コロナによる片親引き離し

コロナパニックの親子たち

 新型コロナウィルスの感染者があちこちで増え、緊急事態宣言が出されて行動が制約されるようになり、子どもと過ごす約束を守ってもらえなくなった親たちの声がいろいろと聞こえてくるようになった。

世は単独親権である上に、社会は家族であっても分離強化に向かっているので、同居親の苦境はニュースにしやすいが、彼らが実行しているかもしれない親子分離は「やむを得ないこと」とされやすいのは想像がつく。

「近所でコロナの人が出たので中止するつもりはないが、当面自粛してほしい」

「こんな状況で会わせるなんて考えられない」

「不要不急の外出はやめるべきと国も言っている」

 という理由でいとも簡単に親子関係が絶たれ、そうなると事態の収束が見えないだけに、このまま引き離されてしまうのではないかという恐怖は強まる。同居親のほうは子どもと一対一の関係でストレスを感じ、別居親は不安で体調を崩す。免疫も落ちるだろうから、素人考えでも感染症対策として不適切だ。

いっしょにいる時間が長くなるから、DVも虐待も増えるだろうなと予想したけど案の定だった。「コロナ離婚」を煽っている人もいるが、こんな状況で親権を奪われれば子どもとの今生の別れとなることは誰もが想像がつき、子の奪い合いが勃発すれば、自殺やストレスで死人が何人出るか想像がつかない。こういうとき、修復的な援助だけでなく、親子関係を維持したまま、離婚を選択肢にできる共同親権がないことは致命的だろう。

単独親権制度の日本で月に一度2時間程度の「面会」は、「会わせなくてもよい」「家族外の他人」という発想を生むが、子どもにとっては友達のみならず親とも引き離され、寂しい気持ちは周囲は理解できず、感染症は暗い思い出になって心に刻み込まれる。

父親が危険なのと同じくらい母親も危険

 一方で、イギリスのように、政府が別居親子の関係維持を指針として出したところが複数あるということも伝わってきている。日本でこういった指針を政府に求めるとどうなるか。 

一部の自治体では、卒入学式に別居親の参加を認めないという通達を「コロナ対策」として教育委員会が出したという報告がある。親どうしが特に出席について問題視していなくても、こういった措置がなされる点で、明らかな差別にあたる。たとえば白人と黒人が愛し合って結婚しようとして自治体に届け出を持って行ったけど、黒人との結婚は認めないと自治体が拒否するようなものだ。この場合、同居親の親族であれば何人であっても出席できるとすると、もはや合理的な理由などありえない。

 感染症対策としてはどうだろう。

親であっても接触の対象となり、そういう意味では子どもに感染するリスクはある。しかし別居親が社会生活を送っているのと同じように同居親も社会生活を送っている。ここで同居親は多く家事育児を担う女性で家庭にいることが多いのでリスクが低い、などという理由で同居親側の拒否を認めるのであれば、男は外で感染してもかまわないということになる(まさかこれが男性の死亡率が高い理由でもないだろうが)。もちろん「シングルマザーの苦境」は社会問題としてありえない。こんな理屈は実は親どうしが同居していても同じなのだ。

つまり子どもから見れば、同居だろうか別居だろうが、父親(母親)が危険なのと同じくらい母親(父親)も危険だ。同じ程度のリスクがあるなら、いっしょに過ごす時間が長い親のほうから感染させられる確率が高いに決まっている。

感染症対策として別居親との引き離しを認めるのであれば、同居親もまた育児から手を引くべきだ。どちらかの親が感染しているのが明らかならば、現状どちらかの親は入院させられるなりして分離させられる。そういう場合も見越せば、もう一方の親との関係をあらかじめ絶っておくことは、子どもにとって極めて危険だ。

「不要不急の外出」ではなく「必要な帰宅」

不要不急の外出は控えるべきだというならば、別居親が社会活動を送るよりも低い程度に、自分が外に出て気晴らしし、買い物するのもやめておかないとならないだろう。何より子どもにとって、親が暮らす場所自体が二つの家で、親といっしょに過ごすことは、「不要不急の外出」ではなく「必要な帰宅」にほかならない。

コロナの感染が拡大する中でも親子関係の維持を指針として掲げる国がある理由は、子ども視点に立てば明らかだ。単独親権制度はこういった冷静な判断を許さず、同居親の側の恐怖心からくる不合理な判断を子どもを理由に正当化する。「子育ては女性の専権事項」という固定観念がこういった不合理な判断を支える。子どもが感染症にかかるリスクを少しでも減らそうと考えるなら、家に恋人を上げること自体控えるべきだが、嫌いな人間ならすぐに感染症予防を持ち出すなら、それはハラスメントにほかならない。

小野田紀美(参議院議員)が言うように「親に会わなくても子どもは死にはしない」なら、マンションの一室に子どもを閉じ込め、ご飯だけ与えておくというのが一番の感染症対策となる。それを児童虐待と呼ぶならば、もはやそれはコントだろう。

(2020.4.14書き下ろし)

「シングルマザーの思想」が親たちを苦しめる ~コロナパニックを男性の子育ての導火線に ~

社会が引き離しと親子の対立を作り出す

 先日、千葉県に住む娘に会いに行った。

娘が中学生になる前、月に1度4時間という養育時間を裁判所の決定でぼくは得ている。それ以前は隔月4時間だったので倍に増えたのだけれど、実際には娘は途中で帰るようになり、娘の行動はそれとしてぼくは4時間という時間を持っているので娘についていくと、途中で娘の母親やその再婚相手(養父)が待ち構え、「ストーカー」や「つきまとう」と娘の前で呼ばれて妨害を受け、胸を痛めた。

それだけでなく、母親に娘といっしょに警察を呼ばれたり、娘の安否確認をしようと思って娘の家に行こうとすると、着いてもいないのに母親の再婚相手に警察を呼ばれたりした(いわゆる「予防拘禁」)。さすがに約束を破っているのは先方なので、警察で逮捕されることはないけれど、「これは明らかに名誉棄損で犯罪ですからね」と警察には伝えている。

 彼らは新しい家庭を作っており邪魔だてするのはぼくだというのだろう。実際に娘は、娘の学校に現れるぼくのことを「迷惑」と言い、現在行っている中学校がどこかを教えない。母親とその再婚相手に聞いても「娘の意思がある」と教えない。養父から「つきまとうな」と言われたときには、「何様なんだろう」と実父が思うのは普通だ。共同親権の発想からすると彼らのやっていることは無茶苦茶だけど、家制度の発想からするとまっとうになる。

「お父さんなんだからきちんと話し合わないとだめよ」「あなたが悪態ついても毎月来てくれるって素敵なことじゃない」と娘の周囲の誰かが言えばすむことかもしれない。父親の表現の仕方が突拍子がなくても「ユニークね」で終わることが、同居しない家族が同居家族の平穏を乱すのが問題、という発想だと「DV支配が続く」「ストーカー」と呼ぶことが正義となる。娘の周囲にはぼくのことを「迷惑」と呼んではばからない人がいるのだろう。

「親に向かってなんだその言いぐさは」と古い人間なら一言言いたくなるが、それが「DVの証拠」となり、行政や裁判所はもともと家制度的な人たちが運営しているので、こっちの発想に流される。

 彼らの周りには共同親権の発想をする人はいないし、いてもそういう人は避けるだろう。ぼくからすれば別れて13年なのに、まだぼくに付きまとうのかと思うけど、彼らは自分たちの家庭を守っているだけ、ということになる。つまり、社会が彼らの行動を支えている。

「シングルマザーが悲鳴」、そんなに同情できないわけ

 新型コロナウィルスで「シングルマザーが悲鳴」を上げているという記事を見かけるようになった。仕事がなくなり収入減になりそう人は、自分も含めて身近にうようよいるので、「すぐに現金給付を」ということなら、シングルマザーに限らず全員にすればよいと思う。

しかし「働かざる者食うべからず」という資本主義ずぶずぶの発想だと、誰が一番苦境かと、「苦境タイトル争奪戦」が始まる。つまり限られたパイの中で優先的に予算配分を得るためには、がんばっている姿を見せてなおかつ苦しい「いい弱者」が必要になる。「いい弱者」は被害者でなければならず、一般的なイメージで言えば女性だ。「しんぐるまざぁずふぉーらむ」やらがえらいのは、そういう仕掛けがよくわかっており、すぐに調べてデータ化し「見える化」する力があるところだろう。

養育費や婚姻費用の額も上がっている。一定額が給料から天引きされる父親の場合は、支払いができなくて自殺したりする人も出てくるかもしれないが、彼らは多く男性なので、経済的な側面での「苦境タイトル争奪戦」では負けがこみやすい。

 だから別居親が、「シングルマザーだけ特別視する必要がない」と言いたくなる感情はわかる。何しろしんぐるまざぁずふぉーらむの赤石千衣子さん自身が、引き離し運動のイデオローグの一人だから「何を虫のいいこと言ってるんだ」とぼくも思う。子どもには両親がいるのに、「男はいなくても女は幸せになれる」というなら、誰もいない密林の奥地で実現してくれと思う。おっといけない、これじゃ小学生の「男子対女子」の喧嘩と同じだ。

 「私がいなくなったら子どもはどうする」「1対1だと煮詰まる」と、父親がまるでいないかのような発想で言われると、「ひとり親」団体のリーダーが煽ってきた「男への敵意」と日常的に接する側の人間としては、「だったら父親に子どもを見させろ。父親に子育てがどんなにたいへんかこの機会に思い知らせろ」と支援者は言うべきだと思う。これで心中(子殺し)されてはたまらない。最終的に保育園や親(祖父母)に見させるなら、別居親との感染だけをことさら恐れるのは理由にならない。このパニックは父親の子育てを促すチャンスだ。

「ひとり親」支援はもはや同居親のニーズに答えられていない

 あまり知られていなし、多くの別居親団体にはその受け皿がないけれど、電話窓口を開いていると同居親の側からの相談をときどき受ける。何しろぼくも同居親をしていた時期があるので、「あなたたちにシングルマザーのたいへんさなんかわからない」と言外に言われると、「自分で勝手に大変になってて、甘えてんじゃないよ」と言いたくなる。

 以前から相談であるのが、「どうやって会わせていいかわからない」「会わせたいけど相手にはかかわりたくない」というものだ。また、「相手が会いに来ない」という相談や、「父親に子育てもあてにしたいんだけど、弁護士や周囲からはそんなのおかしいと言われる」という相談もある。

「共同親権」はこれらすべての悩みをいっぺんに解決できる魔法の言葉ではない。しかし、「相手に面倒見させればいいじゃないですか」という言葉は現状の支援ではないのはわかる。来た人に「被害者」という立場でいてもらわないと、現状の「ひとり親」支援や女性支援の意味がなくなる。「加害者」として男性を敵視してきたなら、どうやっていいか、具体的な方法がわかるわけもない。そういう意味では、彼らの「シングルマザーの思想」と女性支援は、男社会が永続することに依存している。そしてそういったマッチポンプの支援の正体に当事者たちは気づき始めている。何しろ「共同親権」という別の選択肢があるということを、知ってしまったのだ。

だからこそ単独親権の維持は必要になる。何しろそれは離れていても家族でいることを拒み、家父長制を支えた家制度にとって、もう一方の「別居シングルペアレント」を二級市民とするために欠くべからざる道具だからだ。「単独親権制度」という「錦の御旗」がありさえすれば、「引き離し」という行為は「正当な手段」として免罪される。

だからぼくは子どもに「ストーカー」と言われている。

(2020.4.13書き下ろし)

山とナルヒト 第3回 山岳雑誌に寄稿

 徳仁は山岳雑誌にも寄稿する。というか、編集者が徳人に、例えば「700号記念号」などへの原稿依頼を出す。ほかにも徳仁は自分が所属する日本山岳会の年報「山岳」にも寄稿したりしているそうだけれど、今回は過去の記念号とともに検索が間に合わなかった。

 ぼくが以前仕事をもらっていたのは、東京新聞が発行していた「岳人」で、当時は「山と渓谷」と並んで、山の雑誌の二大誌だった。山と渓谷は今もそうだけれど登山の有名どころを紹介する商業誌。岳人は東京新聞の文化事業なので、同人誌的な傾向が残っていて、新ルートの開拓とかも紹介していた。ぼくはその担当を何年かしていた。そういうわけで、当時の皇太子が記念号の巻頭で紹介されても、自分の趣味とは違うので「へー」と思って見ることもなかった。

今日この連載のために2006年に出された記念号をはじめて読んだ。この号では徳仁は「徳仁親王 秋山の思い出」というタイトルで寄稿している。10月号なのでそういうお題を出したのかもしれない。

 編集部にいた知り合いに聞いたところによると、皇太子には手紙で直接原稿依頼をするのがルールのようだ。郵便物は並べられてその中から本人が取り上げて読むという。ちなみに担当編集者が以前話してくれたところによると、徳仁は、直接東京新聞7階の岳人編集部まで来て写真を打ち合わせしたりしたのだという。700号では10ページにわたって秋山の思い出が語られ、2ページで担当記者の同行記が参考記録一覧とともに掲載されている。10ページだと10万以上になるはずだけど、原稿料を受け取ったのかまでは聞いていない。岳人だけでなく山と渓谷も記念号では徳仁の原稿を掲載している。

 当時も今も徳仁の登山に興味はないし、原稿を見ても友人ではないので退屈に感じてしまう。ただあまり飾った文章ではないようなので、素直な人なのだろうと思う。写真も悪くなく時間をかけているのだろう。岳人では雅子の写真も紹介している。雲取山や那須の姥ヶ平の紅葉の写真が掲載されていて、こちらも悪くない。1998年の長野県車山登山の二人の写真を見ると、徳仁はキャノンを、雅子はオリンパスを使っているようだ。

 同行記者は徳仁が「疲れた。休みたい」と自分から言い出したことはないと思い出話を書いている。関東の大学山岳部では、年に一度皇居周回の対抗マラソン・駅伝大会を開くのだけど、そこでは「皇太子はかなり足が早い」と噂になっていた。体力もそこそこあったのだろう。

 ただ、経歴的に見れば平凡なので、頼まれても同人誌の巻頭に寄稿するのは、ぼくだったら恥ずかしい。当時の岳人は「アルピニスト野口健」は芸能人規定してハブっていたので、そう考えると徳仁に12ページ割くのは節操がない。(2020.3.25「府中萬歩記」73号)

慎重な議論の行き着く先

慎重な弁護士のデマ

コロナパニックで傍聴席は間引かれたものの、3月12日に共同親権訴訟の第一回口頭弁論が開かれた。ぼくはこの訴訟の原告なので、この日、冒頭意見陳述をした。一方で2月28日には、「シングルマザー」のグループは、「慎重な議論」を求める署名を1万人分集めて提出している。記者クラブの雰囲気が若干共同親権に「慎重」になった、と感想を述べた記者もいるので、効果はあったようだ。

この記者会見では、こういうデマを相変わらず弁護士たちは述べていたようだ。

「これについて離婚に詳しい弁護士からは『程度(時間や頻度)の問題はあるが、面会交流はほぼ実現している。現在、裁判所によって、面会を制限されることは、そうせざるを得ない事情が認定された、例外的な措置』との指摘もある。」(弁護士ドットコム)

何度も言うけど、家庭裁判所に面会交流を申し立てた場合の取り決め率はここ数年55%くらいで、4割が取り決めを守ってもらえていない。「ほぼ実現している」がどの程度の割合か教えてほしいものだ。この署名はデマに基づいて集められたのだろうか。

同居シングルマザー全国団体

赤石さんもがんばるなあ、と思うけど、今度は「シングルマザーサポート団体全国協議会」というのを作ったようだ。名前は正確に「同居シングルマザーサポート団体全国協議会」にしたほうがいい。別居親もシングルペアレントなのだけれど、多分赤石さんのグループには入れないだろう。「シングルマザーじゃないから」と入会を断られた別居母もいる。この辺は差別そのもの。

「がんばるなあ」と思うのは、以前も「ハーグ慎重の会」とかで上野千鶴子やら戒能民江やらの有名どころを集めて活動していたグループがあったからだ。

「なんだよシンチョーって」とそのころ別居シングルファーザーたちで悪態をついたものだ。「反対」と言えば対案を求められる。それはできそうにないから「慎重」になる。今回も同じパターン。実際はハーグ条約の加盟を阻止するために最大限がんばっていた。

共同親権訴訟で国側は「子どもを会わせないのは同居親の問題で、国に責任はない」と主張していた。子どもに会えなくなった当事者としては無責任な主張だと思うけど、「会わせない」ことがよくない、ということは国は理解しているようだ。「たいしたことない」と言いたいらしい。(避難だから)「連れ去りと言わないでほしい」という主張もある。こういう理屈は、「心の平衡を保つために喫煙は必要だから、受動喫煙と言わないでほしい」という主張とどう違うのだろう。

ハーグ条約加盟反対運動で何がされたかというと、体の大きい外国人は怖い、と最大限の人種差別がキャンペーンでなされて、それはないよなあと思ったものだ。それで加盟やむなしのハーグ条約実施のための国内法では、DVや虐待のおそれがある場合において「特別な配慮」がなされることが目的にされ、実際そういう条文がある。

親子断絶防止法(共同養育支援法)でも同じような運動があって、法案が修正されて、DVや虐待のおそれがある場合には「特別な配慮」がなされ、そういった場合には関係断絶もありうるべきことが修正案に盛り込まれ、ぼくたちは反対した。「おそれ」を判断するのは結局のところ同居シングルペアレントになるからだ。以前赤石さんにインタビューされたとき、危険な場合はどうするの、と聞かれて「じゃあそれ誰が判断するんですか」と聞くと黙っていたので、図星だろう。

差別条項を挿入させろ

「骨抜き」という批判がなされているけどそうでなはない。これは別居親差別条項なので、そのような法案を積極拒否したにすぎない。ばかばかしいことに、別居シングルペアレントたちの多くは、自分たちが差別される法案を一生懸命作ろうとしていた。もし法案化されていたら、この差別条項を撤廃するために、また何年もかかっただろう。成立しなくてほんとによかった。

お気づきのように、共同親権「シンチョー」の議論でも、この差別条項の明文化がおそらく目的とされるだろう。先だって、訴訟のグループに取材依頼があった。フリーランスの記者だったけど、電話で問い合わせることもなく、質問項目と自分のサイトのURLだけを書いて一週間以内に回答をよこせ、というメールが送られてきた。同業者としてはずいぶんな仕事の仕方だなと思い、電話よこしたら回答すると答えたら、電話してきた。

「私は中立」と言いつつ、「会のホームページを読んでも虐待の場合とか、子どもの視点からの記述がなく、それを書いていないと賛同が得られないんじゃないか」と一生懸命話していた。被害を受けている人が別にいるから手立てを考えないと賛同できない、という主張は要するに「あなたたち加害者でしょ」ということになる。虐待の加害者は母親が多いですよ、と言うと黙っていた。「こうやって話したらわかるけど、書いていないから誤解を受ける」というけど、だったら最初から電話すればいいのに。

質問の仕方も思い込みが大きいのだけど、こういう問いがあった。「現行法では、子どもは親権者の良心にのみ期待するしかなく、子どもは自分の進路すら親と交渉して勝ち取らなければならないものになっています。その交渉相手が離婚後も2人のままだと、子どもは交渉に2倍の労力がかかり続け、両親の意見が異なれば、その争いに巻き込まれて悩み苦しむことになります。このように子どもが苦しまないようにするために、離婚後の共同親権を成立させる際に、どんな付帯条項をつけるつもりですか?」
自分たちが二級市民だという差別条項を設けないと、立法活動は認めがたいという主張にはこう答えた。


「それは婚姻中の共同親権においても同じことですので、もしこういった付帯条項の必要性があるというなら、戦前のように婚姻中も単独親権にするのが一番いいのではないでしょうか。なお、子どもの福祉の観点と男女平等の観点から、戦前の単独親権制度は戦後は婚姻中においてのみ共同親権になっています。共同親権が子どものためにいいからです。婚姻外の共同親権に付帯条項が必要と考えるのは、別居親は養育にかかわるのは望ましくないという偏見に基づくものです。」

(宗像 充 2020.03.16)

山とナルヒト 第2回「山のベテラン」

 徳仁が天皇になるときに、「山のベテラン」として紹介する記事を見かけることがある。実際どうなのかとネットを検索すると、彼の登山歴をまとめたリストが出ていた。こんなことまで調べる人間がいるのかと思ったけど、この連載には都合がいいので見てみると、1960年生まれの徳仁は、1965年の離山で登山を始めたようだ。別荘のある軽井沢にいたときに父親と標高差200mの山に登っている。大人なら1時間程度で登れる。

このときが5歳で、翌年には15座の山に登っている。平均すればだいたい年に5回ほど登っているようだ。次に多いのは26歳の1986年のようで9つの山に登っている。このときは、留学から帰ってきて体力もあっただろうし、八ヶ岳から南アルプス、北海道利尻岳まであちこち足を延ばしている。そんなわけで翌年日本山岳会に入ったというわけだ。

 一般にベテランという言葉は、熟練者という意味らしいので、毎年あちこちの山を登ってきたという面ではそうなのだろうなあと思う。無雪期の山に関しては、日本の3000m級の山も含めてよく登っている。ただ、山学同志会に入って谷川の岩壁をガシガシ登ったり、日本山岳会に入ってもヒマラヤを目指したりというわけでもなさそうなので、ベテランだからと言って、「雪山教えてください」と頼んでも無理だろうし、「クライミング連れてってください」と頼んでも無理そうだ。あと、山小屋にはあちこち泊まっているようだけど、テント泊はほぼないようだ。ベテランにもいろいろいるし、趣味なので、本人が楽しければそれでいいと思うけど、皇室なのでめんどくさいところもある。

 友人の記者に、奥多摩の棒ノ折山に徳仁が来たときの様子を聞いた。リストを見ると1986年に登っていて、気に入ったのか、雅子を連れてそのあとも来ている。ベテランでも手ほどきができるのは妻子限定で、他人が評価しようがない。

「登山に限らずだけど、皇室が来たら分秒単位で行程が決まった本みたいな計画書が事前に配られるよ。見なかったけど。それで、必ず地元の案内人がついて、案内の人は、事前に何回も下見してたみたいだし、皇太子来ると道はよくなる。

当日は案内の人と二人で登ってきた。ぼくたち記者は事前に登って待ち構えていて、頂上に登ってきた瞬間を撮っていいと言われる。立ち位置は決まっているよね。護衛? 来てただろうけど気付かなかったなあ。山の中にいたのかなあ。一般登山者は規制されていないから、その中に紛れていたのかもしれない。記者は10人くらいいて、宮内庁記者以外は質問しちゃだめらしくい。メモもとっちゃだめだったみたいだけど、ぼくはとってた。仕事としてはつまんないよね」

 若いころから、こんなに他人に気を遣わせてきたベテランもどうかと思う。

(「府中萬歩記」71号、2020.1.30)

安否確認弾圧

オーストラリア人スポーツジャーナリストのスコット・マッキンタイアさんは、1月15日、東京地裁で懲役6月、執行猶予3年の有罪とされた。彼は、妻の両親の暮らすマンションの共用部分、オートロックドアの内側に、住民のあとについて入り、ピンポンを鳴らしたのが「住居侵入」とされた。妻に子どもを連れ去られ、行方不明になっていたので、安否を聞くための行動だ。当日は、甚大な被害が出た台風19号が関東地方を襲った日だ。

日本では子どもを連れ去られたことが加害者の証明になる。しかし共同親権の国では連れ去ったほうが誘拐罪とされる。現在多くの別居親たちが警察署に告訴を続けているが、検察が起訴した事例はない。判決後、彼は共同親権を海外メディアに訴えた。オートロックドアの内部にはNHKの集金もやってくるが、一月半後の別件逮捕は政治弾圧にほかならない。「一目会いたい」という法廷でのスコットさんの言葉は、東日本大震災のときに、ぼく自身が感じた感情だ。「親子が親子であるということ、それは人権」。

(『反改憲』運動通信 No.8 2020.1.30)

男にもっと稼げと言うだけで貧困問題は解決するか

信濃毎日に投稿して没になったもの

 「離婚後の養育費2万円増も」(12月23日)の記事を読んで違和感を抱いた。この記事では、「貧困解消『不十分』の声」として養育費を受給する同居親側の意見がもっぱら紹介され、支払う側の別居親の意見はない。

 ぼくは12年前に元妻と別れて、当初「子どもと会わせる」という約束を守ってもらえなかった。というと、「何かひどいことしたの」と思われるが、実際には約束を履行させる仕組みは弱く、「調停を申し立てた」ことが不履行の理由だった。子どもと二度と会えないかもという恐怖の中でも、調停・審判の2年半、ぼくは養育費を支払っていない。「会せないのに払うのか」と思ったし、元妻はすぐ再婚したので養育費は求められず支払い義務もなかった。数年後、2度目に子どもと引き離されて後、今度は元妻が振込先をなかなか教えず苦労した。養育における経済的な分担は義務だけでなく親としての権利だと知った。

貧困問題は格差の問題で、男性の費用負担の高額化に解決を求めれば、男女間の賃金格差を肯定する。それでは女性の社会的地位は高まらない。共同親権のもと、婚姻内外問わず、経済的にも養育時間の面でも、子育ての男女平等を目指すことが、本当の貧困解消の道筋でないか。

大鹿村 宗像 充(自営業・44)

山とナルヒト 第1回 会員番号10001

 手元に日本山岳会の古い名簿がある。「な」行には出ていなくて、もしかしてと「か」行を探すと「氏名」欄に「皇太子殿下」と載っていた。住所は「港区元赤坂2-1-8東宮御所」。2人の推薦人が必要という、気位の高いこの日本で最初の山岳会に、ぼくも入っていたので名簿がある。

 現在、この人の天皇即位に伴い、メディアは彼の趣味の登山も取り上げている。「山のベテラン」、彼が登って山小屋がよくなった、登ったルートを「ロイヤルルート」として紹介する、などなどだ。とはいえ本誌編集部がそういった記事を天皇制反対のぼくに期待するわけないし、かといって、趣味の話でむやみと敵意を向けるのも野暮ったい。なので、彼の登山行為の社会の中での位置づけを、エピソード的にこの連載では試みたい。

 徳仁が日本山岳会に入会した1987年7月は27歳のときらしい。ウィキペディアで彼の来歴を見ると、オクスフォード留学を終え、学習院大学の博士課程に在籍中で、この年、はじめて国事行為臨時代行についている。翼賛系の報道では、入会が「名誉会員」ではなく一般会員であることが美談として語られている。

父の明仁が、はじめて民間人女性と結婚する一方で、アメリカ人家庭教師をつけ軽井沢のテニスコートで美智子と出会ったエピソードを武器に、リベラルかつロイヤルな演出がなされてきたのとは違い、徳仁の場合、一般人との交流が美談として語られることがままある。「庶民性」は、外交官という超できるエリート女子と結婚したこの人の十八番だろうが、わけても登山は彼のこの演目の武器だ。

ただし、一般会員に「殿下」という敬称が付く人はほかにいないし、切りのいい会員番号を振られる会員もいそうにない。そもそも「皇太子」は名前じゃなくて役職だ。

ぼくが入会したのは、この大学山岳部の学閥組織で同期の仲間とヒマラヤに行くためだ。なので、登山後はやめた。会の援助で海外登山をした学生は、会の晩さん会で給仕をしたりするのが恒例で、皇室大好きの同期の一人は、このとき徳仁と握手して後で会の役員に怒られたという。

ちなみに、この会で会員アンケートの結果を会報「山」に紹介したときに、徳仁について、もっと丁重に扱えという回答がある一方で、特別扱いするのはおかしい、という回答もあったのを覚えている。ただ、いくら「庶民的」といっても、彼が「勤労者山岳連盟港区支部」とかに入ることはなさそうだ。学習院大学山岳部出身の登山雑誌の編集者によれば、山岳部に入りたかったけど止められたと聞いている。

(2019.12.26「府中萬歩記」70号)

「子どもの居場所を聞くと犯罪」住居侵入でオーストラリア人ジャーナリスト有罪

ドアの外からピンポンすると住居侵入

「子どもたちが生きているか確認したかった。無事だと教えてほしいと何度もお願いした。なのにたった一回の回答もない。子どもたちは誘拐されている。悲しみしかない」

 スポーツジャーナリストとして日本で活動していたオーストラリア出身のSさん(45歳)は、そう言って涙ぐんだ。

 Sさんが義父母が暮らすマンションを訪問したのは、大型台風が関東地方に上陸し、多数の被害が出た昨年10月のこと。

「子どもたちが心配で、家庭裁判所にも警察にも妻の家族にも安全でいるのか安否確認したかった。無事だと教えてほしいとお願いした」

 その日のことを1月10日の公判でSさんは振り返った。義父母のマンションを訪問した1月半後、11月30日にSさんは、自宅マンションで逮捕された。この日検察側は「関係者以外立入禁止」の掲示が出ているにもかかわらず、住民の後についてオートロック式のドアからマンションの共有廊下に立ち入ったことを「住居侵入」と主張。Sさんも容疑を認めたが、一方で度々「誘拐」という言葉を証言の中で口にしている。Sさんの妻が11歳の娘と8歳の息子を連れていなくなったのは昨年5月のことだ。以来子どもたちと会えていない。

国内外の法制度のギャップ

 Sさんの母国のオーストラリアに限らず、共同親権の法制度が整えられてきた海外では、親による連れ去りも「誘拐」として刑事事件化される。しかし、日本ではここ2年ほど、誘拐罪での告訴が受理された事例が各地で見られるようになったものの、検察はただの一度も起訴したことはない。しかし、海外であれば拉致の実行犯が「被害者である」ことを主張すれば、「保護」を名目にした「支援」を行政が整える。一時的な保護施設の提供や住所の秘匿がなされ、何の説明もされずに親子がそのまま生き別れになることも少なくない。海外出身の親たちが、「拉致」と日本人以上に憤りを日本の制度に向ける理由だ。

法廷には、オーストラリア大使館の職員も傍聴に駆け付け、この裁判が、日豪両国の制度の違いから生じた「事件」であることを物語っていた。

「子どもに最後に会ってから238日 」

「これは私が撮ったものです。これは私の妻が娘と息子に対し叩くなどした虐待の写真です。これで妻の虐待の証拠が明らかになりました。感謝します。私は一度も子どもを虐待したことがありません」

 妻側が出ていったのは、娘がSさんから暴力を振るわれたと妻に言ったことがきっかけだったと、検察側が妻側の行動を擁護するために持ち出した証拠に対するSさんの受け答えだ。

「誘拐があったから犯罪が正当化されるとか、刑が軽くなると考えていますか」

 検察官とSさんとのやり取りを見ていた裁判官がそう問いかけるとSさんは否定し、「違法で正しいやり方ではないと理解している。そこは謝罪するが、離婚手続きとは別」と反論した。

 Sさんは現在妻との間で離婚調停中で、子どもに会うために面会交流の調停中でもある。ただ「子どもに最後に会ってから238日が経過」している。ぼくは多くの別居親の相談を受けてきた。こういった手続きが少なからず空手形で、会える会えないは実際には同居親の意向次第だ。だからSさんも会えていないのは理解できる。

しかし、「今後は法にのっとって離婚手続きをするか」という検察官の質問に「はい」と答えなければSさんの保釈は叶わない。人質司法はカルロス・ゴーンが訴えた通りだ。法にのっとった手続きでは埒が明かないのでSさんは直接居所を知ろうとした。その手段を手放せというなら、「子どものことはあきらめろ」ということだ。

政治弾圧としての逮捕劇

 司法や行政は、子どもとの関係の継続を願う親たちをあきらめさせるために、度々「別件逮捕」を繰り返してきた。子どもを連れ去られたから取り戻したことが誘拐罪にされ、服役した人もいる。ぼく自身も、決まっていた面会交流日に子どもが現れないので、子どもの家を訪問しようとして、まだたどり着いてもいないのに、警察を呼ばれたことがある。

ただ、子どもの暮らす家の敷地やドア内に入って、逮捕・勾留される事例は度々あるが、起訴されたのを聞いたのは今回が初めてだ。外国人で引き離された親たちは、国内外の制度の違いから、国内拉致を許す司法に批判的だし、実際、家に行くなどの直接的な手段をとる人もときどき聞く。それら「共同親権」の旗印のもと「一目会いたい」(Sさん)と願って行動する親たちへの見せしめとして、今回の起訴が行われた。

 実際、住居侵入の保護法益は「住居の事実上の平穏」だ。ぼくは、自衛隊官舎へのイラク派兵反対のポスティングが住居侵入罪に問われた、立川反戦ビラ弾圧事件の救援にかかわったことがある(『街から反戦の声が消えるとき 立川反戦ビラ入れ弾圧事件』、2004年)。

そのとき、「ピザ屋のチラシも寿司屋のチラシも入っているのに何で反戦ビラだけがダメなんだ」という疑問とともに広範な救援運動が広がり、一審では「表現の自由」を明記した憲法に照らし無罪とされている(控訴審で一人10万の罰金刑。最高裁で確定)。その疑問への答えは、このときの逮捕・起訴が自衛隊のイラク派兵直前になされた運動つぶしの口封じの一環で、政治弾圧だったからだ。

Sさんは住民の後についてオートロック式のドアからマンションの共有廊下に立ち入って逮捕・起訴された。居所を聞いた両親に会えていないし、オートロックのドアの中の共有部分でも無許可でNHKの集金は入っている。そのうえ「子どもの安否確認」という正当な理由がSさんにはある。「誰かが私のアパートにやってきて、私の持ち物を全部持ち出した。鍵は妻と妻の母が持っていた。今、私の財産はスーツしかない」とSさんは嘆く。警察がSさんが勾留中であることをSさんの妻に教えたのか、住処を奪われたのはむしろSさんで、こうなると被害者はどっちだとしみじみ思う。

一月も勾留されたSさんは塀の外に出るために汚名をあえて着たが、親の養育権を憲法上の権利として掲げて闘えば、もっと粘れたのではないだろうか。

1月15日、Sさんに対し懲役6月執行猶予3年の判決が出た。検察の求刑通りの司法判断。

この事件もまた、海外からの批判で国内拉致司法の実態が覆い隠せなくなった中、共同親権の議論が国内でまきおころうとするときに行われた政治弾圧にほかならない。検察が海外同様拉致を問うていれば、起きようのなかった事件なのだ。

悪政のふるさと 大鹿村(「府中萬歩記」第69号)

大鹿村は南アルプスの麓の長野県側にある人口1000人ほどの小さな村だ。移住ブーム以前から移住者たちが住み着いたりしてきたので、知っている人には知られた村だったようだ。それがそこそこ全国的な知名度を得つつあるのは、ここがリニア中央新幹線の南アルプストンネルの長野県側の起点になっているからだ。

ぼくは、この村に来て3年になる。連れ合いの前島久美は、ずっと以前からリニア新幹線反対の活動を村内で続けている。その中でぼくは『南アルプスの未来にリニアはいらない』という本を昨年出版し、村の郷土民俗資料館「ろくべん館」の販売コーナーに置かせてもらっていた。村の歴史を書いた作家の本や手ぬぐいなどもいっしょに置いていた。

10月9日、用事があって久美さんがろくべん館に立ち寄ると、職員から売上とともにこの本を返還された。職員は村にあるJRの事務所の分室長がやってきて、この本を指して撤去を促したという。館の職員が疑問を口にすると、村の教育長が分室長とやってきて状況を見聞し、翌日販売コーナーごと教育長から撤去指示が出た。

すぐに島﨑英三教育長に直接電話して事情を聞くと、職員の委託契約の範囲外だというのが主張だ。一方で、販売コーナーの設置状況については、村のリニア対策室の岩間洋係長から指摘を受けたという。翌日、村のリニア対策室に電話をすると、岩間さんは自分が気づいてそもそも販売できるものなのかと島﨑教育長に連絡したという。JRの分室に行くと太田垣宏司室長が、自分が指摘したと肯定したが、撤去は村の判断という。

このJRによる自治介入と言論弾圧事件があったのは6月13日のこと。当事者のぼくに偶然連絡が入った10月になるまで、ぼくは教育委員会のある公民館に度々出入りしているし、教育長とも顔を合わせているのに、何も言わなかった。

大鹿村では移住者が目を疑うようなことが平気で起きる。

選挙になると候補者は堂々と個別訪問している。みんな知っていて選挙管理委員会はルール違反を注意しない。役所に行ってやり方の違いから理由を聞くと「この村ではこうなっている」と説明を拒否する。印刷機の使用をある日取りやめ、一方で一部の人には利用を継続しているので基準を求めると、「役場の人間が決める。どうしてここで印刷したいの。よそで印刷すればいい」と暴言を吐いて、差別と公共物の私物化を肯定する(長尾勝副村長)。やってあげているんだというお上意識で、住民との問題解決の仕方を知らないから、最近ではは3度も村は訴えられ、そのうち2度は負けている。移住者で役場の対応に不満を持って引っ越していった人も一人ならず聞く。それだけ生活の上で役場の占める割合が大きいということだろうが、これでは暗黒政治だ。

村の愚痴を言い始めたらきりはないが、こういった事態は安倍政権のもとでの忖度政治の中でじわじわと広がり始めている中で起きた一コマだ。反撃するにも手が足りない。田舎はいいよ。空気はうまいし、悪政とフェイスツーフェイスで闘えるよ。あと、ぼくの本も読んでね。