千葉家庭裁判所宛陳述書

この陳述書は、元妻が申し立てた面会交流決定取り消し調停・審判にあたり、作成したものです。担当は中山直子裁判官。元妻側代理人は、森公任・森元みのり弁護士。元妻とその夫、森・森元に対しては、飯田地方裁判所で養育妨害行為についての損害賠償請求をしています。

2022年4月11日

宗像 充

1 この間の面会交流

 この度、6月の決定を前に書面の提出の機会をいただき、ありがとうございました。せっかくの機会なので、現在の面会交流の実情と私の思いについて触れさせていただきます。

 現在私は月に1度決まっている面会交流日に子どもの暮らす家を訪問し安否を確認しています。待ち合わせ場所は幕張本郷の駅前の交番で、20分ほど待ってから、交番の相談員の方に話をして歩いていくか、タクシーに乗って家を訪問し、チャイムを押してXとY[子どもたちの名]の手紙を投函し、帰宅します。手紙の内容は、近況報告が中心です。

 交番の相談員のAさんも、私はここで娘と合流するようになってから事情を度々話してきたので顔見知りです。

「いつもお世話になります。今日も取り決められた日に娘を待っていましたが来ませんでしたので、これから家を訪問し手紙を入れて帰ると思います。先月も同じようにしました。多分何も起きないと思うのですが、何かあったらご迷惑をおかけすることになるかもしれません。そのときはよろしくお願いします」

それが私が昨日Aさんに伝えたすべてです。「ご苦労様です」とAさんは言って私を送り出してくれました。

 毎回友人のBさんが付き添いをしてくれます。何度かC氏[元妻の名]やD氏[元妻の夫]が面会交流中に交番に入って、そこで私と娘と引き離されることがありました。損害賠償を提起するとやみましたが、駅前で娘と合流すると、近くでD氏が監視していて、それは、Yが来なくなった後も2か月続きました。

何かトラブルがあったとき、不利になるのは子どもと離れている私のほうですし、私が感情的になっても止めてくれる人がいてくれたら心強い。Bさんは手弁当で、Yと会えなくなってから毎月のように来てくれています。Bさんは面会交流支援のNPOで支援員を何年も続けてくれている方ですが、そういう面でも子どもや別れた父母双方安心ができます。

2 司法に子どもを奪われた被害者

自分が娘の年ごろだったころのことを考えれば、親をうざったく感じる娘の気持ちはわかります。片親疎外には、あきらめずに顔を見せ続けるのが大事だとわかっていても、会えもしなくてこうやって長野からやってくることにどんな意味があるのか、自分でも心もとなくくじけそうになることはあります。そういうときBさんが、「やれることがあったら続けたほうがいいよ」と励ましてくれたことがあります。

Bさんは、ぼくが子どもと引き離されたとき、子どもの権利について活動する市民団体の中で出会いました。もう10年以上前のことですが、国連子どもの権利委員会に日本の実情を届けるその活動に参加していたそうです。

Bさんは、ぼくと同じように、子どもが小さいときに離婚で3人のお子さんと引き離された経験を持っています。その後、債務不履行の裁判で面会交流妨害の違法性を認定させたにもかかわらず、元妻の再婚によって、その後取り決めが取り消されました。それまでは自宅に何度か訪問していたそうです。しかし裁判所は、(法的にはありえませんが)家に近づかないようにとまで指示してBさんは子どもに接触すること自体を断念しました。Bさんは、ぼくといっしょに単独親権制度の違憲性を問う国家賠償請求訴訟の原告になってくれましたので、そのときにBさんの経緯について取り上げた新聞記事があります。ご参照ください。つきそってくれるのはご自身の経験も踏まえて友人として応援してくれているのだと思います。

 Bさんのお子さんはもう成人していますが、いまだにBさんとの再会は叶っていません。Bさんはいまもどこに住んでいるのか、戸籍の付表を取り寄せたりして、安否を確認しようとしています。孫もいるのがわかったようですが、会ってもいなくてそんな可能性もないのに、DVによる住所非開示の措置を子どもから出されたようで、いまに至ってまで子どもからの拒否が続いています。はじめて会ったとき、「親は子どものことは気にかかるもんだよ」と言っていたBさんです。いまは「おれもこの間まで体長が悪くて、年取って先も長くないから住所非開示した市役所に問い合わせてみる」と昨日は言っていました。いま現在この措置の違法性について各地で行政訴訟が起きていることは中山さんも存じ上げていると思います。

 Bさんは、司法によって子どもを奪われた被害者です。一度の取り決めの取消しがどのような結果を生むかを身をもって知っています。Bさんだけが例外ではありません。私はこれまで1000人以上の別居親と出会って、多くの相談を受けてきました。裁判所が当面の面会交流を取り決めずその後再開できるようになった事例は極めて限られています。月に1度2時間の決定を出され、その後中学校になって子どもの意思を理由に会えなくなった事例はあまりにもありふれています。弁護士がそのように知恵をつけているのは明らかです。

 先日私のところにやってきた母親は、父親が亡くなり父親の親族と親権者変更で裁判で争ったそうです。裁判官は彼女が子どもと引き離されていたことを知っていて、関係を取り戻しながらいっしょに暮らしたいという母親の願いを聞き入れませんでした。そのとき相談を受けましたが、10年かぶりに再度ぼくに連絡してきたのです。彼女は、孫が生まれ子どもから連絡が来たそうですが、娘とは連絡できてもなかなか会ってくれないそうです。父親の親族からは一方的な話だけを聞かされ、母親の顔に似ていることで度々いじめられたようです。そのことが障害になってなかなかすんなり母親に会うに至らないそうです。お母さんを慕いたいのに素直になれない。彼女も彼女の娘さんも、司法によって親子の時間を奪われた被害者です。

裁判所が決定した面会交流は、父母が別居している子どもにとって、とても大きな意味をもちます。父母の一方だけと一緒に暮らしている状態は偏った環境で、これは仕方のないことです。当然、子どもの視点もその偏った環境で育まれていきます。そのような中で、子どもに対して最低限用意してあげた機会が面会交流の決定です。この機会を「環境」の圧力に負けて縮減することはまったくの背理です。環境の圧力に押し流されて、裁判所が自ら確保した機会すら取り消してしまったらどうなるか。上記Bさんたちの例のように、親子はその関係性を取り戻すための自然治癒力すらも会得することもないまま、それぞれの一生を送ることになるかもしれません。

3 取り決めの意味

私の面会交流の決定は、会えてないなら意味のないものに、はたから見たら感じられるかもしれません。しかし私のいまの願いは、子どもに会いたいという気持ちよりも、むしろ娘に親の顔を見せてあげたい、という思いのほうが強いのです。Bさんも先の母親も、同じ思いだったんじゃないでしょうか。限られてはいても、司法の応援がこれまであったから続けられたことでもあります。

私は、母親やその代理人がいうように、子どもの気持ちや反発心をまったく理解しない、自分のことしか考えない父親だと、中山さんは感じられることでしょうか。たとえ自分のことで周りが騒がしくなり、わずらわしいなと思っても、月に一度、自分のことで遠くから足を運んできてくれる人の存在は、娘の成長にとって私はけっして無駄ではないと思い、毎月千葉を訪問します。そのことをわかってくれる人がいるので、Bさんに限らず、私たち親子のことを心配してつきそってくれる人たちがいるのです。そういう大人の存在は、Yにとって財産ではないのでしょうか。

私は、Xへの履行勧告を何度かこの間しましたが、説明もなく却下されています。Xは成人しました。Yはどうするか聞かれて、自分は聞かれない、というのはXにとって寂しいだろうなと考え、勧告を立てたにすぎません。

私もBさんも、そしてD氏も、子どもの権利条約にある子どもの意見表明権について、それは子どもの発言に責任を負わせることではなく、子どもの欲求表明に応答的関係を作ろうとする大人の義務だという、法学者の福田雅章さんから学びました。私の対応が殊更すぐれているとは言いませんし稚拙なところもあるでしょう。しかし、Yに不満があっても、それは親子関係の中で私が対処することで、その機会すら奪うことまで司法には本来権限はありません。Yの父親は中山さんではなく私です。それは私も含め、誰も変えることがでません。

この度、子ども代理人をつけるにあたり、調査官調査よりも丁寧に子どもの話を聞け、子どものプライドを傷つけないからというのが、中山さんの説明でした。その報告を見て私は呆れました。子どもが自分に不利になるようなことを言わないのは最初からわかっているにもかかわらず、父親への嫌悪感情のままにレポートにして、いったいどれだけ父子関係に利すると、子ども代理人は考えたのか。最初から結果はわかっているので不要な手続きだという私の主張を否定してまでもした結果がこれでしょうか。父親への嫌悪感情を示せば周囲の期待に沿えるということを子どもに再度学ばせることが、裁判所の言う子どものプライドを守るということでしょうか。

私が求めたとはいえ、決定に責任を持つ中山さんが娘に会いたいと呼び出したのです。子どもの進学先も問いたださず、子ども代理人には父親に何も伝えず娘を会わせ、今度は利害関係人と認めた本人を、税金で雇った子ども代理人の言葉で呼び出さない。正直裁判所がYに振り回されています。親としては申し訳ない気にもなりますが、裁判所はいったい何をしたかったんでしょうか。

私は、学校に行ったことを理由に何度も子どもの感情を害したと言われます。しかしCさんといっしょに住んでいたとき、私はXやYの園行事に出なかったことでCさんに異常なまでに罵られました。裁判所は最初の面会交流決定の高等裁判所判断で、双方の関係改善を図り面会交流を拡充するべきと書いています。Bさんは「そう書かれたら向こうが拒めば拡充できない。そういう決定よくあるよ」と指摘しています。その後裁判所は拡充について(回復ですが)「時期尚早」と繰り返し、今度は自分の決定を取り消すのでしょうか。

私はそんなことより、いまの決定を維持して、「遠くから毎月お父さんが来てくれるって素敵なことだね」というメッセージを司法が伝えることを選んだほうがよっぽどいいと思います。意図が伝わるか不安なら、中山さんが娘に会いにいってやってください。一人の人生を左右する決定をするということは、それだけ重いことなのです。