いのちき、してます

 毎日何だか忙しい。

 5月になれば田植えに向けて何かと準備が必要になる。5回目の田んぼだけど、今年からは一人でやるので、ひと任せにしていたところは、近所の人にやり方をいちいち聞いた。その間に、お隣のKさんといっしょに、畑の日陰の原因の、境界のケヤキと杉の木を切り倒し、その周辺の藪を切り開き、下のお隣にやってきたYさんの妻子の歓迎会の段取りをしと、やることが次々に出てくる。

 やる量はさして変わらないのに人数は半分になったので、手分けするということができない。光熱費などの基本料金もさして変わらないのに、負担は高まったので生活を見直した。電話契約のナンバーディスプレイをやめて、電気のアンペアを30から20に落として基本料金を下げた。

 工事にやってきたのは、いつも検針にくる村内のSさんで、野生動物に詳しく、村のカワウソやオオカミ情報をたまに持ってきてくれる。工事が終わると「スマートメーターに替えておきました」とさらっと言う。「それは困ります。うちは電磁波とか気にするから」とかいうと、Sさんもちょっと弱って、「私の判断では何ともできないから、中部電力に電話してもらえば発信機だけ外すことはできますし」という。早速電話する。

オペレーターのお兄さんは「国の方針でスマートメーターにするようにしているんですが」という。

「うちは電磁波とか気にしているんです。スマートメーターは困ります」

「いま携帯で電話してますよね。それよりも弱い電磁波なんですが」
 痛いところをつく。

「携帯の電波も気になるので、今耳から話して話すようにしているんですよ」

 とか苦し紛れに適当なことを言う。

「そうなんですか。じゃあ後日工事に入ります。電波を発信せず、アナログがデジタルのメーターに代わるだけです。今まで通り検針に来ることになります」

 最初からそうすればいいのに、黙ってやるのでひと手間かかる。プロパンガスのメーターでも同じことをした。というわけで、今まで通りSさんからいろいろ聞き出せる、じゃなくて無駄な電磁波は抑えられる。

 その生活見直しを友人に話せば、「もともと必要なことだからね」という。元に戻っただけだと気づく。

 四月中までに約束したニホンカワウソの単行本原稿をせっせと書いて、「もうカワウソはいい」と思うくらい、頭の中カワウソだった。当然あまり出歩くこともなく、いままで畑はたいしてやってなかったのが、原稿書きの間に種をまいたり、ジャガイモを植えたりした。東京にいたらジョギングで身体を動かしていただろうけど、畑は自分が食べるものにつながるので、運動量は少なくてもなんだか生きてる実感が湧く。一人でできそうなことは何だろうと考えたほうが、ここでの生活は楽しめる。ゴールデンウィークには良山泊に人が来てにぎやかにもなっていた。

 いろいろ一人でありそうな生活設計を想定すると、「いのちきしよる」という大分の言葉が度々頭に浮かんだ。「生計を立てる」というほどの意味だ。

大分の郷土作家の松下竜一の著書に『いのちき してます』というエッセイ集がある。彼が地元中津市での豊前火力反対運動の中で出していた会報誌「草の根通信」のエッセイをまとめたもので、市民運動と呼ばれるものが、どんな人々の「いのちき」の中で成り立っているかがよく見える。

「由来、この町の貧しき大人たちは、次の如き挨拶を日常に交わしたものである。

――いのちき できよるかあんたなあ

――いにちきさえ できよら いいわあんた

〈いのちきをする〉とは、かつがつに生活をしているといった意味の、多分この地方に特有のいいかたで、貧しくともまっとうに生きる者たちの、最もつきつめた形での挨拶語であったといえようか」(松下竜一『いのちきしてます』)

 「いのちき」は古語の「命生く」が語源という説があるという。「命生く」は生き長らえる、生きのびるといった程度の意味だ。

 この本を東京で読んだぼくには、聞き覚えのない言葉だった。ところが大分の実家に帰ったときに、不器用なくせに調子よく、不愛想なぼくの何倍も人にはかわいがられる兄を評して「あれでいのちきしよるんやから」と表現し、母が幾分あきらめ口調で認めているのを耳にした。父も「あれがあんし(人)のいのちきじゃ」と他人を評して気軽にしゃべっているのだった。

 思うに、子どもには多用するような言葉ではなかったのだろう。その上、祖父母に育てられた父は、大分方言の古いものはたいがい知っていて使いこなし、ぼくにはわからない言葉を母と言い交していた。会話に入れないぼくは気にとめないということはよくあった。東京ではちっとも実感のわかない浮いた言葉だった。それが、故郷を離れ遠い大鹿でこの言葉を口にすると、生きるという意味をほのかに意識させられる。

 哲学者の内山節は、上野村の人々との触れ合いの中で、村の人が「稼ぎ」と「仕事」を使い分けていることに気づいた。「稼ぎ」は日銭稼ぎであり現金収入であって、もっといい「稼ぎ」があればただちにやめられる。月給取りのサラリーマンもこっちに入る。「仕事」は村で暮らしていくにおいて、村や家庭を維持するために当然になすべきことだ。内山は、本来的には労働の一部を占めるに過ぎない「稼ぎ」が、現代では唯一のものとしてみなされる傾向を相対化した。

 上蔵村の人々のふるまいを見ていると、どうも「仕事」をしない人は「へぼい」と半人前扱いされる傾向があるようだ。仕事をするというのは村の中で役割を果たし、環境や村社会を維持するということだから、それが奪われれば、今度は人格が傷つけられたような気持ちになる。稼ぎでは満たされない問題だ。

「いのちき」は稼ぎよりも仕事よりも個人に焦点が当てられている。母は「みんな爪に火を点す暮らしをしよるんよ」とよく言っていた。この言葉は、「けち」という否定的な要素が強い言葉だけど、土地持ちの家で育って農村に父と家を構え、周囲にはいない教師をしていた母にしてみれば、周りの人々への生活への己の想像力の乏しさを戒める言葉のように、ぼくには聞こえた。「いのちき」はそんな人々が口にする言葉である。己と相手への気づかいが込められている。

 大学生のときに出会った言葉は「バム」だった。

好きなことのために生きることで、仕事はそのために必要があればする。登山の世界には「クライミング バム」という言葉あって、ヨセミテ辺りでマリファナを吸いながらビッグウォールを登る人種がいた。国内では高層ビルの窓ふきとかをしていて「窓ふきん」と呼ばれ、金を溜めて海外の山に行く。

大学というところは、特権階級や特殊技能集団のための通行手形を得る場所だと考えることはできる。そんな中で東京の大学山岳部の集まりに来る連中は、5年生は普通で8年生までしながら山に登っている人も珍しくなかった。世間一般から見れば危険なことをして、ステータスを行使することもなく、親に心配をかけ、ときどき死んだりも確かにする。山で死ぬのは馬鹿だというのは簡単だけど、じゃあやめようというのは野暮に思える。生きているということがたまたま死につながっただけだから、その人の生きる価値を奪うことなんてできそうもないよね、という人たちが登っていただけだ。

山に登るために時間のある公務員になる人も一定数いて、そうやって考えると、せいぜい固い仕事がいいというふうにも思えもしないのだった。いっそのこと仲間と「きりぎりす」という同人誌を作った。それは「働かない」という意味のアンチなのだけど、仲間は次々にアリ化していって、ぼくはそこで書いていた文章が登山雑誌の編集者の目に留まって、今の仕事につながっている。今の自分なら「きりぎりすだっていのちきしよるんやから」と正当化することはできる。

ここまで書いてきてずいぶん使い勝手のいい言葉だと思えてきた。

いま自分がやっていることなんて、世間一般の常識の範囲にあえてあてはめれば、仕事はライターで、趣味は社会運動で、ときどきする家族支援とかはお互い様の助け合いとかになるのだろうか。なんでもやれる「百姓」という言葉に誇りを持つ人がいる一方で、農機具だけで何十万とかかる農業は趣味や道楽の範囲にしか市場経済の中では価値がない。近所にパチンコ屋ができればみんなやるのだろうか。それでも飯田のスーパーで野菜を買うよりましだし、草ぼうぼうにしておくよりはと畑を耕しはじめた。なんとなく、いのちきしている気分になる。

今年はじめてフリークライミングはオリンピック競技になった。昔サッカーのワールドカップの日韓共催があったころに大学山岳部だったぼくは、「クライミングもサッカーみたいに人気出ないかなあ」とうらやましくてぼやいていた。「もしそうなったらお前やらないだろ」という仲間の言葉に言い返せなかった。多分それでは「いのちきしよる」とは天邪鬼のお前は思えないだろうと、彼は知っていたに違いない。

(「越路」22号、 たらたらと読み切り162 、2021.5.13)