「ゼクシィ見るより民法読め」共同親権訴訟提訴(『反改憲』運動通信」No.6)

宗像充(共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会)

「どうして単独親権制度が残っているんでしょうか」  

2007年に子どもと引き離されて12年。市民運動として共同親権への民法の転換を求めて何度も聞かれた問いだ。「昔はどの国も単独親権。それが80年代以降共同親権に変わってきた。日本でも戦前は家長に親権のある単独親権だったのが、戦後男女平等の憲法ができて、婚姻中のみ共同親権になった。離婚・未婚時は取り残されただけ」と説明すると、多くの人が冒頭のような問いを思い浮かべる。  

今回、この「婚姻中」のみ共同親権とする民法818条の単独親権規定が、憲法14条の平等原則に反するとして立法不作為の国家賠償請求訴訟を、男女12人の親たちで提起することにした。侵害されるのは親の養育権、憲法13条に由来する。  

子どもと引き離される経験というのは筆舌に尽くしがたい。毎年のように子どもと引き離された親(別居親)たちが自殺している。一方で、離婚時には二人の親に一つの親権しか認めない民法の規定は、親権をめぐる親どうしの子の奪い合いを引き起こし、殺人事件も起きている。

裁判所の運用はこうなっている。子どもを確保した側にそのまま親権を与え、確保できなかったほうから親権を奪う。「子どもと会いたい」と子どもと暮らしていない側が申し立てても、通常裁判所の基準はよくて月に1回2時間程度になっていて、その取り決めも4割が守られていない。その非情な現実はぼくたちが広めてきた。海外からも日本は拉致国家として批判を浴びているので、もはや別居親を「DVだから危険」とヘイトするだけでは実態は隠せない。  

ぼくたちの訴訟は、相手との関係が婚姻であるか否かによって共同親権かどうかが決まり、そのことで親の養育権が保障されないのは不平等というものだ。親権のある人、ない人の間の不平等ではない。なぜなら、子どもを生み育てることは幸せになるための選択という点で親固有の権利であり、相手との関係が婚姻でないからといって、子どもと引き離されたり、加重な養育負担を負わされたり、国が介入していいものではないからだ。民法では親権喪失・停止規定があるが、いずれも親の権利の制約には裁判所の審査を経る。ところが、婚姻制度は人為的なものにもかかわらず、それから外れただけで無権利状態に陥るのは不合理だ。  

そういう意味では、現在進行中の、選択的夫婦別姓訴訟、同性婚訴訟の二つの民法関連の国賠訴訟と、婚姻制度を相対化するという点で同じベクトルを向く。冒頭の問いに対して答えるとするなら、「子どもがほしければ<ちゃんと>結婚しろ」という戸籍制度に紐づいた婚姻制度を守るためには、その枠組みから外れた者を二級市民として差別する仕組みが必要であり、そのためには、親権者を一人にし、養育から権利性を奪う単独親権制度は必要不可欠のものだった。 結婚と戸籍制度にやられたぼくたちの反撃(提訴)は、11月22日、「いい夫婦の日」。「ゼクシィ」見るより民法読んどけ。

「大鹿リニエンナーレ事件」

リニアの里、長野県大鹿村には「ろくべん館」という郷土資料館がある。ここに販売コーナーがあるので、昨年から自分が書いた『南アルプスの未来にリニアはいらない』という本を置いてもらっていた。南アルプスに関するインタビュー集で、前村長や元静岡大学学長などにも聞いた。

先日館に行った連れ合いが「販売コーナーがなくなった」と残った本を持って帰宅した。JRの大鹿分室長が「これはまずい」と指摘、村の教育長を同伴し販売コーナーごと撤去に至ったという。教育長にJRからの要請かと聞くと、JRの分室長はたまたま居合わせただけで、村のリニア対策課から言われたという。リニア対策課に電話すると、自分が気づいて「売っていいものか」と教育委員会に連絡したという。JRの室長に会いに行くと「自分が言った」という。

販売自体がまずいなら誰から指摘されようがいいはずだ。だけどそれを隠すのはこれは村の自治への「内政干渉」で検閲だから。「大鹿リニエンナーレ事件」と名づけてみた。村公認禁書読んでね。(宗像充)

「DVの場合は単独親権」がちょっとおかしい理由

共同親権という言葉が徐々に知られるようになってきて、以前、共同親権に反対してきた人たちの中には、選択的共同親権という言葉を使うようになってきた人もいる。親権の概念を説明して、「合意ができない場合は選択的がいい」とさもわかったようなことを言う人もいる。こういう議論を聞くたびに、「ばかじゃないの」と思う。

 選択的共同親権を提唱する人たちは、現在のDV施策がまともに機能している前提で主張する。そして「子どもに会えないDV被害者の母親がいる」と言えば、「その方は加害者だからでしょう」とは言わず、「だからもっとDV法を強化しないと」という。

だとすると結局、現在の単独親権制度ではDV被害者は守れていないということになる。こんなのは小学生でもわかる理屈だ。これでDV防止のために単独親権制度を維持しようなんてインチキだ。

そもそも「先に取ったもの勝ち」

 そもそも、親権選択は現在の裁判所では「先に取ったもの勝ち」なんだから、親権者がDV被害者である保障など何もない。DVの加害者が知恵をつけて子どもを連れ去れば男女問わず親権者になれる。だから、選択的共同親権というなら、被害者から親権を奪うことも受け入れよう、ということになる。

これのどこがDV防止、被害者保護なのだろう。彼らは女性支援をしているだけで、被害者を支援しているかもしれないけど、DVの加害者も少なからず支援している。そしてそれなりの数の被害者から子どもと親権を奪い続けている。

 DVの加害者を支援してはいけないと言っているのではない。だけどDVの加害者に「あなたは何も悪くない」と言ったら加害者は「やっぱりね」と思ってDVを繰り返さないだろうか。自分のDVをやめたいと思っている人には何の助けにもならない。そしてどうやったらDVをやめられるのかという加害者の脱暴力支援など、やる気がある人などいるようにも思えない。

 ぼくもDVの被害者で引き離された母親の話を少なからず聞く機会があるからそう思える。彼女たちは少なからず女性相談に行って「子連れで逃げるなんてできない」と躊躇している間に子どもと引き離される。この場合は加害者が親権者になるのだけれど、こういうとき再び女性相談に行っても役に立つ支援など何もない。下手すると「もっと早く来てくれてたら」とか言われて傷つくことがある。

たしかに子どものことを諦めれば暴力被害にも合わないかもしれない。だけどちょっと変じゃない? そもそも親への暴力が子に転嫁するから逃げろというんでしょ。だったら子どもはいま一番危険なわけじゃない。それでどうして「もっと早く来てくれてたら」になる?

 単独親権制度がDVの連鎖を断つのに役立つと本気で考えているなら、回りくどい言い方をせず「子どもを連れて家を出られなかったあなたが間抜け。子どものことはあきらめろ」とちゃんと言うべきだ。そして、女性相談の窓口にもそう書いたパンフレットを置いておくがいい。子どものための面会交流なんて口が裂けても言ってほしくない。

 こういう場合、夫に暴力はやめてほしいけど、子どもの父親でもあるんだから、子どもから親を奪えない、という意向が仮にあっても相手にされない。それは「夫からコントロールされているから」ということになるかもしれないけど、ぼくも親からすれば子どもなので、子どもは暴力のない家庭で両親といっしょにいたいだろうと想像する母親の気持ちがおかしいとは思えない。

子連れで逃げないと親権とれないなんてリスキーすぎ

 繰り返すが単独親権者にはDV加害者ももちろんいる。こういった親の引き離し行為は「DVによる支配関係が継続する」ということそのもので、その支援は、加害者の加害支援になる。

 女性支援をしている団体のホームページには「親権を得るには子どもと離れないように」と書いていたりする。つまり「先にとった者勝ち」というルールは彼らの武器だった。女性が親権をとれない時代から彼らが獲得してきたものでもあるだろう。だけど、そもそも子連れで逃げないと親権をとれない、ということのほうが問題ではないか。そんな危険な行為を被害者にさせていいのか。一人で逃げてかつ子どもとも離れなくてすむなら、そのほうがよくないか。日本のDV法のもと、選択的共同親権でこれができるか?

逃げられない男たち

 日本のDV法は自力救済という民事的解決の支援という法の構成をとっている。だから警察に暴力被害を訴えても、捜査よりも保護が優先されて女性支援に回され、その後は警察はタッチしない。

しかしもちろん、先ほど言ったように、子どもといっしょに逃げるという選択肢以外のことを望んでいる母親は、この場合親権は得られない。また、子どもといっしょに逃げたいにせよ、自分がまず暴力被害から逃れたいにせよ、男性の場合にはこういった保護の仕組みは一切ない(居所秘匿措置を使って母親から子どもを引き離す男性は最近いる)。女性の3人に1人、男性の5人に一人がDVの被害者で、過去1年間では被害の割合はほぼ同じなら、この不均衡は犯罪的ですらある。社会構造的に男性社会だからと言っても、被害を打ち明けられないでいた個々の苦しみは、何も解消できはしない。

仮に選択的共同親権を主張したいなら、DV施策のこの根本的な性差別を解消してから言うべきだ。民事での自力救済を前提としたDV施策は、誤爆による親子引き離しの被害者を大量に排出することでしか維持されない。そして、いくら女性支援だからと言って、加害者の加害支援をしつつ、こういったシステムの維持を主張し続けるのはあまりにも虫がいい。家庭裁判所でのDV審査に無駄な税金をかけるぐらいなら、容疑を立件する手続きが用意されている刑事での介入がなされたほうがまだましだ。もし、こういったすべてのシステムエラーを不問にしたいなら、わがまま言わずに「婚姻」内外問わず共同親権にして、親の権利の制約は他の民法上の規定に委ねるしかない。

 ぼくは、家庭以外では、女性の話よりも男性の話を聞く方が多い。彼らの多くは(元)配偶者から精神的DVや、今はモラハラをしたと言われている。そして少なくない男性たちが、ぼくが聞けば「それはDVです」というような、精神的、肉体的虐待を受けている。

だから男性も被害者だと言いたいのがここでの目的ではない。そもそもDV被害は男女問わず主観的だからだ。ただ、彼らの被害を聞いてくれる場は、法的にも実際の支援の上でも社会にはほとんどないということを知ったからそう言っているだけだ。もちろんこれは女性の引き離し被害者にも言えることだ。彼らに「もうちょっと早く来てくれれば」とぼくは言わないし、言えもしない。

拝啓 木村草太様 共同親権運動が家裁予算の増額を求めない理由

10月9日のAbemaTVでは、憲法学者の木村草太氏が元家庭裁判所調査官の伊藤由紀夫氏とともに登場し、共同親権反対論を展開した。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191019-00010005-abema-soci

ここで木村氏は、共同親権運動に対し、「家裁予算10倍運動」を提唱している。「共同親権運動」という言葉はぼくが作ったので、この木村氏の番組での発言に対して若干の反論を加えておく。「若干の」というのは、そもそもまじめに議論するほど、彼が現場を知っているとはとても思えないからだ。

 ただし、不勉強なのは彼の研究者としての能力の問題だが、「知ってて言っている」なら悪意がある。

番組作りの不公平

 最初に指摘しておくと、9月25日の討論番組には、木村氏に限らず、制度だけでなく、現在の法運用のあり方の不平等について現場の実情を踏まえて指摘できる人はいなかったようだ。だから議論も抽象的か現場職員の愚痴に終わってつまらない。その上、木村氏に「共同親権運動をされている方は」と一方的にしゃべらせるぐらいなら、最初から「共同親権運動をされている方」を呼べばよかったのだ。

つまり、キャスティングミスでなければ「共同親権運動への文句付け」が番組の目的なので、最初から公平な番組作りとは言えない。 

その上で、木村氏の主張を要約すれば、円満に離婚できた夫婦に共同親権はOKだが、そうじゃない場合にはDV被害が永続する。だから合意ができたカップルにだけ親権を付与する選択的共同親権だったらよい、というものだ。

 なお、木村氏は、法律上親権を持っていないからといって親じゃない、ということはないし、子どもと会うこともできないことないと主張する。だったら自分で運動の存在を認めるほど、何で共同親権運動がこんなに流行るのか。番組では彼の解説はスルーされている。単独親権では実際には法律上親と呼ばれても中身がない、というのはほかの出演者は理解している。

ちなみに家裁に調停・審判を起こしての面会交流の取り決め率は55%。そのうち4割が約束を守られず会えなくなっている。

単独親権あるある「家裁はちゃんと判断している」

 木村氏は「お互いがいい関係を築けていれば、離婚しても相談すると思う」と述べる。「そもそもいい関係を築いた夫婦は別れないんじゃ?」という疑問は置いておいて、話し合えないから子どものためにならないのなら、どう話し合える環境づくりを整えるかに話がいくはずなのだけど、そうはならない。

 「単独親権はDV被害からの防波堤の役割を果たしている」からと、単独親権の効果を肯定するからだ。今回の議論、連れ去り問題についての言及が慎重に排除されていて、DVのために共同親権には制約を課すべきだという予定調和の中でなされている。

 本当にそうかと言えば、現在の家裁の運用は、子どもを確保している側に自動的に親権を与えるので、被害者側が親権者であるかどうかなんて関係ない。例えば、男性の親権取得は裁判所を経由すれば1割だ。しかし虐待の加害者の割合で一番高いのは実母で、DV被害も女性は3人に1人に対し、男性の5人に1人の割合だ(その上この数字の男女差は過去1年間を見ると逆転する)。性構成を見ても、虐待加害女性が多く親権者となり、DV被害男性が多く親権を奪われているのはわかる。

DV、虐待、モラハラの加害者が単独親権者であることなんてざらにあるのだが、なぜそれが「DV被害からの防波堤の役割を果たしている」のかわからない。木村氏は(暴力の加害被害問わず)子ども奪取者の権利擁護とは言えないから、無理やり単独親権者をDV・虐待の被害者にしているだけだ。そもそも、男性の側が親権をとれないのは、男性が子どもを連れて出たところで、女性のシェルターのような行き場所がないことによる。

 だから裁判所の人員を増やしたところで、DV施策の男女差別、連れ去り前提の裁判所の運用が変わらない限り、連れ去り・引き離し被害が増えるだけで、そんなことを共同親権運動が求めるわけがない。いくら連れ去られ親が、DVや虐待防止の観点から、自身のDV被害を訴え、連れ去り時に子どもの意見が聞かれなかったことを訴えても、調査の対象にならないからだ。

選択的共同親権の正体

 同時に、「合意した場合に限り共同親権」というのも無責任な主張だ。

 そもそも合意したくないから、みんな親権を得るために連れ去る。そこに暴力のあるなしは関係ない。暴力の被害者が避難したところで、子連れで逃げなければ守ってもらえないし親権もとれない、という現在の運用が問題ではないのか。だったら、相手が暴力の加害者であっても、きちんと子どもの面倒を見させるのも含めて養育の責任を負わせる、というのは、あってしかるべきだ。何しろ、一人ではなく二人で子どもを作ったのだから。

単独親権制度のもとでの「連れ去った者勝ち」というルールは、暴力があろうがなかろうが、自分の主観(被害感情)で一方的な決定を相手に押しつけていいというものだ。だから相手の側の暴力被害も被害感情(主観)も一切無視してよい。

授業参観を見に行きたいといっても「合意がないから」、子どもと電話したいと言っても「合意がないから」で制限される。(そもそも連れ去ってよい、引き離してよいという同意がないにもかかわらず)こんな状況で引き離された側が合意するわけなく、そうなると親権は得られず、下手をすると子どもとは会えない。これが木村氏の言う選択的共同親権だ。

むしろ相手の親権取得を排除するために係争を続けるカップルがあることは想定できる。実際選択的共同親権のアメリカでもそういった係争を芸能人が繰り広げているのをニュースで見る。しかし、連れ去って引き離せば相手の親権取得を妨害できるとは限らないので、それを活用して生じる紛争は抑止が期待できる。

これは何も現在の単独親権制度のもとでも、家庭裁判所の運用が、連れ去った親に対して「じゃあ相手に子どもを見させます」と言えば、引き離し事件は抑止できるのだから、家裁の予算を10倍にしなくてもよい。問題は、「子育ては母親」という発想から抜け出せない、家裁の裁判官や木村氏のような古臭いメンタリティーなのだから。

なお、民法766条は単に話し合いの努力規定なので、離婚や別居時に強制できないし、離婚裁判においても、付帯処分を求めない限り、裁判所が決めるのは離婚の是非だけで、親子関係の取り決めなどなされない。もちろん、子どもを引き離したことによって、それまで暴力などふるったことのない父親に母親や子どもが殺される事件も日本で起きている。単独親権制度だからだ。そもそも単独親権制度で暴力が防げるなど、暴力防止の観点からすれば軽率すぎる。

木村氏にアドバイスされるほど共同親権運動は落ちぶれてない

共同親権運動は、子育てにおける格差是正を常に念頭に置いてきた。あまりにも人権侵害が放置されているので、憲法を武器に国の責任を問うことにした。木村氏の主張は、性差を口にはしないが、女性の側が親権取得者でなければ、ここまで単独親権制度を擁護していただろうかと疑問に感じる。そういう意味では彼の発想はジェンダーロールに根付くもので、彼の親権論議で憲法的解説を聞いたことは一度もない。

日本の単独親権制度がDVの防波堤になるという発想も「家庭に法は入らず」という家制度を基盤としており、海外のように、家族間暴力に刑事介入が積極的になされる国の議論とは本質的に次元が違う。職権探知の家裁システムの中で、家庭裁判所調査官は古い発想の裁判官の使い走りになりがちだ。それが著しく彼らのプロ意識を損なう。なり手がいないのは当たり前だ。職員を増員するより、調査に関しては外部に出さなければ公平な判断など期待のしようもない。

ちなみに、子どものプライバシーを立てに当事者の実名告発を抑止させる主張。子どもを人質にとっての口封じにほかならず、人権侵害も甚だしい。そもそも離婚は恥ずべきものという社会認識こそが、多くの男女と子どもを苦しめているのではないか。

共同親権運動は憲法を忘れた憲法学者にアドバイスされるほど落ちぶれてはいない。

大井川源流、登山者が見た「オクシズ(奥静岡)」のリニア工事現場

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190702-00195510-hbolz-soci&p=2

 小さな平屋の建物には、すべての窓にエアコンの室外機が据えられ、入り口の脇に、「冬期間 登山小屋」と書いた看板が打ち捨てられていた。

 現在、静岡県知事とリニア中央新幹線を建設するJR東海との間で、静岡県区間の建設のゴーサインをめぐってのバトルが話題になっている。一方で、大井川源流の建設現地の様子はなかなか伝わってこない。

 筆者は過去2回、静岡県側の工事現場予定地を訪問している。今回訪れたのは映像会社の撮影の案内役としてだが、以前と比べてどの程度変わっているかを確認したいと思って現地に来た。ところがまだトンネルの掘削工事も始まっていないのに、その変貌ぶりに愕然とした。

 というのは、筆者自身も登山者であるため、登山者の目線で現地を見たからだ。現地は南アルプスの代表的な山岳で日本百名山でもあり、塩見岳、荒川三山、赤石岳、聖岳などの登山基地でもある。

 また、登山者や釣り師でもない限り、一般の人が現地を訪問する機会があまりない場所でもある。登山目的では二度と行きたいとは思わなかった。工事が始まったとしても、この状況が2027年まであと8年も続くことになる。

 登山小屋が作業員宿舎に変わっていたのは、静岡県側から見ると最奥の「二軒小屋」と呼ばれている場所だ。この日は土曜日だったため、工員は全員が「下」に引きあげ、二軒小屋周辺はロッジのスタッフ以外は誰もいなかった。登山者たちの憩いの場が、ただの工事現場に

 そのロッジもリニア工事の関係者専用となり、それでも足りずに冬期小屋が宿舎になり、さらにプレハブの小屋がいくつか建っていた。登山者はテントを張って泊まることはできる。しかし周囲がこのような感じでは、とても登山をしにきたという気分にならない。

 それが如実に感じられたのが、その手前の椹島という登山基地だ。プレハブの作業員宿舎が立っているのはもちろん、売店の前のベンチで登山者がくつろぎながら眺めていた芝生広場との間にはフェンスが立ちはだかっている。フェンスの向こうではショベルカーがダンプに土を運びこんでいた。冬期登山小屋は取り壊されて更地になっていた。山岳写真家・白籏史朗記念館の1階部分は、建設資材の置き場に。もはやただの工事現場だ。

「開発慣れ」した地元民と、リニアの影響にナーバスな大井川流域自治体

「静岡の宝だけど、みんな知らない」

 以前、登山を終えた帰りに出会った静岡市内の観光関係者の一人は、この地域のことをそう表現した。最近は「オクシズ(奥静岡)」として売り出しているほど、何しろ奥深い場所だ。

 静岡市の中心部から、山麓の井川地区に来るのにも2時間かかる。さらに椹島と二軒小屋のロッジを経営する東海フォレストのリムジンバスに乗りかえて、椹島まで1時間、二軒小屋まではさらに1時間がかかる。

 あまりに遠いので、登山や釣りなどの明確な目的がない人にとっては、まず足を踏み入れる機会はない。工事が本格化すれば、ここに700人の工事関係者が常駐することになる。すでに最上流の坑口予定地である西俣でも整地を終えていた。

「こんなにダムが多いと、『水が減る』といっても調整できるんじゃないでしょうか。それよりも渇水期の埃を何とかしてほしい」

 井川地区で立ち寄った商店では、知事のJR東海への対応に対し、そんな感想も聞かれた。この地域では、井川地区の半数が水没した井川ダム建設をはじめ、電源開発に伴うダム建設が繰り返されてきた歴史がある。

 そのため地元の人には、開発に対する一種の「慣れ」も感じられる。一方で、静岡県民の6人に1人の生活用水を賄うまでになっている、大井川の利水についての影響は大問題だ。流域の地元自治体がこの点にナーバスになっているのも当然に思える。「リニアよりエコパークのほうがメリット」と語る静岡県知事

 また、静岡市を中心に南アルプスの世界遺産登録を働きかけた経過もあり、現在は自然と人間の共生のモデル地域としての「ユネスコエコパーク(生物圏保存地域)」に指定されている。地元は焼き畑や在来野菜など、自然だけでなく地元本来の文化や歴史遺産を積極的にアピールしている。

 川勝平太静岡県知事は、6月5日の中部圏9知事会議で、「どちらを取るかと言えばエコパーク。リニアは静岡にメリットがない」と発言している。

 開発一辺倒の時代から、持続可能な地域づくりや自然との共生が時代の流れであり、もしそれらを両立させる解を見いだせないのなら、もはやそれは「時代遅れでは」、そう知事はJR東海に投げかけたように思える。

<文・写真/宗像充>

ハーバービジネスオンライン

大鹿村騒動記・検閲編

ぼくが住む大鹿村にはコンビニはなく、隣町のコンビニまでは車で40分ほど。その代わり村役場のコピー機と輪転機を住民が使うことができていた。機械は職員が操作するので、版下を見られることさえ我慢すれば、料金は高めだが、天皇制の学習会チラシやリニア反対の会報をせっせと刷った

ある日役場に行くと、総務課長に呼び止められ、4月からコピー機と輪転機の使用をやめるという。もともと商工振興が目的だが、交通事情もよくなったしプリンターも普及したから取りやめた?

詳しく聞こうとすると「宗像さん、会費集めてやってるんでしょ。印刷所にもっていけばいい。個人的なものに役場の備品を使わせるって変と思わない?」という。

「ぼくがやってる活動はいろいろあるんです。どれのことでしょう」

「……」

「村に反対のもの印刷させるなってだれかに言われました」

「なんとも言えない」

わかりやすい検閲だった。騒動記の村役場に言論の自由を。

「反改憲」運動通信No.11(2019.4.26)

リニア中央アルプストンネル、はじまって200mで崩落

「もともとここには阿寺断層帯が走っている。条件が悪い場所だとはわかっていた。慎重にやった結果がこれ。環境影響評価書やJR東海の説明では大丈夫と言われてきたのに、実際にはそうはなっていない」

阿寺断層帯の走る方向を指す坂本さん

 長野県南木曽町の町議会議員坂本満さんは、立ち入り禁止のロープが張られた竹やぶを見て呆れ顔だ。

4月8日、JR東海が建設中のリニア中央新幹線の建設現場の一つ、岐阜県中津川市山口でのトンネル掘削中に土砂崩落が生じた。現場は木曽川沿いの中津川市から天竜川沿いの長野県伊那谷へと至る中央アルプストンネル23・3kmの岐阜県側の工事個所だ。

山口工区の掘削現場

坂本さんの住む南木曽町も、ここから延びる中央アルプストンネルが通過し、町内でも掘削工事が今後始まる予定だ。山口地区からは昨年11月から先行して掘削が始まった。完成すればリニア新幹線が通る本坑へと至る斜坑の掘削中に、入口から200m付近で崩落が起きた。

 この部分の建設をJR東海から受託亥する鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構)によれば、8日午前7時ごろに作業員が直径8m、深さ5mほどの陥没を確認。4日に斜坑内で小崩落が発生したため、斜坑内の復旧作業中だったとしている。

 翌日の9日に坂本さんとともに現場に行くと、崩落個所のある竹やぶは、人家や田んぼが散在する道路脇にある。

左の竹やぶ内で崩落が生じた

崩落周辺では数人の作業員とミキサー車が立ち働いていた。現場の作業員の一人は、「トンネルから地上部までは20m弱。トンネル掘削では発破(火薬による爆破)も行っていた」と語った。鉄道・運輸機構は、「工事を止めて原因を調査中であり、復旧計画を検討中。崩落個所にはモルタルの打設工事を行っている」と現状を説明した。

「本坑トンネルはあの家の真下を通ります」

道を挟んで崩落個所のある竹やぶと反対側の人家を坂本さんが指した。今後も同様の事態が起きれば、次は竹やぶですまないかもしれない。近くを流れる前野沢では、作業員の一人が水位をじっと見守っていた。鉄道・運輸機構によれば、「水枯れなど周囲への影響は今のところ生じていない」という。

2027年の東京(品川)―名古屋間の開業を目指すリニア新幹線の路線286kmのうち八割は地下を通る。各地で関連工事も含めてトンネル工事が始まっている。しかし、すでに長野県では、大量の工事車両の通行のための道路改修工事のトンネル掘削中に、地表部で2017年12月、発破の振動によって崩落が生じた。また、名古屋市の名城非常口では、掘削作業中に地下水がわき出たため、昨年12月から工事が中断。作業は今秋に再開予定だ。

情報の公開の仕方も不透明だ。大鹿村では崩落で道路が通行止めになり、住民が2週間不便を強いられた。この事故原因について、筆者が長野県に情報公開請求すると、事前にトンネル内部で施工業者がクラックを認めていながら、工事の納期が迫った中、まさに崩落した個所の真下で火薬の量を倍にしていたことがわかった。このことを指摘する施工業者のレポートを、長野県は専門家による委員会で「特殊な地盤で予測が難しかった」とするJR東海の検討結果が了承を得るまで公表しなかった。

名古屋駅の非常口の地下水湧出がニュースになったのは4か月後だ。今回の崩落でも、8日に公表されるまで、4日の崩落発生から4日経っている。

「施工業者からすれば掘削の初期段階で崩落が起きたからまだよかったかもしれません。今後の工事はより慎重にはなるでしょう。でもこれじゃ泥縄。現場はたいへんでしょう」

建設現場での地質調査の仕事の経験もある坂本さんが首を振る。そして付け加えた。

「リニアによる地域活性化が語られがちですが、自然に対する謙虚さが本来建設工事には必要なのに、それがリニアには決定的に足りていない」

大鹿村の選挙、新規参入阻む個別訪問禁止の怪

「選挙中に個別訪問がされていましたよ」

 筆者は2016年の秋から長野県大鹿村に住む。引っ越してきた年の冬、村が工事現場になるリニア中央新幹線の是非が争点になったこともあり、村長選挙が行なわれた。当時東京から越してきたばかりの筆者は、そのとき気づいたことを翌年の行政懇談会で手を挙げて発言した。その選挙で当選した村長と、当時選挙管理委員会の担当の元総務課長が並んで座っていた。

「ぼくは有権者が直接政策を知って深められる個別訪問はいいことだと思うんです。だけど公職選挙法では禁止されている。ルールを守った側が不利になるような状況はフェアじゃない。状況を打開するため、村が公職選挙法を改正する意見書を国に出したらどうでしょう」

 村の集会所でぼくがした提案に、ひな壇の村の三役は、ばつが悪い表情でしどろもどろになっていた。

 各地で地方議会議員のなり手不足が深刻な問題になっている。今回の統一地方選でも、長野県内の自治体では選挙にならなかった自治体が散見できた。そんな中、ここ大鹿村は1000人の自治体ながら、議員選挙は毎回成立している。今回も8人の定員に対して9人が立候補して5日間の選挙戦をたたかった。

 さぞや賑やかになるのかと思いきや、選挙期間中、村内で一度も街頭演説を見ていない。2週間前の長野県議会選挙のときには村内を走っていた選挙カーも、村議会選では1台も見なかった。選挙掲示板には候補者のポスターが貼られているが、名前だけを大書した「質素」なものもある。にもかかわらず、先日の県議会議員選挙の投票率は79%で、同じ選挙区の他の自治体の中で一番高い。いったいどうやって選挙をしているのか謎だ。

 村の選挙管理委員会は、投票日には数時間おきに、自治会ごとに置かれた投票所の投票数と投票率を発表して投票を促すし、選挙ごとに候補者による合同の立会演説会が公民館で開かれている。行政や候補者が以前から選挙への関心を高めようとしてきたこういった努力が、選挙への関心を高めているのはあるだろう。

合同立会演説会

一方で、候補者や各陣営のスタッフが個別訪問を行なっている場面が、村内の道路を車で走らせていると否応なく目に入ってくる。

「法律では禁止されているけど、村では個別訪問は普通に行われてきた」

 村で生まれ育った男性(60代)は、先の村長選挙で個別訪問に気づいたぼくが尋ねると、そう説明した。ずっと慣例化してきたため、誰も選挙違反について指摘しないというのが実情らしい。先の男性も、今回の選挙期間中、個別訪問にやってきた数人の候補者の名前を挙げた。

 しかしもちろん、候補者に対する事前の説明会では、個別訪問が禁止であることくらいは説明するはずだし、実際に先の懇談会で質問した際、前総務課長は「公職選挙法では違法」と、これは明確に答えていた。買収などの温床になるから規制されてきたのだろうか。

「個別訪問の禁止は本来新規参入を阻むためです」

地方自治に詳しい高知大学の岡田健一郎准教授(憲法学)はそう言って首を振る。

「個別訪問禁止の歴史は古い。もともと大正デモクラシーのときに男子普通選挙(1925年)が行われたときに遡ります。それまでは候補者も有権者も高額納税者だったのが、男性だったら誰でも投票できると規制緩和された。そうなると無産政党が伸びかねない。お金のない人の選挙手段は演説やビラ、個別訪問。自由だった選挙に規制が設けられていきます」

 新人候補ほど摘発されないようルールに敏感なはずだが、ルールを守ると落選しかねないというジレンマに陥る。

「戦後初期の選挙は規制が緩和されました。しかし、もともと基盤のある既成政党は、保守革新問わず個別訪問をしなくても勝てる。規制には反対してきませんでした。結果、共産党が摘発され裁判になっていますが、最高裁は『不正の温床になる』と合憲判断をしています」

 これでは原因と結果が逆だ。最近、SNSの利用などからなし崩し的に規制が緩和され、今回の統一地方選から都道府県と市区議会議員選挙でのビラ配布がおこなわれている。

「いい傾向だと思います。もともと個別訪問の禁止は他国ではなく、憲法21条の表現の自由に抵触して違憲だというのが、憲法学者の中では主流の意見です」

 岡田さんも最近の規制緩和を歓迎する。

大鹿村では議員報酬は10万円だ。候補者にしてみれば、選挙カーや拡声器などに投資するのは費用対効果の面から割に合いそうにない。勢い、個別訪問は重要な手段ということになる。それで高投票率や候補者不足の解消になるのなら、大鹿村の選挙は「周回遅れのトップランナー」だと言えるかもしれない。

もっとも、それで当選した議員は「法令順守」とは言えないだろうけど。


リニア説明会を開け JR東海の録画禁止に抗議

JR東海古谷部長

 2012年にリニア新幹線の工事現場予定地の南アルプス山麓、大鹿村を訪問した。度々登山の雑誌で進行状況を紹介したが、数年の間、リニア新幹線について継続的に取り組むジャーナリストは、ぼくともう一人しかいなかった。

 あれよあれよという間に環境影響評価の手続きがすみ、2014年には国土交通省は着工を認可し、2027年の開業予定で工事が始まった。総工費は東京(品川)―名古屋間だけで5・5兆円。今世論を分断している辺野古の埋め立ての当初費用が2400億円だからその約30倍だと言えば、その規模と影響の大きさが想像できるだろうか。

もちろんゼネコン不正に至るまで、リニアの問題が世間に伝わらなかったのには、ぼくたちの努力不足という以外に仕掛けもある。建設主体のJR東海は、アセスの過程で一カ所につき最低3回程度の説明会を沿線各地で行っている。その後も着工前に工事説明会を開催する。杜撰な計画で当初なかった工事の変更がなされても、実際はアセスの説明会はなく、都心部の予定地では地下40m以上の大深度のため、上に家があっても説明はない。

 しかもこの説明会の仕方がひどい。

質問は3問までに制限し一度に行なう、再質問は許さない、決められた時間が来れば手を挙げている人がいても説明会を終える、借り受けた公共施設の入口に禁止事項を列挙した紙を貼り出す、関係者以外は出席させず住民が呼んだ人であっても会場に入れない、メディア以外の住民による撮影をさせない、わずか数枚の配布資料よりはるかに多い数十枚の画像が説明時に投影され、メモ代わりの画像の撮影すら禁止する……大鹿村の住民になって頭に来るのが、会場に行かないと説明すらしないことだ。住民なのに情報の入手も制限付き。中部電力はアセスの資料を各戸配布するが、JR東海にやる気はない。

 こういった「情報統制」に対して、メディアの録画は冒頭のみ。各自治体の連絡協議会などはメディアには非公開なところが多い。それで住民が疑問をぶつけたり、場が荒れたりしても、終了後にJR東海の部長がメディアの囲み取材に、「理解が深まった」と回答して工事が進む。言っても聞いてもらえないし、言ったところでメディアは伝えない、となって住民の孤立感は大きく、しんどさは解消されない。

 その上、リニアの実情を記者として伝えると、「ご説明」と称してJR東海の広報が雑誌の編集部に押しかけ、「一方的」と何度でも編集部とのやり取りを求める。値を上げて雑誌がリニア問題を取りあげなくなる。こうやって原発同様「安全神話」が維持されてきた。しかし、大手の記者たちに「報道の自由」を守ろうとする緊張感はない。住民が会場で「そもそもリニアは必要なのか」と問うと、「それをここで聞かないでください」とJRの担当者が答える。しかし、そんな問いはどこでも議論されてこなかった。国家的なプロジェクトである以上、地域の問題を地域だけが背負うのは荷が重い。

 そんなわけで、住民団体個人、それにジャーナリストに呼びかけて、1月の大鹿村での説明会を前に緊急に呼びかけ、共同声明として発表し、関係自治体や記者クラブに申し入れた。最終的に34団体、63個人が賛同してくれた。大鹿村の説明会では、住民としてぼくが公開の仕方に冒頭異議を唱え、フリーランスの記者を中心に、いっしょに抗議してくれた。

こういった措置を大鹿村もJR東海も、「出席者の自由な発言を妨げるため」という理由で正当化している。そこで取材を控える時間枠やコーナーを用意したり、発言者が録画の諾否を発言できることを司会が冒頭アナウンスしたりするよう事前に主催者に提案したが、村もJRも拒否した。もともとそれが目的ではないからだ。そもそも冒頭録画しているので途中の録画を禁じても意味がない。実際、静岡の専門家による委員会は、静岡県の措置で全部公開している。こういったやり取りが公開でなされたこと自体、反撃の意味があった。

 とはいえ、当日録画禁止の措置を解除できたわけではない。それでも今回の取り組みで得られた賛同の輪は価値がある。住民もジャーナリストもどちらも、問題を広く知ってもらい、多くの人を議論に引きずり込む意志がなければ、現状は打破できないからだ。説明会は今後もあるだろう。より多くの人の賛同を得られるようこの取り組みを持続したい。(宗像充、大鹿の十年先を変える会)

(反天皇制運動Alert34、2014.4.9)

家庭裁判所前の殺人~分離強化は再発防止につながるか

「やったことに対しての責任は取らないとならない。しかしもともと妻を殺した男性が危険な存在だったのか」

 離婚や別居に伴い、別居親子が定期的に過ごす面会交流事件を多く手がける、土井浩之弁護士(仙台弁護士会)は嘆息する。3月20日に東京家庭裁判所前で31歳の女性が切りつけられ、離婚調停中のアメリカ人の夫が逮捕された。その後女性は失血死している。

 ライターである筆者は、子どもと引き離された経験のある別居親である。夫婦間で妻の側が被害者の事件報道もウォッチしてきたが、こういう場合、まず夫の人格の異常性が強調されることが多い。今回も、男性がDVだったということを前提に、「命がけで救いを求めて訪れる被害者たちを裁判所は守れているのか」と警備強化や保護命令制度の活用を唱えて、分離政策を後押しする論調が出ている。しかし本当にそれで暴力が防止されるのだろうか。

「殺したのは究極のDVですが、過去彼がDVだったという根拠があったのでしょうか。妻を殺した男性のものと思われるSNSには、昨年の8月に妻子がいなくなって一週間、何が起きたかわからない状況だったことがわかる書きこみがあります。誘拐されたと大使館に相談もしている。自分が置かれた状況がわかっていたのでしょうか」

 妻は同時期、「夫が精神的に不安定」と警察に相談していたとされる。一方で、夫のSNSには、子どもが生まれてから妻が「メンタルヘルス」に問題を抱えていたという書込みがある。

土井さんは「産後など、不安を抱えた女性が行政の女性相談窓口などに相談に行くと、『夫の精神的虐待が原因』『命を守るために逃げなければならない』とアドバイスをすることになる」と解説する。「DVの相談件数が増加するのと歩調を合わせて家庭裁判所への面会交流の申立件数も増加しています。行政のマニュアル的な対応が面会交流の事件数増にかなり影響を与えている。行政の引き離し政策で男性な危険な状態に追い込まれたのが事件の背景」というのだ。

「孤立して不安定になっているのに、本人に状況を冷静に伝えるサポートはない。男性の側の話を聞いて自身の気持ちを消化し、相手の気持ちも考えることが本質的にできにくい体制になっています」

 そう男性の置かれた状況を説明するのは、加害・被害、男女を問わず、家族の再統合や脱暴力の家族支援を行う日本家族再生センター代表の味沢道明さんだ。どこの国でも同様の事件は起こりえるものの、暴力防止の観点から日本の現状に首を傾げる。

今回事件が起きたのは家庭裁判所の手荷物検査の前だ。セキュリティー体制を強化すれば事件は防げたのだろうか。

「今回は日時がわかって家庭裁判所の前で待ち構えていたんでしょうが、別の場所に妻が現れるとわかっていたらそこで事件が起きたかもしれない。居場所だって本気で探そうとしたら見つけられる。分離すればすむという問題ではない」

 味沢さんは首を振る。2013年に東京家庭裁判所に手荷物検査が導入された際、筆者は東京家裁に直接理由を聞いている。東京地裁など、すでに手荷物検査が導入された施設との間に地下通路ができて、東京家裁の入り口にも取り入れたというのが導入の理由だ。夫婦間暴力の防止の強化が目的だったわけではない。本質は別のところにあると味沢さんも強調する。

「日本のDV対策は民事対応です。刑事介入がなされて双方の事情を聞かれるアメリカなどと違って、加害者とされた側は、いきなり妻子がいなくなって行方不明になり、家庭裁判所から調停の呼び出し状が届くことになる。周囲もDVの加害者とされているわけだから引きますよね」(味沢さん)。ますます置き去りにされた側は孤立を深める。

「そもそも家庭裁判所では親権は子どもを確保している側に行く」。批判は家庭裁判所の姿勢にも向けられる。「調停でもなかなか子どもと会えず、離婚など目的を達するために子どもを取引材料にすることもある。そうなると感情を逆なでして、むしろ暴力のリスクは高まる」(同)。

女性保護にだけ目を向け分離を強化することが、むしろ暴力を誘発するというのだ。

「男性や引き離しに遭った側、それにDV当事者への脱暴力支援がない。そういった問題に取り組むコミュニティーにそういった人たちを引っ張り込むのが必要」(同)。

男女双方に目を向けた制度の構築と支援が抜きに、事件の教訓を生かすことは難しい。