その日ぐらし村

 「庭にフクジュソウがあるみたいで『ここにあるから踏むな』とか言うんですよね」

 最近村内に越してきた山小屋仲間の椎名美恵さんがうちにやってきて、お茶を出すと村の驚き体験を披露してくれていた。

「私が家主なのに何でそんなの言われるんだって……」

近所の人たちのペースに合わせてたら、引っ越し作業はどんどんずれ込み、その上家主なのに自分ちの注意を受ける。

「ぼくも家で電話出てるときに上蔵(わぞ、この集落)の人がやってきて、『今電話出てます』とか返事したら『電話なんか切っちまえ』って言われたからね」

 ギャハハと椎名さん。

「そういうの楽しめないと大鹿にはいれないんだなあ」

という彼女に「大鹿外国だからね」と説明したら肯いてた。最初から異文化なら「こんなはずでは」という程度も小さい。

ちなみにそのときぼくが玄関先に出ると、広報物を手渡され、うちの庭先の丸太を見てその人は「カラマツは腰掛けにはダメだ。とげが刺さる。カラマツはやめとけ」とひとしきり講釈を垂れ去っていった。

頼んでもないのに勝手に保護者になってお節介をお節介とも思わない。そこそこのところで「自分はそういうの無理なんで」と言えない人はたしかに苦労するだろう。

周囲に合わせて保護者たちの助言に従い、最終的には有力者の言うことを聞けば、それはそれでとりあえずは波風は立たない。だけども周囲に合わせるのに疲れて何のためここで暮らしてるんだ、と思う人が都会を離れて田舎暮らしをはじめるわけだから、そこはとりあえずもめごと必至なわけだ。

昨年4月から1年間、自治会長の役が回ってきた。上蔵には5つの班があって、順番にお世話班を回していて、お世話班が自治会長を出す。ぼくの暮らす峯垣外班ではさらに自治会長は中で順番で回しているから、20年か25年周期で自治会長は回ってくる。その1回目がうちにきた。

年に一度の村集会(上蔵の人は「村」と呼んでいる)の前の班長会で自治会の役を決める。班長会で決めればみんな従うのが以前のルールだったようで、ぼくも引っ越した一年目にいきなり役を告げられた。事前の依頼で決まらなかった役をその場で決めて集会で告げると、「聞いてない」「根回し不足だ」と大もめにもめて、まあ21世紀だしね、と思いはするけど、その間の調整に右往左往するのが自治会長の最初の仕事だった。

お世話班と自治会長の仕事はやってみると、役場の下請けの割り振りと、お祭り等のしきたりの段取り、がほとんどで、どんど焼きにしろお祭りにしろ、別にぼくがあれこれ指示しなくても村の人が勝手に動いてくれる。

ぼくが自治会長権限でやったのは、前年はまったく呼ばれなかった空き家対策の会議の様子が前任者からの引継ぎでは全然わからないので、村の担当者と決めて委員会として立ち上げたことと、コロナで途絶えていたお祭りの直会(神事後の宴会)がやるやらないでもめそうだったので、「やったほうがめんどくさくない」と実行したことぐらいだ。

ちなみに前年呼ばれなかった空き家対策の会議は有志でしていたけど、ぼくが呼ばない理由を「宗像さんはほかの人と仲良くしないから」とみんなの前で言われたことがある。自由だなあと思ったけど、次の会議で「自分のことをすぐに理解してもらおうとか思うてませんよ。そういうこと言われるとつらいわあ」と言いはした。

東京から越してくると、都会の人、ぐらいの印象は持たれるのだけど、実際はぼくは田舎育ちだ。親戚がいたとはいえ、父と母は農家ばかりの9軒の集落へのはじめての移住者だ。一升瓶を持っていったりとなにかれと周囲に気を使っているのを見ている。ぼくたち兄弟も、放し飼いのポチが隣の畑を荒らすと、「謝ってこい」と父の命令で隣のおばちゃんに頭を下げにいく、なんていう今考えると理不尽な体験もしてもいる。

ぼくがここで暮らし始めたとき、母は「部落んし(人)に歯向かうなよ」とありがたい助言を下さっている。父と母は今では長老格になっている。

退職してから自治会長をしていた父に大分に帰ったときに村のもめごとの話をしたら、笑いながら「上津尾(こうずお、実家の集落)でんみんな今も好きなこと言いよるわ。それでん部落っちゅうのはおもしりいよ。お父さんも若いころはいろいろ言うてみて、みんなが賛成せんかったら『早かったかな』とゆうて引き下がった。じゃあけんどだいたい昔言うたことは今そうなっちょるわ」という。そして「お前もみんなに信頼されるようにしよ」と言葉を足した。

何かと衝突してきた父子なのだけど、このときは多少うんざりもしていたので「どうしたらそうなるん」と素直に聞いた。「なるべく公平にしよ」と父は一言付け足した。

「お前んとこの親父が来ると法事が長くなる」と近所の人にはぼくたち兄弟は言われている。 「ただ酒飲んで長居して」と言われた父は、「借りは作らん」と次から自分の分の一升瓶は持っていくようにしたそうだ。それくらいで早めには切り上げたりしない。

村のリニア連絡協議会に自治会長だから呼ばれて、最初のときに「自治会に報告とかないわけだし、本来村の代表は村長と議員なんだから協議会やんなくてよくないですか」と発言してみた。すると「JRの説明はほしい」「出たくなければ来なければよい」との発言があり、これは任意の会議になる。村の担当者に「謝礼はいりません」というと、「それは困る」ということなので自治会に寄付した。

JRは本来であれば管理型処分場に持ち込むと環境アセスで言っていたヒ素入りの有害残土を、上蔵の川原の変電所施設の下部に埋め込むという。上蔵に事前に相談もなく村で説明会をしたJRの姿勢を4回にわたり「ぼくはきちんと説明を受けたとは思ってませんからね。当該自治会の自治会長として賛成したとはみなさないでくださいね」と念を押した。

道路の通行止めに関しては業者は自治会長の承認印をもらいにくるので、これで在任期間中は止められるかと思ったけど、実際は道路の通行止めはなかった。それでも期間中の工事をJRはせず、理由を聞いても答えなかった。

先日次のお世話班に集会場で引継ぎをした。明治時代から続く集会録も含め、昔はリヤカー一杯の引継ぎ物品を次の班へと持っていったという。今は石油ストーブの大きさぐらいの引継ぎ書類に、神社の蔵や福徳寺の鍵、余った一升瓶やらを渡す。

有害残土を置くことに、地区で反対決議を上げても業者には有効ではなさそうだ。行政は任意団体は小馬鹿にするけど、自治会の意向はなかなか無視できない。そこで、登山口につながる鳥倉林道のマイカー規制を、今日の集会の議題にかけるように、引継ぎでお願いした。地区の静かな環境維持のために一つぐらいは置き土産はしておこうと思った。

どんな意見が出るか、楽しみではある。(村集会ではそのまま了承されました)

(2025.3.24越路44 たらたらと読み切り184)

東京新聞に原稿料を返却する(後)

2024年10月、東京新聞の日曜版「人生のページ」で「民法改正で解消なるか 親子の面会交流」の記事が出た。年が明けると東京新聞は弁護士の太田啓子に、ぼくの書いたコラムの内容を真っ向否定する記事を同コラムで書かせている。その後東京新聞(中日新聞)には事実関係について確認し、経緯を明らかにする質問を送ったもののまともな回答は来なかったため、原稿料を大島宇一郎社長宛に返却した。

「日本で司法に訴えても面会交流の約束を取り付けられるのは5割」?

ところでぼくは東京新聞に苦情が来るだろうなということは想定していたけど、東京新聞の取材力がこの程度まで低いということはちょっと予想外だった。東京新聞内にも共同親権に賛成の立場で記事を書いていた記者は過去複数いたので、ここまで初歩的な質問が社名で寄せられるとは思いもせずに呆れたところはある。

なかでも最初から最後までぼくとAさんが対応に追われたのが、ぼくが書いた「日本で司法に訴えても面会交流の約束を取り付けられるのは5割」という記載についてだ。

これはその年の面会交流の調停・審判の決定・合意成立の件数を新規申し立て件数で割った数字で、目安になる数字で過去別の弁護士も論文で用いている。データをいちいち司法統計から拾い出す必要があるけど、ぼくは経年経過がわかるので毎年その作業をしており、その割合がほぼ5割程度で変化がないという点について触れたにすぎない。

ところが国会では憲法学者の木村草太が、却下されるのはわずか1.7%と公言して、だから司法に訴えて会えない親は相当問題がある、つまり家庭内暴力の加害者ということの根拠にしている。

東京新聞に寄せられた質問もこの点について根拠を述べよと言ったようで、次回でこの件について書くようにとしつこく言われた。この点についてぼくは自分のサイトに記事を書いて根拠を説明し(木村草太「面会交流事件のうち却下されるのは1.7%」のインチキhttps://munakatami.com/column/kimuraintiki/)、合わせて木村のデータの操作による両者の数字の差を説明した。

この部分は共同親権反対のキャンペーンの中で東京新聞や他のメディアでも、度々岡村や木村等々、識者コメントとして引用して子どもに会えない親を悪者にする根拠に挙げてきた。この捏造キャンペーンでメディアは被害者を加害者のクレーマーに変えてきた。だからこの点についての反論をぼくができないわけもない。

ぼくの記事への東京新聞への意見は、賛成が反対を凌駕したようだ。記事は後編に至り記事内で根拠を示すということも結局なかった。

その間「子を奪われた」等々のぼくの記載に細かい注文が入り、東京新聞がいかに反対派を恐れているかがよくわかった。原稿は社長も目を通したという。

社内には掲載させないという意見もあったから、記事が出たこと自体は勝利だったのだろう。

「誤解だらけの共同親権」岡村晴美から太田啓子へ

その後、2月2日と9日に弁護士の太田啓子の記事が出たのは述べた通りだ。

この「誤解だらけの共同親権」という記事の1回目で太田は、「面会調停・審判の運用において、家裁はよほどのことがなければ別居親と子の何らかの交流を命じている。認められないこともあるがその理由は個々の事案次第で、虐待DVが背景にあることもある」とあっさり書いている。ぼくは愕然とした。

いったい自分が頼んだ原稿依頼者にその根拠を散々立証させ、その後その立証内容を別の外部の人間に書かせて否定させる、などという暴力行為をする新聞社があるだろうか。しかも「人生のページ」と言いつつ、太田啓子は自分の人生について一言も語っていない。政治的な意図だけで書かれた記事であることは明らかだった。

ぼくのコラムでは娘のことも触れざるを得なかったけど、太田は何の危険も冒さずぼくの家族関係を結果として愚弄する。子の親として素直に悔しかった。

Aさんに電話すると、「私には太田の原稿が載ることも含め何の連絡もない」と蚊帳の外だったと弁明している。この時点で愛知の弁護士からの苦情が入ったことをAさんは明らかにしており、岡村晴美の名前を出しても否定はしなかった。

岡村はすでに2024年のぼくへの原稿依頼から記事掲載に至るまでの8月にインタビュー記事が出ており、共同親権反対の同志弁護士の太田が、今回ぼくの原稿を否定する役回りになったということだろう。実際岡村はこの記事を大喜びでXで宣伝している。

「チッソの廃液に水銀は含まれていない」と同じ

しょうがないので、手続きをとった。

東京新聞にこの記事掲載に至る経過を明らかにするように質問を送り(https://munakatami.com/blog/chunichi/)、冒頭の回答が2週間という十分な回答期間の最終日に「中日新聞編集局読者センター」からあった。原稿料を払った相手にする態度とは思えなかった。

その後、ぼくは抗議文を「読者センター」宛に送り、先の司法で子どもに会えるかどうかの点について、こう説明した。

「これについては、民法改正の議論において子と引き離されたか否かの立法事実にかかわり、中日新聞は司法に行けば会える、との無責任な識者のコメントをこの間垂れ流し、私どもの国賠訴訟の会も質問したことがあります。しかし、中日新聞は事実の指摘に対し、頑なに司法に行けば会える、との主張を垂れ流し続けました。

昔水俣病患者たちは、チッソの廃液に水銀は含まれていないとの風評に悩まされ、街を発展させたチッソを批判するのか、と孤立させられました。その間多くの被害者が出続けました。中日新聞が共同親権反対でなしたキャンペーンは、それらと同様の行為です。」

この場合ぼくの原稿料は東京新聞がした口封じ行為を容認する賄賂ということになる。原稿料の額はぼくが費やした労力で到底賄えないレベルのものだ。

受け取れるわけもなく受け取る価値もないので、社長宛に現金書留で郵送した。後日東京新聞編集局庶務部長の石井敬名義で手書きの手紙と受領証が郵送されてきた。

「お粗末」とはこのためにある言葉だろう。

東京新聞に原稿料を返却する(前)

東京新聞の日曜版の上下2回のコラムで10月13日27日、共同親権の民法改正と、子どもに会えない親たちで提起していた共同親権訴訟について触れる原稿を書いた。ところが年が明けて2月2日と9日、東京新聞は弁護士の太田啓子に、ぼくの書いたコラムの内容を真っ向否定する記事を書かせている。

その後東京新聞(中日新聞)には事実関係について確認し、経緯を明らかにする質問を送った。まともな回答は来なかったため、原稿料を大島宇一郎社長宛に返却した。その経過をまとめる。

共同親権と真っ向勝負していた東京新聞

10月に掲載予定のコラムに東京新聞の知り合いの記者のAさんから原稿依頼をされたのは、昨年6月のことだ。東京新聞は中日新聞東京本社のことなので、以下は東京新聞とし必要に応じて中日新聞と言及する。

コラムは「人生のページ」というもので、後に東京新聞に出した質問状の回答によれば「人生について考えるきっかけとなりそうな話題やテーマを、さまざまな立場の方に、ご自身の生き方や体験などを踏まえて書いていただき、読者に提供するというのが趣旨」だ。ぼくもその趣旨に基づいて原稿を用意している。

コラムを担当するAさんとは、2008年に国立市議会への陳情活動から始まった法改正運動の初期に取材していただき、何度か特報欄で問題提起してもらっている。当時の記者でその後も何年も運動の会報誌の送付を続けてきた方は何人かいる。Aさんもその一人だ(唯一会費の納入をしてくれていた)。

ぼくの友人は東京新聞の読者だけど「ある時期まで賛成反対両方載せてたのに、ある時からピタッと賛成の記事はやめたよね」とぼくに言ったことがある。一般読者が気づくくらい東京新聞の方針変換は露骨だったようだ。あるとき社内研修で共同親権反対の旗頭の岡村晴美を呼んで以来のことのようだ。

ぼくもこのことは聞き伝えていて、親子の引き離しという人権問題を度々イデオロギー対立の問題にすり替えて、もみ消してきた東京新聞の報道姿勢をSNSを中心に批判してきた。小林由比、大野暢子などの女性記者名をよく見た。だからこそそこに書く意味があると、原稿を引き受けた。

書くにあたっては、原稿依頼がされた後、2024年8月2日の「あの人に迫る」という小林由比記者による岡村晴美への「DV被害を軽視 危うい共同親権」というタイトルのインタビュー記事を参照した。

一連の東京新聞記事では、ぼくたち子どもに会えない親をとにかく危険視し、ぼくたちの側への取材を一切しなかった点では徹底しており、故にコラム欄とはいえぼくの記事はそれに対する対抗言論としての意味合いもあったからだ。

2回目掲載に至るまでの攻防

1回目原稿が出たのが10月13日。

通常このコラムは2週連続で記事を載せ、東京新聞だけでなく中日新聞管内でも掲載される。1回目記事が出た後、多くのクレームが会社に寄せられたのをAさんから教えられ、後編記事の改変に取りかかることになる。というのも前半記事が出た時点で後編記事はすでに書き終え校正も終えていたからだ。

念のため言っておけば、ぼくは登山の雑誌がモンベルに移管するまで東京新聞発行の岳人に長らく編集者・ライターとしてかかわってきた。そのため先の岡村の研修も含め、社内事情はAさんだけから得るわけではない。

とはいえ今回の原稿はぼくは外部の人間として依頼された側なので、読者の反応を受け改変するにしてもぼくのほうにも言い分があり、あまりに失礼な内容については「改変はいいけどぼくの名前は消してくれ」と、「抵抗」してもいる。

人生のページというだけに、ぼくの原稿は子どもと引き離されてから今日に至るまでの経過も触れている。その内容自体は過去の東京新聞の記事や他の報道でも紹介されることがあった。しかしAさんは、審判の決定文を見せてくれという社内の意向を伝えてきた。どうもクレームの中に暴力の加害者に書かせるのかという批判が含まれているようだ。

この点についてぼくは、元妻を引っぱたいたことがある点については隠していないし、過去公にしてきた。それを自分の手記で出版して出しているので、暴力の加害者に書かせるのかという批判は、被害者の訴えではなく加害者の独白から来ているので意味がない。

しかし新聞社はそうではないようだ。刑務所暮らしした人や横領政治家のインタビューは載せても、女性に手を出す人間は無条件に人間外の存在になる。第三者の人間関係にまで自分たちの価値観を押し付けて断罪し、当事者間の関係を損なう。この場合被害を受けるのはまずもってぼくの子どもだろう。

東京新聞の取材不足が露呈

とはいっても、ぼくが見せた審判書きでは暴力が争点になっておらず決定でも言及がない。彼女の側も相当のことをしていて、しかもぼくの友人と家庭を作って養子縁組して子を引き離しているので、司法も同情しにくかったという事情もある。現在ぼくは性や加害被害を問わない脱暴力支援を行なうカウンセラーでもある。

この審判書きは担当部長も目を通して、以後「原稿を依頼された側」というぼくの立場に配慮を示すようになっている。「こんなに苦情くるの望月衣塑子以来」とAさんに教えられた。

苦情の中身は質問という形で列挙され、その内容はぼくのホームページで後に抗議文を送った際に同時に公開している(https://munakatami.com/blog/chunichikougi/)。

この内容を見ると、東京新聞内部では再婚養子縁組で司法が面会を制約するとか、マジックミラー越しに元配偶者が監視する中で試行面会が行われるとか、人質取引がされるとか、2月に1回の面会を増やすのが通常はあり得ないとか、離婚や面会交流の実態について調べればすぐわかるような初歩的なことも共有されていないことがよくわかる。Aさんもそれはわかっていたようで「取材してないんですよ」と憤りつつぼくに伝えてきている。

ぼくは馬鹿正直にこれらについて口頭、文章で回答し、まとめるとA 4で10枚は超えている。Aさんもそれを取りまとめるのに多大な労力を費やしたようだ。東京新聞内部の数年分の取材不足のつけをぼくたちが払わされた格好だ。

Aさんは「一週間こればっかりしている」と愚痴っていた。

夫婦同姓は「姓の単独親権制度」

選択的夫婦別姓における子の氏の強制

 選択的夫婦別姓についての議論がにぎわっている。その中で別姓になった場合に、子の姓(民法では氏)はどうするのか、という論点が注目されるようになってきた。民法改正派の中では、子の氏について婚姻時にするのか、子の出生時にするのか意見が別れているそうだ。

父母間で意見が別れれば司法に持ち込まれるが、明確な判断基準などありえるはずもない。そして離婚時においては、子といっしょにいるほうの親(司法判断では94%母親)に氏を合わせるべきだ、と福島瑞穂は国会で主張していた。

 事実婚をした福島が他人の親の子には同姓を強制するのか、とそのいい加減ぶりに心底呆れたものだ。というのは、ぼくは事実婚であったがゆえに子といっしょの姓になったことが一度もないからだ。親権者になったことすらない。戸籍上父であることをもって、子との関係維持を訴える社会運動を続けてきた。

元妻との間の子は離婚して300日以内においては元夫の姓とするという民法規定に基づいて、元夫の姓となっていたため、司法がそれを認めるまで、元妻の姓の元妻とその連れ子、元妻の夫の姓の娘、それに自分の姓のぼくと、4人家族に3つの姓がある状態だった。しかしそのことで社会生活上支障となることはなく、上のお姉ちゃんの保護者としてぼくは園に顔を出していたし、他人から家族ではないといった扱いを受けることもなかった。

 妻とは別れたものの、子どもたちと別れたわけでもないので、2人の子どもたちには会っていたし、養育費も2人分20歳になるまで支払っているし支払っていた。情のある父親か、無責任な女の敵か、裁判になると前者はぼく、後者は元妻が主張することになる。後は子どもが自分で考えればよい。

 長く書いてきたけど、彼女は所属の問題として「私が親権者だから」とぼくが提案して決まったことをもめると持ち出し、ぼくは「家族は中身(つまり関係)だから」と今に至るまで態度で示しているにすぎない。したがって子の姓にもさほどこだわりが薄かった。

手続法が実体法を規定する

 選択的夫婦別姓の議論において、反対意見の中からは戸籍制度の解体につながり日本の伝統を壊すことになる、との意見が大きい。それに対してリベラルの側は、そもそも戸籍なんて明治以降の歴史だし、現在の形になったのだって戦後と反論をしている。

しかしもともと戸籍とは、登録手段の一つであって、実体法という民法を実現するための手続法である。だから戸籍に明記された父子関係を司法も否定することはできなかった。

そもそも手段で目的を縛る議論そのものがおかしいのだ、という主張をとんと見かけたことがない。なぜならば、戸籍に登録され(入籍)、国家に認められることこそが、正統の証であるから、そもそも選択的夫婦別姓の主張自体が、それを認められない人々の差別を前提とする矛盾含みの主張であるからにほかならない。

伝統の議論がなかった共同親権民法改正

 そんなわけで選択的夫婦別姓の活動家が、共同親権に反対するのは何の不思議でもない。十字軍の貴族がアウトローの反乱の殲滅戦に没頭していただけだ。保守政権側がまともだったとは思わないけど、よっぽど賛否両方の意見を踏まえて物を言っていたのは事実だ。

そしてリベラルな貴族側は、共同親権運動がバックラッシュの保守的な運動(要するに伝統)だとキャンペーンを貼ろうとして、ぼくのようなゲリラに、「この貴族どもめ」「復古主義者が」「母性神話のマッチョどもめ」と石礫を投げつけられていた。いい気味だ。

単独親権制度撤廃とは

 たとえが先走った。

日本国憲法に施行に伴った戦後の民法改革においては、戸主制度と家督相続、それに3代戸籍という家の継承を前提とする家父長制が廃止されはしたけど、夫婦と未婚の子に氏という団体名を付した戸籍が家として生き残っている。親権は父親単独親権から婚姻中のみ共同親権となり、婚姻外のみ単独親権が温存された。親権もまた戸籍に準じたのだ。

 ぼくたちは共同親権の実現ではなく、単独親権制度の撤廃を目標に掲げてきた。実現だけなら改正民法で夢が叶うのだけど、撤廃なら道半ば。

 一方で、ここで撤廃を口にするその中身とは何だろう。

婚姻関係の如何に問わず、親子関係は不変のはずなのに、実際は親権の有無(つまり婚姻内外の差別的取り扱い)によって親子関係が保障されない。仮に共同親権になったとしても、第三者から見て、いちいち関係性があったかいなかで判断するより、正統/非正統、つまり貴族/アウトローの差を国は判断基準にしたがる。

 家族の一体性やそれ以外との区別を強調するのを家族主義と呼んでよさそうだ。所属の問題である。

しかし家族がつながりであるとするなら、それは権利と呼んでよさそうだ。そもそも結婚に子をなすことにまで、国が得点とセットで法的保障を与えるのも、その形成が本来権利であるからで、そうであるなら、選択的夫婦別姓の活動家たちは、等しく共同親権にも理解を示さなければ「自分のことしか考えてない」と言われるのがおちだ。結婚・未婚・離婚は父母の選択の問題かもしれないけど、その不利益を子に及ぼすことは子どもの権利の疎外になるだろう。

所属が人間関係を疎外する

逆だ。

子どもの権利を侵害しない限り、男女は自分の選択を権利と主張することが可能となる。

 逆転した物言いをするならば、夫婦同姓とは、姓の単独親権制度である。子は親を知り養育される権利があり、それを単独親権制度(家制度)が疎外してきた。親たちにとっても、所属に応じて子を捨てることは罪の意識を問われなかった。そんな環境で育った子どもが他者への思いやりを育みにくいのは想像に難くはない。

 姓を権利と主張したいなら、それは所属意識ではなく、つながりとしてはじめて可能となる。子が親とのつながりやそのルーツを保つ手段として姓が役立つならそれは否定することではない。しかし、子にどちらの姓を「名乗らせる」かという問いは、所属の問題としてしか説明できようがないことではないか。他方の姓(ルーツ)を名乗らせない(奪う)ことでもって、子の所属を明確化するのであるのだから。

もちろん双方に所属の取り合いがあればそれが和解不能な子の奪い合いに陥ることは、親権争いと同様である。というか親権争いとは、家と家との子の奪い合いに他ならない。

 法が関係性を疎外する。それは単独親権制度であり、姓の単独親権制度としての夫婦同姓、つまり、夫婦と未婚の子に氏を付し一体感を強制する戸籍制度である。結婚時や出生時に子の姓を決める、という程度の小手先で、子どもの権利は保証されない。

年をとっても変わらない

 国立の大貫さんから冊子が届いた。郵便の包装をとると「並木道」の懐かしい表紙が出てきた。大貫淑子さんは国立市でいっしょに「並木道」というミニコミを作っていた仲間だ。月間で150号まで出して休刊した。

半年くらい前、反原発運動について並木道に書いたのをまとめて本にするから、表紙書いた別の仲間に連絡とりたいと電話してきた。

 以前大貫さんが出した本が『マイ ファースト』という驚きのタイトルだったので、今度は『マイ ファースト2』かと思ったら、昔の「並木道」の表紙をそのまま使っていた。

お礼の電話が来て「もう本出すのこれで最後だと思う」というので、「そんなことないと思いますよ」と口から出る。

「それで大貫さん、何歳になったんですか」

「93よぉ」

「あと30年くらい死なないと思いますよ」とは言わない。

 どんないやなやつでも一つくらいは見習うところがある、と思ってはいる。だけど、年寄りだから敬わないといけない、とは思っていない。そのせいか、90を過ぎた友人が何人かいる。他人の善意に甘える人間には子どもでも露骨に不機嫌になる。そのわりには犬と子どもには懐かれることが多い。

 一昨年父親がガンの手術をして、昨年になって転移しているのがわかった。抗がん剤治療をするという深刻そうな電話を母がしてきた。80も半ばだし、進行もそんなに早いわけでもないだろうから、医者の言う通りにする必要もあるのかと思うけど、「しなきゃ死んでしまうからなあ」という母の言葉に「よう生きたと思うで」と電話口で答える。

 母によれば、7つ違いの姉が転職を機に11月に帰省して父といっしょに病院に出かけ、「どうなるかわかんないってことだから、くよくよしても仕方ないってことですよね」と聞いた。「しっかりした娘さんで」と医者は言いつつ、抗がん剤治療のレベルを下げたという。「薄情者」という批判を何となく感じるので、時間ができて帰省したところ、久しぶりに帰るんやないか」と母が言う。7月に帰ったばかりだというのに。

 実家の近くには宗像さんが数軒ある。言い伝えだと秀吉の時期に改易された豊後の守護・大友家の家臣だったようで、大友家のお姫様と伝わる墓もある。九州では2番目に大きい大野川を望む段丘の上にある。父が若いころに移住してきたときには、畑はあっても水の便も悪い場所に9戸の農家があった。

いろいろと気になる石塔があるので、2年前に帰ったときに、近所の宗像さんに「おいちゃんおるな」と謂われを聞きに行った。父より少し上で、うちの3人姉弟とそこの3人兄妹は性別が入れ違いでだいたい年が似通っていた。

 何年か前に、おいちゃんたち夫婦が近くの道を歩いているのを二階から眺めて驚いたことがある。おばちゃんの後に腰の曲がったおいちゃんが歩いていたのが、ずいぶん前に死んだその家のじいちゃんにそっくりだったのだ。

 話を聞きに行くのもはじめての気がしない。というのも、中学生のときの夏休みの自由研究で、宗像の家の歴史について調べにじいちゃんに話を聞きに来たことがあったからだ。そのときもおばちゃんが隣で聞いていた。

 うちには家系図がある。田心姫命から書き出すこの系図は、明治になって「流れた」と父は聞いている。おいちゃんに見せると「見るのははじめてじゃ」と言って、「戸次(へつぎ、大分市)の質屋に預けていたときに、洪水で流された」という。

あちこち訪ね歩いて再現されたこの系図には、先祖が移り住んだこの上津尾部落のことを「高津尾城」と記載してある。「お姫様がいたからじゃないか」とおいちゃんは言う。父の実家はここから少し下った丘の中腹の堀川という地区にある。前に川が流れこれを掘に見立てれば、ここは攻めるに難しい城に確かに見える。

 この話を聞いてすぐ後、おいちゃんは亡くなった。もっと聞いておけばと思ったけど、最後に聞いておいてよかったなとも思う。

 抗がん剤治療やらでしばらく元気がなかったという父は、「動けんごとなる」と毎日1時間ほど車を運転して、実家近くの神社や寺を見に行くのを日課にしていた。様子見舞いは、父の神社見学への同行だった。

 手術のときに帰省したときに「中古車と同じやからあちこち故障もするわ」というと、父は「中古車どころかポンコツよ」と言っていた。

今回は「最近なちょっとは食欲湧いちきた」という。一時、相当気が滅入って母を煩わせたようだ。

「人間そんなに簡単には死なんよ」

登山なんかやっていると、山で死ぬ友達も少なからずいたので、遺族の無念さに度々接する機会がある。かといって、「やめときゃよかったんだよ」とか言えるわけもない。

あっけなく死ぬやつがいると思えば、生き残りたいという思いの末に多くの人の今がある。そんなことを戦争で父を亡くして母とも別れた父に説明したところで、とも思う。

ちょうど紅葉の時期で、寺や神社の紅葉の名所を父はよく知っている。その土地の歴史を知るには神社を訪ねるしかない。数をこなして父なりに傾向を見て、土地や人の由来を考えるのが好きらしい。

「死んだら南アルプスに散骨しちくれぃ」

 と父は言うのだけど、ほかの家族は山なんか登らないので、ぼくしかできない。

 鉄道の用地買収であぶく銭が手に入って調子に乗ったのか、家系図を質屋に入れるくらいだから、何代か前には本家が凋落した時期があった。分家の父の家も困窮したらしい。農地改革前に土地をずいぶん手放している。

「それでよかったんよ。ほかんところはみな人が減っちょるに、ここだけ家は増えたんやから」

ぼくが言えば、父も笑っている。

だいたい帰省で話し相手になるのは母のほうだ。

「おかあさんな、ゆうちゃったんや」という枕言葉がことのほか多い。最近気づいたけど、どうも威張る人間に何か言わないでは気がすまないらしい。

「パチンコするけんな、帳簿を見せろとかいうてん見せん。どーくっちょる(ふざけてる)。みんなの見本にならにゃいけんにぃ」

隣近所の世間話をひとしきり聞いて帰るのだけど、今回もお寺が話題だった。その末に檀家を抜けたらしい。だから南アルプスに散骨しろとか言うのか。

帰宅してしばらくしたら母から電話がかかってきた。

「この間お父さんと病院行ったら、みんな娘さんが付き添いよ。お父さんな私が付いて行って幸せやなあと思うてな」

 ちょっとしんみりした調子だ。

「それ自分で言いよるんな。だいたい娘がついていった方が幸せんようにあるけんどな」

 一言言わないではいられない息子が、大鹿村に一人いる。

(20245.1.20「越路」43号、たらたらと読み切り183)

学校と共同親権~学校アンケートの公表から

子育て改革のための共同親権プロジェクトが記者会見

 12月16日、子育て改革のための共同親権プロジェクトが7月に行なった「学校における別居・離婚後の父母対応の実態および共同親権制度への移行に伴う要望調査」の結果を衆議院第二議員会館にて記者発表した。

 この会見で質問したフリーランスのライターとして、また共同親権運動にかかわってきた者として、今年5月に改正され、2年後の2026年から施行される民法の婚姻外の共同親権規定について学校がどのように準備するかについて、ここで考えたことを触れたい。

 ぼくは現在婚姻中のみしか共同親権を許さず、婚姻外は単独親権を強制する民法規定の違憲性を唱えて国を訴え、立法不作為の国賠訴訟を2019年に提起している。「子育て改革のための共同親権プロジェクト」(以下「プロジェクト」)は同時期に市民運動として立ち上げ、ぼくも呼びかけ人に名を連ねている。

とはいっても、今回のプロジェクトの学校アンケートについてはカンパはしたけど、結果が出るまで直接かかわっていない。呼ばれていないのでまあちょっと寂しいよね、とは思うけど、誰かやってくれるんならそれでいいんじゃないとも思う。

プロジェクトはこの日、文部科学省と子ども家庭庁に3745筆の賛同署名とともに要望書を提出し、アンケート結果の結果を記者発表している。

「親として耐え難い」

アンケート結果から伺えるのは学校機関が根拠もなくいわゆる「別居親」を学校から追い払っている現状だ。

発言した田中さんは「普通のサラリーマン」の父親で娘たちと30分しか会えていないという。校長に連絡すると110番通報され、後の妻からの虚偽のDV保護命令の通報がなされていたことがわかった。

同じく石原さんは14歳と7歳の子の母親だ。協議離婚した末に長男を連れ去られ、その途端に小学校から連絡が来なくなり、以来学校関係者からは無視されている。「親としてつらく耐え難い」と言葉にしていた。

現在子どもたちと会えないぼく自身も、似た経験がある。「会わせる」という合意書があったにもかかわらず子どもと引き離されて、学校行事で子どもたちと度々会ってきた。しかし学校側の対応は校長の考え一つで友好的になったり排除的になったりする。背景に母親やその弁護士の学校への排除の要請を学校側が真に受けてしまったことがある。

「父母」が子育ての主体

これに対しプロジェクトは婚姻状態によらず、父母が子育ての主体であることを教育機関に周知することを国に求めた。

具体的には、親権者と非親権者の違いである「子の重要事項に関する意思決定権限」となる進学や転校について、入学願書に2名の親権者欄を設け、両親権者の同意を必須とすること、学齢簿の保護者欄を2枠以上設定し、親権を有しない実父母の情報も保護者登録票、家庭状況調査票に記載することを必須とすること、がその中身になる。

これを見てぼくは質問してみた。

「学校は行政機関でもあり、行政機関は(法に定めのない)不必要な個人情報の入手はできないことになっている。いわゆる『隠し子』の場合などのように、現在の状況で父母両方を申告しなくても誰も困っていない場合においてはどうするのか」

 これに対してプロジェクト代表の松村直人さんは「趣旨は父母対等ということです」と発言しており、質問の意図とはずれる回答だったけれど、困らせるのが目的ではない。

保護者とは誰か?

 学校教育法においては保護者は親権者となっている。

しかしそれは保護者の権限を定めたものではなく義務を定めた中においてであり、保護者規定のあるほかの法規も同様だ。学校は子どものいる世帯主に就学通知を出し回答のあった者を保護者としているだけであり、それが実父母であるかどうかなど誰も把握していないし、把握する必要もなかった。

では保護者欄に記載のなかった親が現れ、実際戸籍等を持ち出して実父母であることが分かり、かつ親権者でなかった場合、学校はそれを「保護者ではない」と言えるだろうか。実際事実婚で子どもを育て、親権者でなくとも保護者である親はいる。

つまるところ保護者とは自己申告制である。プロジェクトの要請の趣旨は、保護者は父母でなければならない、ということではないとは思うけど、そこで自らは申告を望まない実父母の情報を必須事項とする根拠は何だろう。

松村さんのいう「父母対等」というのは、要するに父母がもめた場合において、学校の一存や一方の主張だけ聞いて一方を追い払うことはできない、ということだろうと思う。

実際問題別に離婚してなくても、父母間のもめごとを学校に持ち込まれれば「それは夫婦の問題なのでよく話し合ってください」と学校は多くの場合言うだろうし、離婚した場合においても本来は同様だ。そうしないともめごとに巻き込まれる。

共同親権への民法移行後も学校は基本的にはこれを徹底することになる。必要な場合に、共同監護の取り決めや司法決定、さらには保護命令などの規制の有無も把握する。話し合えなければ双方関与しないという合意になり、学校は2つの家に対応することになる。子どもにとって離婚は家が2つになることだ。

学校や園はこれら民法上の取り決めの範囲においていつ休ませるか、誰が送迎するか、学校情報は誰に届けるか等々、子どもや父母に対応することになる。しかし不必要な個人情報の入手は逆に学校が双方の関係に口を出し、巻き込まれることにもつながりかねない。

教育は誰のもの?

こういった問いはいったい教育とは誰が本来責任を持つべきものなのか、という問いにつながる。親は自身が望む教育を子どもに授けたいと願うので、私立学校や民族学校、さらには塾などが存在する。しかし学校の先生が「うちはこういう教育をしたいので」と逐一親に口を出さされれば「じゃあ自分で教えて下さい」となるだろう。それもいいけど、多くの人は結果公立学校に通わせる。

しかし学校は国家や地域が求める人材を育てる場でもある。この傾向が強まりすぎれば不登校などの問題が生じる。本来教育は子ども中心のものなのだ。

したがって学校や保護者が協議会を作って話し合いの中で問題を解決したほうがうまくいく、といって学校協議会などが作られてきた。子どもにとって地域も含め多くの大人が教育にかかわったほうがよい、ということにもなり、であれば保護者を父母に限定することは本来する必要のないことかもしれない。

問題は親権差別

では何が問題なのだろう。

親権がないとはいえ、父母であることがはっきりしているのに、行政機関の担当者(校長や担任)の判断一つで自ら関与を望む父母を、地域の人以上に排除できるだろうか、ということではないか。父母対等はもちろん理念としてはあり、しかし権限の差は双方の取り決めや国の関与で設けられる場合がある。しかし、他人以下に親を扱い、親としての地位を損なってまで親権の有無による差別を許すことができるだろうか。

海外では親権差別禁止を法で定めることがあるという。親には自身の子の教育と養育への責任と固有の権利がある。現在共同親権訴訟で争っていることである。学校から親を締め出し、子どもの情報を与えないなどの行政措置は、人権侵害であり職権乱用行為にほかならない。(2024.12.18)

共同親権民法改正、左翼はなぜ人権を侵害したのか

 毎月上京して最高裁判所に要請に行っている。

 今年5月国会で共同親権に関する民法改正法案が成立した。この法案による変化は、これまで共同親権は婚姻中のみで、離婚や未婚という婚姻外には単独親権一択(単独親権制度)だったのが、そこに共同親権という選択肢が入ったことだ。

 一方で、養育費の徴収強化は立法化され、面会交流に関しては検討されてもこれまで通りなので、共同親権になろうがなるまいが、子どもに会えず金はとられる、という状況は変わっていないどころか、合法化された分だけ改悪している。その上、共同親権にするかどうかは司法の裁量なので、結局今子どもに会えていない親たちは会える見込みがたちはしない。子どもが成人したぼくに関してもそれは同じだ。

 子どもに関しては父母どちらかが責任者であるほうがよく、もめれば力の強いほうが弱いほうを追い出すというのが、戦前から続いた家父長制を引き継いだ民法のルールだった。現在司法では94%の割合で母親を親権者にする。

 笑っちゃうことに、そうするとフェミニストや弁護士連中は、共同親権は家父長制の復権で、バックラッシュだと言いはじめた。そうだそうだとリベラルメディアや、左派政治党派が唱和した。立憲民主党の議員に、社民党、共産党、緑の党、生活者ネット……。法案は問題点があるので(反対した)、その点について久しぶりに長野県から毎週上京して国会議員に説明に行った。れいわ新選組に至っては、ぼくがした面談の依頼をことごとく無視した。

 最高裁に通っているのは、2019年に提起した、単独親権制度の違憲性を訴えた立法不作為の国賠訴訟が最高裁に継続しているからだ。今年1月の高裁判決は一審判決を引き継いで、「婚姻外の差別的取り扱いは合理的」と単独親権制度を正当化していた。

 国立や立川あたりの市民運動も薄情に思えた。ぼくがこの問題で長年苦しんで活動してきたのを知っていたとは思う。ところが運動業界で共同親権反対の声が高まると、ぼくに「どうなってるの」と連絡してきた人は誰もいなかった。会ったところで「共同親権はDV法と言われてるぞ」とこっちの弁明を求めてくるので、うんざりした。どうせこの人たちは、見ず知らずの他人の親子の生き別れなどどうでもよくて、お前が悪いからだろ、と共同親権反対の人たちに同調しているだけだ。

 正直左翼やめたくなったけど、右翼になったら増長するだけなので、左翼の立場から左翼や市民運動を徹底して批判すること半年ほどは専念して今もしている。そのうちこの無責任な連中の、信用失墜が明らかになるだろう。

  

 その第一弾として、信濃毎日新聞に申し入れに行った。この気位ばかりが高い長野県のリベラル新聞は、東京の流行りのインテリの話は聞くけど、地元のライターで訴訟の原告の言い分など小バカにしてきた。共同親権反対の論説を全国で一番多く5回も出している。

 父母の責任はあるけど、問題があるので共同親権は慎重に、なんて、共同親権を求める連中はヤバいやつらだから、ヤバくないやつらも諦めろ、という無茶な理屈だった。問題かどうかは子どもを見ている側の感情が優先されるのだけど、その理由は母親が子どもを見ているから。正体見たり、だった。

 懇談の機会を論説の人と求めたところ、「文書にして出してくれ」という。どこの世界に商品(記事)への苦情を文書で出させる会社があるんだ、とSNSで書きまくって記者会見と社前情宣をプレスリリースしたら、論説主幹が出てきた。

 長野市までは3時間かかる。論説主幹は「共同親権の問題は毎回論説でも意見が割れる。私もなんでこれが党派的課題になるのかな、とは思いました」と口にしてたけど、じゃあ5回も反対してくれるな。

 「反対しているつもりはなくて、訴訟妨害というのはちょっと違うと思う」というので、「ぼくたち憲法に訴えてるんですよ。信毎はケンポー、ケンポー言ってんじゃないですか。読売新聞が言うのとはわけが違う」というと黙り込んでいた。

 憲法学者の木村草太に信毎は度々共同親権反対の記事を書かせていた。「母性神話でしょ」と言ったら「あ~」という顔をしていた。

「上野千鶴子とか日本の男に共同親権は百年早い、とか言ってんですよ。あんたたち悔しくないの」 

 背広姿の男3人を挑発してみた。

 「高名な社会学者」の上野千鶴子は度々、「離婚するにはそれだけの理由がある。妻を殴る蹴る、子どもを虐待する、子育てに関わらない、養育費を支払わない…日本の男に共同親権は百年早い」と書いているのだけど、離婚は男からもするのだから、そんなわけないのは少し考えればわかる。とはいっても、あんまり子育てとかかかわってこなかったからか、背広組に張り合いはない。

 この後、県庁の会見室で記者会見をした。田中康夫のおかげで、長野県庁には記者クラブはなく、誰でも会見を開くことができる。信毎との懇談の様子を記者たちと話した。このとき触れたデータは、いわゆる「別居親」のDV被害の割合は、「同居親」のDV被害の割合と変わらない7割というものだ。このデータは、司法記者クラブで記者席立ち見の中以前示したもので、その際記事にした記者は一人もいなかった。

「記者さんたちは、暴力の防止とかほんとはどうでもいいんだなとそのとき思いました」

 というと一人の記者が手を挙げて、「でも賛成反対の両論併記で記事は作っていますよね」という。

「じゃああなたがたは、DV被害者で共同親権賛成の人の意見を取り上げますか。そんな人たくさんいますよ」と投げかけた。

 あえて左翼と呼ぶけど、左翼は社会的弱者の味方だと思って女の味方をしてきた。ところが、男女が別れる際には、双方が被害感情を抱くのが普通なのに、女性の感情を優先すべきという固定観念から抜け出せない。パターンに当てはめるために被害者を加害者と呼んできた。

 東京新聞からエッセイの執筆依頼が来て2回続きものの記事を書いたのだけど、1回目が出たときに社内外で騒ぎになったようで、一週置いてやっと続編が出た。被害者だと呼んできた人たちが実は加害者でもある、という指摘に、「弱い者の味方」のつもりだった人たちが耐えられなかったのだろう。

 NHKが「寅に翼」という朝のドラマで家庭裁判所の創設をテーマにしていた。

 戦前は家父長制の単独親権制度だったので、共同親権を求めたのは主人公をはじめとした女性たちだった。ところが、共同親権の民法改正が議論されると、このドラマを引き合いに出して時代は変わっていないと憤慨する、佐高信と福島瑞穂の対談記事がネットに出ていた。

 もはや無知を丸出しにしたコントにしか思えなかった。かつての切れ味抜群の左翼のあわれな末路だった。

(2024.11.25「越路42号」たらたらと読み切り182)

親子の面会交流 共同親権で解消なるか(下) 中日新聞2024.10.27

 この5月、離婚したケースだけでなく、未婚(事実婚)でも父親が認知し、父母の協議によって共同親権が認められる法改正が成立した。

 民法改正の国会審議では多数の参考人が呼ばれたものの、子に会えなくなった親の発言はなかった。ぼくたちは「別居親」と呼ばれ、日頃は人権擁護を口にする人たちや正統からも危険視されている。共同親権になれば家庭内暴力(DV)による支配が続くから、生き別れも甘受せよとでもいうのだろうか。

 現行民法のもとDVも虐待も増え続けているが、元夫婦にそれぞれアンケートした結果がある。

 2020年、認定NPO法人フローレンスら3法人などが主に女性ひとり親を対象に行なった「別居中・離婚前のひとり親家庭アンケート調査報告書」では、72%が相手からのDVを経験したと回答している。

 一方2022年に「子育て改革のための共同親権プロジェクト」(松村直人代表)が北九州市立大の濱野健教授の協力で、子どもと会えなくなった別居親の事態調査を行なった。先の調査と同じ項目で質問したところ、同じく7割が(元)配偶者から暴力を受けていたと回答した。

 その内訳は「怒鳴る、無視する、異常な束縛など精神的な暴力」65%、「身体的な暴力」17%など(複数回答)。別居親も暴力の被害があったと訴えたが、その声は無視されてきたと思う。

 離婚や別居をした後も子に会うために調停や訴訟の司法手続きを何度も使うことが「法的嫌がらせ」として批判されることがある。ぼくは事実婚で子(娘)をもうけた。面会交流が認められたが、2カ月に1度では子育てにならないと5回裁判をした。そうしないと子との関係が途絶えていただろう。

 報道でも「現行法で共同養育はできる」という主張をたびたび見かけた。そうであるならば多くの子がその機会を得られるように法的支援を与えればいいのに、と思う。別居親も人間だから心がある。ぼくたちを単独親権制度の民法を転換する運動に突き動かしたのは「このままだと子どもに一生会えなくなるかも」という恐怖心からだった。

 戦前は家父長制のもと、女性たちは親権を持てなかった。男女平等の日本国憲法の施行で父母両方に親権が認められた。離婚後の親権取得率は女性が9割に。今度は女性や子どもを守れと共同親権に移行することに反対する声が上がった。

 民法が改正されても、「子の利益」を理由に司法が親と子を分断する構造は変わらないと考える。ぼくたちが問いたかったのは、子育てにおける父母の権利や男女平等、そしてその子の父母ではなく司法が一方的に「子の利益」を反するすることは適切か、である。それは戦前から続く法律婚優位の家制度のもとで不問にされてきた数々の問いだといえよう。

 法は親権がない親の権利を事実上否定している。父としての幸福追求権や平等権を損なわれたと国と訴えた。1、2審は「婚姻外の差別的取り扱いは合理的」と述べ、最高裁に上告中だ。「子育ては権利だ」との訴えに司法が耳を傾けさえすれば、ぼくたちのようなつらい思いをする親子は減っていくだろう。

親子の面会交流 共同親権で解消なるか(上) 中日新聞2024.10.13

今年5月、民法が改正され、親権法については77年ぶりに見直しがなされた。長らく単独親権から共同親権への民法改正を求めてきた一人として複雑な気持ちで法案成立を見届けた。

 ぼくが立法不作為の国家賠償訴訟を提起してまで法改正を求めてきたのは、自分の子ども、娘に会えなくなったのがきっかけだ。しかし、今回の法改正でその道筋はいまだ見えない。

 事実婚の非婚の父として娘を育て、妻と分かれる際、一時娘を見ていたときに、妻からの人身保護法による子の引き渡し請求で司法はぼくを「拘束者」とした。2008年のことで「親権がないから」との理由だった。

 元妻の側が「会わせる」と提案して面会交流の合意書を交わし、娘を渡すと、娘は元妻の再婚相手の養子にされ、会えなくなった。

 当時、東京で子どもに会えない親たちの自助グループがあり、参加した。自分は例外ではなかった。日本は離婚に伴い親権を父母どちらか一方に定める。海外の共同親権の国では、父母が別れても双方で子育てし続けると知った。

 しかし、日本で司法に訴えても面会交流の約束を取り付けられるのは5割。それも会える保障はない。実際、ぼくは司法の決定が出るまで2年半、娘と引き離された。ぼくと娘の前に立ちはだかったのは法だった。

 裁判所ではいまも元配偶者(やその夫)がマジックミラー越しに監視する中、子と会うよう仕向けられており、ぼくも体験した。母親側の意向に背いてまで会わせる石は司法にない。娘と会う場面に元妻の再婚相手が監視をしに現れ、そのことを裁判で養育への妨害だと主張すると、司法は「親権者だから」と容認する。「会いたかったら運動をやめろ」と親権者が子を用いてする人質取引を司法はとがめることはない。

 面会交流の決定は2カ月に1度、2時間のみ。それを月に1度にするのに、さらに4度裁判をした。間に挟まれるのに疲れた娘は会いに来なくなり、ぼくは月に1度、娘が暮らす家を訪問して手紙を投函した。

 これだけ書くと「何か理由があったんでしょう」と言いたくなる人はいるだろう。理由があるのは当然で、それを何とかするのが法だ。共同親権はいまの単独親権で自分の子と会えなくなるという絶望を経験した多くの親にとっての希望だった。ぼくは仲間と法改正を拒む国を訴え、国は法制審議会を開き、ようやく民法が変わった。

 改正民法は子と離れて暮らす親が負担する養育費の徴収強化は立法化し、親子の再統合の規定は見送った。司法で情勢が親権を取る割合は94%に上る。不公正な司法慣行の立法化だ。改正民法のメッセージは「会えなくても金は払え」。露骨な性役割を前提にしたものだった。

木村草太「面会交流事件のうち却下されるのは1.7%」のインチキ

「面会交流事件で却下されるのは1.7%」?

 10月13日に東京新聞の「人生のページ」に「親子の面会交流 共同親権で解決なるか?」というエッセイを書いた。いろいろな反響が新聞社のほうに寄せられているようで、掲載後に事実確認についていくつか新聞社から問い合わせがあった。

 その中で「日本で司法に訴えても面会交流の約束を取り付けられるのは5割」と書いたところ、根拠を求められた。読者が憲法学者の木村草太は、家裁における面会交流の申し立ては1万件で会えない割合は1.4%と言っているという。

 探すと2024年5月7日の参議院法務委員会の参考人質疑で、「例えば令和2年に終結した面会交流事件は1万件ありますけれども、うち却下されたケースは1.7%にとどまるということで、面会交流の申し立てを利用していただくのがよろしいのではないか」いう発言があった(議事録文字起こしhttps://note.com/nao302198765/n/n158468981cad)。

国民民主党の河合孝典参議院議員の「会いたいのに会わせてもらえないというところをどのように見極めていくのかということですね」という問題提起に答えたものだ。木村は似たような発言を繰り返しているわけだ。

 木村は法制審議会における参考資料として最高裁判所が提出したものを典拠としているようだ(「子の監護に関する処分事件の事件動向について」https://www.moj.go.jp/content/001347793.pdf)。

この資料の3-(2)に、「子の監護に関する処分事件(面会交流)・終局区分割合(全家庭裁判所)」との折れ線グラフとその区分別件数の数字が出ており、その最新の令和2年(2020年)の数字が1.7%となっている。

 木村は面会交流を申し立てれば司法で会えるようになるのだから、現在会えていないぼくのような人間は問題があるからだという主張をSNS等で繰り返している。1.7%はその根拠で読者もそれをうのみにしたのだろう(数字は不正確だが)。

98.3%は会えているのか? 半分が諦めている

 木村があげる「却下された割合」1.7%は僅少なので、会えないのは相当問題のある人達と思うだろう。ところが、同じ統計から数字を拾えば、調停の成立率は57.8%で、審判の認容率は65.2%にとどまる。残りは調停不成立や取下げとなる。そして法制審の資料には審判の割合も出ていて、この年は9.1%となっている。

 最高裁もズルいと思うけど、審判は調停・審判の1割に満たないのに、その1割に満たない審判での却下の件数を、調停・審判合わせた総数で割ったところで低く見積もられるのは当たり前だ。この統計には調停不成立の数字も外されており、司法統計を見ると2711件ある(法制審の資料は速報値のためズレがある)。司法統計の既済の総数は調停11619件、審判1619件で13238件(法制審資料だと10776件)。司法統計による割合は20.5%。取下げは27.2%。

根拠数字のズレはあるものの、総数のうち不成立・取下げ・却下の割合を合わせれば実に49.4%が面会交流を諦めるか認められていない。

 木村が「別居親は問題がある」と言うために悪意で数字を切り取るにしても、素人をだますにしてはやりすぎだろう。

取り決め率は47.3%

総数は何年も継続しているものも含むので、その年の新受件数のうちの調停成立・認容の割合を「取り決め率」とぼくは呼んでいる。過去棚瀬孝雄弁護士が用いていたので独自のものではない。正確に言えばその年申し立てたものがその年のうちに処理されとは限らないけど、過去申し立てたものも順繰りに処理されるのでだいたいの目安になる。この数字は過去10年以上、司法統計で追い続けている。

法制審の資料で見れば、令和2年は新受は調停で12929件、審判で1939件、合わせて14868件。審判認容は804件、調停成立は6227件、合わせて7031件。

7031件/14868件=47.28%。およそ半分になる。

取り決めても3割は会えなくなる

この取り決め率を、毎年司法統計から数字を拾い出して折れ線グラフを作っている(https://k-kokubai.hp.peraichi.com/「誤解その3」)。取り決め率の推移がわかるようになっていて、件数は年々増加しているのの、この割合は約半分で一定している。

面会交流調停については、多くの場合、連れ去られて会えなくなったので申し立てるので、この割合の増加は連れ去り件数の増加と大方一致するだろう(離婚事件おける面会交流がどのように扱われているかはこの中に入っていない)。

つまり、裁判所が面会を拒否してくれるのが見えるので、連れ去り件数も増加し、被害者は他に手段がないので司法に頼って「約束を取り付けられてるのは5割。それも会える保障はない」。

言うまでもなくこれは取り決めの割合で、この中には「会わない」「手紙のやり取り」などの取り決めもある。子育て改革のための共同親権プロジェクトによれば、合意がある場合であっても、子どもとは32.7%が会えなくなっているという調査結果がある(http://cdn.joint-custody.org/files/20220808-report-lbp-summary.pdf)。

家裁が月に1回2時間、写真送付などの間接交流を多く面会交流として取り決める現状で、そうなるのは当たり前である。

この資料は司法記者クラブで記者発表したものだけど、立ち見も出た中、一社も記事にしなかった。(2024.10.18)