今SNS上では、虚偽DV、でっち上げDVと言わないようにしよう、という議論があるというのを人から聞いた。そういう議論は昔からあって、ぼくも「DV冤罪」とか言わないほうがいいんじゃないのと言ったことはある。ただ、当たり前だけど、離婚家庭支援をしていて、この問題は相当の害悪なのは明らかだ。
冤罪というのは、やってないのにやったと言われて罪を問われることだ。ただ日本の定義ではDVは主観的なものだ。つまり「思ったらDV」なので、被害を主張する人の主観を否定してもしょうがない。
なので、「冤罪」かどうかを議論しても永遠に結論は出ない。表現は微妙だ。DVは日本語に直せば家庭内暴力のことなので、それ自体で言えば、DV罪というようなものはなく、傷害罪や暴行罪で取り締まられることになる。
ただし、日本のDV対応は民事対応なので、家庭内暴力の被害を訴えても、警察は捜査せず「シェルターに言ってください」となる。また、シェルターに行かなくても、支援措置で相談履歴だけで住所非開示がなされるので、実際に暴力がなくても「暴力があった」と言えば、「逃げる」ことができる。
ここに虚偽やでっち上げがあれば、制度の信頼性が低まって制度自体が使えなくなることにもなり、実際にDVの人が「嘘言ってるでしょう」と言われて行政から信頼されなくなる原因にもなる。 共同親権の議論とは関係なく、むしろ社会問題としてきちんと対処しないとならない。虚偽やでっち上げで人を貶める行為は、それ自体人権侵害だし、場合によっては法廷侮辱罪や虚偽申告罪になるし、DV被害者の敵だ。
実際、裁判書類とかを見ても、「馬乗りになって首を絞められた」とかワンパターンで描写しているものが別の事件で見られたりして、虚偽やでっち上げが横行しているのはよくわかる。こんなことがされていること自体がDV施策が失敗している証拠だ。実際、単独親権の中、DV・虐待の申告は年々増え続けている。単独親権に何の抑止効果もないのに、共同親権のために虚偽DVと言わないようにしようというのは、制度上何の整合性もない。
ただし、なぜ、「虚偽DVと言わないようにしよう」というのかはわかる。
現在、国会議員の間で進んでいる議論は、共同親権はやむなしだから、いかに抜け穴を作ろうか、というものが考えられる。こんなのはこの10年間、親子断絶防止法の議論のときから繰り返しされてきたことだ。つまり「DVや虐待のおそれ」の場合は、「特別な配慮」をすべきことをどこかの条文に潜り込ませるのが、多分狙われている。
共同養育支援議連というのは、そのための団体なので、あそこに所属すれば「虚偽DVと言わないようにしよう」と言い出す流れになる。主張を一致させるために、当事者を選別して切り捨てるということがこういう場合よく起きる。
「虚偽DVがある」なんてことになれば、「DVや虐待のおそれ」に「特別な配慮」をして引き離しを容認することができなくなる。つまり、虚偽申告罪や法廷侮辱罪など、実際の犯罪であっても、家庭内暴力の場合は罪に問わないなんてことにもなる。濡れ衣を着せられた人にとっては、悔しい思いをすることだろう。実際にないことにもかかわらず、「父親はDV」と言われて引き離された子どもにとっては、親から裏切られ、社会からも裏切られ、二重に裏切られることになる。子どもの権利の観点からも、断じて容認できない。
妻から別れを切り出された側が、実際に自分のことを内省する機会を得ることは重要だ。しかしそれは別に妻の側だって同じく重要だ。現在のDV施策は、女性の側が善意であることを前提に組み立てられている、ということは内閣府の男女共同参画局の役人が言っていたことだ。
「虚偽DVと言わないようにしよう」という主張は、男女ともにDVの加害者にも被害者にもなり、多くDVは双方向的なのもだということを無視していて、DVの防止には何にも結びつかないどころか、むしろ相手を陥れる道具にDV施策を使うことを許す。しかもその対象が男性限定という点で、男性差別だし、女性は被害者という性役割に根付いたものだ。親権議論を進めるために、こういった犯罪を容認するとしたら、何のための共同親権だ。
しかし実のところ、家族に関する価値観が別れてきた中、民事不介入は自力救済と同義になり、単独親権制度があるが故に、裁判所に基準がなく、だから先に連れ去ったものに既成事実として親権を与えるしかない。しかも女性が被害者しか想定されていなくて、相談や支援は女性しか対処しない。そうなると、とにかく女性が訴えればなんでもDVになってしまうわけだから、男性の側が不満を抱くのは当たり前。それを「虚偽DVと言わないようにしよう」なんて言ったら、男は被害を受けても泣き寝入りをしろ、と同義になる。軽率すぎる。
むしろ、DV施策については、とにかく男性も女性も加害も被害もあるのだから、相談も支援も男女平等にするしかない。そうなれば、女性のみを「保護」するのではなく、男女ともに刑事罰で対処されることになり、適正な手続きのもとで、実際に罪があれば贖うこともできる。被害者が逃げるより、加害者がまず収監されて一時的に引き離される。DV加害者が親権をもって、子どもを虐待する可能性も低まるだろう。女性支援に携わる人が「男はとにかく危険」と偏見で見ることもなくなる。
DVは家庭内のものだから、立証するのが難しいのはあるだろう。だけど立証が難しいのは何もDVに限らないし、多くの殺人事件は家族関係のもとで起きている。それでも「冤罪」はあるかもしれない。だけど、虚偽が「ない」とされていればそれに対処できないけど、「ある」のが前提なら、それに応じた対処の仕方ができる。
国会議員やらと仲良くなって「あるある」は、自分もまるで為政者であるかのように勘違いして、そういう発想で利害の調整を先に想定して考えてしまうということだ。たしかに法律を決めるのは国会だし、それを使って施策を打つのは行政だ。だけど、彼らが何のどの利害を代表して行動するかは、声や道理を通じて民衆が訴えかけること、要求を届けることで左右される。
国会議員と仲良くなったから、同じSNSで議論できているからと、自分が偉いなんて思い込んで 当事者をコントロールしようとするのは、分断を当事者に持ち込むだけだ。政治は市民がするものだ。