問題は、共同養育の資質じゃなくて、単独養育の押しつけ

最近の「共同養育」の主張は「単独監護+面会交流」?

 共同養育支援法の議論のころから、「共同親権よりも共同養育が大事」と言った主張が見られるようになって、あたかも共同親権と共同養育が対立しているかのように語られることがある。現在「共同養育」という言葉を使うときには、双方の親が養育にかかわっていること、というあいまいな定義で用いられることが少なくない。これだと1か月に1度2時間の面会交流でも「共同養育」になる。

 養育を「子育て」という意味で用いるなら、一概に否定できないので難しい。ただし、月に1度2時間が「子育て」と呼べるかという疑問はある。棚瀬一代さんなんかは、「別れた後の共同子育て」という言葉を用いて、法的な概念に人的な関係という情緒的な意味を用いていたのだと思う。

子どもの権利条約9条には、「父母の一方又は双方から分離されている児童が定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持する権利を尊重する。」という規定があり、「直接の接触」という以外に「人的な関係」という言葉が権利とされている。ややこしいので、従来の法的な概念の「監護」をここで用いてみる。「監護」は身の回りの世話という程度の味も素っ気もない概念だとされてきた。

 ところで、共同親権・共同監護という言葉を用いた場合、父母が養育時間をほぼ同等に分担することを指していたはずだ。年100日以上の面会交流は「単独監護と面会交流権」と通常は呼び、これが不満でアメリカでは共同監護を求める運動と立法が広がっていった。

 だから「共同養育支援法案」が年100日程度の面会交流を想定していたとすると、そもそも「看板に偽りあり」疑惑が濃厚だ。それすらも基準としてなく、月1回程度の時間を想定していたとすると、そもそもそんな法律作っても実効性ない。そういった点についてまったく説明なく、法案を部外秘にして作ろうとしたのがこの法案の失敗の根本要因だ。

共同監護は均等な養育の分担が基本

以前、北九州大の濱野健さんが、「各国の共同養育(shared parenting)に対する割合」を調べてくれたことがあり、それを見ると、イギリスは50/50(2011)、スウェーデン50/50(2009)、オーストラリアは「均等ではなくとも、十分な時間」とされて、35~65%と幅広い(2009)。アメリカの場合、「共同親権、2つの居住地、養育時間の分担などにより定義され」、完全に半々になっているのはまれで、30/70などとなっていることがあるという。

以前の青木聡氏の話では、アメリカでは最近は、年間100日以上という場合、隔週の3泊4日と平日の食事、それに長期休暇中の滞在が養育プランとして標準的という。それとは別に交代居住のような均等な養育時間かそれに近い割合での養育を「共同養育(監護)」と呼ぶという説明をしていたと思う。実質的な平等か、十分な時間か、というのは常に父親の権利運動、フェミニズムの双方の運動の争点であっただろう。

 しかし、いずれにしても、均等な割合かそれに近い時間で養育を分け合えば、居所も含めて親どうしであらかじめ権限の所在(共同か単独か)や決定方法を決めておかなければうまくいきそうにない。だから、「共同親権より共同養育が大事」という説明や、単独親権前提に共同養育支援法を議論することには、現状の性役割に基づいた単独養育の温存を狙う(意図的にせよそうでないにせよ)意図を感じてしまう。

問題は「ひとり子育て」の強制

 以前、週刊金曜日が、「問題のある別居親のための法律は必要ない」と親子断絶防止法(共同養育支援法)の反対キャンペーンを行っていた。最近も「共同養育できる親の資質」という記事が作られていたりする。

こういった記事の問題点は、「問題がある」とか「資質」とかが問われるのが別居親限定なところだ。共同養育が均等な養育のことであれば、同居親の側も「問題がある」とか「資質」とかが問われないとならないはずだ。「問題のあるシングルマザーのための養育費履行確保の法律は必要ない」とかいう記事を書いたら、雑誌は載せてくれるかな。

 立法活動をしている親を見て、法律によって相手に面会をさせようとする主張に、自分の問題に向き合えていないと嫌悪感を持つ人はいる。だけどこれは、法律によって相手に養育費を払わせようとする主張と同列で、何も別居親だけが問題ではない。

しかし、均等な養育の分担(実質平等)が目標とされるならば、問題はどちらかの「資質」に問題があることだけでなく、むしろ互いの関係になるだろう。したがってそれが可能な仕組みと関係構築の支援がその場合求められる。単にFPICに金を出せば「共同養育支援」ができるという単純な話ではない。

 そして、問題は、FPICに金を出せば「共同養育支援」になるという発想を疑問に思わせない法の仕組みで、それは単独養育を強制する単独親権制度にほかならない。「共同子育てができる共同親権」と以前は言っていたけど、むしろ「単独監護しか許さない単独親権」が、片親疎外や「ひとり親」の貧困の最大の要因だ。そのための単独親権制度の廃止は「言葉が強い」どころか、ごくごく当たり前の主張になる。(2021.1.26)