崩落だらけの大井川最上流のリニア工事現場。「建設工事」どころか「復旧工事」の有様

昨年の台風19号の豪雨が、建設現場を押し流した

西俣建設予定地に至る林道

西俣建設予定地に至る林道は、2か所で崩落川勝平太・静岡県知事は6月11日、大井川源流域のリニア中央新幹線建設予定地を現地視察。リニアの建設を急ぐJR東海の金子慎社長は、掘削予定地周辺の整地・伐採など、「6月中に準備の了解が得られないと、2027年の開業は難しくなる」と述べ、現地で難色を示していた。  

その後も川勝知事は首を縦に振らず、金子社長は記者会見で2027年開業が困難であることを表明している。  

知事訪問時の6月11日は大雨で、川勝知事は静岡県側に3か所ある工事予定地の中では、いちばん手前にあたる「椹島(さわらじま)」を視察。残土置き場予定地の「燕沢(つばくろさわ)」で引き返した。しかし実は、その先にもリニア工事の建設予定地があるのだ。筆者はそれに先立つ2週間前の5月末、山越をえして最上流の西俣工事予定地を見てきた。

ちょうど1年前の現場

1年前の西俣非常口建設予定地。整地は終了していた

同じ場所から1年後

同じく西俣非常口建設予定地の1年後(今年5月末)の姿。ごっそりと地面が流出している 1年前にも筆者は同じ場所を訪問していたが、前にはあった入口ゲートは消えていた。そこから先の地面がごっそりとなくなっている。昨年10月に上陸した台風19号の豪雨が押し流したのだ。資材置き場だった個所のすぐ下まで河原になり、岩の上に鉄板が不安定に取り残されていた。

電柱が横倒し

河原を見ると、電柱が横倒しになり資材が散乱していた リニア工事のために建てた電柱に1年前は電線が渡してあったはずが、今回は見当たらない。「おかしいな」と思ってゲート(があった場所)付近から河原を見下ろすと、電柱が横倒しになっていた。  

ここには最上流の登山基地の「二軒小屋」から徒歩でちょうど1時間かかる。二軒小屋から予定地までの林道は2か所で大規模な崩落が見られ、それぞれ補修作業が行われていた。始まっていたのは建設工事ではなく復旧工事だった。

リニアの工事現場は崩壊地だらけ

ここから先へは徒歩でないと入れない

土砂が完全に道をふさぎ、ここから先へは徒歩でないと入れない。ショベルカー1台がのんびり復旧作業を続けていた 6月11日に現地を訪問した川勝知事は「ここに救急車が入ってこられると思いますか」と作業員の安全性を強調した。二番目の土砂崩れ個所で道は埋められてショベルカーとダンプカーで除去作業をしていたので、実際にはそこから先は救急車どころかクルマは入れない。道のあちこちに大きな石が落ちていて、晴れていてもいつ土砂崩れが起きるかとヒヤヒヤする。

搬出用のトンネル掘削口

搬出用のトンネル掘削口の手前まで、川が土砂を押し流した JR側もこの現場に至るまでの林道の危険性は認識していて、リニアの本線トンネルに至るトンネルのほかに、土砂運搬用のトンネルをここから掘る予定で、昨年はその個所に立て看板が立っていた。その看板の手前5m付近まで河原が広がっている。  

二軒小屋までは山梨県側の早川町新倉から、南アルプスの一画である白根南嶺の伝付峠を越えて、登山者の足では8時間かかった。この登山道は毎年崩壊していて、不安定な岩稜の上にロープが渡されている。通過時は「こんなところに道を作るのか」と足がすくんだ。  

南アルプストンネルは、山梨県側の糸魚川―静岡構造線と長野県側の中央構造線という、日本を代表する2つの大断層間の25kmを結んで山脈をくりぬく。プレートが削り取った、鉋屑の集合体のような地質となっている。静岡県知事の視察でも崩壊地を指摘していたように、地質は脆弱で一帯は崩壊地の展示場のようだ。西俣の工事現場予定地の上部にも崩壊地が望める。

昨年の復旧工事が、今年7月の豪雨で無駄になってしまった!?

取り残された重機は赤さびていた

取り残された重機は赤さびていた 仮にリニアが開業されたなら、ここは南アルプストンネル内でトラブルが起きたときの避難場所となる。昨年の台風19号では二軒小屋から下流の林道も3か所で崩落している。標高差もあるので、トンネル出口まで1時間かかったとして、ここに出てきたとしても現場が現在のような状況では、1000人近くの乗客は途方に暮れるだろう。  

この先にはダムがあり、かつては林道が伸びていた。今は、ガードレールがわずかに残るだけで跡形もない。豪雨災害による地形の改変は、この地域では日常のことなのだ。工事予定地の奥には、掘削を待つばかりだった重機がそのまま取り残され、キャタピラが赤さびていた。  

知事の訪問の2日後の13日、国土交通省の水嶋智鉄道局長も現地を視察。記者会見で「観念的、抽象的な言葉のやりとりに陥ることないように」と、両者が議論を進めるよう注文した。

コンクリートも押し流す

増水した水流の力は強く、コンクリートも押し流す その後に起きたのが今年7月の豪雨災害だ。川勝知事は7月21日に再び現地に至る林道を視察。被災状況を確認し、中断している工事の再開について「机上の空論だ」と主張した。昨年の災害の復旧工事は、半年後の災害で無駄に終わってしまったのだ。  

川勝知事の一連の発言は、現地を見た人間の目から見て控えめだった。「2027年の開業は難しい」(JR東海)どころか、どれだけ期間が延びてどれだけ費用がかさむのかは測り知れない、難工事だらけのリニア中央新幹線。作業員や工事の安全を考えるべきなのは、本来なら静岡県知事ではなく、工事を進める国やJR東海のほうだ。

<文・写真/宗像充>

ハーバー・ビジネス・オンライン
https://hbol.jp/225039/2

狼と暮らした男

朝日新聞には山岳専門記者がいる。今は、長野支局にいる近藤幸夫さんがしている。

大鹿村に引っ越してきてから、『ニホンオオカミは消えたか?』という本を出して、勇んで村まで取材に来たのが近藤さんだった。信州大学山岳部のOBで、以前なら退職の年らしいけど、「定年がのびたんだ」と山ネタを書き続けている。ヒマラヤの雪男、イエッティの取材もしたことがあるそうで、こういう話が大好きだ。

ニホンオオカミの生存説については、戦後、近藤さんの先輩の斐太猪之介という元朝日新聞記者が、『オオカミ追跡一八年』ほか、著書を何冊も出して、「もういない」が定説のアカデミズムに挑戦状を叩きつけた。以来、影響を受けてオオカミを探しを続ける人が今もいる。 

『ニホンオオカミは消えたか?』では、その中の一人で秩父でオオカミ探しを続ける八木博さんを登場人物に取り上げて本にまとめた。近藤さんも子どものころに影響を受けて、斐太に手紙を書いたことがあるそうだ。

今、その本では入りきれなかったニホンオオカミに関する謎の続きを、アウトドアの雑誌のフィールダーの連載で紹介している。連載を始めるとまた、近藤さんが興味を持って村までやってきた。

近藤さんは、『怪奇秘宝 「山の怪談」編』というムック本のコピーを持ってきてくれた。それを見ると、「三重県山中に存在した『ニホンオオカミ』の痕跡―〝変な犬〟を飼っていたひとりの男」という記事が出ていた。それは大台ケ原を源流とする大杉谷の山荘で一人暮らしをする男性が、ある日道で出会った「変な犬」としばらくの間いっしょに暮したという記事だった。写真も出ていて、なんだか犬ともキツネともつかない動物の写真が2枚ある。

このイヌ科動物のことを、ぼくは八木さんのところで聞いたことがあり、そのとき写真も何枚か見たことがあった。西田智さんという元高校の校長先生が、大分の祖母山系で2000年に撮影して、当時のニホンオオカミ研究の第一人者、今泉吉典氏がニホンオオカミと鑑定した写真の動物と当てはまる特徴があるように見えた。この動物のことを、存命中の今泉氏から教えてもらって直接本人のところに出向いて写真を入手した八木さんは、半信半疑だったようだ。そんなわけでぼくも行っても成果があるかなあとそのままになっていた。

記事を見ると、この犬についても、今泉吉典氏本人の鑑定が手紙でなされていたことがわかった。オオカミとニホンオオカミのF1雑種だという。現金なもので、専門家の鑑定意見があれば自分でも検証してみたくなる。フィールダーの編集部に話して行ってみることにした。

せっかくなので、斐太さんの本に登場する山の作家、宇江敏勝さんにも取材を申し込んだ。斐太の『オオカミは生き残った』という本に、宇江さんと斐太が紀伊半島の谷で夜釣りをして、おもしろいほどウナギがとれたエピソードが出てくる。その中で、以前宇江さんが山仕事をして造林小屋にいたとき、飼い犬がオオカミに食べられたという話もある。宇江さんからオオカミの糞も送られてきたともあるという。

宇江さんの自宅は、今は田辺市になっている熊野古道の中辺路、野中にある。熊野大社からもそんなに遠くない。山の作家なので古民家に住んでいるのかと思ったけど、家は比較的新しい。本に囲まれた書斎で、原稿用紙に短くなった鉛筆で仕事をしているようだった。

宇江さんに、斐太さんの本に登場するご本人の下りを読んでもらうと、「これは斐太さんの創作」とあっさり否定した。

「斐太さんの文章はおもしろいんだけど、あんまり科学的じゃない。例えば、山にシカの足跡があったとする。斐太さんは『鹿がたくさんいる。だからオオカミもいる』という。別のときに山でシカの足跡が見られなかった。そうすると『オオカミがシカを追い払った』という」

そんなの何とでも言えるじゃないですか、と宇江さんに突っ込んでも仕方がない。実際斐太さんの文章はそういう強引なところがあって、だからおもしろい部分もある。

「ぼくは実際にオオカミは見たことはないから姿かたちはわからない」

そう断る宇江さんに、「オオカミ見かけたら教えてください」と頼むと、まじめな顔で「はい」と言ってくれた。

その日のうちに大杉谷に移動した。かつては人跡未踏の魔境でく、紀伊藩主だった徳川吉宗が探索と開発を命じて人が入るようになったという。宮川の源流に向かって散在する集落を経て、無人の登山センターに着くころには暗くなっていた。さらに奥、吊り橋を軽自動車で渡り、林道の東屋で一泊。翌朝早く、今は営業していない大杉谷山荘に8時に着くと、半裸のTさんが「10時と言ってたのに自分都合だな」と言いながら出てきた。ぼくもそう思う。

「勉強してきたか」と大きな声で話すTさんにテラスのテーブルに案内された。しばらくの間犬といっしょに暮した「オオカミ」の写真を見せられた。何となく、というか一見犬に見える。

「おれがこれをオオカミというのは形じゃない。生態から。犬とは全然違う。そのころうちには犬を飼ってたけど、他の犬がそいつを避ける。餌をやると鍋がこんなに曲がる。すごい顎の力だ。ぴょんぴょん跳ねて走る。走るのは犬より遅いけど、歩くのはトロットで犬より速い。犬は呼んだらまっすぐ来る。そいつは木に隠れながらやってくる」

ほかにもいろいろ聞いたのだけど、じゃあ自分がどの程度オオカミの生態を知っているかというとおぼつかない。とはいえ、動物好きのTさんの解説は詳しく、「帰っていろいろ調べてみます」と言って話を終えた。録音したテープで遠吠えを聞くと迫力がある。

長野に帰る前に、大杉谷を途中までさかのぼった。どこまで行っても岩壁を穿った道が上流へと続き、途中大滝や美しい淵が広がる。たどり着いた淵でインスタントラーメンを食べようと足を投げ出すと、なんだか襟の周りがかゆく、手を伸ばすとヒルがいた。ほかにも靴の中やシャツの間にヒルがいて、血を吸って大きくなったものもいた。

景色は美しいけど落ち着かず、天気もそれほど持たないかもしれないと思ってそそくさと帰路に着いた。途中山荘によって挨拶すると、Tさんはこまめに庭仕事をしていた。40まで会社勤めをしていたというTさんは、やりたいことをやろうと山荘を買い取ってここで一人暮らしをして30年。「仙人」と呼ばれているそうだ。

ぼくが帰ると告げると、「ヒルがついているからよく確かめろよ。靴下の中までいるから」という。「わかってます」と言ってなんだかかゆい腹を見ようとシャツをめくると、小指ほどのヒルが吸い付いていた。

(「越路」17号、2020.7.21、たらたらと読み切り157)

(詳細はフィールダー8月発売号で)

「山の日」に徳仁来る

新型コロナの影響が拡大して、長野県が「信州の観光はお休みです」というポスターを都内に貼っていた。また登山口には、「入山を自粛してください」という呼びかけとともに、「ほとんどの山小屋・テント場は今、営業していません」「感染予防対策を行うため、すぐに救助に行かれません」という掲示が出された。


長野県は「世界級のリゾート 山の信州」として売り出している。コロナへの対応を見ると、長野県が「世界級のリゾート」としては明らかに落第。開店前の店だって「準備中」くらい書くのに、「迷惑」「遭難しても助けてやらない」というリゾート地は嫌なところだ。無視して山梨県側から山に入ったのは言うまでもない。


その長野県の上高地で、第一回全国大会の記念式典が開かれたのは2016年のこと。毎日「~~の日」という記念日があるので、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という山の日があってもいいとは思うけど、なぜそれが休日なのかいまだにわからない。


この記念日ができる前、山の雑誌で記念日制定を目指す会議を取材したことがある。そのときいっしょに行った編集部の人が「あの人たち、あのままだと本気でやっちゃうよ」と言っていたのを覚えている。ほんとに休日になった。山ヤとしては「そんなに山が好きなら仕事さぼって山行け」と思う。


この年、ぼくは大鹿村に引っ越し、年内に予定された南アルプストンネルの工事の開始をにらんで緊張していた。そんなときに、休日に登山口に集まって、「山はいいなあ」とか山ヤが言ってる場合か? ちなみに記念日の盛り上げ役の「全国山の日協議会」の特別賛助会員には、南アルプス破壊企業のJR東海が入っている。


この第一回大会の記念式典に、徳仁が雅子と愛子といっしょにやってきた。この一家の参加は当時の新聞とかを見ると「公務」とされていて、式典であいさつもしているのだけど、大会の役職とかにはついていない。


上高地は1969年以来49年ぶり。夏休みで参加できたという愛子の訪問は初。上高地を散策し、どうも本人たちの感覚だと趣味の延長での「サービス」感覚な気がする。翌年からの式典には参加していなくて、皇室行事として定着しているようにも思えない。


翌日の信濃毎日新聞に徳仁のあいさつ全文が出ていて、「私自身、山に登り始めて50年ほどになりますが、山に登るたびに新しい発見や新たに学ぶことがあり、山の魅力は尽きることがありません」という。そうだと思うけど、だからどうしたふうの挨拶を読むと、サービスだったら、もうちょっと気の利いたこと言えないのかと思う。


49年前の上高地訪問では、乗鞍高原も訪問し、当時休んだ山小屋の方が「皇太子さまは絶えず気を使うお立場。いつでも気を休めに来ていただきたい」とコメントしている。絶えず気を使っているのは本人じゃないと思うよ。

(2020.6.30「府中萬歩記」76号)

横行する養育費ピンハネビジネス

ピンハネビジネス続々

 6月23日に共同親権運動のグループで、「養育費のピンハネは人権侵害」という緊急声明を出して、メディアや官庁に送付した。

 ネットでは、ZOZOの前澤友作社長が作った「小さな一歩」という会社が、養育費の取り立ての代行事業を毎日宣伝している。同居シングルマザーを雇用して事業を展開するという話題で注目を集め、メディアも好意的に報じている。その内容が、回収する養育費のうちの15%を保証料として徴収するというもので、ピンハネになっている。

 前々から離婚弁護士たちが養育費の支払いを自分の口座名義に指定し、ピンハネして残金を母親(父親)に支払うというやり方がとられているということは知られていて、ぼくもそれについてルポを書いたことがある。今日見つけた「日本法規情報」という会社の「養育費安心サポート」という事業では、「保証料」は毎月の養育費の50%になる。

この会社の場合、「保証料」を払えば、支払いが滞った場合でも半額が振り込まれる。この会社は全国1500事務所の弁護士・税理士のネットワークだそうだ。それだけの数の事業所が、この会社1社のピンハネビジネスのすそ野ということになる。

大学の初年度費用と同じ額がピンハネされる


 怖いのは、先の二つの会社が養育費を「子どもの権利」と言っていることだ。養育費は子どものためのお金だという自覚はある。支払うほうもそのつもりで支払う。母親(父親)が何でも自由に使っていいお金ではなく、過去の判例では、父親に使用明細を送るという家裁の決定も見たことがある。

 父親(母親)が自分のためにお金を使って養育費を未払いにするのと同じように、母親(父親)が子どものための養育費を自分の生活費に充てることは当然ある。こんなのは夫のお小遣制がある日本では、婚姻中にも普通にあることだ。つまり申し込み手続きにおける母親(父親)の、養育費の民間会社へのピンハネの同意は、父親(母親)の同意なく子どものためのお金を使い込む同意ということになる。養育権の侵害行為でもある。

 「母親が子どものためのお金を使って何が悪い」という人のために試しに計算してみよう。

 例えば、子どもが3歳のときに父親が連れ去りに遭い、その後母親が「小さな一歩」を利用したとする。養育費の額が4万だとすると、毎月6000円を「小さな一歩」が保証料としてピンハネする。年間だと7万2000円。成人する18歳までの15年間で、6000円×12カ月×15年で108万円になる。文系の公立大学の初年度入学金・授業料ほどの「子どものためのお金」を「小さな一歩」がとることになる。養育費の額が6万だとこの額は162万円になる。

母親だってピンハネされる

 憲法学者の井上武史氏はツイッターで、「養育費については,もっぱら子に対するものであること(同居親の生活費は含まない),同居親にも子に対する扶養義務があること,が忘れられていると思います。制度論としては,同居親は自らの生活費+子の養育費分を稼ぐ必要があるはずで,別居親からの養育費名目の金銭は自らのために使用できません。」と述べている。

 「母親が子どものためのお金を使って何が悪い」という発想からは、こういった意見に反発も出るだろう。しかし実際には、連れ去り・引き離しが横行している昨今、母親のほうが養育費の請求対象になることもある。

その場合、子どもを連れ去った父親が、「小さな一歩」にスマホで申し込んで、ピンハネされた額を受け取ることももちろん可能だ。子どもにも会えずにお金をピンハネされながら「小さな一歩」に養育費を支払い続ける母親は悲惨だともし思ったら、男性だって同じ目にあったら悲惨だと想像できるだろうか。

子どものお金の分捕りに手を貸す自治体と国

 「小さな一歩」を見ると、「保証料への助成制度」という形で、ピンハネの一部立て替えを行政がしている。ピンハネ事業を応援する自治体は、宮城県仙台市、千葉県船橋市、東京都港区、東京都豊島区、神奈川県横須賀市、愛知県知立市、滋賀県湖南市、大阪府大阪市、兵庫県神戸市、兵庫県明石市、岡山県津山市、福岡県福岡市、福岡県飯塚市の各自治体である。

これは子どもへの支援ではなく、明らかに子どものためのお金分捕り支援だ。誰もおかしいと思わなかったのだろうか。

 ピンハネを批判すると弁護士たちの間から、「ただ働きしろというのか」という反発が出てくる。ほかの国では日本と違って時間毎の報酬体系になっていて、トータルでは日本よりもずっと高い弁護士費用になりがちだという指摘もある。とはいえ、日本にもピンハネしない弁護士はいるし、養育費徴収のための弁護士報酬が108万円になることは日本でもめったにない。養育費ピンハネビジネスで儲けること自体がいけないことだくらいは、弁護士業界以外では普通に思う。

 この件で厚生労働省の担当課に電話して行政指導を促したら「法的に難しい」と渋っていた。「だからって子どものためのお金をピンハネするのを許していていいんですか。これはまずいでしょう」と言うと、職員は唸っていた。

弁護士たちは反発して「離婚ビジネス」についてのぼくの記事をヤフーニュースから削除させるくらいのことはするけど、指摘されたらまずいくらいの自覚はある。

そもそも報酬支払能力がない人が多くてビジネスとして成り立たず、それでも子どもが成長するための費用を確保することが社会的に必要だというなら、これは裁判所や行政がやる仕事なのだ。そうなればビジネスを維持するためではなく、税金の無駄遣いという批判を避けるために、未払いの原因を探り、いかに主体的に支払いたくなるか(共同親権)を考えるのは、あってもよさそうな発想だ。それも無理なら、コロナのもとにおいてお試しでなされたように、すべての子どもに対する直接の給付ということになる。

 そうなると困る人はいる。よくないとわかっててやっている部分があると、議論を封じるという対応はわかりやすい。そういう人は共同親権という言葉は出したくないし、カモを逃がすのも困るので、別居親の不満を抑えるための「面会交流は促進」と口では言う。

共同親権・夏期セミナー

共同親権訴訟の発起人で『子どもに会いたい親のためのハンドブック』著者が贈る、子どもに会いたい親、別れても共同での子育てを願う親たちのための夏期セミナー。

【日時】2020年7月11日、8月8日(土)、各回13:00~14:45

【場所】全労会館304会議室 東京都文京区湯島2-4-4

(JR御茶ノ水駅御茶ノ水橋口徒歩8分) http://www.zenrouren-kaikan.jp/kaigi.html#08

【進行】宗像 充

(ライター。共同親権訴訟原告、 『子どもに会いたい親のためのハンドブック』著者)

【参加費】1500円(共同親権運動会員は1000円)*要予約5名まで

【各回内容】

<第1回>2020年7月11日(土)「子どもに会いに行ったらいったいどうなる?」

家庭裁判所は開かれないし、調停は開かれても意味がない。だったら子どもの家や学校に行ったらどうなる? 安否確認も親の責任。実例を交えて解説します。

<第2回>2020年8月8日(土)「裁判所で共同親権を言ったらどうなる?」

そうはいっても、裁判所は公平で中立の機関のはず。単独親権であっても子どもの親は二人。そこで共同親権という未来の選択肢は使えるか、使えないか。刑事や民事、直接交渉……個別のケースで共同親権の考え方をどう扱うか、いっしょに考えます。

<共同親権相談会> 

同日9:00~12:00【相談料】50分3000円【応談】宗像 充

*要予約3名まで。2日前までに予約してください

<共同親権カフェ> 

同日15:00~17:00【参加費】500円

(ただしセミナー参加者は無料)*5名まで 

子どもと離れて暮らす親、別れても共同での子育てがしたい方、互いに気持ちや事情を話して支え合い、 知恵を出し合う場です。会員でなくても参加できます!

主催 おおしか家族相談 協賛 共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会

(予約先)TEL0265-39-2116(共同親権運動) メールmunakatami@k-kokubai.jp

URL https://munakatami.com/category/family/

共同親権運動総会・討論会「共同親権で何が変わる、何を変える」Part2

最近、ときどき耳にする共同親権。

親どうしの関係いかんを問わず、子育てに両親がかかわることが当たり前になってきた多くの国では、男女ともに仕事と子育ての両立が目指され、男女間の賃金格差も狭まってきています。

「先に連れ去った者勝ち」の単独親権制度は先進国では日本だけに残るため、各国から日本は「拉致国家」だと批判されているのを知っていますか? 性役割を強制するこの制度を温存させてきた国の責任を問う裁判も起きています。

共同親権への転換で、離婚に伴う親子関係が維持されるだけでなく、家族のあり方や結婚制度、男女の子育て・働き方も変わっていきます。いったいこれからの日本に何が起きるのでしょう。

■日時 2020年7月23日(木・祝)
    13:10開場13:30開始~14:45
■場所 塩尻市えんぱーく5Fイベントホール
http://enpark.info/%e9%a4%a8%e5%86%85%e3%83%9e%e3%83%83%e3%83%97/
えんぱーくホームページ http://enpark.info/
■内容 
第一部 13:30~14:30 総会(活動と会計)


第二部 14:40~16:45 
討論「共同親権で何が変わる、何を変える」Part2
発言 嘉田由紀子さん(参議院議員)「母親が家にいないと家族は不幸?」
久米泰輔さん(翻訳家、マスキュリスト)「法制度における男性差別」
宗像 充(ライター、共同親権国賠原告)「どうなる? 婚姻制度と非婚の親」
参加費 500円(会員は無料。会員でなくても参加できます)
主催 共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会

発言者プロフィール

嘉田由紀子さん

参議院議員。元滋賀県知事。琵琶湖博物館の企画・建設・運営に力を注ぐ。京都精華大学教授を経て、2006年「三つのもったいない」で滋賀県の政治改革をめざし知事に当選。公共事業の見直しによる財政再建をはかり同時に教育・子育て・地域振興に力をつくす。勇退後はびわこ成蹊スポーツ大学学長に就任。2019年から現職。参議院法務委員会で共同親権に関する質問を活発に行う。

久米泰輔さん

翻訳家。マスキュリスト。男性差別の実態を告発する本を日本に紹介。訳書に『男性権力の神話――《男性差別》の可視化と撤廃のための学問』(ワレン・ファレル著、2014年)、『ファーザー・アンド・チャイルド・リユニオン―共同親権と司法の男性差別』(同著、2017年)、『広がるミサンドリー: ポピュラーカルチャー、メディアにおける男性差別』(ポール ナサンソン, キャサリン・K. ヤング著2016年)、近著に『法制度における男性差別―合法化されるミサンドリー』(同著2020年)

宗像 充

ライター。共同親権国賠原告。「メルマガ共同親権」を運営。おおしか家族相談で別居親や家族の支援を行う。非婚の父として親権がなく、人身保護請求で2007年に子どもと引き離され、今も制約された環境下で子どもと会う。著書に『子どもに会いたい親のためのハンドブック』『引き離されたぼくと子どもたち―どうしてだめなの?共同親権』。

<お車ご利用の方へ> 駐車場は、えんぱーく向かい側の ショッピングセンター「ウィングロード」併設の 塩尻市市営立体駐車場をご利用ください。 駐車券を会場までお持ちいただければ 6時間無料となります。

ぐんま共同親権・共同養育推進会議

ぐんま子ども愛育の会(以下、当会)は、離婚や別居によって子どもと会えない、または、子どもとの面会交流が月1回数時間とされるなど著しく制限されている父母などの当事者、ならびに、そのような現行の日本の離婚後等単独親権制の弊害に対して共同親権・共同養育の推進に理解のある支援者・協力者を会員として運営されています。
 当会は、父母の敵対を助長して、離婚や別居後に子どもと別居親との関係を断絶させることが多い離婚後等単独親権制を共同親権・共同養育に改正するための陳情・請願を群馬県内の市町村議会ならびに群馬県議会に対して行うことを活動の主な目的としています。これまでに、伊勢崎市議会(2月)、前橋市議会(5月)、渋川市議会(6月)に陳情書(要望書)を提出しています。
 先進国はおろか、G20諸国においてインド、トルコ、そして日本しか離婚後等単独親権制度を採用している国はありません。諸外国からも「日本に子どもを連れ去られた」という非難の声は尽きません。昨年2月には、国連・子どもの権利委員会から日本政府に共同親権制への改正が勧告されています。
 群馬県内における市町村議会ならびに県議会に対する陳情請願活動をさらに発展させるために、子どもと会えずに日々苦しんでいる父母等当事者、ならびに、支援者・協力者を広く募り、離婚後等単独親権制を廃して共同親権・共同養育を推進するために「ぐんま共同親権・共同養育推進会議」を開催いたします。
 新型コロナウィルス感染予防のために会場における参加者数は制限いたしますが、オンライン会議サービスとライブ配信を併用することによって、より多くの方々にご参加、ご視聴頂けるハイブリッド型の会議として開催いたします。

■会議名: ぐんま共同親権・共同養育推進会議

■日時:  令和2年 7月 5日(日) 13:20~16:40

■会議形態: 会場講義室における交流、Web会議サービスZoom、youtube配信を併用した
ハイブリッド型会議

■会場参加: 【会場】 渋川中央公民館 講義室 (群馬県内市町村在住者限定)
住所: 群馬県渋川市渋川908−21 2階  電話: 0279-22-4321

■オンライン参加: Web会議サービスZoom (群馬県内市町村在住者限定)

■youtube配信視聴: ライブ配信の視聴方法は、視聴希望者に後日、ご連絡します。

■参加・視聴方法: 会場またはZoomでの参加希望者、ならびにライブ配信視聴希望者は、  Eメールで事務局( gunmaaiiku@gmail.com )まで以下の必要事項を明記の上、 お申込み下さい。

〇参加申し込み【必要事項】
名前 
住所 (会場・オンライン会議参加者は必須)
電話番号 (当日連絡出来る携帯電話等)
Eメールアドレス
参加形態(選択): 会場参加※、 Zoom参加※、 ライブ配信視聴
※会場参加とZoom参加は、群馬県内市町村在住者に限ります。
講演者やゲスト団体代表者に対する質問(希望者のみ)

■定員: 群馬県内市町村在住者は、会場、またはZoomにてご参加頂けます。
     会場  20名まで
Zoom  30名まで
※ライブ配信視聴者数に制限はありませんが、視聴希望者に視聴方法を
ご連絡します。視聴希望者は、必ず申し込みをして下さい。

■内容: 子どもの共同親権・共同養育を推進するための講演
パネルディスカッション(質疑応答)


■講演者:
宗像 充 ライター 共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会 代表

しばはし聡子 一般社団法人りむすび 代表 

緒倉 珠巳 ステップファミリー・アソシエーション・オブ・ジャパン(SAJ)代表

■ゲスト団体:
共同養育支援法 全国連絡会 監事  兼中部共同親権法制化運動の会 三浦 代表
桜の会 平山雄一郎 代表
北関東一斉陳情の会 近 修 代表

■スケジュール:
13:00 開場
13:20~13:30  開会
13:30~14:00  講演1
★共同親権・共同養育推進活動の黎明期から現在までの軌跡 (宗像 充 代表)
14:00~14:30 講演2
★共同養育に向けた親の心得と実践のコツ (しばはし 聡子 代表)
14:30~15:00  講演3
★離婚・別居における親子のカタチ:ステップファミリーを考える (緒倉 珠巳 代表)
15:00~15:20 休憩
15:20~16:30 パネルディスカッション(質疑応答)
★講演者とゲスト団体の代表にパネラーとしてご参加頂きます。
16:30~16:40 閉会

■講演者、ゲスト団体代表者に対する質問等:
  参加申し込みの際に、質問等がある場合は明記してお申し込み下さい。また、当日、会場またはZoomでご質問頂けます。ライブ配信視聴者は、事前に質問事項をEメールでお送り頂くか、当日、チャット機能を使ってご質問頂けます。

https://note.com/gunmaaiiku/n/n8eb7484957ee

共同親権をめぐるイデオロギー対立

養育費と共同親権

 6月17日付で「養育費と面会交流のバランスをとるのは男女平等か?」というタイトルのエッセイを書いて、「共同親権メルマガ」で流したら、解除者が3人出た。「『やるだけのことやってて金だけよこせ!?』は、よく言ってわがまま、悪く言って詐欺だ」という部分が攻撃的に見えたという意見も受けたので、その辺で不愉快に感じた人が何人かいたのだろう。

とはいえ、ぼくがした批判についてはその当否を議論すればよいし、今のところ議論が深まる反論があったとは思わない。

 ちなみにぼく自身は、養育費については、元妻側が「いらない」と裁判で主張した経過がある。「金をもらっているのに会わせないのか」と言われたくないためだと理解している。実際、養育費の振込先を元妻側弁護士が教えず、送金するために無駄な現金書留の郵送手続きを何度もさせられ(郵便局に据え置きで何度も戻ってくる)、何カ月も書面のやり取りをして「この費用があれば子どもに使えたのに」と書いて送ると、ようやく弁護士が振込先を教えたということがあった。

 以前から、親権論議と養育費についてリンクさせることについては、「養育費は子どもの権利」と言って、会わせることとは別次元と主張する議論を聞いてきた。ところがいまや、「子どもの権利」をピンハネするビジネスが出てくるようになった。

相手は過払い金を取り戻す相手でも、制裁金を科す罪人でもなく、本来子育てを分担し合うパートナーだ。会わせることについては放置して、ピンハネを堂々と掲げてするビジネスは、搾取される側の憎悪を増して対立を深める。

子どもに「あなたのために給与を差し押さえ、お礼に前澤社長にその中から手数料を支払っている」と説明して、子どもはいつ会えるかもわからない父親(母親)に親しみや敬意を抱くだろうか。軽蔑して「そういう親の子どもだから」と自分を卑下するか、男性(女性)蔑視の感情を育てるのが関の山に思える。

ちなみに、養育費をピンハネして給与差し押さえをする弁護士が「面会交流は子どもの権利」と言いつつ、子どもには無関係の子どもの写真送付を提案するのをよく見てきた。「子どもの権利」ではなく、「私の利益」と言ってくれたほうが理不尽だけどすっきりする。

なお、法務省は24か国の親権に関する海外の法制度を調べてレポートしている。それを見ると、アメリカのニューヨーク州では、裁判決定で養育費を受け取っている同居親が不当に会わせなかった場合、その間、養育費の支払いを停止するか、支払い遅延による責任を免除できる。当地ではそれが「国民感情」のようだ。

国内の報道は同居シングルマザーの全国団体の主張に全面屈服し、養育費の問題で親権の問題を触れたものをまず見ない。ぼくの主張が攻撃的に映るならそれも理由だろう。

左右の対立

 養育費のピンハネを正当化するには、相手を子育てのパートナーではなく、自身を支配する敵として見ればよい。この点、男女間の関係を階級になぞらえて性で加害被害を分けるフェミニズムの理論は役に立つ。女性は被害者側だから、男性の側の事情は、支配階級の都合としてむしろ批判を向けられる。

こういった思考方法は、メディアも含めたリベラルな支配層の間では一定程度浸透している。受け入れなければ批判を受ける。こうやって敵意を向けられた男性たちやこの構図からこぼれ落ちた女性たちのフェミニズムへの懐疑は強い。

一方で、保守層では、フェミニズムの理論そのものを受け付けず、男性支配からの解放(離婚)を目指す女性支援を「家族の解体」として敵視する。共同親権をめぐる対立状況は、フェミニズム側の左派論壇と、それに対抗する右派論壇とのイデオロギー対立の主戦場となり、当事者はその草刈り場となっている。

 ぼくは一当事者で、右からも左からもあまりお呼びがかからないが、彼らの主義主張より自分や家族、娘のほうが大切だ。

 国立で自分と同じような立場の親たちと2008年に運動を始めたとき、「宗像がDV男たちを集めている」と陰口を言われた(「思ったらDV」なので間違ってはいない)し、周囲の市民運動の仲間は、「よその町に行くと『何とかしろ』(つまり黙らせろ)と言われるよ」と教えてくれた。ぼくが当事者と知っていて、別居親をヘイトする雑誌とは取引をやめた。

当時からDV法の欠陥は指摘されていたし欠陥はある。右派の活動家は「DV法は家族を壊す」と主張して当事者たちに宣伝し、その欠陥をフェミニズム批判に利用してきた。夫(妻)や父親としての役割を社会生活を送るよすがとしてきた親たちの中には、その役割ではなく、その役割を奪った側に敵意を向ける人もいる。

 最近も匿名の別居親から、「必要なことは日本の家族に合わせた共同養育を支援してもらう法律」とメールが来ている。この間、家制度をめぐる問題提起を共同親権運動のほうで何度かして、議論は深まったけど反発もある。

 戸籍制度を基盤とする婚姻制度を維持するために、戸籍から外れた親を弾圧する手段として単独親権制度がある。ぼくから見ると、右でも左でも、形としての家族のあり方を前提に議論を進めているという点で、たいして違いがあるようには思えない。だから、養育費の取り立ての議論も、形から外れた側を家族外の人間として人権を無視し、過払い金請求の相手と同一視できる。

 目指すことは、家族からの解放だろうか。それを押しとどめることだろうか。

思うに自分が両親から生まれた以上、誰もが親から愛されたいし、幻想かもしれないにしても家族というものへの憧憬がある。家族の形を保つことがもはや社会的に「正式なもの」として認めがたくなってきた中で、血縁にせよそうでない関係にせよ、家族的なつながりを求める欲求は、強くなりこそすれ弱くなることはない。修復や回復が目指されるなら、形ではなくつながりだ。子どもに会えないのがつらいのではなく、子ども(やパートナー)と心が通じないのがつらいのだ。

つながり合う言葉

共同親権は、そういった家族的つながりを求める人たちが、自身の欲求を社会に表明するための涼風であるはずだ。形にとらわれた家族観では、「うちの家族」以外の人間との関係を求めることは、イレギュラーなのでわがままと見られてきた。解体してもそれが別の家族の形を押し付けるだけなら意味はない。

 フェミニズムは社会的な男対女の対立構造を個人間の関係にスライドさせて、共同親権を男性支配の復活と見る。保守層は家の存続と性役割に基づいた家族の形の復権のために共同親権を利用する。でも、男女かかわらず、性役割の中で問題が生じて苦しんでいるのは双方だくらいは、両方の話を聞いていればわかる。

男女平等を女性たちが掲げることで社会は対立を生じつつ変わってきた。子育ての実質的な平等を権利とみなす共同親権は、それを男性が口にすることに道を開く。つながり合う言葉は「he for she」ではなく「男女平等」ではなかったか。