自民党の野田聖子や立憲民主党の福山哲郎が、離婚後の親権に関する勉強会(「親権のあり方勉強会」)を2月9日に立ち上げ、それについての報道が一斉に流れた。この勉強会は法制審議会の要綱案というか、共同親権に反対する議員が中心で集まっている。この中に立憲民主党の創設者で前代表の枝野幸男がいる。2022年8月27日に彼はx上で共同親権に反対を表明している。その際のコメントが以下だ。
「171回国会、2009年のことだったと思います。 当時は、一部の円滑に行くケースについての共同親権はあり得ると認識していましたが、その後、制度を設けると一部にとどまらなくなるリスクが高いことと、制度を設けなくても問題は生じないことが確認できましたので、明確に反対するに至りました。」
実際に2008年5月8日に彼は非親権者と子の面接交渉についての質問主意書を提出している。当時は面会交流(親子交流)のことを面接交渉と呼んでいた。
ところで、 「親子の面会交流を実現する全国ネットワーク」という名前だけはたいそうな団体を立ち上げ、国会議員に法改正について頼むために、ぼくが議員会館に行き始めたのもこのころだったと思う。
そのころは国会議員の間で離婚後に親子関係が断たれることが問題だと認識している人はほとんどおらず、ほとんどの議員が「はじめて聞く話」という顔をしていた。しかし彼は違った。
「弁護士として最後に手がけたのが親権の問題だった。母親の側の弁護をして、どうやったって勝てると思ったのに、負けた。それだけが心残りだ」
議員事務所を訪問したぼくたちに、彼は悔しそうな表情を見せていた。
「なんでも持ってきてくれ。質問できるから。それから弁護士は運動のやり方を知っている。弁護士を中に引き入れるといい」
何とかしたいという思いが伝わってきたし、運動の手ほどきまで指南してくれた。
実際、ぼくたちのちょっと前からFather’s Websiteなどの「面接交渉連絡協議会」が議員会館で勉強会を開き始めていたものの、国会議員の中で、ぼくたちが議員会館を訪問する以前にこの問題に本気で取り組んでくれていたのは彼だけだった。地元埼玉での議員報告会でもこの問題について話題にしていた。ぼくより前から運動をはじめて、今国賠訴訟で原告としていっしょにやってくれている仲間は、後援会に入って彼を応援していた。千葉景子や福島瑞穂は、人権問題としてこの問題に理解を示していたが、彼は継続的に署名の紹介議員になるなど、初志を貫いていた。
それが一昨年に反対を表明してぼくは唖然とした。
政治家としての変節ぶりは言うに及ばず、彼が弁護士として最後に手がけた案件のクライアントは、どんな顔をして彼の今の態度を見ているのだろう。そして今までの14年以上の彼の取り組みはいったい何だったのだろう。
「制度を設けると一部にとどまらなくなるリスクが高いことと、制度を設けなくても問題は生じないことが確認できました」というのがウソだというのを一番知っているのが枝野本人だろう。
「政治家なんてそんなもの」かもしれない。だけど「寂しい人生だな」とも思う。
彼の変節の理由は何なのか。聞いたところで本音は言わないだろう。だけど議員会館での反対議員の勉強会の報道写真で、腕を組んで座っている彼の表情を見るにつけ、あのときの悔恨の表情を目にしたぼくは、それをどうしても聞きたくなる。(2024.2.11)