立ちすくむメディアたち 別居親アンケート、手づくり民法草案発表記者会見

男性の被害実態をメディアは暴けるか?

 8月8日に、司法記者クラブで別居親に実施したアンケートと、手づくり民法草案(大鹿民法草案)を公表した。合わせて共同親権国民投票の提案をした。

 別居親アンケートは、北九州大学の濱野健さんに協力いただいて実施したもので、全国から742人の回答者を得て、そのうち573人の別居親の回答を集計している。国が別居親の実態調査をしない中、初の試みである。

 当日は20社ほどが会見場の席を埋め、立ち見も出た。アンケートの集計結果で目を引いて記者の質問も出たのは、別居親のDV被害割合が7割(精神的65%、身体的26%)というデータだ。というのも、このデータはシングルマザーの団体が一月前に同じ場所で会見をした同居親のDV被害の割合(71%が「侮蔑や自尊心を傷つける」、67%が「にらむ、どなる、物を壊して脅した」、28%が「拳などでなぐる」など)と大差がないからだ。

 質問した記者の一人は「衝撃的」と感想を言っていて、「DVは支配、被支配の関係では」と口にした記者もいた。それに対して「DVは相互的なものが多い。現場の実態から見れば当たり前の結果」とぼくは念を押している。

パワーコントロールによって生じる現象をDVと仮に呼んだとして、パワーなんて、男が腕力があったところでいつも行使できるわけではないし(「そういうところがDVよ」となじられている男性は多い)、女も口が立てば性や子どもでも武器にすることはできる。そんなの自分が結婚してなくても、親の関係を見て育てばちょっとは想像できそうなものだけど、会場全体を覆っているのは、「思考停止」だった。フェミニズムの理論に男女関係は収まらない。

「どっちも被害者」

 別居親は男性が大部分なのだけど、男性もまた被害者だという事実にうろたえて、「設問の仕方は」とアンケート結果を疑ってきた人もいた。そういう疑念も生じるだろうと、国のDV調査の設問と同じ項目で聞いている。男性の被害実態はようやく最近メディア報道されるようになってきたけど、別居親の被害割合の高さは想定外だったのだろう。よっぽど、同居親の側の「私たちは被害者」キャンペーンが浸透しているというのがわかる。「支配被支配の関係」なんていう、男性側を加害者としてしか想定しない概念は法制審議会でも登場している。検証もせずにイージーに使っていただけのことだ。男らしさは被害実態を水面下に沈めてきた。

記者たちがどう解釈したらいいのか戸惑っているので、「どっちも被害者なんですよ」と説明しておいた。もちろん、同居親側にも別居親側にも加害者はいる。関係性の中で生じる障害がDVなら、加害・被害を峻別できると考えて、男性側を推定有罪にしてきた報道が間違っていただけのことだ。

まだ記事になっていないけど問い合わせはある。新しい知見が得られただけのことだけど、今回のデータを踏まえて、メディアが過去の報道をどのように意味づけるかが興味深い。単独親権制度が被害者を作り出してきただけのことだ。

「ぼくたちもひとり親です」という説明に、記者たちはキョトンとしていた。

子どもの視点がないのでは?

 ぼくたちが作った民法改正案に、そんな質問も出た。具体的ではないので、「そういう質問が出ること自体、(男性が子育てにかかわるのは過剰な権利主張という)性役割にとらわれているということではないでしょうか」とやんわりと答えた。釈然としない中、何を聞いていいのかわからないもどかしさが伝わってきた。

養育費と面会交流の問題で親権の問題ではないのでは、という疑問も出ている。であればなぜ親権が問題とされているのか。決定が遅れて不都合が生じる(そんな割合は実際には小さい)なんていう「お前たち迷惑だ」発言には「ぼくたちも人間です」と答えるしかない。

 メディアも賛否の主張を紹介してきたが、これまでの議論で人々が知りたがっているのは、「現在の制度が子どもの奪い合いや親子生き別れを促しているなら、なぜそれを変えないできたのか?」、「共同親権でDVが継続するという批判は本当なのか?」といったところではないか。

後者の批判が当たらないことは、海外に目を転じることでわりと説明可能だし、今回のアンケート結果はそれを補完するものだ。前者は家制度や養育費ビジネスの産業化、硬直した官僚組織など指摘できると思うが、報道機関の色分けによってどこに力点を置くかは変わるだろう。自分たちで検証した結果を書くことが議論を促すことにつながると思う。「あの人はこう言ってる、この人はこう言ってる」なんて報道は読者も飽きてきた。

 法務省の中間報告については、ここでは深く言及しないが、子どもの視点ということでいれば、監護者指定において「子どもの最善の利益」をどのように設定するかで事務局は悩んでいた。当たり前だ。そんなことはできるわけがないんだから。

「子どもの意見を尊重しているかどうか」というのを基準にしようとなると、親の責任を子どもに押し付けることになるし(子どもが子育てをするわけではない)、「子どもが会いたくないと言ったから」という理由で引き離しを正当化する、現在の虐待司法を追認することになる。

どの子も親から愛されたいと願っている。そのための最低限の条件は、司法の判断基準を養育時間における機会均等を置くことしかないではないか。双方の親と満足に触れ合える経験を子どもに確保するのは子どもの権利だ。それは親の側から見れば男女同権ということになる。

これが我田引水に見えるとするなら、それこそ性役割にとらわれていると言えないだろうか。

「国民投票で白黒つけるなら、メディアも書きやすいでしょう」と付け加えておいた。(2022.8.15)