「DVの場合は単独親権」がちょっとおかしい理由

共同親権という言葉が徐々に知られるようになってきて、以前、共同親権に反対してきた人たちの中には、選択的共同親権という言葉を使うようになってきた人もいる。親権の概念を説明して、「合意ができない場合は選択的がいい」とさもわかったようなことを言う人もいる。こういう議論を聞くたびに、「ばかじゃないの」と思う。

 選択的共同親権を提唱する人たちは、現在のDV施策がまともに機能している前提で主張する。そして「子どもに会えないDV被害者の母親がいる」と言えば、「その方は加害者だからでしょう」とは言わず、「だからもっとDV法を強化しないと」という。

だとすると結局、現在の単独親権制度ではDV被害者は守れていないということになる。こんなのは小学生でもわかる理屈だ。これでDV防止のために単独親権制度を維持しようなんてインチキだ。

そもそも「先に取ったもの勝ち」

 そもそも、親権選択は現在の裁判所では「先に取ったもの勝ち」なんだから、親権者がDV被害者である保障など何もない。DVの加害者が知恵をつけて子どもを連れ去れば男女問わず親権者になれる。だから、選択的共同親権というなら、被害者から親権を奪うことも受け入れよう、ということになる。

これのどこがDV防止、被害者保護なのだろう。彼らは女性支援をしているだけで、被害者を支援しているかもしれないけど、DVの加害者も少なからず支援している。そしてそれなりの数の被害者から子どもと親権を奪い続けている。

 DVの加害者を支援してはいけないと言っているのではない。だけどDVの加害者に「あなたは何も悪くない」と言ったら加害者は「やっぱりね」と思ってDVを繰り返さないだろうか。自分のDVをやめたいと思っている人には何の助けにもならない。そしてどうやったらDVをやめられるのかという加害者の脱暴力支援など、やる気がある人などいるようにも思えない。

 ぼくもDVの被害者で引き離された母親の話を少なからず聞く機会があるからそう思える。彼女たちは少なからず女性相談に行って「子連れで逃げるなんてできない」と躊躇している間に子どもと引き離される。この場合は加害者が親権者になるのだけれど、こういうとき再び女性相談に行っても役に立つ支援など何もない。下手すると「もっと早く来てくれてたら」とか言われて傷つくことがある。

たしかに子どものことを諦めれば暴力被害にも合わないかもしれない。だけどちょっと変じゃない? そもそも親への暴力が子に転嫁するから逃げろというんでしょ。だったら子どもはいま一番危険なわけじゃない。それでどうして「もっと早く来てくれてたら」になる?

 単独親権制度がDVの連鎖を断つのに役立つと本気で考えているなら、回りくどい言い方をせず「子どもを連れて家を出られなかったあなたが間抜け。子どものことはあきらめろ」とちゃんと言うべきだ。そして、女性相談の窓口にもそう書いたパンフレットを置いておくがいい。子どものための面会交流なんて口が裂けても言ってほしくない。

 こういう場合、夫に暴力はやめてほしいけど、子どもの父親でもあるんだから、子どもから親を奪えない、という意向が仮にあっても相手にされない。それは「夫からコントロールされているから」ということになるかもしれないけど、ぼくも親からすれば子どもなので、子どもは暴力のない家庭で両親といっしょにいたいだろうと想像する母親の気持ちがおかしいとは思えない。

子連れで逃げないと親権とれないなんてリスキーすぎ

 繰り返すが単独親権者にはDV加害者ももちろんいる。こういった親の引き離し行為は「DVによる支配関係が継続する」ということそのもので、その支援は、加害者の加害支援になる。

 女性支援をしている団体のホームページには「親権を得るには子どもと離れないように」と書いていたりする。つまり「先にとった者勝ち」というルールは彼らの武器だった。女性が親権をとれない時代から彼らが獲得してきたものでもあるだろう。だけど、そもそも子連れで逃げないと親権をとれない、ということのほうが問題ではないか。そんな危険な行為を被害者にさせていいのか。一人で逃げてかつ子どもとも離れなくてすむなら、そのほうがよくないか。日本のDV法のもと、選択的共同親権でこれができるか?

逃げられない男たち

 日本のDV法は自力救済という民事的解決の支援という法の構成をとっている。だから警察に暴力被害を訴えても、捜査よりも保護が優先されて女性支援に回され、その後は警察はタッチしない。

しかしもちろん、先ほど言ったように、子どもといっしょに逃げるという選択肢以外のことを望んでいる母親は、この場合親権は得られない。また、子どもといっしょに逃げたいにせよ、自分がまず暴力被害から逃れたいにせよ、男性の場合にはこういった保護の仕組みは一切ない(居所秘匿措置を使って母親から子どもを引き離す男性は最近いる)。女性の3人に1人、男性の5人に一人がDVの被害者で、過去1年間では被害の割合はほぼ同じなら、この不均衡は犯罪的ですらある。社会構造的に男性社会だからと言っても、被害を打ち明けられないでいた個々の苦しみは、何も解消できはしない。

仮に選択的共同親権を主張したいなら、DV施策のこの根本的な性差別を解消してから言うべきだ。民事での自力救済を前提としたDV施策は、誤爆による親子引き離しの被害者を大量に排出することでしか維持されない。そして、いくら女性支援だからと言って、加害者の加害支援をしつつ、こういったシステムの維持を主張し続けるのはあまりにも虫がいい。家庭裁判所でのDV審査に無駄な税金をかけるぐらいなら、容疑を立件する手続きが用意されている刑事での介入がなされたほうがまだましだ。もし、こういったすべてのシステムエラーを不問にしたいなら、わがまま言わずに「婚姻」内外問わず共同親権にして、親の権利の制約は他の民法上の規定に委ねるしかない。

 ぼくは、家庭以外では、女性の話よりも男性の話を聞く方が多い。彼らの多くは(元)配偶者から精神的DVや、今はモラハラをしたと言われている。そして少なくない男性たちが、ぼくが聞けば「それはDVです」というような、精神的、肉体的虐待を受けている。

だから男性も被害者だと言いたいのがここでの目的ではない。そもそもDV被害は男女問わず主観的だからだ。ただ、彼らの被害を聞いてくれる場は、法的にも実際の支援の上でも社会にはほとんどないということを知ったからそう言っているだけだ。もちろんこれは女性の引き離し被害者にも言えることだ。彼らに「もうちょっと早く来てくれれば」とぼくは言わないし、言えもしない。