家族は誰のためのもの?

共同親権への周知の広がり

 共同親権訴訟、2月17日の第7回口頭弁論に先立ち、原告と仲間たちで毎回、家庭裁判所に申し入れた後、地方裁判所前で街頭宣伝をする。東京家裁では前回から、1階受付で所長に面談を申し入れると、総務課長と管財課長が降りてきて要望書を受け取り、その場で意見交換している。課長たちの見解を求めても押し黙るのはこれまでと同様だけど、所長や裁判官との意見交換を求めつつ、「運用は不公正」「親子関係を維持するのに何度も家裁に来る現状は税金の無駄」と伝える。

 この間、共同養育支援議連会長の柴山昌彦議員が2月3日の議連総会終了後、報道陣への説明で、「一方の親の子どもの連れ去りについて、これまで『法に基づき処理』の一辺倒だった警察庁が『正当な理由のない限り未成年者略取罪に当たる』と明言し、それを現場に徹底すると答えた」という(牧野佐知子2022.02.05)。
  その後、2月10日のネットでの討論番組(ABEMA TV)で、議連の梅村みずほ議員と共同親権反対の論客、NPOフローレンス代表の駒崎弘樹が「連れ去り」をめぐって議論。ひろゆき氏(2チャンネル創設者)や北村晴男弁護士が動画で実子誘拐や共同親権に触れ、キリスト教会のサイトで親子引き離し問題への取り組みが語られるなど、当事者以外の人が共同親権について発言する機会が増えてきた。

「知られれば賛成が増える」

一方、裁判所前でのチラシ配りでは、同じ時間帯にチラシを配っていた団体の方から「共同親権って何ですか?」と聞かれている。世論の関心が徐々に高まる一方で、まだまだ行き届かない層が存在する。内閣府の世論調査(2021年10~11月)では、離婚後の単独親権制度については89・4%が「知っている」と答え、「知らない」の9・3%を大きく上回った。
 調査では、離婚した父母の双方が未成年の子の養育に関わることが、子にとって望ましいかの質問に、「どのような場合でも望ましい」が11・1%、「望ましい場合が多い」が38・8%で、全体の半数を占めた。「特定の条件がある場合には望ましい」(41・6%)も含めると9割を超えた。この結果から、「知られれば賛否が割れる」ではなく、「知られれば賛成が増える」ことが予想できる。当事者が声を上げ続けることは、世論を作るにおいて必要最低限の条件だ。

国のための家族? 個人の幸せのための家族?

 訴訟では、裁判所が積極介入する形で論戦が続く。現行民法の不平等を訴える原告に対し、裁判所は何と何が差別なのかと特定を求めた。原告側は民法818条3項の「父母の婚姻中は」共同親権とする規定(つまり婚姻外は単独親権でなければならない)が、法律婚とそれ以外の親子関係を差別するものである(つまり法律婚でしか共同親権が認められない)と主張している。
これは、親権のあるなしでの不公平の主張とは意味合いが違う。子どもが両親から生まれる以上、親子関係の固有性は、結婚という枠組みに本来収まらない。親権がないのが不公平だとすると、国が認めることで生じるにすぎない権利となり、天賦人権とは言い難い。それは、離婚はOKで未婚はダメとか、二級市民間で目くそ鼻くそ的に罵りあうことにもつながる。逆に、国が認めなければ親子関係が法的な保障されないこととなれば、国に適合的な家族の形を「正社員」になるために整えなければならないということになる。
 単独親権制度ベースに共同親権を婚姻中にだけ一部適用しているというのが現状だ。その正社員の証として同じ姓の戸籍に所属でき、共同親権が特権的に形式上与えられる。この単独親権制度=家父長制が維持され、国が求める家族の形を整えるために、親たちもまた、世間から後ろ指刺されないように子どもを鋳型にはめ続ける。共同親権運動は、国のための家族制度、親権制度から、個人が幸せになるための手段として家族を位置づけなおす。

国の法制審の迷走、草刈り場となる子どもの意思

 この間、国の法制審議会家族法制部会の議論を、「手づくり民法・法制審議会」で追っている。国の法制審は離婚時の子どもの養育について、テーマごとに議論を進めている。ところが、誰が子どもを見るべきか、共同親権についての共通認識を確立できないままの議論は、それぞれが見ている現場の現実から、事務局が出す論点に意見を出し合うだけ。かみ合いもしないし深まりもしない。税金の無駄である。国が設置を決めた子ども家庭庁についてのネーミングをめぐる迷走や、子ども基本法についての議論が低調なのも、子どもの養育の責任は第一義的には親にあるという当然の前提が、この国では共通見解にすらなっていないということの表れでもある。
 子どもの意思を家事手続きの中でどのように反映させるのかの議論は法制審議会の中でも錯綜している。子どもの発言に大人と同様の結果責任をとらせることが、単なる親の責任逃れの過酷な行為であることを、民法学者の水野紀子は主張したりする。しかしその当の本人が、子どもが「自由に」意見表明できるための基盤を損ない子どもに親を選ばせる、単独親権制度の強力なイデオローグでもある。子どもの権利条約11条による、子どもの意見表明権は、子どもが自由に欲求を表明するための環境を整える大人の側の義務でもある。男性排除の「女性の権利」は子どもの権利に優先するという点では、彼女の差別思想は一貫している。それは古臭い性役割の焼き直し、「子育ては女の仕事」の言い換えにほかならない。
 ぼくたちの訴訟は「親の権利(養育権)訴訟」だ。次回は国からの反論が予定される。現在裁判官へのハガキ送付作戦を開始した。国に対して義務を果たさせろという親の願いは、子どもの親として成長する喜び、つまり権利だ。それを損なってきたのが、単独親権制度にほかならない。民法に規定された親子関係しか保護されない単独親権制度がある限り、すべての親の権利は保障されない。親に口ごたえするのも親子喧嘩も双方の権利だ。ぼくたちは、単独親権制度の前にかき消されてきた、個人の尊厳と男女平等の回復を訴えている。

(2022.2.20 共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会冒頭コラム)

「残念な県政」の継続か、「ワクワク長崎」を作れるか

 2月3日に告示された長崎県知事選挙では、4選を目指す現職の中村法道氏(71)氏と大石賢吾氏(39)が出馬し保守が分裂した。これに対し、石木ダム建設反対を掲げた無所属新人の宮沢由彦氏(54)も立候補を届け出た。告示前の候補者討論会でも、石木ダムの建設問題が取り上げられ、選挙戦の大きな争点の一つになっている。

 一昨年から長崎県内川棚町で建設が進む県営石木ダムの是非について、地元の川原地区を取材してきた。この地区は現在13戸50人が暮らしている。なのに、県が強制収用手続きを進めて、住民の土地を取り上げてしまっている。

「残念な県政」

 長崎県に滞在しながらテレビを見ていると、長崎県では、石木ダムのほかに、新幹線の長崎ルートの建設のために佐賀県との折り合いがつかないというニュースが連日流れてきていた時期がある。新幹線が来てほしい長崎県と、通り道になるだけの佐賀県とは利害が一致せず、路線の末端の長崎県が先に県内の建設を進め、中間の佐賀県に建設を迫っていた。そうまでして作りたいなら、佐賀県は「いらない」と言っているんだから、長崎県が佐賀県内での建設資金を肩代わりするのが筋だと、長野県民のぼくは思う。しかし、理解しない佐賀県が悪い、という姿勢だと佐賀県の態度は普通硬化する。

 テレビを見ながら、石木ダムと同じ構図だなと思った。この県営ダム建設は60年前に浮上したものだが、当初機動隊を導入しての長崎県の強制測量の強行に対し、住民たちは現地で実力阻止。対立の末に、工事の実施は地元の同意を得て行うという覚書を、県と地元自治会、川棚町は、1972年に結んでいる。

 ところが、まだ13戸50人が住んでいるのに、中村長崎県政は 合意を無視して強制収用手続きを進めた。強制収用というのは、最後の1、2軒を対象とするのが通常だ。住民が立ち退かなければ意味がないからだ。強制収用史というものがあるなら、それこそ筆頭に上がるほどの、前代未聞の出来事だ。

今回、現地川原では、95歳になる松本マツさんにお話を聞いた。マツさんは、「こげんよかとこ住み着いてねえ、どこさ出ていくね」と口にしていた。

松本マツさん(ダム小屋にて)

これまで住民が暮らしながらそのまま強制代執行がかけられたのは、成田空港建設のために、三里塚の大木よねさん宅が抜き打ちで取り壊された事例が、戦後はある程度だろう。よねさんは、空港公団が用意した代替住宅の入居を拒み、反対同盟が用意した仮の住処に移り住んでいる。

中村県政は、強制代執行をかけ、どこかの県営住宅にでも住民たちを放り込むつもりだったのだろうか。脅せば屈する、という程度のあまりにもの見通しの甘さに、住民の立場で見れば、今回出馬した宮沢氏のように義憤にかられるし、長崎県民の立場で考えれば、テレビで見る新幹線と同様、「残念」という思いが湧いてくる。

自民党県連が推す大石氏も、知事になれば建設を前提に話し合いをするというものの、それならばまず住民の意向を聞きに告示前に足を運ぶのが順番だ。当選したからとのこのこ顔を出したところで、県政に裏切られ続けた住民が「はいわかりました」というとは思えない。

宮沢氏は選挙初日に川原地区に出向いたようだが、今回、この中村、大石両候補が川原現地に足を運ぶかどうかは、選挙戦の注目点の一つだ。

どうやって「ワクワク」する?

 長崎県は、本体工事の着工を表明して着手をニュースにしようとするため、抜き打ち的に橋をかけたりしたようなので、住民側の座り込み場所も以前より増えていた。1月に寒い中、火を囲みながら座り込んでいる住民の輪の中にいっしょにいると、まるで夜盗の襲撃に備える中世の農村にいるかのような錯覚を起こす。

ちがっているのは、相手が、自分が税金を納めている長崎県で、村の外からやってくるのが県の職員だったり、相手の武器が監視カメラだったりすることだ。

 連日取付道路の建設現場で座り込む住民たちの苦労は並大抵のものではない。いつ工事が進むかわからず、県の職員と対峙しながらどこにもでかけることもできない。

一方で、それ以外の暮らしぶりは、地区内に反対看板はあちこちあるものの、他の周辺地域と何ら変わることはない。むしろ川棚町の中心部まで車で10分と立地的にも暮らしやすい地域の一つだというのもわかる。石木川の水も少ないので、佐世保に送るためにわざわざダムをつくる必要があるのかと見て思う。この辺のダム建設の合理性のなさを宮沢氏は訴えている。

宮沢氏の「ワクワク長崎」のイラストを描く、石丸穂澄さん

 「こげんよかとこ住み着いてねえ」というマツさんの口ぶりは、けして強がりではないと思える。60年間ダムの建設予定地とされ続けたため、行政によるインフラ整備は遅れ、その結果、タイムカプセルように他の地域では失われた村落周辺の自然環境が維持されている。ダム建設に対峙するという必要性があったとはいえ、助け合い、話し合いを重ねながら村の課題に対処していく住民たちに、村の民主主義のあり方を見ることもできる。

 不幸な対立の結果とはいえ、川原地区が培った60年間の歴史と地域づくりは、むしろ長崎県がほこる財産に思える。これらすべてを水に沈めることは、むしろ長崎県の大きな損失だ。 

この地域でいったい何が営まれてきたかを広く共有し、生かすべきところを生かしていくことは、カジノや大型開発に依存する県政運営よりも、これからの時代にマッチし、「ワクワク」する挑戦なのかもしれない。ほかのどこの県でもなく、長崎県だからそできることだ。有権者の判断に期待している。(2022.2.4)

石木川に橋代わりに置かれた飛び石。

2月20日投票、長崎県知事選挙で石木ダム建設問題が争点に浮上

保守分裂

 2月3日告示、2月20日投票の長崎県知事選挙では、現在無所属5人が立候補を表明している。これまで3期にわたって知事を務めた現職の中村法道氏(71)の出馬に対し、元厚生労働省技官の大石賢吾氏(39)も立候補を表明して保守が分裂した。

これに対し、千葉県から宮沢由彦氏(食品コンサルティング会社代表、54)が石木ダム建設に反対を表明し出馬。田中隆治氏(78)、寺田浩彦氏(60)の新人2氏も立候補を表明している。

今回の知事選で、佐世保市のハウステンボスでのIR誘致、諫早湾の潮受け堤防の開門問題、長崎新幹線の建設をめぐる佐賀県との対立などと並んで、争点として大きくなりつつあるのが川棚町の石木ダム建設問題だ。

石木ダムは、川棚町を流れる川棚川の支流石木川に計画中の総貯水量548万トン(東京ドーム4.4杯分)、総事業費538億円の多目的ダム。県営ダムとして1962年に計画が浮上した。

建設予定地の川原地区には、13世帯50人が現在も暮らしダム建設に反対し続けている。過去には機動隊を導入した強制測量に対し住民が実力で阻止したこともあった。2010年には付け替え道路の工事着手に対し、住民たちが現地で阻止。2019年には長崎県が13戸の住民の土地を強制収用。現在も建設中の付け替え道路予定地での座り込みが毎日続く。

川原地区2020年10月

石木ダム建設をめぐってつばぜり合いの討論会

 3日の告示を前に、1月30日に開催されたオンラインでの討論会「みんなで政策かたらナイト」(https://www.youtube.com/watch?v=LdsyZDxYNAE、長崎みんな総研が開催)では、現職の中村氏が、石木ダム建設反対の宮沢氏に対し、「長大河川のない長崎県では水の確保に苦労し一時長崎砂漠と呼ばれた。どうやって水を確保したらいいか」と口火を切った。

宮沢氏は「佐世保市の描く需要曲線は右肩上がりを描いている。これは人口が減っている佐世保市で本当に必要か。もともと針生工業団地建設計画のために作られた石木ダム建設計画ですが、その工業団地計画が破綻して、水の需要が減っている――」と回答。針生工業団地は現在、テーマパークのハウステンボスとなっている。「――例えば佐世保のサウナ、水をたくさん使うと思いますがこの30年水に対して危機感を持ったことがないというお話を聞いている。今の水需要の計画は非常に過大。それより、水が1日に6000トン、7000トンも漏れているのを直していったほうがいい」(宮沢氏)と答える一幕があった。

 一方宮沢氏は、「石木ダムの問題は長崎県を前に進めていくためにはのどに引っかかった骨。取り除かないとどんな県政の課題も前に進めない」と主張。「中村さんの出身地の島原市では法道さんはいい人と一様に言う。一方で石木ダムで座り込んでいる人たちがかわいそうだという話も聞く。どうしてその法道さんが将来に禍根を残す強制収用をしてしまったのか。また収容の後に強制代執行をしなかったのか。思いとどまったお気持ちを聞きたい」と、中村氏の在職中の強制代執行について、あらためて姿勢を問うた。

 これに対し中村氏は「住民生活の中で水の確保は非常に重要。他に安定的な水源がないような状況で石木ダムは必要不可欠。川棚川の治水機能を維持するためにも、この事業は進めていかなければならない。これまで半世紀近くの時間が経過しまして、歴代の知事も一生懸命取り組んできましたができれば私も地域の皆様のご理解をいただいた上で円満に事業が進められればと願っています。今後ともそういった方向で努力していきたい」と直接の回答を避けた。

長崎県は地元の理解を経て工事を進めるとの1972年の地元との合意を無視して手続きを進めた。また、長崎県との話し合いのために、現在進んでいる建設工事の中断を求めた地元の住民の要望に対し、中村氏は12年間の在職中応じていない。

候補者は石木ダム問題を解決できるか?

宮沢氏は「私が今回出馬のきっけかになった石木ダムでも、(地元の住民が)12年間も座り込みを続けている。これを放置して何が次の長崎の未来を作っていけるのか」とさらに言及。大石氏にも「こじれた石木ダムの問題をどう解決するのか」と水を向けた。

大石氏は「私も治水、利水の観点から(石木ダムは)必要。そういう意味では県政と同じ姿勢。まずはお話をさせていただきたい。宮沢さんも足を運ばれておられましたけども、私自身も足を運んでお話をして意思疎通をしたうえで理解を得たうえで実現したいと思っています。私がリーダーになりましたらそこをしっかりやっていきたい」

立候補を表明し川原地区を訪問した宮沢氏に対し、大石氏は中村氏同様、立候補を表明してから今日に至るまで、現地に足を運んでいない。

地元の住民とともに石木ダム問題に取り組む、石木川守り隊が実施した知事選立候補予定)者へのアンケート(http://ishikigawa.jp/blog/cat15/7939/)では、中村氏が記述で回答を寄せたものの、アンケートの設問には回答せず、大石氏と寺田氏は回答自体がなかった。宮沢氏と田中氏は設問の強制代執行に反対している。

筆者が1月18日から21日まで川原地区を取材した際、川原地区の住民と支援者は、付け替え道路の建設予定地で交代で座り込みを続けていた。筆者は2020年の10月にも取材で現地を訪問したが、住民たちはその時点で10年以上現地での行動を続けている。1年後の今回の訪問でも、同じ場所で座り込みを続けていた。本体工事の建設も見据えて座り込みの場所も増えている。

付け替え道路の建設予定地で座り込む住民たち

それ自体がニュースではないだろか。(2022.1.31)

リニアの村の暮らし

 11月9日午後、伊那山地トンネルの坂島非常口を見に行くと、現場には人気がなく、車両の出入りのときのブザーが意味もなく定期的に鳴っていた。2カ月前に来たときは、車両も人も往来し、ヘリコプターもひっきりなしに発着し、7月に着工し、いよいよこれから本格工事に入るという、それなりの活気が伝わっていたのがウソのようだ。

前日の午前中にトンネル内部の壁面の崩落から、JR東海は掘削200m地点で負傷事故を起こしている。この日は夕方に説明が開かれたという。翌日、とりあえず現場に足を運んでみることにした。ここは豊丘村の中心地から虻川の上流にどんどん分け入って、現地は無人になった集落の入口にある。掘削地の上を走る林道を通過して工事現場に下りていく。その林道の側壁はのり面が吹き付けられ、アンカーで止められているので、ここの地盤が硬くはないことは素人目にも想像がつく。

今年に入ってからJR東海は、飯田市の松川工区の掘削開始、伊那山地トンネルの掘削開始、天竜川架橋工事の開始と、工事の進まない静岡県の外堀を埋めるように、立て続けに工事の実績を示していた。その結末がこれかと吐息が出る。「撃ちてし止まん」という言葉は、こういうのを表現するんだろうなと得心する。

帰りに、浜松市のOさんと出会う。地質に詳しくリニアの工事現場には必ず現れる。

「真砂土が落ちた。岩盤を前提に発破をかけたんだろうけど、実際は風化している。どの程度現地が真砂化していたのかなと見にきた」

 風化した花崗岩が崩落にかかわっているのは、小渋線のトンネルでも山口工区のトンネルでも同じようだ。Oさんは中津川瀬戸市の事故翌日にも現地に足を運んでいたというから、記者よりよっぽどフットワークがいい。

 10月28日の朝には、中津川瀬戸のリニアトンネル工事現場での死亡事故の知らせを知り合いの記者から聞いた。岐阜県が地元でリニアを取材するフリーランス仲間の井澤さんに電話すると、もう現場に来ているという。そそくさと朝ごはんをすませて、早速現場に向かう。

 JR東海は、2017年12月に大鹿村に通じる小渋線で掘削中のトンネルで、外壁の崩落事故を起こしている。中途から両側に掘り進める工事で、出口まで残りわずかの部分で通常の倍の火薬を使って崩落を起こしている。2019年には同じ中津川市の山口の工事現場で掘削開始から200mで落盤事故を起こしている。いっぺんにあちこちでトンネルを掘り始めるとこうなるのだろうか。

 瀬戸の工事現場のゲート前には、記者がすでに30人近く道路の向かい側にいた。ぼくも井澤さんとその一画を占めていた。中に入れるわけもなくつまんないので出入りがあると道路の反対側のゲートの脇で写真を撮る。向こう側にいるカメラマンの一人が「ルール守れよ。みんなそっちに行きたいと思っているんだ」と声をかけていた。

 井澤さんが「どういうルールなんだ」と言い返していた。JRの関係者は出てこないし、どんなルールを守ったら取材ができるというのだろう。横並びの記事を書けばとりあえずは一仕事終えられるけど、フリーランスは発表する宛が決まっているとは限らないから、同じことしててもしょうがない。

 といってもぼくも言い返すこともなく、現地にいた記者の一人に5時から開かれる中津川市内での記者会見を教えられて移動した。警察や労基署の出入りはあっても、結局JRの職員は一人も出てくることはなく、記者に対応したのは地元の岐阜県警の広報官だった。

 記者会見は記者クラブ対象で、受付で井澤さんといっしょにフリーランスと名乗って交渉すると案の定断られた。「広報に電話してください」と「広報」と名札のついた社員が説明する。なめている。

死亡事故を起こしていてそれはないでしょうと食い下がる。「ちょっと相談してきますので待っていてください」といったん中に入り、再び出てくるとぼくたちを待たせたまま、所属のある報道機関の人を一人一人中に入れる。最後に案の定「今日は記者会対象ですから」と排除しようとするので、玄関先で押し問答になり、そのまま1時間半。途中井澤さんが「資料をもらったら引き上げる」と妥協案を示したものの、それからも30分。取り囲んだ7人の社員は一言もしゃべらなかった。二人の名刺は外の受付の机に散らばったままだった。

今年の田んぼは、10月25日から北川さんや東京の友達や、何人かの手を借りて28日には終えることができた。刈り取った稲は稲架にかけて3週間ほど干す。水分量が低くなったのをたしかめて、近所のMさんに頼んで脱穀してもらう。ところが、好天になったらまた雨が降るという天気が続いて、何度農協に水分量を測りに行ってもちょうどよくならず、結局脱穀ができたのは一月以上も経った11月2日だった。

その間、井水を確認に行くと水が切れていて、組合長といっしょに水路の掃除に出かける。いつになったら今年の田んぼは終わるのだろうとあちこち出かける気にもならず、出版をまじかに控えたカワウソと共同親権の本の校正作業を進め、やっと脱穀になったら、収量は昨年の半分だった。一人で食べるので困りはしないだろうし、冷害で大鹿のほかの農家も同じ状況だったようだけど、待ってただけにちょっと寂しい。

そんなこんなで、体を動かしたくてもじもじしていたところに、JRが事故を起こした。ちょうどそのときには時間があって、ぼくはJRが起こしたトンネル事故の翌日には、すべての現場に足を運んでいたことになる。リニアの取材というより、リニアの追っかけをしている気になる。

11月7日に、東京から来た山の仲間を大鹿のトンネル掘削現場に連れていった。小河内沢を渡って除山非常口の下の河原に出ると、トンネルから流れ出ているだろう水が、土管を伝って流出していた。ぼくの田んぼの井水組合の水は、釜沢非常口のすぐ脇を流れる所沢の上流から引いている。釜沢地区はリニア工事によって水源地が枯れることが予想できる。JR東海は釜沢地区の代替水源をこの所沢から引きたいとうちの井水組合に打診してきた。ほとんどが70代以上の組合の中で一番若いのが46歳のぼくで、JRが30年水を保障したとしても、そのころ生きているのはぼくになる。暮らしの中に、リニア問題はよくも悪くも位置を占めている。ここは大鹿、リニアの村。

(「越路」25号、2021.11.11)

幻の山小屋

「これお土産です」

 大鹿村役場のカウンターで、産業建設課長の間瀬さんにビニール袋を手渡す。

「何これ」

「広河原小屋のゴミです」

使用済みのEPIガスカートリッジ3つを小屋から持ち帰っていた。

広河原小屋は、大鹿村が持つ唯一の山小屋だ。小渋川の上流にあり、行くには股下の徒渉が10回以上あるので、登山道しか歩いたことのない登山者はやってこない。通常車が入れる終点の、湯折の登山ポストに提出される登山届は、毎年20人程度しかいない。大鹿村に来てから一年に1回くらいは広河原に行くのだけど、年々ゴミがたまっていて、役場が手入れをしている様子がない。半ば放置されている。

あまり荒れるとゴミが増えるし、焚き木にされて小屋が燃やされたりすることもあるので、行くと後ろの引き戸を開けて風を通して箒で床をはく。重くならない程度に、他の登山者が置いていったゴミをザックに入れて持ち帰っている。古くても、床が一部沈んで埃っぽいほかは、小屋はしっかり立っていて、引き戸もきちんと開く。稜線の大聖寺平から下山してきて小渋川が増水している場合、この小屋があるおかげで焦らずに日和を見ることができる。

「いや、ぼくの別荘にしてもいいんですよ。だけど心が痛まないかなあって」

 間瀬さんは今年の秋に、アプローチの林道も修繕すると弁明していた。

7月末に、小渋川から赤石岳、荒川三山を取材で登ってきた。昨年の豪雨で湯折までの林道は2カ所で崩壊している。倒木だらけの一か所は村が倒木を撤去した。もう一か所は沢が道を削っていて、歩いて通過するにも高度感があってちょっと怖い。林道の復旧はあきらめて、ロープを登山者用に渡して歩道にしてしまうといいと進言したけど、湯折には県の発電所の取水口もあるので、県が予算をつければ林道は元に戻るようだ。

広河原小屋は南アルプス最古の山小屋と言われている。大正登山ブームを経て村に赤岳会という有志団体ができて村に働きかけ、荒川小屋とともに作った。四半世紀前に学生のときにぼくが登りに来たときには、広河原小屋と同じく、通路の両側に寝床のある古い山小屋の形式の荒川小屋はまだあった。その後静岡県側の山林地主の東海フォレストに荒川小屋は管理を移管し、ピカピカの小屋に生まれ変わっている。

静岡県側はリニア工事で当分登山者にとっては不便なので、百名山の赤石岳、荒川三山の登山に「アクセス至便」なのは、長野県側の大鹿村になった。「百名山」を「最古の山小屋」とセットで売り出せば、ぜったい飛びつく登山者はいるはずなのに、大鹿村はこのルートは行かないように言っているそうだ。今年も雨続きだし、広河原小屋はますます幻の山小屋になって希少価値を増している。

 役場に登山者の冒険心を理解する人はいないので、何かさせようとしても無理だ。もともと山登りなんて、自分でルートを考えて頂に立つのが本来の姿なので、元に戻っただけだ。

 お隣の遠山谷には、学生のときに日本山岳会の学生部でお世話になった、登山家の大蔵喜福さんが昨年からやってきて、「エコ登山」を掲げて木沢小学校に事務所を構えている。光岳もまた渋い山だ。アプローチが遠くて百名山ハンターが最後に選ぶ(残す)山として知られている。学生のときに、甲斐駒から南アルプスの全山縦走をして、最後にたどり着いた光岳は樹林のなかで「これで最後か」という記憶しかなかった。

 遠山谷からの登山道はもともと長丁場な上、アプローチの林道は度々崩壊し、体力のない登山者には厳しかった。大蔵さんは登山道途中の面平に据え置きテントを設置して、そこをベースに光岳を往復できるようにした。営業小屋のない長野県側南アルプスだからこそできる逆転の発想だった。登山者も減っているのに今さら山小屋なんて作れない。だけど、面平の幕営地には、炊事具はあるし、山小屋以外は何でもある。排泄物は携帯トイレで持ち帰るので、環境に付加を与えない。

 同じような発想で登山道を整備し、大蔵さんは遠山谷と大鹿村を結んで赤石岳への登路を確保しようと考えていた。小渋川の左岸や聖岳へと続く百間平にはもともと大鹿村がつけた登山道がかつてあり、広河原小屋はこれら周遊登山道のベースでもあった。下山すれば湯折で温泉にも入れたものの、今さら湯治場を復活するのは無理そうなので、据え置きテントとドラム缶風呂を設置すれば、来る人は増えるだろう。

今年、南アルプスでは、ヘリのチャーターができない上に、コロナで山小屋の営業も成り立たなさそうなので、南部地域の山小屋は避難小屋を開放して、すべて営業を停止した。おかげで無人の山脈が突然出現した。大蔵さんの「エコ登山」とともに、今時の登山のあり方として、雑誌にページをもらったのだ。

七釜橋の橋梁は小渋川の水面から1メートルほどしか「隙間」がなかった。湯折まで40分、湯折から30分ほどで、七釜橋に至り、ここから小渋川の徒渉が始まる。毎回なんでこんな山奥に、こんな立派な橋があるのだろうと思うけど、昔の砂防堰堤工事のために作ったものだという。そのころ作られた護岸のコンクリートは、昨年の豪雨で完全に水没。「税金の無駄」「自然に歯向かっても無理」の貴重な展示品となっている。

どっちにしても、ここから先はいつもの徒渉の繰り返しで、荒川前岳の胸壁を見上げると陸に上がり、林間に広河原小屋が建っていて安心する。

稜線への登山道は、一昨年の台風19号でいよいよ倒木が多くなり、大聖平の下のトラバース道で今回も迷いながら大聖平のケルンに到着する。時間的に余裕があったので、赤石岳を往復し、フラフラになって荒川小屋に来ると、何とぼくのほかに3パーティー、計5人もテントと小屋にいた。

「今日は小屋は独り占めと思っていたのに」

ぼくが考えていることを口にしたおじさんは、茨城から、若いガイド2人を連れたおじさんは群馬から、それに単独行の女性がテントを張っていた。小屋の人たちに聞くと、椹島は小屋は営業しているものの、リニアの工員が客室を占めていて、登山者は予約できなかったという。椹島までの林道の交通機関は、椹島に宿泊した人のためのリムジンバスしかないので、登山者は椹島まで林道を歩くしかなく、ガイド付の3人組は、電動アシストの自転車で突破した。

「山やとしては憤りを感じる」

 茨城のおじさんが言っていた。椹島の周辺は静岡県知事がダメ出ししても、リニアの工事現場に変わっていた。4人とも、無人の千枚小屋に泊まり、荒川岳を越えて荒川小屋に来て、明日は赤石岳を越えて、赤石小屋に泊まるという。いくら条件が整わなくても、来る人は来る。

 翌朝、荒川東岳(悪沢岳)を往復して、広河原小屋に下山した。一番いい時期の夏山に誰もいない山上。お花畑、滝雲、ブロッケン現象、サルの群れと、営業はなくても、これでもかというくらいのサービス過剰だった。

広河原小屋に戻り、小屋の引き戸を開け、風を入れ、箒で履く。今回は獣が床下から侵入して床上に毛が散らかっていた。

ゴミのガス缶を入れたザックを背負い、小渋川の流れに足を浸す。「冷たい」といつものように声を上げる。

(山行記は発売中の〝Fielder〟で)

(2021.9.8、「越路」24号、 たらたらと読み切り164 )

【vol.59】コロナ禍で実現する“自力登山”への挑戦「誰もいない南アルプス百名山を登る」

今夏、三伏峠から南の南アルプス主脈の山小屋はすべて営業を取りやめた。この地域には荒川三山(3141メートル)、赤石岳(3121メートル)、聖岳(3013メートル)、光岳(2592メートル)と4つの百名山がある。アクセスの不便さから毎年百名山登山のフィナーレにこの山域を目指す登山者も多い。今年は輪をかけて「遠方」になった。自分の力で登る広大な山域が突然出現した。誰もいない百名山も独り占めできる。それに営業していなくても小屋はある。隅々まで整備された北アルプスとは違う登山、人間も自然の一部と気づかされる登り方、そして文明の利器に依存しない本来の山登り。冒険を探しに無人の山河に足を踏み入よう。
※緊急事態宣言下では不要不急の行動は慎むこと。
文・写真/宗像 充


百年前の南アルプスを旅する

大鹿村は塩見岳、荒川三山、赤石岳と三つの百名山の玄関口だ。上蔵地区は、鳥倉林道を経て三伏峠へ、釜沢を経て小渋川から赤石岳へと至る道の分岐にあたり、赤石岳を見上げる美しい里だ。

その道端に、昨年から「ウェストン写真 赤石岳登山」という控えめな案内表示が立った。民家の庭先には山頂の集合写真が掲げてある。しかめ面のウォルター・ウェストンとともに村の人たちが写っていた。ウェストンは日本に西洋の登山を普及させたパイオニアだ。1892年(明治25年)にここを通って赤石岳を往復した。

上蔵の人たちもその案内として同行し、家主のKさん宅にそのときの写真が伝わっていた。Kさんがこの写真を刊行公表するまで、見たい方は足を運んでほしい。

ウェストンは南アルプスでは赤石岳に最初に登頂している。小渋谷は直線の断層で正面に目指す山を望める希少なロケーションだ。南アルプスの盟主として山脈の名前を冠し、明治以降の日本アルプス探検では、代表的な登山家が足跡を残した。小渋川を溯る登頂ルートは、現在も往時のままほとんど変わらず、庭先の写真とともに歴史的価値がある。

小渋川の入渓地の七釜橋は橋梁まで川床が迫っていた。釜沢から1時間半。

庭先に掲げられたウェストンの登頂写真の案内板。

裏山は3000メートル

我家はこの上蔵集落の最上部にある。自宅からは赤石岳南の大沢岳が望める。ぼくがこの村を最初に訪問したのは、大学一年の冬山の偵察で秋に荒川三山に登った四半世紀前のこと。飯田線の伊那大島の駅からバスに揺られ、終点の大河原のバス停から車道を歩き、途中移動スーパーに拾ってもらい、釜沢から林道をたどる。小渋川に入渓し何度も徒渉を繰り返した。道は市販のガイド地図にも記載されている。尾根の取り付きに山小屋もあり、急登を経て確かに南アルプスのピークに立てる。

「なんでこんなところが登山道になっているんだろう」

整備された道を歩く登山しかしたことのない自分には不思議だった。それは、多くの人々を迎えてサービス過剰になった現在の山登りに疑問を投げかけるはじまりだった。

登山を終え、釜沢まで戻ってきたとき、いっしょに来た先輩が山肌の集落を見上げてつぶやいた。「よくこんなところに住んでいるなあ」。いまその村にぼくは暮らしている。

赤石岳、荒川三山36時間

無人の中岳避難小屋から荒川東岳を望む。

人はいない、小屋はある、お金は使えない

南アルプス南部の山小屋は、新型コロナ等の影響で、静岡県側の椹島以外すべて営業を停止している。椹島ロッジは工事関係者も利用するため、ロッジの送迎バスに乗られない登山者は長い林道を歩くしかない。この地域の百名山を目指すには長野県側がいまや「アクセス至便」だ。

しかし、昨年の豪雨で小渋川から赤石岳を目指す登山口の林道が崩壊。1時間の林道歩きが加算された。今夏の登山をあきらめる登山者も多いだろう。

ただ林道の崩落状況を把握していたぼくには条件はさして変わらない。ないのは荒川小屋の営業だけだ。山小屋の避難小屋は夏でも開放されたため、人はいない、小屋はある、そしてお金は使えない、の三拍子そろった静寂の夏の百名山を独り占めできるはず。

もともと南アルプスは寝袋持参の登山が似合う山。7月28日、釜沢を横目で見て林道を歩きはじめた。

南アルプス南部の山小屋は軒並み営業を停止した。

南アルプス最古の山小屋、広河原小屋は幻の山小屋。訪問する人は年に30人もいない。

南アルプス最古の山小屋

今回も持参した地形図には、まだマメだった学生当時、徒渉点を記録しようと、地図上の小渋川に打った印が残っている。深いところで股下の、10回以上の徒渉を繰り返すこの川の溯行は、道をつけて人が山を手なずけようとしても、素直には従ってくれないという証明だ。

林道の2か所の崩落箇所は倒木が撤去されている。高度感のある部分もあり緊張する。村も登山の中止を勧告している。最近は国が国民を見殺しにする用語として「自己責任」という言葉は価値が暴落した。それは本来、リスクを引き受ける登山者の矜持だったはずだ。

徒渉のスタート地点の七釜橋は、昨年の豪雨で桁下まで川床が迫っていた。砂防工事のためのコンクリートブロックは川床になり、大自然の前の文明のおごりが見学できる。川は豪雨で荒れても、徒渉は学生時代とさしてかわらない。高山の滝を過ぎて谷が狭まった後、視界が開けて荒川前岳の胸壁が見えてくる。川を離れると木漏れ日の林から小さな山小屋が現れた。

広河原小屋は南アルプス最古の山小屋と言われる。古びてはいてもしっかり立っている。中に入ると石がむき出しになった通路が奥へと続き、両側に寝床がある、古い山小屋のスタイルを踏襲している。大正登山ブームを受けて、大正が昭和に代わるころ、村の有志のグループ、赤岳会の努力と働きかけで、荒川小屋や三伏峠小屋とともに建設された。

以前はここから荒川三山、赤石岳の間の大聖寺平に至るだけでなく、福川沿いにさらに南部の山並みにつながる百間平に至る道もあった。また小渋川の左岸には登山道も整備されていて、ここをベースに尾根を周遊できた。小さな小屋には南アルプス登山の歴史が折り重なっている。

大鹿村に住んでいると、毎年のように小渋川での遭難事故の報を聞く。降雨で小渋川が増水して余裕がなければ無理をして下って流されるだろう。学校登山で赤石岳に登っていた大鹿村の中学生全員が、1週間近くこの小屋で足止めされたということもあったという。ぼくも水が引くまでここで日和を見たことがある。登山とはそういうものだった。

荒川中岳に至るお花畑を見る人は誰もいない。

大サービスの百名山

広河原小屋からは、一昨年の台風19号で倒木だらけだ。手を入れていないので低木が覆い、踏み跡も見落としがちな道に疲弊して大聖寺平に至る。5時15分に釜沢を出てまだ13時45分。欲張ってさらに赤石岳を目指すと、山頂では2000メートルの標高差にフラフラになっていた。バテバテで17時過ぎに荒川小屋に入ると、なんと、テントも含めほかに3組の登山者がいた。

翌29日、絶好の登山日和のもと、荒川三山を経て再び広河原小屋から小渋川を下り5時に釜沢に戻る。36時間で2つの百名山の頂に立った。

朝焼けの富士山を後に、荒川東岳に向かう途中、光岳から山梨県の広河原を目指す単独の女性登山者と行き交ったのが、登山道で唯一出会った人間だった。無人の山上で、お花畑は咲き誇り、滝雲が長野県側から大聖寺平を越えて流れ込む。霧にかすむ山梨県側を見下ろせば、ブロッケンの妖怪が現れた。自然のサービスは小屋の営業以上だ。

ぼくが長野県側からの最初の登山者のようで、広河原小屋の周囲には、クマがアリの巣をつついた跡や真新しいフンが落ちていた。東岳にはサルの群れ。人より野生動物に会う機会が多い。荒川岳の開山は1886年(明治19年)、大鹿村の隣の豊丘村の行者、堀本丈吉によるとされる。東岳山頂にはその開山50年を記念した1936年の銘板が残っている。村人とヤマイヌに導かれて荒川岳を開山した、山開正位(堀本)も、ぼくが体験したような変幻自在な自然の競演に感動したことだろう。

1886年に荒川岳を開山したのは豊丘村の行者、堀本丈吉とされる。開山時の様子が豊丘村の三峰神社の横幕に残る(富士見町高原のミュージアムの展示から)。

東岳の稜線にいたサルの群れ。今回会った人間より数が多い。

ブロッケン現象は、光が背後から差し込み影が雲粒や霧粒に散乱して生じる光学現象。

赤石岳山頂から、赤石岳避難小屋、聖岳を見る。一等三角点は日本で最高所。

山登り、それは文明に背を向けること

「営業小屋はどこも休み。すいてて小屋は貸し切りと思ったら、ほかにもいました」

茨城から来た単独の男性も慨嘆していた。荒川小屋の避難小屋の扉を開けると、4人の登山者が出迎えてくれた。幕営地には先の全山縦走の女性のテントがあった。3人組のパーティーは百名山登頂を目指す年配の男性とガイドだった。小屋の2組は、静岡県側の椹島から荒川三山を経て、明日は赤石岳を登るという。

今夏、南アルプス南部の山小屋の営業が停止になったのは、新型コロナ対策、ヘリの輸送確保の問題、それにリニア工事の影響とされる。リニア新幹線の建設は、大量輸送と都市への人口集中を前提にする。それが「都会病」である新型コロナの感染拡大で、人の移動は抑制され、南アルプスの自然を犠牲にしてまで建設する必要があるのかと、あらためて意義が問いなおされている。荒川岳の北面の地下1400メートルのトンネル建設は、山体の砂漠化を招く。将来的に氷河期の名残の雷鳥やカールの高山植物の生息環境を変えていく。登山口釜沢の行き場のない排出土を見て「何のために」と思う登山者もいるだろう。

山岳ヘリ輸送は費用が上がり、その確保が課題になっている。営業小屋の整備は北アルプスや八ヶ岳では、登山者がサービスの質を求める傾向を生み、ヘリ輸送の途絶による小屋の維持が困難になって、登山文化の危機だと語られた。しかし、実際無人と化した南アルプスを歩くと、文明に依存するしかない登山文化とはいったい何だろうと首を傾げる。

「登山するような環境じゃないですよね」

二軒小屋はリニアの作業員宿舎になり、椹島の宿舎は営業しているものの、リニア工事の作業員で埋まって茨城の男性は泊まれなかったという。4人は徒歩や電動アシストの自転車で長い林道をクリアした。徒渉10回以上の長野県側といい勝負だ。工夫次第で、ガイドにも、自立した登山者にも、今年の南アルプスは捲土重来。腕試しの冒険の山河が広がっている。(リニア工事と南アルプス登山情報は筆者のブログ「南アルプスモニター」で発信中)

朝焼けの富士山は指呼の間に。

リニア残土越しに釜沢集落を見上げる。

Fielder【vol.59】から
http://fielder.jp/archives/15033

共同親権革命「パパもママも」は当たり前

2021年7月に「卓球の愛ちゃん」(福原愛さん)が離婚し、台湾人の夫と子どもの親権を共同で持ったことで、日本の法律にはない、婚姻外の「共同親権」がトレンドワードになった。

 子どもは両親から生まれるのだから、親が別れるとともに、一人だけが子どもを見ればすむという単独親権制度は不自然だ。にもかかわらず、共同親権についての書籍は、今年になるまで、共同親権について反対する立場から、(単独親権制度の問題点については目をつぶり)いかに共同親権には問題があるのかという趣旨で、法律家やフェミニスト、支援者がするというものしかなかった。

最近でも、弁護士や法律家の専門書で、長谷川京子「先進諸国は子どもと家族への安全危害から『離婚後共同』を見直し始めている」(『戸籍』995、2021.4)や上野千鶴子「ポスト平等主義のジェンダー法理論」(『自由と正義』2021.7、Vol72.No.7)が同じ主張の焼き直しを行っている。

彼らの原則引き離し実施論は、2015年に元裁判官の梶村太市が「面会交流の実体法上・手続き法上の諸問題」(判例時報2260)で、共同親権・共同監護は「欧米の価値観への盲目的追随」(『子ども中心の面会交流』)と批判することで始まり、彼と弁護士の長谷川がタッグを組み、同様の趣旨の本を、執筆者を変えて何回も出版しつつ現在も継続している。これら書籍の執筆陣には、上野のほかにも、臨床心理士として有名な信田さよ子なども並んできた。彼らの一部は、ハーグ条約加盟の際には、赤石千衣子(しんぐるまざぁず・ふぉーらむ)など女性活動家や弁護士連中と「ハーグ慎重の会」に名前を連ね、現在、法制審議会の委員の一画を占め、共同親権に反対している。

先の論文で上野は、父親の権利運動をいっしょくたにして「フェミニズムへのバックラッシュ」とする。同時に上野は、子どもの面倒を見ない「男には共同親権を要求する準備がまだない」(『離婚後の子どもをどう守るか』)とその反対を正当化する。その批判は、職業経験の乏しい女には職場で平等なポストを要求する準備がまだない、という批判と同列のものだ。

2015年に梶村が「東アジアの価値観」を掲げて、これらの運動を始めたのを見てもわかるように、彼らの運動は業界の体制維持運動と合流しながら、「家裁の役割は戸籍実務」「女が親権をとれる現状を変えたくない」という本質的に既得権益確保を目的に進められてきた。現在、法制審議会で進められている議論も、この目的を達成するために、いかに改革したかという外面を整えるかという点にエネルギーが注入されている。

人々はこの劣悪さに耐えられるか?

しかし、こういったキャンペーンに対し、世間はどこまで無自覚でいられるだろうか。

芸能人の離婚を記事にする週刊誌は、国内の離婚であっても、共同親権について言及する機会が増えた。どちらかに家庭生活を壊した原因を求め、親の別れが親子の別れとなってきた日本の離婚のあり方について、「海外のように共同親権の場合と違って」「日本は単独親権だから」とわざわざ言及しつつ、芸能人の事例を使った問題提起がなされてきている。世間は「共同親権」という別の選択肢が開く未来について知りたがっている。

7月10日から21日間、子どもと現在も引き離されたままの、フランス人のヴァンサン・フィッショさんは、千駄ヶ谷の駅頭でハンストを行なった。この行動は、来日したフランスのマクロン大統領の特使やEU加盟国の大使館が訪問し、日仏首相の共同声明でもこの問題が言及され、海外メディアを中心に報道された。

また問題点も露呈させた。一つには、妻側の弁護士の司法手続きを経るようにという主張に対してフィッショさんがハンストで本気を見せることで、司法が親子関係を制約するものという実情が伝わるきっかけになった。第二に、朝日新聞の論座のネット記事が削除され、妻側の弁護士(露木肇子弁護士)からの働きかけがあったのではないかという疑惑がネット記事に出ている(弁護士倫理について考える「なぜ国内メディアは実子誘拐されたヴィンセント氏のハンストを報道しないか」https://legal-ethics.info/2168/記事では「脅迫」と記載)。この件は、国内の一部地方誌でも報じられているが、全国紙は及び腰だ。

制度の不備からくる人権侵害の主張に、両論併記の欠如による記事の削除を肯定するなら、そもそもそれは制度や社会の問題ではなく、フィッショさん個人の問題である、ということになる。「子どもに会えないのはその人に原因があるから」という世間の偏見を肯定することを、報道における中立と呼ぶのはあまりにも主体性がない。

引き離し問題についての、報道統制や実名報道への遠慮は、男性側に問題があるという先入観をもとに、制度の問題を個人の問題にすり替えることで一貫している。上野や長谷川の批判も、こういった点を前提に男性「のみ」を批判する。彼らのキャンペーンに今回載ったのが、赤旗紙や東京新聞である(大手紙や週刊金曜日も一度は載っている)。

日本のジェンダーギャップ指数が156カ国中120位であることを批判する同じフェミニストが、男性の育児への関与の少なさを理由に、女性が男性を子どもから引き離す(これ自体虐待である)のを肯定する。結婚するとき妻が夫の姓にする割合が96%なのは女性差別、と批判する人が、離婚するときには司法が親権を女性にする割合が93%という現実に、「女性が子育てを担ってきたから」と答える。国民に自粛を強要する国や都の指導者が、オリンピックの開催を強行するのと、やってることは変わらない。

ぼくたちが訴訟で問題提起したのは、そういう日本社会の根強い偏見や差別構造にほかならない。その提起への無視は、結局は会社や職場で仕事と家庭の両立に悩む多くの人の生きづらさを、「個人的なことだから」と切り捨てることにつながる。

法制審議会で、親権を親責任や義務に置き換える議論をする以前に、親が周囲にびくびくしながら子育てを強いられている(子育ては自分の幸せではなく社会の義務)現状を変えることが必要だ。家宅捜索ですら裁判所の令状がいるのに、行政が実子誘拐を放置し、それを手助けする実情の中で、「親の権利ではなく子どもの権利」など、なんと空虚に響くことか。何より「個人的なことは政治的なこと」ではなかったか。

ぼくたちは司法の場でその矛盾を明らかにするとともに、「手づくり法制審」として新たな議論の場を設けた。多くの人と民権民法を手にする場にしていきたい。「国民的議論」とは誰もがそこら中で共同親権について話題にすることからはじまる。

「共同親権革命」と名付けることすらおこがましい。

子どもは両親から生まれる(共同親権)。そんな当たり前のことすら確認できずに、どんな改革も空々しい。(宗像充 2021.8.22)

子どもが「会いたくない」と言ったなら

「子どもが反発しているというのに、会わせろというのですか」

 長野地方裁判所飯田支部1号法廷で、7月19日にぼくが訴えた損害賠償裁判の口頭弁論が開かれた。昨年8月に子どもたちの暮らす千葉県習志野市の駅前で下の子に会って以来、月に1度4時間という、裁判所が決めた面会交流の取り決めが守られていない。そこで、今年の頭に元妻とその夫、2人の弁護士に債務不履行と一連の面会交流妨害の精神的損害をあがなってもらおうと飯田地裁に本人訴訟で提訴した。飯田の丘の上の一画を占める飯田の裁判所に傍聴できる法廷は2つしかない。この日は、裁判官と書記官、被告側弁護士、ぼくと友人2人の傍聴人で計6人がガランとした法廷に散らばっていた。

「そういう質問はよく受けるのですが責任はありますよ。娘もあの年ですから、父親に反発するのは当たり前です。うちの娘はよく育っていると思いますよ。ぼくは親の言うことを聞くように育てた覚えはありませんから」

 娘は今年高校一年生になった。一年前までは月に一度駅前交番前の待ち合わせ場所で会うと、ぼくに悪態をついていた。「一生会わない」とか「お前なんか父親じゃない」とかいろいろぼくが傷つくことを言ったりしていた。年相応とも言える。ちなみにうちの母親は「お父さんは充はおれの言うことは聞かん、と言っちょるわ」と父のぼやきを電話口で言っていた。

「現在並行して行われている間接強制と面会交流の審判の進行も教えてください」と裁判官。

「間接強制は即時抗告しました。面会交流の審判は来週が第1回目です」

 間接強制というのは、裁判所の決定の不履行に対して、制裁金を課して履行を促す手続きで、面会交流の調停は、昨年、元妻側が子どもを引き離した上で「手紙のやり取り」という形で実質会わせない調停を立て、ぼくが「話し合います」と言っているのを無視して、なぜか申し立てた側の意向で審判に移行した。間接強制の裁判は負けて、「子どもが拒否しているので履行不能」という決定が一審で出ていた。

「審判でも子どもの意向調査をするかもしれませんが、その結果を待って進行したらどうでしょうか」

「娘は反発しているわけですから、それはフェアじゃなくないですか」

「お子さんの真意を確かめなくていいですか」

「何回も娘は裁判所で聞き取りされていて、今さら真意なんて言わないでしょう。それに娘は反発していてそれについて原告と被告では意見が一致しています。ぼくは反発するに至るまで、被告側がその意思形成にかかわったということを損害として訴えているわけですから」

 この裁判に至るまで、4回ほど、面会交流の調停・審判をしていて、その度に娘は調査官に聞き取りをされている。「パパと会うのは楽しい」と言っても、その意向は無視されて10年経っても月に1度4時間の時間しか元妻側に指示しない。何を今さら。「会いたくない」という意向だけが尊重される。

「Nさん(元妻の夫)が面会交流の場に来たりすることでしょうか」

「今も子どもの自宅を安否確認で毎月訪問しますが、居留守使ってますよ。それに子どもが嫌がっているから今後ずっと会わせないと言ってよこしたんですよ。そんなことあるんですか。履行勧告のときに調査官と話しましたけど、裁判中だから対応できないそうです。つまりやろうと思えばできる。娘の意向とは別の判断が被告側にはあるわけでしょう」

 元妻の夫はぼくの友人だったが、毎回面会交流の場に現れて近くから監視していた。子どもに録音させて、そのテープ起こしを証拠として出してもいる。

 娘が待ち合わせ場所に現れなくても、毎月長野から千葉に通って自宅まで訪問し、ピンポンを鳴らし、上の子も合わせて2人分の手紙を投函して帰っている。今月は窓が空いてカーテンが揺れていたので、居留守は明らかだった。もちろん、娘が「会いたい」と思っても、母親たちの意向を考えればそんなことは不可能だった。そんなわけで今後ずっと会わせないと通告してきた、母親の審判の代理人2人も訴えた。母親側の代理人は、森公任と森元みのりという森法律事務所のボスとナンバー2だった。森のほうは東京家庭裁判所の調停委員をしている。

ぼくが子どもと引き離されたころは、離婚事件をする弁護士の数も限られていた。この10年でぼくたちが子どもを確保して引き離し、親権と金をとるという弁護士たちの手口を紹介してきたおかげで、イージーさが知れ渡ったため弁護士たちはネットで宣伝してこの分野に大量に進出した。おかげで森事務所はビルが建っている。よく子どもと引き離された親の相談を受けると、相手の弁護士として度々耳にするのがこの2人だ。

 結局、審判の進行の報告を被告側は報告するということで、審判とは関係なく進行することになった。

「求釈明へのお答えはないということでいいですか」

 元妻側は、上の子も含めて養育費を受け取っていながら子どもの進学先を秘匿している。下の子は学区の公立学校に通わせないということまでしていたので、あえて事前に聞いた。

「この手続きで開示することはありません」

 と担当の佐多茜弁護士が答えていた。

 この間、「共同親権」という言葉の認知度は以前より高まった。「卓球の愛ちゃん(福原愛)」が台湾人の夫と共同親権で離婚したので、トレンドワード入りしている。雑誌ベリーのモデルの牧野紗弥が夫とペーパー離婚して別姓にしようとし、その過程で共同親権を主張しているのも話題になっている。女性学の上野千鶴子に触発されて、別姓にしようとしたら、それでは親権がなくなって将来子どもと会えなくなるかもと夫が心配して、そこではじめて婚姻外で共同親権じゃないのはおかしいと気づいた。

 この件について知っていたアウトドア誌の編集長に「ほんと共同親権じゃないのおかしいですよね。宗像さん書きませんか」と言われたのはうれしいけど、アウトドアとどう関連付けていいのか、ぼくのほうが戸惑ったりするぐらいの知名度はあるようだ。

もともと家父長制から、男女平等憲法で婚姻中のみ共同親権になったのが、男の子育ての少なさを批判する側が今度は婚姻外は例外と言っているんだから。

やたら「ジェンダー平等」と書いた看板をあちこちに立ててる共産党が、赤旗紙で共同親権反対の論説を載せたので、リニアで知り合いの本村伸子議員(ジェンダー平等の担当者)に面談のお願いをしたら無視された。ぼくは共同親権訴訟の原告だ。「ぼくたちの訴訟が負けたら日本共産党は喜びますか」と聞いて、共産党の全国会議員向けに責任者との面談を求めるファックスを送ったら、「追ってジェンダー平等委員会から返事する」という回答が来た。その後面談拒否と連絡してきた。その間、「ジェンダー不平等政党日本共産党都議選候補を落選させよう」というコラムを、自分のブログで5回続けて書いたら読んだようだ。

別居親の運動が盛り上がると、毎度決まってしんぐるまざあずふぉーらむの赤石千衣子さんたちが、別居親はDV、危険とメディアや議員に働きかけ、今回は東京新聞と赤旗が乗った。東京新聞は「虐待で離婚 元夫が息子の”ストーカー”に」という小見出しを振って記事を作っていた。

今争っている損害賠償裁判では、元妻や夫がぼくに「つきまという」「ストーカー」と子どもの前で述べたことを名誉棄損で訴えている。他人がこういう言葉を子の親に使えば名誉棄損になりそうだ。子どもの前で罵倒され、恨みを買うだろうという想像だにせず、別居親、わけても男親なら新聞もヘイトをためらわない。それだけ母親が子どもを見るのが当たり前というジェンダーバイアスは強い。学校ならいやな先生がいても行くように言う。しかし相手が親だと「子どもの意思」が尊重される。そして子どもの意思で親に子どもを捨てさせる。

今さら役人裁判官がまともな判断をできるなんて期待できないのは知っている。「パパ遠くから来てくれてよかったね」と言ってくれる人が、娘の周りにはこの13年間誰も現れなかったのかもしれない。味方がいるよと子どもたちに伝える手段が、裁判や家に行ったりすることというにすぎない。

(2021.07.23、「越路」23号、 たらたらと読み切り163 )

ジェンダー不平等政党、日本共産党 都議選候補者を落選させよう!(5) DV被害へのジェンダー不平等と子どもの権利

DV施策こそがジェンダー不平等

 日本共産党の「『離婚後共同親権』の拙速導入ではなく、『親権』そのものを見直す民法改正を」と題する見解(以下「見解」)は、女性の4人に1人、男性の5人に1人がDVを受けるというデータを指摘し、「共同親権」を理由に元配偶者や子どもへの支配を継続しやすくなるというのが共同親権反対の主要な理由だ。

 何度も言うが、この数字はもっぱら家庭内のもので年々増加傾向にあり、共産党の理屈が正しいなら、婚姻中に共同親権であることが、DVや虐待の原因だからそもそも不適切ということになる。日本共産党はなぜ婚姻中の単独親権制度を主張しないのだ。そうしないと、現在のDVや虐待施策の失敗を責任転嫁するために、婚姻外の共同親権に反対しているということになってしまう。

 ところで、共産党の「見解」はジェンダー平等委員会の名義になっているので述べるけど、男女間のDV被害の割合は、大方2:3で推移している。しかし、公的なシェルターは女性に限定されていて、民間シェルターで男性が入れることを公表しているのはぼくが知る限りでは1つしかない。

この結果、法律上は保護命令は男女ともに発出できるはずなのに、実際には男性に対して出されたという事例はまず聞かない。同じく、男性はもっぱら仕事を持っていて、住所を隠すことは困難なので、住所秘匿の市町村の支援措置は、もっぱら女性のみに出される(虐待名目で男性に出される場合もまれにある)。こういった割合の不公正は、DVについての被害割合とまったく一致していない。もちろん、共産党が言及している加害者の更生プログラムは、その有効性に疑問はあるにしても、やはり男性に限定されている。つまり、「男性=加害者、女性=被害者」の構図で、支援や法運用がなされている。ちなみに自治体の支援措置は、家宅捜索ですら裁判所の許可がいるのに、行政判断のみでなされる。

法務省が実施した24か国調査においては、トルコ、日本、インドといった単独親権国が、ジェンダーギャップが大きい下位2~4位を占める(子育て改革のための共同親権プロジェクト『基本政策提言書』)。ジェンダー平等の観点から共同親権に反対するのは苦しいけど、その理由がDVにあるとするなら、そもそもこの部分のジェンダー平等の是正が語らないのはなぜだろう。最低でも、2:3の割合で男性の入れるシェルターを設けないと、男性被害者を最初から見捨てていることになる。因果関係のない理由で、このギャップを放置するのが日本共産党の主張ということになる。

極端な事例で原則を歪める

もちろん、裁判所での親権指定では、女性が親権を得る割合は93%であり、これは、少なくないDV加害女性が親権を得て、一定程度のDV被害男性が子どもと引き離されていることを意味する。虐待の加害者で割合が一番高いのは実母だ。こういった状況は、男女かかわらず暴力の被害を受けた親たちにとっては過酷だが、危険で残酷な影響を与える子どもの割合も高まる。「見解」は、「被害を受けたことがある家庭の3割は子どもへの被害もある」という実情を指摘して共同親権への反対を導き出しているが、むしろ問題は、被害を受けた子どもが置かれた環境のジェンダーギャップではないのか。

赤旗紙の6月15日と16日の「海外に見る離婚後の養育」というシリーズ記事では、アメリカ滞在経験のある森田ゆり氏が、暴力的な父親に監護権が与えられたケースの子どもの証言が紹介されている。もちろん、共同監護でもこういった事例は出ると思うけど、それは司法の不公正の問題で今の日本ではもっと起きている。それは単独親権制度のもと親子の引き離しをスタンダードにする理由にはならない。もちろん、共同監護で子どもが2つの家を行き交えば、間に挟まれて悩む子どももいるだろう(今もいる)。しかしそのことは、「子どもにとって離婚は家が二つになること」という現実を、制度で否定することの理由にもならない。

子どもの権利条約は、子どもに対する両親の責任を諸所で言及している。そして、その9条では、「締約国は、児童がその〈父母〉の意思に反してその父母から分離されないことを確保する」とある。共同親権(共同養育権)についての法改正を求めた国連子どもの権利委員会の2019年の勧告では、小川富之氏が言うように、「子どもの最善の利益に合致する場合には」という前置きが確かにある。しかし、〈父母〉との不分離は子どもの権利条約の原則ではないということを、まずその前に法学者の小川氏も共産党も宣言しないのはなぜだろう。子どもへの責任に男女の差があると言いたいのだろう。

こういった恣意的な事例の扱いは、面会交流中の父による子の殺人事件が国内で発生した場合にも話題にされ、共同親権への反対の論拠として使われた。この場合、加害者は男性に限られ、その男性がそれまで子どもと引き離されたということすら無視される。これは「単独親権殺人」なのか、「面会交流殺人」なのか、共同親権反対の論調で守ろうとするものは、被害者ではなく、実際にはジェンダーギャップである。日本共産党は読み間違えた。(宗像 充 2021.6.30)

ジェンダー不平等政党、日本共産党 都議選候補者を落選させよう!(4) 単独親権制度が養育費と面会交流の履行を困難にする

養育費や面会交流は親権と関係ない?

 「『離婚後共同親権』の拙速導入ではなく、『親権』そのものを見直す民法改正を」と題する日本共産党の見解(以下「見解」)によれば、共同親権の導入に、面会交流や養育費の支払いを促進するためとの声があるものの「これらはそもそも『親権』制度とは関係ありません」とある。本当だろうか。

 日本の養育費支払い率が2割程度で全然上がらないのはかねてから問題になってきた。面会交流についても同様だ。法務省が実施した24か国の親権制度についての調査においては、日本とトルコとインド以外は何らかの形で共同親権が法的に可能で、もちろん、先進国の中で唯一未婚時に単独親権「しかダメ」なのは、日本だけ。そして日本の養育費支払い率が諸外国に比べて極端に低い。であれば、親権制度と関係あると考えないほうが無理がある。共産党の主張は何か根拠があるのか。

会えないと払えない(払わない)

 日本で裁判所で親権指定されれば、93%の割合で男性が親権を失う。親権のない父親は、「親権がないのに『会いたがる』」と、社会からはさもとんでもない親だと見られやすく、実際会えないと「何かやったからだ」と言われる。

 赤旗紙で「海外に見る離婚後の養育」というシリーズ記事を書いた手島陽子記者と電話で話したが、ぼくが子どもに会えない状態だというと「宗像さんのお話を聞いていないから」「母親の子育てはたいへんですが、宗像さんは何をしたんですか」というのを何回か聞かれた。この運動を10年以上続けているので、「どうせ会えなくなるようなことしたんでしょう」「子育ての経験もないのに会いたがるなんて」という言外の意味をくみ取ることは可能だ。しかし「養育費を受け取れないのは何かしたからでしょう」「働いた経験ないのに何で仕事をしたがるの」と女性が言われたらどんな思いがするだろう。ジェンダー平等がどんな意味か少しは考えてもよさそうだ。

 彼女は、面会交流で育児経験のない父親もいるから支援を充実させないとと言っていた。支援はないよりあったほうがいいけど、仕事の経験のない女性が、職業訓練を受けないと仕事につけないわけでもない。権利としての子育てが確立していないのは、単独親権制度によって性役割をまたいだ行為をする者への偏見があるからだ。

赤旗紙の記事は、この偏見を利用して記事を構成している。いちいち反論をしてきたものの、何度もこういう記事が繰り返される。そろそろ「単独親権制度があるせいで男が養育費を支払いたがらない」という現実を日本共産党も受け入れたほうがいいのではないか。

 ちなみに「父子の交流と養育費」(https://link.springer.com/article/10.1353/dem.2007.0008)という研究では、「養育費の支払い」と「父子の交流頻度」の前後関係を調べて、「交流が養育費に与える影響の方が、養育費が交流に与える影響より強い」とある。交流が原因で支払いが結果ということだけれど、親子関係を切られるので、お金を払わなくなる、ということだ。

 田島さんには、ぼくは本を出しているので読んでみたらどうですか、と一応言った。

別居親(男)を差別して搾取する

 日本共産党の主張は、別居親には権利は与えたくない、しかし金は出せということに尽きる。奴隷のように差別を肯定しなければ、通常こういう主張は通らない。通用するためには、婚姻外のみの性役割を肯定して、「それが本来の姿」と強調することだ。

戦前の女性には選挙権がなかった。投票できないけど女性としての役割は果たせ、という不満は共産党の課題ではなかったのだろう。権利はやらないけど義務は果たせは、別居親を二級市民として差別し搾取しているにほかならない。そして司法をくぐれば93%の割合で女性が親権を得る。

母子家庭も「欠損家族」として差別されてきた。その不満は核家族の会社社会を支えるために、児童扶養手当の拡充で抑え込まれてきた。男性の側は「引き離せば金もとれなくなるだろう」という程度の感覚でここでも口封じが図られている。シングルマザーの子どもは別居親の子どもでもある。男性を搾取しても、単独親権制度が生む貧困は解決しない。別居親を貧困問題の当事者としてとらえられなかったからだ。 (つづく。宗像 充 2021.6.30)