2024年10月、東京新聞の日曜版「人生のページ」で「民法改正で解消なるか 親子の面会交流」の記事が出た。年が明けると東京新聞は弁護士の太田啓子に、ぼくの書いたコラムの内容を真っ向否定する記事を同コラムで書かせている。その後東京新聞(中日新聞)には事実関係について確認し、経緯を明らかにする質問を送ったもののまともな回答は来なかったため、原稿料を大島宇一郎社長宛に返却した。
「日本で司法に訴えても面会交流の約束を取り付けられるのは5割」?
ところでぼくは東京新聞に苦情が来るだろうなということは想定していたけど、東京新聞の取材力がこの程度まで低いということはちょっと予想外だった。東京新聞内にも共同親権に賛成の立場で記事を書いていた記者は過去複数いたので、ここまで初歩的な質問が社名で寄せられるとは思いもせずに呆れたところはある。
なかでも最初から最後までぼくとAさんが対応に追われたのが、ぼくが書いた「日本で司法に訴えても面会交流の約束を取り付けられるのは5割」という記載についてだ。
これはその年の面会交流の調停・審判の決定・合意成立の件数を新規申し立て件数で割った数字で、目安になる数字で過去別の弁護士も論文で用いている。データをいちいち司法統計から拾い出す必要があるけど、ぼくは経年経過がわかるので毎年その作業をしており、その割合がほぼ5割程度で変化がないという点について触れたにすぎない。
ところが国会では憲法学者の木村草太が、却下されるのはわずか1.7%と公言して、だから司法に訴えて会えない親は相当問題がある、つまり家庭内暴力の加害者ということの根拠にしている。
東京新聞に寄せられた質問もこの点について根拠を述べよと言ったようで、次回でこの件について書くようにとしつこく言われた。この点についてぼくは自分のサイトに記事を書いて根拠を説明し(木村草太「面会交流事件のうち却下されるのは1.7%」のインチキhttps://munakatami.com/column/kimuraintiki/)、合わせて木村のデータの操作による両者の数字の差を説明した。
この部分は共同親権反対のキャンペーンの中で東京新聞や他のメディアでも、度々岡村や木村等々、識者コメントとして引用して子どもに会えない親を悪者にする根拠に挙げてきた。この捏造キャンペーンでメディアは被害者を加害者のクレーマーに変えてきた。だからこの点についての反論をぼくができないわけもない。
ぼくの記事への東京新聞への意見は、賛成が反対を凌駕したようだ。記事は後編に至り記事内で根拠を示すということも結局なかった。
その間「子を奪われた」等々のぼくの記載に細かい注文が入り、東京新聞がいかに反対派を恐れているかがよくわかった。原稿は社長も目を通したという。
社内には掲載させないという意見もあったから、記事が出たこと自体は勝利だったのだろう。
「誤解だらけの共同親権」岡村晴美から太田啓子へ
その後、2月2日と9日に弁護士の太田啓子の記事が出たのは述べた通りだ。
この「誤解だらけの共同親権」という記事の1回目で太田は、「面会調停・審判の運用において、家裁はよほどのことがなければ別居親と子の何らかの交流を命じている。認められないこともあるがその理由は個々の事案次第で、虐待DVが背景にあることもある」とあっさり書いている。ぼくは愕然とした。
いったい自分が頼んだ原稿依頼者にその根拠を散々立証させ、その後その立証内容を別の外部の人間に書かせて否定させる、などという暴力行為をする新聞社があるだろうか。しかも「人生のページ」と言いつつ、太田啓子は自分の人生について一言も語っていない。政治的な意図だけで書かれた記事であることは明らかだった。
ぼくのコラムでは娘のことも触れざるを得なかったけど、太田は何の危険も冒さずぼくの家族関係を結果として愚弄する。子の親として素直に悔しかった。
Aさんに電話すると、「私には太田の原稿が載ることも含め何の連絡もない」と蚊帳の外だったと弁明している。この時点で愛知の弁護士からの苦情が入ったことをAさんは明らかにしており、岡村晴美の名前を出しても否定はしなかった。
岡村はすでに2024年のぼくへの原稿依頼から記事掲載に至るまでの8月にインタビュー記事が出ており、共同親権反対の同志弁護士の太田が、今回ぼくの原稿を否定する役回りになったということだろう。実際岡村はこの記事を大喜びでXで宣伝している。
「チッソの廃液に水銀は含まれていない」と同じ
しょうがないので、手続きをとった。
東京新聞にこの記事掲載に至る経過を明らかにするように質問を送り(https://munakatami.com/blog/chunichi/)、冒頭の回答が2週間という十分な回答期間の最終日に「中日新聞編集局読者センター」からあった。原稿料を払った相手にする態度とは思えなかった。
その後、ぼくは抗議文を「読者センター」宛に送り、先の司法で子どもに会えるかどうかの点について、こう説明した。
「これについては、民法改正の議論において子と引き離されたか否かの立法事実にかかわり、中日新聞は司法に行けば会える、との無責任な識者のコメントをこの間垂れ流し、私どもの国賠訴訟の会も質問したことがあります。しかし、中日新聞は事実の指摘に対し、頑なに司法に行けば会える、との主張を垂れ流し続けました。
昔水俣病患者たちは、チッソの廃液に水銀は含まれていないとの風評に悩まされ、街を発展させたチッソを批判するのか、と孤立させられました。その間多くの被害者が出続けました。中日新聞が共同親権反対でなしたキャンペーンは、それらと同様の行為です。」
この場合ぼくの原稿料は東京新聞がした口封じ行為を容認する賄賂ということになる。原稿料の額はぼくが費やした労力で到底賄えないレベルのものだ。
受け取れるわけもなく受け取る価値もないので、社長宛に現金書留で郵送した。後日東京新聞編集局庶務部長の石井敬名義で手書きの手紙と受領証が郵送されてきた。
「お粗末」とはこのためにある言葉だろう。