牧野佐千子さん(ジャーナリスト)に聞く
フリーランスのジャーナリストの牧野佐千子さんと、牧野さんの記事を配信したプレジデント社に対し、東京地裁(衣斐瑞穂裁判長、川口藍裁判官、東郷将也裁判官)は3月17日、名誉棄損とプライバシー侵害を理由に、合計110万円の損害賠償とオンライン記事の削除を命じた。
記事はフランス人のヴィンセント・フィショ氏が2018年、日本人妻(当時)によって3歳の息子と11カ月の娘を、同意なく引き離された行為を「実子誘拐」として問題提起したものだ。日本では慣例的になされていた「子連れ別居」が、海外では刑事罰とされるその認識のギャップそのものが論点だ。
プライバシー侵害を訴えた原告が弁護士と記者会見
牧野さんはぼくのライター仲間である。
共同親権や実子誘拐といった、これまで知られていなかった概念を日本社会に事例とともに解説し記事化してきた。このテーマがメディアの中でどのようにキャンセルされてきたか、牧野さんと集会で対談したこともある。ハキハキとした物言いをして、論争になると譲らないところもあり、意見の違いはあっても、お互い「やるな」と認めていたと思う。
とはいっても、昨年5月に共同親権を婚姻外に「導入」する改正民法案が成立し、共同親権反対の意見が大きくなっても、ぼくのほうは立法不作為で国を訴える国家賠償請求訴訟の原告で、プレイヤーに専念していたためか、牧野さんのように裁判手続きを使って刺されることはなかった。
ところで、ここでぼくは慎重を期して、特定そのものが裁判の争点となった日本人妻の名前を伏せているが、バカバカしい思いがある。妻とその弁護団は、提訴するにあたり、2022年12月14日に、日本外国特派員協会で記者会見をしており、ここに彼女も登場しているからだ。
彼女とその弁護団は、牧野さんたち以外にもフィッショ夫妻について扱った、3件の名誉棄損やプライバシー侵害の裁判を起こしており、1件は敗訴している。
当時はコロナ禍の最中であり、マスク着用が当たり前だったとはいえ、彼女の知り合いならそれが誰かわかっただろう。しかし妻側の訴えは、ヴィンセント氏の名前を記事化すれば、夫婦のことを知っている人は妻の側を特定してしまうことになり、それがプライバシー侵害の理由の一つにされている。なんだそれ。
共同親権反対の弁護士たちが妻側弁護団に
牧野さんを訴えたのは、民法改正時の国会審議の公聴会でも呼ばれた、弁護士の岡村晴美にフェミニスト弁護士として名の通った太田啓子、日弁連両性の平等に関する委員会の事務局長の斉藤秀樹、それにヘイトスピーチ規制に賛成し、名誉棄損法の濫用=いわゆるスラップ訴訟に反対する意見を表明してきた弁護士の神原元、復代理人の水野遼である。いずれも共同親権に反対している。
ところで、ヴィンセント氏について記事化したネットメディアのSAKISIRUは、同様の弁護団で訴えられ、それを口封じや嫌がらせのためにするスラップ訴訟であるとアピールしてきた。自分の側の名誉棄損事件についてはスラップではなく、他人がする名誉棄損事件はスラップとして反発するのか。
直接神原弁護士にファックスで取材依頼をすると、電話口で「判決を見ていただければわかる」という。見てもわかんないから電話してんだけど。
プライバシー侵害?
ここでぼくもヴィンセント氏の名前を出していて、その元妻(2人はその後離婚が成立している)から、互いの知人に身元がバレると訴えられるかもしれない(実名が掲載されているネット記事は見られる)。しかしそうなったらそれが口封じ目的のスラップ訴訟の証明だと思ってほしい。
というのも、プライバシー侵害というならば、その流出元のヴィンセント氏本人を訴えなければ、元を絶てないからだ。記事はその本人の証言や本人提供の物証をもとに書かれているのだ。言いがかりにしか思えなかった。
どちらが被害者か?
そもそも父親側が実子誘拐という海外では違法な行為の被害を訴えており、母親側はそれらは日本では問題ではなく、夫側は個人的な問題を騒ぎ立て、私こそが被害者だという。「被害者タイトル争奪戦」において、勝者を決めるのは何を「アウト・ロー」とするかの社会認識である。その上、日本の場合は「離婚の被害者はそもそも女性」という固定観念は強い。
そして、子どもと会えていないのは、会えない側に問題があるからだ、という通説に挑戦したのが牧野さんである。
この記事で牧野さんは離婚後に親権をどちらか一方に決める、日本の単独親権制度の問題点にも言及している。しかしその後2024年5月には婚姻外の共同親権も可能となる改正民法が成立し、社会認識の転換に向けて議論が巻き起こる中での、この裁判である。そこにいったい口封じの意図がなかったと言えるだろうか。
「モチベーションなくなりますよね」
本訴訟では牧野さんがヴィンセント氏から提供された動画を見て書いた、妻が車のトランクに子どもを入れて誘拐した、という記事の内容が名誉棄損を構成する部分となっている。次回記事ではこの点について考えてみたい。
ぼくは3月17日の判決後の4月5日につくばに牧野さんを訪ねてインタビューしている。
友人が自衛隊官舎にイラク派兵反対のチラシを配って逮捕され、その救援活動を本にしたのがぼくの作家活動のスタートである。既存の体制に異議を唱える表現行為がどれほど身の危険を脅かす場合があるかというのを、その過程を通じてつぶさに見てきた。その後もそれらをテーマにした記事を時々書いてきた。スラップ訴訟を提起されたこともある。
「書き物の仕事、モチベーションなくなりますよね」
一審敗訴による牧野さんの落胆が大きかったのは明らかだ。ぼくの問いかけにしばしば無言になりながら、たどたどしく言葉を絞り出している。
「狙い通りやられた。悔しい」
プレジデント社が一審で矛を収める中、牧野さんは手弁当の弁護士の励ましもあって控訴した。牧野さんも一審で最初はやめようと思っていたようだ。「110万なんて払えるの」と聞くと首を振る。
名もない一人ひとりの表現活動の自由を保障するのは、金をもらって表現活動させてもらっている文屋のぼくたちの職責の一つでもあると思う。引き続き本裁判を追う中で、親権問題における表現活動の現在について考えてみたい。