あかがね街道を行く 

 文芸春秋3月号に「リニアはなぜ必要か?」という鼎談記事が載っている。リニア建設のトップでJR東海名誉会長の葛西敬之と、元国土交通省でリニアの技術評価委員会の森地茂、それに静岡県の肝いりで作られた、南アルプスを未来につなぐ会理事の松井孝典。

3人はリニアの必要性とともに懸念の払しょくに努めている。「自然環境への影響は大丈夫か」というテーマでは、司会が大井川の水資源問題について言及し、同時に生態系への影響や残土処理の問題も例示している。

 葛西は、東海道新幹線や他の新幹線や高速道路の建設でも「慎重に工事を進めることで問題を乗り越えてきたのが公共事業の歴史」と楽観的だ。

一方、研究者として参加する松井は、「環境問題に直面して、それを技術で克服しなかった文明は、例外なく衰退、滅亡しています」と工事を肯定しながら、「環境問題が、文明の発展にとって障害であれば、それを技術で乗り越えてきた」という。自然破壊によって滅びた文明は多くある。しかしリニアの場合、技術革新で環境問題は必ず克服できるという。根拠は不明。調べてみると松井は惑星研究の科学者だという。

ぼくの住む家の700m先にJR東海が掘っているリニアの坑口がある。その脇に有害土が置かれている。上にシートをかぶせていてもときどきめくれている。フッ素やヒ素が工事で出た。その行き場もないまま置きっぱなしだ。先日の信濃毎日新聞のアンケートでは、長野県南部の16市町村中、高森町と南木曽町は受け入れを「条件や話し合い次第では考える」。飯田市は答えない。残りの13町村が受け入れ・活用を「考えていない」。

どうすればいいのかとときどき聞かれる。

「JRの敷地の管理のしやすい目立つところに置くのがいい――」がぼくの答えだ。埋めたりすると後々わからなくなってのちの世代に迷惑をかけるので、「――ツインタワーあたりがめだっていい」。

高校生のころも山岳部だったので、祖母傾の山に登るときは、麓の尾平や上畑が登山口だった。両方ともに鉱山があり、戦後まで操業していた。鉱物の豊富な山域だったようで、宮崎県側には有名な土呂久鉱山もあり、公害とも無縁ではなかった。父は今は廃校になっている上畑小学校が初任地だったので、よく連れていってもらった。すでに両方とも廃坑になってはいたものの、鉱山には職員がいて、いまだに出てくる鉱毒の中和作業を続けていた。

それを知ったときは驚いたものだ。いったいこの残務作業はいつまで続くのだろうかと。地元の人が雇われて、上畑の浄水場は大分県が管理し、三菱が操業していた尾平は、その子会社が中和作業を続けている。

九州では絶滅していたとされたツキノワグマの取材で後に何回か通うようになる。地元の人に聞くと、退職金を払うのが嫌なので、三菱は定期的に子会社を潰して作り直すのだそうだ。

そのときクマ探し仲間として仲良くなった元林野庁の職員の方は、尾平鉱山の閉山に伴うその後の国有林の管理も仕事だった。今も周囲はズリで殺伐とした風景なのだけど、煙害で枯れた山を緑に戻すのも仕事だったようだ。「当時は私企業が金儲けで荒らした山を税金で元に戻すのか」と、地元の人と飲んだりしたら議論になったという。そういう通達が出されている。

その方は林野庁が国有林内に除草剤としてまいた、ダイオキシン入りの枯葉剤(2・4・5―Tなど)の散布作業にも携わっていた。ぼくはこの薬剤を林野庁が全国50か所ほどの国有林内に埋設した件を、実際に現地に行って確かめている。

埋設個所はロープや有刺鉄線で囲われている。林野庁は年に1度ほどの目視の点検をしているだけで、囲みの中のどこに埋めたかわからない場所もある。目の届かないところに毒を埋めると、半世紀もすれば無責任になる。だから「ツインタワーがいい」。

86%がトンネルのリニア工事は、鉱山を掘るようなものだ。そうはいっても、うまくやっている鉱山もあるかもしれないので、「公害の原点」と言われる足尾銅山を、アウトドア誌のフィールダーの取材で見にいってみた。田中正造の研究者の赤上剛さん(『田中正造とその周辺』の著者)に案内していただいて、谷中村から足尾まで1泊2日で見て回った。

今はラムサール条約の登録湿地でもある渡良瀬遊水地が、足尾銅山の毒溜めだということは知っている人は知っているだろう。ここで浚渫された毒は、赤上さんによれば、高速道路の盛り土などに使われたという。どうりで環境省が8000ベクレル以下の放射性廃棄物を高速道路とかで使おうとしているわけだ。

渡良瀬川沿いの平野はかつての鉱毒被害の激震地で、足尾に続く道は銅(あかがね)街道と呼ばれる。途中、詩人の星野富弘記念館のある風光明媚な草木ダムも、下流の太田市の人が戦後鉱毒被害を訴えてできた毒溜めなのだという。足尾銅山を経営する古川鉱業は1972年になるまで加害責任を認めなかった。

足尾に近づくと、五郎沢堆積場を渡良瀬川の対岸に望める。1958年にこの堆積場が決壊したため、太田市に被害が出た。この堆積場は2011年にも決壊した。このときは、草木ダムがあったので、被害が下流に及ばなかった。

足尾には尾平と同じような浄水場があり、水は下流に流されても毒は町の上部の谷を埋めた堆積場(簀子橋堆積場)に運ばれる。町を見下ろす橋の上から見上げると、町の中心部の上に堰堤が見える。その上に毒が溜められている。ここが決壊したら会社がつぶれることは古川もわかっていると赤上さんは言う。赤上さんは、「穴を掘って鉱毒が出ると永久に出続ける」という。

上流の松木村を人の住めない荒野にした煙害は、古川が開発した自溶精錬法によって対処するようになった。赤上さんは「閉山に至るまでの一時期でそれまではひどい状態」と指摘する。精錬所というのが、銅を商品化する施設なら、浄水場は毒を精錬する施設なんだろう。橋の上から足尾の町を見下ろすと、あちこち残土の上に建物が立っている。「残土の上に浮かぶ町」が足尾だった。

富国強兵の国策と結びついた足尾銅山の発展は、「技術で乗り越えてきた」というよりは、公害を振りまいた末に、問題を先延ばししているだけに見える。

「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、人を殺さざるべし――」というのは田中正造の有名な言葉だ。その後にさらに言葉が続くと赤上さんが強調する。

「――古来の文明を野蛮に回らす。今文明は虚偽虚飾なり、私欲なり、露骨的強盗なり」

文芸春秋の企画は、古来の文明を野蛮に回らすのが目的の、「露骨的強盗」たちの鼎談だと、田中正造ならあくびをしたかもしれない(田中正造は法廷であくびをして官吏侮辱罪で収監されている)。

(2022.3.30、「越路」27号、たらたらと読み切り167)