4月の前半に朝起きると頭痛がした。熱を測ると37.2度あった。新型コロナウィルスの感染者の増加が続いていて、飯田でも感染者が出たりしていた。テレビは毎日この話題だ。久美さんのお父さんが毎日体温を携帯メールで聞いてきていた。ぼくもだいぶ時間が経ってはいても、東京や京都に行くことはあったし、保健所の電話番号を知らされて電話して症状を話した。
「その症状だとコロナの可能性は高くないかもしれません。なるべく家から出ないようにして、ご家族の方とタオルを共有するとかはやめてもらって……」
検査を受けるでもなく、可能性は低いのに自宅待機を言われた。数日後に千葉に娘に会いに行くと言うと、否定されるわけでもない。念のため電話番号を聞かれて電話を切った。
熱はその日の昼には引いて、一日寝ていたら体調もましになった。前日に野外の杉の木の下で薪割りをした。この時期、野外で作業をすると花粉症で熱を出して寝込むこともあったので、その後の症状とかを見ても例年通りの花粉症だったのだろうと思う。
でももしかしたら軽症の新型コロナだったかもしれない。だけど検査自体が希望しても受けられなければ、感染者などわかりようもない。これは感染者が増えるわけだと思う。自分が病気かどうかを毎日気に病んでいるほうが病気になると思い、体温を測るのはやめた。
別れた連れ合いとの間に娘がいるので、月に一度千葉県の習志野市に会いに行っている。裁判所の手続きで取り決めもある。母親はもちろんだけど、その再婚相手ももともとぼくの友人だ。それが12年前にぼくに黙って母親と娘を呼び寄せて、その後裁判になったので、後ろめたさもあるのか、向こうのほうから進んで連絡をしてくることはほぼない。子どもたちはいっしょに2年暮らした上のお姉ちゃんも含めて取り決めがある。母親と再婚相手は何かにつけて理由を付けて会わせなかったことがあり、約束の不履行には裁判で被害を償ってもらったこともある。
そんなわけで、向こうはぼくが言わない限り約束を守り、娘も父親を慕う心を周囲に否定されながらぼくに顔を見せる。いろいろと悪態をついたり無礼な態度をわざととったりするけれど、待ち合わせ場所の駅前に顔を見せには来る。千葉はコロナの感染者が初期の段階で出た地域だ。母親からの連絡は期待できないだけに、のこのこ出かけて元気かどうかを確かめる。自分が東京に出かけること自体、周囲には言いにくい雰囲気がある。そうはいっても、親がこそこそにしか会いに来られないと子どもが知れば、子どもの心を傷つける。
松川から乗ったバスには7~8人の乗客しかいない。毎月第2日曜日が娘と過ごす日だ。4月に乗ったときは、4月7日の緊急事態宣言の直後で、ぼくのほかにはもう一人しか乗客がいなかったから、これでも増えている。家族連れと何人かが立川で降り、新宿で降りたのは3人だった。
新宿では月に一度のぼくの上京に合わせて毎月開かれる、別居親たちの交流会を開催した。こういうときこそ困っている人はいるので場を持った。いつもの会場は借りられなくなっていて、有料の貸し会議室はおんぼろアパートの4階でエレベーターもなかった。だけど室内は小ぎれいで窓は開け放たれていた。
この日集まったのは6人。みんなマスクをしている。コロナを理由に引き離された話は、引き離され業界の最近の流行りだ。新型コロナの自宅待機を国が呼びかけ、子どもと会えなくなった親たちが増えていて、アンケートをとったりするとそれがニュースになった。オンラインでの子どもとの交流が提案されたりするけど、コロナをきっかけに子どもを引き離す親は、もともと会わせなくてもいいと思っている。そんなわけで、引き離された側がオンラインでの子どもとの面談を求めたところで実現しない。感染者数が少ない県に住む子どもに会いに行こうとすると、感染者数の多い地域から来た人と接触すると、教育機関から子どもが自宅待機を命じられるという。そんな対応を前に親たちは迷っていた。親が教育機関に子どもを預けるのだから、だったら教育機関が子どもの教育を保障するために知恵を絞るべきなのだ。やっていることは逆だった。
東京にいたときから続けている障害者介助の仕事も一日だけさせてもらっている。介助の世界でも感染の防止というのはテーマになっている。介助先のAさんがヘルパー向けの動画を事業所といっしょに作って登場していた。手を洗おうとかいう呼びかけは予想がつくけど、ご飯はいっしょに食べずに時間をずらして食べろというのも呼びかけられていた。そんなわけでAさんにご飯を用意して待っていると、「そっちの机で食べればいいんだ」と台所のテーブルを示された。「いっしょにご飯食べて感染するんなら、もううつってるんじゃないですか」と突っ込んではみたけど、議論するのも虚しさを感じる。
Aさんには東京の様子をいろいろと聞かされた。国立の感染者数は6人と公表されているそうだ。どこの誰かはわからない。Aさんについて買い物に出ると、大通りの大学通りの店舗は大部分が営業していた。新宿辺りの店は閉まっているのに、国立では人通りもそこそこある。
「国立のほうが立川より規制が緩い。公園も使えて図書館もしばらくはしていた。立川の人はものすごいスピードで車を走らせ市内に入る。それで日ごろ見かけない人がいるから出ていけと喧嘩になる。図書館はバイトだけにカウンター業務をやらせていて、指摘されて改善した」
殺伐としたいがみ合いとむき出しの差別感情が表に出てきている。テレビを見ると、営業店舗に「自粛しろ」と張り紙を出す「自粛警察」が紹介されていた。そういえば数日前に取材で訪問した南木曾では、観光関係の方にお話を聞いた後、登山者姿でゴーストタウンとなった妻籠宿を歩いていると、地元のおじいさんが待ち構えていた。
「マスクをしてください。それから入村はお控えください。17日からはいいですから」
日本語に直すと「お前たちは出ていけ。汚いから」になる。それを自宅待機を守らない人から言われるのは気分が悪い。少なくとも、17日になったところで二度と来たいとは思わない。
長野県では、恐怖感情を背景に閉鎖体質が表面化している。新聞を見ると、県外ナンバーの車は注意を受けるので、車に「地元の住民です」という表示を作って掲げる取り組みが美談として新聞記事になっていた。感染者に出ていけという村の話を聞いたりもする。登山口には自粛の呼びかけとともに、「救助隊が感染症の予防のために救助が遅れる可能性がある」との長野県の標示が張り出された。救急車の利用は同じ理由で自粛を呼びかけないのが、遭難者に限って見殺し宣言の掲示をして恥じないのが「世界級のリゾート 山の信州」の正体だ。国境稜線で足を踏み外すなら他県に落ちたほうがいい。
どこかで体験したことだと頭をめぐらせると、中学校の校則がこんなだったなと思い出す。規制にまともな理由は感じられないけど、違反は連帯責任を負わされたりするので、風紀委員が目を光らせる。規則は暴動(校内暴力)が起きない程度であれば、理不尽であればあるほど支配者にとって都合がいい。
考えてもみれば、感染者に「出ていけ」と言えば、自分が感染しても周囲には言えない。そうすれば対応は後手になり感染は広がる。そもそも「封じ込め」が緊急事態宣言だけでできるとも思えない。クルーズ船内で感染者が培養された範囲が今は東京都にクルーズ船がなっているだけだ。規制を緩めれば他県に広がる。そのころ東京都の感染が鎮火されていれば、毛嫌いされるのは今度は長野県民だ。
こういう時期にわざわざ出かける人は理由がある。遊びや仕事かもしれないけれど、遊びが不要不急で仕事が必要など誰が決める。遊ぶために仕事をする人は死ねと言われているのと同じだ。
コロナで経済活動が停滞する中、大気汚染が改善し、オゾン層が急速に回復しているという。「地球のためには人間はいなくなったほうがいい」とぼくも思うけど、それは事実だったらしい。戦争や環境破壊の旗をふってきた連中が言う「命を大切に」という呼びかけのもとになされる政策を、まとも聞いて命を粗末にしてはいないか。少なくとも感染したところで「お前が悪い」と行政や周囲が言うならば、リスクがたとえあっても「それはお互い様」の関係を維持するほうがまだましだ。なぜならぼくも「命が惜しい」から。
(越路16号 2020年5月12日)