大鹿村の選挙、新規参入阻む個別訪問禁止の怪

「選挙中に個別訪問がされていましたよ」

 筆者は2016年の秋から長野県大鹿村に住む。引っ越してきた年の冬、村が工事現場になるリニア中央新幹線の是非が争点になったこともあり、村長選挙が行なわれた。当時東京から越してきたばかりの筆者は、そのとき気づいたことを翌年の行政懇談会で手を挙げて発言した。その選挙で当選した村長と、当時選挙管理委員会の担当の元総務課長が並んで座っていた。

「ぼくは有権者が直接政策を知って深められる個別訪問はいいことだと思うんです。だけど公職選挙法では禁止されている。ルールを守った側が不利になるような状況はフェアじゃない。状況を打開するため、村が公職選挙法を改正する意見書を国に出したらどうでしょう」

 村の集会所でぼくがした提案に、ひな壇の村の三役は、ばつが悪い表情でしどろもどろになっていた。

 各地で地方議会議員のなり手不足が深刻な問題になっている。今回の統一地方選でも、長野県内の自治体では選挙にならなかった自治体が散見できた。そんな中、ここ大鹿村は1000人の自治体ながら、議員選挙は毎回成立している。今回も8人の定員に対して9人が立候補して5日間の選挙戦をたたかった。

 さぞや賑やかになるのかと思いきや、選挙期間中、村内で一度も街頭演説を見ていない。2週間前の長野県議会選挙のときには村内を走っていた選挙カーも、村議会選では1台も見なかった。選挙掲示板には候補者のポスターが貼られているが、名前だけを大書した「質素」なものもある。にもかかわらず、先日の県議会議員選挙の投票率は79%で、同じ選挙区の他の自治体の中で一番高い。いったいどうやって選挙をしているのか謎だ。

 村の選挙管理委員会は、投票日には数時間おきに、自治会ごとに置かれた投票所の投票数と投票率を発表して投票を促すし、選挙ごとに候補者による合同の立会演説会が公民館で開かれている。行政や候補者が以前から選挙への関心を高めようとしてきたこういった努力が、選挙への関心を高めているのはあるだろう。

合同立会演説会

一方で、候補者や各陣営のスタッフが個別訪問を行なっている場面が、村内の道路を車で走らせていると否応なく目に入ってくる。

「法律では禁止されているけど、村では個別訪問は普通に行われてきた」

 村で生まれ育った男性(60代)は、先の村長選挙で個別訪問に気づいたぼくが尋ねると、そう説明した。ずっと慣例化してきたため、誰も選挙違反について指摘しないというのが実情らしい。先の男性も、今回の選挙期間中、個別訪問にやってきた数人の候補者の名前を挙げた。

 しかしもちろん、候補者に対する事前の説明会では、個別訪問が禁止であることくらいは説明するはずだし、実際に先の懇談会で質問した際、前総務課長は「公職選挙法では違法」と、これは明確に答えていた。買収などの温床になるから規制されてきたのだろうか。

「個別訪問の禁止は本来新規参入を阻むためです」

地方自治に詳しい高知大学の岡田健一郎准教授(憲法学)はそう言って首を振る。

「個別訪問禁止の歴史は古い。もともと大正デモクラシーのときに男子普通選挙(1925年)が行われたときに遡ります。それまでは候補者も有権者も高額納税者だったのが、男性だったら誰でも投票できると規制緩和された。そうなると無産政党が伸びかねない。お金のない人の選挙手段は演説やビラ、個別訪問。自由だった選挙に規制が設けられていきます」

 新人候補ほど摘発されないようルールに敏感なはずだが、ルールを守ると落選しかねないというジレンマに陥る。

「戦後初期の選挙は規制が緩和されました。しかし、もともと基盤のある既成政党は、保守革新問わず個別訪問をしなくても勝てる。規制には反対してきませんでした。結果、共産党が摘発され裁判になっていますが、最高裁は『不正の温床になる』と合憲判断をしています」

 これでは原因と結果が逆だ。最近、SNSの利用などからなし崩し的に規制が緩和され、今回の統一地方選から都道府県と市区議会議員選挙でのビラ配布がおこなわれている。

「いい傾向だと思います。もともと個別訪問の禁止は他国ではなく、憲法21条の表現の自由に抵触して違憲だというのが、憲法学者の中では主流の意見です」

 岡田さんも最近の規制緩和を歓迎する。

大鹿村では議員報酬は10万円だ。候補者にしてみれば、選挙カーや拡声器などに投資するのは費用対効果の面から割に合いそうにない。勢い、個別訪問は重要な手段ということになる。それで高投票率や候補者不足の解消になるのなら、大鹿村の選挙は「周回遅れのトップランナー」だと言えるかもしれない。

もっとも、それで当選した議員は「法令順守」とは言えないだろうけど。


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