「私たちみたいな根付の魚がコツコツやってるところを、宗像さんみたいな回遊魚がやってきてかっさらっていく」
ニホンオオカミの取材をしていたとき、そんなことを言われたことがある。ぼくのようにとにかくニホンオオカミということであれば片っ端から当たって、全体像を組み立ててみたいという願望は、自分の興味関心で一つのテーマで深堀りしている人にとってみれば何か得になるようなものを感じられない、というそれはそれとなくの不満をぶつけられた出来事だった。ぼくもそう思う。
「ぼくがよそで見てきて得た知見や情報は、それを必要としている人に提供します、それがぼくの仕事だと思っています」
そんな返事をしたのは10年以上前のことだと思う。それからその人も自分が知っていることを教えてくれるようになった。
もともと自分が調べたことを理解できる人に話してどんな反応があるのか見てみたい、という欲求も人にはある。それ以来、ぼくは自分が知ったことで必要としている人が思い浮かべば資料も付けてなるべく共有するようにしている。
記事や本を書いて売れたらいいなと思うことはもちろんある。だけどその自分の仕事で喜んでくれる人がいたら売れることよりもっとうれしいことだと今でも思う。
10年近く前に、リニア新幹線と南アルプスの自然破壊について、単行本を出そうとして取材を進めたことがあった。あちこちしらみつぶしに南アルプスの周りを回ったのに、編集者と折り合いがつかなくて結局お蔵入りした。時間を使って話を聞かせてくれた人にとっては、何の得もなくて、不義理なことをしたと思っている。
10年後、同様の企画をもう一度進めることになった。再度南アルプス周辺の取材をすることにした。機が熟したのだと思う。山梨県側で工事の差し止め訴訟をしているグループの控訴審裁判が東京であった。手はじめに傍聴に行って院内報告集会にも参加した。
代理人は梶山正三さんで、甲斐駒ヶ岳の麓に事務所を置く方だった。控訴審では原告の意見陳述とともに代理人がスライドで主張を尽くす時間があり、梶山さんは滔々と一人でリニア新幹線の問題点をしゃべっていた。その中に冬の伝付峠の写真が出てきた。
「これは私が30年前に行って撮ってきたものです」
「おっ」と思った。梶山さんは研究機関出身の工学博士で、それが弁護士として説明している上に、自分で実際に現地に行っているのだから説得力がある。ぼくは霞が関から新宿まで地下鉄で梶山さんといっしょだった。南アルプスのことをよく知っている人で、ぼくたちが昨年踏査した蛇抜沢も一人で登ったという。東京まで出てきていい人に出会った。
翌週には山梨県のリニア建設現地を、そのさらに翌週には長野県側の現場を見て歩いた。
山梨県側は民地での工事はあまり進んでおらず、河川や駅周辺などの公地とJRの敷地での工事が進んでいるほかは、山岳トンネルの掘削が続いている。長野県側は、飯田市の長野県駅周辺から天竜川にかけての用地買収が進み、喬木村側にも橋脚が現れている。山岳地域のトンネルも進んでいる。
10年前の取材と違うことは、山岳トンネル以外の場所での工事に手がついたということと、JR東海が昨年2024年の3月に2027年開業予定を断念し、開業予定を2034年「以降」としたことだ。事実上完成が見通せなくなった。民間事業としては通常はこの時点で失敗だ。だけど、国策民営の事業に国から3兆円の公的資金を投入したため、JRもリニアの旗を振ってきた国も自治体も、今さら失敗の責めを負う気がなく、結局建設現地で住民に犠牲を強いる。岐阜県瑞浪市では、トンネル掘削による地下水漏出による地盤沈下にJRは打つ手がない。それでもやめるという選択肢は行政にはない。大都市圏のトンネル掘削率は10年経っても1割にも満たないというのにだ。
先の裁判では、JRは原告側の主張に何も反論しない。何も言わなくても司法は勝たせてくれるとJRは高を括っている。そして法廷では山梨県のリニア実験線で、路線から100m以上の距離にある民家の住人が、騒音・振動・低周波音の被害で移転を余儀なくされていることが明らかにされている。
2013年に42.8㎞への延長工事で、時速500㎞で3分間の走行実験が可能になった。そうすると震度1~2程度の振動で家が揺れるようになる。現在は5両編成で38本の運行がされている。500㎞の区間は路線の一部で、これが全線営業になれば16両編成で往復360本になる。路線の両側150m程度の幅は事実上人が住めなくなるのではないか。実験線の移転補償についても地元報道で今年になってから明らかになっているので、高裁で原告側があらためて主張することにした。
以前は自治会全体で説明会を拒否していた山梨県内の地域も、JRの買収工作に切り崩されている。司法で何も取れなかったらどうするのか、という不安が原告から漏れる。
「昨年JRが2027年開業予定の断念を表明した時点で、ぼくたちはこの事業がどんな根拠で、本当にできるのか、今度はJRや行政に問いかける側になったと思います。彼らはそれを説明する側になりました」
ぼくは院内集会で取材者の立場を離れ「住民枠」で発言している。それは他の仲間のジャーナリストとは違ってぼくだからできることではある。
山梨県と長野県を回った。順調とは言えないまでも各地で着々と進む工事の様子は、それが甲斐のある建設工事ではなく、ただの環境破壊や生活破壊であるだけに、今までの工事が以前より進んだという以上に、やり場のない気持ちがこみあげてきた。涙が出たり焦ったり怒ったり、ただただ落ち着かない気持ちにさせられた。
それでもこういった理不尽に何かを言わないではいられない人が各地に点在していて、ぼくが「大鹿村から来ました」と言いながら村の様子を知らせると、向こうも現地の様子を同じくやり場のない感情を表に出しつつも話してくれた。
山梨県早川町で、大量に出た残土の処理にJRも自治体も手を焼き、川の上流の土手沿いに積み上げていた。写真をとっていると、職員がやってきて「何撮ってんだ」とくってかかってきた。黙っていると「公共事業だぞ」という。「公共事業なら隠すことないでしょう」とさすがにそれは言い返す。
麓の旅館で見てきた置き場のことを話すと、宿のおかみさんが「たいした説明もなくあちこちに置いて。名目が必要だというので、避難路を作るという。あんなところにそんなもの・・・」と問わず語りに話していた。
それはこの国の為政者たちの本音と、それに向き合う住民の心情を物語る些細ではあってもぼくには見過ごすことのできない一コマだった。
(「越路」45、たらたらと読み切り185)