大衆運動としての共同親権運動

個人を応援するといじめられる

 先日、「実子誘拐・共同親権に関する公正報道を求める共同声明」の賛同運動を呼びかけたら、個別メールで、ぼくのことを応援してるけど、表立って応援するととある別居親団体から攻撃を受けるので、表立っては賛同できない。すいませんなんていう切ないメールが来た。その団体がしつこくSNSでぼくへの個人攻撃や名誉棄損を繰り返していたのは知っている(記録もとっている)。デモの呼びかけに応じなかったことはあったけど、そもそも個人的な付き合いもない。

いろいろ市民運動にかかわってきたけど、運動レベルで足の引っ張り合いに遭う機会が一番多いのが別居親の運動だ。同じ経験をしたんだからまとまれるはず、という願いがよっぽど強いんだろうなと、一応は別居親として思いやってはみる。だけど、釈迦や孔子でもないので、誹謗中傷を受けたり、集会を開くと出席を取りやめるような呼びかけをされたりすると、嫌がらせを受けてまで足並みをそろえようという気にはならない。こういう人権侵害行為の放置は運動全体としてはマイナスだろうなと、先のようなメールを受けると思いはする。

運動もいい意味で趣味や生きがいの一環なので、協力するかどうかにいちいち説明を求められるいわれも本来ない。「楽しいとか楽しくないとか言ってる場合じゃない」とか言ってた人は、だいたい途中で消えている。

ぼくの祖父は天皇の命令で戦争に行って殺されている。単独親権制度の違憲性を求めて国と喧嘩もしている。日の丸・君が代の強制反対の運動にもかかわってきたので、行けば日の丸があるようなデモや集まりにはよほどの理由がなければ行く気にはならない。「サヨクだ」というレッテル貼りを否定するわけではないけど、そういう質問には「あなたはウヨクですか」と聞くようにしている。

短冊に願い事を書くだけでは叶わない

議員や役人にお願いすれば願いが叶うかのように思っている人も多い。だいたい長く市民運動をしていれば、議員や役人は国家機関の構成員なので、言ったところですぐに聞いてくれるわけでもないことは経験として身に着く。国の委員会の委員も同様だ。不公正を是正させる視点がないと、偉い人達の温情にすがって得られることなど一部の人の利益に限られている。

特定の議員とのつながりがあるのはいいけど、運動が特定の議員や政党の応援団になれば、理念に基づいての大衆的な支持や広がりはあきらめるほかはない。お上の言うことに従うだけならいちいち運動しなくていい。そうはいっても、それがぼくたちこの国の人々の一般的な感覚と反応なので、ぼくのような主張が目立って見えるだろう。

不公正を是正させるには知恵と勇気とエネルギーはいるし、経験はないよりあったほうがいい。みんながまとまれるところ、から漏れた人が不満を述べて「足並みを乱すな」というのは市民運動ではなく全体主義だ。

集団示威行為はDV?

とりわけ珍しいのが、まとまっての抗議やデモなどが、「DVの証拠」とレッテル貼りされるところだ。こんなの労働組合や市民運動の手法として定着してきたことだ。離婚弁護士の事務所に抗議すると、過激と言われたりして新聞記事になる。だったら労働組合の社前闘争もいちいち新聞記事にすればいい(そうはいっても、やってる団体はぼくに対しての名誉棄損も繰り返していたので別に味方として言っているわけではない)。市井の人々は日常生活を送る上で、抗議も含めてさまざまな政治をしている。議会政治はその中のほんの一部に過ぎない。議員に政治を委ねるのであれば市民運動は必要ない。

大方抗議されるほうが女性の代理人だからという理由のようだ。しかし女性だからといって即被害者なわけではもちろんない。またリブの運動だって、優生保護法の運動のときには、厚生省のロビーを占拠したりピンクヘルメットかぶってたりしていた人もいた。今さら女性の自分たちが攻撃されていること自体が不当だとかいうのは、自意識過剰な上に白々しくその上不勉強だ。というか、公害企業が被害患者の抗議に開き直ったら、「無反省」と言われたりもするだろう。

表現の自由はある。デモは本来届出制でデモ申は警察の顔を立ててしているだけだ。情宣(街頭宣伝)に許可はいらない。地域によって警察の対応は違っても、とれば警察の介入が強まることもありよしたほうがいい。権力は大衆を恐れる。怖がられない程度の運動にさほどの効果は期待できない。

というか、主催者に「あれをするな」「これをしちゃだめ」とかいちいち規制されるデモに自由さは感じない。オキュパイと呼ばれる官庁などの占拠運動は、しばらく前にアメリカなどで流行った。社会的な抗議をすると、「DVの証拠」とすり替えられるのは効果があるということだ。人種差別や民族差別でも、差別したほうは、反省しなければ「怖い」「だからこういう人たちは」と偏見を煽っただろう。

要するに、正当な抗議が最初から理解されると考えること自体がナイーブすぎる。へこたれない程度にやめないことだ。

院内集会「共同親権で家族はどうなる?」 ■16時~ ■衆議員第二議員会館第一会議室にて

6・9〈共同親権・男女平等な子育て〉 共同親権訴訟 第8回口頭弁論

院内集会「共同親権で家族はどうなる?」
■16時~ ■衆議員第二議員会館第一会議室にて

いつまで続ける? ひとり子育て
共同親権スタイルの家族って?
男女平等な子育てって?
どうする?法と支援

日本の民法では婚姻中のみ共同親権とされています。それ以外(未婚・離婚)のときは単独親権になっています。
単独親権制度は、どちらか一方の親が子どもを見ればいいというルールです。
だから結婚時も子どもから見て「両親による公平で対等な子育て」の足かせになっています。
では、単独親権制度という障壁を取り払ったとき、制度や家族のあり方はどのように変化するのでしょうか?
共同親権における家族や子育てのスタイルは一体どんなものがあるのでしょうか?
男女平等な子育てとはいったい何でしょう?
弁護士、法哲学者、共同親権国賠原告が、それぞれの視点から議論を展開します。

■参加費無料
■予約不要(議員会館入口で通行証を受け取って下さい)
■内容:鼎談「共同親権で家族はどうなる?」
口頭弁論報告 議員ほか発言

〈 登壇者 〉
紀藤正樹氏(弁護士)リンク総合法律事務所所長
永石尚也氏(法哲学者)東京大学大学院情報学環准教授
宗像充氏(ライター)共同親権訴訟原告

主催 共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会
TEL 0265‐39‐2116 メールkkokubai_contact@k‐kokubai.jp
※ 新型コロナウイルスの影響で開催が中止や変更される場合があります。
その際は、当会のホームページ及びSNS等でお知らせします。

☆2022年6月9日 当日スケジュール☆

〈共同親権訴訟 第8回 口頭弁論〉14:00~@東京地裁806号法廷

11:30~ 東京家庭裁判所申し入れ ♦ 11:20 東京家裁前集合
12:30~13:30 街頭宣伝 @東京地裁前 ♦一緒にチラシ配ってね
14:00~ 第8回口頭弁論 @東京地裁806号法廷
15:30~16:00 進める会 総会@衆議院 第二議員会館 第一会議室
16:00~ 院内集会 「共同親権で家族はどうなる?」

☆登壇者 プロフィール☆

紀藤正樹 氏

弁護士 リンク総合法律事務所所長
大阪大学法学部卒 同大学院博士前期課程(憲法専攻)修了
一般の消費者問題、宗教・カルト問題、企業の危機管理問題、インターネットにまつ
わる消費者問題、被害者の人権問題、家族・児童虐待問題などに精力的に取り組んで
いる。現在、面会交流保全・国賠訴訟代理人。

永石尚也 氏

東京大学大学院准教授
一橋大学大学院法学研究科博士後期課程修了
研究テーマは法哲学、法と科学、法時間論(世代間正義論)、情報法・政策。医療を
含めた、社会と法と権力の関係を研究している。「国立本店」「コノメノイエ」など
カルチュラル・スタディーズ的な実践にも取り組んでいる。

宗像 充 氏

ライター 当共同親権国賠原告
近著に『共同親権』(2021年12月 社会評論社)。登山や自然環境、動物、人権、家
族、平和問題など、幅広いテーマで活躍。雑誌のルポ等も執筆。著書に『ニホンオオ
カミは消えたか』(旬報社)、『子供に会いたい親のためのハンドブック』(社会評
論社)、『引き離された僕と子供たち どうしてだめなの?共同親権』(社会評論
社)、『子育ては別れた後も 改訂版 子供に会いたい親のためのハンドブック』
(社会評論社)、『南アルプスの未来にリニアはいらない』(オフィスエム)、『二
ホンカワウソは生きている』(旬報社)など多数。

千葉家庭裁判所宛陳述書

この陳述書は、元妻が申し立てた面会交流決定取り消し調停・審判にあたり、作成したものです。担当は中山直子裁判官。元妻側代理人は、森公任・森元みのり弁護士。元妻とその夫、森・森元に対しては、飯田地方裁判所で養育妨害行為についての損害賠償請求をしています。

2022年4月11日

宗像 充

1 この間の面会交流

 この度、6月の決定を前に書面の提出の機会をいただき、ありがとうございました。せっかくの機会なので、現在の面会交流の実情と私の思いについて触れさせていただきます。

 現在私は月に1度決まっている面会交流日に子どもの暮らす家を訪問し安否を確認しています。待ち合わせ場所は幕張本郷の駅前の交番で、20分ほど待ってから、交番の相談員の方に話をして歩いていくか、タクシーに乗って家を訪問し、チャイムを押してXとY[子どもたちの名]の手紙を投函し、帰宅します。手紙の内容は、近況報告が中心です。

 交番の相談員のAさんも、私はここで娘と合流するようになってから事情を度々話してきたので顔見知りです。

「いつもお世話になります。今日も取り決められた日に娘を待っていましたが来ませんでしたので、これから家を訪問し手紙を入れて帰ると思います。先月も同じようにしました。多分何も起きないと思うのですが、何かあったらご迷惑をおかけすることになるかもしれません。そのときはよろしくお願いします」

それが私が昨日Aさんに伝えたすべてです。「ご苦労様です」とAさんは言って私を送り出してくれました。

 毎回友人のBさんが付き添いをしてくれます。何度かC氏[元妻の名]やD氏[元妻の夫]が面会交流中に交番に入って、そこで私と娘と引き離されることがありました。損害賠償を提起するとやみましたが、駅前で娘と合流すると、近くでD氏が監視していて、それは、Yが来なくなった後も2か月続きました。

何かトラブルがあったとき、不利になるのは子どもと離れている私のほうですし、私が感情的になっても止めてくれる人がいてくれたら心強い。Bさんは手弁当で、Yと会えなくなってから毎月のように来てくれています。Bさんは面会交流支援のNPOで支援員を何年も続けてくれている方ですが、そういう面でも子どもや別れた父母双方安心ができます。

2 司法に子どもを奪われた被害者

自分が娘の年ごろだったころのことを考えれば、親をうざったく感じる娘の気持ちはわかります。片親疎外には、あきらめずに顔を見せ続けるのが大事だとわかっていても、会えもしなくてこうやって長野からやってくることにどんな意味があるのか、自分でも心もとなくくじけそうになることはあります。そういうときBさんが、「やれることがあったら続けたほうがいいよ」と励ましてくれたことがあります。

Bさんは、ぼくが子どもと引き離されたとき、子どもの権利について活動する市民団体の中で出会いました。もう10年以上前のことですが、国連子どもの権利委員会に日本の実情を届けるその活動に参加していたそうです。

Bさんは、ぼくと同じように、子どもが小さいときに離婚で3人のお子さんと引き離された経験を持っています。その後、債務不履行の裁判で面会交流妨害の違法性を認定させたにもかかわらず、元妻の再婚によって、その後取り決めが取り消されました。それまでは自宅に何度か訪問していたそうです。しかし裁判所は、(法的にはありえませんが)家に近づかないようにとまで指示してBさんは子どもに接触すること自体を断念しました。Bさんは、ぼくといっしょに単独親権制度の違憲性を問う国家賠償請求訴訟の原告になってくれましたので、そのときにBさんの経緯について取り上げた新聞記事があります。ご参照ください。つきそってくれるのはご自身の経験も踏まえて友人として応援してくれているのだと思います。

 Bさんのお子さんはもう成人していますが、いまだにBさんとの再会は叶っていません。Bさんはいまもどこに住んでいるのか、戸籍の付表を取り寄せたりして、安否を確認しようとしています。孫もいるのがわかったようですが、会ってもいなくてそんな可能性もないのに、DVによる住所非開示の措置を子どもから出されたようで、いまに至ってまで子どもからの拒否が続いています。はじめて会ったとき、「親は子どものことは気にかかるもんだよ」と言っていたBさんです。いまは「おれもこの間まで体長が悪くて、年取って先も長くないから住所非開示した市役所に問い合わせてみる」と昨日は言っていました。いま現在この措置の違法性について各地で行政訴訟が起きていることは中山さんも存じ上げていると思います。

 Bさんは、司法によって子どもを奪われた被害者です。一度の取り決めの取消しがどのような結果を生むかを身をもって知っています。Bさんだけが例外ではありません。私はこれまで1000人以上の別居親と出会って、多くの相談を受けてきました。裁判所が当面の面会交流を取り決めずその後再開できるようになった事例は極めて限られています。月に1度2時間の決定を出され、その後中学校になって子どもの意思を理由に会えなくなった事例はあまりにもありふれています。弁護士がそのように知恵をつけているのは明らかです。

 先日私のところにやってきた母親は、父親が亡くなり父親の親族と親権者変更で裁判で争ったそうです。裁判官は彼女が子どもと引き離されていたことを知っていて、関係を取り戻しながらいっしょに暮らしたいという母親の願いを聞き入れませんでした。そのとき相談を受けましたが、10年かぶりに再度ぼくに連絡してきたのです。彼女は、孫が生まれ子どもから連絡が来たそうですが、娘とは連絡できてもなかなか会ってくれないそうです。父親の親族からは一方的な話だけを聞かされ、母親の顔に似ていることで度々いじめられたようです。そのことが障害になってなかなかすんなり母親に会うに至らないそうです。お母さんを慕いたいのに素直になれない。彼女も彼女の娘さんも、司法によって親子の時間を奪われた被害者です。

裁判所が決定した面会交流は、父母が別居している子どもにとって、とても大きな意味をもちます。父母の一方だけと一緒に暮らしている状態は偏った環境で、これは仕方のないことです。当然、子どもの視点もその偏った環境で育まれていきます。そのような中で、子どもに対して最低限用意してあげた機会が面会交流の決定です。この機会を「環境」の圧力に負けて縮減することはまったくの背理です。環境の圧力に押し流されて、裁判所が自ら確保した機会すら取り消してしまったらどうなるか。上記Bさんたちの例のように、親子はその関係性を取り戻すための自然治癒力すらも会得することもないまま、それぞれの一生を送ることになるかもしれません。

3 取り決めの意味

私の面会交流の決定は、会えてないなら意味のないものに、はたから見たら感じられるかもしれません。しかし私のいまの願いは、子どもに会いたいという気持ちよりも、むしろ娘に親の顔を見せてあげたい、という思いのほうが強いのです。Bさんも先の母親も、同じ思いだったんじゃないでしょうか。限られてはいても、司法の応援がこれまであったから続けられたことでもあります。

私は、母親やその代理人がいうように、子どもの気持ちや反発心をまったく理解しない、自分のことしか考えない父親だと、中山さんは感じられることでしょうか。たとえ自分のことで周りが騒がしくなり、わずらわしいなと思っても、月に一度、自分のことで遠くから足を運んできてくれる人の存在は、娘の成長にとって私はけっして無駄ではないと思い、毎月千葉を訪問します。そのことをわかってくれる人がいるので、Bさんに限らず、私たち親子のことを心配してつきそってくれる人たちがいるのです。そういう大人の存在は、Yにとって財産ではないのでしょうか。

私は、Xへの履行勧告を何度かこの間しましたが、説明もなく却下されています。Xは成人しました。Yはどうするか聞かれて、自分は聞かれない、というのはXにとって寂しいだろうなと考え、勧告を立てたにすぎません。

私もBさんも、そしてD氏も、子どもの権利条約にある子どもの意見表明権について、それは子どもの発言に責任を負わせることではなく、子どもの欲求表明に応答的関係を作ろうとする大人の義務だという、法学者の福田雅章さんから学びました。私の対応が殊更すぐれているとは言いませんし稚拙なところもあるでしょう。しかし、Yに不満があっても、それは親子関係の中で私が対処することで、その機会すら奪うことまで司法には本来権限はありません。Yの父親は中山さんではなく私です。それは私も含め、誰も変えることがでません。

この度、子ども代理人をつけるにあたり、調査官調査よりも丁寧に子どもの話を聞け、子どものプライドを傷つけないからというのが、中山さんの説明でした。その報告を見て私は呆れました。子どもが自分に不利になるようなことを言わないのは最初からわかっているにもかかわらず、父親への嫌悪感情のままにレポートにして、いったいどれだけ父子関係に利すると、子ども代理人は考えたのか。最初から結果はわかっているので不要な手続きだという私の主張を否定してまでもした結果がこれでしょうか。父親への嫌悪感情を示せば周囲の期待に沿えるということを子どもに再度学ばせることが、裁判所の言う子どものプライドを守るということでしょうか。

私が求めたとはいえ、決定に責任を持つ中山さんが娘に会いたいと呼び出したのです。子どもの進学先も問いたださず、子ども代理人には父親に何も伝えず娘を会わせ、今度は利害関係人と認めた本人を、税金で雇った子ども代理人の言葉で呼び出さない。正直裁判所がYに振り回されています。親としては申し訳ない気にもなりますが、裁判所はいったい何をしたかったんでしょうか。

私は、学校に行ったことを理由に何度も子どもの感情を害したと言われます。しかしCさんといっしょに住んでいたとき、私はXやYの園行事に出なかったことでCさんに異常なまでに罵られました。裁判所は最初の面会交流決定の高等裁判所判断で、双方の関係改善を図り面会交流を拡充するべきと書いています。Bさんは「そう書かれたら向こうが拒めば拡充できない。そういう決定よくあるよ」と指摘しています。その後裁判所は拡充について(回復ですが)「時期尚早」と繰り返し、今度は自分の決定を取り消すのでしょうか。

私はそんなことより、いまの決定を維持して、「遠くから毎月お父さんが来てくれるって素敵なことだね」というメッセージを司法が伝えることを選んだほうがよっぽどいいと思います。意図が伝わるか不安なら、中山さんが娘に会いにいってやってください。一人の人生を左右する決定をするということは、それだけ重いことなのです。

あかがね街道を行く 

 文芸春秋3月号に「リニアはなぜ必要か?」という鼎談記事が載っている。リニア建設のトップでJR東海名誉会長の葛西敬之と、元国土交通省でリニアの技術評価委員会の森地茂、それに静岡県の肝いりで作られた、南アルプスを未来につなぐ会理事の松井孝典。

3人はリニアの必要性とともに懸念の払しょくに努めている。「自然環境への影響は大丈夫か」というテーマでは、司会が大井川の水資源問題について言及し、同時に生態系への影響や残土処理の問題も例示している。

 葛西は、東海道新幹線や他の新幹線や高速道路の建設でも「慎重に工事を進めることで問題を乗り越えてきたのが公共事業の歴史」と楽観的だ。

一方、研究者として参加する松井は、「環境問題に直面して、それを技術で克服しなかった文明は、例外なく衰退、滅亡しています」と工事を肯定しながら、「環境問題が、文明の発展にとって障害であれば、それを技術で乗り越えてきた」という。自然破壊によって滅びた文明は多くある。しかしリニアの場合、技術革新で環境問題は必ず克服できるという。根拠は不明。調べてみると松井は惑星研究の科学者だという。

ぼくの住む家の700m先にJR東海が掘っているリニアの坑口がある。その脇に有害土が置かれている。上にシートをかぶせていてもときどきめくれている。フッ素やヒ素が工事で出た。その行き場もないまま置きっぱなしだ。先日の信濃毎日新聞のアンケートでは、長野県南部の16市町村中、高森町と南木曽町は受け入れを「条件や話し合い次第では考える」。飯田市は答えない。残りの13町村が受け入れ・活用を「考えていない」。

どうすればいいのかとときどき聞かれる。

「JRの敷地の管理のしやすい目立つところに置くのがいい――」がぼくの答えだ。埋めたりすると後々わからなくなってのちの世代に迷惑をかけるので、「――ツインタワーあたりがめだっていい」。

高校生のころも山岳部だったので、祖母傾の山に登るときは、麓の尾平や上畑が登山口だった。両方ともに鉱山があり、戦後まで操業していた。鉱物の豊富な山域だったようで、宮崎県側には有名な土呂久鉱山もあり、公害とも無縁ではなかった。父は今は廃校になっている上畑小学校が初任地だったので、よく連れていってもらった。すでに両方とも廃坑になってはいたものの、鉱山には職員がいて、いまだに出てくる鉱毒の中和作業を続けていた。

それを知ったときは驚いたものだ。いったいこの残務作業はいつまで続くのだろうかと。地元の人が雇われて、上畑の浄水場は大分県が管理し、三菱が操業していた尾平は、その子会社が中和作業を続けている。

九州では絶滅していたとされたツキノワグマの取材で後に何回か通うようになる。地元の人に聞くと、退職金を払うのが嫌なので、三菱は定期的に子会社を潰して作り直すのだそうだ。

そのときクマ探し仲間として仲良くなった元林野庁の職員の方は、尾平鉱山の閉山に伴うその後の国有林の管理も仕事だった。今も周囲はズリで殺伐とした風景なのだけど、煙害で枯れた山を緑に戻すのも仕事だったようだ。「当時は私企業が金儲けで荒らした山を税金で元に戻すのか」と、地元の人と飲んだりしたら議論になったという。そういう通達が出されている。

その方は林野庁が国有林内に除草剤としてまいた、ダイオキシン入りの枯葉剤(2・4・5―Tなど)の散布作業にも携わっていた。ぼくはこの薬剤を林野庁が全国50か所ほどの国有林内に埋設した件を、実際に現地に行って確かめている。

埋設個所はロープや有刺鉄線で囲われている。林野庁は年に1度ほどの目視の点検をしているだけで、囲みの中のどこに埋めたかわからない場所もある。目の届かないところに毒を埋めると、半世紀もすれば無責任になる。だから「ツインタワーがいい」。

86%がトンネルのリニア工事は、鉱山を掘るようなものだ。そうはいっても、うまくやっている鉱山もあるかもしれないので、「公害の原点」と言われる足尾銅山を、アウトドア誌のフィールダーの取材で見にいってみた。田中正造の研究者の赤上剛さん(『田中正造とその周辺』の著者)に案内していただいて、谷中村から足尾まで1泊2日で見て回った。

今はラムサール条約の登録湿地でもある渡良瀬遊水地が、足尾銅山の毒溜めだということは知っている人は知っているだろう。ここで浚渫された毒は、赤上さんによれば、高速道路の盛り土などに使われたという。どうりで環境省が8000ベクレル以下の放射性廃棄物を高速道路とかで使おうとしているわけだ。

渡良瀬川沿いの平野はかつての鉱毒被害の激震地で、足尾に続く道は銅(あかがね)街道と呼ばれる。途中、詩人の星野富弘記念館のある風光明媚な草木ダムも、下流の太田市の人が戦後鉱毒被害を訴えてできた毒溜めなのだという。足尾銅山を経営する古川鉱業は1972年になるまで加害責任を認めなかった。

足尾に近づくと、五郎沢堆積場を渡良瀬川の対岸に望める。1958年にこの堆積場が決壊したため、太田市に被害が出た。この堆積場は2011年にも決壊した。このときは、草木ダムがあったので、被害が下流に及ばなかった。

足尾には尾平と同じような浄水場があり、水は下流に流されても毒は町の上部の谷を埋めた堆積場(簀子橋堆積場)に運ばれる。町を見下ろす橋の上から見上げると、町の中心部の上に堰堤が見える。その上に毒が溜められている。ここが決壊したら会社がつぶれることは古川もわかっていると赤上さんは言う。赤上さんは、「穴を掘って鉱毒が出ると永久に出続ける」という。

上流の松木村を人の住めない荒野にした煙害は、古川が開発した自溶精錬法によって対処するようになった。赤上さんは「閉山に至るまでの一時期でそれまではひどい状態」と指摘する。精錬所というのが、銅を商品化する施設なら、浄水場は毒を精錬する施設なんだろう。橋の上から足尾の町を見下ろすと、あちこち残土の上に建物が立っている。「残土の上に浮かぶ町」が足尾だった。

富国強兵の国策と結びついた足尾銅山の発展は、「技術で乗り越えてきた」というよりは、公害を振りまいた末に、問題を先延ばししているだけに見える。

「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、人を殺さざるべし――」というのは田中正造の有名な言葉だ。その後にさらに言葉が続くと赤上さんが強調する。

「――古来の文明を野蛮に回らす。今文明は虚偽虚飾なり、私欲なり、露骨的強盗なり」

文芸春秋の企画は、古来の文明を野蛮に回らすのが目的の、「露骨的強盗」たちの鼎談だと、田中正造ならあくびをしたかもしれない(田中正造は法廷であくびをして官吏侮辱罪で収監されている)。

(2022.3.30、「越路」27号、たらたらと読み切り167)

実子誘拐・共同親権に関する公正報道を求める共同声明

2022年4月4日に公表しました。
この声明は、ライター・ジャーナリスト5名で呼びかけ、呼びかけ人含め156個人・団体が賛同しています。
賛同者からのメッセージ一覧は、添付しておりますのでご一読ください。

この問題については、海外からも大きな批判が寄せられています。日本のメディアが無関心で委縮したままの状態だと、報道機関として読者や視聴者から信用されなくなると危惧し、今回の声明を公表しました。

多くの方が、実子誘拐・共同親権に関するニュースを見たいと期待しています。


【実子誘拐・共同親権に関する公正報道を求める共同声明】

 2022年2月21日、警察庁は各都道府県警宛に「配偶者間における子の養育等を巡る事案に対する適切な対応について」という文書を出しました。
親による子どもの誘拐について、場合によっては刑事罰の対象になることを示した判例とともに、同居時からの連れ去り、及び別居親による連れ戻しについて、被害の届出について適切に対処するよう求める内容です。
日本以外の諸外国では、“child abduction”実子誘拐として処罰の対象になる行為が、日本では放置されてきました。
この現状の中で、先の警察庁通知の持つ意味は大きく、内容の是非の議論はあるにしても、夫婦間の関係が悪化した場合において、どのような対処が法的に規制されるうるかについての規範の変更ともなりうるものです。
しかしながら、国民生活において大きな影響を与えるこの通知について、一部のネットメディアを除いて、その存在を公にして報じた新聞社、放送局は現在まで見当たりません。
過去、実子誘拐や共同親権についての記事が掲載され、番組が放送されると、大量の苦情がメディア企業に寄せられ、その中でネット上の記事が削除されることも見られました。問題となる記事や番組は、男性が加害者、女性が被害者という従来の報道姿勢に挑戦するものです。
また先の通知に関して報じたネット記事が掲載されると(「AERA」朝日新聞発行)、修正されたことが記事中に明示されました。この記事に関して、詳細な正誤表がSNS上に出回り、記事を残すために言い回しまで忖度する編集サイドの姿勢がうかがい知れます。
これからの社会で、どのような制度や社会認識が作られていくのか、受け手が判断できるよう賛否両論についてメリット、デメリットを適切に報じ、さらにそこで出された論点の妥当性について評価しながら議論に資するのが、報道機関としての役割です。
にもかかわらず、ことこの問題については、苦情が来そうなので触れない、というイージーな判断を報道の公共性に優先する大手メディアの姿勢は明らかです。
このような姿勢が変わらなければ、公正な報道を続けようと奮闘するネットメディアの記事も孤立します。もはや報道機関全体が信用を失墜し、その役割を果たせなくなるのではないかと私たちは危惧しています。
社会にタブーを広げているのは、口封じのためにあなた方の会社に苦情を入れる人たちであり、同時に、マスメディアで働くあなたたち自身です。双方の主張の違いを人権侵害行為を報じない免罪符にしてはなりません。
私たちは新聞社や放送局が、男性を加害者としてのみ扱う報道姿勢を改め、実子誘拐や共同親権についての報道について、もっと積極的に取り上げることを求めます。
それは伝えるべきことを伝えるという本来報道に求められる役割にほかなりません。

【賛同者 156個人・団体】浅井果林・秋野隆博・新しい親子交流Promotion
Organization・浅井英之・天辰康介(会社員)・雨谷康弘(一般財団法人国際福祉人権研究財団副理事長)・安藤信明・飯野昇・生井栄治(自営業)・石井発雄(会社役員)・石井政之(ノンフィクション作家)・今井美奈(会社員)・織岡謙太郎・猪爪直樹(会社員)・稲坂将成(弁護士)・稲坂将成法律事務所・井上森(自立障害者介助者)・斎部サルマーン公司・上田ハル子・宇山祐明・江邑幸一(地方公務員)・おおしか家族相談・大鹿の十年先を変える会・大隈新吾(会社員・人材コンサルタント)・大橋達矢(会社員)・奥原聡志(会社員)・尾﨑全紀・尾崎保・長田政江・越智康二・小野寺淳・小畑徹宗・小畑ちさほ(フレンズ英語主宰)・親子交流促進協会・親子ネットNAGANO・笠牟田卓也(子供の父親)・門屋太郎(会社員)・角谷知泰(理事長)・カトリック高円寺教会正義と平和協議会・勝又美保(スクールカウンセラー)・金丸賢司・金丸宗・北埜弘也(一般人)・岸本佑(会社員)・北條康雄(公務員)・北野寛三・木村尚平(医師)・共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会・楠木奈奈・工藤裕加(パートタイマー)・来栖香(NPO法人パノラマ)・黒木一也・桑添泰嘉・古賀礼子(弁護士)・後藤堅治・後藤友基(息子2人を連れ去られた年下パパ)・後藤八重子(主婦)・小島太郎(合同会社小島事務所代表)・子育て改革のための共同親権プロジェクト・子どもに会いたい親の会・子どもの権利条約親子国賠・桜井裕也(会社員)・貞村英彰(行政書士)・佐々木真一・笹野将志・佐藤亘(会社員)・佐野浩史(子どもに会いたい親の会代表)・沢田建(会社員)・篠原昌史(子供に会いたい会社員)・島田英雄(会社員)・渋谷知樹(医療従事者)・新毅夫(会社員)・白井勇・鈴木愛美(連れ去られ経験者)・菅原正義(会社員)・杉藤孝・鈴木幸雄(会社員)・角拓夢(会社員)・関根康記(会社員)・添田岳秀(そえだデンタルクリニック
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共同親権・実子誘拐への口封じに声をあげる賛同のお願い

このところ、共同親権や実子誘拐のテーマについて、報道機関に対し学者も含め口封じの圧力がかかっていて、新聞記事やテレビニュースにならない状況が続いています。
つきましては、声明文に多くの方のご賛同のお名前をいただくことで声を上げることを目的に、以下の内容で賛同を集めたいと思います。ご一読いただき、ご協力いただけますよう、よろしくお願いします。拡散歓迎です。

■賛同〆切 3月31日(木)
■賛同送付先 kuchifujino@gmail.com

ご賛同いただけます方は、以下の空欄に記載いただき、メール連絡先まで送付下さい。
個人、団体とも可です。お名前(団体名)と肩書を公表します。連絡先(メールまたは電話)は不明点の問い合わせのためです(公表はしません)。

いただいた賛同は、記者クラブほか報道各社に届けて記者発表するほか、呼びかけ人のサイト、SNS等で公表します。

お名前(or 団体名)
肩書
連絡先(メールまたは電話)

呼びかけ人
石井 政之(ノンフィクション作家)、田中 俊英(一般社団法人officeドーナツトーク代表理事)、西牟田 靖(ノンフィクション作家)、牧野
佐千子(ジャーナリスト)、宗像 充(ライター)

問い合わせ 0265-39-2067(宗像)*不在時は留守電に電話番号を残してください。


* * * * * 以下声明文案 * * * * *

実子誘拐・共同親権に関する公正報道を求める共同声明(案)

2022年2月21日、警察庁は各都道府県警宛に「配偶者間における子の養育等を巡る事案に対する適切な対応について」という文書を出しました。

親による子どもの誘拐について、場合によっては刑事罰の対象になることを示した判例とともに、同居時からの連れ去り、及び別居親による連れ戻しについて、被害の届出について適切に対処するよう求める内容です。

日本以外の諸外国では、“child abduction”実子誘拐として処罰の対象になる行為が、日本では放置されてきました。

この現状の中で、先の警察庁通知の持つ意味は大きく、内容の是非の議論はあるにしても、夫婦間の関係が悪化した場合において、どのような対処が法的に規制されるうるかについての規範の変更ともなりうるものです。

しかしながら、国民生活において大きな影響を与えるこの通知について、一部のネットメディアを除いて、その存在を公にして報じた新聞社、放送局は現在まで見当たりません。

過去、実子誘拐や共同親権についての記事が掲載され、番組が放送されると、大量の苦情がメディア企業に寄せられ、その中でネット上の記事が削除されることも見られました。問題となる記事や番組は、男性が加害者、女性が被害者という従来の報道姿勢に挑戦するものです。

また先の通知に関して報じたネット記事が掲載されると(「AERA」朝日新聞発行)、修正されたことが記事中に明示されました。この記事に関して、詳細な正誤表がSNS上に出回り、記事を残すために言い回しまで忖度する編集サイドの姿勢がうかがい知れます。

これからの社会で、どのような制度や社会認識が作られていくのか、受け手が判断できるよう賛否両論についてメリット、デメリットを適切に報じ、さらにそこで出された論点の妥当性について評価しながら議論に資するのが、報道機関としての役割です。

にもかかわらず、ことこの問題については、苦情が来そうなので触れない、というイージーな判断を報道の公共性に優先する大手メディアの姿勢は明らかです。

このような姿勢が変わらなければ、公正な報道を続けようと奮闘するネットメディアの記事も孤立します。もはや報道機関全体が信用を失墜し、その役割を果たせなくなるのではないかと私たちは危惧しています。

社会にタブーを広げているのは、口封じのためにあなた方の会社に苦情を入れる人たちであり、同時に、マスメディアで働くあなたたち自身です。双方の主張の違いを人権侵害行為を報じない免罪符にしてはなりません。

私たちは新聞社や放送局が、男性を加害者としてのみ扱う報道姿勢を改め、実子誘拐や共同親権についての報道について、もっと積極的に取り上げることを求めます。

それは伝えるべきことを伝えるという本来報道に求められる役割にほかなりません。

呼びかけ人
石井 政之(ノンフィクション作家)
田中 俊英(一般社団法人officeドーナツトーク代表理事)
西牟田 靖(ノンフィクション作家)
牧野 佐千子(ジャーナリスト)
宗像 充(ライター)