ナルヒトが山を歩くと・・・「山とナルヒト」最終回

 編集部に連載の反響を聞くと「もっと辛口でいいんじゃないか。山に来るな、とか言ってもいいんじゃないか」という感想があるそうだ。ぼくもそう思うけど、それだと連載は続かない、ので、今回で最終回にしようと思う。

 東京在住の徳仁は中部山岳を中心に、あちこちの山に登っているのでぼくもそのうちのいくつかを登ったことがある。だいたいのところ、そういう山は道も設備もよくなっている(山小屋に水洗トイレや風呂ができるという)と思うのだけど、以前も書いたように、訪問前を見てないからよくわからない。彼が来たというのがよくわかるのは、記念碑が立っていることだ。八ヶ岳の硫黄岳山荘や南アルプスの二軒小屋に登山記念の碑があるのを見たことがある。

そんなにめでたいことなのか。地元大鹿村の場合、以前は荒川岳の稜線の荒川小屋を所有していて、1986年に徳仁が来たときには、当時の小屋番のおじさんが接待をしていっしょにお酒を飲んだ。「おじさん、そんなに飲んで大丈夫ですか」と徳仁が声をかけたのを「への河童です」と答えたエピソードが「美談」として残っている。

このときは静岡からヘリで特設トイレを運びあげたというほど、とにかく地元自治体は準備に大騒ぎになり、新聞記者も追っかけて山に登って記事を書かないとならない。ぼくの山の知り合いの某県の山岳警備隊の警察官は、皇室が来るたびに警備に動員され「ほんとうに迷惑」と言っていたことがある。ちなみに、徳仁の登山記事はだいたい見出しが「浩宮さま〇〇を満喫」(〇〇に山の名前が入る)というパターンが多い。

 徳仁登山について、周囲が残した記事や感想を見ると、「健脚」とともに「一般登山者と気軽に挨拶を交わす」「ほかの人と同じトイレを使うと言った」など、「気さくな人柄」やエピソードが残っているものが多い。だけどよく読むと、富士山登山では「周囲は制服こそきてはいないが護衛官や機動隊員ばかり」とあったり、イギリスのベンネビス登山の情報を入手するにおいて「英国の護衛官の功績も大きい」と本人がさらりと書いていたり、当たり前だが、本人も周囲も特別扱いを「当たり前」に捉えていたことがよくわかる。「隔てられている」が故の気軽さの価値(故にありがたい)が、徳仁が山に登ることによって高まるという構造になっている。

思うに、こういう登山だと準備も時間がかかるので、思いついてすぐ出かけるなんてことはできようもない。すでにその時点で不自由な登山になっていて、自由さが登山の一つの魅力であるとするなら、多いにその魅力を削いでいる。しかし、それをありがたがる登山者を増やすという面で、効果は絶大だ。それは本人の意思や人柄とは関係なく、特別扱いのための舞台装置(大勢の随行・護衛、過剰な設備、記録の賛美等々)によって、登山の価値も、自然の姿をも改変していく。というわけで、そういった存在は山にはいらない。

(「府中萬歩記」80号、2020.10.29)