質問があった。

「共同親権を望むDV被害者については取り上げませんよね」とぼくは答えている。

DV被害者は全員共同親権に反対しているかのような論調そのものが、男性悪者、女性被害者のジェンダーバイアスに基づいている。

DV問題を論じるときにも、性役割は論じるけどその背景に男性排除の親権制度があることは問題視しない。DV対策が民事対応で不徹底になっているのは、結局民事不介入の家制度、つまり単独親権制度が背景にある。

帰り道、「対話を積み重ねるしかないよね」と小畑さんと言いながら遠い県庁所在地を後にした。(2024.8.28)

最高裁申し入れと八丁堀の会

最高裁要請

共同親権訴訟の上告理由書を4月初めに最高裁に提出し、4月15日から最高裁判所前情宣を毎月始め、6月には署名を提出した。7月12日は4回目の最高裁行動で、申し入れを4人で行なった。最高裁では事件にかかっている案件について要請を受ける部屋が用意されていて17人まで入ることができる。担当者は事件係の町島さん。聞き役なのでひたすらメモを取っている。

ぼくは何度か最高裁の中に入ったことがあって、弁論も傍聴したことがある。西門側は通用門になっていて、昼休みになると職員が出てきてチラシを手渡すことができる。要請を受ける部屋もこちら側にある。事務棟の正面なのでマイクでしゃべると聞こえまくりだと思う。反対側のお堀端には最高裁裁判官の部屋が並んでいるという。こっちでしゃべると裁判官の耳にも入ると言われている。

この裁判は2019年に提起し、2024年で足掛け4年になり、1審、2審とも負けている。子どもに会えない親たちは、単独親権制度がおかしいからと法改正運動に注力してきた。できあがった改正民法はいかようにも解釈でき、結局最後は裁判官が決める、ということになっている。いままで裁判官が親子を引き離してきたのだから、運用に期待できると思っている人は裁判所利用者では多くはない。なので、改正前の現行法とその司法運用が違法だったと最高裁に言わせないと、司法運用は今まで通り、前例や裁判官の主観で引き離しを許すことになる。

具体的に言えば、養子縁組の同意権や居所指定権が憲法上の親の権利であることを司法が認めれば、連れ去りや養子縁組で親を入れ替える今の司法運用は違法となる。別居親のグループの中には、「難しいことわからない」と言いながら、司法官僚の手先となってぼくたちの裁判を批判してきた人もいる。一方で、意義を理解して署名を送ってくれる弁護士さんもいたりする。ぼくたちの申し入れも、人数は少ないが代理人弁護士といっしょに行っている。1審、2審で負けたのは、司法は下手人だから下級審で判断は出せなかったということなのだろう。

改正法案が国会で成立し、それについて調停で言及する職員もいる一方で、松本家裁のように人質取引について肯定し「それ前提で考えてください」なんて暴言を吐く家裁もあるので、それについて言及した。

「いくら長官が研修を強化しようと言ったところで、反省しないとそんなの無理でしょう」

と毎回言っている。次回は人数をもうちょっと増やしたい。

八丁堀で定例集会

毎月八丁堀でグループワークや自助グループ、学習会をする。昨日13日は人数が少なくて帰ろうかと思ってたら、親子ネットの定例会に出ていた仲間がやってきた。親子ネットは法改正を目標に掲げていたんだろうから、改正されて何で集まってるのかわからないけど、集まらないと不安なんだろうなとは思う。

ぼくは度々親子ネットを批判するけど、そもそも作った人間なので権利はある。親子ネットの名前、会報のタイトルもぼくがかかわっている。人のふんどしで相撲を取るそのままだし、入会案内の文章はぼくが書いたものだ。いくら市民運動は著作権フリーの部分が大きいとはいえ、ライターに対してなめすぎの泥棒根性はいただけない。

この会と分裂したのは、何だかとにかく会社組織や官僚みたいなこと言う人がやたらいて、市民運動の経験もないのに、代表のぼくに指導したがって、言うことを聞かないと会議で揚げ足をとるばかりで、うんざりしたからだ。当時の中心メンバーと新しい会(共同親権運動ネットワーク)を作ったのが実体だ。要するに追い出された。

官僚は自分たちが法律を作る際、当事者の支持を得ているという体裁を作る必要があるので、言いなりになる市民団体を物色し、白羽の矢を立てたのが親子ネットになる。だから法制審の委員にも選出されたわけで、別に団体の政治力が高いから、というわけでも委員の人品の問題でもない。なので、もともとこの団体は官僚に歯向かうということができない。

そもそも法制審で法案に賛成したのだから、その後のロビー活動も意味ないし、困った当事者が文句を言えば「我慢しろ」というのが役割ということになる。親子ネットがなくなれば、与党政治家と官僚は別の言いなりになる別居親団体を選任するだろう。

別に親子ネットに行く人がいてもかまわないけど、せっかく長野から上京した身としては出会える人が少ないと寂しいというのはある。司法にいじめられないだけの経験と力を付ける場というのはあったほうがいいので、ちょっとは役立てたらいいなとは思う。てなわけで来てくれてありがとう。この6月からメンズカウンセリング協会の認定を受けた。お金払ってみたよ。(2024.7.14)

拝啓 立川憲法集会様

明日は憲法記念日です。4月29日付で、立川の憲法集会の主催者に、子どもに会えない親へのヘイトを繰り返す木村草太の起用について見解を求めましたが、5月2日になっても返事がなかったので公開します。以下。

立川憲法集会担当者様

お世話になります。大鹿村に住んでおります宗像です。
国立に住んでおりました。現在共同親権訴訟の原告です。子どもと引き離された父親です。

5月3日に、憲法集会で木村草太さんの講演を予定されておられるとお聞きし、メールしました。
私たちは2019年に単独親権民法の違憲性を問う憲法訴訟を起こしました。
木村さんはそれ以前から、共同親権に反対の立場をとり、それはそれで意見の違いでいいのですが、子どもに会えない親を、罵倒する発言を連日SNS、大手メディア等で繰り返しており、私たちの会や個人で、度々質問状を出したり、反論をしてきたところです。

昨日もこのような書き込みをツイッターにしていました。

https://twitter.com/SotaKimura/status/1651925458488000512
様々な情報を総合すると「離婚後原則共同親権」は ①元配偶者を誘拐罪で告発する人 ②親権者の同意なしに子の写真等を公表する人
③養育費を払ってこなかった人 ④家裁に子との面会を止められた人 にも親権を与える制度のことという理解でよいのだろうか。
それとも①~④型は「例外」なのだろうか。


意見の違いはあってしかるべきですが、特定の意見をもった人間を、問題のある人間と決めつけて連日発言し続ける行為は、法によって子どもと引き離された当事者として、怒りを感じるとともに許しがたい行為です。
このような行為が、戦争に反対する人、憲法を擁護する人、部落差別や障害者差別、人種差別等に反対する人に向けられたら、そういう人をよりによって、平和や人権の価値を擁護する憲法集会に呼ぶことはやらないと思いますが、いかがでしょうか。

この件についての木村さんの憲法上の問題点については、記事にまとめました。

復古主義者の木村草太を憲法集会でしゃべらせるのか?
https://munakatami.com/family/sotakenpou/

これらはほんの一部ですが、一連の木村さんの言動は、日本国憲法の平和主義や人権尊重の価値を冒涜するものです。
憲法集会主催者はこのような木村の発言を知って、彼を起用するのでしょうか。

正直、ぼくも立川の憲法集会ではいろいろ勉強させていただきましたし、こういうメールはお送りしたくありません。
ですが、木村さんのSNSでのヘイトスピーチは意図してやっているのが明らかで、看過できないと感じました。
私たちの憲法訴訟も6月22日には判決が出ます。
立川の市民運動にはいろいろ世話になったので、今回の人選は本当に残念で、私たち子どもに会えない親を傷つける行為だということをお伝えしたく、連絡しました。主催者の見解を聞きたいところです。


宗像 充(むなかたみつる)【共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会】