立憲民主党の親権政策がチルドレンラストなわけ

民法改正法案委員会審議入り

 この記事を書いている3月27日に衆議院法務委員会で「共同親権の導入」に関する民法の一部改正案の政府による趣旨説明が行われ、審議入りした。共同通信はDV、虐待をどう防げるかが焦点と早速議論を誘導している。あたかも単独親権制度がDV、虐待に貢献してきたかのような書きぶりだが、この間、一貫してDV、虐待の認知件数は増加し続けている。

 与党がこの法案を通すという方針を決めて通常国会序盤で法案提出してきたので、野党の対応が注目され、この間、「ちゃんと共同親権」では、銘々野党議員に働きかけをしてきた。立憲民主党や共産党、れいわ新選組の議員には、共同親権に反対する議員が多いので、ぼくは親切でそれら議員事務所を訪問している(といっても1人でやっているので人数的にはたいしたことない)。門前払いが多い。

立憲民主党は単独親権擁護

 3月24日には、長野県の地元の国会議員の杉尾秀哉氏さんのオンラインミーティングが共同親権について取り上げ、立憲民主党の法務担当の米山隆一さんがゲストとして招かれるという形で、党の政策が示された。

 米山氏の説明によれば、まず、面会交流・養育費と共同親権の議論は関係ない。婚姻中は共同親権で問題ない。離婚後においては、協力できる父母は共同親権でいいけど、合意できなければ単独親権。親権者変更で親権のない親が共同親権を持つと困るので、要件を厳しくするような修正か付帯決議を付ける、というのが大方の方針のようだ。その後の立憲議員との面談でもおおむねこの方針は共通政策とされていることがわかる。DV支配の継続を防ぐというのがその理由とされていて、「そうすれば単独親権と変わらない」と支持者と議員の間で言い合っていたのが印象に残る。

 改正法案では単独親権にしたいほうが立証義務を課されるのが危惧されるという。家裁は職権探知で証拠調べなんかまじめにしない。ただ1947年に施行された、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚する応急的措置を講ずることを目的とする、「日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律」は婚姻内外問わず共同親権とされ、すべての子どもに親の保護を可能とすることが目指された。歴史的経過から言えばむしろ歓迎してもよさそうだ。

とにかく不勉強

 ところが米山氏は「 婚姻中は共同親権で問題ない」という。相当ずっこけた。この人は、各国で共同親権へと転換した家族法制が、婚姻と親権制度を分離することを最終的な着地点としてきたことを何も知らない(知ってて言ってるとしたら悪質なのだけど会話中にその素振りは感じられなかった)。

 また面会交流・養育費と親権議論を分離するというのは、おそらく親権議論を決定権の問題に切り縮めるのが目的だ。改正法案は、養育費の徴収強化については立法化した。しかし面会交流についてはこれまで通り(か気休め程度の努力規定)。立憲民主党が面会交流の実現についての立法化の見送りに異議を唱えたとは聞いていない。「会わせたくないけど金はほしい」と言っているだけだ。

 杉尾氏のオンラインミーティングでは、別居親がDVについては刑事で取り組むべきことと主張した。そうすると一斉に不満の声が参加者から湧きあがった。助け船を出そうかとも考えたけど、途中で米山氏、杉尾氏の知識不足に呆れ気味だったので、悪いけどしゃべる気力がなくなっていた。政策的に言えば、取り決めの不在が争いの継続を生むので、養育計画の策定を義務付けることが一助となる(「会わせたくないけど金はほしい」人はこれは避けたい)。

思考放棄と無責任

 現在のDV施策は自力救済という逃亡支援という民事対応だ。なので子連れでうまく逃げられなかった人は男も女も見捨てられる。

 米山氏は弁護士でもあったので、継続性の原則がおかしい、というぐらいの知識と自覚はあった。だけど、親権がほしかったら子どもと離れないように言わないと、クライアントから訴えられる、と「連れ去り」と呼ぶことは否定した。ここに親権を失った側への同情や、親と引き離された子どもの境遇への想像力は感じられない。「大した問題ではない」と思っているのだろう。

 継続性の原則がおかしくて、だけど「連れ去り」とは呼ばないでほしい、というなら、「先にとったもの勝ちとならないような制度設計はいかなるものか」という問いに答えるのが政治家の役割となるはずだ。その答えが「単独親権制度の維持」なので、もはや思考放棄と無責任の合体技だとしか思えなかった。婚姻中の単独親権も主張すべきだ。海外の施策を少しでも調べればこんな結論にはなりようがない。

婚外子差別とチルドレンラスト

 ところで今回の民法改正法案は、未婚や出生前の離婚においては母親親権メインが残り、離婚後の共同親権の導入を自己目的化して法が改変された分だけ婚外子差別を強化している。この点、立憲民主党の議員に陳情する場合のポイントとして強調してきた。米山氏の「婚姻中は共同親権で問題ない」は、逆に言えば「婚姻外の父母は問題ある」と言っているようなもので、共同親権訴訟で司法が言い放った、婚姻外の「差別的取り扱いは合理的」そのままで、司法と同様の差別思考だ。

 そもそも婚姻の有無や親の不仲といった親の関係によって、親と会えたり会えなかったり、子どもから見たら理不尽そのもので、このこと自体が婚外子差別であるとともに、子どもに序列をつけている。法案が成立すれば、離婚後の「共同親権の導入」が現実となり、実際に共同親権での離婚が増え、父母間を行き来する子どもも増えることが予想される。そうすると、父母の不仲で片親との接触を禁じられた子どもは、境遇の差に理由を求めるだろう。

 もし聞かれたら、「政治家たちはそのことを考えようとはしなかったんだよ。特に立憲民主党という政党の仕打ちはあなたに冷たかったよね」と説明しようと、今から思っている。(2024.3.28)