3000mのちっちゃな山小屋 赤石岳避難小屋管理人の最後の夏【後編】

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2022年09月17日

南アルプスの赤石岳(3121m)直下に立つ赤石岳避難小屋だ。18年にわたって夏の赤石岳にやってくる登山者を見守ってきた名物管理人・榎田善行さんは、2022年を最後に、山を下りることにした。長野県側の麓の大鹿村に住むライターが晩夏の赤石岳を訪ね、榎田さんの思いを聞いた。→「前編」はこちら

文・写真=宗像 充

赤石岳。山頂のすぐ左に避難小屋が見える

「人生避難小屋」

―― いろんな方がここにみえた。

4年前に80歳のおじいちゃんが聖岳からやってきた。30時間以上かけて歩いてきたという。手帳を見ると昭和40年の「山と溪谷」の付録の黄ばんだ登山手帳。格好も当時のまま。テントもツエルトも持っていない。

翌日暗いうちに出ていった。そしたら椹島への分岐のところで寒い中レスキューシートくるまっているという。駆けつけて「ヘリを呼びますから」といっても首を縦に振らない。多分80歳近くになって、山登りを思い出して昔の装備を引っ張り出したんだね。それが遭難騒ぎになってヘリで返された。

ところがその翌年、タイツにショートパンツを着た最新の登山装備を着て、「あのときはありがとね」と、同じおじいちゃんが現われた。「お前は山をやめろ」なんて言ったけど、そのおじいちゃんはそれが2度目の山の始まりだったんだね。うれしかったよ。

榎田さん


―― 出会いはやりがいにもなりますね。

おれもそうだけど、山やっている人は、どこかいびつな人が多いんだよ。とんとん拍子のやつは来ない。だけど、そんなやつこそかわいいと思っちゃって。山って逃げ込むところなんだね。下のストレスを山にきて発散する。そしてまた都会の戦場に出ていく。強面でもちょっと心が弱い、人と接するのが下手な人がやってくる。

座って悟りを開くのは座禅。山は歩いて悟りを開くから歩禅。一歩一歩自分の人生を考えながら登る。二万歩三万歩って禅を積んでいく。人生にみんな迷っている。


―― Tシャツや手ぬぐいには「人生避難小屋」って書いてあります。

ここに来て「ああ楽しかった。よかった」って。それでいい。

「人生避難小屋」と書かれた手ぬぐい

故郷の山

―― 赤石岳、南アルプスは榎田さんにとってどういう場所ですか。

おれは地元だから、学校の校歌で、赤石、赤石、赤石って歌ってきた。ほかにかっこいい山とか高い山とかある中で、赤石って心の響きなんだよね。山奥に赤石があって、そこからいろんなものが流れてくる。そこの小屋番になれたから、すごくうれしかった。

南アルプスの小屋番は地元の衆じゃない人も多い。故郷の山を守るって意識はない。そこはほかの人と違うと思う。最初に来たときに、ここは大事にしようってそう思った。


―― 今年を小屋番の最後にしたのはどうしてですか。

体がもつまでやるっていう選択もあったと思う。でも2019年に滑落事故があったときに、40代のときは飛ぶように行けたのが、そうはいかなかった。意地になって最後までいようなんて気持ちは、その時点でなくなった。若い人に譲ったほうが登山者は安全だろうと思った。


―― 18年で得たものはなんですか。

小屋番始めたころは40代で、山岳会でバリバリやっていて、登山者を指導してやろうなんて思っていた。でも結果的にはいろんな登山者に育ててもらった。

夜中の10時ごろ来る人だって、トラブルがあって遅くなる。「遅くなったんで心配しますよ」って受け入れて、「ありがとう」って言ってくれる。それぞれに深い思いがある。常にやさしく迎えてあげなさいって、その言葉だけは小屋に残したい。


―― 山小屋をやめた後は。

旅に出る。この18年、このシーズンにはどこもほかの景色を見ていない。山屋だから、夏のシーズンにはいろんなところに行きたい。まだ行ける年齢だから、第三の人生を始めたい。

赤石岳避難小屋からの朝日と富士山

3000mのちっちゃな山小屋 赤石岳避難小屋管理人の最後の夏【前編】

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南アルプスこと赤石山脈の盟主・赤石岳(3121m)。その山頂直下に立つ山小屋が赤石岳避難小屋だ。この三角屋根の小さな山小屋には、毎年夏の2ヶ月余り、管理人が常駐する。18年にわたって赤石岳の登山者を見守ってきた名物管理人・榎田善行さんは、2022年を最後に、山を下りることにしたが、そのラストシーズンを飾ったのは、標高3000mからのツイートが招いた思わぬ炎上騒動だった。長野県側の麓の大鹿村に住むライターが晩夏の赤石岳を訪ね、榎田さんの思いを聞いた。

文・写真=宗像 充

山頂からの赤石岳避難小屋


「『この人は大丈夫か、天気予報ぐらい見てこいよ』って。避難してきた人が目の前にいるんだから、おれが一番そう思う。それが、避難小屋の親父にあるまじき言動だなんて」

赤石岳避難小屋の管理人、榎田善行さんが8月16日にツイッターに書き込むと(現在は削除)非難が殺到。榎田さんはその後、ネット番組に電話出演して釈明した。榎田さんは18年続けた小屋番を、今夏を最後に相棒の後藤智恵子さんとともに引退する。2人の引退を惜しむ登山者が、毎日赤石岳の山頂めざして2000mの標高差を登ってくる。

榎田善行さん(左)と後藤智恵子さん

「天気予報を見ているのか」

―― 7月13日の小屋開けに初めて泊まらせてもらいました。2人を慕って登ってきた登山者で酒盛りになり、智恵子さんがハーモニカを演奏する。ネットの批判とは別世界のアットホームな雰囲気です。悪天続きのお盆の赤石岳は実際どうだったんでしょう。

8月11日に台風が来るのがわかり、この山域から離れるようツイッターで流した。だけどお盆休みが始まったばかりで下りる人はいない。台風当日の13日は、山小屋の中のベンチは全部埋まり、入口付近は20人が立ったまま。カッパがずらっと並んでいるところにさらに20人の団体が来た。座敷にもブルーシートを敷いて、土足、カッパのまま上がってもらって、ストーブを焚く。智恵子さんがお茶を出し、ハーモニカを吹いた。拍手も起きたよ。

小屋に避難して一息つく登山者(写真提供=榎田善行)


14日も別の小屋で待機していた衆が来て満杯。台風一過になるどころか、それから1週間荒れた。でも下界の天気予報は14、15日は晴れマーク。盆休みを消化しようと15日は強引に登る。お盆だから、滅多にアルプスに来ない初心者が来る。山の天気は1mm程度の雨でも、風速20mだとものすごい。16日も朝早くからダダダって降ってるところに登山者がやってくる。小屋の中はビシャビシャで、水たまりができた。


―― それで、「天気予報を見ているのか」って書いたら炎上した。

午後は泊まる人が来て、休み時間がない。そんなのが1週間続いて体調を崩した。通常30人収容のこの小さな小屋に、多いときは70人も避難する。2階の寝床までブルーシートを敷いた。そんなことは想像つかないと思う。

ハーモニカを披露する後藤さん

「ガンコおやじ」最後の楽園

ブルーシートを敷くというのは、農鳥小屋の深沢糾さんのやり方を真似た。深沢さんは口は悪くて登山者の間では有名だけど、実際はやさしい。相手を人間扱いして怒ってるよ。でも第一声が「バカ!」だから。

―― 山小屋のおやじって、以前はそれが普通でしたよね。

怖かったね。入口で中の様子をうかがってから入ってみたり。以前は登山者もマナーが悪くて、石を乗っけてゴミを置いていく、ハイマツにつっこむ。毎日山頂に掃除に行っていた。それが、山ガールが現れてからは、マナーもよくて山はきれいになった。山ガールを怒れないから、いっぺんに怖いおやじもいなくなった。若い衆は素直でルールは守るし、来てくれるとうれしい。だからどんな格好でどんな時間に来ても怒んない。


―― それでもガンコおやじは南アルプスにはまだ健在。最後の楽園です。

ここも“ガンコおやじ”と“やさしい智恵子さん”でもってる。おれも、見込みのあるやつはちゃんと怒る。登山者も痛い目で終わればいいけど、それですまないときもある。必要なら小屋に避難する。

登山ってSMの世界だから。もっと早く行けとか、もっと高いとこ行けとか命令する自分がいて、それをできないなんて言いながら自分でやる。何回もそういう経験を積んで登山者として育っていく。

「世界一の山小屋」

―― 3000mの山の頂上小屋に泊まる機会は多くない。なのにここはリピーターが多い。

もう日本変態教の教祖ですよ。団体で「変態」Tシャツを買ってくれて、お盆前に800枚なくなった。登山口の椹島(さわらじま)は「変態」一色だったと思うよ。

「変態」Tシャツを着る登山者と榎田さん


以前は、登山者は山頂で引き返していたから、どうやったら小屋まで来てくれるかって考えて、売り物も工夫した。

今はみんな4合瓶とか一升瓶とか酒を担いでやってきて、手土産持ってきて宿泊代払って、その上お土産を買ってくれる。バッジも手ぬぐいも売り切れた。


―― 山にコミュニケーションを求めてきている?

ほかの山小屋だと、ご飯を食べると寝場所に行ってじっとしているしかない。ここはコの字型に座って、狭いから客との距離はゼロ。知らない人同士でもすぐ友達になる。よその山で「変態」Tシャツを着てると「あなたもそこに行ったんですか」と仲間も増える。

スイスやイタリア、海外の山に何度も行ったご婦人が、景色やロケーションのいい山小屋はほかにあるのに、「ここが世界一。こんなホスピタリティーはほかにない」とほめてくれた。その言葉に恥じないように心掛けている。


―― サービス精神にあふれてます。

「あ、いたいた。いっしょに写真撮ってください」って、もう動物園のパンダ状態だよ。

小屋開け時には宴会になった

→「後編」に続く

プロフィール

榎田善行さん
えのきだ・よしゆき/静岡県川根本町在住、67歳。49歳から18年間続けた赤石岳避難小屋の小屋番を今年で引退。清水山岳会、千頭山の会所属。二人三脚で小屋を支えた相棒の後藤智恵子さんは『ちっちゃな山小屋の夏』をKindle版で今年6月に出版した。

インタビュアー:宗像充
むなかた・みつる/ライター。1975年生まれ。高校、大学と山岳部で、沢登りから冬季クライミングまで国内各地の山を登る。登山雑誌で南アルプスを通るリニア中央新幹線の取材で訪問したのがきっかけで、縁あって大鹿村に移住。田んぼをしながら執筆活動を続ける。近著に『ニホンカワウソは生きている』(旬報社)、『共同親権』(社会評論社)などがある。

単独親権民法を失効させよう

一連の国賠訴訟判断で得られたもの

2022年12月22日に、原告側が申請して、原告6人と鈴木博人教授(中央大学・民法)、濱野健教授(北九州大学・社会学)、ティエリ・コンシニさん(在外フランス人議会議員) の3人による共同親権訴訟の証人尋問が開かれる。今年新しくなった裁判長も含めて、裁判所は本訴訟で訴えた現行民法の矛盾や論点について関心を示していることが、比較的柔軟な手続き進行を見ているとうかがえる(と思う)。

この間、親権問題について提起された国賠訴訟の結果が出はじめている。9月28日には、作花知志弁護士が代理人となった、共同親権訴訟の国賠訴訟で上告棄却の決定が出ている(敗訴確定)。11月28日には、同じく作花弁護士が代理人の自由面会交流訴訟において、原告の訴えを棄却する不当判決が出ている。

また、12月13日には、松村直人さんが訴えた、共同親権時であるはずの婚姻中に、親権の調整規定がないことについて、立法不作為を訴えた国賠訴訟の控訴審判決が出ている。

これら一連の判断は、選択的夫婦別姓を求める立法不作為の国賠訴訟と同様、婚姻制度内における男女間の不平等について主要な争点としている点で、婚姻内外の不平等について正面から問うた、ぼくたちの共同親権訴訟とは判断の枠組みが違ってはいる。

それでも、親子関係に人格的利益を認めたり(作花共同親権訴訟1審判断)、親権者に面会交流を許可する権限がもともとあるわけではないことに言及したり(自由面会交流訴訟1審判断)と、訴訟を提起しなければ放置されていただろう、司法の運用について歯止めをかける内容が含まれている。


「親権のドグマ」現行民法、司法運用の矛盾点

また、子どもが「会いたくない」と言いさえすれば、素直に面会交流を義務付けることをしないできた司法が、子どもが親と会うのを希望したところで、その実現について義務がないことを言及するなど、明らかに現行の運用について矛盾した内容の判断を司法は示した。
12月には最高裁は、子の引き渡しに応じない親に対して、子どもの拒否感情を理由に強制執行を否定した高裁判断を覆した。

この間、子どもの意見表明権と子どもの自己決定権について、混同してきた司法判断は修正を迫られている。混同するのは、子どもの意見を悪用することで、子どもに会えない親の権利性を否定して差別してきた司法の運用が、徐々に白日のもとにさらされるようになってきたからだ。

何よりも明らかになってきたことは、親権者の権利濫用を放置することが「親権のドグマ」であり、実際は国の親の養育権への過剰介入にほかならないという、単独親権制度のもとで隠蔽されてきた事実がばれてきたことだ。

共同親権時の婚姻中に、親権の調整規定がないことについての立法不作為を問うた裁判では、母の安定を損なうことが子どもの利益にならない、という母性神話のもと、子の養育から排除された父親の権利侵害を無視している。そこでは、たとえ婚姻中の共同親権であったとしても、双方の意見一致ができない場合は、片親の関与を奪うことこそが子どもの利益であるという、まさに親権の調整規定がないことによる問題自体が、利益として捉えられている。


単独親権民法を失効させよう

しかし、このような解決策しか法が用意していないことを明らかにしたこと自体が、親の養育権を損なう事態であり、おちおち男女がセックスして子どもを作れない、という実態を暴いていっている。
一連の国賠訴訟が提起されなければ問われなかった法の欠陥であり、そしてそれこそが共同親権訴訟が問うているものだ。

現在、法務省は民法改正案について2月17日を末日にパブリックコメントを実施している。この中間試案はまとまりのつかないものであり、改革案も不十分なものであることを指摘してきた。

この中間試案にとらわれることなく、廃止を求めてきた単独親権制度で感じる違和感をその理由とともに書けばいいと思う。何より、共同親権訴訟で違憲判断を勝ち取ることで、現行単独親権民法を失効させること。ぼくたちの訴訟は、単独親権民法によって守られってきた法律村の牙城に対して、民法改正のための橋頭保にほかならない。(2022年12月14日 サイト「そうだったのか 共同親権」コラムから)

「2027年リニア開業が困難」は静岡県のせい?トンネル掘削の現場でみたグダグダ

宗像充

下流は村の中心地。大崩壊地の基部に、盛り土を設置

 リニア南アルプストンネル(25㎞)の長野県側の掘削地、大鹿村で10月11日、村内の残土置き場計画についての工事説明会が開かれた。この計画は、大鹿村から排出される残土300万㎥(東京ドーム2.4杯分)のうち、27万立㎥米を小渋川の河川敷に置くというものだ(事業主体は大鹿村、施工はJR東海)。

 筆者はこの残土置き場の川向の高台の集落に住んでいて、下流部の住民ではない。それでも、この計画が2018年頃から取り沙汰され始めたときには驚いた。

 というのも、この残土置き場は河川敷というだけでなく、過去に大崩壊を起こして下流部への土砂崩落を防ぐために、長年にわたって林野庁が治山事業をしてきた場所(トビガス沢)の基部だからだ。下から上までみっしり作られた堰堤を対岸から望むことができる。

 村がこの盛り土計画を最初に筆者の地区の住民懇談会で持ち出したとき、「無茶だ」という声も出た。下流には小学校や福祉施設、村役場など村の中心施設が集中しているからだ。

 当日の説明会では、下流域の住民から「小渋川上流が地滑りの巣だ」との指摘があり、反対の声が出た。記録破りの大型台風が次々にくる中、河川敷に固定物を作れば、土盛り自体が崩壊しなくても、上流の土砂災害で流路を妨げてしまうおそれがある。その結果堰止湖ができて、それが崩壊すれば被害が増すのではないかというものだ。

ダンプカーとのすれ違いは1分に1台以上

 こうした住民の不安に目をつぶったとしても、村がリニア建設事業者のJR東海にこの盛り土計画を自ら持ちかけたのは、村から隣町に出る一本道の県道を通過するダンプカーの通行量を減らすことが「環境対策」になると考えたからだ。

 通勤・通学だけでなく、自家用車で山間の大鹿村から天竜川沿いの市町に買い出しに行く住民は多い。村から天竜川沿いまで出るには、一本道の県道を30分もかからないが、その間擦れ違うダンプカーの台数は毎回40台以上になっている。小渋川沿いの道は所々一車線になるため、1分に1台以上のダンプカーとのすれ違いは非常に緊張する。筆者も買い物の回数を減らした。

 ダンプカーは土曜日も運行されているので、観光関係者や議会からも土曜運休の要請が出されている。しかしJR東海はスケジュールを重視して応じていない(観光シーズンに部分的に運休している)。当日も「土曜運休に期待して、それが実現すれば工事実施もやむなし」という声もフロアからあがった。生活を人質に取られ、我慢を強いられている形だ。

開業予定の2027年まで盛り土工事が続く

 かつて崩壊した場所の基部に盛り土をするにあたって、同様の事例を検証したのかと聞くと「していない」という。この前例のない事業に、村やJR東海が構造物の堅牢さや管理体制を強調すればするほど「それほど対策をしないと維持できないような場所に置くのか」と逆に心配になってくる。

 そんな中、受け取った資料の中に明記された「今後の予定」の部分にふと目が止まった。盛り土工事のスケジュールが「2026年度」まで続くことになっていたのだ。

 これまでJR東海は「静岡の工事が遅れているため、2027年の開業には間に合わない」と繰り返し、この日も古屋佳久・長野県担当部長が同様の説明をした。

 しかし長野県側の大鹿村でも2026年度の盛り土工事終了というのでは、2027年3月まで掘削工事が続いている計算になる。さらにJR東海はトンネル掘削後、ガイドウェイの設置や試運転までに2年かかると説明している(昨年12月の県内市町村との意見交換会など)。

 大鹿村には掘削口となる坑口が4か所あり、地元で生活していると、工事の進捗状況が具体的にわかる。2015年秋着工の予定だった「釜沢非常口」は、保安林解除の地権者交渉などでつまずいて、5年遅れの2020年3月に着手した。その後豪雨災害に遭い、半年以上工事が止まった。

 建設工事に不慣れなJR東海の工事は万事こういった感じだ。1年前の岐阜県中津川市でのトンネル死亡事故以来、未着手区間の工事開始の数日後にトンネル事故が発生して工事が止まるといった事態が繰り返されている。

 残土置き場についても、計画路線で全部の置き場が決まったわけではないし、各地で盛り土への警戒感が高まり、反対している地域もある。

工事の遅れを静岡県のせいにしている!?

 筆者は2020年に実際のトンネル掘削の進捗状況を根拠に、「開業は早くても2031年以降になる」との計算式を記事にしたことがある。JR東海のスケジュールも、筆者の予想に徐々に近づいている。トビガス沢にしても、土を置きはじめるのは2024年からで、JR東海の主張に沿えば2年間は土曜運休も不可能だ。

 そこで「開業まで1年足らずで間に合うのか」と問うと、JR東海は「(ガイドウェイ設置と走行実験を)並行してやる」という苦しい説明をした。

「静岡県が進まなくても、他の部分では遅らせることができない」(古谷氏)というJR東海の理屈は、杜撰な計画のツケを静岡県のせいにするための方便だった。ここまで工期の遅れを隠すのを見ると、完成するのかどうかすら疑わしくなってくる。

住民に周知されず自由に発言ができない、形だけの説明会

 それが如実に表れたのは、この日の説明会の持ち方だった。議論をさせないのである。以前から説明会では、村役場の職員が役場の作業服を着て後方の席に座っていた。2026年の工事開始から6年目となり、リニア作業員の中にも村に住民票を移す人が出てきている。今回は別の作業服姿の人が後方の一角を占め、30席ほどが埋まっていた。下流域にも影響を及ぼしかねない事業だというのに、村外の人の発言を司会(長尾勝副村長)は禁止している。

 それどころか、今回は「説明会がある」ということについて回覧による案内もなく、ウェブサイトでの掲示もない。「村内放送で流した」というが、筆者も含めて聞き逃す人は多かっただろう。

 結果、前のほうに座っていた10人ほどの住民の中から数人の挙手があったにすぎない。筆者が手を挙げて発言しはじめると、質問はしない顔見知りの住民から「名前を名乗ってください」と遮られた。

 終了間際に再び筆者が手を挙げると、「長くなったので閉会の動議を出したい」と発言する住民がいた。「嫌なら帰ればいいじゃないですか」と問い返すと、前方の住民の半分以上が退席していった。その間、前述の「名乗れ」発言時と同様、村の執行部(熊谷英俊村長)は住民同士が対立している事態をそのまま放置していた。

「本当にリニアができるのかどうか、住民は不安を持っている。ぼくたちを説得するのは、あなた方進める側ではないか」と、筆者は「スケジュールありき」の事業のあり方を批判した。

 その2日後、リニア報道で日本ジャーナリスト会議賞を授与された『信濃毎日新聞』は、「(住民の)理解を得られた」という熊谷村長の談話を記事にしていた。

文・写真/宗像充

法制審議会中間試案は出来損ない

法制審議会家族法制部会の中間試案が出て、3か月前と大して内容的に変わりがない。

 この審議の経過を議事録などを通じて見ていて、中間報告が取りまとめられる前の段階で「出来損ない」とぼくは批判してきた。仮にも多くの人に見てもらって意見をもらうのが前提だとすると、選択肢を羅列しただけで何が言いたいのかわからない報告は「出来損ない」だ。自民党の法務部会が3か月前に注文を付けた理由の一つに「わかりにくい」というものがあるということが報じられている。

 このレポートを例えば一冊の本だとする。

出版社が、これこれこういう企画のものを作りたいので、一冊まとめてくれませんか、と作家に注文する。担当編集者の法務官僚が作家の法制審議会に企画を持ち込んだ。ところが、作家は何言ってるんだかわからない散漫な原稿しか書けず、担当編集者は「まとまらなかったんですよ」と大株主に持ち込んだ。大株主は「何言ってんだかわからない」「時流に遅れている」とか色々意見が出たらしい。政策は商品なので、売れそうにない商品には注文くらい付けるだろう。この会社では編集権の独立とかはないらしい。もちろんそれ自体が問題かもしれないが、みんな知ってて黙認してきた。

ところが今回は「まかされたんじゃないのか」と作家も機嫌を損ねた。この時点で担当編集者はとにかく出版にこぎつけるために善後策を考え、見やすい図表を入れるから程度の説明をして大株主の了承を取り付けた。編集者も大株主も、社長も作家も責任をとりたくない。で、この商品は売れるでしょうか?

 出版のごたごたが外に漏れ出てそれでも同じ社で出す商品は、際物としての価値はあってもその時点で傷物だと思う。どうでもいい会社なら勝手にやれば、と思う。ところが自分は、その会社の出版物の定期購読者(会員)でもあるので、口を出すぐらいの権利はある。もっといい企画もあるでしょうと提案ぐらいはできたりする。

ところが、出来損ないでも企画取りやめよりまし、お前なんかただの会員だろ、と商品化を焦る連中も出てくる。「今の時点であなたの企画は通ってないんだから、会社を私物化しないでくれ」と、組織擁護のために口封じに躍起になる人間もいる。強制加入の会員みたいなもんだから、そこまで義理立てする理由もない。

しかし、しょうもない企画のために購読料(税金)が無駄になるのも嫌なので、自分の企画を実現する方法も前々から準備している(共同親権訴訟)。「ぜひ購入したい」という声が高ければ、この商品は早々に世に出るだろう。

JR東海村 

 今年の田んぼは友人知人に応援を頼んで、総勢9人で6畝に実った稲を刈ることができた。

 以前は2人で何日かかけてしていた。昨年は一人で田んぼができるか不安だった。不作だったものの手伝いを得ながら一人でやる段取りを何とかつけて一年を終えた。

今年は田んぼは6回目。一人でするのは2回目で少しは慣れてきた。東京から来てくれる人もいてほぼ1日で刈り取り、翌日稲架に掛けて終えることができた。やっぱり人数は大きい。水持ちのよくない手がかかる田んぼだけど、ワイワイみんなで賑やかに作業をすることは以前ならできなかっただろう。そこそこ実ったかな。

 

 ある朝、二軒上の畑に文満地区の村営住宅から通う北川さんがうちに立ち寄り、今日トビガス残土置き場についての住民説明会があると知らせてくれた。

「え、今日なの。回覧来てないよ」

 トビガス沢というのは、うちからも小渋川を挟んで向かいに見える大崩落地のことだ。林野庁が長年にわたり崩落防止の堰堤工事と緑化のための植林を続けている。その基部の川沿いに崩落した土が溜まっている。大鹿村が村内に残土を置けば、松川町に出る県道のダンプの通行量が減らせるという、JR東海の口車に乗って、そこに残土置き場を置いたらいいんじゃないかと村が言い出したのが2018年ごろ。

地区の住民懇談会でも「無茶だ」という声が出て、いろいろ疑問も出たところ、村は県の専門家会議に検討をしてもらって、堅牢な構造をJRが提案し、お墨付きをもらって説明会に臨むつもりだったようだ。

 説明会をするというのは新聞記事に出ていたので知っていたけど、日付は隠していたらしい。村のホームページを見ても載っていない。今までは回覧をしていたので、反対派対策として、なるべく周知しないように説明会を開こうとした。姑息だ。

 夜7時に説明会に行くと、ひな壇のJRの連中と村長以下4人、それにフロアの席は作業着姿の人たちで後ろのほうから埋まっていた。今までも村役場の人たちが村長に言われて来ているのはあったのが、はじめて業者の作業着を来た一群がいた。というわけで、工事と無関係の住民は、前方のほうに10人かそこら座っているだけだった。

 JRの説明の後手を挙げて「中身に入る前に」としゃべりはじめると、いつも反対の質問のときに妨害してくる住民が「名前を言ってください」とすかさず発言。周知について聞くと同朋無線とホームページで周知したという。「ホームページには載ってませんよ」と言うと新しい村長の熊谷英俊さんはオタオタしていた。

すると先ほどの住民が「同朋無線を聞くのは義務だろ」とまた妨害してくる。「なんでそれが義務になるんですか」と言い返すと、「安全のための無線を聞くのは義務だ」とかなんとか言っている。同朋無線を聞かないと住民を見殺しにする村、大鹿。

 ちなみに似たやり取りを昔ホームページに書いたところ「宗像がホームページで『役場のイヌ』と呼んでいる」という噂を立てられたことがある。今回は何と言われるかな。

 結局、前に座っている10人ほどのうちの半分も、動員されてきたというのがわかったのは終わり間際だ。

ぼくが9時も過ぎて何度目かの質問しようとしたら、もう一人が手を挙げたのでマイクを渡した。「もう長いので終了の動議を出したいです。質問は紙に書いて後で出せばいいんじゃないか」と言い出した。「そりゃおかしいでしょ。聞きたくなければ帰ればいいじゃないですか」というと、ぞろぞろと右半分に座っていた住民が退席していった。

以前「無茶だ」と言っていた人も、「じゃあ帰ろう」と聞えよがしに言っていた。リニアに反対してきた人だけに、こういうのは本当に傷つく。村内に残土を置いて土曜のダンプ運行が止まるなら受け入れやむなしということのようだ。

ところが、この日配られたJRの配ったスケジュールでは、2026年度(2027年3月)までの残土運搬が明記されていた。かねてからJRは、トンネル掘削後、ガイドウェイの整備に1年、走行試験に1年、計2年がかかると言っていた。開業が間に合わないのを静岡のせいにするのはうそだったし、スケジュールを強調して住民に我慢を強いるのも作戦だ。都内のシールドが止まっているのを指摘して、北川さんは中断を求めていた。

計画は学校や福祉施設、役場もある村の中心部の上部の河川敷に残土27万㎥を置くものだ。村やJRが設計や管理維持体制の万全さを言えば言うほど、「そんな危険なところに置くなよ」という思いが強まる。ほかの住民も河川内の構造物が、土砂災害時に堰止湖の役割を果たし、下流の被害を大きくする可能性を指摘した。管理維持の責任を負うJRが存続しなくなったらどうするのかと聞くと「村が責任を負う」と村長が言って、そうじゃなくてJRの後継団体が引き継ぐようにすべきでしょう、とほかの住民からも口を開き、JRが今度は善処を表明する。

JRがトンネルから出て行き場所もないままに仮置きしていた、ヒ素などの入った有害土について、村内に置かないように求めると、また村長が、有害物質も薄めたものは人体が日ごろから摂取している、安全対策が十分なら引き取ってもいいと言い出す。深く物事を考えずに、調子を振りまくのが身についているようだ。

後日、用意した文書を読み上げて、残土置き場の危険性を指摘して反対した方の家を訪問した。「久しぶりだなあ」と言われて「入口は閉めたほうがいい」とパイプ椅子を用意してくれた。「ぼくも久しぶりにチラシを作ろうと思って。先日の発言を載せさせてもらえないかと……」

この残土置き場は危険なものだ。説明会でも質問したが、村は他の同様の事例を調べてもいない。ぼくは下流部の住民ではないけど、つまり前例のないバクチに住民を巻き込もうとしているのはわかる。でも正直、この2年ほどは村内のことについてやる気にならなかった。

役場がからむと、本を資料館から撤去させられたり、印刷機の貸し出しができなくさせられたり、いろいろ嫌がらせを受ける。リニアのことで出会っていっしょになった相手に、2年前にポイと捨てられているのでダメージは大きかった。南アルプスの自然破壊には発言したけど、越路を出すだけで精いっぱいで、村内のことで自分が役に立とうという気が起きなかった。

そうはいっても、助けになってくれる人も村にはいるので、知っていることやいろんな意見があるということは、伝えておこうかと出向いたのだ。

ぼくの意見とはまた違うことをひとしきり口にして、その方は、説明会で読み上げた手書きの文書を手渡してくれた。

(「越路」30号、たらたらと読み切り170、2022.10.17)

山の大鹿

「何キロあるんですか」

 行き違ったり、追い抜いていったりする登山者が、背負子のビールの箱を見て声をかけてくる。昨日は余裕があったのが、今日は最初のうちこそ答えていたけど、だんだん面倒になってきて無言になる。

 三伏峠へのヘリの荷上げが遅れ、三伏峠小屋のビールのストックがなくなってきているという。山小屋のビール飢饉解消のためにレスキューに向かう。

コロナで開店休業状態だった山小屋も、今年は営業再開になり、山の日の連休前の駐車場も車であふれていた。山小屋バイトの仕事も声がかかったけど、田んぼの水の管理のために長期で家を離れられなかった。荷上げはキロ単価なので持てば持つほど稼げる。

そうはいっても重い荷物とか最近持ってないので、初日は20㎏を荷上げした。ほかの登山者に遅れることもなく峠に着いた。途中、「ボランティアですか」の質問に「ボランティアでビールは運びません」と答える。山小屋で酒なんか買う登山はほとんどしたことはないので、山小屋にビールがなければないでいいと思う。でも感謝もされていい気になって任務終了。

家でビール飲んで寝ようとしてたら翌日も行ってくれという。というわけで、調子にのって前日より10㎏増やして歩きはじめると、全然ペースが上がらない。背負子のジョイントが壊れている上に、途中、一番下の台座にしてた発泡スチロールが壊れて荷崩れを起こし、ビールが箱ごと落ちていく。幸い中身は無傷だったものの、そんなこんなで、バスで下りた登山者には全員追い越され、よたよたしながらやっと昼過ぎに峠に到着。邪魔だから歩荷にストックは2本もいらない。

 三伏峠への登山道は、ところどころ桟道っぽくなっているところがあるけど、木が痛んでいてあぶなっかしい。村役場は村長が替わって議員に質問されたのもあってか、南アルプスの登山をもうちょっと盛り立てようという気になっているそうだ。

伊那谷の登山シーンで大鹿村は圧倒的に負け組だ。百名山を3つも抱えているにもかかわらず、登山道はどこも荒れていて、登山客誘致の導線もインフラも発想もない。唯一登山客が大勢来るのが三伏峠への登山道で、ここは村が管理に手を挙げて整備するのだという。無粋なことに短管が登山道脇に置いてあって一応やる気の片りんを見せていた。塩川から三伏峠に登る道は10年近く放置したままだし、登山客は村を素通りして鳥倉林道の登山口に車を置いて山に登る。登山者は山小屋以外はまったく村の人には無関係な存在だ。

 だいたい、議員や村長がやる気になったところで山に登りに来たりはしない。役場に行ったときに産業建設課の課長に呼び止められ、お金出すから村の中の登山道を見てきて写真撮ってきてほしいと言われた。お金はいらないけど、善意で見てきてあげます、ということであちこち登ってみた(レポートを出すと出してくれた)。なんでも南アルプスの観光振興の委員会も作るから委員にならないかと言われたけど、「役場にはいろいろ弾圧を受けましたから」と言っておく。

 大西山、塩川登山道、鬼面山、それに雑誌の取材もかねて北条坂、越路と毎週のように村の山の中をあちこち歩いた。鬼面山のように2百名山になっている山は、村外からくる人の動機もあるけど、ほかの山や道はほとんど登山者が来ないので荒れる一方だった。

それでも、北条坂や越路は、造林とかで歩く人もいるのか踏み跡程度はトレースできた。道を整備すれば管理責任を問われる世の中なので、ワイルドさを売りにするのだろうか。

大鹿村から望む赤石岳は、南アルプスの盟主というのに、長野県側から登るルートは小渋川を何度も徒渉する道で敷居が高い。おまけに3年前の豪雨で林道が崩落し、登山口の湯折まで歩いて至るのも神経を使う個所がある。小渋川の先には村所有の広河原小屋がある。役場は放置している。山仲間のS君と雑誌の取材も兼ねて梅雨明けに登りに行くと、広河原からの登山道の倒木や灌木の枝による荒廃ぶりに唖然としていた。

山頂に着くと、小屋番の榎田さんたちは18年間の小屋番を今年最後にするという。同じ村内だというのに泊ったことはなかった。夜になると登山客と宴会になってハーモニカを吹いてくれて愉快な山小屋だ。

今回山岳信仰の雑誌の取材で山頂の遺構をあらためて見てみた。細長い岩を剣山のように立てたのは、大鹿村の行者がしたのだろうと榎田さん。

「だけどこの18年間で大鹿村から信仰登山とかで登って来たことはないよ」

 榎田さんに聞けば、大鹿村から登ってきた登山者も数えるほどだ。

「赤石岳は長野県側の山だと思う。小屋番も本当は大鹿村の人がしてくれたらいいのに」

 という言葉に返す言葉がない。

「7月に小渋ルートは登らない。明日は気を付けてくれ」

 と言って榎田さんが紹介したエピソードは、二人連れの登山者が軽装で小渋川から登ってきたときのものだ。

翌日は雨だったため、榎田さんは二人に3万円を貸し、三伏峠から回って下山するように忠告したそうだ。二人は助言を聞かずに小渋川に下り、広河原小屋まで来て濁流の中の下山は不可能と思ったようだ。一方で稜線までの急登を引き返す体力もない。こういう場合水が引くまで待つしかないのだけど、二人は下山し、一人が流されて死亡した。生き残った一人から直接榎田さんが聞いた顛末だという。

S君と二人でビビりながら雨の中下山する。

 

 村役場も、このルートの再開には、小渋川の徒渉ルートを迂回する旧左岸ルートの整備が欠かせないと念頭にあるようだ。いっしょに行ったS君も、「徒渉はあってもいいけど迂回ルートがあって最小限にしないと一般登山者は呼べない」と冷静に評価していた。

 そんなわけで、最後の課題の迂回ルートを見に行った。七釜橋の右手のルンゼを登ると、左側にテープが見えて、トラバースルートの入口が見つかった。その後も獣道程度の踏み跡が、テープとともに続いていて、たどっていくことができた。

 それが大きく沢がざれているところを高巻きし、もう一本沢に来たところで対岸の道は期待できそうにない。この沢を下ることにした。案の定途中で滝を下れなくなり、こういう場合のセオリー通り引き返して七釜橋に戻ろうとすると、今度は来た道の目印を見失う。ずっと上部を高巻して、枯沢から下ると七釜橋の下流の小渋川に出た。

初見のルートはいつも冒険だ。誰も来ないところだけに、相当心細い登山だった。ある意味、南アルプスに似合う登山だったかなと、ちょっとだけ思う。(越路29号、2022.8.31)

拝啓信濃毎日新聞様 共同親権議論 与党の「横やり」批判は一方的

自民党の政治介入を批判して、議論を急がないように求める信濃毎日のワガママを指摘したら、不採用になりました。

https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022090400585

 9月5日付社説で、信濃毎日新聞は、法制審議会の議論への与党自民党の横やりを批判した。ぼくは、2019年に現行単独親権制度の違憲性を訴えて、国を訴えた親の一人だ。娘に会うために家庭裁判所で5度裁判をし、月に1度4時間娘と会う決定を得たが、守られることなく家裁自身がその決定を取り消した。

多くの子どもたちが親の都合の離婚をきっかけに親を奪われる現状は忍びないと、親として立法不作為を主張しているが、ぼくたちは迷惑な存在のようだ。何しろ、論説で慎重な意見の根拠とされるDVや虐待の認知件数は、毎年過去最高を記録している。現行制度がその抑止になっていないのに、それをぼくたち子と会えない親個人のせいにされている。

 法制審の独立が望ましいのは明らかだが、法制審の24人の委員のうち3人が裁判官出身だ。委員には同居・別居各ひとり親団体の代表者がいるが、それぞれ記者会見を開いて自説を主張している。こういった「お手盛り」や「スタンドプレー」の放置は法制審の政治化を招いたが、与党の介入だけが問題だったのか。

 この問題については海外からの現行制度への批判に与党が答える要請が大きかったと思う。信濃毎日の論説はことの本質を見落としてはいないか。(2022.9.6)

立ちすくむメディアたち 別居親アンケート、手づくり民法草案発表記者会見

男性の被害実態をメディアは暴けるか?

 8月8日に、司法記者クラブで別居親に実施したアンケートと、手づくり民法草案(大鹿民法草案)を公表した。合わせて共同親権国民投票の提案をした。

 別居親アンケートは、北九州大学の濱野健さんに協力いただいて実施したもので、全国から742人の回答者を得て、そのうち573人の別居親の回答を集計している。国が別居親の実態調査をしない中、初の試みである。

 当日は20社ほどが会見場の席を埋め、立ち見も出た。アンケートの集計結果で目を引いて記者の質問も出たのは、別居親のDV被害割合が7割(精神的65%、身体的26%)というデータだ。というのも、このデータはシングルマザーの団体が一月前に同じ場所で会見をした同居親のDV被害の割合(71%が「侮蔑や自尊心を傷つける」、67%が「にらむ、どなる、物を壊して脅した」、28%が「拳などでなぐる」など)と大差がないからだ。

 質問した記者の一人は「衝撃的」と感想を言っていて、「DVは支配、被支配の関係では」と口にした記者もいた。それに対して「DVは相互的なものが多い。現場の実態から見れば当たり前の結果」とぼくは念を押している。

パワーコントロールによって生じる現象をDVと仮に呼んだとして、パワーなんて、男が腕力があったところでいつも行使できるわけではないし(「そういうところがDVよ」となじられている男性は多い)、女も口が立てば性や子どもでも武器にすることはできる。そんなの自分が結婚してなくても、親の関係を見て育てばちょっとは想像できそうなものだけど、会場全体を覆っているのは、「思考停止」だった。フェミニズムの理論に男女関係は収まらない。

「どっちも被害者」

 別居親は男性が大部分なのだけど、男性もまた被害者だという事実にうろたえて、「設問の仕方は」とアンケート結果を疑ってきた人もいた。そういう疑念も生じるだろうと、国のDV調査の設問と同じ項目で聞いている。男性の被害実態はようやく最近メディア報道されるようになってきたけど、別居親の被害割合の高さは想定外だったのだろう。よっぽど、同居親の側の「私たちは被害者」キャンペーンが浸透しているというのがわかる。「支配被支配の関係」なんていう、男性側を加害者としてしか想定しない概念は法制審議会でも登場している。検証もせずにイージーに使っていただけのことだ。男らしさは被害実態を水面下に沈めてきた。

記者たちがどう解釈したらいいのか戸惑っているので、「どっちも被害者なんですよ」と説明しておいた。もちろん、同居親側にも別居親側にも加害者はいる。関係性の中で生じる障害がDVなら、加害・被害を峻別できると考えて、男性側を推定有罪にしてきた報道が間違っていただけのことだ。

まだ記事になっていないけど問い合わせはある。新しい知見が得られただけのことだけど、今回のデータを踏まえて、メディアが過去の報道をどのように意味づけるかが興味深い。単独親権制度が被害者を作り出してきただけのことだ。

「ぼくたちもひとり親です」という説明に、記者たちはキョトンとしていた。

子どもの視点がないのでは?

 ぼくたちが作った民法改正案に、そんな質問も出た。具体的ではないので、「そういう質問が出ること自体、(男性が子育てにかかわるのは過剰な権利主張という)性役割にとらわれているということではないでしょうか」とやんわりと答えた。釈然としない中、何を聞いていいのかわからないもどかしさが伝わってきた。

養育費と面会交流の問題で親権の問題ではないのでは、という疑問も出ている。であればなぜ親権が問題とされているのか。決定が遅れて不都合が生じる(そんな割合は実際には小さい)なんていう「お前たち迷惑だ」発言には「ぼくたちも人間です」と答えるしかない。

 メディアも賛否の主張を紹介してきたが、これまでの議論で人々が知りたがっているのは、「現在の制度が子どもの奪い合いや親子生き別れを促しているなら、なぜそれを変えないできたのか?」、「共同親権でDVが継続するという批判は本当なのか?」といったところではないか。

後者の批判が当たらないことは、海外に目を転じることでわりと説明可能だし、今回のアンケート結果はそれを補完するものだ。前者は家制度や養育費ビジネスの産業化、硬直した官僚組織など指摘できると思うが、報道機関の色分けによってどこに力点を置くかは変わるだろう。自分たちで検証した結果を書くことが議論を促すことにつながると思う。「あの人はこう言ってる、この人はこう言ってる」なんて報道は読者も飽きてきた。

 法務省の中間報告については、ここでは深く言及しないが、子どもの視点ということでいれば、監護者指定において「子どもの最善の利益」をどのように設定するかで事務局は悩んでいた。当たり前だ。そんなことはできるわけがないんだから。

「子どもの意見を尊重しているかどうか」というのを基準にしようとなると、親の責任を子どもに押し付けることになるし(子どもが子育てをするわけではない)、「子どもが会いたくないと言ったから」という理由で引き離しを正当化する、現在の虐待司法を追認することになる。

どの子も親から愛されたいと願っている。そのための最低限の条件は、司法の判断基準を養育時間における機会均等を置くことしかないではないか。双方の親と満足に触れ合える経験を子どもに確保するのは子どもの権利だ。それは親の側から見れば男女同権ということになる。

これが我田引水に見えるとするなら、それこそ性役割にとらわれていると言えないだろうか。

「国民投票で白黒つけるなら、メディアも書きやすいでしょう」と付け加えておいた。(2022.8.15)

拝啓 信濃毎日様「パパもママも」は当たり前のこと

信濃毎日に投書(不採用)。間違いを認めない新聞。

信濃毎日新聞の社説「離婚後の親権 子どもの権利軸に議論を」を読んだ。

https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022072101063

ぼくは、婚姻外の単独親権制度を残す現行民法が憲法違反であり、国の立法不作為の責任を問うた共同親権訴訟の原告の一人だ。

「家父長制の下で親の強い権限を認めた戦前の民法の規定がほぼそのまま残った」と社説は言う。実際には1957年の日本国憲法の施行によってそれまで父にあった親権(単独親権)を婚姻中のみ共同親権にした。婚姻外の単独親権制度こそが家父長制の名残だ。事務手続きが遅れたので、58年の新民法の施行前「日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律」が暫定的に施行され、このときは婚姻内外問わず共同親権となっている。当時、大阪家庭裁判所家事審判部は「苟も保護を要する子供に対しては原則として全ての親に親権を与え、専ら子の利益の中心にことを考えようとした」(決議集)とこれが子どものための改革であることを述べ、「両性の本質的平等旧来の家族制度の打破」が目的としている。

子どもは両親から生まれるのが当たり前であり、それを保障するのが共同親権だ。海外でも共同親権は主流であり、DV施策は日本より刑事介入が徹底している。信濃毎日の主張は、男女平等に反するのではないか。(2022.7.23)