山の大鹿

「何キロあるんですか」

 行き違ったり、追い抜いていったりする登山者が、背負子のビールの箱を見て声をかけてくる。昨日は余裕があったのが、今日は最初のうちこそ答えていたけど、だんだん面倒になってきて無言になる。

 三伏峠へのヘリの荷上げが遅れ、三伏峠小屋のビールのストックがなくなってきているという。山小屋のビール飢饉解消のためにレスキューに向かう。

コロナで開店休業状態だった山小屋も、今年は営業再開になり、山の日の連休前の駐車場も車であふれていた。山小屋バイトの仕事も声がかかったけど、田んぼの水の管理のために長期で家を離れられなかった。荷上げはキロ単価なので持てば持つほど稼げる。

そうはいっても重い荷物とか最近持ってないので、初日は20㎏を荷上げした。ほかの登山者に遅れることもなく峠に着いた。途中、「ボランティアですか」の質問に「ボランティアでビールは運びません」と答える。山小屋で酒なんか買う登山はほとんどしたことはないので、山小屋にビールがなければないでいいと思う。でも感謝もされていい気になって任務終了。

家でビール飲んで寝ようとしてたら翌日も行ってくれという。というわけで、調子にのって前日より10㎏増やして歩きはじめると、全然ペースが上がらない。背負子のジョイントが壊れている上に、途中、一番下の台座にしてた発泡スチロールが壊れて荷崩れを起こし、ビールが箱ごと落ちていく。幸い中身は無傷だったものの、そんなこんなで、バスで下りた登山者には全員追い越され、よたよたしながらやっと昼過ぎに峠に到着。邪魔だから歩荷にストックは2本もいらない。

 三伏峠への登山道は、ところどころ桟道っぽくなっているところがあるけど、木が痛んでいてあぶなっかしい。村役場は村長が替わって議員に質問されたのもあってか、南アルプスの登山をもうちょっと盛り立てようという気になっているそうだ。

伊那谷の登山シーンで大鹿村は圧倒的に負け組だ。百名山を3つも抱えているにもかかわらず、登山道はどこも荒れていて、登山客誘致の導線もインフラも発想もない。唯一登山客が大勢来るのが三伏峠への登山道で、ここは村が管理に手を挙げて整備するのだという。無粋なことに短管が登山道脇に置いてあって一応やる気の片りんを見せていた。塩川から三伏峠に登る道は10年近く放置したままだし、登山客は村を素通りして鳥倉林道の登山口に車を置いて山に登る。登山者は山小屋以外はまったく村の人には無関係な存在だ。

 だいたい、議員や村長がやる気になったところで山に登りに来たりはしない。役場に行ったときに産業建設課の課長に呼び止められ、お金出すから村の中の登山道を見てきて写真撮ってきてほしいと言われた。お金はいらないけど、善意で見てきてあげます、ということであちこち登ってみた(レポートを出すと出してくれた)。なんでも南アルプスの観光振興の委員会も作るから委員にならないかと言われたけど、「役場にはいろいろ弾圧を受けましたから」と言っておく。

 大西山、塩川登山道、鬼面山、それに雑誌の取材もかねて北条坂、越路と毎週のように村の山の中をあちこち歩いた。鬼面山のように2百名山になっている山は、村外からくる人の動機もあるけど、ほかの山や道はほとんど登山者が来ないので荒れる一方だった。

それでも、北条坂や越路は、造林とかで歩く人もいるのか踏み跡程度はトレースできた。道を整備すれば管理責任を問われる世の中なので、ワイルドさを売りにするのだろうか。

大鹿村から望む赤石岳は、南アルプスの盟主というのに、長野県側から登るルートは小渋川を何度も徒渉する道で敷居が高い。おまけに3年前の豪雨で林道が崩落し、登山口の湯折まで歩いて至るのも神経を使う個所がある。小渋川の先には村所有の広河原小屋がある。役場は放置している。山仲間のS君と雑誌の取材も兼ねて梅雨明けに登りに行くと、広河原からの登山道の倒木や灌木の枝による荒廃ぶりに唖然としていた。

山頂に着くと、小屋番の榎田さんたちは18年間の小屋番を今年最後にするという。同じ村内だというのに泊ったことはなかった。夜になると登山客と宴会になってハーモニカを吹いてくれて愉快な山小屋だ。

今回山岳信仰の雑誌の取材で山頂の遺構をあらためて見てみた。細長い岩を剣山のように立てたのは、大鹿村の行者がしたのだろうと榎田さん。

「だけどこの18年間で大鹿村から信仰登山とかで登って来たことはないよ」

 榎田さんに聞けば、大鹿村から登ってきた登山者も数えるほどだ。

「赤石岳は長野県側の山だと思う。小屋番も本当は大鹿村の人がしてくれたらいいのに」

 という言葉に返す言葉がない。

「7月に小渋ルートは登らない。明日は気を付けてくれ」

 と言って榎田さんが紹介したエピソードは、二人連れの登山者が軽装で小渋川から登ってきたときのものだ。

翌日は雨だったため、榎田さんは二人に3万円を貸し、三伏峠から回って下山するように忠告したそうだ。二人は助言を聞かずに小渋川に下り、広河原小屋まで来て濁流の中の下山は不可能と思ったようだ。一方で稜線までの急登を引き返す体力もない。こういう場合水が引くまで待つしかないのだけど、二人は下山し、一人が流されて死亡した。生き残った一人から直接榎田さんが聞いた顛末だという。

S君と二人でビビりながら雨の中下山する。

 

 村役場も、このルートの再開には、小渋川の徒渉ルートを迂回する旧左岸ルートの整備が欠かせないと念頭にあるようだ。いっしょに行ったS君も、「徒渉はあってもいいけど迂回ルートがあって最小限にしないと一般登山者は呼べない」と冷静に評価していた。

 そんなわけで、最後の課題の迂回ルートを見に行った。七釜橋の右手のルンゼを登ると、左側にテープが見えて、トラバースルートの入口が見つかった。その後も獣道程度の踏み跡が、テープとともに続いていて、たどっていくことができた。

 それが大きく沢がざれているところを高巻きし、もう一本沢に来たところで対岸の道は期待できそうにない。この沢を下ることにした。案の定途中で滝を下れなくなり、こういう場合のセオリー通り引き返して七釜橋に戻ろうとすると、今度は来た道の目印を見失う。ずっと上部を高巻して、枯沢から下ると七釜橋の下流の小渋川に出た。

初見のルートはいつも冒険だ。誰も来ないところだけに、相当心細い登山だった。ある意味、南アルプスに似合う登山だったかなと、ちょっとだけ思う。(越路29号、2022.8.31)