「シングルマザーの思想」が親たちを苦しめる ~コロナパニックを男性の子育ての導火線に ~

社会が引き離しと親子の対立を作り出す

 先日、千葉県に住む娘に会いに行った。

娘が中学生になる前、月に1度4時間という養育時間を裁判所の決定でぼくは得ている。それ以前は隔月4時間だったので倍に増えたのだけれど、実際には娘は途中で帰るようになり、娘の行動はそれとしてぼくは4時間という時間を持っているので娘についていくと、途中で娘の母親やその再婚相手(養父)が待ち構え、「ストーカー」や「つきまとう」と娘の前で呼ばれて妨害を受け、胸を痛めた。

それだけでなく、母親に娘といっしょに警察を呼ばれたり、娘の安否確認をしようと思って娘の家に行こうとすると、着いてもいないのに母親の再婚相手に警察を呼ばれたりした(いわゆる「予防拘禁」)。さすがに約束を破っているのは先方なので、警察で逮捕されることはないけれど、「これは明らかに名誉棄損で犯罪ですからね」と警察には伝えている。

 彼らは新しい家庭を作っており邪魔だてするのはぼくだというのだろう。実際に娘は、娘の学校に現れるぼくのことを「迷惑」と言い、現在行っている中学校がどこかを教えない。母親とその再婚相手に聞いても「娘の意思がある」と教えない。養父から「つきまとうな」と言われたときには、「何様なんだろう」と実父が思うのは普通だ。共同親権の発想からすると彼らのやっていることは無茶苦茶だけど、家制度の発想からするとまっとうになる。

「お父さんなんだからきちんと話し合わないとだめよ」「あなたが悪態ついても毎月来てくれるって素敵なことじゃない」と娘の周囲の誰かが言えばすむことかもしれない。父親の表現の仕方が突拍子がなくても「ユニークね」で終わることが、同居しない家族が同居家族の平穏を乱すのが問題、という発想だと「DV支配が続く」「ストーカー」と呼ぶことが正義となる。娘の周囲にはぼくのことを「迷惑」と呼んではばからない人がいるのだろう。

「親に向かってなんだその言いぐさは」と古い人間なら一言言いたくなるが、それが「DVの証拠」となり、行政や裁判所はもともと家制度的な人たちが運営しているので、こっちの発想に流される。

 彼らの周りには共同親権の発想をする人はいないし、いてもそういう人は避けるだろう。ぼくからすれば別れて13年なのに、まだぼくに付きまとうのかと思うけど、彼らは自分たちの家庭を守っているだけ、ということになる。つまり、社会が彼らの行動を支えている。

「シングルマザーが悲鳴」、そんなに同情できないわけ

 新型コロナウィルスで「シングルマザーが悲鳴」を上げているという記事を見かけるようになった。仕事がなくなり収入減になりそう人は、自分も含めて身近にうようよいるので、「すぐに現金給付を」ということなら、シングルマザーに限らず全員にすればよいと思う。

しかし「働かざる者食うべからず」という資本主義ずぶずぶの発想だと、誰が一番苦境かと、「苦境タイトル争奪戦」が始まる。つまり限られたパイの中で優先的に予算配分を得るためには、がんばっている姿を見せてなおかつ苦しい「いい弱者」が必要になる。「いい弱者」は被害者でなければならず、一般的なイメージで言えば女性だ。「しんぐるまざぁずふぉーらむ」やらがえらいのは、そういう仕掛けがよくわかっており、すぐに調べてデータ化し「見える化」する力があるところだろう。

養育費や婚姻費用の額も上がっている。一定額が給料から天引きされる父親の場合は、支払いができなくて自殺したりする人も出てくるかもしれないが、彼らは多く男性なので、経済的な側面での「苦境タイトル争奪戦」では負けがこみやすい。

 だから別居親が、「シングルマザーだけ特別視する必要がない」と言いたくなる感情はわかる。何しろしんぐるまざぁずふぉーらむの赤石千衣子さん自身が、引き離し運動のイデオローグの一人だから「何を虫のいいこと言ってるんだ」とぼくも思う。子どもには両親がいるのに、「男はいなくても女は幸せになれる」というなら、誰もいない密林の奥地で実現してくれと思う。おっといけない、これじゃ小学生の「男子対女子」の喧嘩と同じだ。

 「私がいなくなったら子どもはどうする」「1対1だと煮詰まる」と、父親がまるでいないかのような発想で言われると、「ひとり親」団体のリーダーが煽ってきた「男への敵意」と日常的に接する側の人間としては、「だったら父親に子どもを見させろ。父親に子育てがどんなにたいへんかこの機会に思い知らせろ」と支援者は言うべきだと思う。これで心中(子殺し)されてはたまらない。最終的に保育園や親(祖父母)に見させるなら、別居親との感染だけをことさら恐れるのは理由にならない。このパニックは父親の子育てを促すチャンスだ。

「ひとり親」支援はもはや同居親のニーズに答えられていない

 あまり知られていなし、多くの別居親団体にはその受け皿がないけれど、電話窓口を開いていると同居親の側からの相談をときどき受ける。何しろぼくも同居親をしていた時期があるので、「あなたたちにシングルマザーのたいへんさなんかわからない」と言外に言われると、「自分で勝手に大変になってて、甘えてんじゃないよ」と言いたくなる。

 以前から相談であるのが、「どうやって会わせていいかわからない」「会わせたいけど相手にはかかわりたくない」というものだ。また、「相手が会いに来ない」という相談や、「父親に子育てもあてにしたいんだけど、弁護士や周囲からはそんなのおかしいと言われる」という相談もある。

「共同親権」はこれらすべての悩みをいっぺんに解決できる魔法の言葉ではない。しかし、「相手に面倒見させればいいじゃないですか」という言葉は現状の支援ではないのはわかる。来た人に「被害者」という立場でいてもらわないと、現状の「ひとり親」支援や女性支援の意味がなくなる。「加害者」として男性を敵視してきたなら、どうやっていいか、具体的な方法がわかるわけもない。そういう意味では、彼らの「シングルマザーの思想」と女性支援は、男社会が永続することに依存している。そしてそういったマッチポンプの支援の正体に当事者たちは気づき始めている。何しろ「共同親権」という別の選択肢があるということを、知ってしまったのだ。

だからこそ単独親権の維持は必要になる。何しろそれは離れていても家族でいることを拒み、家父長制を支えた家制度にとって、もう一方の「別居シングルペアレント」を二級市民とするために欠くべからざる道具だからだ。「単独親権制度」という「錦の御旗」がありさえすれば、「引き離し」という行為は「正当な手段」として免罪される。

だからぼくは子どもに「ストーカー」と言われている。

(2020.4.13書き下ろし)

山とナルヒト 第3回 山岳雑誌に寄稿

 徳仁は山岳雑誌にも寄稿する。というか、編集者が徳人に、例えば「700号記念号」などへの原稿依頼を出す。ほかにも徳仁は自分が所属する日本山岳会の年報「山岳」にも寄稿したりしているそうだけれど、今回は過去の記念号とともに検索が間に合わなかった。

 ぼくが以前仕事をもらっていたのは、東京新聞が発行していた「岳人」で、当時は「山と渓谷」と並んで、山の雑誌の二大誌だった。山と渓谷は今もそうだけれど登山の有名どころを紹介する商業誌。岳人は東京新聞の文化事業なので、同人誌的な傾向が残っていて、新ルートの開拓とかも紹介していた。ぼくはその担当を何年かしていた。そういうわけで、当時の皇太子が記念号の巻頭で紹介されても、自分の趣味とは違うので「へー」と思って見ることもなかった。

今日この連載のために2006年に出された記念号をはじめて読んだ。この号では徳仁は「徳仁親王 秋山の思い出」というタイトルで寄稿している。10月号なのでそういうお題を出したのかもしれない。

 編集部にいた知り合いに聞いたところによると、皇太子には手紙で直接原稿依頼をするのがルールのようだ。郵便物は並べられてその中から本人が取り上げて読むという。ちなみに担当編集者が以前話してくれたところによると、徳仁は、直接東京新聞7階の岳人編集部まで来て写真を打ち合わせしたりしたのだという。700号では10ページにわたって秋山の思い出が語られ、2ページで担当記者の同行記が参考記録一覧とともに掲載されている。10ページだと10万以上になるはずだけど、原稿料を受け取ったのかまでは聞いていない。岳人だけでなく山と渓谷も記念号では徳仁の原稿を掲載している。

 当時も今も徳仁の登山に興味はないし、原稿を見ても友人ではないので退屈に感じてしまう。ただあまり飾った文章ではないようなので、素直な人なのだろうと思う。写真も悪くなく時間をかけているのだろう。岳人では雅子の写真も紹介している。雲取山や那須の姥ヶ平の紅葉の写真が掲載されていて、こちらも悪くない。1998年の長野県車山登山の二人の写真を見ると、徳仁はキャノンを、雅子はオリンパスを使っているようだ。

 同行記者は徳仁が「疲れた。休みたい」と自分から言い出したことはないと思い出話を書いている。関東の大学山岳部では、年に一度皇居周回の対抗マラソン・駅伝大会を開くのだけど、そこでは「皇太子はかなり足が早い」と噂になっていた。体力もそこそこあったのだろう。

 ただ、経歴的に見れば平凡なので、頼まれても同人誌の巻頭に寄稿するのは、ぼくだったら恥ずかしい。当時の岳人は「アルピニスト野口健」は芸能人規定してハブっていたので、そう考えると徳仁に12ページ割くのは節操がない。(2020.3.25「府中萬歩記」73号)

「そうだったのか! 共同親権」トークセッション 単独親権で暴力を防げるってほんと?

味沢道明(カウンセラー)× 宗像 充(ライター)

◆昨年、単独親権制度を違憲とする訴訟が起こされ、日本ではなぜ「婚姻中」のみ共同親権にしているのかという問いが、社会に投げかけられました。一方で、親権制度を議論するときに必ず出てくる疑問「DVのときはどうするの?」。あたかも親権のない親は全員加害者であるかのような問いかけです。◆しかし本当に単独親権で暴力は防げているのでしょうか。単独親権がある今の社会で、毎年毎年DVも虐待も相談件数が過去最高になるのはなぜでしょう。そして性別で加害被害を分ける支援は本当に当事者のためになっているのでしょうか。◆発言しながら支援する二人の討論の後、フロアのみなさんとフラットな語り合いの場をつくります。

■日時 2020年 3月 28日 (土)
第一部 13:15~14:45 
トークセッション
第二部 15:00~16:45 
交流会「子どもがいたら離婚はどうする?」

■場所 草津市立市民交流プラザ 小会議室2https://www.kusatsu-plaza.com/
滋賀県草津市野路一丁目15番5号 フェリエ南草津5階
/ JR琵琶湖線南草津駅東口徒歩2分程度
■参加費 1000円
(申し込み不要、直接会場にお越しください)

主催 おおしか家族相談、日本家族再生センター
協賛 共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会、メンズカウンセリング協会

★問い合わせ 0265-39-2067(おおしか家族相談)

●発言者プロフィール

味沢道明さん
カウンセラー。脱暴力グループワーク、コミュニケーショントレーニング、性別、被害者・加害者を分けないメンズカウンセリングを提唱、実践。日本の男性運動をリードしてきた。著書に『DVはなおる―DVを終わらせるための提案と挑戦』(2016年)『DVはなおる 続 被害・加害当事者が語る「傷つけない支援」』(2018年)

宗像 充さん
ライター。月に1回娘と会っている別居親。2009年に共同親権運動ネットワークを設立し、単独親権と戸籍制度の撤廃を目指してきた。昨年共同親権集団訴訟で国を訴える。著書に『子育ては別れたあとも 改訂版 子どもに会いたい親のためのハンドブック』(2018年)、『引き離されたぼくと子どもたち どうしてだめなの?共同親権』(2017年)

慎重な議論の行き着く先

慎重な弁護士のデマ

コロナパニックで傍聴席は間引かれたものの、3月12日に共同親権訴訟の第一回口頭弁論が開かれた。ぼくはこの訴訟の原告なので、この日、冒頭意見陳述をした。一方で2月28日には、「シングルマザー」のグループは、「慎重な議論」を求める署名を1万人分集めて提出している。記者クラブの雰囲気が若干共同親権に「慎重」になった、と感想を述べた記者もいるので、効果はあったようだ。

この記者会見では、こういうデマを相変わらず弁護士たちは述べていたようだ。

「これについて離婚に詳しい弁護士からは『程度(時間や頻度)の問題はあるが、面会交流はほぼ実現している。現在、裁判所によって、面会を制限されることは、そうせざるを得ない事情が認定された、例外的な措置』との指摘もある。」(弁護士ドットコム)

何度も言うけど、家庭裁判所に面会交流を申し立てた場合の取り決め率はここ数年55%くらいで、4割が取り決めを守ってもらえていない。「ほぼ実現している」がどの程度の割合か教えてほしいものだ。この署名はデマに基づいて集められたのだろうか。

同居シングルマザー全国団体

赤石さんもがんばるなあ、と思うけど、今度は「シングルマザーサポート団体全国協議会」というのを作ったようだ。名前は正確に「同居シングルマザーサポート団体全国協議会」にしたほうがいい。別居親もシングルペアレントなのだけれど、多分赤石さんのグループには入れないだろう。「シングルマザーじゃないから」と入会を断られた別居母もいる。この辺は差別そのもの。

「がんばるなあ」と思うのは、以前も「ハーグ慎重の会」とかで上野千鶴子やら戒能民江やらの有名どころを集めて活動していたグループがあったからだ。

「なんだよシンチョーって」とそのころ別居シングルファーザーたちで悪態をついたものだ。「反対」と言えば対案を求められる。それはできそうにないから「慎重」になる。今回も同じパターン。実際はハーグ条約の加盟を阻止するために最大限がんばっていた。

共同親権訴訟で国側は「子どもを会わせないのは同居親の問題で、国に責任はない」と主張していた。子どもに会えなくなった当事者としては無責任な主張だと思うけど、「会わせない」ことがよくない、ということは国は理解しているようだ。「たいしたことない」と言いたいらしい。(避難だから)「連れ去りと言わないでほしい」という主張もある。こういう理屈は、「心の平衡を保つために喫煙は必要だから、受動喫煙と言わないでほしい」という主張とどう違うのだろう。

ハーグ条約加盟反対運動で何がされたかというと、体の大きい外国人は怖い、と最大限の人種差別がキャンペーンでなされて、それはないよなあと思ったものだ。それで加盟やむなしのハーグ条約実施のための国内法では、DVや虐待のおそれがある場合において「特別な配慮」がなされることが目的にされ、実際そういう条文がある。

親子断絶防止法(共同養育支援法)でも同じような運動があって、法案が修正されて、DVや虐待のおそれがある場合には「特別な配慮」がなされ、そういった場合には関係断絶もありうるべきことが修正案に盛り込まれ、ぼくたちは反対した。「おそれ」を判断するのは結局のところ同居シングルペアレントになるからだ。以前赤石さんにインタビューされたとき、危険な場合はどうするの、と聞かれて「じゃあそれ誰が判断するんですか」と聞くと黙っていたので、図星だろう。

差別条項を挿入させろ

「骨抜き」という批判がなされているけどそうでなはない。これは別居親差別条項なので、そのような法案を積極拒否したにすぎない。ばかばかしいことに、別居シングルペアレントたちの多くは、自分たちが差別される法案を一生懸命作ろうとしていた。もし法案化されていたら、この差別条項を撤廃するために、また何年もかかっただろう。成立しなくてほんとによかった。

お気づきのように、共同親権「シンチョー」の議論でも、この差別条項の明文化がおそらく目的とされるだろう。先だって、訴訟のグループに取材依頼があった。フリーランスの記者だったけど、電話で問い合わせることもなく、質問項目と自分のサイトのURLだけを書いて一週間以内に回答をよこせ、というメールが送られてきた。同業者としてはずいぶんな仕事の仕方だなと思い、電話よこしたら回答すると答えたら、電話してきた。

「私は中立」と言いつつ、「会のホームページを読んでも虐待の場合とか、子どもの視点からの記述がなく、それを書いていないと賛同が得られないんじゃないか」と一生懸命話していた。被害を受けている人が別にいるから手立てを考えないと賛同できない、という主張は要するに「あなたたち加害者でしょ」ということになる。虐待の加害者は母親が多いですよ、と言うと黙っていた。「こうやって話したらわかるけど、書いていないから誤解を受ける」というけど、だったら最初から電話すればいいのに。

質問の仕方も思い込みが大きいのだけど、こういう問いがあった。「現行法では、子どもは親権者の良心にのみ期待するしかなく、子どもは自分の進路すら親と交渉して勝ち取らなければならないものになっています。その交渉相手が離婚後も2人のままだと、子どもは交渉に2倍の労力がかかり続け、両親の意見が異なれば、その争いに巻き込まれて悩み苦しむことになります。このように子どもが苦しまないようにするために、離婚後の共同親権を成立させる際に、どんな付帯条項をつけるつもりですか?」
自分たちが二級市民だという差別条項を設けないと、立法活動は認めがたいという主張にはこう答えた。


「それは婚姻中の共同親権においても同じことですので、もしこういった付帯条項の必要性があるというなら、戦前のように婚姻中も単独親権にするのが一番いいのではないでしょうか。なお、子どもの福祉の観点と男女平等の観点から、戦前の単独親権制度は戦後は婚姻中においてのみ共同親権になっています。共同親権が子どものためにいいからです。婚姻外の共同親権に付帯条項が必要と考えるのは、別居親は養育にかかわるのは望ましくないという偏見に基づくものです。」

(宗像 充 2020.03.16)

山とナルヒト 第2回「山のベテラン」

 徳仁が天皇になるときに、「山のベテラン」として紹介する記事を見かけることがある。実際どうなのかとネットを検索すると、彼の登山歴をまとめたリストが出ていた。こんなことまで調べる人間がいるのかと思ったけど、この連載には都合がいいので見てみると、1960年生まれの徳仁は、1965年の離山で登山を始めたようだ。別荘のある軽井沢にいたときに父親と標高差200mの山に登っている。大人なら1時間程度で登れる。

このときが5歳で、翌年には15座の山に登っている。平均すればだいたい年に5回ほど登っているようだ。次に多いのは26歳の1986年のようで9つの山に登っている。このときは、留学から帰ってきて体力もあっただろうし、八ヶ岳から南アルプス、北海道利尻岳まであちこち足を延ばしている。そんなわけで翌年日本山岳会に入ったというわけだ。

 一般にベテランという言葉は、熟練者という意味らしいので、毎年あちこちの山を登ってきたという面ではそうなのだろうなあと思う。無雪期の山に関しては、日本の3000m級の山も含めてよく登っている。ただ、山学同志会に入って谷川の岩壁をガシガシ登ったり、日本山岳会に入ってもヒマラヤを目指したりというわけでもなさそうなので、ベテランだからと言って、「雪山教えてください」と頼んでも無理だろうし、「クライミング連れてってください」と頼んでも無理そうだ。あと、山小屋にはあちこち泊まっているようだけど、テント泊はほぼないようだ。ベテランにもいろいろいるし、趣味なので、本人が楽しければそれでいいと思うけど、皇室なのでめんどくさいところもある。

 友人の記者に、奥多摩の棒ノ折山に徳仁が来たときの様子を聞いた。リストを見ると1986年に登っていて、気に入ったのか、雅子を連れてそのあとも来ている。ベテランでも手ほどきができるのは妻子限定で、他人が評価しようがない。

「登山に限らずだけど、皇室が来たら分秒単位で行程が決まった本みたいな計画書が事前に配られるよ。見なかったけど。それで、必ず地元の案内人がついて、案内の人は、事前に何回も下見してたみたいだし、皇太子来ると道はよくなる。

当日は案内の人と二人で登ってきた。ぼくたち記者は事前に登って待ち構えていて、頂上に登ってきた瞬間を撮っていいと言われる。立ち位置は決まっているよね。護衛? 来てただろうけど気付かなかったなあ。山の中にいたのかなあ。一般登山者は規制されていないから、その中に紛れていたのかもしれない。記者は10人くらいいて、宮内庁記者以外は質問しちゃだめらしくい。メモもとっちゃだめだったみたいだけど、ぼくはとってた。仕事としてはつまんないよね」

 若いころから、こんなに他人に気を遣わせてきたベテランもどうかと思う。

(「府中萬歩記」71号、2020.1.30)

安否確認弾圧

オーストラリア人スポーツジャーナリストのスコット・マッキンタイアさんは、1月15日、東京地裁で懲役6月、執行猶予3年の有罪とされた。彼は、妻の両親の暮らすマンションの共用部分、オートロックドアの内側に、住民のあとについて入り、ピンポンを鳴らしたのが「住居侵入」とされた。妻に子どもを連れ去られ、行方不明になっていたので、安否を聞くための行動だ。当日は、甚大な被害が出た台風19号が関東地方を襲った日だ。

日本では子どもを連れ去られたことが加害者の証明になる。しかし共同親権の国では連れ去ったほうが誘拐罪とされる。現在多くの別居親たちが警察署に告訴を続けているが、検察が起訴した事例はない。判決後、彼は共同親権を海外メディアに訴えた。オートロックドアの内部にはNHKの集金もやってくるが、一月半後の別件逮捕は政治弾圧にほかならない。「一目会いたい」という法廷でのスコットさんの言葉は、東日本大震災のときに、ぼく自身が感じた感情だ。「親子が親子であるということ、それは人権」。

(『反改憲』運動通信 No.8 2020.1.30)

男にもっと稼げと言うだけで貧困問題は解決するか

信濃毎日に投稿して没になったもの

 「離婚後の養育費2万円増も」(12月23日)の記事を読んで違和感を抱いた。この記事では、「貧困解消『不十分』の声」として養育費を受給する同居親側の意見がもっぱら紹介され、支払う側の別居親の意見はない。

 ぼくは12年前に元妻と別れて、当初「子どもと会わせる」という約束を守ってもらえなかった。というと、「何かひどいことしたの」と思われるが、実際には約束を履行させる仕組みは弱く、「調停を申し立てた」ことが不履行の理由だった。子どもと二度と会えないかもという恐怖の中でも、調停・審判の2年半、ぼくは養育費を支払っていない。「会せないのに払うのか」と思ったし、元妻はすぐ再婚したので養育費は求められず支払い義務もなかった。数年後、2度目に子どもと引き離されて後、今度は元妻が振込先をなかなか教えず苦労した。養育における経済的な分担は義務だけでなく親としての権利だと知った。

貧困問題は格差の問題で、男性の費用負担の高額化に解決を求めれば、男女間の賃金格差を肯定する。それでは女性の社会的地位は高まらない。共同親権のもと、婚姻内外問わず、経済的にも養育時間の面でも、子育ての男女平等を目指すことが、本当の貧困解消の道筋でないか。

大鹿村 宗像 充(自営業・44)

山とナルヒト 第1回 会員番号10001

 手元に日本山岳会の古い名簿がある。「な」行には出ていなくて、もしかしてと「か」行を探すと「氏名」欄に「皇太子殿下」と載っていた。住所は「港区元赤坂2-1-8東宮御所」。2人の推薦人が必要という、気位の高いこの日本で最初の山岳会に、ぼくも入っていたので名簿がある。

 現在、この人の天皇即位に伴い、メディアは彼の趣味の登山も取り上げている。「山のベテラン」、彼が登って山小屋がよくなった、登ったルートを「ロイヤルルート」として紹介する、などなどだ。とはいえ本誌編集部がそういった記事を天皇制反対のぼくに期待するわけないし、かといって、趣味の話でむやみと敵意を向けるのも野暮ったい。なので、彼の登山行為の社会の中での位置づけを、エピソード的にこの連載では試みたい。

 徳仁が日本山岳会に入会した1987年7月は27歳のときらしい。ウィキペディアで彼の来歴を見ると、オクスフォード留学を終え、学習院大学の博士課程に在籍中で、この年、はじめて国事行為臨時代行についている。翼賛系の報道では、入会が「名誉会員」ではなく一般会員であることが美談として語られている。

父の明仁が、はじめて民間人女性と結婚する一方で、アメリカ人家庭教師をつけ軽井沢のテニスコートで美智子と出会ったエピソードを武器に、リベラルかつロイヤルな演出がなされてきたのとは違い、徳仁の場合、一般人との交流が美談として語られることがままある。「庶民性」は、外交官という超できるエリート女子と結婚したこの人の十八番だろうが、わけても登山は彼のこの演目の武器だ。

ただし、一般会員に「殿下」という敬称が付く人はほかにいないし、切りのいい会員番号を振られる会員もいそうにない。そもそも「皇太子」は名前じゃなくて役職だ。

ぼくが入会したのは、この大学山岳部の学閥組織で同期の仲間とヒマラヤに行くためだ。なので、登山後はやめた。会の援助で海外登山をした学生は、会の晩さん会で給仕をしたりするのが恒例で、皇室大好きの同期の一人は、このとき徳仁と握手して後で会の役員に怒られたという。

ちなみに、この会で会員アンケートの結果を会報「山」に紹介したときに、徳仁について、もっと丁重に扱えという回答がある一方で、特別扱いするのはおかしい、という回答もあったのを覚えている。ただ、いくら「庶民的」といっても、彼が「勤労者山岳連盟港区支部」とかに入ることはなさそうだ。学習院大学山岳部出身の登山雑誌の編集者によれば、山岳部に入りたかったけど止められたと聞いている。

(2019.12.26「府中萬歩記」70号)