山とナルヒト 第2回「山のベテラン」

 徳仁が天皇になるときに、「山のベテラン」として紹介する記事を見かけることがある。実際どうなのかとネットを検索すると、彼の登山歴をまとめたリストが出ていた。こんなことまで調べる人間がいるのかと思ったけど、この連載には都合がいいので見てみると、1960年生まれの徳仁は、1965年の離山で登山を始めたようだ。別荘のある軽井沢にいたときに父親と標高差200mの山に登っている。大人なら1時間程度で登れる。

このときが5歳で、翌年には15座の山に登っている。平均すればだいたい年に5回ほど登っているようだ。次に多いのは26歳の1986年のようで9つの山に登っている。このときは、留学から帰ってきて体力もあっただろうし、八ヶ岳から南アルプス、北海道利尻岳まであちこち足を延ばしている。そんなわけで翌年日本山岳会に入ったというわけだ。

 一般にベテランという言葉は、熟練者という意味らしいので、毎年あちこちの山を登ってきたという面ではそうなのだろうなあと思う。無雪期の山に関しては、日本の3000m級の山も含めてよく登っている。ただ、山学同志会に入って谷川の岩壁をガシガシ登ったり、日本山岳会に入ってもヒマラヤを目指したりというわけでもなさそうなので、ベテランだからと言って、「雪山教えてください」と頼んでも無理だろうし、「クライミング連れてってください」と頼んでも無理そうだ。あと、山小屋にはあちこち泊まっているようだけど、テント泊はほぼないようだ。ベテランにもいろいろいるし、趣味なので、本人が楽しければそれでいいと思うけど、皇室なのでめんどくさいところもある。

 友人の記者に、奥多摩の棒ノ折山に徳仁が来たときの様子を聞いた。リストを見ると1986年に登っていて、気に入ったのか、雅子を連れてそのあとも来ている。ベテランでも手ほどきができるのは妻子限定で、他人が評価しようがない。

「登山に限らずだけど、皇室が来たら分秒単位で行程が決まった本みたいな計画書が事前に配られるよ。見なかったけど。それで、必ず地元の案内人がついて、案内の人は、事前に何回も下見してたみたいだし、皇太子来ると道はよくなる。

当日は案内の人と二人で登ってきた。ぼくたち記者は事前に登って待ち構えていて、頂上に登ってきた瞬間を撮っていいと言われる。立ち位置は決まっているよね。護衛? 来てただろうけど気付かなかったなあ。山の中にいたのかなあ。一般登山者は規制されていないから、その中に紛れていたのかもしれない。記者は10人くらいいて、宮内庁記者以外は質問しちゃだめらしくい。メモもとっちゃだめだったみたいだけど、ぼくはとってた。仕事としてはつまんないよね」

 若いころから、こんなに他人に気を遣わせてきたベテランもどうかと思う。

(「府中萬歩記」71号、2020.1.30)