法制審議会中間試案は出来損ない

法制審議会家族法制部会の中間試案が出て、3か月前と大して内容的に変わりがない。

 この審議の経過を議事録などを通じて見ていて、中間報告が取りまとめられる前の段階で「出来損ない」とぼくは批判してきた。仮にも多くの人に見てもらって意見をもらうのが前提だとすると、選択肢を羅列しただけで何が言いたいのかわからない報告は「出来損ない」だ。自民党の法務部会が3か月前に注文を付けた理由の一つに「わかりにくい」というものがあるということが報じられている。

 このレポートを例えば一冊の本だとする。

出版社が、これこれこういう企画のものを作りたいので、一冊まとめてくれませんか、と作家に注文する。担当編集者の法務官僚が作家の法制審議会に企画を持ち込んだ。ところが、作家は何言ってるんだかわからない散漫な原稿しか書けず、担当編集者は「まとまらなかったんですよ」と大株主に持ち込んだ。大株主は「何言ってんだかわからない」「時流に遅れている」とか色々意見が出たらしい。政策は商品なので、売れそうにない商品には注文くらい付けるだろう。この会社では編集権の独立とかはないらしい。もちろんそれ自体が問題かもしれないが、みんな知ってて黙認してきた。

ところが今回は「まかされたんじゃないのか」と作家も機嫌を損ねた。この時点で担当編集者はとにかく出版にこぎつけるために善後策を考え、見やすい図表を入れるから程度の説明をして大株主の了承を取り付けた。編集者も大株主も、社長も作家も責任をとりたくない。で、この商品は売れるでしょうか?

 出版のごたごたが外に漏れ出てそれでも同じ社で出す商品は、際物としての価値はあってもその時点で傷物だと思う。どうでもいい会社なら勝手にやれば、と思う。ところが自分は、その会社の出版物の定期購読者(会員)でもあるので、口を出すぐらいの権利はある。もっといい企画もあるでしょうと提案ぐらいはできたりする。

ところが、出来損ないでも企画取りやめよりまし、お前なんかただの会員だろ、と商品化を焦る連中も出てくる。「今の時点であなたの企画は通ってないんだから、会社を私物化しないでくれ」と、組織擁護のために口封じに躍起になる人間もいる。強制加入の会員みたいなもんだから、そこまで義理立てする理由もない。

しかし、しょうもない企画のために購読料(税金)が無駄になるのも嫌なので、自分の企画を実現する方法も前々から準備している(共同親権訴訟)。「ぜひ購入したい」という声が高ければ、この商品は早々に世に出るだろう。