「自粛の要請」という自己責任論

「自粛の要請」という言葉が世間にあふれている。「自粛」というのは、本来であれば可能なことを自身の判断で差し控えることだ。やることによるリスクとやらないことによるリスクを天秤にかけ、一つの決断をするそれは冒険だ。したがって、他人から要請される類のものではない。

自粛を要請されて思い出すのは、国立市の公民館が印刷機の利用について枚数制限をかけたときのことだ。印刷機利用で作っていたミニコミは発行が難しくなった。制限の理由はこのままでは消耗品費が足りなくなるからという「行政の都合」だった。含意は、(事実上禁じておきながら)従わないなら結果は自分で引き受けろ、という「自己責任論」だ。他に選択肢があるかもという疑問はそこで封じられる。

学生時分は仲間がよく山で死んだが、葬儀のときに山に行く奴を批判するのは野暮だった。流行り病で死ぬのは怖い。しかし何が怖いって、冒険すること、知恵を出し合って難局を乗り切ることの権利を大政奉還することだ。憲法が受けている挑戦を、そうぼくは理解している。

(「反改憲」運動通信No.11 2020.4.30)