6・22判決 国はいったい何とたたかっているのか

「なぜそうまでして見ず知らずの親子を引き離したいんですか?」

 3月23日の最終弁論では、原告の柳原賢さんの母親のみきさんの意見陳述を古賀礼子弁護士が読み上げた。息子の離婚で子どもと会えなくなり、自身も孫と会えなくなったお母さんにとって、目の前で悩む息子の姿と抱えた問題は、当たり前だけど他人事とすますことはできなくなっていた。みきさんは原告を引き継いだ。

 子どもと引き離されたことによる心痛は筆舌に尽くしがたいものがある。しかし引き離されても「そういうものだ」とあまり悩まない父親も少なくない。「男は仕事をしてなんぼ」という考えは根強い。そういう意味では父親としての自意識も社会によって培われる。

親は子どもが一番最初に出会う社会だ。社会にA面があればB面もあることを、子どもは両親のバックグラウンドを知ることで学ぶ。子どもから親を奪うということは、社会のB面に触れる機会を奪うということでもある。わざわざ一体何のため?

 法制審議会の議論で、単独親権制度の現状維持を外すという方向性が4月18日に一斉に報道された。サミットを前に批判を避けるために政府が家族法改正のポーズを見せるのは以前もあった(G20大阪サミット前の家族法研究会設置表明)。このメッセージが外向けのガス抜きなのは明らかだ。

法制審の委員たちは、自民党の政治介入は許されないと血相を変えて反発していた。今回は与党議員が自慢するこの顛末に、法制審の委員もメディアも反応が薄い。自作自演だったわけだ。しかし一方で、その効果はけして小さくはない。

 子どもの通学先の非開示や家庭裁判所の不公正や人権侵害に対する反発が各段に減った。ぼくたちの訴訟提起以来、一貫して妨害を繰り返してきた憲法学者の木村草太は、相変わらず別居親へのヘイトを繰り返している。しかし「なぜそうまでして見ず知らずの親子を引き離したいんですか?」という問いかけは、以前よりも重い。

金さえあれば子どもは育つ?

 法制審議会のミッションは、「いかに別居親に権利を与えず養育費を徴収するか」である。そのために監護権という屁理屈をひねり出し、選択肢を増やしたのはいいけど、監護権選択の基準を示せずドツボにはまった。「パパお金、ママ家事育児」の性役割の強制が、男性を搾取し、女性のアンペイドワークを正当化する。

もとより、お金と子どもの世話は父母がする、それが可能なように周囲が支え、国が環境を整える。変更を目指すならここなのに、フェミニストが何人もいる審議委員は「男女平等」の言葉すら口にしない。

「金さえあれば子どもは育つ」なんて「餌を与えれば動物園のパンダは死にはしない」といったいどう違う?(実際「面会交流しなくても死にはしない」と吐き捨てた国会議員がいた)。こんな非道な理屈の箔付けはたしかに専門家でないとできそうにない。ただ未来の世代に誇れる議論とは程遠い。

出そろった国賠訴訟一審判決

 4月21日、東京地裁の鈴木わかな裁判長は、自然的親子権訴訟の原告側の請求をいずれも棄却した。これで、単独親権制度(父親個人のもの、最高裁で確定)、連れ去り、面会交流等の損害と立法不作為を訴えた各国賠の一審判断が出そろった。

各訴訟は不当判決ではあるものの、司法は親子関係への人格的利益を肯定している。4月21日の東京地裁判決も、引き離した側の行為の問題で制度の問題ではないと逃げて立法不作為を否定したものの、権利侵害自体は否定していない。

これら一連の国賠訴訟が得た成果はけして小さいものではない。しかし、ぼくたちの共同親権訴訟(養育権侵害訴訟)の立論も政治状況も違いがある。

 一つには、一審判断の出た一連の訴訟では、それぞれ平等権侵害を訴えているものの、それは親権の有無による差別に焦点を当てている。親権は職責であることを、鈴木わかな裁判長は言及しているが、職責であるのは親権によって実現される親の固有の権利(養育権)があるからである。そして親の権利の固有性は憲法そのほかで各国で明示され、婚姻内外問わず共同親権を適用するように法改正を進めてきた。単独親権制度では親の職責を果たせなくなる事態が必然的に生じるからである(この点は鈴木裁判長も認めている)。本件訴訟は、婚姻内外の不平等を問い、それら矛盾をダイレクトに問うものとして提示し、司法の逃げ道を絶った。

 一方、単独親権制度の立法目的を、子どもについて適時適切な決定ができるようにするものとして、一定の合理性を認めた過去の判断に対しては、それは親権調整規定が欠けていることによって生じる問題だ。これでは婚姻内に共同親権を採用した理由が説明できなくなるのだ。

司法が単独親権民法を拒む理由は?

何よりも、新憲法施行時に旧民法の適用を除外した応急措置的に定めた時限立法は、父母の共同親権について、婚姻内外の区別を設けていない。個人の尊重と両性の本質的平等を実現するためだ。婚姻外に単独親権を残した現行民法自体が不合理な要素を内包しており、その改正を75年にもわたって怠って親子の引き離しと単独育児を放置してきた国の責任は重い。

反対意見があるから立法不作為に当たらないという議論は、行政府の意向や立法府の議論に司法は従属するものだと述べているに等しく、司法の独立を自ら放棄したものとして許されない。単独親権制度の維持を法制審が示した直後の司法判断に、裁判官は1名しか署名せず、他の裁判官は「差支え」を理由にする。合議ですらない判断に理由も示さないのは違法である。

いったい国は何とたたかっているのか。このような状況で、憲法判断を避け立法不作為を追認するものならば、その理由は「司法の既得権保護」以外にあるだろうか。6月22日の判決、見逃せない。

2023.05.01 宗像 充

そうだったのか!共同親権
https://k-kokubai.jp/2023/05/02/%ef%bc%9622hanketu/

復古主義者の木村草太を憲法集会でしゃべらせるのか?

憲法学者の木村草太を立川の市民運動は憲法集会で呼ぶという。

やめとけ、と知り合いに言ったけど、やるようなので、彼がどういうことをツイッターで日々言っているかを紹介しておく。

なおぼくは、子どもと引き離された経験のある父親であり、現在、現行単独親権民法の違憲性と立法不作為を訴えて訴訟をしている。司法手続きは主なものでも5度ほどとっているが、現在子どもと会えていない。木村の言うほど司法は公平ではない。

木村の主張は母性神話を性中立的な装いをとりつつ刺激する形で、家制度を擁護するものだが、日本国憲法施行時、1947年には現行民法施行までの半年間、応急措置法により、婚姻内外問わず、共同親権を適用しており、共同親権で離婚した夫婦もいる。

この応急措置法はその第一条で「この法律は、日本国憲法の施行に伴い、民法について、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚する応急的措置を講ずることを目的とする。」と述べている。

天皇制と戦争を支えた明治民法の家制度が、GHQの指示により外見上、廃止させられたが、憲法の理念を徹底したのは応急措置法であり、現行民法ではなかったことが明白である。

家父長制を構成した親権制度は戦前は一律父親単独親権だった。戦後民法は、婚姻中のみ共同親権を適用し、法律婚の保護による家制度の温存を、個人の尊厳と男女同権に優先させた結果だという歴史的な事実がある。

憲法学者の木村が、この事実を知っていたなら悪質だし、知らなかったらただのバカだが、もちろん、ぼくが憲法訴訟を提起してからの彼の言動は、訴訟妨害にしかならなかった。

平和を語る集会テーマで、復古主義の学者を起用するのは人選ミスかコントにしか思えない。

なお、親権問題については、市民運動や左派政党は、議論から逃げまくって今日に至るが、そういうズルい態度はいずれしっぺ返しを受けるのは目に見えているので、前から指摘しているけど今回も指摘しておく。

以下木村のツイッター。

木村草太

@SotaKimura

·4月6日

離婚後に子どもに会いたいのなら、面会交流を公的に支援するシステムの導入を求めて活動した方がいいと思う。

「子連れ別居の一般的な違法化」も「非合意強制型の共同親権」も、おそらく実現しないし、仮に実現しても、子どもに会えるわけではないから。

木村草太

@SotaKimura

·4月12日

私も、主張内容を精査すればするほど、「支配権を離れたこと」への怒りが、共同親権を目指す人たちの原動力なのだと考えるに至った。

木村草太

@SotaKimura

·4月12日

「ある日帰ったら、子どもと共に配偶者がいなくなった。子どもに会えなくて辛い」という割には、面会交流の手続きを取らなかったり、面会交流支援団体を使いたがらなかったり。司法も含め、第三者の支援を断るところが、「子どもに会いたい」より「自分の思い通りにしたい」にしか見えないんだよね。

彼を憲法集会で呼ぶということ自体、もう憲法擁護の活動ではないということを最後に述べておく。

諏訪 ★ 共同親権実践セミナー2023

『共同親権』『子どもに会いたい親のためのハンドブック』の著者による、子どもに会いたい親、子育てにおける共同親権を考えてみたい人のための、経験を活かした実践子育てシリーズ。

【日時】2023年4月~7月の第3土曜日、各回14:00-15:20

【場所】諏訪湖ハイツ(長野県岡谷市)315会議室(子どもの遊具あり)

(長野県岡谷市長地権現町4丁目11番50号)

http://www.suwako-haitsu.jp/index.php/page-43/

*第4回目のみ、大鹿村「良山泊」(下伊那郡大鹿村大河原2208)で開催。問い合わせください。

【講師・司会】宗像 充(ライター。共同親権訴訟原告、『子どもに会いたい親のためのハンドブック』著者、「大鹿民法草案」起草者、15年にわたって親子引き離しの相談・支援をしてきた)

【参加費】1000円*予約不要

(下記のグループワークと2コマで1500円)

【各回内容】

<第1回>4月22日(土)「ゼクシィ見るより民法読め」

家族法の民法改正の議論が話題になり国の立法不作為を問う国賠訴訟も提起されています。でもなぜ法律が子育ての障害になるのでしょう?現行民法の問題点を「大鹿民法草案」をテキストに考えます。

<第2回>5月27日(土)「共同親権反対論」

共同親権の議論が深まらないのは、根強い反対運動の存在があります。彼らの考える司法システムや家族観について検討し、何が養育の障壁なのか考えます。

<第3回>6月24日(土)「知っておこう!家庭裁判所の人権侵害」

当たり前のように行われる人質取引、マジックミラー越しに監視される試行面会、子どもに「会いたくない」と言わせる調査官調査、そして時間を空費するだけの調停。家裁の暗黒を共有します。

<第4回>7月22日(土)「子育て家庭倍増計画・実践編」@大鹿村「良山泊」

「子どもにとって離婚とは家が二つになること」。なのに一つの家にしか帰宅できない子どもたち。家が2つになることで何が起きる?共同子育てに近づくためにできることは?

*終了後懇親会予定

<家族を修復するグループワーク> 

同日15:30-17:00【参加費】1000円 *予約不要 

親子引き離し・離婚・DV(家庭内暴力)・モラハラ・不登校 etc否定のない自由な語り合いで気づく、あんなこと・こんなこと、あなたにあった「いい関係」をいっしょにつくります。

*当日の個人相談(有料、1時間3000円)を希望の方は事前にお問い合わせください。

主催 おおしか家族相談 協力 共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会

TEL0265-39-2116メールmunakatami@k-kokubai.jp URL https://munakatami.com/category/family/

山形県大江町でのカワウソ体験談

 夕方に山形県の方から電話があった。伊藤康博さんは今から20年ほど前のカワウソらしき動物の目撃情報を寄せてくれた。昨日テレビ番組でカワウソが出るものあったらしく、それで以前の体験を思い出し、ネットを検索してぼくのサイトを見つけたという。

 伊藤さんは以下のように目撃談を思い起こしてくれた。

「20年前の7月か8月。夏だったと思います。夜中の10時くらいに、近所の人が飼っている猟犬が吠えたので外に出て様子を伺いました。そうすると近くの側溝から3匹の動物がこっちに向かって走ってきました」

 「動物好き」という伊藤さんはある程度動物の種類を見分けることもできると強調する。

「タヌキでもハクビシンでもない。思い当たるのはカワウソです。カワウソの形態は理解しているつもりです。尻尾を入れないで1mほど。色は黒褐色でした。けっこう早かった」

 ニホンカワウソの場合、尻尾を入れて1m前後の個体が多いので、尻尾を入れないで1mとなるとかなり大きめの部類になる。3頭とも大きさは同じくらいだったという。3頭は伊藤さんのいるところを通り過ぎて、反対側にある大き目の側溝の方角へと消えていった。その先側溝の先1.5㎞ほどのところに、最上川の支流の月布川がある。当日は「月が出ていて明るかった」のを覚えている。足跡が残っていた。

 形状をカワウソの特徴をほのめかしながら確認すると、「尻尾は長くて3~40㎝ほどあった。付け根は太かったです。頭を下げて猫背でした。ほんとに一瞬で時間にすれば10数秒の出来事です。顔は見ています。カワウソしかありません」という。

 伊藤さんの家の近くは田んぼや家や工場がある、よくある「田舎の村」という。丘や果樹園もある。

伊藤さんの話を聞いて、「カワウソの可能性はあると思いますが、絶対カワウソとはぼくも言えません。近くだったら現場検証に行くのですが、遠いので機会がありましたら訪問させてください」と伝えて、カワウソ調査の仕方について一応一通り説明した。

本人は「絶滅しているとは知っていたのでまさかこんなところにいるはずはない」と考え、お連れ合いに言っても「酔ってたんでしょ」と否定され、誰にも言えなかったという。「今日聞いてもらえて胸のつかえがとれました」とすっきりとした口調で言っていた。

環境省がニホンカワウソを絶滅種にしたのは2012年。当時の絶滅の判断は、生息が確認された四国のカワウソの情報がないことが理由としている(実際は今に至るまで情報がある)。山形県立博物館のサイトを見ると、山形県では「大正時代まで見られた」という記述があった。ぼくのほうに入って来た情報では山形県からのものはなく、東北では十和田湖での目撃情報がある。

「貴重な情報をありがとうございました」と言って受話器を置いた。(2023.3.27)

茨木市でのカワウソ目撃情報、その2

3月20日に大阪府茨木市の池田さんという女性から、以下のメールが入った。

 @ @ @ @ @

突然のご連絡、大変失礼致します。

宗像様のブログ、2022年6月28日「カワウソ目撃@茨木市(大阪府)」を拝見し、私も茨木市在住で、この度カワウソを目撃したため、ご連絡差し上げた次第です。

今月3月9日(木)16:00頃、茨木川における●●橋周辺の河原にて、犬の散歩をしている時に、灰色がかった生物が川を泳いでいるのを発見しました。じっと目を凝らして見ていると、その生物は、陸に繋がる穴蔵のようなところになめらかに入って行き、一度こちらを振り返りました。その顔は紛れもなく、カワウソでした。私が好きなカワウソのキャラクターにそっくりで、口角が上がっており、とても可愛らしい見た目でした。

体長は60センチほどだったと思います。(1歳になる私の娘より少し小さいくらいでしたので、私の感覚的なものです)

尻尾はヌートリアより太めでした。

帰宅後主人にそのことを話すと、カワウソは絶滅していることを教わりました。主人に、ヌートリアと見間違えたのではと言われました。

しかし私はヌートリアは何度も目撃しており、カワウソと区別はつきますし、見間違いではないと思っています。

あの日以降、ほぼ毎日河原に通い詰めていますが、カワウソは目撃できておりません。

その間ヌートリアは何度かあります。

そして今日、同じように河原でよくお会いする近隣住民の男性に、カワウソを見たことがないか話しかけてみたところ、彼も見たことがあると言っていました。巣穴を作り生活しているようだと言っていました。

ただ彼の場合は、カワウソが絶滅していることを知っており、ヌートリアかもしれないのではっきりした事は言えないけど、とおっしゃっていました。

証拠の写真があるわけでもない、信じてもらえるわけがないと思っていましたが、私と同じように、茨木でカワウソを目撃したことがあるという、宗像様のブログを発見し、もし調査を続けていらっしゃるのなら、私のこれが目撃情報になればと思い、僭越ながらご連絡させて頂きました。

絶滅してしまったカワウソの生き残りが茨木川に生息していることを、願っています。

(一部改変しています)

 @ @ @ @ @

 後日電話で連絡し、詳細を確認しました。

 池田さんは以前からネットでコツメカワウソの動画を見ていて、今回目撃したことでニホンカワウソの写真も見てみたそうですが、どちらかというとコツメカワウソに似ていたということでした(ニホンカワウソはユーラシアカワウソと近いのですが、それについては知らないようでした)。どのカワウソかわからないものの、動物園でもカワウソは見ているそうです。

 2メートル先の至近距離で見ているようです。大きさ60センチというのは、サイズ的にはユーラシアカワウソよりも小さく、イタチが泳いでいるのもありえますが、上流から下流に泳いでいるのを見ているので、もっぱら川を横切るときに泳ぎを利用するだろうイタチとは違うようです。

気づいてから3~5メートルほどの川幅の、向こう岸の穴の中に消えていなくなるまで「賞味1分もなかった」。以前見たことがあるヌートリアとは違っていたので、「ワー」と声を挙げるとこちらを振り向き、2秒程度目があったそうです。その顔が、「口角が上がっていてにこっとしていて顔はカワウソ。佐保川で見た人が描いたイラストともよく似ていて、頭が平べったい。ヌートリアは見ていますが顔がかわいくない」

 目撃地付近は自然の護岸で、大き目のコイもいて釣りをしている人もいると言います。佐保川の目撃地点とはさほど離れていないので、この地域を生息場所とする個体がいるのかもしれません。(2023.3.22)

お茶の水 ★ 共同親権実践セミナー2023

『共同親権』『子どもに会いたい親のためのハンドブック』の著者による、子どもに会いたい親、子育てにおける共同親権を考えてみたい人のための、経験を活かした実践子育てシリーズ。

【日時】2023年4月~7月の第2土曜日、各回17:15~18:45

【場所】全労連会館303会議室(東京都文京区湯島2-4-4)

JR御茶ノ水駅御茶ノ水橋口徒歩8分 http://www.zenrouren-kaikan.jp/kaigi.html#08

【講師・相談・司会】宗像 充(ライター。共同親権訴訟原告、『子どもに会いたい親のためのハンドブック』著者、「大鹿民法草案」起草者、15年にわたって親子引き離しの相談・支援をしてきた)

【参加費】1000円*予約不要

(下記のグループワーク、共同親権カフェと2コマ以上で1500円)

【各回内容】

<第1回>4月8日(土)「ゼクシィ見るより民法読め」

家族法の民法改正の議論が話題になり国の立法不作為を問う国賠訴訟も提起されています。でもなぜ法律が子育ての障害になるのでしょう?現行民法の問題点を「大鹿民法草案」をテキストに考えます。

<第2回>5月13日(土)「『面会交流と共同親権』を読む」講師・大山直美

共同親権の議論が深まらないのは、根強い反対運動の存在があります。彼らの考える司法システムや家族観について明石書店の新刊をもとに検討し、何が養育の障壁なのか考えます。

<第3回>6月10日(土)「知っておこう!家庭裁判所の人権侵害」

当たり前のように行われる人質取引、マジックミラー越しに監視される試行面会、子どもに「会いたくない」と言わせる調査官調査、そして時間を空費するだけの調停。家裁の暗黒を共有します。

<第4回>7月8日(土)「子育て家庭倍増計画・実践編」

「子どもにとって離婚とは家が二つになること」。なのに一つの家にしか帰宅できない子どもたち。家が2つになることで何が起きる?共同子育てに近づくためにできることは?

<家族を修復するグループワーク> 

同日13:00~14:45【参加費】1000円 *予約不要 

親子引き離し・離婚・DV(家庭内暴力)・モラハラ・不登校 etc否定のない自由な語り合いで気づく、あんなこと・こんなこと、あなたにあった「いい関係」をいっしょにつくります。

<共同親権カフェ(自助グループ)> 

同日15:00~17:00【参加費】1000円 *予約不要 

子どもと離れて暮らす親、別れても共同での子育てがしたい方、互いに気持ちや事情を話して支え合い、 知恵を出し合う場です。

<離婚と子育て相談会>

同日19:00~21:00【相談料】50分3000円【応談】宗像 充

*2日前までに要予約 munakatami@k-kokubai.jp 0265-39-2116(共同親権運動)  

主催 おおしか家族相談 協力 共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会

TEL0265-39-2116 メールmunakatami@k-kokubai.jp

URL https://munakatami.com/category/family/

4月1日 オオカミが来た!

スライド上映+トーク「ぼくがまぼろしの動物を探す理由」

ニホンオオカミ、ニホンカワウソ、九州のツキノワグマ、ニホンアシカ……

国が「もういない」と言っても、教科書で「絶滅した」と書かれても、絶えない目撃情報、遭遇体験。

ほんとうに絶滅してしまったの? 写真が撮られても「いる」と立証されないのはなぜ?

情報の寄せられた現場に足を運び、その正体に肉薄したジャーナリストがレポートします。

日時 2023年4月1日(土)13:00~15:00(入場無料、予約不要。注文してね)

   春休みです。遊びに来てね。

場所 珈琲十分長野県下伊那郡松川町生田2939-2、松川町部奈文化伝承センター横)

内容 スライド上映+トーク、著書販売します

宗像 充(ライター)

著書に『絶滅してない ぼくがまぼろしの動物を探す理由』、『ニホンカワウソは生きている』、『ニホンオオカミは消えたか?』、アウトドア誌Fielderで「山の謎なんでも探偵団」を連載中

*写真は大英博物館のニホンオオカミ最後の確認個体(東吉野村村議会提供)

主催 南アルプスあやしい探検隊 TEL0265-39-2067

パブリックコメント(法制審議会家族法制部会中間試案に対する)

宗像 充

1 子どもに会えない父親として

私は2007年に事実婚だったパートナーとの関係を解消し、その後親権がないがために人身保護請求を申請されて、今現在子どもと会えていない父親です。人身保護請求がされた際には、元妻側は会わせると自ら申し出たため、合意書を交わして任意で当時2歳になる前の子と、私が手元で育てていた元妻の連れ子の4歳子どもを渡しました。そのころ二人で子どもを協力してみるようにできるまで私の側が暫定的に2人を預かっていました。

ところが子どもを渡した途端に2年子どもと引き離され、調停や審判を経て2か月に1度2時間会えるようにはなりましたが、現在は「子どもの意思」を理由に会えなくなっています。

その間私は5度も裁判をしました。子どもとの関係を維持するためです。現在、単独親権制度の違憲性と、立法不作為を訴えて2019年に国を提訴した訴訟の原告です。果たして共同親権であったなら、このような苦労を15年間も私たちがし続けることがあったでしょうか。

私どもの主張は、「手づくり民法・法制審議会」の意見として述べています。私の経験も踏まえ、以下の各点を求め、私が強調したいこととその理由を述べたいと思います。

2 父母の権利(親権の用語変更について)

 「親権」の呼称については現状のままでよい。親権は「子どもは父母と共に過ごし成長する権利を有する。子の養育及び教育は、父母固有の権利であり、その権利義務の総体を親権とする」(大鹿民法草案)と明文規定を置き、父母の権利の固有性を明示する。

(理由)私は一度も親権をもったことがありません。それを理由に人身保護請求をされました。しかし、定期的な面会交流の審判が裁判所から出ています。一方、元妻は子どもを確保した後、現在の夫と結婚し、子どもを養子に入れました。そのことによって親権者変更の申出はできなくなっています。私たち父子は制度の濫用によってこの15年間振り回され、今も振り回されています。

養子縁組は子どもの親を取り換える制度になっていますが、子どもとの面会交流はいったいどんな権利に基づいているのか、親権の概念を設定し直したところで、父母が、実父母または養父母になっているのであれば、意味のないことです。

父母のセックスによって子どもができるのですから、親権制度によって保障する父母の権利の固有性をまず規定しないと、いくら用語を変えても無責任というだけでなく、国や家の都合でいかようにも親の権限を取り上げることができます。私は子どもを手放すように何度も司法に無言で圧力をかけ続けられましたが、現行制度は無責任な男女のための制度になっています。

一方で、審判では、元妻の連れ子と私の面会交流を規定しています。父親替わりとして私と子どもとの関係を司法が認めたということですが、そもそも父子(親子)関係を保護すべき、という発想がなければ、それを延長して父子的関係を保護するという発想自体ができません。 

3 共同親権(親権の偏在の解消)

 現行民法の単独親権規定を削除する。父母の権利の対等性を規定するため親権の調整規定においては、父母一方の申出による養育計画を義務付け、養育時間の平等を基準に司法の裁量を制約する。監護権を親権からの分離はしない。

(理由)父母の権利を保障する法規定が親権である以上、それを片方に偏在させる理由がありません。共同親権は導入するものではなく、もともとのベースとして設計していないことに問題があります。ベースが共同親権ですから、婚姻中と離婚時だけでなく、未婚時を法的に区別する必要もありません。今回の中間試案は、現行制度を元に積み上げ加算方式で選択肢を設けたため、1で私が述べたようなベースとなる議論がなされず、結果議論を集約できなかった事務当局の(半分意図してした)失敗だと思います。したがって、中間試案の選択肢の中からどれかを選ぶという行為自体が不可能で、人気投票以外の意味はありません。

 私は、親権はありませんでしたが、子どものことについては、授乳以外はまずしましたし、その時間も少なくありませんでした。しかし元妻は、全面的に私の収入に頼っておきながら、私の稼ぎが少なかったことを15年後の今も責め立て続けています。その上、今度は別の男性に子どもを見させて私が子どもに対して会おうとすると、裁判までして引き離そうとしています。司法は一貫して母親側の肩を持ってきましたが、子育ては女がするものという固定観念がなければ、考えるだけでもおそろしいことです。

 性役割に基づいて、このように一方の親を子どもから排除することが可能なのは、単独親権規定があるからです。特に離婚時に親権を司法が母親に指定する割合は94%なのですから、単独親権規定は父親を育児から排除し、働く女性が子どもの面倒から離れられない事態を招いています。経済的にであれ、実際の子どもの世話の側面であれ、性役割に基づいて双方の権利や責任を振り分けることは、男女平等の側面から受け入れられないだけでなく、それを固定強化して、ジェンダーギャップから生じる父母の争いを温存させます。

 共同親権を名目上入れて、監護権で今度は性役割を押し付ける現行運用を温存し続ければ、今の制度に対する不満も温存します。司法が公平な判断をできる法的根拠がないことが問題なのですから、司法の裁量の幅を狭め、養育時間において男女平等が実現する法規定を置いてください。(大鹿民法草案12ページ以下)

4 養子縁組(代諾養子縁組、未成年者の普通養子縁組の廃止)

 再婚時の父母の同意と司法の関与を省略する代諾養子縁組制度、及び、片親を養育から排除するために濫用される未成年者の普通養子縁組制度を廃止する。

(理由)人身保護請求をされた後、元妻とその結婚相手が子どもをすぐに養子縁組して2年間も子どもから私を排除しました。私はそれまでひとりで子どもを見ていたので、正直、子どもを物のように扱ってよしとする法と司法のあり方に、本当に傷つけられました。子どもの養父となったのは、私の元友人でしたが、彼は、私と子どもとの面会交流を、近くの銀行のベンチに座って監視したり、元妻やその弁護士とともに「つきまとう」と父親である私に対して暴言を吐いたりしてきました。これらの行為を司法は「親権者だから」と容認しています。倫理が壊れています。

 代諾養子縁組において、父母の同意と司法の関与が省略されたのは、そのことで子どもの利益を達成できるという前提があったからだと思いますが、養父が子どもの前で実父に「つきまとうな」ということにどんな子どもの利益があったのでしょうか。代諾養子縁組制度の濫用がなされるのは単独親権制度だからですが、これを廃止した場合に、代諾養子縁組制度は必然的に廃止され、さらには未成年者の普通養子縁組自体の利益自体がなくなります。そのような場合は、特別養子縁組をすればよいからです。

5 子どもの意思(子どもの意見表明権と自己決定権の混同)

 父母の権利行使について、子どもの意見を考慮することを義務付けること、及び、司法の現在の運用を肯定するために「子どもの最善の利益」など曖昧な言葉を用いることをやめる。

(理由)私は、これまでの調停、審判で5度ほど子どもの意見聴取をされました。2度は同じ裁判で、子ども代理人が意見聴取し、その後調査官が再び意見聴取をしました。そのとき子ども代理人の役割は、家から裁判所に子どもと同行することでした。そしてすべての意見聴取において、私は親としていつどこで意見聴取がなされたか事前に知らされていません。子どもと試行面会で裁判所で会いましたが、元妻とその夫がマジックミラー越しに監視しました。屈辱で本当に傷つきましたが、調査官は「親権者ですから」と言っていました。

 子どもは最初のころの聞き取りでは、面会交流について素直に喜んで調査官にもそう話しました。しかしそのことで面会交流の時間が増えることはほとんどなく、逆に、思春期になって子どもが会いたくないと言い出すと、裁判所は即座に自分が定めた面会交流の取り決めを取り消しました。こんないい加減な家裁の実情が表に出れば「子どもの最善の利益」が判断できるかなんて、信じられる人はいないと思います。中間報告では、父母の権利の固有性について沈黙してそれを確保する手段である親権の議論をしたために、政策判断や司法担当者の主観一つで、父母の権利をいかようにも制約することが可能になっています。「子どもの意見の尊重」の運用実態です。

 裁判官はただの公務員ですから、自身の裁量が大きすぎれば前例以上のことはしにくいのは自明です。なので、司法での母親の親権者指定が94%となっていますし、これは子どもといっしょにいる時間の長い母親がもっぱら子どもを連れ去る結果ですが、であれば、一般の方の司法への信頼を保つためにも、もっぱら母親が親権者を得る、と明記すべきです。男女平等の観点からそれができなければ、男女平等に養育時間を分け合うように明記するしかなく、それをしたくないからといって「子どもの意見の尊重」を持ち出して、子どもに責任を押し付け、司法に都合のよい子どもの意見だけを尊重しない親を責めることを司法に許すなど、はしたないことです。

 子どもの権利条約は「自由に」子どもが意見を表明する権利があることをその12条で明記していますが、未熟な子どもに自己決定を迫り、意見がまとまらない親の責任を肩代わりをさせ、無責任なだけでその後の子どもの人生など何も見届けようとしない司法のしりぬぐいをさせるなど、私たち大人はすべきではありません。

 

【プレスリリース】2月16日控訴審 「弁護士が選ぶ弁護士ランキング」1、2位の森元みのり、森公任(現法務省人権擁護委員)の面会交流妨害の違法性を問う本人訴訟

【控訴審第1回期日】2月16日(木)13:30~東京高等裁判所812号法廷

1審で行なわれなかった、森、森元の証人申請を行いました。

私・宗像は、元妻とその代理人が面会交流等を妨害した行為につき、本人訴訟で損害賠償請求を2021年1月に提起しました。2022年9月の一審判決(飯田地方裁判所、前澤利明裁判官)では宗像が一部勝訴しました。その後双方が控訴し、2月16日に第一回控訴審が予定されています。

【事件の概要】2021年1月15日、宗像は、当時15歳の娘との交流を妨害され囲い込まれたことを理由に精神的苦痛を被ったとして、273万円の慰謝料を求めて元妻と再婚相手、その代理人の森公任、森元みのりの両弁護士を、長野地方裁判所飯田支部に提訴した。

森氏らが代理人となった2020年7月から、面会交流中に元妻やその再婚相手が受渡場所に現れて、娘を連れ帰るようになり、その後2020年9月からまったく会えなくなった。その際、森氏らから、「〇〇さん(宗像の娘の名前)にはお会い頂けません」との通知が宗像に届けられていて、宗像は、元妻と再婚相手だけでなく、森氏らの行為も面会交流の妨害として訴えた。その後以後の連絡をしない通知が11月に宗像の元に届いた。また、元妻の再婚相手や森氏らは、面会交流中に父親の宗像が娘についていった行為を「つきまとう」と記載した書面を裁判所に提出しており、宗像はそれについて名誉棄損として、一連の養育権侵害、囲い込みの一環として被害を主張している。

元妻とその再婚相手は、2007年に宗像から娘を引き取った後、宗像の娘を代諾養子縁組によって、元妻の再婚相手の養子にしていた。娘が中学校に入学後、元妻らは代理人とともに進学先を隠し面会交流も短時間になった。面会交流中、元妻の夫が宗像を監視した。

【一審は代理人の違法行為を免罪】一審では、面会交流途絶後に、宗像の元妻夫婦が一切連絡をしなくなったことに対して、元妻夫婦のみに月に1度の面会交流の取り決め1回につき1万円の損害が認められ、信義則上の説明義務違反として計18万円の損害額が課された。ところが、元妻夫婦の代理人で、代理行為の連絡業務に直接従事した森、森元らの違法行為は認定されず、矛盾した内容になっている。

双方が敗訴部分を控訴しているが、被告4人はその後も決定を無視し一切の説明義務違反を怠っているため、宗像の請求する損害額は2022年11月までで573万4700円に積み重なっている。

*宗像は、2019年11月22日に提訴された、共同親権集団訴訟の原告。

*森、森元両弁護士は、家事事件について「国内トップレベル」をホームページでうたう森法律事務所に所属する。「弁護士が選ぶ弁護士ランキング」のそれぞれ2位、同1位であり、森は元東京家庭裁判所調停委員で、現在法務省人権擁護委員。森元みのり弁護士とともに、家事事件に関する著書多数。被告側代理人は森法律事務所の淺見宗市弁護士。

親子が親子であるということ、それは人権

提起して何が変わった

 共同親権訴訟は2019年11月の提訴から、3月2日に原告側の最終弁論をもって結審を予定している。昨年原告の一人の柳原賢さんのお母さんから連絡があって、ご本人が病死したという。柳原さんは裁判の冒頭で、会えない娘さんがもうすぐ成人するので、時間が残されていないと語っていた。連絡をいただいて慌てて富山まで挨拶に行くと、柳原さんのお母さんが「賢のためにできること。みんなのためになっていると東京に行ってましたから」と引き継いでくれた。

 本訴訟の提訴は、当事者が顔を出して世論にアピールするという点で一定の効果を与えたと思う。外国籍当事者の働きかけによってEU議会が決議を挙げたのが大きかったものの、当時の上川陽子法務大臣が法制審議会への諮問を表明したのが、2021年1月になっている。弁護士が当事者をセレクトして、訴訟で立法不作為を認めさせていく立法活動の一手法にとどまっていないので、原告の訴訟への思いは様々だ。

4年も経つと子どもが成人したり、自分から連絡を取ってきたり、ぼくのように、毎回毎回娘が司法に呼び出されて意思を確かめさせられ、母親側として係争させられりと、状況もいろいろだ。共通して不十分な制度と無責任な司法に相変わらず振り回されている。

原告の中にも当初と違って顔名前を公表する人もいる。もし本国賠を申し立てていなかったら、それぞれの状況も違っていただろう。原告に名前を連ねて世論にアピールすることが、むしろ子どもとの関係においてプラスの側面があったのだろう。娘が国賠訴訟にも言及し「父が何考えてるかわかりません」と調査官に言っている。ぼくは娘へのメッセージとしてこの訴訟を提起した。

法制審議会VS民間法制審?

 ところで、民法改正は法制審議会への諮問と答申を得て行うことになっている。それに対して、民間法制審というグループが独自の法案を策定している。別居親当事者はこの法案があるから、反対派を押さえて共同親権が実現すると期待する人もいるだろう。本当だろうか。

 簡単な指摘だが、「こうすれば共同親権になる」という提案は「そうしなくても困らない」という意見に対して反論とはなっていない。

法制審議会諮問の目的は共同親権ではない。例えば、2年前2021年1月15日の日経新聞の見出しは「養育費不払い解消を諮問へ 法制審、共同親権も議論」になっているが、狙いは養育費不払い解消なのは最初から明らかである。人選も養育費関係の団体・識者が中心だし、その後の審議も優先順位がそうなっている。「現行制度でも面会交流ができる」ので単独親権制度をいじる必要はないという主張が議論では繰り返された。

 もちろん、民間法制審のレポートには、現行制度故の人権侵害の実態が赤裸々になされている。しかし、制度や秩序のためにはそんな被害は受容すべきという側が権力を牛耳ってきただけなので、もっと大きな被害を優先すべきと言われれば、政策判断で切り捨てられてしまう。「声の大きさで決めていい」と当事者が言うことでお墨付きを与え、声の大きさで制度改変がなされなかったというのが、親子断絶防止法も含めこれまでの流れだ。法制審に別居親枠が設けられたのも同じ狙いだ。

民間法制審の案もよく練られたものだと思うが、親子断絶防止法の当初案も、現行制度の中で実現可能という面でよく練られていた。当初案に対して骨抜きどころか逆行する結果になれば、何のための法改正なのかと思うだろうが、一応独裁国家ではないと建前上はなっているので、仮にそれが素案になれば修正は前提だ。

「現行制度でも子どもに会える人は会えている」に対する有効なカウンターは「こうすれば法案が可能」ではなく「現行制度でもお金を受け取れる人は受け取っている」である。人権問題に優劣をつけるのではなく、双方が同じ土俵で人権問題だと主張することだ。

同様に「別居親は危険」に対するカウンターは「その程度は被害ではない」ではなく「親が子どもと暮らすことは危険じゃないのか」になる。危険だから制約する必要があるにしても、だったら最初から国が見ればいいと誰でも思う。でもそうすると、いったい親とは何なのか。

何が足りないのか

  民間法制審の法案は、民法上の共同親権規定から「父母の婚姻中は」を削除したらいったいどうなるかをうまく示している。しかし法案がどうしても必要だという意見が別居親以外にはさしていないので、既得権の擁護派と比べると数からしたら苦戦必至だ。

また父母以外の祖父母や子と関係を築いた人の権利性を子どもの権利からしか規定できていないのは、つまり親権もまた政策的な選択の対象なので、それ以外の人の権利をうまく設定できなかったということなのだろう。これだと「面倒を見るのは親じゃなくてもよくないか」という意見が出た場合に、父母の権利を譲り渡す(単独親権)余地を与える。

 この点では、親権を自然権としてアピールした、作花さんが提起した一連の国賠訴訟においても同様の構造になっている。親権は父母の権利の制度的な担保だが、人権確保の手段は政策的な選択の範囲なので、代諾養子縁組で親を入れ替えることも可能になる。人権侵害だとは思うが、「政策判断していい」となれば、司法も「それは国会の役割」と逃げるだろう。

この点、権利侵害を否定しながら、連れ去り行為についての立法不作為に言及した連れ去り国賠の判断は、むしろ世論に押されて司法が立法権を侵害したと反論を受けかねない。ただし、こういった矛盾を引き出した一連の作花国賠の意義は大きい。連れ去り行為が権利侵害であるとの世論が高まれば、こういった矛盾は解消するからだ。

 

共同親権訴訟

 当事者を離婚を経験した父母子に留めている限り、政策的な判断と声の大きさに依存する構造は変わらない。

「子どもはお国のものではない」

 親たちは「みんながそうするから」と、「パパお金、ママ家事育児」の単独親権制度の家族観に従ってきた。別れれば「みんながそうするから」と子どもに会えなくても我慢し、女で一つで子育てするのは美徳とほめそやされた。かつては「みんながそうするから」と子どもを戦場に送り出してきた。もちろんそれらは「子どものため」だった。しかし本当にそうなのか。

疑問が生じた時、かつて自分たちを納得させてきた制度的な枠組みに回帰して、いったい何か得があるのだろうか。それを知っているのはつらい思いをした経験者だろう。誰もが周囲から後ろ指さされないようにしながら、びくびくしながら家族を耐え忍んできた。現行制度が父母の権利が損なってきたと、自らの経験を踏まえて訴えることで、その無意味は浮き彫りになる。

そんな窮屈な世界に止まる必要は何もない。共同親権訴訟と大鹿民法草案は、そのための手段にほかならない。子育ては自由だ。誰もがそれに気づいたときに、法も社会も変わるだろう。