国民投票で単独親権制度を終わらせよう!

国民投票、ちょっといいかも

 ツイッターで「もうめんどくさいから…… 選挙やろうぜ! 原則共同親権か単独親権か!全国民で!」と書き込んでいる人がいた。「あ、それは国民投票のことだ」と思った。ちょっといいかもしんない。

 これまで国政の課題で国民投票にかけられた事案はない。日米安保にせよ、原発にせよ、世論を二分する問題が裁判で争われ、国政選挙の課題になり続けていても、直接国民投票にかけられたことはない。多くの場合、与党が進める政策に反対の意見が出て賛否が割れるので、与党からすると国民投票をすることにメリットがない。あるのは、自分たちの政策に今後反対を言わせないために、憲法改正の国民投票をするときだけだ(大政奉還的国民投票)。

 親権問題についてはどうだろうか。

 与党の政治課題の上位にこの問題があるとは思えない。だけど海外からはヤンヤ言われるので、やんないといけないと政策担当者レベルでは思っている人もいる。だから法制審議会に法務大臣が諮問した。

一方で、共同親権が政治課題化するのを避けるために、国会議員やメディアに圧力をかけ続けた弁護士や勢力はある。法務省の実務家レベルは、自分たちの権益を保持するために、法制審議会に大量の抵抗勢力を引き入れたた。その成果で、法務省が中間報告のたたき台として用意しているものを見ると、一般の人が見て理解できない構成となっている。これでパブリックコメント(パブコメ)をしたところで、誰も「これがいい案」とは言わない。「ザ・出来損ない」。

誰も責任を取りたがらない

 では政治家たちは自分たちで引き取って、独自の法案を進めるだろうか。与党内でも反対する勢力はいるし、野党の政党は「反自民」の票欲しさに、血迷って人権問題の解決に抵抗し続けているので、政党ごとに改正の合意を得るということも難しそうだ。親子断絶防止法のときの反発の強さは経験ずみなので、泥をかぶっても政治課題として推し進めようという気概のある連中は見当たらない。

 要するに、政治家も官僚も、世論をまとめるという努力を怠ってきたので、現在、民間での両勢力のつぶし合いが続いている。もちろん、マスコミも不勉強なのもあって、法務省発表のプロパガンダ的な選択肢を示すことはできても、論点を整理し、それがどういう意味なのか、自分の言葉で解説できている記者はほとんどいない。

しかしだからこそ、この問題は国民投票にかけるにはうってつけなのではないだろうか。政治家や官僚は責任を取りたくないので、主権者に直接「私たちでは力不足なのでご意見をお聞かせください」と言ってもよさそうなものだ。メディアも、どんな記事を書いても大量の苦情が来るのにうんざりしているので、国民投票なら安心して双方の言い分を紹介できる。

投票にどういう理屈で反対するのか?

そもそも「紛糾してるから直接みんなの意見を聞こうよ」という提案に反対する人がいるのか。アメリカでは州の親権法の改正に住民投票がなされることもあるし、家族の問題は個人の信条にかかわることだからと、家族法の改正に対し党議拘束を外して国会議員が多数決をとった国もあった。

この問題が「複雑なように見える」のは、批判をかわして現行制度を維持するという司法官僚たちの狙いを、正しくメディアが伝えないからだ。しかし現行制度に不備があるから、海外からも国内からも批判があるという事実に正面から目を向けないと、改革の意味がわからないのは当たり前だ。

戦後民法改革で共同親権を採用しつつ、婚姻外に単独親権をとり残したため(単独親権がメインで共同親権による一部適用除外という意味での単独親権制度)、片親による養育体制(片親の排除体制)が、さまざまな弊害と悲劇を生んできた。この体制を維持するか廃止するかが問題だ。

法務官僚が夢見るように、どうやって現行制度の中に「共同親権」というワードを入れるか、という問題ではない。「子どもは父母から生まれるのが当たり前、その実態に合わせるどんな制度が必要か」という問いは、法務省が用意した選択肢に、パブコメという名のアリバイ作りに協力するだけでは、人々に投げかけられはしないだろう。そもそも出来損ないの法務省案自体がまとまらないのに、意見をいろいろ言われたところで、その後どうやって法制審の中で意見を集約するのだ。

やってみたくなったでしょ。

住民投票では、個別問題についての住民投票条例を作ってその後投票を実施することが多い。この問題でも、任意の世論調査でもなければ、国会が人々に意見を聞こうとまず決めないと実施できない。それがいやなら反発を恐れず自らの信念に基づき自分たちでまとめるしかない。関心がある人たちだけで意見交換していたからまとまらなかった。関心のある人しか意見を出さないパブコメはこの場合不適切なのはわかりきっている。直接みんなに聞くしかない。