【訂正】クサガメ/イシガメ

 先日2017年に出した『ニホンオオカミは消えたか?』の読者からメールが来た。

「本の冒頭あたりに、オオカミの再導入に関する例え話として「在来種のクサガメ」という表記があります。しかし現在では、クサガメは外来種とされる説が濃厚です。これは「イシガメ」の誤りでしょうか?

クサガメ外来種説に関して、一部に議論は分かれる部分もあるようですが、日本固有種のイシガメの存在を脅かす存在であることは事実です(ウンキュウという交雑種も存在しています)。

そのような問題がある中で、この本としてあえてクサガメを在来種と表記するリスクはないのかなと思いました。特に本の内容として「種」に触れる場面が多いので、クサガメを在来種と書くことで、宗像さんの評価にケチがついてしまうのが心配です。」

評価にケチがつく、という部分でいえば、たしかにケチがつくような実績しかないのであんまり心配してないのだけど、調べて訂正する記事を書くとお礼ととともに返事をした。

指摘の部分は、本書の15ページ目で、オオカミ導入論がある中で、ニホンオオカミが独立種だとすると外来種の導入で在来種が駆逐される場合のたとえ話として、「在来種のクサガメ」が外来種の「ミドリガメ」に駆逐されていることについて触れたものだ。

この「在来種のクサガメ」が外来種ではないかという指摘だ。ウィキペディア等ネット情報を見るだけでも、実際イシガメ(ニホンイシガメ)が日本固有種であることに争いはないものの、クサガメについては本州以南のものはかつて自然分布と考えられていたが、今は朝鮮半島から18世紀末に移入されたと考えられているという。

長野県では現在では外来種とされているハクビシンがかつては天然記念物だった。DNAの研究の進展で論争に決着がついた例もある。そうはいっても、外来種によって固有種が危機にさらされているということについて例を挙げようとして、論争や研究成果などきちんと調べもせずに不用意に書いた間違いで、ご指摘通り「イシガメ」と書けば問題はなかった。いったいいつからいるものが「固有種」なのかという論点はたしかにある。ただそこはこの場合論点ではないので余計な詮索を招いたという点でも例としては不適切だ。

書いたのは7年前で記憶も古くなっている。クサガメはイシガメ属でもあるので、その辺も混同の理由かもしれないものの、この本はほかにも調査不足からの間違いを指摘されているので、軽率な態度が招いたものとして反省する。重版の際にはもちろん訂正する。(2023.8.31)

「ここが変だよ」法制審議会親権法要綱たたき台

法制審議会家族法制部会では2023年8月29日に、事務局から要綱のたたき台が示された。報道では今年中に意見を取りまとめて要綱を答申することが予定されている。実際に家庭裁判所の手続きを経て子どもとの関係を絶たれた親として内容を一瞥してみた。

親子関係と婚姻制度との分離

多くの国が婚姻外は単独親権限定だったのが、婚姻内外問わず共同親権へと移行していきました。海外の親子法の改革の肝は、父母の共同責任を法制化することによって、親どうしの関係の婚姻制度と切り離すことに本来の狙いがありました。フランスの民法のように、親の法的地位の変動に、親権制度は影響を受けない、とあえて明記している国もあります。

そうしないと、家や親の意向で共同親責任を果たすことが困難になり(養育放棄や子の囲い込みなど)、子どものためにならないという発想です。そのために、平等な養育時間が法原則として採用されました。

ところが、昨日出された法制審のたたき台は、改革のターゲットを婚姻外に当初絞ったために、この分離が不徹底に終わった点に最大の問題があります。

もともと今回の法制審は、なるべく現状の司法慣行をいじらないで、養育費の徴収率を上げる、というのが当初の狙いでした。そういった狙いは、親子間の交流については前提とせず、一方養育費については法定額を問答無用で課すなど、現状の「会えないのに金は払う」という、搾取体制を正当化するものです。

不平等な司法慣行を反映

「搾取」と呼ぶのは大げさではありません。

たたき台では、父母間で親権についての合意が得られない場合、司法の判断にゆだねることになります。ところが現在の司法では女性が94%の割合で親権を得ます。要するに男女がともに仕事や養育を担うのではなく、男性が稼いだ金を女性に移して子育てさせる、という家族モデルを前提としています。

一方が逃げたり子を囲い込めば、共同親権で合意を得るのは期待できません。そうなったらいくら司法に決めさせても、司法は女性を親権者(監護者)にする(男性の親権をはく奪する)し、引き離したら手紙送付でも交流になるんだから、現状と何も変わりません。

法制審では面会交流について、「試行的実施の必要性や相当性を判断する前提」が必要で、「実施に当たって家庭裁判所調査官等の第三者の関与について定めておく」「さらに、安全・安心な状態で親子交流の試行的実施をするためには、一定の遵守事項を定めておくことが望ましい」などハードルを課しています。

これらは、現在子を連れ去られた親が、被害者であるにもかかわらず様々な要件を課せられ、できもしない無実の証明を課せられる司法慣行を反映したものです。

しかも、たたき台の解説文によれば、「親子交流」について「親子交流を実施する方法としては、対面での交流のほか、電話やウェブ会議などを通じた交流や、子の写真、動画等の送付による交流など、様々なものが含まれ得る。」とされます。司法は「高葛藤」によって写真や手紙の送付ですますのは目に見えており、法的お墨付きが与えられる分改悪です。

違憲、子どもの条約違反

また、婚姻外の規定のみに法改正を絞ったために、性中立的に共同親権を可能としながら、「子の出生前に父母が離婚した場合又は(母と法律上の婚姻関係のない)父が子を認知した場合には、親権は、母が行うものとする。ただし、父母の協議で、父母の双方又は父を親権者と定めることができるものとする。」と、今度は不合理に女性を親権者とするという、明らかに「両性の平等」に反する違憲規定が登場する結果になっています。

さらに、家の存続のための再婚養子縁組制度を温存したため、「養子となる者が15歳未満であり、その父母双方が親権者である場合には、当該父母が共同で縁組の代諾をするものとし、当該父母間の意見対立時には上記第2の1⑶の規律により調整する」と、司法の審査を得るべきとする子どもの権利条約の規定や勧告にも反する規定も盛り込まれました。

改革を「婚姻外」に絞った結果、かえって婚姻外の「差別的取り扱いは合理的」(東京地裁)という司法慣行による婚外子差別と、親どうしの不平等を強化するたたき台。なぜ日本で単独親権制度を変えられないのか?家父長制を起源とする単独親権制度を払しょくできないのはなぜか?はもっと議論されていいでしょう。(2023.8.30)

子の連れ去り訴える選挙ポスターで逮捕 羽田ゆきまさ報道局弾圧事件

獄中からの出馬表明

 現在東京拘置所に収監されている金村まことさんは8月2日、獄中から8月27日に告示予定の立川市長選に立候補を表明した。声明文では、4月の大田区区議会議員選挙(4月23日投開票)に立候補し、「その選挙ポスターに記載された事項について名誉毀損に問われた」と収監の理由を説明している。

大田区在住の金村さんは、羽田ゆきまさのペンネームで、ネットメディア、羽田ゆきまさ報道局を作り、選挙や議員活動、社会問題を動画で配信している(「羽田ゆきまさ」のほうが通っているため、以後羽田さんとする)。動画配信のコンテンツには、「子どもの連れ去り」という枠もあり、ぼくも出演したことがある。

ぼくは子どもに会えない親として、2008年から親権問題についての活動をしてきた。親子の引き離しの被害者たちの自助グループも開催していて、羽田さんもそこに顔を見せていた一人だ。

現在共同親権への民法改正が度々話題になっている。離婚や未婚の際に子どもと会えなくなった親たち(父親が多い)が運動を続けてきた。ぼくもそのために国を訴える訴訟を起こしているので、羽田さんにも動画を配信してもらった。

 8月2日の出馬宣言は、羽田さんの代理人の下村大気弁護士から記者クラブとぼくにも送られてきた。電話をしても通じない羽田さんが東京拘置所にいるのがわかったのは、7月20日の下村弁護士からの「取材してほしい」という連絡でだった。5月22日の逮捕後、6月22日に起訴されていた。8月4日に長野県から小菅の東京拘置所に向かった。

顔写真・「DV妻」のポスター

こちらが質問する間もあまりないまま、羽田さんは間仕切り越しに経過を説明した。

大田区議会議員選挙で羽田さんが貼りだしたポスターは、子ども2人の写真を載せ「子ども連れ去りの被害者」と説明している。2人の脇に目の部分に黒の横線を入れた女性の顔写真が挿入され、「DV妻のこどもたちへの暴力を田園調布警察や児相に相談していました」とある。このポスターを選挙掲示板98カ所に貼ったのが逮捕起訴された理由だ。

子どもたち2人の名前も入っている。見た人はそれが羽田さんの妻と子どものことだと思うし(実際そう)、知り合いなら目に黒線を入れていても子どもの顔名前が出ているので母親も特定できる。

暴力の存否

ポスターの記載について本人や下村弁護士の説明をまとめると次のようになる。

羽田さんは車を運転中に後部座席の妻から助手席をけられたのをきっかけに、田園調布警察署に相談した。2019年のことだ。警察と、警察から連絡を受けた児童相談所が双方に話を聞き、しばらく沈静化したものの、翌2020年4月には子どもが水をこぼしたことで妻が子どもを折檻する。この際妻が子どもを連れて実家に行き、以来羽田さんは子どもと会えていない。

羽田さんの口調からは悔しさがにじみ出ていた。母親の児童虐待事件は日々事件になっているし、相談を受けている限り女性が暴力をふるうのは珍しくない。

もちろん、妻の側は暴力の事実については否定して羽田さんを告訴したため、捜査機関としては名誉毀損容疑で逮捕起訴したという流れになっている。この点は裁判で争われる。

連れ去り事件?

羽田さんのポスターには「こども連れ去り反対」の主張もある。「連れ去り」という用語を使うかどうかが、共同親権の賛否にかかわり政治化している。現状維持派は「避難だ」と言い、変革派は「連れ去りだ」と言う。どっちにしても子どもを「囲い込まれた」と言えば実体が理解しやすいかもしれない。 

羽田さんは、この選挙ポスター以外にも複数の種類の「連れ去り」をアピールするポスターを用意している。羽田さんとしては自身が受けた理不尽な扱いが社会問題だと、選挙を機会に広く知ってもらいたかったのだろう。

「名誉毀損 vs  スラップ」

 ところで、親権問題を報じるメディアについての「名誉毀損事件」がこのところ度々起きていて、報道する側は委縮しがちだ。

昨年12月には、マクロン仏大統領来日と東京五輪開催に合わせてハンガーストライキをしたフランス人男性、ヴァンサン・フィショ氏の妻側が、名誉毀損で出版社などを訴えた。今年の4月にも別のメディアやライターへの提訴が続いた。

プライバシー侵害も争点になっている。不思議なのは、当の母親は記者会見で発言しつつ、情報の発信元のはずのフィショさん本人は訴えず、メディアだけを訴えている点だ。もちろん訴えられた側は、訴権の濫用としてアメリカなどでは規制法もある「スラップ(Strategic Lawsuit Against Public Participation)訴訟=口封じ訴訟」としてアピールし対抗している。

親権に関する事件の場合、これらの手法は、女性の側の被害者性を前提とし、男性の側の被害を否定することで世間にアピールしているという点を理解しないと混乱する。「連れ去り」と言うこと自体、男性の側がもっぱら被害者という点でこれまでの「女性=被害者、男性=悪」という構図を崩すものであり、故に感情的な反発も強い。

母性神話

日本外国特派員協会でフィショさんの妻側の記者会見を見ていて驚いた記憶がある。会見の弁護士の一人が、記者の一人が足を組んでいたのを見とがめて「女性に失礼」という言葉で非難したのだ。「足を組むのが失礼」ではなく、「女性に足を組む」ことが失礼にあたる。逆に言えば相手が男性なら問題ない。これは親権をめぐっての家族の問題でも当てはまる。

警察としては羽田さんに仮に暴力被害があっても「問題ない」。しかし彼女の側が被害を訴えると見過ごせない。ある憲法学者は「連れ去られた」と男性の側が被害を訴えると、母親の側の言い分も聞かないと不公平だと訴える。しかし男性の側が虚偽DVを主張すると、「それがDVの証拠」「被害者を疑ってかかるなんて」と途端に両論併記が吹っ飛ぶ。

これは一般的に言って母性神話だと思うが、司法で女性が94%の割合で親権を指定される現行制度と運用が是正されない原因ともなっている。羽田さんが選挙で不当性を訴えたかったのはこの部分だろう。それへの逮捕起訴は故に弾圧だ。

選挙で子どものことをアピールする

 ところでぼくは羽田さんが大田区の選挙に出馬するときに、ポスター貼りの人集めの協力要請を受け、接見でも立川市の市長選挙で同様の依頼をされた。とはいえ、自分の名前をアピールするでもなく、主義主張だけで人は動かない。他人を巻き込む気もなくて断っている(そもそも事前にポスターを見ていない)。

 ただ、警察も児童相談所にも不信がある中、羽田さんが不当性をアピールする手段としてとったのが選挙ポスターというのはわかる。

子どもや母親が特定される形でのポスターはどうだろう。

連れ去りは誘拐なので、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の拉致問題になぞらえてアピールする当事者たちは多い。もちろん拉致被害者の顔写真を出さないと世間にはアピールしないから、国はそれを並べたポスターを作り、メディアは北朝鮮の政治指導者の名前を、「名誉を毀損するから」と報じなかったりはしない。

「子どもがいじめられる」という懸念は出やすい。一方これが子どもへの被害の告発だとすると、父親の羽田さんは子どもに周囲の監視の目が行くように配慮したとなる。こうなると、親でもない他人がとやかく言うことかとも思う。民事不介入なら母親の告発だけを警察が事件化する理由もない。

 名誉毀損罪は公共の利害に関する場合には例外になるので、裁判ではその点が争点になる。そもそも初犯で起訴なんてと思う。逃亡も証拠隠滅の恐れもないのに勾留は2か月を超えた。検察側からすると、98カ所の量の多さと羽田さんが妻側に接触するのではという懸念から、羽田さんの拘束を解かない。しかし本人は父親として制度を変えるために選挙活動をするのが本位だろう。

公判は8月9日14時半、東京地方裁判所828号法廷で第一回目が始まる。(2023年8月6日)

 

世界級の自然破壊へ、ようこそ。リニアの信州

残土あふれる清流、串刺しの南アルプス、高架で寸断される田園、ダンプ行き交う山里……★リニア建設現地フィールドワーク+「とっておきの大鹿」体験トリップ

2027年の開業が不可能になったリニア新幹線。
工事が進まないのは静岡県のせい?
JR東海の工程表では長野県でも2027年の開業は不可能です。
実際に長野県下の工事予定地はどうなっているのでしょうか?
リニアに「?」の人のためのリアリティーツアー

1 「体感しよう!世界級の自然破壊」伊那谷リニア建設現地周回

■日時 2027年7月29日(土)10:00―15:00 

■集合場所JR市田駅(10:00)

■コース 市田駅―(高森町の残土置き場)―長野県駅予定地―天竜川橋梁建設地(昼食)―坂島非常口―本山残土置き場―お手形神社(15:00解散)

■参加費 無料(申し込みは末尾連絡先まで)

■人数12人まで

□案内 宗像充(大鹿の十年先を変える会) 現場同行 壬生眞由美さん

*持ち物等 お昼ご飯(途中で買えます)、動きやすい服装

*自家用車での移動です。道が狭いので車を乗り合わせする場合があります。また電車で参加される方は申し出ください。

2 「とっておきの大鹿」体験トリップ

大鹿とっておきスポット・夕立神、南山牧場へ 

■日時 7月30日(日)8:00―15:00(歩行時間2時間)

■集合場所 大鹿村ディアイーター前(大鹿村新小渋橋北側駐車場広場)

■コース ディアイーター前(各自車で移動)―小渋川非常口―夕立神パノラマ公園―南山牧場

■案内料 2000円(申し込みは末尾連絡先まで)

*会員は無料

■人数 8人程度(雨天時は建設現地見学とスライド上映)

□案内 宗像充(大鹿の十年先を変える会、山のライター)

*必要なもの ハイキング程度の経験、日帰り登山装備、お昼ご飯(行動食)

*29日に宿泊される場合は各自ご予約をお願いします。会員は良山泊にステイできます(入会、利用等お問い合わせください)

●主催 大鹿の十年先を変える会(担当・宗像充)

(予約・問い合わせ先)TEL 0265-39-2067(宗像)、メール munakatami@gmail.com

6・22共同親権訴訟不当判決「家父長制を隠して守り続けよ」

不当判決

 6月22日に共同親権訴訟の判決が出て不当判決だった。東京地裁(古庄研裁判長、石原拓裁判官)は請求を全面棄却している。

 当日は記者席の申請に13席があり、広い法廷の傍聴席が満席になった。被告国から事前に判決要旨の請求が裁判所にあり、国側としてもこの判決で司法が何か言うのではないかと思ったのではないだろうか。というのも、法制審議会の審議を受けて4月18日には単独親権制度の見直し報道がなされていたのだ。ぼくたちとしても、「見直し」と国が言っているのに、現行制度を司法が擁護することは理屈的には難しいので、何か中身のあることを言ってくれるんじゃないかと期待した。提訴からすでに3年半の歳月をかけており、前裁判長は国側に立法目的等の説明を求めてもいた。今さらゼロ回答はないよな……。

ところが唖然。今回の判決は、これまでの親権関連の訴訟の中でももっとも後ろ向きで、かつ差別を積極認定した。通常請求棄却の場合は主文だけ読み上げていなくなるのが多いのが、裁判長は法廷で判決要旨を読み上げた。それが「仕事しない言い訳」を10分も聞かされているようで苦痛だった。

理屈はハチャメチャ

 判決内容についてはこれから弁護団とも検討して控訴審に向けて作戦を練っていくので詳細はここでは述べない。理屈としては単独親権制度による非婚(離婚・未婚)の親への「差別的取り扱い」は、非婚の親どうしの関係が類型化できない以上、子どもについての適時適切な決定ができなくなりうるので合理的。その「差別的取り扱い」を正当化するために、親の養育権が基本的人権であることを否定している。多分に国側の言い分をそのまま取り入れる部分が多く、かつ過去の親権裁判の判例を踏襲して原告側の請求を否定したり、言ってもいない理屈を付け加えたりしている。

 差別の積極肯定なんて理屈はこれまでの親権裁判でもなかったものだ。前例踏襲だけでは原告側の論理を否定しきれず、過剰に非婚の親の権利性を否定し、差別に合理的裏付けを与えなければ自らの理屈自体立てられなかったということなのだろう。そういう意味ではハチャメチャな理屈ではあったものの、「偉い人達って反省できないよね」「そういうことしか言えないんだぁ」と司法への一般大衆の幻滅を最大限に掻き立ててくれて画期的だった。

SNS上では、本判決を書いた古庄裁判長への批判と注目が最大限に集まっている。前例踏襲の司法決定を出した判事への注目が、ここまで集まることはなかったと思う。裁判官的には、前向きな判断は司法の自己否定になるので、渦中の栗を拾う勇気はなかったということだろう(そもそもめんどくさそうだ)。決定後の論争の開始と注目は、負けたとは言っても控訴審に向けて大きな足掛かりになった。逃げ回る司法に追撃を。

組織防衛と改革偽装

 ところで、古庄と石原の両裁判官は、単独親権制度の立法目的について、適時適切な判断をするためと考えられると推測でものを言っている。しかし、前日に公開になった法制審議会の議事録(2023.4.18)では、沖野委員が、「現行法ですけれども、共同生活を営まない父母が親権を共同して行使することは事実上不可能であると考えられたためということだといたしますと、それはその時点においても果たして正確な認識であったのかということが疑われると思います。」と両裁判官の認識自体を否定している。

 そもそも単独親権制度は戸主に全権的な決定権を付与していた戦前の家父長制の名残りにしか過ぎないので、それを「子どもの利益」を理由に正当化すること自体が本質的に無理である。実際古庄と石原の2人組は無視したものの、1947年の応急措置法は個人の尊重と両性の本質的平等という憲法的な価値を反映して、非婚の親への差別を否定して婚姻内外問わず共同親権としている。故に、1947年の段階ですでに「合理的」などという余地はなく、現行民法で残ったのは家父長制と妥協した以外の理由はあり得ないし、実際当時の議論を見ればそれは明らかである。2人組の認定は立法の効果では仮にあっても目的ではありえない。歴史の捏造である。

さらに沖野委員は続ける。

「けれども、現在においては一層妥当しないものになっていると考えられます。したがいまして、第819条を支える考え方というのが現在は維持できないのではないかということでございます。 そうしたときに、子の利益からどれほど望ましくても、また、当事者がそれをどれだけ望もうとも、法的には一方のみに親権者としての法的な地位を与え、それとともに権限や責任を負わせ、他方には親権者としての法的な地位は一切与えないしそれがもたらす権限も責任も持たせないという法制度というのが、果たして適切な法制度の設計であるのかということは、大いに疑問です。」

沖野委員は、法制度の成り立ちの歴史を踏まえた法学者としての常識的な意見を述べたに過ぎない。古庄と石原の2人組は見直しそのものを否定していない。であるとするなら、本判決は「改革偽装」の勧めである。見直し議論は政策論で人権問題ではないと言っているに他ならないのだから。本判決が明らかにしたことは、本当の敵は家父長制にあるということだ。

マスクの効用

 先日、お隣で一人暮らしをしていたおじいさんが救急車で運ばれて、しばらくして亡くなった。上蔵には5つの班がある。一番標高の高いぼくの暮らす斑は峯垣外班と言って、5軒が暮らしていた。班は冠婚葬祭のためのもので、このような場合に以前は必要とされていたんだろう。今は葬式も簡素化され、葬儀屋さんに頼めばやってくれるので、今回も出る幕はなかったみたいだ。

 ここ1、2年ほど、上蔵のお年寄りたちが救急車で運ばれたり、亡くなったりして、姿を見なくなるというのが続いている。お年寄りといっても、世代的には80代になったうちの両親と同世代だ。空き家も増えた。上蔵集落にはぼくが越してきたときには30軒以上いたのが、現在は30軒を割っている。大鹿村は2023年3月現在で、959人の人口となっている。この数年で200人ぐらいの人口減というのが実際だろう。

 新型コロナが2019年末から話題になりはじめ、翌年から取りざたされるようになった時点で、ぼくは感染については2年は続くし、そのうち、高齢者から亡くなっていくので空き家が増えるだろうなと予測し、そう言っていた。実際は感染が収束したわけでもなく、一方で感染で亡くなる方は少なくなり、亡くなった人は、心筋梗塞や脳梗塞などの人が多かったのだろう。空き家が増えているのは当たった。

大鹿村は一時長野県内でも陽性率が一番高くなった時期があり、ワクチンを一生懸命打った人もいただろう。ワクチンの副作用で亡くなった人も中にはいたと思う。遺伝子組み換え食品には血相を変えて反対していた人が、壮大な人体実験の遺伝子操作の伴うワクチンの普及には何も言わない。年よりに孫と会うなと言えば、楽しみもなくして運動不足と相まって免疫力は低下しただろう。

枯葉剤の取材とかしたことがあったので、日本で使用される薬剤が、アメリカの製品の廃棄物や中間生成物の出来損ない、であるということ学ばされた。現場を歩くと、処理を押し付けられた薬剤の消化に、日本の田んぼや国有林が選ばれてばらまかれている。おかげで日本の田んぼのダイオキシン含有量は今も高く、国有林内には今もそれが埋められたままだ。要するに日本は戦争や世界中の多国籍企業のゴミ捨て場なのだ。遺伝子組み換えの種子とセットでラウンドアップとかを売ってきた。

2020年には東京でオリンピックがあった。無理に開催したから感染が急拡大したと批判された。一方で、その時報道を注意していたら、感染が急拡大したのは東京ではなく、ワクチンの接種が積極的に取り組まれていた大阪である。オリンピックなんかやめればよかったと今も思うけど、隔離という感染の拡大防止のための措置は絶対的なものではなく、権利として対抗しえるものがあるなら、経済活動だろうが、人とのコミュニケーションだろうが、バランスをとるしかない。

今週東京から帰って熱を出した。この時期毎年花粉症で熱を出して数日寝込むというのが続いている。背に腹は代えられず数年前から薬を飲むようになった。息苦しいので寝るときにマスクをして寝ている。

ここ最近、国はマスク着用について個人の判断でするように言い出した。「じゃあ誰の判断でマスクしてたんだよ」と思う。2020年にはマスクが不足して、国がマスクを2つずつ郵送していた。その後マスクの着用率は上がってほぼ100%になった。しかしそれで感染の拡大が止まったなんてことはない。

もとより新型コロナはウイルスなので、マスク程度は通過する。科学者たちはマスクがどのように効果があるのかの実証データを出してきて、そのための論文が大流行りする。

小学生のころ見たテレビで、風邪の時期に研究者が出てきて「マスクでウイルスは防げないので無駄です」と話していたのが印象的だった。「しないよりもしたほうが効くからしましょう」というのがこの間だったけど、「効果が全体に及ぼす影響が読みがたければほかの方法を考えましょう」とは言わない。科学的の中身なんてこの程度の話だ。

バカバカしいので、花粉症の季節以外最初からマスクなんかほとんどしなかった。みんなが家から出てこない時期も、月に1度東京に行って、離婚されたりした。ただおかげで、世の風潮に従わない人に対して、世の中の人がどのようにふるまうかを観察することもできた。見たところ、マスクをしない人に対して批判することによって、自分はいじめられないから、という程度の話だというのがよくわかる。中学校の校則といっしょで、中身は理不尽なほうがよい。本当に恐がっている人は、マスクをしていないぼくが隣に座ると席を移ったりしていた。じゃあ家から出なければいいのに毎回思う。マスクをした隣の人が感染者なら意味がないからだ。注意するときも「マスクもってないんですか」とさも、「自分とあなたは同じ考えでしょ」と心配する風を装う。

うちの母親は、「テレビがそう言ってるんだから。あんたテレビ買いなさい」とぼくに電話で言ってきた。その話を、ワクチンを打たなかった友人にすると、「うちの母親も同じこと言ってたから、電話してワクチンはやめろって説得したよ」という。

友人の一人は乗車拒否までする飛行機でも「肺が悪いんです」とマスクをしなかったという。事情があればマスク着用の例外になってもよさそうなのに、「診断書を出せ」と言われたという。国が「自分の判断で」と言ったところで、「指示してくれなければ困る」という人がマスクをし続けている。

多分、こういう人たちが、戦争中は「非国民」とはだしのゲンの家族に石を投げたんだろうなと思う。たいして親しくもないのに、ぼくがマスクをしていないというと、電話してきてマスクの効用を話す人もいた。「非国民だからほっといてください」というようにしている。

感染症の拡大以前に忘れていたものは、人の死はそんなに社会生活にとって縁遠いものではなく、日常の延長にあるということだ。「いつお迎えが来てもいい」と言っていた年寄が、「コロナは怖い」と言って、国の政策に従わない若い人を批判するなんてことは、野生動物としてはいただけない。力のある者に従うかどうか、周囲が部外者をどう受け入れるかどうかで、他人を判断し、身内であっても容赦なく切り捨て常識人ぶる。もちろん、そんなやさしくない社会でも、そうじゃない人もいる。(越路33号、2023.4.17 たらたらと読み切り173)

入管と共同親権

 入管問題で梅村みずほ参議院議員が、支援者にも問題があったのではないかと国会で質問して問題になり、その後、彼女が所属する維新は、法務委員会からの更迭を決めた。この件では、ハッシュタグをつけて彼女を支持する書き込みをSNSでこの間多く見た。

 正直追っかけてきた問題ではないし、彼女の質問の意図もあまりわからなかったけど、支援者が問題だというなら、周囲がどうこう詮索することより直接本人が支援者に聞けばいい。この問題に何年も前から取り組んでいる友人のジャーナリストもそうSNSで指摘していた。展開は逆で質問は「ためにする」ものだったのが見て取れた。それで支持はできない。

 オーバーステイや在留資格が何等かの理由でなくなったりする人が入管に収容され、多くの人が帰国する。それでも帰国すれば身の危険があったり、家族がバラバラになったり、何等かの事情がある人が日本に止まり、先の見えないまま入管では非人道的な扱いを受ける。そういうのは彼のようなジャーナリストが明らかにしてきたので繰り返さない。仮に支援団体に何か問題があったにしても入管に責任はある。別居親団体にも問題は多々あるけど、だから家庭裁判所に責任がないわけではない。

 彼女が法務委員会で共同親権賛成の立場で質問を繰り返していたので、子どもと引き離された親たちが梅村議員を支持したがる理由はわかる。一方で彼女の発言が間違ってないというなら、自分たちが支えるから更迭した維新なんてやめちまえ、と言えばよさそうだけど、そういうのはまだ見てない。

 ところで、入管の問題は、ハーグ条約に加盟する前にそれこそ日本にいる主にアジア太平洋地域からの外国人に対する支援者から話を持ち掛けられたことがある。オーバーステイや在留資格が何等かの理由でなくなったりした場合に、担当部局が退去させることはあるけど、日本の場合は家族がいても引き離して退去させるのをいとわない。アジア地域からの労働者が日本に来て日本人と結婚して子どもができて日本にいられるようになっても、離婚したらいられなくなる。日本にいてもなかなか会えないけど、そうなると日本には来られなくなるので会う見込みはなくなる。また日本に生活の拠点ができてしまえば、母国といってももはや外国だ。そんな状況でも家族を引き離すのを厭わない。

 こういう情け容赦ないことをしているのは日本だけだし、ちょうどぼくたちがハーグ条約の加盟の時期に共同親権を主張していたのもあって、親子を引き離すのを厭わない日本の家族法に問題があるのではと訪ねてきたのだ。当時ぼくは東京で子どもに会えない親たちの相談を受けながら運動もしていた。10年以上前だ。非人道的な日本の家族法の影響を受ける人は大勢いるんだなと当時思ったものだ。

今日のように共同親権に関心を示す人はほとんどいない状況だった。そこに別居親団体以外で、似た問題関心を持つグループの存在はとても励みになった。彼らは積極的に法務省に申し入れ活動をしていたし、ほかの別居親団体と協力していたりしていた。ぼくも相談に来たアジア出身者をその団体に紹介したりもした。その後その団体の担当者がいなくなったので、交流もなくなった。

日本の国籍取得は血統主義なので、外国籍の親に子どもが生まれても在留資格はない。子どもだけ退去を言われることもあると、友人のジャーナリストに聞いた。そんな無茶なと思うけど、要は日本にいられるかどうかの判断基準がない。その要件を決めるのも入管ということになるので、日本から出されれば危険な状況になったり生活の見込みの立たない人にとっては不安で仕方がない状況になる。というような話は多く出回っているので詳しく書かない。戸籍があって共同親権がないというのが、日本特有の事情だけど、だから先の支援者も関心をもって訪ねてきたのだろう。

梅村議員が用いた「不法滞在者」という用語にしてもメディアでは不適切という指摘があった。「非正規滞在者」という表現もあったので、先の友人に聞くと、在留資格が付与されない、更新されないなどの受け身の状況の人にそれを用いるのべきではないという立場からは、入管のようにいっしょくたに「不法滞在者」とは呼べない。そういう事情の例えばAさんについて書くにしても、「入管から『不法滞在者』として扱われている」はセーフで「日本に長らく不法滞在をしている」はアウトになる。「仮釈放」と「仮放免」についてはぼくも誤って用いたことがある。ぼくも無関心で偏見で見ていたということになる。彼女に意図はあったにしても、状況は同じだったのではないかと思う。

この問題に関心を持って見てみると、彼らが置かれた状況は、子どもに会えない親たちとそっくりだなと思えてくる。在留資格は親権みたいなものだ。無権利状況で、司法に事情を訴えても基準もないまま子どもとの関係を維持できるかどうかは同居親の意向次第。権利がないだけで犯罪者のように見られるところまで同じだ。入管法の改正の論点もこの点にあるようだ。彼らを管理と差別の対象としか見なければ、自分たちもそうされても文句は言えない。(2023.5.22)

家庭裁判所解体

 5月13日に行った学習会では、明石書店の『共同親権と面会交流』を引き離され仲間の大山直美さんが解説してくれた。本を読めば離婚事件において家庭裁判所に対する不満は、父母双方に存在することがわかるようだ。そんな中で「家庭裁判所解体」の主張は危険視される向きがあるので、もうちょっと論理的に精緻化したほうがよいのではないかという講師からの提案だった。家庭裁判所には家事事件以外にも少年事件があるので、全否定するのもどうかというものだ。

 「家庭裁判所解体」というのはデモのコールだし、「家庭裁判所の家事部門廃止」とかノリがよくないよね、とか適当に答えたと思う。少年事件がそんなにまともに処理されているようにも思えないけど、解体した後に少年事件裁判所でも作ればいい気もする。こういう批判は、「言えば聞いてくれる」みたいなことを思っている人が言いやすい。要はそういうレベルかということだ。

実際問題、家庭裁判所で嫌な思いをした人は多いし、理屈はまったく通じない。理屈が通じないのがわかっていて、揚げ足をとって裁判所に都合のいい結論に持って行こうとする。どうしてそうなるのかといえば、結局家庭裁判所は戸籍事務の専門機関だということに尽きると思う。戸籍事務というのは、家制度枠内で人々をどう配属して問題が生じればその範囲で温情を施すというのが仕事になる。歯向かえば治安管理の対象にする。

彼らが見ているのは生身の人間の関係性ではなく、どこの家に所属した方がいいかということだけだ。もとよりそれがこの国の治安政策でもあり福祉政策でもあった。民生委員は無戸籍児に戸籍を与えたりしたし、血縁よりも戸籍の形に当てはめることが優先されるので、再婚養子縁組に司法手続きは必要ない。しかし別戸籍になった親権のない親が、家の意向に反して子どもに会いたいと望めば司法が弾圧する。

理屈が通じないのは、せっかく所属がはっきりしたのに、それを乱す振る舞いに見えるからだ。子どもを会わせるように言われることへの同居親の不満は、司法が意義を認めていないことに従わされることへの理不尽さだろう。「月に1回くらい会わせたっていいいじゃない」なんて説得は、「嫌なものよね。でも向こうがうるさいから裁判所のために我慢して」と言っているのと同じだ。

ところで、一体全体、戸籍事務の処理機関の家庭裁判所が、では民法の改革や戸籍の廃止抜きに、現代的な価値観をもった利用者のための実務を行えるだろうか。無理に決まっているが、無理なら無理なりに、実務に携わる職員が、裁判官も含めて改革の提案をするのがあってもいい。ぼくが会った家庭裁判所改革の旗振り役の中山直子は、戸籍実務の枠組みから一歩も出ない古臭い価値観で、ぼくの揚げ足をとることに血道を上げるだけの人だった。

法制審議会の家庭裁判所代表は「ちゃんとやっている」としか言わないで、利用者の不満の所在が何なのかを把握しようとする気すら感じられない。同居親・別居親の対立の問題ではない。家庭裁判所がよって立つ価値観が現代の価値観に合っているかどうかを問い返す人に、家庭裁判所関係者の中でこれまで出会ったことがないというだけだ。こういう現状の家庭裁判所に、解体以外の何か期待できるのだろうか。(2022.5.16)

議会政治と共同親権運動

 5月14日に『面会交流と共同親権』という、共同親権反対のための本の学習会をして、反対意見にどういう反論や対応をしていくのか、という議論を10数人でした。大山直美さんが本を読んで論点をまとめてくれた。

 この本は、これまで出てきた反対意見を整理・焼き直しているということのようだ。もちろん都合のいいデータや事例も盛り込まれている。タイトルだけ見たら、反対派の本とは思わないので、購入した人は共同親権へのマイナスの印象を持つという仕掛けだ。

この間、共同親権への反対意見は、政党で言えば共産党やれいわの所属の人が目立って発言している。護憲派とも言われる。一方で、共同親権に賛同して発言する議員は、維新や自民に多い。一般に改憲勢力と見られている。

通常であれば人権問題は護憲派が取り組み、改憲派が反対することが多いので、この問題においてはねじれて見える。子どもに会えない親の中にも、この賛成反対の構図から、政権政党の言うことを聞けば法改正につながると思って、左派なら何でも目の敵にしたがる人がいる。補助金の杜撰処理が民間人から指摘されて問題化したコラボの問題では、コラボ側の弁護士が共同親権反対で目立っている人とかぶっているので、いっしょになって暇空茜を応援している人がいる。そんなに単純な話なのだろうか。

大山さんは、反対意見の人たちが懸念しているのは、かねてより自民党の改憲運動でも意図されてきた憲法24条改憲で、国家が家族に介入することへの嫌悪感ではないかと指摘している。

現行憲法は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 二 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」となっている。

自民党憲法草案は以下だ。

「一 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。 家族は、互いに助け合わなければならない。 二 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」

自民党草案からは、「個人の尊厳と両性の本質的平等」という文言が抜けている。一方で1項はもっともらしく見えるものの、「家族」が何を指すのか曖昧だ。この「家族」が「戸籍」ということであれば、戦前の家父長制の復権ということに直結する。

「赤いネットワーク」と左派のことを言いたがる連中は、社会主義は家族を解体する危険思想だとレッテルを貼りたがる。じゃあ日米合同委員会で、大日本帝国憲法を廃止したアメリカと政治交渉したほうがいいんじゃないかと思うけど、そういうことは言わない。

ぼくは現行憲法を守る意思のない政権政党が改憲を推し進めたところで、論理的に考えて新しい憲法を守る見込みは0なので、そんな改憲なんて「俺様の言うことに歯向かうな」以外の意味はないと思う。一方で、「個人の尊厳と両性の本質的平等」という現行憲法の価値を掲げて憲法訴訟をはじめたぼくたちに対する、左派政党や知識人の冷淡どころか敵対行為を見ると、お前ら同じ穴のムジナじゃないか、と素直に思う。右翼が危険思想とか言いたがる理由もわからないでもない。少なくとも護憲派なんて掲げないでほしい。

ぼくは市民運動をしてきた経験から、右だろうが左だろうが政権政党の不正は敏感になりやすい。権力を握っているのでその影響は甚大だ。一方で、コラボのように社会的弱者の支援を掲げて活動をしている団体だからといっても、なんでもかんでも味方するわけでもない。議会政治優先の政治活動家はそうしたがるけど、共同親権に賛同してくれるからといって、その議員の活動に何でも賛成するわけでも擁護するわけでもない。

別に不偏不党とか正義感からそういうふうにしているわけじゃない。よく知りもしない問題に対して、やってる人間がかぶるからと敵対すれば、敵の敵を味方にするしかない。そうすることで自分が知りもしない人を敵に回すことにもなる。自分で判断するのを放棄しているだけだし、逆に言えば、「同じ陣営」と自分が名乗り出た側が問題や不祥事を起こせば、否応なく巻き込まれるからだ。

そんなことを考えていたら、早速共同親権賛成で歯切れのいい質問をしていた梅村みずほ議員の入管法問題での発言が話題になっていた。この件についてぼくは詳しくない。ただ、法務省が親子を平気で引き離して強制送還する問題があることは知っている。過去離婚に伴い強制退去になり家族と引き離される外国籍出身者の支援をするグループと、ささやかながら運動もしたことがある。

そのことを思い出して、ちょっと前にこの問題に取り組む友人のジャーナリストに電話して、「そんな野蛮なことをするのは日本だけ」と再度確かめた。彼は梅村議員の発言に対して、さっそく「病気になれば仮放免してもらえる」という例がないとSNSで述べていた。

日本人の未決囚が病気だから釈放してもらえるなんてことがないわけだから、入管がそんな人道的な扱いをするなどありそうにない。もとより離婚に伴い親権を失った親たちは、戸籍を異にする他人なのに、その枠を脅かす「アウトロー」として弾圧されてきた。「日本人」の証としての戸籍にすら入れない外国出身者の地位はなおさらだろう(友人によれば、欧米諸国とそれ以外の国の出身者では差別があるということだ)。(2023.5.15)

拝啓 立川憲法集会様

明日は憲法記念日です。4月29日付で、立川の憲法集会の主催者に、子どもに会えない親へのヘイトを繰り返す木村草太の起用について見解を求めましたが、5月2日になっても返事がなかったので公開します。以下。

立川憲法集会担当者様

お世話になります。大鹿村に住んでおります宗像です。
国立に住んでおりました。現在共同親権訴訟の原告です。子どもと引き離された父親です。

5月3日に、憲法集会で木村草太さんの講演を予定されておられるとお聞きし、メールしました。
私たちは2019年に単独親権民法の違憲性を問う憲法訴訟を起こしました。
木村さんはそれ以前から、共同親権に反対の立場をとり、それはそれで意見の違いでいいのですが、子どもに会えない親を、罵倒する発言を連日SNS、大手メディア等で繰り返しており、私たちの会や個人で、度々質問状を出したり、反論をしてきたところです。

昨日もこのような書き込みをツイッターにしていました。

https://twitter.com/SotaKimura/status/1651925458488000512
様々な情報を総合すると「離婚後原則共同親権」は ①元配偶者を誘拐罪で告発する人 ②親権者の同意なしに子の写真等を公表する人
③養育費を払ってこなかった人 ④家裁に子との面会を止められた人 にも親権を与える制度のことという理解でよいのだろうか。
それとも①~④型は「例外」なのだろうか。


意見の違いはあってしかるべきですが、特定の意見をもった人間を、問題のある人間と決めつけて連日発言し続ける行為は、法によって子どもと引き離された当事者として、怒りを感じるとともに許しがたい行為です。
このような行為が、戦争に反対する人、憲法を擁護する人、部落差別や障害者差別、人種差別等に反対する人に向けられたら、そういう人をよりによって、平和や人権の価値を擁護する憲法集会に呼ぶことはやらないと思いますが、いかがでしょうか。

この件についての木村さんの憲法上の問題点については、記事にまとめました。

復古主義者の木村草太を憲法集会でしゃべらせるのか?
https://munakatami.com/family/sotakenpou/

これらはほんの一部ですが、一連の木村さんの言動は、日本国憲法の平和主義や人権尊重の価値を冒涜するものです。
憲法集会主催者はこのような木村の発言を知って、彼を起用するのでしょうか。

正直、ぼくも立川の憲法集会ではいろいろ勉強させていただきましたし、こういうメールはお送りしたくありません。
ですが、木村さんのSNSでのヘイトスピーチは意図してやっているのが明らかで、看過できないと感じました。
私たちの憲法訴訟も6月22日には判決が出ます。
立川の市民運動にはいろいろ世話になったので、今回の人選は本当に残念で、私たち子どもに会えない親を傷つける行為だということをお伝えしたく、連絡しました。主催者の見解を聞きたいところです。


宗像 充(むなかたみつる)【共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会】