「自粛の要請」という自己責任論

「自粛の要請」という言葉が世間にあふれている。「自粛」というのは、本来であれば可能なことを自身の判断で差し控えることだ。やることによるリスクとやらないことによるリスクを天秤にかけ、一つの決断をするそれは冒険だ。したがって、他人から要請される類のものではない。

自粛を要請されて思い出すのは、国立市の公民館が印刷機の利用について枚数制限をかけたときのことだ。印刷機利用で作っていたミニコミは発行が難しくなった。制限の理由はこのままでは消耗品費が足りなくなるからという「行政の都合」だった。含意は、(事実上禁じておきながら)従わないなら結果は自分で引き受けろ、という「自己責任論」だ。他に選択肢があるかもという疑問はそこで封じられる。

学生時分は仲間がよく山で死んだが、葬儀のときに山に行く奴を批判するのは野暮だった。流行り病で死ぬのは怖い。しかし何が怖いって、冒険すること、知恵を出し合って難局を乗り切ることの権利を大政奉還することだ。憲法が受けている挑戦を、そうぼくは理解している。

(「反改憲」運動通信No.11 2020.4.30)

山とナルヒト 第4回 「宮様」が山に来るとどうなるか? 

編集部には徳仁の登山で引き起こされる自然破壊とかを書いてくれ、と頼まれた。この注文には難しいところがある。一つには、何度も同じ山に登る人は多くないので、たとえ徳仁が登ったとしてもどう変わったか、はじめてその山に登る人にとってはあまりわからない。

反天皇制運動連絡会が、「木を切って植樹なんておかしい」とよく植樹祭を批判して、ぼくもそう思う。だけど反対運動で行った山奥の会場で広大な駐車場や広場があって、「ここは以前からこうでしたよ」とウソついて言われると「そんなことないでしょう」と言えないのと同じぐらい歯切れが悪い。反天連の人たちが運動(ムーブメントじゃないほう)好きとも思えないのでいっそうそう思うところもある。

 とはいえ、実際にはルートが整備されたり、山小屋のトイレがきれいになったり、目に見える変化があったようだ。よく挙げられるのは、上越国境の平ヶ岳への登山ルートがそれ以前には往復11時間かかっていたのが、徳仁用に奥只見ダムの銀山平からのショートカットルートが新たにでき、往復7時間ほどになった(1986年10月)。

 一般的には自然破壊の末の行為だろうからけしからんと思うけど、楽なルートができてよかった、と思う登山者もいるのはわかる。現在このルートは地元の宿に泊まることでアプローチの林道を送迎してもらい利用ができるという。金で「楽な道」を選んだ登山者は「宮様のおかげ」と思う部分はあるだろう。

 徳仁は同年八月、南アルプスの荒川三山に登っており、そのときに当時大鹿村所有の荒川小屋に宿泊している。このとき大鹿村は徳仁のために静岡県側からヘリでトイレを上げたという。ところが徳仁は「みなさんと同じものでいいですから」とこのトイレを利用しなかった。このエピソードは地元では美談として残っている。

この年26歳の徳仁は、先に触れた奥多摩棒ノ折山や八ヶ岳、利尻山、伯耆大山など全国各地に足を伸ばし、同様のルートや施設の改修、やり取りがあちこちの山であっただろう。

 ぼくも平ヶ岳の北の越後三山の中ノ岳に登ったときに、平ヶ岳への新道の起点の銀山平に入った。とはいえ、宿に泊まる金も発想もなかったし、沢登りに来たのでそもそも登山道からの登山では当時は行かない山域だ。

もちろん、皇室が来ることへの地元の特別扱いへの批判はできる。しかしそれは登山でなくてもする批判だ。ただ自分のために用意してくれた地元の好意を「特別扱いしてほしくない」という理由で断るなら、そもそもそんな登山はしないか特別な地位(皇室)を自ら手放すしかないと彼の行為を見て思う。

登山の魅力の一つに自分の力をつけてより困難な課題に挑むというのがある。そう考えると「ズルして山に登る登山者」をさもありがたがる風潮をはびこらせた天皇制の罪は重いな、とぼくは思う。

(府中萬歩記74号 2020.4.30)

先取り! リニアの旅(前編)

Fielder Vol51で、リニアの沿線を東京から山梨まで自転車で旅したルポを書きました。また同号で、「『絶滅』野生動物生息記」の第12回「ニホンオオカミ編」で「オオカミかヤマイヌか」というタイトルで書いてます。

家庭裁判所に行くと洗脳される

2カ月間山小屋でバイトしていたので、その間支援のほうは遠ざかっていた。それでも回数を減らした「会いたい親子のホットライン」は先月混雑していて、今日も相談があった。

子どもと引き離された方は、家裁に行くと常識が通じない、と思っておかしいと思って電話してくる人が多い。だけど、家裁ではそうしないと子どもに会えない人質取引を職員も弁護士もかかわる人みんなが当たり前のようにしているので、結局、相手の感情を刺激しないように、とその対応を疑問に思わなくなる人もいる。だから妻子の住所がわからなくなっていれば普通は捜索願なのに、家庭裁判所では家庭問題情報センター(FPIC)という、裁判所職員の再就職先にお金を支払って子どもに「会わせてもらう」のが正しい対応と思って、「これしかないんでしょうか」と聞いてくる。

「それって誘拐ですから、海外だったら彼らは犯罪組織で、仮面ライダーで言ったらショッカーみたいなもんですよ。こっちも変身してもいいんですけど(多少盛ってます)」としゃべると、「やっぱり変ですよね。洗脳されていました」と言っていた。

何も片親疎外は子どもだけの問題ではない。親も自分が疎外されるのがあたりまえの環境にいると自分が親であることを否定してもいいと、自分で自分を疎外するようになるのだ。気を付けましょう。